魔闘サクラ大戦 第一話

その1



 フワッ…

 風が吹いた。桜吹雪が舞う。

「いい風…」

 高台にたたずむ乙女。花見に賑わう上野公園の一角。

 舞散る花びらと同じ薄紅色の小袖。緋の袴。長く豊かな翠髪を大きな赤いリボンで纏めている。黒目勝ちの大きな眼。慎ましげな口元。ほっそりとした姿態。美しい少女である。しかし、美少女にありがちな弱々しさは全く感じさせない。大きな瞳には意志の光が宿り、伸びやかな肢体には生気が溢れている。春の息吹き、命萌え出づる季節の喜びを感じさせる様な少女であった。足元には旅行鞄と長い布袋に入れられた棒のような物。少女が持つにはそぐわないが、まるで太刀のようである。

 ブワッ

 吹きぬける突風に緊張した面持ちで振り返る少女。

(妖気?)

 土煙の中から姿を現したのは、鎧武者の姿をした魔物だった。逃げ惑う人々を蹴散らすようにして走ってくる。

 やにわに足元の袋をとりあげその口を開く。中から出てきたのは朱鞘の太刀。少女の手に余るような大刀は、しかし、表情を引き締め凛々しいとすらいえる今の彼女にはこの上なくふさわしい物に思える。

 跳!

 掴み掛かる魔物から宙に身を躱しざま、手に持つ太刀を抜打ち一閃。

 哈ぁァァー

 斬!

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「あやめです」
「おう、入えんな」
「失礼します。長官」

 大帝国劇場支配人室。扉を開けたのは陸軍士官の制服に身を包んだ、若く、美しい女性である。そう、まだ若い。20代の半ばに届くか届かないか。にもかかわらず、不思議な円熟を感じさせる女性だ。まるで、はるか永い別の人生を経験しているかのような。

「先日の光武適性調査の報告書をお持ちしました」
「海軍でやったやつだな。で、どうだった」
「はい…」
「陸軍とご同様か?」
「いえ、とにかく報告書をご覧ください」

 戸惑っているような表情で差し出される報告書を受け取る人物はだらしなくデスクについた初老の男。だらしない姿勢にもかかわらず、どこか威厳・器量の大きさのようなものを感じさせる。「長官」と呼ばれるにふさわしい歳月を積み重ねてきたのだろう。
その少々の事では動じないかと思わせる容貌が、報告書の最初の頁に目を通す内、驚愕に彩られた。

「霊力値280だと!?この数値に間違いはないのか、あやめくん」
「他の被験者に数値の異常は見られません」
「そうか…」

 つまり、測定異常ではないということだ。
 霊力値とは、霊子甲冑・光武を稼動させるのに必要な霊力を測定することを目的に設定された単位だ。光武を標準稼動させるのに必要な下限霊力を100としている。
 霊子甲冑、それは霊力を鎧とし、刃とする機動兵器である。これを使いこなすには強い霊力を必要とする。その適性を秘密裏に調べた結果があやめと名乗る女性士官が持って来た報告書の内容だ。

「信じ難いが…事実なのだろうな。大神一郎、新任の少尉。海軍士官学校主席卒か」
「ええ、この数値は今の隊員たちと比較してもずばぬけています。光武を同時に二体稼動させてまだ余裕があるということですから」

 ちなみに、現部隊の最高値を記録したのは9歳の少女であり、霊力値は190であった。

「しかし長官、それだけではありません」
「と言うと?」
「ご存知のとおり、今回の測定は分隊編成の戦闘訓練に紛れて行われました。訓練は計5回、編成を変えて行われたわけですが…」
「知っている。それで?」
「大神少尉と同じ隊になった者は、そうでないときと比較して明らかに高い数値を記録しているのです」
「……」
「大神少尉には、味方の霊力を高める力があるものと推測されます」
「触媒の力か…」
「ええ、おそらく。しかも、調査の結果、これだけの力を持ちながら如何なる呪術、法術諸流派の影響も受けておりません。本人に霊力の自覚も無いようです。我々が探していた、『隊長』にうってつけの人材かと思われます」
「…わかった。海軍さんには悪いが、この男はうちでもらう。主席卒を取られるとあればいい顔はしねえだろうがよ。あやめくん、花小路伯爵のご都合を伺ってくれ」

 人の悪い笑みを浮かべて指示を出す陸軍中将、米田一基に、陸軍中尉、藤枝あやめはただこう答えた。

「承知しました」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 時は太正12年、科学の時代、機械技術の文明は前世紀後半のある事件により、微妙な軌道修正を迫られていた。その事件は、南北戦争。アメリカを二分した内戦である。
 最終的に機械技術の前に敗れはしたものの、この戦争で魔術はその威力を列強の首脳部にまざまざと見せ付けた。魔術の軍事利用。魔術は極めて個人的な才能と長期の訓練を必要とする為、そのままでは戦況を変えうるだけの量の部隊を編成することが難しいということはすぐに分かった。そこで、熟練職人の技が機械作業に置き換えられていったように、魔術を機械技術の中に取り込む研究がこぞって進められることになった。魔道機械技術、その開発競争が軍事目的で一気に進行したのである。その中から霊子機関が開発された。いまだ、ある一定条件の霊力を持つ者しか扱えないとはいえ、確実に機械文明と魔術の融合の時代が到来しつつあったのである。
 支配する側が新たな武器を手にすれば、支配に抵抗する側がそれを手に入れるのにさほど時間を要しないのが、世の常である。他国の力を削ぐ為にはどのようなことでもするのが、政治家であり軍部というものだ。対立関係にある国から反政府勢力に兵器が流れるのは当たり前と言える。
 日本においても、魔道技術で武装した反乱分子や犯罪組織の暗躍が無視できなくなっていた。これに対抗する目的と、そしてもう一つのもっと深刻な目的の為、秘密裏に組織された部隊があった。その名を「帝国華撃團」。米田とあやめを中核とする秘密部隊である。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「みんなに集まってもらったのは、重要な伝達事項があるからだ」

 帝国華撃團地下作戦室。米田は集まった隊員たちにこう切り出した。
 しかし、それは異様な光景であった。ある意味で。そこに集まっていたのは、米田を除けばうら若い女性ばかりであったのだ。一人は、「若い」という形容すら当てはまらない。まだ幼い少女である。

「明後日、新入りが来る。名前は大神一郎。年は20歳。海軍少尉だ。こいつには花組の隊長をやってもらう」
「いきなり隊長ですって?余程優秀な方なのですわね」

大輪の薔薇を思わせるような、あでやかな少女が口を挟む。

「ああ、優秀な男だ。期待してもらってかまわねえぜ」

一同の表情に、軽い驚きの色が浮かんだ。米田は簡単に人を誉める男ではない。

「そこでだ、さくら。手間かけて悪いが大神を上野公園まで迎えに出ちゃあくれねえか」
「はい、長官」

 立ち上がって答えたのは、清楚な美少女である。さすがに秘密部隊の隊員だけあってきびきびしている。

「本題はここからだ。こいつには、俺がいいというまで、華撃團のことを教えてはならない。とりあえずモギリをやってもらうから、お前たちもあくまで歌劇團の一員として振る舞うんだ。いいな」
「しかし長官。いつ本格的な出動がかかるかわからない状況です。何の説明・訓練もなしに、いきなり光武で実戦に突入するのはいささか危険かと思いますが」

 当然の懸念を口にしたのはプラチナブロンドの大柄な美女である。

「霊子甲冑の操縦は人型蒸気とほとんど同じだ。大神は新米とはいえ、人型蒸気の格闘戦技にかけちゃあ、教官すら足元にも寄せ付けなかった名手だ。ぶっつけ本番でも問題ねえよ」

 これまた、米田には珍しい、手放しの賛辞である。

「でも、何で華撃團のことを秘密にするんですか」

 さくらと呼ばれた少女が尋ねる。

「花組の隊長は…」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「大神少尉、近衛軍軍令部に出頭せよ」
「はっ。…近衛軍ですか?」
「枢密院の花小路伯爵のお声掛かりだ。名誉なことだぞ。もしかしたら、陛下のお側近くにお仕えする任を賜るやもしれん」
「……」
「本日10:00、近衛軍軍令部第三軍令室に出頭せよ。花小路伯爵がお待ちである」
「わかりました!」


 時の元老直々の指名とあれば、士官学校出立てといっていい新米少尉には望むべくも無い栄誉である。まして当時の近衛軍は各方面から選び抜かれた精鋭中の精鋭が集うところ。世の常にありがちな家柄と学業成績だけのお飾りではないのが太正時代の近衛隊である。
 これには、当時の日本を取り囲む情勢が大きく影響している。野蛮なだけと思い込んでいた小っぽけな島国の貧相な東洋人が眠れる大国として自分たちも一目置いていたシナを打ち負かし、実態はどうあれとにもかくにも列強の一角ロシアを退けたのである。西洋人にとって、特にフロンティアという名の植民地を、海を越えて広げようとしていたアメリカ人にとっては、驚異、賞賛の対象というより、目障りな存在であった。最大の競争相手と目していたロシアが対日戦争の不首尾と内乱でユーラシアの奥に退くことを余儀なくされた今、日本こそが邪魔な存在である。
 しかし、アメリカはその国家体制の建前上、ロシアほど露骨な挑発は出来ない。そこで目をつけたのが、日本の統一国家としての歴史の浅さである。国としての歴史こそ世界有数の年月を経ているが、実態として統一政府のもとに治められているのは半世紀足らずである。その統一は、国の歴史の象徴たる天皇の正統性に依るところが大きい。こう分析した。となれば、謀略という手段に出ることは当然の選択肢である。
 英仏の勢力争い。シナとの衝突。ロシアの圧力。アメリカの謀略。その上帝都は、幕府という名の前王朝の王都である。新政府に対する怨念は尚根強い。加えて、近年の魔道技術は小規模で強力な破壊活動を可能とする潜兵を組織することの可能性を示している。これだけの脅威に晒されつづけていることが、国家統一護持の使命感に燃える屈強な近衛軍を育てたのだ。


