決戦――かえで雄一の物語――特別編

決戦<その8>


 雨雲よりもなお地に近い、低高度の空をゆっくりと横切る白い巨体。かつて海に君臨した白の王者を連想させる堂々たる巨躯。

「隊長!!」

 降魔兵器の放つ衝撃波が、加山の体を引き裂く。粉々に砕けた彼の体は、一欠片の肉片も一滴の血も残さず、風の中に溶け込んだ。

「あれは一体……まさか!?」

 未だ暴虐を免れている街路樹の上で、加山は急に顔を強張らせた。

「児玉!」
「はっ!」

 彼の声に応えたのはまだ若い、この百戦錬磨の精鋭の中にあって唯一人加山より年若いだろうと思われる青年兵士。

「ミカサへ報告。全長推定180メートル、白色の装甲飛行船が北東より帝都に侵入。降下態勢に移行」
「復唱します!全長推定180メートル、白色の装甲飛行船が北東より帝都に侵入。降下態勢に移行!」

 幹をしならせた反動を利用して大きく跳躍する加山。神速の身ごなしで僅かも遅れることなく随従した青年士官に、加山は巨大飛行船の事をミカサへと報告させる。

「あれはまさか……白鯨丸か?」

 加山の呟きには戦慄が混じっていた。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇

「通り過ぎてしまいましたが……?」

 呆れ顔を隠そうともせず呆れた声で問い掛ける神無月に向かって、「女王様の椅子」に腰を下ろした雨音は平然と頷いた。

「坂の多い所は戦い難いですから」

 足にピッタリと張り付いた、乗馬服のような白いズボンで露わになっている脚線美を見せつけるように、これ見よがしに足を組替えながら、雨音は当然のように答えを返す。

「零一たちにとっては初めての実戦ですから。その位の事は考慮してあげませんと」
「ですが、月組を援護するのではなかったので…?」
「大丈夫。あの子達が降下すれば降魔兵器の注意はこちらに集まるはずです。『怪神』は目立ちますからね。
 そうすれば、月組の方から合流してきますよ」
「…だからと言ってわざわざ民家の密集している地区を戦場に選ぶのですか…?」
「放置しておけば被害が大きい地域だからこそ、優先的に制圧せねばならぬのだ」

 その声は、非難の色さえ帯び始めた神無月の言葉を一刀両断するような趣があった。

「しかし岩瀬艦長、戦略的にはごもっともなご意見ですが、『怪神』が降魔兵器に通用するか否か、未だ不確定です」
「神無月くんの言いたい事は分かります。ですが、戦闘にリスクは付き物です。私たちは凡人なのですから、試行錯誤していかなければ前進はありえないのです。凡人である私たちが天才である米田司令や大神隊長の真似をしようなどと考えるべきではありません」

 言葉だけを聞くなら、謙虚で殊勝とすら感じられる台詞。だが雨音のあっけらかんとした顔を見ていると、神無月には責任逃れの言い訳の台詞としか思えなかった。
 しかし、彼にはそれ以上異を唱えることも出来なかった。試行錯誤。雪組は元々その為の部隊だ。そして彼も今は、雪組に属する身だった。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇

「花組より入電!武蔵中枢への回廊入り口にて敵将金剛と交戦、これを撃破!!」

 ミカサ艦橋に興奮の波が広がる。繰り返されてきた勝利。約束された勝利。それは、今度もまた、花組が最終的な勝利をもぎ取ってくる前兆に感じられた。

「尚、これより深部では交信不能なる事を確認。これを以って、報告を中断する」

 顔を曇らせるクルー達。彼女達が、彼が、ミカサを以ってしても援護の届かぬ敵陣の真っ只中に突っ込んでいく事実を改めて思い知らされて。心細げな呟き、励ましの言葉が行き交う中、米田は艦長席でじっと目を閉じていた。

(大神、自分を信じるのだ。お前ならば、必ず成し遂げられる。俺達には無理でも、お前ならば、可能なはずだ)

 己の中で、過去と未来の交錯する独白。

「月組より入電」

 そんな米田の佇まいを見て、かえでは通信手の方へ自ら足を進めた。
 ヘッドセットをつけた女性クルーへ身を寄せて、小声で報告を受けるかえで。短い通信文を全て読み終えた時、彼女の背中は緊張に固まっていた。

「どうした、かえでくん」

 そんな彼女のただならぬ雰囲気に米田は黙想を解き、声を掛ける。

「長官」

 無言で通信文を差し出すかえで。周りの耳を憚るように。

「……清流院大尉」

 米田の声には特段の変化は見られなかった。
 読み終えた後、必要以上の間をおいた事を除けば。

「はい、長官」
「艦長室に来てくれ。かえでくん、少し頼む」
「はい」

 艦橋を後にする二つの背中を見送って、かえでは一瞬だけ、気遣わしげな視線を足元に投げた。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇

「さて、清流院。俺に何か報告する事があるんじゃねえのか」

 情報端末の並ぶミカサ艦長室。ここは艦長である米田の私室と言うより、第二の作戦室と言うべき部屋だ。
 コの字型に配置された机の――その上には米田のような古い世代にはいささか居心地を悪く感じさせる情報端末と管制盤がひしめき合っている――端に寄りかかりながら、意味ありげな目つきで琴音を見上げる米田。
 何度か口を開きかけて、一つ小さな溜息をつくと、琴音は諦めを目に浮かべて米田の正面に姿勢を正した。

「…ミカサ発進直前、雨音から連絡がありました。白鯨丸は本日未明、既に北海道支部を発進し、2時間で帝都に到達する、と」
「……誰の命令か言ってたかい?」

 琴音と同じような、疲れた声で米田は問い掛けた。

「いえ。ただ、許可はとってある、と」
「……あのクソッタレどもめ!」
「……申し訳ありませんでした。ミカサ発進直前でしたので私の独断で報告を伏せてしまいました。二人には何の責任もありません」
「……どうせあの連中は俺の命令なんざ聞きゃしねえ。あいつらはあのクソッタレどものつまらねえ自己満足の為にこしらえさせられた部隊だからな。変にあれこれ気ぃ回さずに済んだ分、オメエの判断は間違っちゃいねえよ」
「申し訳、ございません。身内の不心得で閣下の御心を乱すような事態を……」
「気にすんな、琴音。清流院家は武門の名流。ポッと出の俺なんぞとは抱えているもんが違うんだろうさ。
 さて、どうすりゃいい……今は、ここを動く訳にもいかんしな……無茶をしねえでくれりゃあいいが、あの連中じゃあ……」
「……申し訳ございません。妹は、私と違って良くも悪しくも典型的な清流院家の人間ですから……」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 艦橋に戻ってきた二人は、いつも通りの顔をしていた。特に変化の見られない二人に一瞥以上の注意を払うことなく、クルー達は自分の任務をこなしている。
 唯一人、かえで以外は。

「長官……」
「白鯨丸だよ」

 何気ない、ように聞こえる一言。
 小さく息を呑み、慌てて平静を取り繕うかえで。

「ここからじゃ、あの連中を操縦するのは無理だ」
「ですが、それでは月組が……」
「納得しねえだろうな。あいつらはああ見えても熱い奴らだからな」
「長官……」
「あいつに任せるしかねえよ。
 ……加山なら、きっと上手くやってくれるだろう」
「………」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇

『歩兵部隊、降下準備完了』

 艦内通信機より流れてきたのは雄次郎の声。

「分かりました。機甲部隊の方はどうですか」
『二号機、海江田二三也(かいえだ・ふみや)、準備よし』
『三号機、海津三四郎(かいづ・さんしろう)、準備よし』
『四号機、江口十四夫(えぐち・としお)、準備よし』
『五号機、湊十五(みなと・じゅうご)、準備よし』
『六号機、大潮六三四(おおしお・むさし)、準備よし』
『七号機、沖田七七三(おきた・ななみ)、準備よし』
『八号機、漣八十介(さざなみ・やそすけ)、準備よし』
『九号機、波多江九十九(はたえ・つくも)、準備よし』
『一号機、青海零一(おうみ・れいいち)準備よし。怪神、全機降下準備完了です、雨音様』

 全員が、少年の声。

「岩瀬、白鯨丸迷彩形態。出撃高度まで降下」
「かしこまりました。艦外迷彩展開!」

 白鯨丸の巨体から白い煙が噴出す。濃密な蒸気。何故か拡散することの無い靄は、霊子核機関により霊子力を注入された蒸気だ。濃白の靄が白鯨丸の艦体を包み込み、空に漂う雲に変える。

「降下!」

 急速に高度を下げる白い雲。地上を蹂躙する降魔兵器の個体が視認できる低空で停止する白鯨丸。

「怪神、発進」
『行きます!』

 格納庫のハッチが開く。9機の人型蒸気が地上へ向けて飛び出した。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 疾走する一群の人影。自動車をも追い抜くであろう驚異的な脚力で巨大飛行船を追いかける月組の戦士。先頭を駆けるのは抜き身の霊剣を携えた加山雄一。
 帝都には降魔兵器が溢れている。無人の荒野を駆け抜けるようなわけにはいかないはずだ。だが、彼らの疾走を阻むものは無かった。すれ違う月組を、降魔兵器は一顧だにしなかった。
 霊剣・聖刀芒鋭がぼんやりとした霊光を放っている。それ自体霊力を備えてもいるが、本来、霊剣は霊力の増幅器。聖刀芒鋭の光の源は使い手たる加山の幻力か。
 空いている左手を小さく上げる。足を止める異能の戦士達。白い飛行船が停止し、雲と化して降りてくる様を無言で観察する。

