決戦――かえでと雄一の物語――特別編
決戦<その7>
「機関最大出力。主砲用意!」
「主砲塔、展伸!」
巨艦を揺さぶる振動。
「主砲、発射準備完了!」
「目標、捕捉!」
「弾道修正、完了しました!」
「主砲、発射ぁ!!」
轟音。一瞬の反動と制動。
「突撃ぃぃ!!」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
遥かな空の高みで巨大戦艦と魔の要塞が肉弾戦を演じ、地上の一角で鎧を持たぬ者達が己が身に宿す技のみで魔界からすらはみ出した呪われし軍勢に無謀な戦いを挑んでいた時。その狭間、雲海の空を南下する巨大な白影があった。
北東の空、鬼門の方より今まさに帝都上空へ侵入しようとする巨大な船体。
大きい。
あらゆる常識からかけ離れた空中戦艦ミカサほどではないが、巨大飛行船と聞いて帝都市民がまず連想するであろう帝国華撃団の武装飛行船・翔鯨丸を優に二回りは凌駕する巨大な飛行船だ。青空に浮かぶ雲の如き純白の船体は流れる雲の如く悠然と、だが見間違えようの無い明確な意思を持って一直線に帝都へと進んでいた。
それだけで駆逐艦並みのサイズを持つゴンドラの先端、光を反射する強化ガラスらしき窓の並ぶ艦橋の中央で、一人の美女が焦点のあっていない視線を空の彼方へ向けていた。ぼんやりした、というのとも少し感じが違う。まるで、まだ見えていない景色を見ているような、不思議な眼差し。
「雨音様。間も無く帝都上空でございます」
「隊長とお呼びなさい、岩瀬艦長。
そうですね、とりあえず陸海軍に味方識別コードを打電して下さい。もっとも、下に私(わたくし)たちの事を気にかけていられる余裕なんてないでしょうけど」
「承知いたしました、雨音様」
恭しく一礼して彼女の指示を通信手に伝える男の髭面をチラッと見上げて、雨音は小さく溜息をついた。
西南戦役の年に生まれたというからもう五十路に近いはずだ。顔の下半分を覆う髭にも後ろに撫で付けた髪にも半ば以上白いものが混じっている。
だが、ピンと背筋の伸びたガッチリした肉体は老いをまるで感じさせない。重ねた年輪は風格となり、男に自然な権威と人望を与えている。
(仕方、無いのでしょうね……岩瀬から見れば私なんてまだまだ小娘同然……
「お嬢様」と呼ばれない分だけ、まだマシというもの……)
軽くかぶりを振る首の動きを追いかけて、緩やかに波打つ豊かな黒髪が一つ、揺れる。かき上げた前髪の下から現れる、長い睫毛に縁取られた切れ長の潤んだ瞳。体をそらす動作と共に、ピッタリした制服に包まれている豊かな胸が長い髪を押しのけて魅惑的な曲線を見せる。
まだ若い女性である。どう見ても三十歳を越えているということはないだろう。だが、決して少女、あるいは小娘と呼ばれる外見でないこともまた、確かであった。
およそ日本人離れした彫りの深い美貌。体の線を露わにする乗馬服のような制服が豊かな胸とくびれた腰、細くて長い手足を強調している。妖艶、という表現が最も相応しいかと思われる美女であった。
「岩瀬」
「ハッ」
彼女が二人は座れそうな広い、背もたれも肘掛も高い、重厚な椅子から――彼女が座っていると、それはまるで女王様の玉座のように見える――呼びかける雨音の声に応えて、両手を後ろに組んでどっしりと直立していた壮年の士官は、「回れ右」の模範演技のようにキビキビと彼女の方へ向き直った。
「作戦を決めます。みんなを集めて」
「かしこまりました、雨音様」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ビリヤード台4つ分程の大きさの作戦卓を、一人の美女と五人の男性が囲んでいる。
ガラス面になっている卓上には、帝都の地図が投影されていた。図上を所々塗りつぶす赤い光は、街を呑み込む炎を連想させる不吉な揺らめきを見せている。
「さて、あんまり時間は無いから手短に行きましょう。青く塗り潰された所が既に破壊されてしまった区域。赤く塗り潰されている所が現在降魔兵器の攻撃にさらされている区域。
泉、友軍の動きはどうなっていますか?」
雨音の問い掛けに応じて、地図上に黄色の点が加えられる。