『帝国海軍少尉 大神一郎殿
 貴殿ニ、特殊任務トシテ以下ノ部隊隊長ヘノ着任ヲ命ズル。
 帝国華撃團
 降魔迎撃部隊 花組
 尚、本任務ハ帝都守備ノ為ノ機密任務デアル。
 部隊トノ合流ノ為、上野公園ニ向カワレタシ。
 帝国陸軍中将
 米田 一基』

 近衛軍軍令部に出頭した大神を待っていたのは、陸軍中将の名で発令された、聞いたことも無い部隊への転属辞令であった。

「大神一郎君。君は本日付で帝国華撃團・花組へ転属になる」

 その辞令を手渡したのは、紛れも無く元老、枢密院の重鎮にして近衛総監、花小路伯爵その人だ。この地位にある人物がたかが少尉に直々に声をかけるのも異様なら、近衛軍の本部で海軍士官に陸軍幹部からの辞令が交付されるというのも異例なことだった。しかし、大神は困惑しつつもそれ以上に高揚をおぼえていた。『帝都守備』。その隊長に任命するというのだ。若い大神の浪漫を刺激するには十分な任務である。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


(しかし、上野公園を散策し迎えの者が接触してくるのを待てとは。秘密部隊とはこういうものなのか?)

 訝しい思いを抱えながらも、大神は指示されたとおり花見に興じる人々で溢れた公園をゆったりした足取りで横切っていた。

(いい天気だ。いつもこう平和だといいが。
そういえば、先日魔物騒ぎがあったのはこの上野公園だったな。何でも、鋼の魔物を一刀の下に切り捨てたのが若い女性だったという話だが、いくら女性が強くなったからといってどこまで信用できるものやら…)

 いつしか埒も無い思念に沈み込んでしまった大神は、自分に向けられた視線にも気づかずに機械的に足を進めていた。


(あ、あの人じゃないかしら)

 手許の写真に目をやり、大神の顔と見比べる。薄紅色の小袖と緋の袴に身を包んだ、長い翠髪を赤いリボンで纏めた美少女。手に持つ写真は紛れも無く大神のものである。少女は小走りに大神を追いかけ、背中から声をかけようとした。


(?)

ふと背後に人の気配を感じ振り向く大神。

(!)(!)

 期せずして、二人は真近から見詰め合うことになる。

(か、可憐だ)

 大神の心中は斯くも平凡なものだった。しかし、一方の少女、さくらの胸のうちは一言では言い表せない複雑なものだった。大袈裟でなく、さくらは衝撃を受けていた。

(なに、この感じ。懐かしい?ううん、ちがうわ。一度も感じたことの無い感覚。でも、引き込まれそう…)

「あの、私に何かご用ですか」

 見とれていただけなので、大神のほうが我に返るのは早かった。帝国華撃團の迎えが女性だとは想像もしていない大神は、自分を見詰めたまま呆然としている少女に問い掛けた。

「あっ」

 たちまち顔を赤らめ、さくらは俯いた。無理もない。初対面の男性に見とれていたも同然なのだから。それでも、逃げ出すような気弱さはこの少女には無かった。

「あの、大神一郎少尉ですか。私、真宮寺さくらです」

 頬に火照りを残しつつ、顔を上げてさくらは確認するように話し掛けた。何故か、人違いという懸念はなかった。この人に違いない。そういう確信めいた思いがあった。

「ええ。私は帝国海軍少尉、大神一郎ですが…失礼ですが、どのようなご用件でしょうか?」
「はい、米田中将より、大神少尉をお連れするようにとの任務を受けてまいりました」
「えっ、あなたが!?いえ、失礼しました。ご婦人がお見えになるとは予想していなかったものですから。重ね重ね失礼ですが、…帝国華撃團の方ですか?」
「はい、帝国華撃團・花組、真宮寺さくらです。よろしくお願いします」

(こんな少女が秘密部隊の隊員??)

 いまだに目の前の現実が受け入れられない大神は少女を、今度は真剣に見詰めた。
 さくらと名乗った少女は、確かに立ち居振舞いに隙が無い。何らかの武術を、生半可でなく修得しているようだ。決して大柄ではないが、体中から生気が溢れている。しかし、弱々しいところがないとはいえ、ほっそりした体つきは、とても過酷な戦闘に耐えられるようには見えなかった。改めて問い直そうと相手の顔に目を戻した瞬間、大神は強い意志の光を見た。

(なんという瞳の輝き。なるほど、これなら人々を守る為に戦えるかもしれん…)

「あの、大神少尉?どうかされましたか?」

 戸惑った表情で黙り込んでしまった大神に、今度はさくらが気遣うように話し掛けた。

「あっ、いえ…あなたのような若い女性が隊員とは、正直言って驚きました」
「くすっ…正直な方ですね。頼りになりませんか?」
「いえ、そういうわけではありません。強い意志を秘めた、いい瞳をしていらっしゃる。そう思っていたところです」
「え…!?」

 あまりにあけすけな誉め言葉に、さくらは再び顔を赤らめて俯く。恥じらう少女を目の当たりにして、ようやく大神は自分がらしからぬ気障な台詞を口にしたことに気付き、赤面しつつ慌てて言葉を継いだ。

「す、すみません。先程から失礼ばかり働いてしまって。あの、その、…」

 クスクスクスッ

 思いがけない素朴な反応に、俯いたままで思わず笑い出してしまうさくら。生真面目で気取らない様が彼女には好ましかった。

「いい方ですね。大神少尉って。さあ、大帝国劇場に参りましょう」

 顔を上げてさくらがいざなう。その言葉に大神はまたしても意表を突かれてしまった。

「劇場ですか?しかし、着任指定時刻まで、もうあまり余裕がありません。残念ですが、芝居見物をしている時間はないようです」
「違います。大帝国劇場の中に帝国華撃團の本部があるんです」

 本気で残念そうな大神の口調に高鳴るものを感じるさくら。動揺を押し隠して事情を説明することに今度は何とか成功した。

「劇場の中にですか!まさか…いや、敵の目を欺くにはまず味方から、という訳か。なるほど」

(ということは、この少女も偽装要員なのだろうか。そう考えたほうが妥当なのだろうが…何故か違う気がする。目くらましに甘んじるには輝きが強すぎるような…)

「兵法の極意、ですね!さあ、参りましょう」

 口にすれば、またお互い赤面する羽目に陥るようなことを大神が考えているとも知らず、ようやくいつもの調子を取り戻したさくらは、明るい表情で大神を促した。



その2



「これが去年建てられた大帝国劇場ですか。その名に恥じぬ、立派な建物ですね」

 帝都蒸気鉄道・帝劇前停車口駅で降り、劇場正面に立った大神の感想は平凡なものだった。来る途中でも、世間話ばかりだ。まるで、若い軍人が休暇中に帝都を案内してもらっているようだ。

(いろいろ訊きたいことがあるんじゃないかしら)

 そう思ったさくらだが、米田中将からの指示もある手前、自分から華撃團のことを話題にすることも出来ず、世間話に相づちを打っていた。

「大神さん、初めてなんですね。では、正面ロビーから入りましょう」

 大扉横の関係者出入り口(それでも、一般家屋の玄関口より二回りは大きい!)から並んで中に入る二人。

「中も重厚な造りだ。防音も十分か。部外者はいないようですし、ここなら内密のことをお尋ねしても差し支えないようですね」
「え、ええ」

(じゃあ、華撃團のことを話題にしなかったのは周りを警戒して?)

 軍人としては当然の配慮なのだが、さくらはなんとなく感心してしまう。

「さくらさんは帝国華撃團でどのような任務に就いていらっしゃるのですか」
「えっと、それは…」

(どうしよう。本当のことを言うのは止められているし…)

 その場凌ぎのもっともらしい作り話が出てこないのがこの少女らしい。

「あっ、さくらぁ」

 まごついているさくらに階段の上から声が掛かった。

(子供…?)

 そう、まだ小学生ぐらいの可愛らしい女の子の声である。声のしたほうに目をむけると…
 今日何度目であろうか、意外な思いに打たれるのは。思わず、大神は自問した。彼の目に飛び込んできたのは明るい金髪、青い目、エプロンとフリルで飾られた子供用のドレス。西洋人形さながらの小さな少女だ。

「きゃは、お兄ちゃん、さくらさんの恋人?」
「……」

 どうみても西欧人の女の子に流暢な日本語で話しかけられ、とっさに対応できない大神に代わり、さくらが幾分ほっとした様子をみせながら、それでも形の上ではたしなめる。

「アイリス、大人をからかってはいけません。こちらは帝国華撃團に配属になった、大神一郎少尉よ」
「帝国海軍少尉、大神一郎です。よろしく」

 体勢を立て直せない大神は、何とかそれだけを口にした。

「帝国華撃團・花組、アイリスです。仲良くしてね」

 可愛らしい挨拶を聞いて、大神はますます混乱する自分を感じた。

(こんな小さな少女が秘密部隊の隊員???)

「さくらぁ」
「なあに、アイリス」
「このお兄ちゃんも霊力がある。光武に乗って…」
「さあ、アイリス、お昼寝の時間でしょう。マザーグースのご本を読んであげる。お部屋に行きましょう」

 慌てたようにさくらが言葉を重ねる。勢いよく大神のほうに振り向き、すこし早口で、

「大神少尉。米田司令は支配人室にいらっしゃいます。それでは、これで。失礼いたします」

こう言って、アイリスの手を引くように足早に2階へ上がって行った。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


(どうしたんだろう、急に)

 突然のさくらの態度に不自然なものを感じたが、すぐに気にならなくなった。もっと大きな疑問が大神の思考を占めていたのだ。

(あんな子供が隊員とは…帝国華撃團とは、どのような部隊なのだ?)

