魔闘サクラ大戦 第二話
その1



 薄暗い地の底の祭壇、人を押し潰す程の質量を持つ闇を怪しく揺らめく蝋燭の明かりがかろうじて押し返している。
 そこに一つの年老いた影が浮かんでいる。その身に纏う錦の法衣は位の高い僧であることを示している。しかし、その気配のなんと凶々しいことか。身を包む邪悪な相はその者が決して仏に仕える心の持ち主ではありえないことを物語っている。
 邪なる僧形の影は闇に向かい唱えた。

「出でよ、黒之巣四天王」

 その命に応えるがごとく、闇の中に鬼火が浮かぶ。

「紅のミロク、ただいまここに」

 鬼火の背後より浮かび上がる花魁装束の女。客観的に見れば美しいのであろう。しかし、あまりに濃密な妖気が美しさより魔性を強く印象づける。魔性の美しさ、ではなく美しさを装う魔性である。
 鬼火の消えた薄闇の中から、小柄な影が浮かび上がる。小柄な影はコマ落しのように現れては消え、消えては現れ、祭壇へと近づいてくる。

「蒼き刹那、ここに」

 ガガガガガ

 刹那と名乗る小柄な影が足場にした岩が、その姿が消えた直後巨大な動力鋸に破砕された。それを為したのは巨大な人影。形こそ人のものだが、その姿から受ける印象は怪物としか言いようが無い。

「うおぉぉぉ、白銀の羅刹!」

 巨大な怪物が名乗りをあげる。
 突如、闇が妖しの火に包まれた。妖火を背景に立つ者は、青い衣の侍風の男。そこに現れた者のうち、もっとも人間らしく、もっとも人間離れした雰囲気を放っている。

「黒き叉丹」

 現れた四つの妖しき影は僧形の者の前に跪き、声を合わせた。

「我ら黒之巣四天王、天海様の命によりここに見参」

 紅のミロクが進み出る。

「四天王、ここに揃いました」
「ご用でございますか」

 かぶせる様に言葉を続けたのは蒼き刹那。

「たわけ、あのざまは何じゃ!」
「はっ、帝国華撃團なる謎の組織が邪魔立てを致しまして…」

 天海の叱責に言葉を濁す刹那。

「言い訳は無用じゃ!」
「申し訳ありません、天海様」

 天海の怒気を宥めるが如く口を挟んだのは意外にも白銀の羅刹だ。

「だが、あいつらは結構やります」
「黙れ、叉丹!我らは常に無敵」

 叉丹だけが他の三人と微妙に態度が違う。天海の怒りに頓着せず、自分の思う通りのことを口にしているようだ。

「我、帝都の固い結界を破る法術を編み出したり。これ、『六破星降魔陣』なり」

 天海もそれ以上叉丹を追求せず、どうやら本題に入った。天海にも、他の三人に対するものとは別の思いがあるようだ。

「この法術を完成させ、帝都を完全に破壊いたせ。その第一の標的は、芝公園じゃ」
「はっ」

 ミロクが任務を引き受けるべく進み出る。

「待て」

 しかし、天海は意味ありげな視線を叉丹に投げてミロクを制した。

「此の度は、わしが出よう。わしの戦いも見たいであろう。のう、叉丹」
「はい…」

 闇が再び祭壇を覆って行く中、天海と叉丹の間に微妙な空気が流れた。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


(もうすぐ開演か。しかし、俺もモギリに慣らされてしまったな…)

 心中溜息をつくのは、元帝国海軍にして、帝都防衛秘密部隊・帝国華撃團隊長、大神一郎少尉である。司令にして支配人たる米田の言う『隊長としての適性試験』が終わった後も、大帝国劇場での大神の待遇は変わらなかった。つまり、5月になってもあいも変わらずモギリと書類整理に追い回される日々という訳だ。

「少尉、お疲れさまですわ」
「やあ、すみれくん。どうしたんだい」

 声を掛けてきたのは、十人が十人ともその視線を奪われるであろう、華麗な美しさをふりまいている少女だった。

「あら、どうしたとはご挨拶ですわね。お疲れの少尉を労いに来たに決まっているじゃありませんか」
「そっ、そうかい。あっありがとう」
「ほほほほっ」

(…またからかわれたのか?)

 どういう訳かすみれは大神を気に入ったらしく、よくからかっては喜んでいる。多分、年甲斐もない大神の純情な反応が面白いのだろう。

「実は今日新入りさんが来ることになっていますの。そろそろ舞台の時間なので様子を見に参りましたのですが…まだ着いていないようですわね」
「新入り…?花組に新入隊員が来るのか?」
「ええっ、そうですわ。李紅蘭という名前ですの。もっとも、新人といっても以前少しだけここにいたことがあるんです。機械いじりが得意だったので花屋敷に移って行ったんですけど、またこちらに戻ってくることになったのですわ」
「………」
「どうしたんですの、黙り込んだりして」

 考え込む大神に、不満気にすみれが話し掛けた。

「ああ、ごめんごめん。少し、考え事をしていた」
「わたくしをほったらかしにして一人で考えにふけるなんて、よほど重要なことなのですわね」

 拗ねたように言うすみれ。

「いっ、いやその、新しく来る人は、どんな能力の持主なのかと思ってさ」

 慌てて説明する大神。正直なだけで少しも機嫌を取っていることにはならないのだが、いかにもこの不器用な青年らしい。

「少尉も隊長らしくなってきたじゃありませんか」

 もちろん、拗ねたふりをみせただけなので、すみれは気を悪くしたりはしない。むしろ、頼もしげな色が視線にこもる。

「あらっ、こんな時間。少尉、わたくし舞台の準備がありますから、これで失礼いたしますわ」

(華撃團に新しい戦力が加わるということか。『李紅蘭』…シナの人のようだがどんな力を持った隊員だろう)

 すみれが去った後も、大神は「新入り」について考えていた。新戦力がやはり女性らしいということはもはや気にしていなかった。それ程、華撃團に適応させられてしまっていた…

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「きゃーーー!」

 ドォン

(何事だ!?)

 いきなりおもてに響き渡る悲鳴とそれをかき消す轟音、足元を揺らす振動に、大神は何事が起きたかと玄関へ飛び出す。
 そこには、帝劇の玄関脇の壁に激突し横倒しになったまま大量の煤を吹き上げている蒸気バイクと、そこから投げ出されたと思われる赤い服を着た少女が起き上がるところだった。その少女は長い髪を三つ編みにし丸い大きな眼鏡を掛けており、身に纏う赤い服はどうやらチャイナドレスのようである。髪といわず顔といわず全身あちこちに煤がこびりついている為はっきりとはわからないが、なかなか愛敬のある顔立ちをしているようだ。

(チャイナドレス?もしかしてこの娘が李紅蘭か?)

「あっ、紅蘭さん!?」

 遅れて駆け出してきた椿が、その少女を見るなり驚き交じりの声を掛ける。

「ああ、椿はん。またお世話になります。よろしゅうたのむで」

(…えっ?…)

 チャイナドレスの少女の口から出た言葉は、たどたどしい日本語、ではなく、なんと流暢かつどこか奇妙な関西弁もどきであった。

(何で関西弁…?)

 しかし、呆然としたのは一瞬のこと、大神は紅蘭の方へ駆け寄りすぐ横にしゃがみこむ。

「大丈夫ですか、どこか痛いところは?」
「あっ、大丈夫です。こんくらい、うち慣れてますから」

「見たところ怪我はないようですね。立てますか」

(あれだけの激突で怪我が無いはずはないが。花組の隊員なら、霊力で身を守ったのか?)

 訝しく思った大神だったが、見えるところに怪我が無いことを確認すると紅蘭に手を差し出した。

「!、これはえらいすんまへん。…椿はん、こちらの方は?」

 大神の手を借りて立ち上がりながら椿に尋ねる紅蘭。

「大神一郎です。詳しい話は中で…」

 答えを引き取り、大神は紅蘭を中に誘う。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「元帝国海軍少尉大神一郎です。今は花組の、まあ隊長見習いというところかな」

 受付の横で紅蘭に濡れ手拭いを渡して、大神は改めて自己紹介をした。

「ほな、うちらの上官やね」

 立ち上がり姿勢を正す紅蘭。

「花屋敷支部より銀座本部に転属になりました李紅蘭です」

 真面目な顔で申告した後、

「よろしゅう」

 と、茶目っ気たっぷりのお辞儀。愛敬に溢れる笑顔。

「こちらこそよろしく」

 同じく笑顔を返す大神。

(なんや、感じのええ人やなあ。親切やし)

「大神少尉、米田中将閣下へお取り次ぎ願いたいんですが」
「いいよ、でもその前に煤を落としてしまった方がいいんじゃないかな。それといつも通り喋ってくれてかまわないから」

 どこか不自然な紅蘭の敬語に、緊張をほぐすように気軽な言葉づかいを選びながら大神は応えた。

「親切やねぇ、大神少尉は」
「ははっ、洗面所はこっちだ」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 支配人室前。通りかかった紅蘭を見た由里に事務室から声を掛けられ、ひとしきりお喋りが続いた後(二人は帝撃の同期ということだ)、ようやく支配人室に辿り着いたところだ。

「米田支配人にお会いするのも久しぶりやなぁ。きっと待ちくたびれてはるで。大神はん、早よ入りまひょ」

 いつのまにか『大神少尉』が『大神はん』になっている。別段大神も何も言わない。

 コンコン

「どぉおぞぉ」
「大神、入ります」

 相変わらずの飲んだくれの声。そう、呼び方なぞ気にしていては、きりがない所なのだ、この帝撃という所は。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「李紅蘭、ただいま戻りました」
「おう、紅蘭か、よく来たな。花屋敷にはずいぶん未練もあったろう」
「いえ、うちは機械がいじれればどこでもかまいまへんのや。それに隊長はんも親切やし」
「ほう、大神。おめえなかなか手が早えな。さくらがやきもちやくぜ〜」
「よ、米田中将!」

(何でここでさくらくんが出てくるんだ?)