「見ての通り、ほとんど手も足も出ない状態ですね」
「降魔兵器を相手に通常装備しか持たない正規軍ではどうにもなりません」
泉と呼ばれた痩身の士官が淡々と相槌を打つ。
「そう、最初から分かっていたことです。だから私たちの出る幕もあるというものなのですけど」
「我々の装備が必ずしも有効だとは限りませんが?」
「それを確かめる為にもわざわざ北海道から飛んできたんじゃないですか。次郎ちゃん、話の腰を折らないでくれます?」
皮肉っぽい茶々を軽くあしらわれて、「次郎ちゃん」と呼ばれた若者は隣の男にわざとらしく肩を竦めて見せた。
「それで、今後の方針ですけど」
「白鯨丸一隻では、とても帝都全域の降魔兵器を相手には出来ませんな」
「分かりやすい説明をありがとう、神無月くん」
軽い非難のこもった視線に、彼女よりやや年上かと思われる「神無月くん」と呼ばれた男は慇懃な一礼を返す。
はあっ
わざとらしい溜息が一つ。
「どうしてうちは、こう、まとまりが無いのでしょうね?」
「お二人は所詮、月の眷属。
僕達は雨音様に唯一不変の忠誠を捧げています」
最初からずっと背筋をピンと伸ばして行儀良く座っていた少年が、額に巻いた金属バンドの下から熱っぽい視線を雨音に向ける。
「可愛い事を言うじゃないか、『改』の坊や」
「坊やは止めて下さい!僕はもう十七歳です。貴方とは三歳しか違いません!
それに、僕達は確かに『改』ですが、それを言うなら貴方だって『影』じゃありませんか」
「おやおや、改の坊やは可愛らしいだけじゃなく、小賢しい物言いも覚えたらしい。お人形さん、そのデータは誰に入力してもらったんだい?」
「なっ…」
「お止めなさい、二人とも!」
血相を変えて腰を浮かせかけた少年が、雨音の叱責にビクリと体を震わせる。
「……申し訳ありません、隊長」
椅子に戻り、しょんぼりとうなだれる少年を、一方の青年は面白そうな目つきで眺めている。
「全く、時間が無いって言いましたでしょう?こんな時に副隊長同士で角を突き合わせてどうするんですか。
次郎ちゃん、ここはシカゴの酒場じゃないんです。少し皮肉を言われたくらいで喧嘩腰にならないで、もっと分別をわきまえて下さい。
零一(れいいち)もいちいち次郎ちゃんに突っかかるのはお止しなさい。元はどうあれ、今は同じ雪組の隊員同士。今のは貴方の方に非があります」
「はい、隊長……申し訳ありませんでした、加山副隊長」
「俺のことは雄次郎と呼ぶように言ってあったはずだ。じゃないと、紛らわしいからな」
キュと唇を噛んで、それでも律儀に謝罪を口にする少年に、雄次郎は素っ気なく応えた。愛想のない態度だが、少し斜に構えたところのあるこの青年が和解に応じたしるしだと、この場に集まる、彼を知る者達には分かっていた。
「強い霊力反応が上野から神田へ向けて移動しています」
「ふむ、どうやら降魔兵器と交戦中のようですな」
何事もなかったように泉が地図上を移動する黄色の光点を示す。その言葉に、岩瀬が重々しく頷いた。
「どう思います?」
「隊長のお考え通りだと思いますよ」
「月組が戦っているようですね」
自分に向けられた雨音の問い掛けに、無愛想に答える雄次郎。隣の神無月が非社交的な態度をフォローするように付け加える。
「月組は勝てると思いますか?」
「無理でしょうね。霊力が術に特化するあまり霊子兵器への適性が低くなっている月組では、使える装備にも限りがあります。如何に個人の戦闘力が高くても、生身の力だけでは荷が重いでしょう」
「お兄様でも?」
「たとえ兄貴が秘術の限りを尽くしたとしても、です」
「目的はおそらく、民間人の避難誘導でしょう。雄一さんは勝ち目のない戦いをするタイプじゃありませんから」
あっさりと、味方の敗北を口にする雄次郎。その後に、もう一度神無月のフォローが入る。
「やっぱり、加山少尉が指揮していらっしゃるのかしら?」
「彼らの移動には高度の秩序が見られます。相当優れた指揮官の采配です。まず、間違いないでしょう」
頷く岩瀬の言葉に、ちょっと考え込んだ仕草を見せて、雨音はすっくと立ち上がった。
「では、私たちは月組の援護に向かうことにします」
「援護……ですか?」