 いくら考えても結論が出るはずも無い。

(なんにせよ、今は米田中将のもとへ出頭することだ)

 しかし、初めて来た建物で、しかも慣れた軍事施設ではなくまったく勝手の分からぬ劇場内。当然、どこが支配人室かなど見当もつかない。

「誰か、ちょっと手を貸してちょうだい」

 どうしようかと思っている大神に澄んだ高い声が聞こえた。

(また少女か?とりあえず、行ってみるか。支配人室の場所ぐらい教えてもらえるだろう)

 声のするほうへいってみると、どうやら食堂らしかった。そこにいたのは予想通りまだ10代半ばかと思われる少女だった。菫色の、西洋の夜会服のように胸元を開けた大胆な振り袖を着ている。普通なら、派手すぎてふしだらで下品になるような着物だが、少女の持つ気品が全くそのような印象を与えさせない。むしろその華麗な雰囲気を際立たせている。

「あ、そこのあなた」

 呼びかけられて大神は、その少女の座る席へ近づいた。

「なんでしょう?」
「そこに落としたフォークを拾って、新しいものと取り替えて下さらないかしら」
「いいですよ、はい、どうぞ」

 小娘の言いなりになるのはだらしないと思われる向きもあろうが、海軍で西洋風のレイディファーストのマナーを叩き込まれている大神は、何の抵抗も無く少女の要求に応えた。

「ありがとう。あら、見ない顔ね」

フォークを手渡されて、初めて少女は大神をまともに見たようだ。

(ボーイさん…ではありませんわね…、!もしかして)

「私は、帝国海軍少尉、大神一郎です。米田閣下にお取り次ぎ願いたいのですが」
「これは失礼いたしましたわ。わたくしはここ大帝国劇場のトップスター、神崎すみれと申します」

 内心の動揺を露程も見せず、傲慢とも思える名乗りをあげるすみれ。しかし、彼女にはそれが妙に似合っていて、不思議と嫌味な感じが無かった。

(トップスター…?しまった、本職の女優さんか!?部外者に帝国華撃團のことを尋ねるとは迂闊だった)

内心焦る大神だったが、すみれはあっさりとこう続けた。

「米田さんでしたら、支配人室ですわよ。そこの突き当たりを右に曲がった、階段脇の部屋がそうです」

(???部外者じゃないのか?)

 大神の困惑は累積する一方だったが、もはや考えても仕方が無いと割り切っている。すみれに礼を述べて、教えられた部屋へと足を運ぶ。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


(ここか)

 扉の前に立つのにあわせるように、部屋の中から大柄な女性が出てきた。大神もこの時代にしては大柄なほうだが、その女性は更に上背で勝っている。

(大きい…)

 視線を上に移して、大神は納得した。淡い金髪、翡翠の瞳。どことなく日本人的な面影もあるが、明らかに西洋の、北方の血を引いている。

「どなたですか」

 日本人と何ら変わらぬ日本語だったが、大神はもう驚かなかった。

「私は帝国海軍少尉、大神一郎です。米田中将閣下にお取り次ぎ願いたいのですが」
「あなたが今度帝撃に来られる大神少尉ですか。はじめまして。マリア・タチバナです」
「はじめまして、よろしくお願いします」

(隙の無い身ごなしだ。相当の修羅場をくぐった兵士…いや、戦士だな)

 大神は、自分が秘密部隊に配属されたことを初めて実感した。様な気がした。

「米田支配人は、中にいらっしゃいます。私は稽古がありますからこれで」
「ありがとうございます」

(稽古?支配人??)

 礼を述べながら、またまた疑念が頭をもたげてくる。

(ええい、悩んでいても仕方が無い)

 思い切って扉を叩く。

「おう、入えんな」

 中から聞こえたのは、やけにぞんざいで砕けた返事だった。疑念が不安に変わってくる。

「失礼します」

 中に入って大神が見たものは、予想外というか、案の定というか、酒瓶を抱えただらしない初老の男だった。

(これが日露戦争の英雄、米田中将か?)

「本日12:00をもちまして、帝国華撃團・花組に配属になりました、帝国海軍少尉大神一郎、ただいま出頭いたしました」

 内心どう思っていようと、軍には守るべき規律がある。困惑を微塵も見せずに、大神は着任を申告した。

「ああ、花小路伯爵から聞いてるよ。かてぇ挨拶は抜きにしようぜ。第一、軍人言葉はいけねえよ。なんせ、ここは大帝国劇場だからよ。まぁ、一杯どうでぇ」

 相手がどれほど理不尽な態度をとろうと、身を律すべき儀礼がある。

「いえ、せっかくのお申し出ですが、遠慮させていただきます」
「なんでぇ、面白味のねえ野郎だな」

 しかし、大神は自分の忍耐力が軋む音を聞いたような気がした。

「かすみくん、例のものを持ってきてくれ」

 脇の伝声管に何やら話し掛ける米田。程なく響く扉を叩く音。

「失礼します、支配人」

 入ってきたのは、大神と同年代の落着いた女性である。さくらやすみれの様な人目を引く美しさはないが、しっとりとした風情に溢れている、これもなかなかの美女だ。手に何やら男物の洋服を抱えている。

「そいつに着替えて、受付に行きな。仕事の段取りは、かすみくんに教えてもらえ。けっ、そんな軍服じゃあ、目だってしょうがねえや。なんせ秘密部隊なんだからよ」
「変装しての任務という訳ですか。承知しました。大神、これより任務に向かいます」
「かてえ挨拶は抜きだと言っただろ。さっさと行きな」
「はっ!」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「駄目じゃないの、アイリス。大神さんの前で光武のことなんか口にしては。大神さんには暫く帝撃のことは内緒だって米田支配人に言われているでしょう」
「そっか、ごめんね、さくら」
「私も、危なかったんだけどね」

 二階に上がったさくらとアイリスである。

「でも、大神さん、突然逃げ出して変に思わなかったかしら…」
「ふーん、気になるんだ、さくら」
「な、なにを言うの、アイリス。ませたこと言わないの」

 気になります、と白状しているような慌て方である。

「ねっ、様子見に行かない」
「駄目よ、立ち聞きなんて!」
「大丈夫、やさしそうなお兄ちゃんだったから。ばれても怒られたりしないよ」
「そういう問題じゃありません」
「だったらアイリスだけで行ってこようかなぁ」
「……」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「はじめまして、大神さん。藤井かすみです。劇場の事務を取り仕切っています。よろしくお願いします」

 挨拶も外見にふさわしい、折り目正しいものだ。

「大神です。こちらこそよろしくお願いします」

 米田の勢いに飲まれたのか、二人が言葉を交わしたのは支配人室から退出してからであった。

「まずお部屋にご案内しますので、そちらで着替えてください」
「はい。…ん?」

 二階に向かう階段のさらに向こう側の曲がり角に身を隠す人影。

「きゃっ」「ああっ、見つかっちゃった」

 こちらを窺うようにそっと顔を出したところを、急ぎ足で追いかけてきた大神と危うく鉢合わせしそうになったのはさくら、その横にいたのはアイリスだった。

「まあ、さくらさんに、アイリスちゃん」

 一足後れのかすみの声は、どことなく嬉し気である。

「二人とも、大神さんのことが気になるのね?」
「えっ、そんな…」「えへへ…」

 頬を染めているのは二人とも同じ。言わずと知れた、前者はさくら。後者はアイリス。ついでに言葉を無くしている大神。

「まだ舞台の準備には時間がありますよね。私はもう少し事務の仕事が残っていますので、大神さんのご案内をお願いできませんか」

 微笑みながら、そして少しからかうようにさくらに話し掛けるかすみ。

「はっ、はい」「あーん、アイリスもぉ」
「もちろん、アイリスちゃんもお願いね。大神さん、そういう訳ですので、失礼します」

(…常識的な人だと思ったんだが…)

 大神はいささか呆気に取られていた。任務放棄ではないのか、というのが偽らざる感想。かすみは気を利かせただけなのだが。女性同士の気配りは、野暮な大神の理解が及ぶものではない。

「大神さん、こちらです」
「はあ」

 さっきはどうして急にいなくなったか知りたい大神だったが、また置き去りにされると今度は任務に差し支えるので、訊かないことにした。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「アイリスねぇ、前はフランスに住んでいたんだよ。『すかうと』されてここに来たんだ」

 アイリスはご機嫌である。出身はどこ?という大神の問いに訊かれていないことまで喋りつづける。

「そう、アイリスのことが少しわかったよ」

 やわらかい口調と、それ以上に暖かい視線でアイリスと言葉を交わす大神。
 確かに大神は優しい。横で見ていて、さくらは思った。

(優しいふりじゃないんだわ…優秀な軍人さんだって言うから、もっと厳しい人かと思っていたけど)

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「ここが受付です。大神さんのお仕事はお客様の切符を確認して、この鋏で検札して、半券を漏れの無いように受け取ることです」
「…それって、もしかしてモギリとか言わないかい」

 短時間ですっかりうちとけた大神は、いささか情けない口調でさくらに尋ねた。さくらには、相手に構えさせない人当たりのよさがある。

(気立てのいい娘だな)

「ご存知なんですね」

 しかし、否定してほしい、という言外の望みはあっさりと打ち砕かれた。

(つ、つれないな)

 勝手なものだ。

「開場時間から1時間が過ぎると大扉が閉まりますから、とりあえず最初のうちは、お仕事はそれまでです。がんばってくださいね」
「さくらくんたちもがんばってね」

(やっぱり、いい娘だな)

