さくらの長い休日(その5)――<大神家の人々>――


 

 床の間を背に羽織り袴姿で端座する老人。天狗のお面をかぶって小太刀をふりまわしていたお爺さんとは別人のような、威厳すら感じさせる佇まい。
 虎太郎老人からやや下がった斜め後方には同じく羽織り袴に分厚い身体を包んだ熊作が山のような落ち着きを見せて座している。
 さくらは今更のように緊張を感じていた。今までずっと驚いたり呆気に取られたりばかりで、緊張を感じる暇は無かった。だが、改めて大神の父、そして祖父と向かい合っていると、そんなはずは無いとは思いつつも自分が本当に大神の家族に受け容れてもらえるのだろうかという一抹の不安が頭をもたげて来るのである。

「一郎、ただ今戻りました」
「久方ぶりの帰郷、ご苦労であった」

 そして今更のように畏まった大神の口上と、大真面目な顔で応じる虎太郎を前にして、じっとりと掌に汗が滲んでくるのをさくらは自覚していた。

「一郎、前もって便りを受けてはおるが、この場で改めて今回の帰郷の用向きを述べてみよ」

 時代がかった重々しい口調が不思議なほどに似つかわしい。出会いの印象とは別の意味で、ただ者ではないと感じさせる。

「はい。私は、こちらの女性、真宮寺さくらさんを妻と致したく存じます。彼女を大神家の一員として迎えるお許しを賜りたく帰参致しましてございます」
「真宮寺さくら嬢は如何なる素性の方なのか、まずそれを申してみよ」
「彼女は私が誰よりも愛しく、何よりも護っていきたいと感じている女性です。それ以上でもそれ以下でもありません」

(大神さん…!?)

 大神の思いがけない応えにさくらはビックリしてしまった。結婚は家と家との結びつきという性格がまだまだ強く残っているこの時代に、大神の応えは喧嘩を売っているようなものだった。氏素性は関係無い、自分が選んだ相手だ、大神はそう申し立てているのである。
 だが、虎太郎や熊作の反応にハラハラしながらも、さくらは嬉しかった。血筋も、育ちも関係無く、さくら自身が大切だと大神は言ってくれているのだ。そんな場合ではないと思いながらも、ジーンと目頭が熱くなってくるをさくらは感じていた。
 虎太郎と熊作の反応は、予想外のものだった。

うむ、見事だ!、一郎よ

 我が意を得たりと破顔する虎太郎。

「熊作よ、どう思う」
「倅も少しは人の生きる道というものがわかって来たようですな」

 振り返る虎太郎に、熊作も大きく頷いている。

「一郎、それでこそ大神家の男だ。例え世界の全てを敵に回しても愛しい女を護り抜く位の覚悟が無ければ大神の名を背負う男としては半人前、嫁取りは早過ぎると思っておったが、暫く見ぬうちにお前も成長したようじゃな」

 力強い虎太郎の賞賛。但し、やけに話が大きくなっている。

「一郎、お前も知っての通り私は大神家に養子として迎えられた身だが、お義父さんに拾われたのは子供の頃の事だ。大神家の血は持たずとも、その心は余さず受継いでいるつもりでいる。
 兵学校の主席だとか帝都防衛の英雄だとかそんな事で有頂天になって、お前が体面ばかり気にする男になっていたら私達はお前をもう一度しごき直すつもりでいた。お前が上辺の美しさばかりにうつつを抜かして、大した覚悟も無く簡単に嫁取りを口にするような軟弱者になっていたらな。だが、どうやら杞憂だったようだ」

 言い終えて、にかっと笑う熊作。その表情がいかつい容貌にも関わらず想像以上に人懐っこいものだったので、さくらはまたまた驚いてしまう。
 どうやらその笑顔は「堅苦しい作法はお終い」の合図でもあったようだ。急に、その場の雰囲気がざっくばらんなものに変わった。

「そんな事を考えていたのかい?親父も爺さんも、あんまり俺を見くびらないで欲しいな」
「すまんすまん。だがな、一郎。武も文も申し分無い天分と修練の成果を見せていたお前が、まるでその代償のように色恋についてだけはからっきし意気地が無かったからなあ」
「そうじゃよそうじゃよ。儂の若い頃など、お前が兵学校に入った歳には女子の相手の順番に四苦八苦しておったからのう。
 そこへ行くとお前は、作りは良いはずなのに全く女っ気というものが無かったからの」
そんな暇が何処にあったんだよ……朝から晩まで木刀で俺のことを追い回していたのは爺さんじゃないか……
「んっ?一郎、何か言ったかの」
「いや、別に……」

 小声でボソボソ、と短い抗議を呟いた大神は、祖父の問い掛けに明後日を向いて見せた。だが虎太郎は何故か上機嫌で、大神のそんな愛想の無い態度も全く気に懸けた様子が無い。

