決戦――かえで雄一の物語――特別編

決戦<その4>


「高度、安定しました」
「主機関、六部門とも異常なし」
「全砲門、安全装置解除。第一次戦闘態勢に移行」

 各部署よりもたらされる報告はミカサの運行が完全に正常な状態にある事を示している。

「長官…航路の指定をお願いします」

 その全てを確認して、かえでは米田の指令を仰いだ。返答の分かり切っている、儀式めいた問い掛け。

「全砲門、第二次戦闘態勢に移行」
「全砲門、第二次戦闘態勢に移行します」
「主機関、出力二割上昇」
「主機関、出力二割上昇します」
「高度、一分間に100ずつ上昇」
「高度、一分間に100ずつ上昇します」

 本来ならば一々指図する必要のない予定通りの手順を、米田は一つ一つ命じていく。その命令の一つ一つに復唱の声が返る。全てが厳粛な神事を思わせる雰囲気の中、一際重厚な米田の声が響いた。

「最終目標、…武蔵!!」
「最終目標、武蔵!!」

 きっぱりと応じるかえでの声。彼女の眼差しは真っ直ぐ前へ、空の彼方へ向いていた。
 地上のことなど、意識から締め出してしまっているように見えた。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 視界が、再び揺らぐ。
 歪んだ曇りガラス越しに見ているような、どことなくいびつな空が、その大半を占める禍々しい影と共にゆらゆらと揺らめいて見える。
 頭上をすっぽりと覆っていた半透明の壁が薄れ、淀んでいた空気が再び動き始める。
 上野公園の高台から、帝都に開いた巨大な『穴』が閉じていくのを加山は背後に控える部下とともに見ていた。
 降魔兵器の軍勢は完全に引き離している。銀座ばかりでなく、帝都の数カ所に降下した降魔兵器はどうやら東京の都市機能を標的としているらしく、芝の帝都タワーに代表される通信施設や官庁街、百貨店街、工場地帯などに集まっていた。この上野にも大型商店、繁華街があるものの、銀座・日本橋近辺ほどの集積度はない。上野公園という広大な自然地帯がある所為か、降魔兵器の姿はまだ見られない。――もっとも、帝都に溢れる降魔兵器の数を見る限り、それも時間の問題であろうが。
 頭上を覆う武蔵の禍々しい巨体。その下方に重なるミカサの雄姿。空中戦艦ミカサは武蔵へ向けて雄々しく前進する。人類の、魔に対する反撃の意志を乗せて。地上に降りた降魔兵器の牙は、もはやミカサには届かない。後は、ミカサ自身の戦闘力と、彼の旧友の腕次第だ。
 都心に火の手が上がる。日本橋、あるいは神田の辺りであろうか。帝都を蹂躙する降魔兵器。そこでは、その呪われた破壊力を遮る物も拘束する物も無い。
 炎の下で多くの人々が犠牲になっている。しかし、彼にはどうすることも出来ない。降魔兵器を斃せるのは強力な霊子兵器のみ。月組は、彼も含めて、己の術に特化した霊力の持ち主ばかりであり、変質・変調されていない生のままの霊力を必要とする霊子兵器への適性は低い。かと言って、翔鯨丸の様な重兵器では周りの人々まで巻き添えにしてしまう。帝都の人々を救えるのは、花組のみ。奇跡の戦闘力を誇る霊子甲冑の騎士団、花組だけなのだ。

「任務完了。本日の作戦行動はこれまでとする。各自の判断で戦場より離脱し、明朝0600、花やしきに集合せよ。以上、解散!」

 一斉に片膝をつく黒装束の男達。隊長である加山の、純白の軍服とは対照的な、黒、濃褐色、あるいは濃灰色の、戦闘服姿の月組精鋭達。
 彼らが顔を上げたときにはもう、そこに加山の姿はなかった。僅かな土の乱れと小さな気流が残されているのみだった。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 時はわずかに遡る。ミカサ発進を間近に控えた帝撃銀座本部。風組隊員達が血相を変えて走り回る中、地下の一角では三人の男達が深刻な表情で額を付き合わせていた。

