決戦――かえでと雄一の物語――特別編
決戦<その10>
『白鯨丸、応答せよ!こちら月組隊長、加山雄一!』
「ッチャァ〜・・・・・・」
突如スピーカーより流れ出した声に、たまたま通信席の近くにいた神無月は思わず呻き声を上げてしまっていた。
『雪組、応答せよ!!』
「……こちら白鯨丸」
キョロキョロと左右に視線を彷徨わせるが、彼の代わりに応答しようなどという温かい心の持ち主は一人もいなかった。……というのは多分に神無月の僻みである。白鯨丸は翔鯨丸以上に純粋な戦闘艦として造られており、ギリギリの乗員しか乗せていない。つまり、皆自分の仕事に忙しいのである。
通信士が応えなかったのは隣に神無月がいたからであり、現在艦橋にいる者の中では岩瀬と彼が艦を代表する立場であり、従って他部隊の隊長からの通信は二人のどちらかが応えるべきであったからであり、――月組隊長と彼が知り合いだと知っていたからであった。
『神無月か!』
「…お久し振りです、雄一さん」
だが彼はこの時、この通信を他の者に押し付けられなかった事で逆恨みに近い感情を抱いていた。はっきり自覚できるほど歯切れの悪い応答。苦りきった声。
『貴様か、対地攻撃の指揮をとっていたのは!どういうつもりだ、神無月!帝都を荒野に変えるつもりか!!』
「あ、いえ、決してそんなつもりは…」
『そんなつもりは、何だ』
「…若、落ち着いて下さいよ」
何故なら、彼はちょうど加山を(雄次郎も「加山」だが、以後単に「加山」と表記する場合、加山雄一の事を指すものとする)怒らせたに違いないと思っていた所であり、出来るならこの場から逃げ出したいと感じていた所だったからである。
『貴様の言う通りだ。確かに、無駄話をしている時間は無い。
神無月、月組隊長として要求する。雪組は即刻戦闘を中止し、怪神を撤退させてもらいたい』
『何故作戦を中止しなければならないのですか?』
何の前触れも無く割り込んできた艶やかな声。
加山の矛先から逃れられた事にホッとしたのは束の間の事、これから予想される展開に神無月は内心更に頭を抱えてしまった。
『これ以上の戦闘続行は帝都の被る被害を悪戯に拡大させるだけだ!』
何を分かりきった事を……と、苛立ちを隠そうともしない声。言葉遣いを取り繕おうとすらしない。
『では月組の隊長さんは帝都を降魔兵器の蹂躙に任せると仰るのかしら。私(わたくし)たち帝国華撃団の使命は帝都を、ひいてはこの国を魔の侵攻から防衛する事ではありませんか?』
対照的に雨音の声は丁寧で、優雅で、……白々しかった。
『帝都全域が降魔兵器の攻撃に曝されている現在の状況下で、神田の一街区のみに限定した戦闘など戦略的に何の意味も無い!!』
『おかしな事を仰いますのね、加山隊長。月組はつい先程まで、その「限定された戦闘」を続けていらっしゃったように見えましたけど?』
はき捨てるような断定口調と、上辺だけ丁寧な嘯き。お互い、友好関係を構築する努力など僅かなりとも払うつもりは無い事が明白だ。
『戦闘ではない。救難活動だ。無意味に戦禍を広げるような真似などしていない』
『私たちはその救難活動の援護を致しておりますのに』
あからさまな皮肉にも、白々しい口調は全く動じることは無かった。
『援護?一体誰の命令だ?米田司令の命令ならば我々にも連絡があるはずだ』
『それはもちろん、雪組隊長としての私の判断です。加山隊長、貴方がご自分の判断で月組を率いて戦っていらっしゃるように』
『そうか、ならば月組は今現在を以って作戦行動を中止する。よって、これ以上の援護は不要!!直ちに怪神を撤退させていただきたい!』
『………』
返ってきたのは沈黙。しかし、言葉に詰まった、という感じは無い。冷ややかな、黙殺。
『新兵器の実験はこれで中止だ。賢人機関にもそう伝えていただこう!!』
しかし、その冷気も加山を沈黙させることは出来なかった。白々しい建前を一刀両断する、真実の暴露。
だが、見え透いた真相を敢えて指摘した蒼白い炎は新たな鬼火を呼び起こす結果となった。
『…私は帝国華撃団雪組隊長・清流院雨音特務少佐。特務とはいえ少佐は少佐、少尉に過ぎぬ貴官から指図される謂れはありません』
氷点下の回答。
『…了解した。ではこちらも、帝国華撃団5部隊の同格の隊長として、自分の判断で対応させてもらう!』
結果は、傍聴者の予想通り、決裂以外に無かった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
大型キネマトロンの蓋を閉じ、背後に控えた部下へと振り返る加山。
彼の瞳には、激動のこの一日で最も強い決意、あるいは覚悟が宿っていた。
「行くぞ」
「了解!」
彼らは、再び影と化して走り出した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「よろしいのですか、隊長?」
一部始終を傍で聞いていた泉の、少しも心配そうに聞こえない声に雨音はチラッと視線を投げた。
彼女の見せた反応はそれだけ。既に雨音は、何事も無かったように、怪神隊の指揮に戻っていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
轟音と閃光。薙ぎ倒される街並み。
廃墟が、無に変わっていく。
硝煙の臭いと爆風を感じ取れる距離まで近づいて、影は再び人に戻った。
彼らの前には半機半魔の軍勢の背中。その向こうに絶え間なく破壊を吐き出す九体の装甲機動兵器、そして彼らを上回る人数の歩兵部隊。
「迎木、三上」
「はっ!」
加山の声に、風と水の術者が進み出る。
「霧氷陣」
「はっ!!」
短い命令に応える二人の声には微量の緊張が混入していた。
「加賀見」
「はっ」
進み出る、髪の半ばまで灰色に変わった壮年の術士。
「霧氷陣展開と同時に蜃気楼迷図を投射」
「了解」
「児玉」
その外見に相応しい落ち着いた返事に一つ頷いて、加山は次の隊員の名を呼んだ。
「はいっ!」
「幻声迷路を」
「わかりました!」
ようやく少年と呼ばれる年頃を卒業したばかりかと見える若い隊員にしっかり頷いて見せて、加山は隊列全体へ視線を転じた。
「5分間、降魔兵器の動きを封じてくれ。その間に俺は、怪神を黙らせる」
「了解!」
一つに重なった受命の返答と共に、男達は音も無く散開した。加山も含めて。その場に残った人影は二つ。
迎木と三上、「亢」の一号、あるいは単に「亢」、「参」の一号、あるいは単に「参」と呼ばれる、月組最強、そして当代屈指の風使い、水の術者。
二人は無言で頷き合い、降魔兵器の軍勢へ向かって印を結ぶ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
(「風」が動いている……「水」も、集まっている?)