 にっこり笑って励まされると途端にそんな気になるから、大神も所詮は男、現金なものだ。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


(ようやく終わりか)

「大神さん、おつかれさまでした」

 慣れない接客仕事でぐったりしている大神に声をかけたのは、高村椿という名前の売店の売り子をしている女の子だ。

「ああ、椿ちゃん。そちらも一段落ついたようだね」

(彼女も帝国華撃團の関係者なんだろうか)

 お互いに自己紹介もそこそこに津波のような来場客に巻き込まれたのだ。ようやく話をする余裕も出来たというところである。しかし、単に偽装の為に雇われた部外者だったときの事を考えると、まともに尋ねる事は出来ない。

「私の方はまだまだですよ。休憩時間とか、お客様がお帰りのときにまた忙しくなります」

(とても軍の関係者には見えないな…)

「じゃあ、俺は米田支配人に少し訊きたい事があるから。お仕事がんばってね」

 何と切り出していいのかわからず、何も訊かない事にした大神。我ながら情けないな、と思いつつ。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「大神です」
「おう、開いてるぜ」
「失礼します。閣下、少々お尋ねしたい事があって参りました」

 結局、大神は米田に疑問をぶつけてみることにした。少尉にとっては雲の上の将官とはいえ、今の境遇はそれ程納得のいかないものだったのである。

「私の真の任務について教えていただけませんか。帝国華撃團はどのような隊員で構成されており、どのような装備で戦うのですか。出撃には、いかなる状況を想定しているのでしょうか」
「ああー、こりゃまたずいぶん控え目な『少々』だな。花組の構成員は、おめぇも既に顔をあわせてるじゃねえか。マリヤ、すみれ、さくら、アイリスだよ。仕事はモギリと、あと事務次長待遇で経理事務もやってもらうつもりだ。出撃といわれてもな。歌劇団の活動の場所はこの劇場だぜ。今んとこ、外部公演の予定はねえよ」
「……偽装任務ではなく、帝都防衛部隊としての任務をお聞かせ頂きたいと思うのですが」

 いい加減、我慢の蓄えが尽きかけているのを実感しながら、精一杯抑えた声音で大神は質問を繰り返した。これを聞いて米田は珍しく、というか大神の前では初めて真面目な顔つきになって、悪夢の台詞を口にした。

「おめぇ、何か勘違いをしてるんじゃねえのか。俺の頭の上に掛かっている額縁の中身をよっく見てみろ」

(……)

「帝国…歌劇團!?ええっ!華撃團の間違いでは!??」
「いいや、歌劇團だ」
「しかし、私は帝国華撃團という秘密部隊に配属になったはず…」
「ハハハッ。おうよ、歌劇團は『秘密舞台』だよ。国家組織が舞台で収入を得ているとは、おまえも知らなかっただろ」

 大神は絶句して立ち尽くすばかりだ。よくよく考えれば、そんなことに陸軍中将や士官学校主席卒の新進気鋭の士官を充てる訳も無いのだが、あまりの衝撃に思考停止状態に陥っていた。

「今日はもう部屋に戻れ。少し頭を冷やしておけ」
「はっ…。失礼します」

 ほとんど条件反射だけで敬礼し、支配人室を出た後も茫然自失の体であった。

(そんな…馬鹿な!!!)

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「大神さん!」

 明るい響きの、耳に心地良い声。決して大声でも強い調子でもなかったが、その声には大神の心を現実に引き戻す何かがあった。

「あぁ、さくらくん…」

 それでも、大神を完全に復活させるには力が足りなかった。大神の受けた衝撃はそれ程大きかった。

「どうしたんですか?なんだか、お顔の色が良くないようですけど…」
「そう…」
「…あの、ご気分が優れないのでしたら、お部屋までお付き添いいたしま…しょうか」
「……」
「…さあ、行きましょう!私、勝手ですけどご一緒させて頂きます!」

 大神の手を取って歩き出すさくら。

「ちょっと、さくらくん」
「さあ、行きましょう」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「ありがとう。すまないね、気を遣ってもらって」

 自分の部屋の前まで来て、ようやく大神は自分を取り戻す。自分では気付いていなかったが、いつまでもくよくよした姿をさくらに見られたくないという気持ちもあった。

「いいえ、このくらい。だって、私…」

 何故か口篭もるさくら。

「?、そういえば、さくらくん。舞台はもういいのかい」
「ええ、実は私もまだここに来たばかりなんで、今回出番はないんです。舞台の準備が終わったら、後はお片付けだけなんですよ」
「そうか、もし時間があるようだったら、部屋に寄っていってくれないか。少し、話し相手になって欲しいんだ」
「…大神さん、なんだか元気無いですね。私が声をかけたときも上の空でしたし…そうだ、無理矢理ご一緒したついでですし、お邪魔しちゃいますね!」

 さりげない心遣いが嬉しい。そう思った大神だったが、表面的には平静を装う。

「ありがとう。じゃあ、片付いてないけど、どうぞ」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「私、男の方のお部屋に入るのって、初めてなんです。なんだか、緊張しちゃいますね」
「さくらくん、恋人はいないの?」
「えっ、私、恋人はいません…けど」

 たちまち真っ赤になって足元の床を見る。さくらは、自分でも信じられないくらい動揺していた。
 一方、大神の方も自分の言動に驚いていた。自分はこんなに軽薄な性格ではなかったはずだ。それなのに、この少女を前にすると、訊くつもりの無いことまで口に出してしまう。

「ごめんごめん、立ち入ったことを訊いちゃって。許してくれないかな」

 慌てて謝る大神。

「許すだなんて…気にしないで下さい。大神さん」

 上気した色を残したままで、微笑むさくら。決して遠慮した訳ではなく、動揺の中にも嬉しかったのである。

(でも、私、なにを喜んでいるのかしら?)

「さくらくん」

 やにわに真面目な表情になって、真っ直ぐにさくらを見つめる大神。さくらは、おさまりかけていた動悸が再び激しくなるのを感じた。

「…女性にこんなことを訊いていいものかどうか、わからないけど」

(…ッ)

「ここでの暮らしのことを教えてくれないか。普段、どんな風にすごしているのか、とか…」

(…なぁんだ。あれ、私、何でがっかりしているんだろう)

「さくらくんのこととか」

(!!)

「花組の活動について教えて欲しいんだ」

(…大神さん、やっぱりショックだったのね…)

「フフッ、私も今月仙台から出てきたばかりなんですけど」

 にっこりと笑うと、さくらは努めて明るい口調で話し出す。

「普段は、お芝居や踊りのお稽古をしていることが多いですね。来月からは、私も舞台に上がるんですよ。あとは、お掃除とか、お洗濯とか…。それから、剣術の鍛練ですね。これは私だけですけど」
「さくらくんは剣術を遣うのか。女性なのにたいしたものだ」
「そんな、仙台の道場で少し習っただけですから。上京してきたときには、それで大騒ぎを起こしちゃいましたけど」
「俺も剣を修行しているからわかるよ。君が真剣な気持ちで武道に取り組んでいることぐらいはね」
「ありがとうございます!じゃあ、今度一緒にお稽古しませんか」
「いいとも、俺でよければ喜んで」

 それから暫く、とりとめの無いことで話がはずんだ。公演のこと、食堂やサロン、書庫のこと、そしてすみれや、アイリス、かすみたちのこと。

「そろそろ時間ですので、失礼します」
「ありがとう、さくらくん。話し相手になってもらって」
「いいえ。大神さん、元気を出してくださいね」

 かすかに、頬を朱に染めて大神を励ますと、さくらはやや急ぎ足で部屋を出ていった。照れ臭かったのである。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


(励ましてくれたんだな…)

 今の大神には、さくらの温かい心遣いが本当に嬉しかった。しかし、それだけでは埋められない失望を抱え込んでいるのも事実だった。

(さくらくん達には彼女たちだけの舞台がある。俺が立つべき舞台はここには無い。国と民を守る為に戦う、それが俺の立ちたかった舞台だ。その望みが叶うはずだった…帝都の平和を守る事が俺の任務だったはずなのに…)

 今夜は眠れそうに無い。明かりを消した部屋の中で、大神は一人そう感じていた。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 コンッ、コンッ

 控え目に扉を叩く音。明かりを点けて、時計を見る大神。

(こんな時間に…)

「あの、大神さん、さくらです」

(さくらくん?)