「だあーはっはっは。細かい説明はマリアにさせるから、おめえは紅蘭を部屋まで案内してやってくれ。それが終わったら、事務局でかすみくんの手伝いだ」

 慌てふためく大神に大笑いして、米田は大神に案内役を言いつけた。

「…わかりました」
「ほな、大神はん、よろしゅうに」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


(次はかすみくんの手伝いか。やれやれ)

 紅蘭を部屋まで送って行き、丁度居合わせたマリアに後を委ねて、事務室に向かう大神。

(!?)

 その時、突然視界がふさがれた。

「だあ〜れだ?」

 そう、誰かが目隠しをしたのである。この手のいたずらを仕掛けてくるのは、いつもはアイリスなのだが、手の大きさが違うし、いくら声を変えてもその雰囲気は間違えようも無かった。

「さくらくんだね」
「ふふっ、わかっちゃいました?」

 手をどけて振り向く大神。さくらくんがこんなことをするなんて珍しいね、と言うつもりで口を開きかけたところで大神は固まってしまった。
 長い艶やかな髪を細かな三つ編みにして、左右に垂らしている。襟の大きく開いたシンプルな白いブラウスと赤の鮮やかなスカート。洋風の装いがほっそりした体にとても良く似合っている。いつも見慣れた大和撫子の装いとはまた違った種類の可憐な魅力に、ただ見とれるばかりだ。
 大神の視線に気付いたさくらは赤くなりながら尋ねる。

「私、フランスの街娘の役なんです。…この衣装、似合ってますか?」
「良く似合っているよ!可愛いじゃないか!」

 不必要に意気込んで答える大神。

「そうですか!?ありがとうございます!」

 さくらも誉められて素直に喜んでいる。とても嬉しそうだ。しかし、少々不自然にはしゃいでいる様な気がする。

(何かわざとらしいな…それにさくらくんらしからぬ悪ふざけ…そう言えば)

「いよいよ初日だね」
「えっ、ええ」
「大丈夫。君ならうまくやれるよ。いや、いきなり上手には演じられなくても、君の一所懸命は必ずお客さんに伝わるよ」
「!、…大神さん…ありがとうございます」

 一瞬、目を見張る。まさか自分が初舞台の不安に震えていることが大神に伝わるとは思っていなかった。ようやく言葉を紡ぎ出したさくらは、心なしか目を潤ませている。

「私、緊張していたんです。もう、逃げ出したいくらい。でも、大神さんとお話して、大神さんに励ましていただいて、勇気が出てきました。もう大丈夫です」
「よかった。俺には応援することしか出来ないけど、さくらくん、がんばれよ」
「はいっ。…大神さんとお話できて、ほんとに良かったです」

 頬を染めて、恥じらいながらも真っ直ぐ大神を見る。どこまでも真っ直ぐな、いつものさくらだ。

「じゃ、じゃあ大神さん、私、舞台に戻りますので。私、がんばります!」

 照れ隠しのように力強く言って、舞台へと走り出すさくら。その後ろ姿には見ているだけで清々しい気持ちになってくる様な直向きさがある。

(がんばれよ、さくらくん)

 実のところ、帝国華撃團の真実を知った後でも、大神は、少女達には手を血に染めるより舞台の上で輝いている方が似つかわしいと思っていた。その為に役に立てることが、自分の中で戦うことと同じ様に貴重なものになってきていることを感じ始めていた。そのことに戸惑いつつも、決して堕落だと否定してしまったりはしなかった。このあたり、大神という青年は特異な精神構造の持主と言えるかもしれない。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「やあ、手伝いに来たよ」

 大帝国劇場事務室。大神の声に顔を上げるかすみと由里の二人。

「今日は何をすれば言いのかな」

 この二週間、大神はこの二人に散々こき使われてきた。だが、今も嫌そうな顔は見せない。二人ともいつも忙しそうにしている姿を間近で見てもいたので、不平を鳴らすのはやめようと決めている大神だった。

「ええ、伝票整理をお願いしたいんですが」
「わかった。お安い御用だ」

 いつものことだ。しかし、今日はいつもと勝手が違っていた。

「よかったー、これで心置きなく帰れるわ!」

 由里が手を叩いて喜ぶ。

「…え?」

 当然大神には事態が理解できない。

「私たち、今日は早番なんです。支配人が伝票整理は大神さんにお任せするようにって…」

 無情なかすみの言葉。

「そ、そんな…」
「それじゃあ大神さん、お願いしますね〜」

 かすみ以上に無情な由里の挨拶。

「ちょっ、ちょっと」

 だが二人は大神の制止など気付きもせずに事務室を後にした。

(こんなのありか…?)

 あまりの理不尽に大神はしばしの思考停止に陥ってしまう。

「俺は本当に帝国華撃團・花組の隊長なのか?実は大帝国劇場の雑用係が本職で、戦うのはついでだと思われているんじゃないのか…」

 自覚の無いままにぶつぶつと愚痴をこぼしている。

(最近、自分の立場に自信が無くなってきたなぁ…)




その2



 大帝国劇場5月公演『愛ゆえに』初日。大喝采のうちに幕を閉じ、今は静まり返った夜の劇場。そこを一人の男が歩き回っていた。

(よし、戸締まりも異常無し、厨房の火も確認済み、と)

 大帝国劇場事務次長、しかしてその実態は、モギリ係兼、書類整理係兼、夜間見回係兼、その他諸々雑用係。そして時に秘密部隊、帝国華撃團・花組隊長に早変わりする元帝国海軍少尉大神一郎その人である。

(違う!!そんな卑屈なことでどうする。しっかりしろ、大神一郎!)

 思わず湧き上る後ろ向きな自嘲の念に、自分を叱咤する大神であった。

(いかん…疲れているのか。今日は忙しかったからなぁ)

 公演初日の目の回るようなモギリに加えて、いつもの三人分の伝票整理である。それに加えて、ついさっきまで紅蘭・さくら・すみれの四人で花札をしていたのである。

(まあ、紅蘭もすぐ溶け込めたようで何よりだ)

 厨房を後にして舞台の方へ向かう。

(衣装部屋、楽屋と…異常はないな。舞台は、と。あれっ?)

 舞台の上に人影一つ。

「ここで走り寄って…えーと、次の台詞は…」

 薄紅色の小袖、緋の袴、大きな赤いリボン。いつもの格好をしたさくらである。先程まで紅蘭の花札につきあっていて、遅くなったので部屋に戻ったはずだったが。

(こんな時間に一人で稽古しているのか!?)

 一旦部屋に戻ったものの神経が昂ぶって眠れずに、舞台に練習に来たらしい。

(決して、これでいいなんて満足することは無いんだろうな。頑張り屋のさくらくんらしい)

 大神の視線にも気付かず、さくらは稽古に熱中している。

(夢中だな、さくらくん。ここは、声を掛けない方がよさそうだ)

 大神は、物音を立てぬ様舞台袖から立ち去った。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 宿直室の隠し階段から地下へ降りる。大帝国劇場から帝国華撃團本部へ。
 地下の華撃團本部は24時間、最低限の要員は詰めているので、地上の劇場のように見回りは必要ない。それでも、大神は一通り自分の目で見て回ることにしている。若造に過ぎぬ自分が隊長としての務めを果たす為には、考え付く限りのことを全てやらなければならないと思っていた。
 まず、地下格納庫へ。自分達の剣であり、鎧である光武を格納し、整備する所。この時間、整備要員はもういない。はずであったが…。

「紅蘭!?こんな時間に何をしているんだ?」

 そう、そこには紅蘭がいたのである。

「大神はんこそ、どうしたん?こんなとこに」
「俺は夜の見回りさ。紅蘭は?」
「決まっとるやろ。うちのかわいい光武を見にきたんや」
「KAWAII…?」

 紅蘭の台詞の意味が飲み込めない大神。

「そうや、良く出来た機械にはうち愛情をおぼえますねん」

(かわいい…ね)

「それにしても懐かしいなぁ。光武を作ってた時のことを思い出すで」

 これには大神も度肝を抜かれた。

「ええっ!光武は紅蘭が作ったのか?」

 だが、紅蘭は笑って手を振る。

「違う違う、うちらは言わば組み立てだけや。設計図はとおの昔に出来とった」

(なんだ。いや、それでもすごい…)

「それは誰が書いたんだろう」

 当然の疑問である。しかし、答えは意外なものだった。

「知らん、でもいっぺん会ってみたかったな。あれはほんま、天才の仕事やで」
「ふーん」

(帝撃の協力者じゃないのか?秘密兵器の設計者を手放すはずはないんだが…)

 大神の疑念には気付かず、紅蘭は技術的な事に没頭している。

「そもそも霊子甲冑いうんは、霊子機関搭載人型蒸気としてアメリカで考案されたものなんや」
「搭載?併用じゃないのか」
「そうや。機体を制御する力は蒸気機関で賄い、霊子機関で魔術的なものにたいする攻撃、防御の力を生み出す。いってみれば、蒸気機関と霊子機関の役割分担を決めて、別々に動かすいうんが元々の設計思想なんです。この方が、搭乗者の霊力の負担も少なくて済みますし、構造も簡単にできますよって」
「なるほど」
「でも、この設計思想には霊子機関特有の大きな問題が有りまして、実用化の妨げになったんです」
「霊子機関特有の問題?」
「ええ。霊子機関ちゅうやつはとかく動作が不安定な代物でして、一定以上の負荷が掛かってないとすぐに止まってしまいますし、下手すりゃ霊力が搭乗者に逆流してしまいますねん」
「なるほど、攻撃と防御だけに限定してしまえば、敵と接触していない時には負荷が掛からないからな」
「そういうことです。常に一定の霊力を防御力場の維持に向けるいう方法も試されたようですけど、敵の攻撃が無いのに力入れて力場だけ維持するいうんもむつかしいようでして」
「そうだな。あれは基本的に、敵の攻撃に反応して作られるものだ」
「そういう訳で、霊子機関の運転を維持できんのですわ。霊子機関は起動する時に最も霊力を必要としますさかい、しょっちゅう止まっとったんじゃ、いざ敵と刃を交える時使い物になりませんやろ。それを解決する為に考えられたんが、霊子力を機体運動の動力にも併用するという、霊子機関併用人型蒸気の設計思想なんです」
「うーん。しかし、純粋に技術的に見れば、蒸気機関と霊子機関を同期させて制御しなければならない訳だから、別々に制御するよりはるかに難しいんじゃないか。戦闘時には搭乗者の負担を減らす為、機体運動の蒸気機関への依存を高くする様出力分配を自動的に調節してやる必要も有るだろうし」
「おっ!大神はん、わかってはるやないの。霊子甲冑実用化の難点は、まず霊力を効率的に動力に変換すること、次に蒸気機関と霊子機関の調和にあったんです。元来霊子機関は霊的現象を機械的に発生させる為のものですから、力学的な力を発生させるのはあまり得意やないんですけど、純粋な水が霊力に反応し易いという性質を使って、霊力を蒸気圧に変換することでなんとか解決しましてん。でもそうすると、蒸気圧が霊力次第で急激に上がったり下がったりする訳ですから、蒸気機関の運転の方が不安定になってしまうんです。そのあたりが、光武を設計したお人が天才思う所以ですねん。これを解決することで、通常の蒸気機関では到底得られない様な高出力を実現してもいますし。一つの技術的飛躍ですわ」