「撃ちかた止め、総員退がれ!」
急激に高まった「術」の気配に雄次郎は通信機へ向かって後退命令を怒鳴った。
「零一坊や、全機後退させろ!」
『坊やは止めて下さい!それに、何の権限があって僕たちに命令するんですか!?雨音様からはそのような指示を頂いておりません!!』
「いいから退がれ!巻き込まれるぞ!!」
『みんな、歩兵隊と同調して後退よ』
『わかりました、雨音様』
ようやく後退を始める怪神部隊。その融通の利かなさに舌打ちしながら、雄次郎は切迫した危機感に動かされて全力で走り出した。
その直後、だった。強烈な術の波動が彼の背中に押し寄せたのは。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
大型モニターに並ぶ霊子計。その針が、一気に端まで動いた。
「これは……」
戦場に突如湧き上がった膨大な霊力。
「そう……聞きしに勝る意思の強さね」
彼女は悟った。彼が、紛れも無く本気であることを。敵の眼前で「友軍」同士相討つことも躊躇わぬ覚悟であることを。
「みんな、歩兵隊と同調して後退よ」
『改』の少年たちに指示を送りながら、彼女の目は大型モニターに釘付けとなっていた。唇の端を小さく、妖しく吊り上げながら。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
風が集まる。
霧を乗せた空気が四方から緩やかに集まってくる。
降魔兵器の群れをすっぽりと覆う形で、高気圧のドームが形成される。
高気圧と言っても、半機半魔の軍勢を押し潰す超自然的な圧力ではない。あくまでも、自然現象の範囲内、あるいは、自然現象より少し高め、といった程度。
むしろ、異常に濃密な霧の方が超自然の術の介入を感じさせる。
これは、眼くらましの術なのだろうか?
霊力を大量に含んだ霧のカーテンで降魔兵器の「眼」を封じ、その動きを撹乱するのが月組の狙いなのだろうか?
「ナム・サバテイ・ナコサタラ・ソワカ」
「ナム・アダラ・ナコサタラ・ソワカ」
じっと念を凝らしていた二人の術者が、不意に声を合わせて呪を唱えた。
霧のドームが霊力の光に覆われる。
「封魔・霧氷陣!!」
二人の術者の声が重なる。
同時に、ドームが膨張した。
風船が破れたように、白い霧が上方へ噴き上がる。
濁った白は、すぐに光を乱反射する透明な煌きに変わった。
空中を舞う、微小な氷の欠片。火の粉と硝煙に曇った戦場の中に出現した、幻想美の異世界。その静謐な光の乱舞の下には、薄っすらと白化粧を施された半機半魔の軍勢。おぞましい魔界の鬼子に施された白粉は、全身を凍えつかせる霜の皮膜。
軋みを上げて呪縛を振り払おうとする凶魔の兵器。霊力を蓄えた氷の結晶に魔の視力を塞がれながら、喰らうべき血肉と魂を求めておぞましい咆哮を放つ。
執念が呪縛を引き千切ったのか。
霧氷を透かしてぼんやりと見える、いくつもの人影。
その更に向こう側から聞こえる、蒸気機関の重低音。
降魔兵器の軍勢は、不自由な体を引きずって同じ方向へ行軍を始めた。
たった今まで向かい合っていた敵に背を向けて。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
(これは…「霧氷陣」か!?そして、光と音の幻術……)
突如背を向けた半機半魔の軍勢に戸惑いながらも、この隙に乗じて反撃に出ようと逸り立つ部下を――彼には余り「部下」という意識はなかったが――強引に押さえつけ、尚も後退を指示する雄次郎。
彼は知っていた。
彼には予感があった。
これは時間稼ぎだ。
人間の揮い得る「術」としては、おそらく最上級クラスにランクされる強力な法術。
だが、降魔を止めるには力不足。降魔兵器が相手であるなら尚のこと。
「術」の効き難い降魔には、「力」を直接ぶつけなければならない。非物理の、霊的な力を。それこそ帝国華撃団が、花組が必要とされる理由なのだから。
この事を彼は知っていた。そして、彼の兄は彼以上にこの事実を良く知っているはずだ。
これは時間稼ぎだ。論理的に考えて。
では、何の為に?
予感は、確信に変わった。
(来る……!)
『撤退せよ』
雄次郎の頭の中に、耳で聞いたものではない声が響き渡った。