「今開けるよ」

 急いで扉を開ける。そんなに急ぐ必要もないはずだが、大神に自覚はない。

「すみません。おやすみではありませんでしたか」
「いや、起きてたよ。それより、さっきはありがとう」
「いいえ、私の方こそとりとめもない話ばかりで」

(なんだか、言い難い用事があるようだな)

 落ち込んでいるとはいえ、大神の観察力は決して鈍くない。なんとなく躊躇している雰囲気をさくらから感じとった。

「さくらくん、何か俺に用事じゃないの」

 優しい口調で水を向ける。

「ええ、あの、大神さんに夜の見回りをやっていただくようにとの、米田支配人からのお言付けなんですが…」
「夜の…見回り?」
「ええ、お疲れのところ申し訳ないんですが…」
「いいとも、引き受けた!丁度眠れなかったところなんだ。いい運動になる」

 眠れないのは事実であるが、むしろさくらに、気に病んで欲しくないという気持ちから大神はわざと明るく答えた。

「よかった!気持ちよく引き受けてもらえて」

 さくらは本気でほっとした様子である。その姿を見て、引き受けてよかった、という気持ちが心の中に生じていたのをこの時大神は意識したかどうか。

「じゃあ、行きましょう」
「えっ」
「大神さん、劇場の中をよくご存知じゃないでしょう。私がご案内しますから」
「…ありがとう。よろしく頼むよ」
「はいっ」

(さくらくんには世話になりどおしだな)

 頭が上がらなくなりそうだな。冗談交じりにそんな事を大神は考えていた。後から思えば、予感だったのかもしれない。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「ここが書庫です」

 大神の部屋に近いところから見回りを始める二人。

「大神少尉、それにさくらじゃないの。こんな遅い時間にどうしたんですか」

 もう夜中に近い時刻だというのに書庫には人影があった。淡い金髪、黒衣を纏った大柄な麗人。

「今晩は、マリア・タチバナさんでしたね」
「今晩は、マリアさん。夜の見回り中なんです」
「そうですか。少尉、お疲れさまです」
「いえ、このくらいなんでもありません。マリアさんこそこんな遅くまで勉強ですか」
「借りていた本を返しに来たんです。それから大神少尉、あなたの方が年も上ですし、帝撃でも目上の立場なのですから、私に敬語を使う必要はありません。私のことはマリアと呼び捨てにして下さい。そうでなければしめしがつきません」
「テイゲキ?目上?」
「劇場の事務次長なのでしょう。私達より上の立場です」
「ああ、帝劇か」

 咄嗟のことでも、『華撃團』にも『隊長』にも触れずに辻褄を合わせてしまうのはさすがというべきであろう。

「何のご本なんですか」

 割り込むようにさくらが言う。目で頷いて、マリアは答える。

「『罪と罰』よ」
「ドストエフスキーか。君の出身の、ロシアの作家だね」
「そうです。少尉はなかなか教養がおありですね」
「すごーい!大神さん。流石ですね」
「翻訳では物足りないだろう」
「いいえ、これを訳したのは私の知人ですから。その採点も兼ねて、というところです」
「なるほど」
「では、私はこれで部屋に戻りますので。少尉、見回り、よろしくお願いします。さくらもお願いね」
「おやすみ、マリア」
「おやすみなさい、マリアさん」

 マリアの後ろ姿を見送りながら、大神はさくらに話し掛けた。

「ここは異常ないようだ。俺達も行こうか」
「はい」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 途中で、アイリスになくしたぬいぐるみを届けてあげるという予定外の出来事もあったが、概ね一階に異常はなかった。二階に上がってすぐのテラスでふと、さくらが立ち止まった。

「大神さん、ここから外を観て下さい」
「夜の銀座か。こんなに綺麗なものとは思わなかったな…」
「私、街の灯りってすごいと思うんです」
「どうして?」
「だって、美しく見せようとして光っている灯りじゃないないのに、こんなに綺麗なんですよ。そして、他の灯りと一緒になってこんなに美しい夜景を見せてくれるんです。…私も舞台の上ではあの街の灯りのように光っていたい。道行く人の足元を照らす街灯のように、強くて暖かい光になりたい」

(舞台の上で光る…か。確かにその方がふさわしい。こんな少女が手を血に染めるよりは)

「ごめんなさい。お時間とらせちゃって」
「俺も、何か手伝えればいいな」
「えっ?」
「いや、何でもない」

 君が光り輝く為の、というつもりだったが、照れ臭くてとても口には出来なかった。

「?、さぁ、見回りを続けましょう」

 ボーン

「!、もうこんな時間。大神さん、夜もずいぶん更けてきました。今日の見回りは、この位にしておきませんか?」
「もう、あらかた見て回っているだろう?」
「ええ、後は二階客席とサロンくらいです」
「じゃあ、ここまでにしようか。さくらくん、部屋まで送っていくよ」
「…よろしいんですか」
「ああ、今日はいろいろ世話になったしね。さあ、行こうか」
「はい」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「わざわざありがとうこざいました」

 嬉しそうにさくらが言う。その笑顔に大神も鬱屈していた心が晴れるような気がした。

「俺の方こそ、今日はいろいろありがとう。じゃ、おやすみ」
「…明日も大神さんに会えるんですね。嬉しいなあ」
「えっ?」
「おやすみなさい」

 さくらは頬を真っ赤に染め、はにかみながらも、大胆な台詞を口にすると、大神がその意味を理解する間も無いうちに、部屋の中へ身を翻した。

(???)

 さっきまでとは別の理由で、大神は今晩眠れそうになくなった。




その3



(ここならいいだろう)

 劇場の中庭で十分に体をほぐし、大神は二本の木刀を構えた。

 さくらを送っていった後、サロンと二階客席を一人で見て回った大神は、予想に反してすぐ眠りに就いた。どんな場合でも必要な睡眠を確保する。訓練で身についた習慣である。そして今、日課の早朝鍛練を始めようとしていた。どんな状況でも、戦える力を維持し、高める。大神を駆り立てるものは、兵士としての自覚というより、武士(もののふ)としての心構えといった方がいいのかもしれない。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


(お父様…?)

 懐かしい感覚にさくらは目を醒ました。ようやく見慣れてきた、帝劇の自室の天井。
 そんな筈はない。父はもういないのだ。そう思うと悲しみが込み上げてくる。しかし、懐かしい気配は依然としてさくらを取り巻いている。

(そうか!お父様が剣のお稽古をしていたときの感じなんだわ)

 大気と溶け合って、ほとんど感じ取ることが出来ない、にもかかわらず力強い剣気。空や海、大自然の息吹のような気の力。道場の師範からも、高名な剣術家の演武からも感じたことのない、今まで父親からしか感じたことの無い気配。
 さくらは急いで身支度を整えると、木刀を持って気配のする方へ駆け出した。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


(中庭の方ね)

 外に出て、剣気の源に感覚を凝らす。気はますます透明になり、風の流れと一体化している。人の気配はほとんどしないが、誰かが稽古していることは間違いない。さくらは、稽古の邪魔をしないよう、中庭をそっと覗き込んだ。

(大神さん!)

 その人影は背を向けていたが、紛れも無く大神だった。

(二刀流?どの流派かしら。不思議な構え。でも、綺麗……)

 上段尖先構に似ているが、二本の木刀が交差するように構えられていないし、上段というほど振りかぶってもいない。両手を左右に水平に伸ばし、二本の木刀を全く同じ様に垂直に立てて構えている。両足をほとんど開かず、真っ直ぐに立つその姿は、武術の構えというより舞の型のようである。いつまでもじっとしていると見えたが、いつのまにか足を踏み出すと緩やかな動きで左右の木刀を繰り出し、流れるような足さばきで移動していく。

(ゆっくりした動きなのに、すごく力強い。内側からいくらでも力が溢れ出してくるみたい)

 自然に転身し、動きを止める大神。息を鎮め、そのまま木刀を下げる。顔を上げるとおもむろに、

「おはよう、さくらくん」

 と、落着いた挨拶を投げてきた。

「おっ、おはようございます」

 声を掛けられてさくらは慌てて挨拶を返す。一応、隠れていたつもりであったが、知らず知らず、身を乗り出していたことにようやく気付いた。

「すみません、大神さん。お稽古の邪魔だったでしょうか」

 近寄ってくる大神におずおずと尋ねる。

(そういえば、昨日から立ち聞きやら覗き見やら、はしたない真似ばかりしている気がするわ)

 いきなり自己嫌悪の情が湧き上ってくる。しかし、問われた大神の表情は屈託無かった。

「いいや、全然。無心に見ていてくれたから、全く気にならなかったよ。雑念の無い視線に、かえって心気が高まったくらいだ」

 笑顔で言われて、ほっとするさくら。自己嫌悪はたちどころに霧散してしまった。

「気付いてらしたんですね。恥ずかしい。でしたらもっと早く声を掛けてくださればいいのに」

 思わず、勝手な愚痴が出る。さくらは、大神に対してそれ程気の置けないものを感じていた。

「ははっ、ごめんごめん。熱心に見ていてくれたから、俺も思わず熱が入っちゃったよ」

 嘘である。型を途中で中断する訳にはいかなかっただけだ。しかし、こんな軽口が出るほど、大神もさくらに打ち解けていたし、さくらに対する思い遣りの台詞でもあった。

「最初の構え、見たことの無い型でしたけど、なんていうんですか」
「神道武双流の三柱の構えというんだ」
「しんとうむそうりゅう?」
「ああ、ほとんど俺の一族の間にしか伝わらない、無名の流派だよ。かつて新免宮本武蔵が武蔵野で修行をしたとき、先祖の一人が一緒に修行をしていて、武蔵と別れた後独自の工夫を加えて編み出したのが起源だということに一応なっているけど、どこまで本当なんだか。事実は怪しいものだと俺は思っているんだけどね」
「そんな」
「卑下している訳じゃないんだよ。起源がどうだろうと、全くの無名だろうと、技の優劣には関係ないからね。大切なのは、流派の優劣ではなく、遣い手の腕なんだから」

 字面だけ見ると、傲慢とも思える言い種だ。しかし大神の口調には、昂ぶったところはなく、静かな自信があるだけだった。ただ、自分を鍛えるのみ。そういう意志が透けて見える。

「本当に、そうですね」

 昨晩とは打って変わった、大神の前向きな姿がさくらはなんだか嬉しかった。

「大神さん、昨日の約束、憶えていますか?」
「もちろん。約束稽古でもしようか。まだ朝も早いから、寸止めでね」
「はい!」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「さくらくん、北辰一刀流なんだね。少し習っただけなんて言ってたけど、すごい腕じゃないか。皆伝といっても不思議はないよ」
「そんな、大神さんこそ」

 和気あいあいとした雰囲気で引き上げてくる二人。

「一つ質問があるんです」
「なんだい」
「あの三柱の構えなんですけど、単なる剣の型じゃありませんよね。どんな意味があるんですか」
「…驚いたな。見ていただけで、何かわかったのかい」
「ええ、なんとなく、ですけど。構えている大神さんの気勢がどんどん上がっていくのを感じました。それと、大神さんの体から、天地を貫いて伸びようとする柱が見えたような気がするんです」
「そこまで見えたのか」