 自分の言うことがすんなり理解してもらえるので、紅蘭は嬉しそうだ。専門の技術者でも霊子機関が絡んでくると、なかなか言っていることを理解してもらえないのが常だったからである。

「これやね、大神はんの光武は。見たところ改造はしとらんようやね」
「ああ、あまり手を加えたくなかったんだ」
「安定性、信頼性を重視か。さすが軍人さんや。考え方が堅実やねー」
「そういえば紅蘭の光武は?」
「明日の朝、弾丸列車・轟雷号で運んでもらう予定です」
「紅蘭のことだ、きっとすごい改造をしてあるんだろうな」
「はははっ、それは見てのお楽しみや」

 紅蘭の目が、ふっと優しい光を帯びる。

「ほんとはうち、心配やったんよ。いきなり銀座本部に転属になって、皆とうまくやっていけるかどうか」
「……」
「でも、安心したわ。みんな暖かく迎え入れてくれたし」
「…そうだよ。皆そういう娘たちだ」
「疲れてはるのに、こんな遅くまでうちにつきあってくれる隊長はんはおるし」
「……」
「うちはもう少しここで光武を眺めているさかい」
「そうか、俺は見回りに戻るよ」
「お疲れさん。見回り、がんばってや」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 作戦室にはマリアがいた。

「マリア、どうしたんだ、こんな時間に」
「ああ、少尉ですか。先日の上野公園での戦闘で採集した情報を再検討していたんです」

 黒之巣会との初の本格的な戦闘で、多くの新情報が入手できた。中でも、多量の魔装機兵の残骸と、なにより指揮官機の残骸が、損傷著しくはあるも入手できた事が大きかった。これまで手掛かりが無い状態だった魔装機兵の性能とその製造経路についての少なからぬ情報が得られたのである。

「何か新しい発見があったのか?」
「いえ、残念ながら」
「そうか…時間も遅いが、もう一度新情報を一から再検討してみようか」

 自分の気が済むまでは早く休む様に言っても聞き入れるマリアではない事ぐらいは、ここ数週間の付き合いでわかっている。一人で考えさせるより、二人で論じ合う方が納得するのも早いだろう、と大神は考えたのだ。

「そうですね…我々には、敵についてわからない事が多すぎます」
「今回判明した事をおさらいしてみよう。まず、魔装機兵の性質だ」
「魔装機兵は驚くほど霊子甲冑に構造が似ています。特に神威は、判明した限り、基本的に霊子甲冑と同一構造を持っていました」
「霊子機関併用人型蒸気、魔の霊子甲冑か。魔霊甲冑とでも呼ぶべきだろう」
「一方、脇侍が無人である事は従来よりわかっていました。さくらが切り捨てた機体もありましたから。しかし、その制御機構についてはこれまで謎でした」
「今回、頭部の損傷が少ない機体を回収する事でその謎を解く手掛かりが得られた…」
「ええ、魔装機兵は頭部に、呪紋を金属製の円盤に刻んだ物を数枚格納していて、そこから呪力とかりそめの意志を与えられていました」
「金属円盤の呪符によって動かされる人型蒸気の式鬼という訳だ」
「異なる状況に応じた命令がそれぞれの円盤に刻まれていて、それを指揮官が呪的手段で切り替えるのでしょう」
「装甲は基本的に鋼鉄だったな」
「しかし、妖術で強化されています。錬金術の一種だと推測されます」
「蒸気機関はアメリカ製だ」
「アメリカ第二の蒸気機関製造業者、ゼネラル・スチーム社製の物でした」
「軍事用途の機関があれほど大量に供給されているんだ。何らかのつながりがあると考えるべきだろう」
「しかし、現段階では証拠がありません」
「米田司令に、陸海軍情報部による密輸経路の調査を進言したが、相手は大国、アメリカだ。そう簡単に尻尾は出すまい」
「…アメリカの支援を受けているとなると、物量の面で我々が劣勢に立たされる可能性が大です」
「そうだな、せめて蒸気機関の供給だけでも遮断する事が急務だ」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 結局、これまで討論されてきたことの繰り返しになってしまった。まだまだ黒之巣会についての情報が絶対的に不足しているということだ。敵の最終目標が政府転覆にあることははっきりしているが、その手段たる戦略目標すら掴めていない状況では、対策を検討するにも限りがある。マリアにもその点は十分理解できているはずだった。

(気負いがあるとは思いたくないが…)

 実戦経験はマリアの方がはるかに豊富である。口に出さず、誰から聞かずとも、そのことは大神にもわかっていた。しかし、マリアにどこか危ういものを大神は感じていた。
 結局、大神はマリアを残して作戦室を後にした。まだまだマリアを納得させるだけのものを大神は持ち合わせていなかった。実績も、信頼も。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


(あれ、鍛練室の灯りが点いている)

 こんな時間、つまり大神が夜の見回りをやっているような時間に鍛練室が使われているのは初めてのことだった。

(こんな遅い時間に…かえって体を壊すぞ)

 誰かはわからないが、意見するつもりで鍛練室に入る。すると、そこには意外な人物がいた。

「あら、少尉。こんな時間にどうなされました」

 そう、そこにいたのは、およそ『鍛練』とは縁のなさそうなすみれだった。無論、今では大神も、すみれが長刀の一流派の免許皆伝の腕前であることを知っているし、武術にしても踊りにしても、常人には真似出来ない程の努力を積み重ねてきているであろうことを理解している。しかし、普段の印象とすみれの努力する姿とは、やはりなんとなく噛み合わないものを感じるのも事実であった。

(やっぱり、ちゃんと努力してたんだなぁ。…それにしても)

「俺は夜の見回りさ。すみれくんこそ、こんな時間に特訓かい」
「ふっ、そんな風に見られるのは心外ですわね。このわたくしに特訓などという平凡な真似が必要だとお思いになられますの?」
「じゃあ、何をしようとしているんだい」
「そっ、それは、ただの気晴らしですわ」

 すみれらしい言い種である。微笑ましい気分になる大神だったが、すみれを見る視線は知らず知らずのうちに首から下に、下がっていく。

「少尉、この水着、どう思われます」

 その視線に気付き、にっこり笑ってすみれが大神に問い掛けた。そう、大神はすみれの水着姿に釘付けになっていたのだ。

「大胆だなぁ。目のやり場に困ってしまうよ」

 まさに、目のやり場に困ってしまうような代物だったのだ、この時すみれが身につけていた水着は。紫の、現代風にいえばノーストラップのセパレートタイプに、同色のパレオを巻いている。太正時代としては、あまりに大胆なデザインだった。

「ほほほほ、可愛らしいことを」

 大神の答えにすみれは満足げである。

(いかん、これではいつもの二の舞だ)

 必死で体勢を立て直して、大神は当初考えていた通りすみれに注意することにした。

「気晴らしもいいが、夜ももう遅い。自分で考えている以上に疲労が溜まっているはずだ。特に水泳は体力を消耗する。今日は止めておいた方がいいよ」
「まぁ!わたくしにそのような平凡なお気遣いは御無用です。心配でしたら見ていらっしゃればいいわ」

 気分を害してしまったようだ。プイッと目をそらし、大神に背を向けてプールへと歩いていった。

(やれやれ)

 すみれのことが気になるが、プールで監視でもしていた日にはますますへそを曲げてしまうだろう。

(また後で見に来るか)

 そう思って廊下に出た大神の背後から絹を裂くような悲鳴。すみれの悲鳴だ。

「どうした!」

 慌ててプール室に駆け込む大神。そこでは、すみれが手足をばたつかせ、水飛沫を上げていた。

「しょ、少尉!」

(いかん、足が攣ったのか?)

「すみれくん、今行くぞ!」

 プール中央、一番水深が深いところである。大神は躊躇なくプールに飛び込んだ。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「おかげで助かりましたわ、少尉。わたくし、何とお礼を言ったら…」

 大神に引かれてプールから上がったすみれは、ほっとした表情で大神に礼を述べた。しかし、この時の大神の反応はいつもと違った。

「馬鹿、だからよせと言っただろう!」
「しょ、少尉?」

 いつもの大神に似合わぬ剣幕。

「たまたま俺がいたから良かったようなものの、不注意すぎるぞ!!」

(少尉…)

 すみれは、父親にもこれほど頭ごなしに怒鳴られたことはない。しかし、大神が自分を案じて叱ってくれているのだとわからぬすみれでもなかった。そのことが、すみれは嬉しかった。

「少尉、申し訳ありませんでした。わたくしが不注意でしたわ」

 いつになくしおらしく、素直に謝るすみれ。それを見て大神も表情を緩めた。

「わかってくれればいいんだ。それじゃあ、俺は見回りに戻るから」
「あっ、あの、少尉」

 これまた日頃のすみれには見られない、遠慮がちな素振りですみれは大神を引き止める。

「なんだい、すみれくん」
「あの、お部屋まで、送って…いただけませんか」
「いいとも」

 思いもかけない可愛らしい依頼を、大神は微笑みを見せて承諾した。

「では、わたくし、シャワーを浴びて着替えてまいりますので、お待ちになっていて下さいな」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 待つこと数十分。