「あれは!?」

 静寂は、複数の驚愕によって破られた。
 視界の半ばを占めるほど巨大化した――つまり、地上に近づいた――雲の中から降ってきた鋼の塊を目にして。
 人型蒸気。陸戦用の装甲機動兵器であることは一目で分かる。だがその型式は。
 銃弾を撒き散らしながら(おそらく、降下地点確保の為)降り立った場所は、その姿を細部まではっきりと見て取れる近距離だ。
 彼らにとってお馴染みの霊子甲冑とは全く違う。卵を横倒しにしたような縦長の胴体、短く太い脚部、速射砲が直接取り付けられている両腕は、むしろ敵将の機体だった『智拳』や『五鈷』に似ている。
 だが、敵有人型魔操機兵に見られた頭部は無い。装甲前面に直接カメラがつけられている点は光武に似ている。幅広で長い両足には無限軌道。そして両肩(?)に背負う長大な砲身。全高2メートル半、全長5メートルの見慣れぬ機体。しかし、実物を目にしたことはほとんど無かったが、ここにいる全員がこの機形を見たことがあった。

「『モンスター』…か?」

 無意識の呟き。米軍新型人型蒸気、『モンスター』。『スター』、『スター・改』の後継機種として大戦の終了後に開発された最新鋭の機動兵器。
 諜報部隊である月組は、国内の敵である黒鬼会の装備ばかりでなく列強各国の軍備についても広範な情報を有している。今、目にしている機体は、密かに入手した図面や写真で何度も目にした米軍の新兵器に酷似していた。
 ではあの巨大飛行船は、帝都の混乱に乗じて米軍が介入してきたものだろうか?

「違う」

 問い掛けではない問いに答え、全員の脳裏に過ぎった疑念をきっぱり否定したのはやはり加山だった。

「『モンスター』に霊子機構が装備されているという情報は無い。米軍が霊子機関搭載型の機動兵器開発を放棄したのはほぼ確実だ。
 よく見ろ。あの機体には天武と同じ霊子核機関が組み込まれている」

 改めて正体不明機を観察する隊員達。確かに、唸りを上げるずんぐりとした九機の人型蒸気から霊子の光が放たれている。その無機的な波動は人の霊力を直接変換する霊子機関のものではない。都市エネルギーを取り込み、霊子力場に変換する小型霊子核機関の波動だ。

「あれはおそらく、北海道支部で天武と並行して開発が進められていた『怪神』だ」

 男達の間に無言のどよめきが広がる。
 怪神、それは神崎重工が極秘裏に手に入れたモンスターのデータ(軍の諜報部、あるいは賢人機関から提供を受けた、とも言われている)を元に天神の後継機種として新たに開発を進めていた重火力型人型蒸気と、帝撃の霊子核技術を組み合わせた共同開発中の機体。隊員達はそう耳にしていた。
 彼ら月組にさえ詳細を伏せられていた極秘計画。
 だが、同じ帝撃内の情報を彼らの目から全く覆い隠してしまうことも不可能だ。
 この新型機について、彼らは独自の調査で次のような情報を得ていた。
 霊子甲冑用の霊子機関を扱うには極めて強い霊力が必要。花組のように。
 だが、霊子核機関は元々外部の力を利用するもの。ただ、制御に霊力を必要とするのみ。
 霊力は備えていても花組の域には及ばないパイロットを魔物との戦いに投入することを目的として開発を進められていた、蒸気機関と霊子核機関の二系統の動力を備えた霊子甲冑の亜流。
 しかし、霊子機関を使わずに霊子核機関を制御するということは、都市エネルギーと直接コンタクトするということ。都市に渦巻く思念の混沌に自らの精神を曝すということ。それ故、パイロットの精神に重大な障害をもたらす可能性大であることを理由に実用を見送られたはずだ……

「雪組は、いや、賢人機関の日本支部は『怪神』を完成させていたのだ」
「では、彼らは……」
「ああ、賢人機関の奴らめ、帝都で新兵器の実験をやらかすつもりだ!」

 憤りと共に吐き出された加山の台詞。
 それを合図としたかのように、怪神が降魔兵器へ砲口を向けた。

 

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