 黙り込む大神。大神が口を開くのを待つさくら。

「まだ、俺も完全に修得した訳じゃない。だから、はっきりしたことは教えてあげられない。ただ、口伝によると、垂直に立て気力を込めた双刀を陰陽の柱に見立て、その中央に真っ直ぐ立ち心気を凝らす。そうすることで自らが陰陽の柱の中央に立つ、源の柱と同化し天地を貫く力を取り込むことが出来る、というんだけど」
「良くわかりませんけど、北辰一刀流で、天を守護する北斗の力を顕現する、という理想の境地と似たような考え方なんですね」
「そうだな、武術が武道になると、目指すところは天地、星辰の理との一体化になるのかもしれないね」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「今日は何時から公演なんだい」
「今日はお休みなんです」
「休みか…何をするかな」
「朝を済ませてから来月の舞台のお稽古をする予定なんです。よかったら、見に来てください」
「そうだね、考えておくよ」

 舞台、そう、ここは歌劇團の為の劇場なのだ。その事実に突き当たるたび、心が重く沈み込んでいく。失望がどうしても表情に出てしまう。そんな大神に少しだけ気遣わしげな視線を投げて、さくらはお辞儀して自分の部屋へ戻っていった。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 朝食を済ませ部屋に戻った大神は、今後のことを思案した。

(冷静に考えれば、俺がモギリだけで海軍から引き抜かれる筈はない。それに命令書には、帝都守備の為の秘密任務とはっきり書いてあった。やはり、もう一度米田中将にお話をうかがってみよう。帝都防衛の秘密部隊としての『帝国華撃團』は幻なのかどうかを)

 支配人室に行く前に、受付に行って、一応今日の予定を確認しておくことにする。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 途中、サロンでは、見るものにあでやかな印象を与えずにはおかない美しい少女が紅茶を飲んでいた。

(あれは確か)

「あら、おはようございます。大神少尉」
「おはようございます。すみれさん」
「…大神少尉、もっと普通に喋ってくださいな。少尉のような立派な殿方に、そのような丁寧な言葉づかいをされますと、わたくしの方が恐縮してしまいますもの。それとわたくしのことはすみれで結構です。そうですわ、わたくしもこれからは簡単に少尉と呼ばせていただきますから」
「そうですか…?それでは、おはよう、すみれくん」

 改めて言い直す大神にすみれは目を丸くした。

「おほほほほ。少尉は面白い方ですわねぇ。どうぞ、おかけになって。ただいまお茶をお入れいたしますから」

 何やら気に入られたようである。箸が転がっても可笑しい年頃というやつかもしれない。
 ありがたくご相伴にあずかることにした大神は、ぼんやりとした目付きですみれの手並みを眺めていた。

「さあ、どうぞ、少尉」
「ありがとう。ご馳走になるよ」

 出された紅茶を一口啜り、大神は遠慮がちに切り出した。

「すみれくん。君のことを教えてもらってもかまわないかな?」
「まぁ、少尉も意外と直截的な方なのですわね。よろしいですわよ。ご遠慮なくお尋ねくださいな」
「そうか。では遠慮なく…君の挙措動作は幼いころから礼法を徹底的に訓練されているもののように見える。茶道や華道、舞踊の家元や、華族の方々のように。君の姓は神崎だったね。もしかして、すみれくんは神崎男爵家のご息女じゃないか」
「…!、よくおわかりですわね。わたくしは神崎家の一人娘ですわ」
「神崎財閥のご令嬢がどうして劇場で生活しているんだい」
「おっしゃるとおり、わたくしが立つべき所は本来社交界の桧舞台であるはずなのですけど、神崎重工がここに協力している関係で、わたくしも帝劇の舞台をつとめさせていただいておりますの」
「?、機械・動力の会社が何故劇場に協力を?」
「それは…」

(……)

「今日はのんびりお休みかい?」

 唐突に話題を変える大神。

「…そうだといいのですけど。これから舞台でお稽古ですのよ。さくらさんとの踊りをもう一度じっくり練習する予定ですの」

 一瞬間を置いて、すみれも何食わぬ顔で大神に応えを返す。もちろんすみれには、口篭もった自分の様子に、大神が気を遣って話題を変えたことがわかっていた。

「楽しそうだね」
「本当は、お稽古やおさらいの類はあまり好きではありませんのよ。でも、スターに失敗はもっと似合いませんから。少尉もお時間がおありでしたら見に来て下さいな」
「ああ、そうするよ。じゃあ、ごちそうさま」
「どういたしまして」

(なかなか神経の行き届いた、感じのいいかたですわね。でも、何かしら。この不思議な霊気は。体の奥深いところを揺さぶられるような…)

 すみれの視線は無意識に大神を追いかけていた。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


(ここが、今の俺の仕事場だ)

 商品の整理をしていた椿に今日の予定を確認して、ロビーから玄関をぼんやり眺めていると、不意に後ろから声を掛けられた。

「少尉。どうしました。こんなところで」
「やあ、マリア…」

 黒衣の麗人、マリアである。

「……少尉、もしかしてここでの仕事がご不満なのではありませんか」
「不満、という風には思わないことにしている。どんな仕事だろうと、任務であるからにはおろそかにするつもりはない。ただ、正直なところ腑に落ちないのは否定できないな…」
「心中、お察しします。しかし、私は知っています。生き残る為に戦うしかない世界。喜びどころか、哀しむ心すら持てない。憎しみと絶望しかない、ただ生き延びているだけの日々。私はこの東京を、そんな心の凍りついた街にしたくありません。この劇場に足を運んだお客様が、笑ったり喜んだり、涙を流してくれることが私にはとてもすばらしいことだと思えます」
「マリア…俺には、感動を生み出すことは出来そうに無い。だからという訳じゃないが、俺は人々の笑ったり泣いたり、怒ったりする日常を守る仕事がしたいと思っていた。いや、今もそう思っているんだ…」
「そうですか」

 大神のこの言葉に、秀麗なだけのともすれば冷たい印象のあるマリアの表情が、心なしかほころんだ。

「花組の皆は、舞台で稽古をしています。少尉もよろしければ、見にいらしてください」
「わかった」

 マリアは軽く頭を下げ、舞台の方へ歩いていった。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 支配人室の扉を叩く。しかし、中から返事はなかった。隣の事務室に行って、米田の行く先を尋ねてみる。事務室では榊原由里という名の、洋装の女性が書類整理をしていた。大神と同年代の、すみれほどではないにしても華やかな印象の、なかなかの美貌だ。彼女も、朝から米田を見かけてないそうである。

(仕方ない、中将にお話をうかがうのは諦めて、皆の稽古でも見学することにするか)

 やることが無い状態のなんと落ち着かないものか。気付かぬままに溜息を重ねている大神だった。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「ここで回って、手を振り上げて、」
「さくらさん。足の運びが違いますわよ」

 舞台では、さくらとすみれが二人舞の練習をしているところだった。すみれがさくらに踊りを教えている、と言った方が正確なようである。木刀を持っての足捌きは流れるようなものだったのに、踊っている足元はなんとなくおぼつかないのが不思議でもあり、微笑ましくもある。

(華やかに見える舞台にも、裏ではこんな地道な日々の練習があるんだなあ)

「きゃあああ」

 ほのぼのした気分で眺めていた舞台上に突然の悲鳴。そして派手な地響きを立ててうつ伏せに倒れ込むすみれ。
 見ると、すみれの着物の裾をさくらがしっかり踏みつけている。

「あ、あらぁ、ごめんなさいぃ」

 慌ててさくらが謝る。と言うより、笑って誤魔化そうとしている。もちろん、そんなことで誤魔化されるわけも無いが。

「さっくらさん、人の着物の裾を踏みつけるなんて失礼じゃありませんこと!!!」

 先刻までの気品はどこへやら、起き上がったすみれは、まなじりを吊り上げてさくらに詰め寄った。もっとも、この方が年相応で可愛いじゃないか、というのは、傍観者たる大神の無責任な感想である。

「すみません」

 さすがにしおらしくあやまるさくら。しかし、ことはこれだけで収まらなかった。

「まったく、これだから田舎臭い人はいやですわ」

 ムッ

「粗野で、お下品で」

 ムカムカッ

 さくらの眼も、逆三角形に吊り上っていく。

「さあ、初めからいくわよ」

 言いたいことを言って気が晴れたのか、いつもの調子に戻ってすみれが舞台中央に向かう。つまり、さくらに背を向けて歩き出す。

 ツカッツカッ、ドン

「でぇえええ」

 ドタッ

 先程と全く同じように倒れ込むすみれ。再現フィルムのようにその裾にはさくらの足。ただ違うのは、わざと踏みつけたという点である。

「あ〜ら、ごめんあそばせ」

 口調にふさわしく、舌まで出している。

「―――このぉ」

 むくりとおき上がり肩を震わせながら振り向くすみれと、そっぽを向いているさくらの間に走る稲光の乱舞を、大神は確かに見たような気がした。

「さくらさん、口で言ってわからない人はこうよ!」
「なんのっ!」

 お互い手を振りかぶる。殺気と見紛うばかりの怒気。

(いかん!)

