さくらの長い休日(その1)――<大神家の人々>――


 

「さくらくん、疲れただろう?」
「いいえ、この位何でもありません!」
「ははっ、そんなに気合を入れなくても……もっと肩の力を抜いていいんだよ?」
「でも……」
「俺が言うのも何だけど、みんな気の良い連中だから」
「……はい」
「OK。じゃあもう少し歩くけど、そんなに険しい所は無いから」
「はい」

 太正十五年十月のある日の事。鮮やかな紅葉の間を抜ける帝都の北方、栃木のとある山道を大神とさくらは旅行鞄と細長い包みを手に歩いていた。
 その日、まだ朝の早い時刻、

『さくらさん、くれぐれも粗相の無いようお気をつけあそばせ。貴女の恥は中尉の恥になるのですからね』
『すみれ、オメエ何緊張させるような事言ってんだよ。ただでさえ大変な日なのにさくらが可哀想だろ?
 さくら、気楽に行こうぜ気楽に?なぁーに、少しくらいドジ踏んだって却ってご愛嬌ってもんだぜ』
『カンナ、貴女こそそれじゃ却ってプレッシャーかけているようなものよ。
 さくら、普段通りやれば大丈夫よ。貴女は時々思いがけない失敗をするところを除けば基本的にしっかりしているんだから』
『マリアぁ、それ、フォローになってないよ?』
『そうデース。それに、おめでたい事なんですからそんなに硬く考える必要無いと思いマース!結局、こういう事はなるようにしかならないものデース』
『織姫、それは言い過ぎ』
『まあまあ。みんな、さくらの事を心配するのはわかるけど、あんまり色々言ってさくらを混乱させるのは良くないわ?
 さくら、貴女は貴女らしく頑張っていらっしゃい』
『は、はい。ああありがとうございます』
『あ〜あ、さくら、ガチガチだよぉ』
『緊張するのは当たり前だよ』
『よーし、いっちょ、景気付けに万歳三唱で見送るかぁ!?』
『『『『『『『『いりません!!』』』』』』』』

とこんな調子で、迎えに来た大神が苦笑しながら見守る中、さくらは米田とかえでを含めた花組全員の見送りを受けて大神の実家に婚約の挨拶へと出発したのだ。
 帝国鉄道に揺られ、途中さくらの気合が入りまくったお弁当で昼を済ませ、蒸気バスで更に揺られて、もう既に日も傾きかけている。

「山奥なんで驚いたろう?」
「はい…い、いいえ!そんな事!!」
「はははっ、良いんだよ、さくらくん。実際山奥なんだから」
「……すみません」

 頭上に覆い被さってくる紅葉と競い合う様に頬を赤く染めて足下に視線を落とすさくら。鞄と荒鷹の包みを一度揺すり上げて、気を取り直したように前を向いて足を進める。

「重くない?鞄、持ってあげようか?」
「いいえ、大丈夫です。ありがとうございます」

 振り返った大神の笑顔に勇気づけられた様にニッコリと笑みを返してさくらは大神の隣に並んだ。さくらが左手に携えている細長い包みには霊剣荒鷹が収められている。
 今朝、迎えに来た大神が神刀滅却を持って来ているのを見て、実家に帰るのに何故刀が必要なんだろう?と不思議そうな目を向けているさくらに、大神が荒鷹を持参するよう促したのである。多分、武門の家だから女の身でも剣を嗜んでいる方が好まれるのだろう、と勝手に自分を納得させたさくらだったのだが……まだ意識の片隅では首を捻っているのも事実であった。

「でも、本当に気持ちの良いところですね……紅葉が綺麗で、空気も清々しくて、とっても静かで……何だか、心が透き通ってくるような気がします」
「……確かに街の中に比べれば景色も空気も綺麗だと思うけど……静かっていうのはどうかな……?」
「?」

 独り言のような口調で何やら意味ありげに答えた大神をさくらは不思議そうに見上げる。照れたような笑顔で視線を返す大神。さくらが好きな、彼の留学中、ずっと会いたかった笑顔。離れていた間に募った想いの重みか、大神が帰国してもう一ヶ月以上になるというのにまだ、気がつけばこの笑顔に呆っと見惚れている自分がいる。そういう自分を発見する度、さくらは顔を火照らせながらジンワリと心が温かくなるのを感じるのだ。
 この時もそうだった。無言で見詰め合っている事にハッと気づき、慌てて目を逸らすさくら。心地の良い狼狽。こういう時、いつもはお互い恐る恐る目を合わせて苦笑いを交わして、そして落ち着きを取り戻す。だがこの時は。

 ぎゅうっ

「!」

 大神が突然さくらを抱き寄せた。意識が真っ白になって、さくらはその手の持主の名前を呼ぶ事も出来なかった。抵抗もしなかった。ぎゅっと目を閉じてその腕に全てを委ねるさくら。

