決戦――かえで雄一の物語――特別編

決戦<その11>


『撤退せよ』
「……っ?」

 雲形定規でなぞったような、整い過ぎていてどこか作り物めいた印象を与える三日月型の細い眉を小さく顰めて、雨音は腰をおろした椅子の高い背もたれから身を起こした。
 ヘッドレストに埋め込まれた白いパネルが光を失う。額に置いた銀のサークレットも照明の下では分からぬ程度に輝きを落としている。もとより肉眼に映る光ではないが、決して強いとは言えぬ泉の霊的視力では霊子の光を捉えられぬ程に。

「どうしました、隊長?」
「今の声は……?
 ……私に向けられたものではなかったようですけど……」
「声、ですか……?共感応システムが『改』の思念波を伝えてきたのでは?」
「いえ、あの子達の『声音』とは違うような……
 ……なるほど!」
「隊長?」
「そう来ましたか、加山少尉。でも、その程度で何とかなると思っているなら私たちを甘く見すぎですよ」
「?」

 一人で納得している雨音を訳が分からないという顔で見つめる泉。もっとも、その表情から好奇心の類は伺えなかった。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇

『この場より去れ。これは警告だ』

 彼の意識に木霊する声は、彼に向けられたものではなかった。
 方向の特定できぬ『声』。音ではなく、霊力の波動。テレパシー、とは少し違う。これは、音の幻術。
 しかも、標的を絞り込んだ術だ。雄次郎は自身の「技」によって『意味』の波動を捕まえている――つまり、盗み聞きしているのであって、「術」を向けられた相手は他にいる。

『誰だ!?』
『何処だ?、何処にいる!?』
『卑怯者、姿を見せろ!』

 鋼の軍団に乱れが生じた。整然と陣形を維持してゆっくり後退していた怪神に無秩序な動きが生まれる。小刻みな転身。落ち着き無く往復するカメラアイ。姿無き声の主を探しているのだ。

『心無き魔女に盲従し、己が生を粗末にするな。繰り返す。これは警告だ。正しく危機を理解する悟性があるなら、すぐさまこの場から立ち去れ』

 トンネルの中を反響する声のように出所のつかめない思念波。だが、雄次郎はこの時、鋭く視線を右手に転じた。

『僕達を愚弄するだけならまだしも、雨音様を侮辱するとは!!』
『姿を見せろ!蜂の巣にしてやる!!』

 いきり立つ少年達。説得の言葉は逆効果となったか。厚い装甲越しでも見て取れる怒気を滾らせ、怪神の隊列はますます無秩序化していく。

(黒羽幻法・透鳴(とおなり)か!?坊やたちの『耳』に届いているという事は!)

『落ち着きなさい。「敵」は2時方向の建物の影よ。三四郎の正面』
『わかりました、雨音様!』
「待て、三四郎坊や!」

 上空から白鯨丸の探知機で捉えたのだろうか。姿無き声の主を「敵」と断定し、攻撃を唆す雨音。無論、声の主が誰だか知って。
 同じく、声の正体を掴んでいた雄次郎が通信機に向け慌てて怒鳴る。焦りの浮いた声音は声の主、即ち、兄の身を案じてのことだろうか?
 怪神三号機の右腕が火を噴く。またしても廃墟が瓦礫に変わる。火に炙られ屋根と壁の半ばを失いながら、それでも家の形を残していた焼け跡が単なるごみ置き場へと変わる。
 崩れ落ちた建物(の焼け跡)の向こうに、抜き身の刀を携えた白い人影が佇んでいる。生身の人間。しかし怪神のパイロットは、相手が何の装甲も纏っていない事に躊躇を示さなかった。
 再び怪神の右腕が銃弾を吐き出す。降魔兵器にダメージを与えることは出来なくとも、『天神』や『スター改』程度の人型蒸気なら簡単に沈めてしまう威力を持った炸裂弾の連射だ。脆い生身の肉体が耐えられるはずも無い。
 火線が白い影を捉え、そのまま素通りする。ゆっくりと薄れていく人影。驚きが操縦桿に置かれた射手の指を緩める。

(黒羽幻法・虚居!どこだ!?)

 素早く視線を左右に走らせる雄次郎。その瞳には、安堵よりむしろ闘気が宿っている。
 いきなり膨れ上がる強力な霊気。即座に正面へ向けられた雄次郎の眼に、聖刀芒鋭を振り上げた兄の姿が映った。

黒羽幻法・不知射(しらぬい)!!