 パアァァァン

「ぐわっっ」

 打撃音に続く苦鳴、しかし、それはさくらのものでもすみれのものでもなかった。

「きゃあああ!大神さん、ごめんなさい!!」
「しょっ、少尉が何故ここに!?」

 派手な打撃音は、大神の頬から発せられていた。二人の間に大神が飛び込んだのだ。

「やめるんだ、二人とも」

 力強い声。真っ赤な手形を浮かび上がらせながらも、毅然とした表情、断固たる制止。実は気絶しそうなほどの衝撃を受けたのだが、男のやせ我慢というやつである。

「俺は、芝居のことは何も知らないし、稽古に口を出すつもりも無い。でも、劇団だってチームワークが大切なんだろう?喧嘩は、止めようよ」

 口調を穏やかなものに変えて二人を諭す。

「少尉…」
「お兄ちゃん…」
「……」

 頬を染めて大神を見るすみれとアイリス。無言のマリアも、大神に向ける視線にはこれまでと違うものが含まれている。

「…わかりました。すみませんでした、大神さん」

 さくらは、まともに反省しているようだ。少し悄然とした表情になっている。

「わかってくれればいんだ。じゃあ、俺はこれで」

 安心させるように、大神はさくらに笑いかける。そして、舞台袖を後にした。これ以上、さくらが気にかけないよう、自分がここにいない方がいいと思ったのだ。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


(大神さん、笑ってた。まだ、ご自分の気持ちも立ち直っていないはずなのに)

 少し寂しげな大神の後ろ姿。それを見ているうちに、気持ちが抑えきれなくなる。

(もう駄目。これ以上黙っているなんて出来ない)

「さくら!どこに行くの!?」

 呼び止めるマリアの声を振り切って、さくらは駆け出す。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


(さくらくん。君たちの舞台を自分で台無しにしてしまうような、勿体無いことをしてはいけないよ)

 さくら達には、自分の為の舞台を大事にして欲しかった。所在無い今の自分の立場。だから余計にそういう想いを抱くのかもしれない。

 タッタッタッタッタ

(…誰か追いかけてきたのか?)

「大神さん、待って下さい」
「さくらくん」

 振り向いた大神の沈んだ様子に、一瞬だけ声を詰まらせた。それでも、自分を鼓舞してさくらは話し掛ける。

「私の話を…聞いていただけますか」

 見る者の胸を打つ、ひたむきな表情。

「わかった、何の話だい」
「米田司令は、大神さんがこられる前にこうおっしゃいました」

(…………)

「花組の隊長は、普通の軍人にはできない。いや、させてはいけない」

(………)

「人の命を勝利の為に犠牲にするような戦いを繰り返してはならない」

(……)

「だから花組の隊長をつとめる人は、花組を、この劇場を、…そしてここでの暮らしを」

(…)

「愛してくれる人でなければ駄目なんだ、って」
「………」
「だから米田司令は、大神さんにわざとモギリの仕事なんかを言い付けたんです」
「そうだったのか…」
「大神さん。私からもお願いがあります」
「……」
「この劇場を、私達花組を……好きになってください!」
「!」
「そして私達の隊長として一緒に戦ってください!!」

 ひたむきに訴えかけるさくら。懸命な口調、真剣な眼差し。心からの願い。大神の心を打つさくらの真心。疑問の全てが氷解した訳ではない。しかし、そのほとんどは最早どうでも良かった。自分が必要とされていると信じる事ができた。それだけで、心が力を取り戻していくのを感じた。それでも、一つだけ大神には訊きたいことがあった。

「戦うって…何と?」
「それは…」

 わずかに躊躇を見せるさくら。しかし、すぐに決心したように顔を上げる。
 その時

 ビーッ、ビーッ、ビーッ

「なんだ、この警報は?」
「大神さん、出動です!」
「えっ!?」
「帝国華撃團、出動です。行きましょう!」
「わかった!」

 もちろん、大神にはどういうことだか全くわからない。それでも、『出動』と聞いてぐずぐずしたりはしない。すぐにさくらについて走り出す。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 支配人室横の宿直室に入る。さらにその押し入れを開けると、この劇場には無いはずの地下へと続く階段があった。

(これは…いや、質問は後回しだ)

 地下は、上とは打って変わって、実用一点張りの作りになっている。大神には馴染みの、軍事施設の様式だ。

「大神さん、こちらの更衣室に大神さんの戦闘服が用意してあります」

 大神にそう言うと、さくらも別の部屋に駆け込んでいく。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 見たことも無い戦闘服に着替えて更衣室を出ると、ほぼ同時にさくらも駆け込んだ部屋から出てきた。どうやら、各人専用の更衣室らしい。

「こっちです」

 更に奥へと走る。



その4



「帝国華撃團・花組、集合しました」

 マリアが米田に向かい申告する。

 さくらの後について入った部屋には、軍服を着用した米田の姿があった。ほとんど間を置かず、マリア、すみれ、アイリスがやはりさくらと色違いの戦闘服に着替えて入って来た。マリアを筆頭に四人は米田の前に整列、おもむろに立ち上がった米田に先のマリアの台詞である。

「君たちのその姿は…」

 マリアやさくらの戦闘服姿には違和感を感じない大神だったが、すみれ、それにアイリスまでが戦装束に身を包んでいるのには、意外の感を禁じ得ない。

「大神、歌劇団はお休みだ。帝国華撃團は本来の任務に戻ったのだ。おまえを騙すような真似をしてすまなかった。私は、おまえが秘密部隊の隊長として適任かどうか、試したかったのだ」
「では、彼女たちが帝都防衛秘密部隊、帝国華撃團・花組。そして私の任務はその隊長ということですね!?」
「そうだ」

 込み上げてくる感情の波に耐えるように問いかけた大神だったが、すぐに気持ちを職業軍人のものに切り換えた。

「閣下、出動の目的をご指示下さい。我々の敵は何なのですか」
「うむ、おまえも噂ぐらいは聞いているだろう。魔装機兵と呼ばれる機械兵を操り帝都に破壊活動を企てる謎の組織、その名を黒之巣会と言う」
「くろのすかい…」
「さくらはねー、東京に出てきた日に、上野公園で魔装機兵をやっつけちゃったんだよ」
「アイリス。そのことは秘密だって言ったでしょ」

 アイリスがニコニコしながら、さくらが照れ笑いしながら口を挟む。

「では、怪物を倒した少女と言うのはさくらくんだったのか!?」
「そうだ」

 答えを引き取ったのは米田だ。

「だが、魔装機兵相手に生身の体では限界がある。そこでだ。我々にも強力な兵器がある。地下格納庫に案内しよう」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「これが帝国華撃團が誇る秘密兵器、霊子甲冑『光武』だ」
「りょうし…かっちゅう?」

(人型蒸気に似ているが、背面の機関部が異様に大きい…何だ?)

 大神の疑問に米田が答える。

「霊子機関併用人型蒸気、霊力の強い者だけが動かすことの出来る、乗る人間の霊力を鎧とし、刃とする対魔用機動兵器だ」
「霊力!?」
「そうだ。その力を備えた者が彼女たち花組の隊員であり、そしておまえという訳だ」
「霊力を備えるが故に…ですか」

 わずかに顔を曇らせつぶやく大神。だが、すぐに表情を消して必要なことを尋ねる。

「見たところ人型蒸気と似ていますが、操縦方法に違いはあるのでしょうか」
「操作だけなら同じだ。搭乗者の霊力が霊子機関で動力・攻撃力・防御力に変換される」
「霊力といわれましても、私には使い方がわかりませんが」
「気力を込めるのだ。剣を振るうときのように、最後の一発の弾丸を撃つときのように」
「!、わかりました!」
「おまえの光武は白いやつだ。乗ってみるがいい」
「はっ!」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


(なるほど、気力を高めることで初めて動かせるということか)

 光武に搭乗した大神に、通信機から米田の指令が届く。

「黒之巣会の出現地点は上野公園だ。現地へは弾丸列車で向かえ」
「任務、了解しました」
「アイリスの光武はまだ無いからお留守番してるけど、お兄ちゃん頑張ってね」

 米田の横から、アイリスの可愛い激励。

「大神さん、出動命令を」

 さくらからも通信が入る。花組全員、搭乗完了したようだ。

「よし、帝国華撃團、出撃せよ!」
「了解」「了解」「了解」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 強烈な慣性に体を軋ませ、弾丸列車は瞬く間に上野駅脇に偽装して設けられた出撃施設に到着。そこから蒸気カタパルトにより上野公園へ射出。海軍の人型蒸気による上陸強襲手順と同じだ。作戦後に聞いたところではこのような出撃施設が帝都の各所に設置されているらしい。
 煙幕を張りつつ着地。狙い過たず、敵は目の前だ。

「帝国華撃團、参上!!」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 10体余りの機械兵、即ち魔装機兵と、四つの妖しい気配を放つ人の形を取るもの。大神の前に立ちはだかる敵の姿。

「帝国華撃團とな?」
「面白い、ここは私が」

 四つの人影の内、侍風の風体をした男を残して、他の妖人は人外の手段によって姿を消した。

「私は黒之巣四天王の一人、黒き叉丹。華撃團よ、おまえ達の実力、どれほどのものか見せてもらおう」

 黒き叉丹と名乗った者は、地の底より、新たな魔装機兵を呼び出し、その内へと溶け込んでいった。いや、その姿は魔装機兵というより、霊子甲冑に近い。

(魔の霊子甲冑!?)