「もうすぐミカサが発進するわ。京極との決着をつけるために、花組はおそらく武蔵への内部突入を敢行するでしょう」

 その口調は……正直言ってまともな男性のものではなかった。その男も、彼の話に耳を傾けている他の二人も、チョットまともとは言えない風体をしている。だが、三人の顔に浮かぶ知性の色だけは本物だった。

「その前に、武蔵へと近づくミカサに対して降魔兵器の攻撃が加えられるでしょう。長官や大神少尉が武蔵への突入を考えるように、京極もミカサ内部への攻撃を考えるでしょうからね」

 この時代には珍しい、金属縁の眼鏡が薄暗いその部屋の微かな照明を反射してキラリと光る。それは、妖しさと共に高度の知的能力を感じさせる姿だった。

「そこで問題は、あたしたちがどうするか、よ。あなたたちの意見を聞きたいわ。
 ミカサに同乗して降魔兵器の撃退に当たるか、月組と共に帝都に降下した奴等の相手をするか」

 それは荒唐無稽な発言だった。彼らはわずか三人。彼らが戦列に加わったからと言って、降魔兵器の大群を相手に一体何が出来るというのだろうか。否、それ以前に、生身の身体で降魔兵器相手に戦えるというのだろうか。それとも――彼らには大神同様、霊子甲冑を操ることが出来るとでもいうのだろうか?

「う〜ん、難しいところねぇ。心情的には一郎ちゃん達について行きたいところだけど……」
「そ、そうですね。でも、戦力のことを考えると……」
「……菊ちゃんは地上に残った方がいいと思うのね?」
「え、ええ……琴音さんは、どう思われますか…?」
「……そう、ね……」

 チリリリリリン チリリリリリン

 その時、奇天烈な内装と服装に似合わぬ深刻な雰囲気を妙に軽やかな呼出ベルが破った。不必要に気取った仕草で無意味に曲線を描く受話器を持ち上げる清流院琴音大尉。

「もしもし……あ、雨音!?」

 ひっくり返った声、その一言に太田斧彦軍曹の巨体と丘菊之丞少尉の小柄な身体が緊張に固まった。

「な、何……チョット、勝手な真似は……ま、待ちなさい、雨音!………」

 妙にギクシャクした動作で受話器をおくと、琴音は据わった視線を二人に送った。

「あたしたちはミカサに乗るわよ」
「こ、琴音さん……」

 声まで据わってしまった琴音とは対照的に、歯の根が合わない声で問い返した菊之丞の言葉に対する返答は大きな頷きだった。

「あの子が来るわ。帝都はもうお終いよ。あたしたちに出来ることは、長官たちに余計な心労をかけぬよう、この事実を伏せておくことだけよ。せめて、加山少尉の善戦を祈りましょう」

 顔を見合わせた薔薇組の三人、その顔に浮かぶものは、紛れも無い恐怖の色だった。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 武蔵へと、螺旋を描きながら高度を上げる空中戦艦・ミカサ。艦橋のスクリーンは、目的地たる武蔵ばかりでなく、前後左右、全ての状況を映し出している。当然、下方も。
 ミカサの艦体・航行全般に目を配ることがこの空中戦艦の副長格たるかえでの役目。彼女の目は全てのモニターに映し出される映像を素早くチェックしていく。
 帝都に上がる火の手も、彼女は見逃しはしなかった。そして彼女の目は、地上の惨状を映すモニターをそのまま通過した。
 ――彼女の手がきつく握りしめられていることに気づいた者はいなかった。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 帝都が燃える。
 二年前の相次ぐ天変地異の教訓を生かし、その復興過程で帝都は防災思想を積極的に取り入れた都市へと進化していた。少なくとも、政治・経済の重要な諸施設が集中する都心部では耐火建築が義務づけられ、都市区画は防火の工夫が凝らされている。
 だが、それらは全て防災の為のもの。
 頭上より降って来た魔の軍勢の攻撃に対抗する力はなかった。
 降魔兵器の吐き出す酸の疾風(かぜ)は耐火煉瓦を易々と切り裂き、埋め込まれた噴進弾は最先端の鉄筋コンクリートの高層建築を簡単に粉砕する。
 そして、破壊の跡には決まって炎が舞う。まるでそれが、「破壊」という名の作品の仕上げだとでも言いたげに。
 頭上を覆う巨大な魔性に逃げ出す気力を失っていた人々も、眼前に迫る「死」にようやく生き延びようと足掻く気力――あるいは本能――を取り戻したのだろうか、崩れ落ちる煉瓦、石壁、梁、舞い落ちる火の粉から必死に逃げ惑う。
 しかし人々を襲うものは、倒れ、落ちることしか知らぬ街の残骸だけではなかった。
 逃げ惑う人々に襲いかかる降魔兵器。
 降魔であった頃の本能の残滓か、あるいは動力源として貪るよう呪わしい設計の下、組み立てられているのか。
 降魔の牙が人々を襲う。
 帝都の至る所で繰り広げられている惨劇が、また一つ繰り返されようとした、その時。