 ダッ!
 ザザッ

 しかし、全ての予想は外れた。否、さくらの心情を代弁するなら、裏切られたと表現した方が良いのかもしれない。体にかかる、霊子甲冑射出時のような慣性。両足が地面を離れたのをさくらは感じた。ほとんど同時に木の葉の鳴る音。

「さくらくん、離れて!」

 さくらが目を開けるのとほぼ同時だった。大神の切迫した声。警告。木の上からの、襲撃?着地の足音がした方へ目を転じて、さくらは口が半開きになるのを止められなかった。

「離れて!」

 そう指示するのと同時に、大神は「天狗」へ向かって突っ込んだ。
 そうなのだ。山伏の装束。赤ら顔。そして、鼻が異様に高い。棒状に真っ直ぐ伸びている。白刃を手に飛び降りてきた襲撃者は天狗の姿をしていた。
 尤もそれは、一瞬の錯覚だった。当たり前の事だが。白いざんばら髪に鼻の高い赤ら顔は(おそらく)木製の面だった。眼の部分が大きく刳り抜かれ、切れ長の鋭い両眼が覗いている。天狗面の小柄な襲撃者に向かって、大神は鞘に収めたままの神刀滅却を手に間合いを詰めた。

(あたしの所為…?)

 袈裟切りに振り下ろされる小太刀を身を沈めてかわす大神。襲撃者の動きは速く、大神にも神刀滅却を布袋から取り出すのが精一杯で抜刀する余裕は無かった。抜刀もせず相手に突っ込んで行ったのは襲撃者をさくらに近づけない為だとすぐにわかった。
 荒鷹を取り出し、帯に鞘を差す。柄に右手を置き、軽く身を沈める。
 しかし、大神と天狗面の男は目まぐるしく体を入れ替えておりさくらの腕を以ってしても介入する糸口を見出せない。
 大神は抜刀術が余り得意ではない。元々二刀流は抜刀術に向かないのだ。乱舞する白刃に霊刀を抜く機を掴めず、鞘に収めたままの刀と体捌きで大神は襲撃者の斬撃を躱し続ける。それは驚異的な体術だった。決して足元がしっかりしているとは言い難い山道で、間違い無く一流の剣客の波状攻撃を凌ぎ続けているのだ。自分にはおそらく無理だろう、こんな時にも拘らず、さくらはそんな感嘆の溜息を吐いていた。
 鋭い打ち下ろしの斬撃を身を翻して躱す大神。一回転して敵の側面に周り込み、身を沈めて自分よりも低い位置にある敵の左肩に右肩を当てる。
 大神の足元で木の葉が舞い上がった。その右肩から光が放たれるのをさくらは見た。気の爆発。両足を踏みしめ体を震わせると同時に触れ合わせた肩から気を撃ち出したのだ。気と体によって生み出された衝撃波に、天狗面の男の小柄な体が宙を舞う。そのまま道端の木に叩きつけられるかに見えたが、その男の体術も並ではなかった。空中で巧みに体を捻り、両足で木の幹に「着地」する。流石に足から地面に降り立つ事は出来なかったが、柔らかく体を丸め、二転、三転、落ち葉の上を転がり大神から距離を取る。

(今よ!)

 だがそれは、さくらの待ちわびた絶好の機会。体当たりのダメージ故か僅かに動きが鈍っている小柄な襲撃者に狙いを定め、さくらは荒鷹を鞘走らせた。

破邪剣征
さくらくん待った!
桜花放神!!

 轟!

 大神の制止の声が聞こえた、ような気もしたが、ハッキリ言ってさくらは頭に血が上っていた。ただでさえ、大神が襲われているとなればさくらには彼に助太刀する以外の事は考えられないだろう。それに加えてこの時は、せっかくのムードを台無しにされた恨みがある。彼女は無意識の内に、生身の人間相手には洒落にならない威力で桜花放神を放っていた。
 彼女が居合を始動すると同時に、天狗面の男ももう一本の脇差を腰から抜いていた。荒鷹が振り抜かれるより一瞬速く男の胸の前で交差する小太刀と脇差。そこから放たれた霊気の光輪が桜花放神を迎え撃つ!
 霊気の衝突による霊光の乱舞。一瞬拮抗した二つの力は、一瞬後、襲いかかる側が勝った。吹き飛ばされる小柄な影。霊光の楯で桜花放神の直撃は避けたものの、その圧力には抗しきれず体ごと飛ばされたのだ。

爺さん!!
「えっ…!?」

 衝撃で天狗の面が外れる。その素顔は、驚いた事に白髪の老人だった。そして更に驚いた事に、下生えの中に仰向けに倒れた老人に向かって、大神が「爺さん」と呼びかけたのだ!
 と、いう事は……

「おい、爺さん!大丈夫か!?」
「…まさか…大神さんの……お祖父様……?」

 サーーッ

 自分の顔から一斉に血の気が引いていく音をさくらは聞いた、ような気がした。

 

その2へ続く

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