キスをしたかった。 気が変になるほどしたかった。 息も詰まるほどのキスをして、心の内に溜め込んだ激情を吐き出したかった。 暴いてやりたかった。 何も考えず、本能のままに暴いてやりたかった。 首を絞めても反応を示さない彼女に、いつもは僕をこけにして遊んでいた彼女に僕の荒い気性を見せ付けてやりたかった。 でも…… 「気持ち悪い」 彼女が呟いたこの言葉に僕の興奮は嘘のように引っ込み、代わりに自己嫌悪と後悔と彼女に対しての申し訳なさで胸がつまりしばらくの間大声で泣いた。 この時に気づいたのかもしれない。 僕は泣きながらどこかで「精神が不安定なんだな」と冷静に自分を観察するもう一人の自分がいる事に気づいたのは…… それからずっと、彼女の顔をわざと見えないように胸に抱き僕は不思議と心穏やかにこの赤い世界を俯瞰した。 そして、改めて僕は思った。 これが、僕が望んだ世界なんだ。 別にこの結末が愚かだと思わない。 これもまた、一つの完成された世界なのだろう。 争いもなく、幸福もなく、貧困もなければ裕福もない。 何もない、だからこそ真に平等な世界。 さぁー 微風が彼女の髪を撫でる。 僕の頬を、彼女のふんわりとした髪がくすぐる。 素直に気持ちよかった。 その時の僕は間違いなく笑っていたと思う。 もうしばらくこの世界にいよう。 この世界での出来事、自分のした不出来な行動。 その結果を脳に刻もう。 僕は、あの皆のいる世界に還る。 これは、自然と溢れ出た思いであり決心だ。 もはや、この世界は僕の望む世界ではなくなった。 ならばこそ、還ることができる。 「でも、あと少し…ううん、もうしばらくかな。ここでこうしていよう。それくらい、いいよね……アスカ」 どこかで「この馬鹿シンジ!」と叫ぶ赤い女性の声を聞いたような気がした。 これは、僕が赤い世界に来てすぐの話。 音が聞こえる。 間違えるはずのないチェロの音色。 しかもこの曲は…… 懐かしいな。 豊かな響きが僕の脳裏に響く。 チェロだからこその深みのある音色が、低音から高音まで残らず聴く人を魅了する。 でも、僕にはそれ以上に『癒し』を与えてくれる音色だった。 . . . . . . . . それから更に僕は寝ていたようだ。 もうチェロの音は聞こえない。 ここはどこかの家の中だった。 ……いや、違うな。 ここは叔父の家だ。 幼いころ父さんに預けられた叔父の家。 さっきのチェロは恐らく叔父が弾いていたのだろう。 叔父は寡黙な人で昔は冷たいと思ってたが、それは恐らく幼かったゆえの間違った認識。 彼は父さんと同じで不器用な人間だったにすぎない。 人付き合いが苦手で、だから人と距離を置きたがるのだがそのせいで誤解を生んでしまうタイプなのだ。 「ふふっ」 なんだかおかしな気分だ。 僕が自分の事を棚に上げて人の事を評している。 酷く滑稽な事のように思えるが、でもそんな自分を卑下するつもりはない。 この評価は間違ってないだろうから。 「さてっと」 うーんと伸びをして、座っていた椅子から立ち上がる。 そしてぐるっと部屋の中を見渡す。 誰もいない、でも明らかに生活感のある部屋。 ただそれだけの事のはずなのに顔が綻ぶのを止められない。 調度品があり、電気が通い、そして人がいる。 これを喜ぶなというのはちょっと無理な話。 だって、僕はずっと一人ぼっちだったから。 不幸自慢をするつもりはない。 ただ、この胸から溢れ出る嬉しさを止める事ができないだけ。 僕は心持ち早足で、部屋をでる。 自分の部屋から玄関へと続く道の途中に叔父の部屋がある。 そこを通りがかるとき、初めて違和感を感じた。 思ったより、この家が広いのだ。 天井は高いし、廊下の幅が異様に広い。 自分が小さくなったかのようだ。 ……小さく? 「ああっ!」 僕は進路を変更してダッシュで浴室へと駆ける。 そして、そこにある鏡で自分の姿を見た。 そこには、幼さ100%の昔の僕がいた。 自分の顔をペタペタと触って、次に首、お腹、足と触ってゆく。 別段意味はないのだが、気持ち的にせずにはいられない。 最後にもう一度自分の顔を見て、うぅっと唸る。 「僕は一体何歳なんだ?」 決して無視できない問題が浮上した。 とはいえ、そんな問題はすぐに解決する。 新聞見れば、一発だ。 だから、今はそんな事後回し。 「うわぁっ」 僕は外へでるとすぐに感嘆の声をあげた。 夜空に輝く満天の星。 神秘的でかつ迫力があり、更に美しい。 僕は夜空に手を掲げ、ぐるっと一回りした。 この世界に戻った僕は感受性が大袈裟なほど豊かなのだ。 チェロに癒され、生活感のある部屋に感激して、この夜空に今深い感動を覚えている。 次から次へと押し寄せる感情の奔流に僕は流されっぱなしだった。 だからなんだろう。 