黒羽幻法(くろうげんぽう)・虚居(うつろい)

 呟くような、だが不思議と通る小さな声と共に一人の若者が降魔兵器の前に立ちはだかった!
 純白の軍服姿、左手には青糸拵えの柄の太刀を握り、両手を広げて立ち塞がる。帝国を守る軍人として、我が身を犠牲に市民を救おうというのか!?
 これが人間相手であれば、その義侠心に打たれ刃を納める賊も中にはいるかもしれない。だが、降魔兵器に義を感じる「心」などない。彼らにとっては、「獲物」が入れ替わったに過ぎない。
 何の躊躇いも戸惑いも無く降魔兵器がその凶悪な顎門(あぎと)を開き青年軍人に牙を食い込ませる。
 牙は、何の抵抗もなく沈んでいった。何の音も無く。白い生地の裂ける音も、皮膚と筋肉が弾ける音も無く、吹き出す赤い血潮も無く。
 青年の姿は幻のように消えた。否、それは幻そのものだった!
 10メートル程離れたところに、今まさに貪欲な牙によって引き裂かれたはずの青年が、恐怖に立ち竦んでいた十代半ばかと思われる少年を、小脇に抱えて立っていた。苛立たしげに首を振る降魔兵器に向かい冷笑を浮かべて。

「死にたくなければ走れ。息絶え、力尽きるまで走るんだ。逃げろ!」

 魔の兵器に冷笑を向けたまま、地面に足を下ろした少年を叱咤するその声は、厳しかったが何処か――温かかった。

「あ、ありがとうございます」
「愚図愚図するな!走れ!!」

 律義に礼を述べる少年に一瞬だけニカッと笑いかけて、青年軍人は再び少年を叱咤する。
 少年が生存本能のままに、降魔兵器のいない方角に向かって一目散に走り去ったのを横目で確認して、加山は魔の軍勢のただ中へ突っ込んだ!

◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 ミカサを襲う降魔兵器の大軍。弾幕の豪雨を掻い潜り、甲板に取りつく魔の兵器、そして魔操機兵・八葉。ミカサの巨大な艦体の上で、花組と五行衆・土蜘蛛の死闘が繰り広げられている。
 そしてミカサの中でも、激しい砲撃にボロボロになりながらも、痛みを感じず心も持たぬ兵器の強みか、怯む色無く重層装甲の第一層に侵入した降魔兵器を懸命に撃退するミカサ乗組員の奮戦があった。
 ミカサの乗員はほとんどが風組隊員であり、彼らは補給と支援砲撃を主任務とする部隊である。しかしこれ程巨大な艦体では、敵の侵入の可能性を無視することは当然出来ない。この点、百戦錬磨の米田に抜かりのあろうはずもなく、艦内には歩兵用の霊子兵器で武装した白兵部隊が用意されていた。
 銃撃により前進を食い止め、艦内防衛システムの罠に誘い込んで降魔兵器を艦外に放り出す。侵入の際著しい損傷を被った機体(?)が相手だからこそ、また相手が少数だからこそ霊子甲冑無しでも可能なことであった。だが同時に、迎撃部隊の中心となった長身痩躯、長髪の大尉の巧妙を究めた指揮と小柄な女性士官(?)の神業的な射撃、そして巨大な戦斧を携え並の人間であれば立っている事も困難な重量の分厚いシルスウス鋼の鎧をまとった大男の最前線における勇猛な戦い振りが無ければ、犠牲者の山が出来ていたことだろう。
 降魔兵器を全て追い出した外殻通路で、薔薇組隊長・清流院琴音は血と煤にまみれた顔にニヒルな笑いを浮かべた。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 艦内モニターで侵入した降魔兵器の排除が完了したことを確認し、甲板上の戦闘に目を移す。
 ミカサの対空砲は大小合わせて千を数えるが、それでもこの巨大な艦体の全てをカバーすることは出来なかった。これはむしろ、砲手の不足によるものかもしれない。今の自動射撃システムでは複数照準力に限界があるということなのだろうか?
 今はそれを考えているときではない。重要なのは、甲板に取りついている降魔兵器と魔操機兵・八葉を撃退することであった。数は圧倒的にこちらが不利。霊子甲冑は同時に九体しか稼働できない――パイロットは九人しかいないのだから。
 しかし、戦力は数だけで決定されるものではない。此方と彼方では、兵力の質が決定的に異なる。個体戦闘力の優位、それに加えて、指揮官の質の優位。
 大神に指揮された八機の霊子甲冑は、相変わらず魔法のように敵を打ち斃していく。そして、間断ない指揮を続けながらも大神機は誰よりも多くの敵を誰よりも素早く屠っていく。その鬼神の如き戦闘力は味方でありながら寒気を覚えるほどだ。
 ひとたび彼が敵に回ったら……その牙が自分達に向けられたら……彼の戦闘を間近で「見た」者は、一度はその悪夢に取り憑かれることになるだろう。共に戦う者には限りない信頼、傍観者には底知れぬ恐怖。それが大神一郎という名の青年から届けられる贈り物だった。
 かえでは一回、意識的に瞬きをして、通信機のマイクを取り上げた。

「もうすぐ降魔兵器の活動限界高度に達するわ。大神くん、頑張って!」

 心を過った翳を完全に隠して、激励の言葉を送るかえで。
 
「了解」

 戻って来たのは力強い返答。
 もう、大丈夫。その声を聞いて、かえでは自然にそう感じた。根拠無く、だが疑いも持たず。ミカサはもう大丈夫だ。あとは、一直線に武蔵へと向かうのみ。
 そして彼女の目は、無意識の内に地上を映すモニターへと向けられていた。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 街は、赤く染まっていた。
 炎の赤、血の赤。
 建物の残骸ばかりで、死体のないことが奇妙に非現実感を催させる。
 しかし加山はその原因を知っていた。そして彼の鋭い目は、まさにその場面を捉えた。
 巨大な顎門に咬み裂かれるかつて人であったもの。否、たった今まで息をし、喜び、哀しみ、泣き、笑いしていたもの。降魔兵器に貪り食われる人間の死体。
 そして更なる命がこの狂気の産物の犠牲になろうとしているのを視野に収めた時、彼の両眼に硬く、冷たく、烈しい光が宿った。

黒羽幻法・映身(うつしみ)

 地を蹴ると共に彼の唇が短い言葉を紡ぐ。次の瞬間、彼の姿は新たな獲物に舌舐りする――生物的な感情を与えられていない降魔兵器が実際にこのような「人間じみた」振舞を見せる訳も無く、それは単なる印象に過ぎなかったのだが――個体の横に途中経過を一切省いて出現していた。
 瞬間移動か?だが、抜群の奇襲効果を備えるその能力も、降魔兵器が相手では分が悪かった。
 降魔兵器に感情はない。驚く、という感情も。瞬間移動で不意を突いても、一撃で斃す事が出来ない限り、敵の攻撃範囲に飛び込んでしまうというという結果にしかならない。
 案の定、加山は降魔兵器を前に立ち尽くすだけだった。その手に持つ太刀を抜く素振りも見せなかった。彼は魔の牙に曝された市民を救う為、自らを囮とするつもりなのだろうか?
 巨大な鉤爪が振り上げられる。
 加山はまだ、動こうとしない。
 振り下ろされる黒紫色の腕。
 切り裂かれる白い影。吹き出す体液は……青黒く濁っていた!

 

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