 振り下ろされた異形の霊剣から、闇の三日月が放たれた。三日月の細い光に照らされた夜空似た蒼闇の、弧を描く霊光の刃。
 飛来する刃が三号機の装甲に食い込む。否、吸い込まれる。霊的攻撃と霊的防御が衝突した際に生じるエーテル発光も無く、魔力を阻むシルスウス鋼の装甲に一筋の痕も残さず、三日月の刃は操縦席を襲った。

『っ!』

 声にならない悲鳴。
 三号機の動きが止まり、次の瞬間、機体から勢いよく蒸気が噴出す。
 同時に、不気味な振動音が響き始めた。この場に集まる人々の、霊的な聴覚に。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇

「きゃっ!」

 小さな、意外と可愛らしい悲鳴と共に雨音が操縦席から立ち上がる。怪神を操縦する、『改』の少年たちを操縦する為の共感応システムのシートから。

「どうしました」
「…三四郎とのコンタクトが切れました」

 冷静な問い掛けに、すぐさま自分を取り戻して再び席に戻る雨音。

「大丈夫ですか?急激な感応遮断は精神にかなりの衝撃をもたらすはずですが」
「私なら大丈夫です。伊達に『改』の指揮官を務めてはいません。それよりも一体……」

 ハッとした表情になり、慌てて三号機のモニターをチェックする。

「意識を失って……?三四郎、応答しなさい!三四郎!!」
「まずいですね。パイロットは霊子核機関の制御装置でもあります」
「他人事みたいに解説をしている場合ではありません!泉、三号機の緊急停止を!!」
「了解」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 不吉な鳴動。この場に集う者達は、雪組の歩兵部隊も含めて皆高い霊力の持ち主。その彼らの予感を刺激する霊的な轟音。まだ耳を抑えるほどではないが、その低い轟きは少しずつ大きくなっている。

(これは…霊子核機関の暴走か?)

「三号機の緊急停止を、早く!」
『今やっています!』

 焦りを露わに通信機へ怒鳴った彼の声に応えたのは、同じように焦りを隠せない雨音の声だった。
 怪神・三号機がひときわ大きく蒸気を噴出す。同時に不安を掻き立てる耳障りな轟音が消える。

『三四郎、応答しなさい!』
『雨音、様…僕は、一体……』

 叱り付けるような厳しい口調に、ようやく応えが返る。電波越しにも感じ取ることの出来る、ホッとした雰囲気。
 だがそれは束の間のもの。

「今のが最後の警告だ。怪神を撤退させろ」

 氷の声が、緊迫した空気を復活させる。今まで以上に。それ程、ゾッとするような冷たい迫力のある最後通牒。

『貴様!』
『よくも三四郎を!』
「止めろ!!」

 カチッ

 制止の叫び。
 撃鉄の落ちる、小さな音。銃声はしない。装弾されていなかったのか?
 しかし、雄次郎の構えた銃口の先では、加山が聖刀芒鋭の刀身を立てて何かを弾くような動作を見せている。
 大きく跳躍する加山。その残像を貫いて火線が走る。
 空中で振り上げられる聖刀芒鋭。

「止めろ、兄貴!!」
黒羽幻法・不知射!!

 霊光の刃が、今度は七号機の装甲を貫通した。蒸気を吹き上げる七号機。ただし、今回は霊子核機関暴走の兆候は現れなかった。すぐさま機体が強制停止される。

 カチッ

 着地と同時に姿無き銃弾が加山を襲う。発射音も無く襲い掛かる銃撃を再び聖刀芒鋭で弾き飛ばす。だが、さすがに踏ん張りが利かないのか態勢を崩し、そのまま道路を二転三転して次の攻撃に備える。
 しかし、次弾は襲ってこなかった。怪神の攻撃も。すぐさま立ち上がった加山の前には、機動兵器を背に立つ弟の姿があった。
 真っ直ぐに伸ばされた右手には、彼の心臓を狙う大型拳銃。通常の回転拳銃の倍はありそうな長い銃身。

