さくらの長い休日(その2)――<大神家の人々>――


 

「すみませんすみませんすみません!!」
「ごめんさくらくん、俺がハッキリ教えてあげなかったのがいけないんだ」
「いやいや…儂の悪ふざけが過ぎたのじゃよ。さくらさん、じゃったな。儂はこの通りピンピンしておるで、もう手をあげて下され」

 真っ赤になって必死に頭を下げているさくらを前にして、二人の男性が困惑した表情で彼女を宥めている。
 ここは栃木県、奥日光の一角にある大神の実家。何とかさくらを落ち着かせようと悪戦苦闘している二人組の片割れは当然元帝劇のモギリ、兼、元帝国華撃團花組隊長(んっ?逆だったかな…?)大神一郎。そしてもう一方は彼のお茶目な祖父、大神虎太郎(こたろう)である。
 お茶目な、という言葉ではあるいは言い尽くせないかもしれない。久し振りに帰郷する、しかも婚約者を連れて来た孫に突如真剣で襲い掛かったのだから。しかも鼻の高い赤ら顔の面を被り、山伏の衣装を着て、である。つまり、天狗の扮装で。その上、木の上から襲い掛かるという念の入れ様だ。これはもう、「お茶目」というレベルを超えているだろう。
 矢継ぎ早に襲い掛かる白刃に抜刀する間も見出せず辛うじて躱し続ける大神を前にして、さくらの頭に血が上ってしまったのは止むを得ないことであろう。「大神さんが危ない」その一心で――とは必ずしも言い切れないが――さくらは小太刀を振り回す小柄な曲者相手に容赦のない桜花放神を見舞った。相手が大神の祖父だとは夢にも思わず(当たり前だが)。
 流石は大神の縁者と言うべきか、前後の見境をなくしたさくら渾身の一撃を、直撃こそ回避したものの威力の全てを殺すことは出来なかった。気を失った虎太郎を大神が肩に担ぎ、後ろからトボトボとついてくるさくらを連れてようやく実家にたどり着いたという次第である。

「それにしても一郎。お主、儂じゃということが最初からわかっておったのか?」

 虎太郎の素朴な(?)疑問にどっと疲れた顔を見せる大神(二人とも「大神」なのだが、これ以降単に「大神」と記した場合大神一郎のことを指すものとする)。

「当たり前だろ……あんな酔狂な真似をするのが爺さんじゃなくて誰だって言うんだよ……
 だから刀を抜かずに相手をしてやったんじゃないか」
「ほほ、言いよるわ。それは手加減してもらったということかの?」
「まさか、この俺が抜く間も無かったとでも思っていたのかい?」

(えっ?)

 意外感に捕らわれるさくら。彼女も間断ない斬撃に抜刀の機を掴めないのだと思っていたのだから。

「俺が爺さん相手に抜いたら洒落にならないじゃないか」

(そう言えば……)

 さくらは思う。彼女は大神が真剣を揮っている姿をほとんど見た記憶がない。銃、徒手、木刀、あるいは最初から刃のついていない模擬刀。大神の白兵戦は何度も見たことがあるが真剣で戦っている姿は思い当たらない。短刀や懐刀のような小型の刃物はともかく、刀や太刀は二剣二刀の儀の時、神刀滅却と光刀無形を構えている姿を見たのが最初で最後のような気がする。

(どうしてかしら?今まで気にしたこと無かったけど……)

「もう、子供の頃の俺とは違うんだよ?爺さんも昔とは違うんだし、少しはその辺をわきまえてもらいたいな」
「何を言うか!儂はまだまだ年寄り扱いされる程老いてはおらぬぞ!」
転けたくらいで気を失っておいて何を言ってるんだよ……」
「あ、あれはじゃな、たまたま受け身を取り損ねて、おまけにちょうど頭の所にでかい石が転がっておったからでじゃな……」

(えっ?)

 大神の白い視線に虎太郎の口調がだんだんしどろもどろになってくる。それを聞いて、さくらは心の中に頭をもたげかけていた、何か重大な意味が隠れていそうな疑問を思考の片隅に追いやってしまっていた。

「転んで頭を打った……んですか?」
「そうだよ。全く、年甲斐もない、自業自得というものなんだ。だからさくらくんがそんなに気にする必要は無いんだよ」
「おい、一郎。何もそこまで年寄りを苛めんでも……」
「何を仰っているのですか?普段から年寄り扱いするな、年寄り扱いするな、が口癖でいらっしゃる癖に」

 襖を音もなく開けて会話に割り込んできた、しっとりとした声。水が流れるような滑らかな動作で膝をつき、手にしたお盆からお茶の入った湯のみを畳の上に並べる。

「お父様も大概にして下さらないと、今日は一郎さんが大切な方を連れて来られる日だとわかっていたはずじゃありませんか。そんな事だから、美鶴からいつも『年寄りの冷や水』等と言われてしまうのですよ?」

 ずずずっ……

 早速お茶を啜りながらそっぽを向く虎太郎。そんな老人に苦笑しながら、お茶を運んできた女性はさくらに向かって笑顔で軽くお辞儀をした。

「すみませんね、さくらさん。何だか、父と愚息がとんでもない醜態をお見せしてしまって。どうかお気になさらないで下さいね?
 先程は落ち着いてご挨拶できずに申し訳ありませんでした。私は一郎の母、千鳥と申します。どうか、くつろいで下さいね?」
「あっ、はっ、はい!あたしの方こそろくにご挨拶もせず申し訳ありません!
 真宮寺さくらです!どうか、よろしくお願いします!!」

 勢いよく頭を下げるさくらを笑顔で、呆れた顔ではなく温かく見守る表情で、千鳥は見詰め、息子へと目を転じた。

「いいお嬢さんを見つけたわね、一郎。貴方にしては、上出来過ぎるほどだわ」

 予想以上の好意的な言葉に顔を上げて大神と視線を合わせ、すぐに千鳥の方へ向き直るさくら。視線の先では、言葉以上に温かい笑顔があった。

(それにしても綺麗なお母さま……)

 円熟美、とでも言うのだろうか。さくらの母親に比べれば、目尻に小皺も目立ち年相応の容貌をしている。だが落ち着いた、柔和な佇まいがとても大きな包容力を感じさせる、慈母という言葉がこの上なく相応しく思われる容姿と雰囲気。美しく年を重ねるとはこういう女性(ひと)のことを言うんだろうな、何時の間にかさくらはそんなことを考えていた。

「どうしたの?」

 無言で自分を見詰めてるさくらに不思議そうな笑顔を向ける千鳥。

「い、いいえ!!
 あ、ありがとうございます!」

 慌てて首を振るさくらにちょっと小首を傾げ、それでもそれ以上追求するようなことはせず、照れた顔をなんとか隠そうと悪戦苦闘している息子に千鳥はこう言った。

「一郎さん、お祖父様をお部屋にお連れしてあげて。それから、少し手伝って下さいな」
「はい、わかりました。
 それじゃさくらくん、ちょっと待っててくれるかい?」
「は、はい」
「すみません、さくらさん。すぐに戻らせますので、少しの間お一人でご辛抱下さいな」
「いいえ、どうかお気遣いにならないで下さい」

 ようやく落ち着きを取り戻したさくらは、丁寧に会釈して部屋を出て行く千鳥と、「こりゃ、一郎、何をするか!」と騒ぎ立てる虎太郎の帯を掴んで前にぶら下げたまま母親の後に続く大神を目を丸くして見送っていた。

 

その3へ続く

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