「お待たせしました、少尉」

 実際待ちくたびれて、組打術の型稽古までやっていた大神だったが、そんなことはおくびにも出さない。

「体は暖まったかい」
「おかげさまで。随分お待ちになったでしょう」
「いや、そうでもないさ」

 臆面の無さはこの数週間、米田相手に鍛えられている。

「おやさしいんですのね、少尉は」

 しかし、すみれは大神の返事に感動したようだ。頬を染めて、心なしか目の焦点もぼやけている。このあたり、すみれもまだ16歳。普段、華やかで大人びた表情の下に隠している初心で純情な少女の部分が顔を出しているのであろうか。

「あの、少尉。ひとつお願いがあるのですけど」
「何だろう」
「今夜、わたくしがプールでおぼれたこと、他の方には内緒にしていただけません?」
「わかった。約束するよ。じゃあ、そろそろ行こうか」
「はい」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「すみれくん、おやすみ」

 すみれの部屋の前。大神はすみれに当たり前の挨拶をする。

「あの、少尉」
「?」
「…お茶でも飲んでいかれませんか?」

 わずかに頬を赤らめ、少し上目遣いで大神を部屋の中へ招くすみれ。正直、大神は心を動かされた。今のすみれは、いつもとは違う可愛らしい魅力があった。
「……淑女の部屋にお邪魔するには少しばかり不適当な時間のようだ。気持ちだけありがたく受け取っておくよ。ありがとう。また明日にでも誘ってくれると嬉しいな」
「そうですわね…それでは、おやすみなさい、少尉」

 少し残念そうに、しかし誘いを断られた時の常としての拗ねた感じはなく、むしろはにかんだように、すみれは大神に西洋風のお辞儀をした。

(では、明日にでも…)

「おやすみ、すみれくん」

 すみれの心のうちは知らず、大神も士官学校で教わった英国式のお辞儀を返して自分の部屋に戻っていった。
 自分も割とのりやすい性質だな、と心の中で笑いながら。




その3



 息を整え、姿勢を正す。両手に持った木刀を水形に構える。大刀と脇差しではなく、全く同じ長さの大刀だ。下段の位置で刃を外に向け、切先を触れ合うか触れ合わぬかの間隔で向き合わせている。両の切先に挟まれた極小の空間に意志を集中する。そこに光が集まる光景を頭に描く。そのまま中段、上段へと手を振り上げる。上段の位置で一呼吸間を置いて、ゆっくり手を左右に開く。そのまま彫像と化したように男は動作を止めた。時間までが止まってしまった様な静寂。やにわに男は双刀を胸の前で交差させ、身をかがめると無言の気合と共に飛び込みの逆袈裟切り二段打ちを放った。

「…駄目か……」

 着地した姿勢のまま男は呟いた。しかし、なんという跳躍力であろうか。何の助走も無しに、しかも両手がふさがった状態で5メートル以上飛んでいる。男は首を振りながら身を起こし、緊張を解いた。

「大神さん、どうぞ」

 差し出された手拭いを受け取り、男は笑顔で応えた。

「ありがとう、さくらくん」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 大帝国劇場、中庭。時刻は早朝。二人は日課の朝稽古をしているところだ。大神が来た翌日から、雨の日を除いて毎日続いている。大神が型の稽古をしている途中にさくらがやって来て、型稽古を終えた大神に手拭いを差し出すのも毎日の習慣となっていた。

「大神さん、今の技は初めて見ますけど、すごい威力ですね」
「そうかい?君に誉めてもらえるなら、なかなかいい線いっていたという事だな」
「…失敗には見えませんでしたけど、ご不満なんですか」
「ははっ、まあ、そう簡単に身につくようなら、奥義とは言わないんだろうけど」
「奥義!なんという技なんです?」

 興味津々といった風情でさくらが尋ねる。さくらは大神の自称、無名の流派にかなり興味を持ったようで、いろいろな事を聞きたがる。いや、興味を持っているのは剣の流派ではないかもしれないが…。

「無双天威、と言うんだ。あまりにも大仰な名前なんでちょっと口にするのが恥ずかしいんだけどね」
「そんな、いかにも無双の威力を秘めている様な打込みでしたよ。とても未完成とは思えないくらい」
「はははっ、ありがとう。でも未完成なのは剣勢じゃないからね…」

 照れ笑いしてみせながら意味深に呟く。

「?」

 さくらはどういう意味なのか聞きたがっている様子だったが、機先を制するように大神が話題を変える。

「さくらくん、昨日の舞台の疲れが残っているんじゃないか。今日は型だけにしておく?」
「いいえ!大神さんと打ち合う緊張感が身を引き締めてくれます!いつも通りお相手して下さい!!」
「わかったわかった。そんなに力んで言わなくてもいいよ」

 二人が言っているのは、日課となった約束稽古の事である。予め攻め手、受けの手順を決めておいて打ち合うのだ。早朝という理由で、二人はこれを寸止めで行っていた。打ち合う音で眠っている皆を起こさない様にである。しかし、大神の言う通りそんなに力んで言う程楽しい事ではない。普通ならば。
 一通り体をほぐした後、向かい合い、呼吸を合わせる。決められた通りの打込み、決められた通りの受け。二人の木刀が交差し、二つの影が交錯する。さくらはこの時間が好きだった。大神の息遣い、大神の視線を真近に感じられる時間。大神と息を合わせ、大神と心が一つになった様に感じる事が出来るこの時間が。洋風ダンスがまだうまく踊れないさくらは意識していなかったが、いわば二人きりでダンスを踊っているような気持ちになっていたのだった。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


(なにかしら、この気配は?)

 すみれは珍しく早い時間に目が覚めた。朝が弱い訳ではなく、普段は決まった時間になるまで起きないのだ。

(外からですわね…)

 カーテンを開けて、窓の外を見る。すみれの部屋は中庭に面していた。下を見ると剣道衣を着た男が二本の木刀を振り下ろした姿勢で残身をとっていた。

(あれは…少尉?)

 大神が立ち上がるのを見て、思わずすみれはカーテンの陰に隠れた。再びそっと覗き見ると、さくらが大神に駆け寄り何事か話している。程なく二人は向かい合い、木刀で打ち合いをはじめた。
 木を打つ音がしないので約束稽古だろう。しかし風を切る勢いは、体に触れれば皮膚を裂き骨を砕くほど鋭いものだった。どちらかが受け損なえば、いや、どちらかが手順を間違えれば大怪我は免れない。しかし打ち合う二人は微塵の躊躇も乱れも感じられない。美しいとすら言える、息の合った剣撃の応酬。余程相手の事を信頼していなければ出来ない、命懸けの舞。
 心の中に正体不明の不快な感情が湧いてくるのをすみれは感じた。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


(紅蘭の光武は榴弾砲を装備、か。支援型だな)

 帝国華撃團、地下作戦室。公演が終わってほどない時刻、深夜というにはまだ間がある。紅蘭の光武が届けられたのを機会に、大神は隊員達の機体特性を再確認しているところだった。人型蒸気は基本的に有視界の近接戦闘兵器である。遠距離射程の重砲を装備するようには作られていない。人型蒸気部隊は、移動砲台(戦艦を含む)による砲撃の後、敵陣制圧を目的とした騎兵隊に代わる部隊編制だ。しかし、兵装の柔軟性が高い為、長射程の機銃や迫撃砲を持たせる事も技術的には可能だ。
 ちなみに標準装備としての自動小銃(それでも、歩兵隊の重機関銃よりはるかに大きい)以外に、主装備として大神の光武は玉振鋼(たまふりかね、シルスウス鋼を改良して、妖力遮断より霊力蓄積・伝達の機能を高めた特殊鋼、ヒヒイロカネの研究から生まれた)製の大刀を2本、さくらの光武は同じく玉振鋼製の大太刀を1本、すみれの光武は玉振鋼製の長刀、マリアの光武は中射程の感応弾(弾頭に符紋を刻んで霊力を込めやすくした弾丸、この符紋は魔道科学の一成果で宗教、流派に依存しない)を使用するガトリング砲、そして紅蘭の光武には蓄霊素子を利用した霊子爆雷の中射程榴弾砲である。

(ん?この自動飛行式霊子爆雷というのは何だ?)

 紅蘭の装備に見慣れぬ兵器名(華撃團配属当初は何から何まで見慣れぬ名称だったのだが)を見つけ首をひねる大神。しかし、詳しい資料はない。気持ちを切り替えて戦術検討に戻った。
 基本的に大神が前衛、さくらとすみれが両翼。マリアと紅蘭が援護射撃。この方針に変わりはない。大神が頭を悩ませているのは、前回の戦闘で対神威戦の時生じた特異な現象群の事だった。

(皆が見せた特殊攻撃、そしてさくらくんの危機を回避したあの現象…)

 あの後何回かテストしてみたが、特殊攻撃にもあの現象にも再現性が無かった。霊子技術者の話では、戦闘時の霊力の高まりが可能にした現象で、実戦になれば再現性があるとの事だったが、一度きりの実績では不確実すぎて戦術には組み込めない。

(桜花放神にしても快刀乱麻にしても技そのものに不安はないのだが…)

 闘気を放つ秘剣は光武に乗っても、同じ様に気を放射した。しかし、あの時のような霊気の嵐や雷光は生じなかったのだ。

(今の段階では、戦力要素から除外しておこう)

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 作戦室から出て、自室に向かう。と、鍛練室の前で背後から声を掛けられた。

「少尉」

 振り向くと、いつもの振り袖姿のすみれである。

「やあ、すみれくん」

 足を止めると、すみれの方から近寄ってくる。大神はすみれの髪がかすかに湿っているのに気付いた。

(それにしてもいい香りだ。香水じゃないみたいだけど、石鹸の匂いかな)

「まだ見回りの時間には早いんじゃございませんか?」
「ああ、作戦室で資料を見ていたんだ。すみれくんは今夜も特訓、いや気晴らしかい」
「そっ、そうです。気晴らしですわ。今日は早目にと思いまして。何といっても、少尉のお言い付けですもの」
「あっ、ああ、いやっ、そんなに気にしなくても…」

 上目遣いで大神を見るすみれの視線にしどろもどろになってしまう。軽くからかったつもりが見事に切り返されてしまった。やはりこういうことはすみれが一枚上手のようだ。
満足げに微笑んでいたすみれだったが、ふと遠慮がちな表情で問い掛けた。