「止めろ、兄貴。坊やたちもだ」

 自分を真っ直ぐに貫く強い視線に、加山は何故か、微かな笑みを浮かべた。

「久しぶりだな、雄次郎」
「ああ、そうだな」

 兄と弟。だが兄に見下ろす優越感は無く、弟に気後れは無かった。二人は対等の男同士、戦士として向かい合っていた。

「霊力を乗せた超音波の弾丸か。『響刃(きょうじん)』の応用だな。お前が編み出した技か?」
「流石だ、兄貴。たった2発で見えない弾丸の正体を見切るとはな。
 薬莢の爆発音を霊力で加速し、不可聴領域の音の塊に換えて撃ち出す。霊力の振動をそのまま乗せて。名づけて、黒羽流闇殺術新技『響弾(きょうだん)』」
「お前の霊力(ちから)ばかりではあるまい。銃の形をした祭器があるとは驚きだが」
「銃の形、ではないさ。これは正真正銘、鉛の弾丸を撃ち出す為に作られた銃だ。もっとも、ただの銃じゃないがね。
 バントラインスペシャル・ワイアットカスタム。西部に生きた男達の、畏敬と、憧れと、野心と、無念を、一身に集めた男と共にあったリボルバー。
 霊剣を霊剣たらしめているのは、神器に神器の力を与えているのは、そこに込められた念、それに向けられた大量の思念だ。ガンマンの強力な思念を浴び続けたこの銃が特殊な霊力を帯びることになっても、何の不思議もあるまい」
「よくそんなものを手に入れたものだな」
「まあ、色々あってね。
 ところで兄貴、無駄話はそろそろ終わりにしないか」
「そうだな。では、そこをどけ、雄次郎」
「生憎だ」

 自分に向けられた銃口を全く意に介することなく加山は要求し、それを雄次郎はあっさり拒絶する。

「これでも俺は雪組の一員なんでね。俺をそうしたのは兄貴だろう。
 そもそも兄貴だって帝撃の一員という意味では味方同士。何故仲間割れのような真似をしなきゃならんのだ?俺たちが街並みをぶっ壊しているのが気に食わないようだけど、既にここは廃墟じゃないか。住民だってほぼ100%避難を終えている。市民に犠牲者は出していない」
「……分からないのか、雄次郎。廃墟と、荒野では訳が違う」
「……すまんが、俺は兄貴ほど頭が切れないんだ。もう少し分かりやすく言ってくれ」

 強い視線がぶつかり合う。話し合う口調は穏当。だが、視線に込められた意思は、どちらも引き下がるつもりは無いと主張している。

「街は、家というものは、ただ雨露を凌ぐだけの場所ではない。壁の落書きに、柱の傷に、一つ一つ『思い出』が宿っている。
 家や街並みはその人が生きてきた過去を刻む記念碑だ。人は、過去を足場に未来へと生きる。拠るべき『家』を必要としない人間など、ほんの一握りの例外に過ぎない。
 焼け落ちた建物。降魔兵器によって破壊された街並み。だが、一枚の壁、一本の柱だけでも残っていれば、人はそこに『過去』を確かめることが出来る。ここが確かに自分の生きてきた場所だと確認し、再び未来を築く足掛かりとする事が出来る。
 焼け落ちた廃墟と、完全に何の形もなくなってしまった瓦礫の荒野では訳が違うのだ。力及ばず、破壊されてしまうのは仕方が無い。俺達が無力なのだから。だが、市民の暮らしなど全く顧みようとしない新兵器の実験なんぞで、我々が自ら、街を荒野に変える事など許されない!」

 静かな、だが本物の怒気。それはさながら、冷たい虚空に燃える星の炎。

「だけど、このまま俺達が何もしないでいたら結局帝都は兄貴の言うところの『荒野』になっちまうんじゃないのか?」

 加山の言う事を雄次郎が全く考えていなかった訳ではない。だが、生身の兵士では降魔兵器に対して結局何も出来ない事、怪神と白鯨丸の連携ならばある程度有力な対抗手段となり得る事を考え合わせて、彼は雨音の作戦に消極的な同意を示していたのである。

「あと一時間もすれば戦闘は終わる。俺達はそれまでの間、犠牲者を一人でも減らす事を考えていればいい」
「……どうしてそんなことが分かるんだい?」

 兄の瞳には揺るぎの無い確信。弟には、全く無根拠に見える断定。

「武蔵突入作戦の予定時刻からそろそろ一時間。霊子甲冑の稼働時間から考えて、あと一時間もすれば大神が武蔵の中枢を潰す」
「……それはこっちの都合じゃないか。黒鬼会が花組のスケジュールに合わせなきゃならない理由は何処にも無いだろう?」

 呆れ声を隠そうともしない雄次郎。だが、加山の確信――信頼は、揺らがなかった。

「雄次郎、お前は大神を知らない。あいつは必ず勝つ。許された時間の中で、一人の犠牲も出さずに。
 護るべき者を率いている事があいつに更なる、何倍もの力を与える。あいつは必ず成し遂げる。それが、大神一郎という男だ」

 嫉妬すら覚えさせる、揺ぎ無い信頼。いや、それは加山にとって既定の事実なのだろうか。
 大神が勝利を運んでくる。すぐに。その時、仮初の与えられた命しか持ち合わせていない降魔兵器は活動を停止する。だから、それまでの短い時間、被害の拡大を可能な限り抑える。全ての行動原理は、親友に対する信頼なのだ。
 兄の紛れも無い「本気」に、雄次郎は小さく肩をすくめて銃を握る右手を下ろした。