疑わしそうな口調で応えた雄次郎に、雨音はにっこりと――妖艶に笑って、手にした乗馬鞭で地図上を示した。
「地上部隊を降魔兵器の前面に降ろし、砲撃でこちら側に注意を引きつけます。機甲部隊が中心になって、ゆっくり後退しながら敵を両国の川岸まで誘導して下さい。そこで、白鯨丸の砲撃を加えます」
「……また随分と力づくですね……」
「戦闘っていうのは大体において力づくなものですよ?小説のようにスマートな、都合のいい作戦なんてそうそう実行できるものではありません」
「……ごもっともです」
「建造物にかなり被害が出るかと思いますが……」
「やむを得ないでしょう」
雄次郎に続いて、神無月、泉が雨音の作戦を首肯する。
「岩瀬、艦を外神田上空へ向けてください」
「かしこまりました、雨音様」
スッと敬礼して艦橋へ向かう岩瀬。
「零一、パイロット全員に発進準備を」
「了解!」
勢いよく立ち上がって敬礼し、少年はキビキビと走り出す。
「次郎ちゃんと神無月くんは零一達の援護をお願いできるかしら」
「俺が降ります。カンナは上から支援を」
「自分は神無月です、副隊長」
シニカルな笑いを交わし、部屋の出口で左右に分かれる二人。
「……仲がいいのか悪いのか分かりませんね、あの二人は……」
呆れ顔で首を振る雨音の横で、泉が無表情に立ち上がった。
「隊長、自分は管制室へ」
「そうですね、実験には格好の状況です。良いデータが取れるでしょう」
小さく頭を下げる泉に、雨音は髪を一房弄びながら妖しく微笑んでみせた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
風と水が交錯する。
炎と雷が乱舞する。
幻影が実体に、実体が幻影に。
人の血の気まぐれが生み出した異能の力が、帝都の一角で荒れ狂う。
帝都、東京。日本の政治の中心、そして今や経済の中心の地位も獲得しつつあるこの都市は、同時に蒸気技術の都市でもあった。
蒸気都市、東京。科学文明が人々の生活の隅々にまで手を伸ばし、文明の灯が夜の闇をすら駆逐しようとしていた太正の帝都。
そこに、異能の力など存在する余地は無かった。
人に備わっているはずの無い、人外の力。「霊力」が科学の対象とされているのは、まだまだ一部の分野に――軍事の分野に限られる。人々の生活の中では、かつてその欠かせぬ一要素であった「祟り」「呪(まじな)い」の類ですら「非科学的」として退けられる風潮が強くなっていた。帝都の、日常の中では。
だが、今。「日常」は再び崩壊した。二年前の、あの時のように。
あの時は海に、今度は空に。
「科学」を嘲笑うかのように巨大な姿を見せつける魔の要塞。
そこから押し寄せる魔の軍勢。
瓦礫と化した「日常」の中で、「日常」によって闇に追いやられた異能の力が「日常」を破壊した魔の軍勢に戦いを挑む。
再び「日常」を取り戻すために。
彼らは意識していただろうか?
「日常」を取り戻す、それ即ち、自らを再び闇に沈めるという事。
魔界が溢れた、この混沌たる戦場でこそ彼らは存在を許される。人界の秩序を取り戻した「平和な」帝都に異能の者の居場所は無い。その事を。
おそらく、否、間違いなく、彼らは知っていただろう。
彼らが護り、取り戻そうとしている世界で、彼らは己の真の姿を隠して生きていかなければならないという事を。
それでも、彼らは戦う。
それが、彼らの望みだから。
人々が笑顔を交わす事の出来る平和な日々、例え自らが偽りの、笑顔の仮面を被らされる事になろうと、その為に戦う事こそが彼らの望みだから。
しかしこの時、魔界の軍勢は余りに多く、余りに強力だった。
魔界の異端者達は個々の戦闘力で人界の異端児達を上回り、更にその数において彼らを大きく上回っていた。
勝敗を決めるのは、戦力。
それは単純化して言えば、個体数と個々の戦闘力の積である。
そして、戦力に劣る側が勝利することは決してありえない。
ごく稀な例外として、兵「数」の少ない側が勝利を収めた戦いも、その華麗な物語に惑わされることなく冷静に分析してみれば「戦力」が勝敗を決している事に気づくはずだ。総兵数では劣っていても、実際に「稼動している」戦力で優位に立った者が勝者となってきた歴史を知ることになるはずだ。