「少尉、今日はお時間、よろしいのでしょう…?」
「えっ?…ああっ、そうだね」

 なんとか大神は思い出す事が出来た。自分が明日にでも誘ってくれと言っていた事を。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「どうぞ、少尉、お入りになって」
「うわー、豪華な部屋だね」
「ほほほっ、職人さんにお願いして、内装を変えさせましたの」

 確かに豪華な部屋だった。しかし、どぎつさはない。すみれの衣装と同じく、派手さの中にも気品があり、趣味のいい調和を醸し出している。

「さあ、どうぞ。お口に合えばよろしいのですけど」

 相変わらず、ほれぼれするような手つきですみれが紅茶を入れる。

「ありがとう。…おいしいじゃないか…」

 大神には紅茶の味などわからない。いくら海軍で洋式作法を叩き込まれているからといって、そこまで蘊蓄がつくはずも無い。しかし、すみれが入れてくれた紅茶が町中の喫茶店やレストランで出されているものよりはるかに旨いという事ぐらいはわかった。

「ご満足いただけて嬉しいですわ」

 お愛想ではなくすみれは嬉しそうだ。珍しく屈託の無い笑顔を見せる。

「ところですみれくん」
「何でしょうか」
「君はどうして特訓している事を隠そうとするんだい。努力は立派な事だと思うけど」

 大神は素朴な疑問を口にした。すみれは目を閉じて、静かな口調でこれに答えた。

「白鳥が優雅に水面に浮かんでいられるのも、水の下で一所懸命水を掻いているからなのですわ。…それに何度も申します様に水泳はただの気晴らし、特訓ではございません」
「そうか…」

 無論、照れ隠しもあろう。年若きゆえの偽悪の面もあるのかもしれない。しかし、大神はすみれの言葉に誇り高き魂を感じた。自ら白鳥である為に当然の事をしているのであり、努力をする事など当たり前。他人にひけらかすような事ではない。幼い頃から、優れた人間であろうとする意識を自然と身につけた貴族の誇りである。成り上がりか、古い家系か、そんなこととは拘わりない、心の高貴さであった。

「少尉、よろしければ一緒に泳ぎませんか。たまにはプールもよろしいですわよ」

 神妙な空気を振り払うようにすみれが明るく言う。

「そうだね、時間がある時にお付き合いさせてもらうよ」

 事実、大神は多忙である。華撃團隊長としての訓練計画策定や机上演習をはじめとする種々の職務に加え、劇場のさまざまな雑事、そして魔道技術に関する独学での研究。射撃練習の時間もままならない位だ。一時凌ぎの言い逃れでない事はすみれにもわかっていた。いや、すみれだからこそよく理解できたのかもしれない。

「そうですの…では、そのうちに」

 しかし、すみれの反応は寂しげであった。

(さくらさんとは毎日お稽古していらっしゃるのでしょう?)

 今朝見た光景が頭の片隅から離れなかった。だが、そのことを口に出すことはすみれの矜持が許さなかった。甘えられない悲しい性分。自分でも薄々気付いているのかもしれない。




その4



「今日も雨……」

 黒目勝ちの瞳に憂いを込めて少女は呟いた。起きたばかりらしく、いつもは大きなリボンできちんと纏めている艶やかな髪を背の半ば過ぎまで垂らしている。窓の外は糸のような霧雨。二日続きの雨模様。

「大神さんとお稽古したいな…」

 少女――さくらはこのところ落ち込み気味だった。舞台が思うようにいかないのである。

 大帝国劇場5月公演『愛ゆえに』。初日から一週間が過ぎた。客の反応は上々である。前回公演『椿姫の夕』に勝るとも劣らぬ好評を博している。とくにさくらの演じる街娘クレモンティーヌは人気の的で、さくらのブロマイドは主演にして帝劇一のブロマイド売り上げを誇るマリアに引けを取らぬ売り上げを示していた。しかし、細かいしくじりがいつまでたっても減らない自分にさくらは最近苛立っていた。
 その時、風が吹いた。どういう訳か、さくらにしか感じる事の出来ない風。

(雨が降ってるのに…?)

 訝しい思いを抱きながらも、手足は素早く身支度を整え、雨にもかかわらず彼女は外に飛び出した。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


(危ない!)

 中庭で足を滑らせた大神を見てさくらは心の中で叫んだ。踏み込んだ足を濡れた土に取られて滑らせている。
 しかし、予想には反して大神は転ばなかった。足を滑らせたまま、器用に左右の足を入れ替えて二の太刀、三の太刀を繰り出している。

(もしかして…わざと!?)

 大神の体が止まり、こちらを振り向く。見る間に大神の顔に驚愕の色が浮かんだ。

「さくらくん!何してるんだ!?」

 慌ててさくらの所まで走ってくる大神。

「えっ、な、何って…」

「駄目じゃないか、傘も差さずに。さあ、中に戻るんだ」

 そう言うなり、さくらの返事も聞かず屋内へ引っ張っていこうとする。いきなり手を握られ、さくらは思わずその手を振り解こうとした。

「きゃあ!」

 しかし、体勢を崩したのはさくらの方である。今まで外にいた大神と違い、滑る地面に慣れていなかったのだ。

 ガシッ

 恐る恐る目を開ける。そこには自分の体に回された自分のものでない腕。さくらは背後から大神に抱きすくめられていた。

「おっ、大神さん。あのっ、そのっ、」

 混乱してまともに喋れなくなり意味も無く手を振りまわすさくらを軽々と抱き上げ、横抱きにしたまま大神は劇場の中へ駆け込んだ。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 軒下まで来て、ようやくさくらを降ろす。

「無茶をしないでくれよ。風邪でもひいたらどうするんだ」

 しかし、耳まで真っ赤になったさくらは何を訊かれても答えられない。いや、訊かれた意味がわからない。

「あの、私、その、一緒に、ごめんなさい!!」

 俯いたまま、しどろもどろになりながら弁解しようとしていたが、いきなり勢いよく頭を下げ、大神と目を合わせぬまま脱兎の如く駆け出した。珍しい事に、逃げ出したのである。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


(ああ、恥ずかしい。恥ずかしい。恥ずかしい…)

 部屋に辿り着くとほとんど意識しないまま濡れた服を着替え、そのまま突然力が抜けたように床に座り込む。さくらの頭の中では同じ台詞が何度となく繰り返されていた。床にへたり込んだまま頭から布団を被ってありもしない視線から赤面した顔を隠そうとしている。いつまでもひかない頬の火照りが、恥ずかしさばかりから来るものでない事にさくらが気付いていたかどうか。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


(足を捻ったかと思ったんだが…)

 そう、さくらが転びそうになった時、足を捻ったように大神には見えたのだ。だから足下が滑らない軒下までさくらを抱えてきたのだった。

(だが、あれだけの勢いで走れるんだ。大丈夫だろう)

 そう思うのも仕方が無いところだ。しかし、大神隊長、珍しく洞察が足りなかった。さくらは痛みを感じられるような状態ではなかったのだ。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


(ようやく整理がついたか)

 公演はもう山場に差し掛かっている頃だ。半券の整理と、売店の整理の手伝いをしていた大神は顔を上げて一息いれた。

「大神さん、ありがとうございました。ここはもう大丈夫ですから、皆の様子でもご覧になって来たらいかがです?」

 椿が大神の心を読んだように声を掛ける。大神は椿の好意に甘える事にした。

「ありがとう、椿ちゃん。じゃあ、また後で」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


(おっ、丁度山場だな)

「大神はん、見てみい、さくらはん、がんばっとるで」
「まったく田舎臭い演技ですこと、見てはいられませんわ。主役のスポットライトはわたくしにこそふさわしいのに。そうは思いませんこと、少尉」
「は、はあ…」
「しっ、いよいよ山場やで」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「オンドレ様〜」

 いよいよ最高潮、最大の見せ場である。さくらがマリアの許へ駆け寄る。盛り上がりも申し分ない。だが。

(大神さん!?)

 運悪く、袖に控える大神の姿がさくらの目に写ってしまった。途端に甦る朝の出来事。一瞬、さくらの意識が舞台から逸れる。それだけなら大事には至らなかっただろう。しかし、自分でも気付かぬ程わずかに捻っていた足が、大惨事を引き起こした。

「わったっとったっとっ」

 意識が舞台から逸れた為、わずかだがいつも通りに動かなくなっている足下を狂わせてしまったのだ。何も無いところで躓き、足をもつれさせ片足跳びで袖へとつんのめっていくさくら。咄嗟に手を差し出す大神だったが、間一髪…及ばなかった。
 倒れまいと緞帳をつかむ。ところが、どういうわけか緞帳は細身のさくらの体重を支えきれない。緞帳が外れる拍子に照明の配線を巻き込む。照明はそれを支える梁と共に落ちる。梁は背景を巻き込む。大道具が一緒に崩れる。舞台大崩壊だ。
 …普通にぶら下がったぐらいではこれほどの破壊力は発生しない。そう、恥ずかしさのあまり、さくらは無意識に霊力を放出してしまったのだ。そしてさらに運悪く、そこには霊力を増幅する大神が居た…

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「もう堪忍袋の尾が切れましたわ!」

 いきり立ったすみれが足を踏み鳴らして舞台に進み出る。

「すみれ!本番中よ!?」

 マリアの制止も耳に入らない。自分では意識していなかったが、さくらが大神を見た一瞬、顔を赤らめた事がすみれには何より気に入らなかった。

「さくらさん、あなた舞台をこんなにしてしまって、どうするおつもり!」
「…すっ、すみません…」
「まったく、よくコロコロと器用に転べますこと。これだから田舎者は…泥臭い、鈍臭い、おまけに田舎臭い…クサイクサイの三拍子ですわ」