「隊長、聞いての通りです。兄貴はどうやら、完全に本気だ。ここは、坊やたちを引き上げさせましょう」
『…次郎ちゃん、寝返るんですか?』
「人聞きの悪い事を。闇に生きる『影』だからこそ、俺は任務の最中に仰ぐ旗を換えるような真似はしませんよ」

 通信機から返ってきた不機嫌丸出しの声に、雄次郎はもう一度肩をすくめた。

「隊長もご覧になったでしょう。怪神のシールド程度では、兄貴の黒羽幻法は防げない。ただ声を伝えるだけの『透鳴』ですらシールドを易々と貫通してしまう。降魔兵器の雑な、力任せなだけの妖力とは訳が違うんです。
 黒羽幻法・不知射は『意識』と『認識』を切り裂く無明の刃。ターゲットの精神に直接作用し、意識と認識力の連絡を遮断する攻撃型の幻術。不知射の刃に襲われた者は、『今』を認識する力を麻痺させられてしまう。自分が何処に居るのか、自分が何をしているのか、甚だしい場合は自分が何者であるのかさえ。そうして、呆然と立ちすくんでしまうことになる。
 これは怪神の構造上、致命的なダメージのはずです」
『………』
「怪神の霊子核機関は、感応システムによって無理矢理結び付けられたパイロットの霊力でようやく暴走を抑えられているのですからね。パイロットが自失状態に陥れば、機関の暴走は避けられない。
 それに、先程の不知射は全力の5割程度の威力でした。だからすぐに意識を回復できたのです。もし兄貴が全力で不知射を使ったら、坊やたちは二度と怪神に乗れなくなってしまうでしょう。
 こんな所で彼らを失ってもいいのですか?」
『……いいでしょう。加山雄次郎副隊長、今回だけは貴方の顔を立ててあげます。ですが、今回だけです!このように生意気な真似は、二度と許されぬとわきまえなさい!』
「了解しました」

 珍しく殊勝な口調で応える雄次郎。ただ、その顔には悪戯小僧のような笑いが刻まれており、兄に向けてウインクなど送っている。もっとも、彼の粋な――と自分では思っている――挨拶は冷たく黙殺されただけだったが。
 フッと、空気が緩む。帝国華撃団同士の、凄絶を極めるであろう相打ちは回避された。
 だが――そのままハッピーエンドという訳には、いかなかった。

『感動的な雰囲気に水を差して恐縮なんですが……』

 緊張感に欠ける、困惑した声が割り込んでくる。

「カンナか、どうした?」
『自分は…いえ、止めましょう。そんな場合ではありません』
「だったらもったいぶらずにさっさと用件を言え!お前の口にすることなんざどうせロクでも無いことだろう!」
『今回に限っては、まあ、そうですね。囲まれてしまいましたよ、次郎さん』
「なにぃっ!?」
「詳しく説明しろ」
『流石に雄一さんは冷静ですなぁ。おっと、失礼。
 北、東、西より降魔兵器およそ各三十が、雪組と月組を包囲するように近づいてきています』
「南は!」

 飄々とした神無月の説明に、雄次郎が苛立った問いをぶつける。

『神田川がありますからね。運河みたいな狭い川とはいえ、背水の陣に違いありませんな。ハッハッハッ……』
「神無月!」
『失礼しました。とにかく、早く逃げた方がよろしいですよ。霧氷陣に蜃気楼迷図、幻声迷路と、広域型の術をあれだけ派手ぶちかましたんです。霊力に引かれてどんどん降魔兵器が集まってくると思いますので』
「合計百を越えるか……」

 呆気にとられた顔をしている雄次郎の隣で、加山は小さく呟いた。冷静な声。思案の表情。その背中に突如、小柄な人影が出現した。

「柴田か」
「霧氷陣が破れました。『風』と『水』は最早限界です。『幻』も力を使い果たしかけています」
「残るは『火』と『雷』のみか。とにかく、全員をこちらに集めろ。少しでも余力のある者で脱出路を開く」
「チョット待った」

 深刻な表情で頷く雷の術者に加山が頷き返そうとした瞬間、雄次郎が二人を制止する。

「ここは一つ、本来の形に戻ろうじゃないか」
「なに?」
「だからさ、血路を開くなら、月組と雪組、力を合わせようぜ。同じ帝国華撃団の隊員として」

 もう一度、先程と同じような余り器用とは言えないウインク。
 客観的に見て、自分で思っているほど、さまになってもいない。
 放浪の四年間で、中途半端に身についたアメリカの流儀。
 他の者には、余り馴染みのあるコミュニケーション手段でもない。
 だが、今回は、黙殺の憂き目を見なかった。
 不敵な笑いが、不器用なウインクに応えた。

 

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