だが、これほど圧倒的な戦力差の前では、そのような工夫――作戦の入り込む余地は無い。
彼ら月組に勝ち目は無い。
その事を、彼らは知っていた。
彼らは皆、プロの兵士。正規軍の兵士以上に、プロの戦士。
そして彼は、その事を誰よりもハッキリと認識していた。
彼は正規の士官教育で極めて優秀な成績を収め、人界の闇、魔界と人界の狭間で戦い続けた一族を次に率いる者として徹底的に鍛え上げられた者だから。
帝国華撃団月組隊長・加山雄一。
彼は知っていた。
自分達に勝ち目が無い事を。
彼は理解していた。
自分達が、勝つ為に戦っているのではない事を。
「尾火虎!」
「室火猪!」
「嘴火猴!」
「翼火蛇!」
「接火天君!」
「南天より疾く来たれ!!」
火術使いの集団法術。降り注ぐ火球の雨。だが、この世界の法則に従わぬ魔のものを焼く法力の炎に曝されながら、降魔兵器は少しもダメージを受けた様子が無い。ただ、降り注ぐ火球の圧力に前進が止まっただけだ。余りにも強力な防御の「魔」力。
ところで、肉体の力によらぬ「術」もまた、有限な人の力が生み出す技。肉体の技と同じく、力を放つ為には、力を溜めなければならない。力を放ち続けることは出来ない。溜めた力を使ってしまえば、必ず「虚」が訪れる。
火球の雨が止む。押し止められていた魔軍の侵攻が再開される。足止めを受けていた反動のように、今まで以上の勢いで殺到する。力を放ち、一時的な虚脱状態となった火術使い達の元へ。
「黒羽幻法・影牢(かげろう)」
その声と、炸裂音と、どちらが早かったか。
決して大きくは無いその声は、火薬の爆音と、その直後に周囲を飲み込んだ閃光にかき消された。
魔軍の頭上で炸裂した閃光弾。それ自体に殺傷力は無い、はずだ。一時的に視力を奪い、暴徒鎮圧などには有効かもしれないが、元々五感を持たぬ降魔兵器に通用するはずは無い。
だが何故か。
降魔兵器の足が止まる。
いや、足は動いている。鋭い鉤爪の光る腕を振り回し、骨格の浮き出た翼を振るものも少なくない。
だが何故か、前進が止まる。
まるでその前に、不可視の壁、あるいは鉄格子でも存在するかのように。
「穂積、突出し過ぎだ!退がれ!!」
加山の命令に慌てて手を振る『昴』の一号、穂積。彼と共に前線に出ていた『昴』の分隊名で呼ばれる火術使い達が後方に跳び退る。
入れ替わりに転がる十数発の手榴弾。
爆風が降魔兵器の巨体を押し戻す。数秒で嘘のように行動の自由を回復した半機半魔の軍勢が再び停止を余儀なくされる。
降魔兵器に通常兵器は効かない。
霊力を注入した霊子炸裂弾でも、強い霊力を備えかつ霊子兵器と「相性」の良い兵士、あるいは術者が使うのでなければ有効なダメージは与えられない。
しかし、全く影響を受けない訳ではない。
降魔兵器は魔の領域に属するものであると同時に、物理的な実体も備えている。
熱や爆風で傷つくことは無い。だが、運動エネルギーの影響は受ける。
爆風が降魔兵器の防御力場を貫通する事は無い。だが、防御力場ごと「動かす」事は出来る。
霊力を含んだ爆風なら尚の事だ。
ささくれ立ち、黒焦げた石畳。
降魔兵器の歩みをほんの一時だけ止めた、それが代償。
「柴田!」
雷光が走る。
二条、三条。
空中を、地表を。
その全てが同じ方向から、同じ向きに衝撃を開放する。。
「三上!」
霧が流れる。
濃く、細い、霧の衝立。
白く煙るスクリーンに薄っすらと映る、走り去る影法師。
帝都市民の総数から見ればほんの僅かな人々。
幻影の木立、炎の壁、風の激流、遮るものは違えども、先ほどから何度も繰り返された光景。
月組の戦い。
加山の指揮。
勝つ為ではなく、救う為の戦い。
帝都を、ではなく、市民を、ですらなく、『人の命』を救う為の戦い。
上野から湯島へ。
そうして戦いながら、より魔界の侵攻が激しい都心へ向けて、彼らは移動していた。
「隊長!」
一瞬も気を抜く事の出来ない戦い、目を逸らす事の出来ない敵。
だが、その時加山は、その叫びを無視する事が出来なかった。
彼らの視界を過ぎる影。
加山の眼は、空を横切る白い巨体に奪われてしまっていた。