 ここまで言われて、しおらしくしているさくらではない。たちまち目が険しくなる。

「NGならすみれさんが一番多いんですけど」

 あっ、言ってはいけない事を。息を呑む大神、紅蘭、アイリス。

「何ですってぇ〜」

 案の定、すみれの怒りは頂点に達した。大神には燃え盛る炎が見える…様な気がした。

「二人とも、お客様の前よ!止めなさい!!」

 マリアも一分の余地も無い本気で怒っている。しかし、恐ろしい事に今の二人には通用しなかった。そして客は…大受けだった。会場は爆笑の渦。その為、誰も迫り来る危機に気付かなかった。ちなみに、すみれの色物路線はこのときの大爆笑に端を発しているという。人間何が幸い(災い?)するかわからない。
 舞台の上でぶつかり合うすみれ、さくら、そしてマリアの無意識の霊力。そんなものに作り物のセットが耐えられる訳が無い。はじめに異変に気付いたのは紅蘭だった。

「大神はん、この音!」
「これは、舞台が崩れているのか!?」
「お兄ちゃん、さくらたち、危ないよ〜!」
「わかった!」

 最早本番中だなどと言ってはいられない。大神は舞台に駆け上がり大声で叫ぶ。

「三人とも、危ないぞ!早く逃げろ!!」
「少尉!?」

 マリアが驚愕と非難のこもった声を上げる。しかし、その時には誰の目にも事態は明らかだった。

「まっ、また舞台が」
「崩れてきたわ!」
「いかん、逃げろっっ!」

 舞台から飛び降りる大神、さくら、すみれ、マリア。大道具が雪崩を打って押し寄せてくる。危機を感じた最前列の客からパニックが劇場全体に広まった。

「何てことだ…」

 妙に冷静な声で呟く大神。阿鼻叫喚の渦の中で浮いている事この上ない。やはりこの青年は、どこか特異な精神構造をしているようである。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「とんだ公演になってしまったね…」
「お客様に怪我人が出なかっただけでも良かったですよ…」

 力無く言葉を交わす大神とマリア。そう、あのパニックの中で怪我人が出なかったのは奇跡だ。かすみと由里、そして大神が必死で客を誘導し、どうしてもパニックが収まらない客にはこっそり気合術で半ば気絶させるという荒業まで使い(当時の士官学校の武術過程には気合術も含まれていた)、なんとかその場を鎮めたのである。

「でもなあ、見てみい、この舞台…」

 焦眉の問題を紅蘭が指摘する。

「さくらさん、あなた、セットを壊してしまって、いったいどうするおつもり!!」

 目を吊り上げてすみれがさくらに詰め寄る。

「すみません…」

 さすがにさくらは消沈している。

「すみませんじゃすみませんことよ、明日も公演はあるんです。今夜中に直して頂戴!」
「そんな…」

 いつものすみれならこんな理不尽な事は言わない。実はすみれ自身にも、何故ここまで腹が立つのかわかっていなかった。

「おいおい、さくらくん一人を責める事はないだろう?」

 うな垂れるさくらを見ていられなくなって、大神はつい助け船を出してしまう。

「あら、それでは代わりに少尉が直して下さるの」

 今度は矛先が大神に向く。

「えっ!?」
「どうなんですの」

 大神がさくらをかばうのが、すみれには面白くないのだ。もちろん、すみれ自身は決して認めないだろうし、意識もしていない。

「わかった。俺が修理するよ」

 しかし、大神の返事は意外過ぎるものだった。

「俺が夜のうちにやっておく」
「大神さん…」

 感極まった声でさくらが呟く。

 すみれも表情が和らいだ。予想以上に毅然とした大神の態度に毒気を抜かれた様だ。

「少尉、私も言い過ぎてしまいましたわ。先日も助けていただきましたのに…でも、よろしいんですの?」

 ようやくいつものすみれだ。本来、怪我人に鞭打つような真似は、すみれのよしとするところではない。

「ああ、皆舞台で疲れているだろう。俺に任せて、ゆっくり休んでくれ」
「…お言葉に甘えます。明日になったら、私達もお手伝いしますから」
「照明関係はうちが明日直したるさかい、あんまり無理するんやないで」
「お兄ちゃん、がんばってね」

 マリア、紅蘭、アイリス、三者三様の労いと励ましの言葉。大神は彼女達に笑顔で頷いて、部屋に戻る様促した。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


(引き受けたはいいが、これは大変な作業だぞ)

 ガラクタと化したセットを前にして、思わず天を仰いでしまう。

(とにかく、出来るところまでやる事だ)

 大神は作業に取り掛かった。




その5



「大神さん……」
「あれ、さくらくん。どうしたんだい、こんな時間に?」

 実は、こんな時間にというほどまだ夜は更けていない。ただ、修理作業に集中していた為、時間の感覚を無くしていただけである。
 夜の大帝国劇場。公演終了後の舞台、ではない。不運な?事故によって中断を余儀なくされた夜のこと、破壊の後も痛々しい舞台を大神は猛烈な勢いで修理しているところであった。夢中になると時間が経つのを忘れるということがある。しかし、この時の大神は逆の状態である。あまりにも密度の濃い時間の使い方をしているので、実際よりも時間が経過したように感じていたのだ。
 その大神の懸命に働きまわる姿は、かえってさくらの胸を締め付けるものがあった。

「ごめんなさい、大神さん。私の所為でこんなことになってしまって…」

 すっかり元気を無くしている。意気消沈したさくらの様は、普段の生気あふれる姿を知るだけに、見ている方が辛くなる程だ。
 大神は手を休めて、安心させるように笑顔を見せた。

「いや、いいんだよ。誰かがやらないといけないことなんだし」
「でも、私の所為なのに…」
「それに、少しは俺の所為でもあるしね」

 こだわっているさくらの台詞にかぶせる様にして、内容に不釣り合いな明るい声で言う大神。

「えっ?」

 不審気な顔をするさくら。少しだけ真面目な顔になって、大神は続ける。

「足は大丈夫かい?捻ったのは朝のあの時だろう?」
「えっ、え?」
「俺がちゃんと気付いて手当てしていれば、きみは転ばなかったかもしれない。だから少しは俺の所為だよ」

 そう言って再びさくらに笑顔を向ける大神。

「……」

(私、自分でも気付かなかったのに…)

 そう、さくらは言われてみて、初めて足首の微かな違和感に気付いたのだった。

「あっ、あの、私にもお手伝いをさせて下さい!」

 最初から大神を手伝うつもりで下りてきたさくらだが、大神の手並みのよさに、却って邪魔になりはしないかと言い出せずにいた。だが、これほど自分のことを見てくれている大神に、どんなにわずかでも役に立ちたいとさくらは思った。

「じゃあ、手伝ってもらおう」

 拍子抜けするくらいあっさりと大神は答えた。さっきの経緯から、早く休むように言われるかと身構えていたさくらが肩透かしを受けた様に感じたくらいだ。もちろん、大神は、皆は疲れているのだから自分一人で修理をしよう、というつもりだったのだが、修理を手伝わせた方がさくらの心の負担が軽くなると思い直したのである。

「俺と一緒に壊れたセットを修理してくれるかい」
「はい!」

 一緒に、と言ってくれたことが何故か嬉しい。さくらは少し、元気を取り戻した。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「あ〜あ、それにしても、私ってどうしてこんなにドジなんだろうなぁ。大神さんやマリアさんみたいにしっかりしている人が羨ましいですよ」

 大神の指示に従って手を動かしながら、さくらは突然そんな事を言い出した。冗談めかしているが、無視できない何かを感じて、大神は手を止める。

「…でも、さくらくんはちゃんと努力してるじゃないか。一人で稽古しているところを見たよ」
「えっ!いっ、いつご覧になったんですか?」
「初日からもう一週間になるかな。毎日夜中まで踊りの稽古をしていたよね」
「は、はい…私、まだまだ踊りも下手ですから、皆よりももっと努力しないといけないと思うんです。でも、大神さんが見ていてくれたなんて、毎日見ていてくれたなんて…」
「失敗を全くしない人なんていないと思うよ。きっと、多いか少ないかの違いだけだ。失敗が少ないことより、さくらくんみたいに努力し続けることの方が俺は素敵だと思うな」
「ありがとうございます…私、嬉しいです」

 泣き笑いのような表情になるさくら。だが、幸い大神が慌てふためくようなことにはならなかった。ここで泣き出さないのがこの少女らしいところだ。しかし、相変わらずさくら相手だと気障な台詞の連発になる大神である。

「そうだ!大神さん、まだまだお仕事、続けます…よね?」

 何かを思い付いたようにさくらが問い掛けてくる。無論、大神はまだまだやめるつもりはなかった。

「え?ああ、そうだね」
「ちょっと待ってて下さいね、すぐ戻ってきますから」

 そう言うと、返事も聞かずにさくらは駆け出した。心なしか、弾む様な軽い足取りで。

「お、おい、さくらくん!?」

(まあいいか。少しは元気を取り戻してくれたようだし)

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


(ちょっと疲れてきたかな…)

 金槌を持つ手で目頭を抑える。だが、ちょっとどころではないはずである。かれこれ4時間以上ぶっ通しで作業しているのだ。途中までさくらと二人だったとはいえ、手を動かす速度がそもそも尋常ではない。士官学校で並み居る秀才を、あらゆる分野で圧倒し続けることを可能たらしめた、持ち前の驚異的な集中力で本職顔負けの作業速度を維持していたのだ。だが、慣れない大工仕事、さすがに集中力が落ちてきた。

「痛ってぇー!」

 不覚にも、大神は手元を狂わせてしまった。釘を抑える指を打ってしまったのだ。

「痛てててててて…」

 指を抑えてしゃがみ込んでしまう。その為、近づいてくる人影に気がつかなかった。

「あら、怪我したの?」

 しっとりとしたアルトに大神はハッと目を上げる。
 目に飛び込んできたのは、意外な姿。ここでは見るはずの無い姿だ。そして、10メートル下では意外でも何でもない制服。陸軍女性士官の制服を纏った、大神よりやや年上と見られる美しい女性だった。
 年上といってもせいぜい20代半ば、か。美しい。聖性と魔性を併せ持つような、清らかで艶やかな不思議な魅力を発散している。しかし、大神が目を奪われたのは、その美しさ故ではない。

(まだ、若い…?いや…)

 違和感である。目に映る姿と武術で鍛えた感覚が捉える姿の間に、あまりにも大きな落差があった。年若い外見と、歴戦の勇士が持つ時の重み。
 困惑する大神の横に、その女性は膝をついた。そして、打ち付けた大神の左手を両手で包み込む。

「あっ、あ、あの…」
「ふふ、おかしな子ね」

 大の男に「子ね」もないものだ。しかし、相手の意図がわからず、ますます戸惑うばかりの大神には、そんなことを気にしている余裕はない。「何を」と言おうとして、大神は驚くべきことに気がついた。

(痛みが…退いていく!?)