「大神少尉。あれが我々の敵、黒之巣会です」

 マリアの冷静な声が通信機より聞こえる。声は冷静だが、この様に言わずもがなの事をわざわざ口にするのは、やはり敵を眼前にして、緊張しているのであろう。

「指揮官機は『神威』と呼ばれるものに照合します。それ以外の機体は、『脇侍』と呼ばれる機体の中でも下位の『足軽』と呼ばれるものです。残念ながら、詳しい機体性能に関する記録はありません」

 諜報部隊の報告からマリアが情報を引き出す。

「了解した。ひとまず、足軽を掃討する。俺が先頭に立つ。さくらくんは右翼、すみれくんは左翼、マリアは後方より敵を狙撃してくれ」
「了解」

(機体を見ただけで攻撃特性がわかるとは、とりあえず流石ね)

 マリアは内心意外に思った。士官学校出立ての新任少尉ということだったので、実戦の指揮能力は怪しい物だと思っていたのである。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「これより指揮官機を集中攻撃せよ」

 思いのほか迅速に足軽の掃討は完了した。大神の戦闘能力は光武で訓練を積んだ他の三人を凌駕するといっても過言ではなく、戦闘指揮は的確で、常にこちらが多数になるよう巧妙に敵味方を誘導していた。しかし、それ以上に三人は自分の機体がいつもより高い性能を発揮しているのをいぶかしく感じていた。

(どうしてかしら、いつもより思い通りに動いてくれるような気がするわ)
(いつになく機体の動きが軽いような気がしますわ)
(運動能力、攻撃力が上がっている…?)

 足軽を倒しながら、思ったより手応えが無い事をさくら、すみれ、マリア三人が三様に感じ取っていた。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「やるではないか。私自ら相手をしてくれよう」

 指揮官機、魔霊甲冑神威が動き出す。大神は隊形を整えると、自ら先陣を切って神威に切りかかった。

「闘ぅ!」
「死ねえぇぇ!」

 光武の双刀と神威の大刀が噛み合い、火花を散らす。剣勢は全く互角。しかし、神威は光武より二回りは大きい。その質量差の分、大神は押された。

「!」

 しかし、体勢を崩したのは神威の方である。大神は巧みに光武を円周運動させ、双刀の利点を生かして横薙ぎに神威の大刀をいなしたのだ。

「もらった!」

 蹈鞴を踏む神威は大神機の斜め後方に控えるさくら機の前へ無防備な姿を晒す。ここぞとばかりに切りかかるさくら。

 バチッッ

 しかし、光武の刃は神威の装甲を切り裂くことが出来なかった。いや、装甲に接触する寸前で火花を上げている。足軽とは桁違いの防御力、そして黒き叉丹の妖力はさくら達の想像を大きく上回っていた。
 太刀をはじかれて逆に体勢を崩すさくらの機体。そこに神威が切りかかる。慌ててすみれが長刀を差し伸べようとするが到底間合いが届かず、マリアの光武からは丁度さくらの機体の陰になっていて狙撃できない。

「さくらくん!!」

 さくらの頭上に迫る、神威の凶刃。さくら機は回避できる体勢にない。

(さくらくん、君をやらせはしない!)

 さくらの前に飛び込もうとする大神。
 その時、大神からさくらの光武に光が放たれた。さくら機の霊子機関に流れ込む大神の霊力。さくらの霊子力場の上に大神の霊子力場が形成される。
 二体の光武を同時稼動させて余りある大神の霊力が、二体の光武上で同時に展開されたのだ!さくら機に重なって大神機の姿が投影される。二つの大神機が共鳴する。

(大神さん…)

 さくらは、大神の気配に包まれるのを感じた。男の腕に抱かれたことの無いさくらにはわからなかったが、それはまさに大神に抱きしめられている感覚だった。

 ギンッ

 大神機の幻影が神威の大刀を受け止める。同時に敵刃を受け止めるように掲げられた大神機の双刀から上がる火花。だが、大神機にも、そして大神機の幻影が消えた後に残されたさくら機にも損傷はなかった。

「ありがとうございます!!」

 何が起こったのか、そこにいる誰にもわからなかった。だがさくらには、大神が自分のことを守ってくれた、そのことだけが直感的に理解できた。

「さくらくん、今だ」
「はい!」

(大神さん!)

「破邪剣征・桜花放神!!」

 心の叫びとともに、最大出力の霊気を刃に乗せて放つ。全ての邪悪を薙ぎ倒し、その一途な心の如くどこまでも一直線に吹き抜ける清なる嵐。父から伝授された真宮寺の秘剣、幼き故に習得の叶わなかった奥義が、大神の一言に後押しされ遂にさくらの手から繰り出される。

「ぐおぉぉ」

 黒き叉丹の苦悶の声とともに神威の妖力場が吹き散らされる。

「すみれくん!」
「お任せ下さい!」

 すみれ機の長刀が流麗な弧を描く。同時に、紅蓮の炎の幻影が世界を朱に染める。魔にあらざる者を決して焼くことのない、浄化の炎。華麗な真紅の舞が神威に叩き付けられる。

「うおぉぉぉ」
「神崎風塵流・胡蝶の舞」

 誇らしげに技の名前を告げるすみれ。しかし、内心驚愕していた。胡蝶の舞は本来単なる八方振りであり、炎を発することなどこれまでに無かったのだ。

(これは光武の力ですの?それとも…)

「マリア、行け!」
「スネグーラチカ!」

 マリアの光武から全ての罪を凍り付かせる様な、凍てついた輝きが放たれる。如何なる魔性をも氷の中に封印する、裁きの檻を生み出すかの如き峻厳なる一撃。

「ぐあぁぁぁ」

 マリアには、自分にこのようなことが可能だという意識はなかった。ただ、乱舞する雪の精霊の姿を幻視しただけである。必殺の気迫とともに、目の前に浮かんだ氷結の天使の姿をそのままに叫んだに過ぎない。

(何故こんなことが…)

「狼虎滅却・快刀乱麻!!!」

 すかさず大神渾身の一撃が魔霊甲冑を粉砕する。天より降り来る、神の怒りの如き雷を纏った斬魔の刃。

 爆!

 ついに神威が四散する。しかしその時、いずこからか妖々と響き渡る怪しの声。

「華撃團よ、いずれ決着をつけよう」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「…以上が今回の戦闘経過、並びに戦果です。敵指揮官は取り逃がしましたが、魔装機兵の迅速な殲滅、花組の損害ほぼ零。まずまずの結果だと言えます。初陣の指揮としては合格点を出して差し支えないでしょう」
「確かにな。まずは、期待通りの働きだ」

 大帝国劇場地下司令室の更に下層に位置する、戦闘指揮所、としか言いようの無い部屋。まるで戦艦内部のようなその部屋で、あやめが米田に報告書を読み上げていた。

「それから、敵指揮官機との戦闘中、大神少尉が起こした、特異な現象についてですが…」
「……」
「霊子技術者の推測では、大神少尉がさくらの霊子力場に干渉、これを土台とし、その上に自機の防御力場を複製したものではないか、との事です」
「……」
「形成された場の力を一気に解放する事で敵の攻撃を無力化した、と分析しています」
「すると、大神は他人の霊力を高めるだけでなく、操る事も出来る…ということか?」
「操るというより、自分の術に組み込むといった方が適切だと分析を担当した者は言っていました」

 つまり、あやめも同じ質問をしたという事だ。

「…それが事実とすれば、危険過ぎる能力だ。もし、さくらだけなく、誰の霊力でも、また一人だけでなく多人数の霊力をも取り込めるとすれば…」
「天変地異を起こす事も可能でしょう。彼がそのような魔術を身につけたなら」
「霊子甲冑は搭乗するものの霊的な能力を引き出し、霊的技術を成長させるもの。誰から教わらなくとも、独力で術を身につける可能性もある」
「……」
「あやめくん、月組に大神の素性を洗わせてくれ。家系、血筋について詳細に調査させるのだ」
「はっ」
「それから、花屋敷支部より、銀座本部への転属を命ずる。帝国華撃團副指令の任務とともに大神の監視に当たってもらいたい」
「…わかりました」
「破邪の血脈の力を取り込むとはな。俺達は帝都にとって、最大の脅威を育て上げようとしているのかもしれん…」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「さくらくん、ここだ」
「大神さん」

 桜舞散る上野公園。桜の木の下に佇む大神。それだけならなかなか絵になる景色だが、十人は座れそうな大きな茣蓙の上に陣取っているのが、何をしているのか雄弁に物語り少々情けない。一方、桜吹雪の中を笑顔で駆け寄るさくら。こちらはとても絵になる姿だ。やはり、それだけなら。しかし、両手に余る風呂敷包みを抱えて息を切らしているのには、せっかくの風情も台無しだ。そう、二人は花見の準備に駆り出されているのである。

「ご苦労様、重かったろう」
「私、こう見えても結構力持ちなんですよ。大神さんこそ、朝から何も召し上がってないんでしょう?」
「ははっ。まあ、訓練中はよくあることだから。でも、正直言って腹が減ってるよ。君だから言えることだけどね」
「うふふっ、そう思って、お弁当作ってきたんです。みんなが来るまでにはまだ時間がありますから、とりあえずこれでつないでおいて下さい」
「ありがとう!わあっ、うまそうだな」
「そうですか!?ありがとうございます」
「うん、こりゃうまいや」
「えへへっ…」

 和気あいあいたる、本当にほのぼのとしたいい雰囲気の二人。その身に備わる霊力故に、魔性の者と死闘を繰り広げる運命(さだめ)を背負う者とは到底思えない。

「大神さん…ここで初陣だったなんて、なんだか複雑な気分ですね」

 何やらもじもじしながら、さくらが話し掛けてくる。

「えっ、何で?」
「…なんでもありません!」

 気の無い大神の返事に、たちまちふくれてプイッと横を向くさくら。

(可愛いな。こういうところはまだまだ少女だ)

「君と初めて会ったのもここだったからね」

 優しい目で微笑みながら、大神はさくらに答えた。

「!」

 途端にさくらが頬を赤らめる。

「そっ、そうですね。初めて出会った所で初めて一緒に戦ったなんて、…運命かな」

 最後の方は消え入りそうなつぶやきだったが、何故か大神の耳にはしっかり届いた。

(まいったな、さくらくんは時々大胆なことを言う)

 自分では冷静でいるつもりでそんなことを考えていたが、、実際には自分も赤面して何も言えなくなっていた大神であった。


――続く――
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