「んっ…?まあ良い。
 とにかく、お前には男として何処か欠けた所があるのではないかと儂は密かに案じて居ったのじゃ。そのお前が驚いた事に、帝都に今をときめく大帝国劇場の花形スターを許婚として連れて来るというではないか?正直、儂らは驚くを通り越して心配していたのじゃよ」
「……何を?」

 大神の子供の頃の話に興味深げに耳をそばだてているさくら。彼女を意識してか、何となく嫌そうに大神が問い返す。

「色恋に免疫の無いお前のこと、美しいお嬢さんにたまたま好意を寄せられて有頂天になってしまったのではないかとな。お前は根が堅物じゃから、既成事実が出来て体面を繕うために結婚を言い出すような事だけは無いと思って居ったが……」
「あ、当たり前だろ!!そんな事を考えるなんて、さくらくんにも失礼だよ!!」

 真っ赤になって祖父を怒鳴りつける大神。

(既成事実?……あっ!)

 一瞬遅れて、顔から火を噴き出し俯いてしまうさくら。

「だ、だから、そんな事だけは無いと思って居ったと言うたじゃろ?」
「当然だ!!」
「一郎、まあそう怒るな。それ位、お前の結婚話は私達にとって意外な事だったのだ。
 だがお義父さんも私も今のお前の覚悟を聞いて安心した。お前がそこまで言い切ることの出来る一人前の男になれたのも、きっとさくらさんのおかげなのだろう。
 さくらさん、どうか息子をよろしくお願いします」
「い、いいえ、そんな……あたしの方こそ、大神さん、いえ、一郎さんには何から何まで助けていただいてばかりで……あたしが今ここにこうしていられるのも一郎さんのおかげなんです。よろしくお願いします、と申し上げなければならないのはあたしの方なんです」

 突如話を振られて、うろたえながらもしっかりした応えを返すさくら。
 そんな彼女に、熊作は目に好意的な色を浮かべながらも、真剣な顔でこう続けた。

「それこそが一郎にとって必要な事だったのです」
「?」
「大神の名を背負う男が戦う為の理由は、『国家の為』であってはならないのじゃよ」

 不思議そうな表情を浮かべたさくらに、好々爺の顔で虎太郎が熊作の話を引継いだ。

「正義の為であっても平和の為であってもならないのじゃ。この家を出た時の一郎には、その事がまだわかっておらんかった。
 それは儂らが教えられる事ではない。誰も、教える事は出来ない。自分で見つけ出さねばならない真実なのです。そしてどうやら、一郎にはその真実がわかったようじゃ。さくらさん、貴女のおかげです」
「………」

 尚も不得要領な顔をしているさくらに慈しみのこもった顔で頷き、虎太郎は大神へと目を転じた。

「一郎、この問いを、初めてお前に与えよう。お前は何の為に戦って居るのじゃ?」

 突如、真剣勝負のような気迫に満ちた問い。
 大神もまた、真剣勝負の気迫を以ってその言葉を受けとめた。

「大切な人を護る為です。
 俺にとって何よりも大切なさくらくんを、そして大切な仲間を、大切な人達を護る為です。それが俺の、戦う理由です」
「その通りじゃ。そして相手が如何なる者であろうと、例え神々であろうと、大切な人を護り抜く為に我ら大神の技はある。
 全てに手を差し伸べるなど人の身には叶わぬこと。だからこそ、力に限りある人の身なればこそ、手と手をつないだ人を護る為、己が力の極限まで引き出して戦う。それが大神の名を背負う男の、戦うことの意味なのじゃ。
 正直に言おう。一郎よ、お前が軍人などになって、この事に気づく機会は遂に訪れぬのではないかと儂は密かに危惧して居った。愛国心や正義、平和、そんな美しい『理由』に囚われてしまうのではないかとな。だが、お前は見事この罠を潜り抜けてのけた。そればかりか、儂らの追い求めてきた大神の力を体現して見せた。聖魔城を沈め、魔神器を砕き、武蔵を落とした。
 それは全て、お前が大切に想う帝国華撃團の仲間達のおかげなのじゃろう。お前が何よりも大切に想うさくらさんの、その宿命を断ち切りたいと願った、さくらさんへの『想い』が可能にした事なのじゃろう。その事を、今ハッキリ確認させてもらった。
 さくらさん、我ら大神一族の全ての先人達を代表して、儂に礼を言わせて下され。そして一郎の事を末永くよろしくお願い致します」
「……不束者ではございますが、一郎さんの妻として精一杯努めさせていただきますので、どうかよろしくお願い致します……」

 深々と頭を下げる虎太郎と熊作。
 目を熱く潤ませながらも、さくらはしっかりと応え、同じ様に深々と、心から一礼を返した。

 

その6へ続く

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