 女性士官に目を戻せば、自分の左手を見詰める眼差しの、口調に似合わぬ真剣さと両手から溢れ出てくる気の流れにようやく気付く。

(心霊治療…!?)

 言葉だけなら知っていたが、実際に見るのは初めてだ。ましてや経験するのは。

「どう?」
「はっ、はい、もう痛くないです」

 声をかけられて、慌てて思考を中断する大神。だが、現実感を回復することが完全にはできなかった。

「がんばるのもいいげど、ほどほどにね」

 そのまま、立ち去る女性士官に大神は声をかけることもできない。

(誰なんだろう…?)

 名前を聞くことすらできなかったのだ。敵と向かい合っている時、剣を持っている時には決して無い事だが、大神は、相手の雰囲気に呑まれていたのである。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 ギュウウ

「って〜〜〜!誰だ、背中をつねるのは!」

 呆然と立ち尽くしていた大神は突如背中をつねられた痛みで我に返った。…情け容赦無いつねり方である。しかも、声を荒げても離さない。首だけ回して、大神は背後を窺い見た。そこには…

「いい!!さくらくん、いつからいたんだ!?」

 そこには、怒りの表情を満面に浮かべたさくらがいた。それも、すみれとけんかをしている時のような、直情的な顔ではない。気のせいかもしれないが、嫉妬をむき出しにしたような表情である。

「なんだか、ずいぶん楽しそうでしたね!」

 まだ手を離さない。

「い…いやっ、その…」

 このとき、大神の優秀な脳細胞は持ち主を裏切った。やましい事など何も無いのだが、何も言葉が出てこない。

「いいな、恋人みたいで!」

 まだ離さない。

「そ、そんな、恋人だなんて…」

 大神は、つままれた背中から全身の冷や汗を絞り取られているような気がした。

「そう…じゃあ」

 ようやく手を離すと、どう考えても捨て台詞としか思えないような一言を残して(大神には捨て台詞を浴びなければならない覚えなど無いのだが)、さくらは階段の方へ走っていった。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「あっ、さくらくん、ちょっと待ってくれ!」

 そう呼びかけるのが、大神には精一杯である。もちろん、こんな時の女性が聞く耳など持っているはずも無い。

(行ってしまった…これは!?)

 さくらが立ち去った後には、重箱にきれいに詰められた、作り立てと思われる弁当が置かれていた。花見の時にやはりさくらが作ってくれたもの以上に、きれいに盛り付けられた、手の込んだ作品だ。とても1時間やそこらでできる物とは思えない逸品である。

(ひょっとして、さっきからこれを作ってくれていたのか…?)

 一口食べてみる。味は…見かけ以上であった。平凡な表現だが、心がこもっている。愛情という名の?さあ、そこまではまだ何とも言えない。
 黙々とさくらのお手製弁当を食べ終えた大神は、重箱に丁寧に蓋をして、何事か決心した顔で歩き出した。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 コン、コン

「はい、どなたですか」

 さくらの応え。

「大神だけど…」

 遠慮がちに名乗る大神。
 無言で扉を開け、中からさくらが顔を出す。

「さくらくん、少し聞いてもらいたい事があるんだ…」

 やはり遠慮がちな大神の言葉。

「とりあえず、中へどうぞ」

 表情を消して、さくらは大神を中へ招き入れた。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「ところで、何のご用なんですか」

 あくまで事務的なさくら。今までさくらが大神にこんな不愛想な態度をとった事はない。だが、それにめげる大神でもなかった。真面目な顔で、さくらに真っ直ぐな視線を向ける。

「…お弁当、ありがとう。お礼が言いたかったんだ。せっかく作ってくれたのに、気を悪くさせてしまったようですまなかった」

「大神さん…」

 さくらの仮面が崩れる。まさか、大神がこれほど率直な態度に出てくるとは予想していなかった。

「君が何を怒っているのか、正直言って俺にはよくわからない。だがもし君が、俺とあの女性の間に何かあったと思っているなら、それは勘違いだ。聞いて欲しい」

 そして大神は語った。女性士官が使った心霊治療らしき能力と、自分が抱いた疑念について。自分があの時、何を感じていたかについて。

「そうだったんですか…ごめんなさい、私も何だか意固地になってたみたいで…わかりました。大神さんを信じます」
「よかった。そうそう、お弁当、とてもおいしかったよ。じゃあ、おやすみ」

 ようやくいつもの表情を見せてくれたさくらにほっと一息ついて、ついいつもの調子で余計な一言を付け加える。さくらの心にどんな波紋を生じさせるかも知らず。

「…今日はお疲れ様でした。おやすみなさい、大神さん」

 穏やかな表情。先刻までの沈んだ様子がすっかり吹っ切れている。そのことの意味を理解するには、大神にも、さくら本人にも、経験と言う名の知恵が不足していた。




その6



『はなはだ勝手ではございますが、本日は都合により休演とさせていただきます。又のおこしを心よりお待ち申し上げております。』

 大帝国劇場正面入り口。まだ朝も早いと言うのに、由里は溜息をついていた。

「せっかく好評だったのに…」
「仕方が無いわよ、由里」
「でもかすみさん、せっかくの勢いが途切れる事にならないかと心配で…」
「その為にも、一日も早く公演を再開できるように頑張らないとね。さあ、私達も舞台に行くわよ。必要な資材を調べ上げて業者さんに頼まないと」

 昨日の公演中の事故で舞台が使えなくなり、臨時休演を余儀なくされてしまったのだ。秘密部隊の隠れ蓑とはいえ、舞台を疎かにする事はできない。できない理由があった。

「そうよねー、早く再開しないと私達のお給料にも響いちゃいますもんね」

 いや、そういう問題ではないのだが。それも理由の一つだが、実はもっと重要な訳がある…

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「さあ、みんな、張り切って修理しましょう」

 やけに気合いが入っている人、若干一名。

「なんや、さくらはん。えらい張り切りようやな」
「ふん…昨日の失敗で少しは落ち込んでるかと思いましたのに。一晩寝れば忘れてしまえるのですから、単細胞は羨ましいですわね」

 そう、やけにご機嫌なのは、昨日あれだけ落ち込んでいたはずのさくらだった。

「えっ、すみれさん、なにかおっしゃいました?」
「い〜え、何でもありませんわ」
「さあ、お喋りしてないで舞台に行くわよ」

 花組の少女達は修理に必要な物を用意する為、大道具部屋に集まっていたところだった。マリアの指揮で手に手に道具や材料を持って、舞台へと向かう。

「ねぇねぇさくら。お兄ちゃんがいないよ。どーして」
「昨日遅くまで修理してたみたいだから…寝かせてあげましょう」

 さくらは、昨夜の一幕をおくびにも出さずもっともらしい事を言う。だが、上機嫌の理由は明らかに昨夜の大神にあった。それはそうだろう。自分の為にあれだけ一所懸命働く姿を見せられて、しかも甘い言葉で励ましてもらえれば誰だってグッとくるものだ。その上「お弁当、とてもおいしかったよ」の駄目押し付きである。本人が自覚しているかどうかは別にして。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「なんやこれ!」

 突然響く素っ頓狂な叫び。

「これは…」

 珍しい事にマリアが絶句している。一足先に来ていたかすみと由里も呆然と立ち尽くしている。
 無理も無い。昨日の今日、いや昨晩の今朝だ。しかもセットは全壊に近かった。だが、今彼女たちの目の前にあるセットは、なんと大方復旧済みであった。
 もちろん、細かい部分、彩色や背景画等は未完成状態だ。しかし、背景も張りぼてもとりあえず板組は終わり元の形に戻っている。残りは細かい仕上げと照明等の舞台装置、そして、補充しなければならない植え込みや鉢植えなどである。ざっと見て、六割方修理は終わっている感じだ。

「大神はん、一晩でこれをやらはったんか……?」
「何者ですの…少尉って……?」
「お兄ちゃんってすごぉい……」

(大神さん、あれからまだ修理を続けていたんだ…)

 呆気に取られるほかの四人+二人と違って、さくらは感激していた。確かにここまで来ると、いやみを通り越して感動ものである。

「さっ、さあ、修理に取り掛かるわよ」

 マリアにもいつもの切れが無い。それでも、金縛りから脱したのは一番早かった。その一言で全員が動き出す。どこか夢遊病者じみた動きではあったが。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 ビーッ、ビーッ

 突然鳴り響く警報。出撃の警笛である。

「皆、出動だ!!」

 そして突如、客席の一番後ろで立ち上がる人影。大声で指示を出したのは…大神だった。

「大神さん!?」
「少尉…もしかして、客席で寝てらしたんですか?」

 マリアの呆れたような問い掛けに、走ってきた大神はバツ悪げに苦笑いする。

「とにかく、急ぐぞ」

 誤魔化すように促す大神の返事に、マリアは我に返って他の四人を振り返った。

「みんな、修理は中断よ。司令室に集合して!」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「帝国華撃團花組、出撃準備完了しました」

 戦闘服に装いを改めた花組を代表して、大神が米田に申告する。寝不足など微塵も感じさせない、秘密部隊隊長の顔だ。

「うむ。黒之巣会は芝公園を襲撃中だ。敵の目的は定かでないが、帝都大通信塔の破壊も含まれると推測される。至急これを迎撃し、大通信塔の破壊を阻止せよ」
「了解しました」

 任務受領。しかし、大神は出撃命令を出さず、米田の前で直立不動を保っている。

「どうした、大神」
「はっ、芝公園ですと適当な出撃カタパルトがありません。長官、翔鯨丸の使用を許可願います」

 帝都に張り巡らされた出撃施設と出撃手段はこの数週間の机上演習で全て把握している。

「よし。許可する」

 大神の進言に我が意を得たりとばかり米田はにやりと笑った。米田自身、翔鯨丸を発進させるつもりであったからだ。

(的確な判断だ。主席卒は伊達じゃねえようだな)