僕に近づいてくる黒い集団に気づくのが遅れたのは。 「ドイツの夜空もこんなに綺麗なのかな……」 「碇 シンジだな」 片言のお世辞にも上手いとは言えない日本語が背後からかかる。 それと同時に僕のあの感情のうねりは嘘のように引いていく。 僕は返事の代わりに、笑顔の消えた冷たい表情で振り返った。 ざっと八人の黒服がそこにいた。 「我々と共に来てもらおう」 「…OK」 「「「「「「「「「……」」」」」」」」」」 僕の二つ返事に、彼らは水を打ったように沈黙する。 僕としては決してギャグをかましたわけじゃない。 これは予め決まっていたことなのだ。 あの時、カヲル君達と決めた幾つかの事の一つなのだ。 本当に彼らがそれに該当するのかはちょっと不安だけど、だからと最初の一歩を踏まぬわけにはいかない。 僕に躊躇いは許されないのだ。 そして僕は日本から姿を消した。 闇の中に、低い電子音が響いている。 そこでは、一人の見目麗しい女性を中心にして『01』、『02』、『03』…………『10』『11』と書かれた計11個のモノリスが取り囲み、なにやら怪しげな密談 をしていた。 いやこの場合、密談というより歓迎会といった方が適切かもしれない。 「タペストリー女史。我々はあなたを歓迎する」 「嬉しいですわ」 「あなたは非常に優秀な人だ。これまでのあなたの働きのおかげで我々の計画はほぼ軌道にのったと言っていいだろう」 「だからこそ、あなたを同士に加えたのだ」 「あなたの更なる尽力を期待したい」 「もちろんです。ところで、例の件はどうなりましたでしょう?」 「彼のことか?彼なら、明後日にはあなたの所に届ける」 「お早い事。感謝しますわ」 「だが、何故彼を引き取ろうというのだ?」 「左様。彼は所詮予備」 「我々には育児などより、すべき事は幾らでもあるはずだ」 「彼奴の父親も問題だというのに……」 「皆様方は彼を軽く見ておられますが、私は彼を軽視してはいません。むしろ、計画の要になる存在だと考えております」 「ほお?」 「そう考える理由は幾つかありますが、確信はしていない為この場での発言は控えます。ですが間違いないでしょう」 「そうか……まあ、彼はあなたに任せよう。我らもその事で深く追求をしようとは思わん」 「重ね重ね感謝しますわ」 「では、本日の議題に移るとしよう」 . . . . . . . . . . . . <それから二日後、ある孤島で> 春の柔らかな日射しがバルコニーに差し込む。 広いバルコニーには大小様々な鉢が所狭しと並べられ、ちょっとした植物園のようだ。 日射しを受けて新緑が美しく輝いている。 「今日も良い天気ね」 手摺りから身を乗り出し、まだ年端もいかない少女が目を細めた。 バルコニーからは周囲の風景が展望できる。 白く反射している宮殿の壁。 その彼方には延々と続く海の水平線。 反対側には海を経て大陸の、港町の姿が微かながら目視できた。 そして眼下には、噴水と広大な庭。 いつもと変わらぬ風景である。 それを微笑みながら見回す少女の髪が、春の匂いを運んだ風に揺れた。 「今日、兄様が来るのね」 ポツリと漏らす少女の声には万感の思いが詰まっていた。 「長かった。本当に長かったわ。あの世界で兄様と別れて、この世界に生を受けてからの6年と半年……まるで私の半身がなくなったかのような寂しさが常に付き纏っていた」 それも今日で終わるのね、と晴れ渡る青空を見上げる。 雲ひとつない綺麗な青空。 この青空があの暗くどんよりとした空に変わったとき、彼はどんな気持ちだったろう。 「兄様、早く来て。早くレンに兄様の笑顔を見せてください。そして……」 きっと、辛く悲しい気持ちになったはずだ。 そして、それはあの世界にいる限りずっと続いていたに違いない。 でも、あの場所で少女が誕生した時の彼の顔は笑っていた。 祝福してくれたのだ。 恨まなければいけないはずの、憎まなくてはいけないはずの私の存在を。 「私を強く抱きしめて……」 その瞬間に決まったのだ。 私の命は最後まで彼の物であろうと…… 後書きです 初めまして。雪鏡です。 拙い文章、拙い文構成。 限りなくお恥ずかしいですが、どうかお付き合い下さい。 今回から本編です。 ……上手く書けてると良いのですが。 書き終えて思ったんですが、ちょっと短いですね。 次回からはもう少し長く書こうかと思います。 あと、質問です。 アスカが出た大学ってどこだか分かる人いたらぜひ教えてください。 お願いします。 では、短いですがこの辺で失礼します。 あ、感想送ってくれると嬉しいです。 ぜひ、お願いします。
感想は新たな作品を作り出す原動力です。1行の感想でも結構 ですので、ぜひとも作者の方に感想メールを送って下さい。 |