「総員光武に搭乗。帝国華撃團、出撃せよ!目標地点、芝公園」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「大神さん、『翔鯨丸』って何なんですか?」

 光武の通信機からさくらの声。華撃團に来て日が浅いさくらは翔鯨丸のことを知らないらしい。

「光武運搬・支援用の装甲飛行船だ。今回はこれで芝公園に向かう」
「それで、翔鯨丸とやらはどこにありますの?」

 おや、すみれも知らなかったらしい。実はマリアと紅蘭以外は翔鯨丸のことを知らされていなかった。無理も無い、2ヶ月前に完成したばかりだ。そもそも、出撃に飛行船を使うなら帝都各所に配置した出撃カタパルトはいらない訳で、帝都全域をくまなく覆う拠点網を作る事がどうしてもできないと判明した為、これを補う物として翔鯨丸の建造が始められたのだ。

「花屋敷支部だ。全機、轟雷号に乗り込め」
「了解!」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 (太正の)花屋敷遊園地の片隅に鯨池という人工の池がある。これがばかばかしいくらい巨大な池だ。そして池の中央にはこれまたばかばかしいくらい大きな鯨の模型が鎮座していた。この鯨、花火と見まがうばかりに盛大な蒸気の潮を吹いたり、巨大な尾鰭を振って波を起こしたりと、とにかく仕掛けが大きいことで人気を博しており、浅草の新名物に数えられていた。

『ご来園のお客様にご案内申し上げます。ただ今より当遊園地の新興行、『空飛ぶ鯨』を上演いたします。まことにお手数ですが、鯨池近辺のお客様はお召し物を汚してしまいますおそれがございますので、離れてご覧ください』

 係員が集まってきて、客を誘導する。程なく、鯨の模型が震え出した。そして何と、あの巨大な鯨が宙に浮かんだではないか。客はみな大喜びである。喝采を浴びながら、鯨はいずこかへ飛び去っていった…

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「偽装、外せっ」

 鯨の姿をした飛行船の艦橋では、若い女性士官がきびきびと指揮を執っていた。船体を覆う画布が各所で自動的に巻き上げられる。偽装の下からは鈍く輝く鋼で全体を覆われた装甲飛行船が姿を現した。シルスウス鋼で全面を覆い、ゴンドラ部艦首に大口径砲を装備した戦闘飛行船、翔鯨丸である。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 翔鯨丸が高度を下げる。光武各機、順次降下。飛行船による人型蒸気の運用はまだ世界でも例が無い。しかし、着地の制動はカタパルト出撃と同じである。初期加速がない分、この方が搭乗者の負担は小さいかもしれない。
 人間の乗った兵器を射出、降下といった荒っぽい方法で運用できるのは、何と言っても人型蒸気が(そして霊子甲冑が)移動手段に脚構造を採用しているからである。車輪や無限軌道と違い、脚構造にはそれ自体緩衝機能がある。足部に収納されている着地橇で落下運動を水平運動に変え、さらに落下の衝撃を脚構造で吸収することで障害物を飛び越えて直接敵陣に乗り込むと言う人型蒸気独特の戦術が可能となっている。

「帝国華撃團、参上!」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 敵総数は前回上野公園の時とほぼ同じ10体余り。しかし、今回は魔装機兵も足軽ばかりでなく、銃を装備した機体が混じっている。『火縄』と呼ばれる機体だ。それに加え、いつのまにか固定砲台らしき物を設置し、逆迎撃態勢を既に整えている。

「あれはうちの国で発明された火箭ちゅうやつやな」
「あんな物をいつのまに据え付けたんですの?」
「大通信塔を守る為には敵を殲滅しなければならない。その為にはまず火箭を破壊する必要がある。紅蘭、俺が先導するから後についてきてくれ。遠距離砲撃で敵砲台を全て破壊するんだ。さくらくんとすみれくんは魔装機兵を牽制、接近する機体を各個撃破せよ。マリア、君は二人の後方から火縄を攻撃してくれ」
「大神はん、うちの光武のこと、ようわかってはるやないの」
「行くぞ!」
「了解!」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「なかなか理に適った戦法ね…」

 翔鯨丸艦橋。女性士官はじっと戦況を見詰めている。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「これで最後や!」

 紅蘭の砲撃に四散する足軽。今回も速やかに脇侍の掃討は完了した。

(しかし、霊子爆雷ってこんなに威力あったかなぁ?)

 紅蘭は、初陣ではあるが霊子甲冑の実用化段階から携わった技術者でもある。霊子技術を使った兵器も紅蘭の工夫による物が多い。その性能を最もよく理解している一人である。だが、自らの光武から放たれる砲撃は明らかに紅蘭の予想を上回る威力があった。

「敵残存兵力を検索願います」

 大神から翔鯨丸に依頼が出される。翔鯨丸で探知した敵兵の位置は光武の霊子水晶表示装置(霊子水晶の微細なタイルを敷き詰めて表示画面としたもの。霊子力の波長の違いに応じて霊子水晶が発色する性質を利用した準天然色の画像を映し出す)に図示される。世界でもまだわずかしか例が無い画像伝送技術だ。
 そこにひときわ強い光点が映った。同時にマリアから通信が入る。

「少尉!大通信塔の上を見て下さい!!」
「な、何ですの、この妖気は?人妖!?」

 すみれもその存在を感じ取ったようだ。大神、さくらの霊力がどちらかと言えば『作用する力』に偏っているのに対して、この二人は感覚の鋭さも兼ね備えている。
 陸上競技者に短距離走者と長距離走者がいるように、霊力にも個人個人による特色がある。大神やさくらは瞬間的に強力な衝撃波を放つのを得意としている。二人の間にも、大神が狭い範囲に威力を集中するのを得意とするのに対し、さくらは貫通力のある衝撃波を飛ばすのが得意という違いがある。すみれは感覚に優れている他、作用力では高霊圧の力場を形成するのを得意としている。マリアは霊的なものを視覚的に認識する力にとりわけ優れており(彼女が左目を髪で隠しているのは、この視覚認識力が影響していると思われる)、また、霊力を高密度に凝縮して射ち出すのを得意とする。紅蘭は物に霊力を込める力が高い。西洋魔術風に言うならエンチャント魔術を得意とするタイプである。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「なる程、こ奴等が叉丹を…」

 錦の法衣、僧正の位を示す袈裟。しかし、その身に纏う邪悪な妖気はこの者が仏ではなく魔に仕える者であることを教えている。

「何者だ!」
「我は天海!偉大なる黒之巣会の総帥…帝都の最初にして最後の支配者である!」

 大神の誰何に応えたのは傲慢この上ない名乗り。しかし、その力が侮れぬものである事を大神も認めぬ訳にはいかなかった。それほど濃密な妖気を放射している。

「我が野望を阻む愚か者どもめ…頭が高いわ!!うぬら如きに我が相手は務まらぬ」

 そして何かの印を組み妖気を凝らす。

「カァァー!」

 忌まわしき気合と共に、無より黒い影が大神達の前へ浮かび上がってきた。これまで相手にしていた脇侍より遥かに巨大な漆黒の魔装機兵。入れ替わるように、天海は虚空へと姿を消す。

「隊長、これまでの敵とは違うようです!」
「少尉、どうされますか!?」

 マリアとすみれの口調には危機感がある。

「俺とさくらくん、すみれくんで奴の攻撃を止めるから、マリアと紅蘭で俺達の後方から狙撃してくれ。さくらくん、すみれくん、反撃は考えるな、防御に専念するんだ」
「はい、大神さん」
「わかりましたわ、少尉」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「ほいっ、これでどないや!」
「くっ!なんて固い装甲なの!」

 マリアと紅蘭の集中攻撃にあっても、黒い影の歩みは止まらない。

「なんて強力な!」

 敵の刃を受け止めても、そこに込められた妖力の余波が機体を揺さぶる。大神機もさくら機、すみれ機も徐々に耐久力を奪われている。

(このままではジリ貧だ。一斉攻撃に転ずるべきか?)

 大神の心に生じた迷いが、わずかな隙を生む。そこにまさしく機械の正確さで魔装機兵が斬りかかる。なんとかはね返した大神だが、他の二機との連携に狂いが生じた。

「くっ!」
「すみれさん!」

 黒き魔装機兵はすみれに攻撃を集中する。二合、三合と打ち合うにつれ、敵機の腕力に防御を崩されるすみれの光武。

 マッサツ・マッサツ・マッサツ・マッサツ…

 魔装機兵の頭部から不気味な音が漏れ聞こえる。そして大上段に振りかぶった唐竹割の一撃をすみれ機に浴びせる!

(すみれくん!)

 すみれの盾になるべく光武を走らせようとする大神。だが到底間に合わない。

(いや、守ってみせる!)

 大神の中で時間の流れが変化する。全ての動きが限りなく減速し、敵も味方も凍りついたかの如き濃密な時間の中で、大神はあの時の現象を心に呼び起こしていた。さくらを神威の凶刃から守った、あの時の事を。自分の心気のあり方を。
 意識が時の流れを追い越す。敵刃より早く大神の意志はすみれの光武に届いた。守護の意志が霊力となってすみれ機の霊子機関に流れ込む!すみれの霊子力場の上に大神の霊子力場が展開される。大神機の幻影がすみれの機体に重なる。

 ギンッ

 バシィ

 あの時と全く同じ。さくらを凶刃から守ったように、大神機の幻影はすみれを敵刃から守り抜いた!

(少尉…)

 すみれを包み込む大神の霊気。渇望してついに与えられる事の無かった、無条件で自分を守ってくれる力強い腕。すみれが感じていたものを言葉にすれば、父親の庇護であったかもしれない。

「大神少尉、敵の本体を探知しました。これより翔鯨丸で砲撃します。一旦敵から離れて下さい」

 この時、翔鯨丸から通信が入る。敵機が妖気を一気に放出して動きを止めた機を捕らえ、体勢を崩しているすみれをかばいつつ、大神は全機を後退させた。

 ドンッ

 黒い影の反対側に鈍色の魔装機兵が姿を現した。翔鯨丸の砲撃で隠形が解けたのだ。

「本体を倒せば影も消えるはずよ。大神少尉、後は任せました」
「了解」

(誰だ…?いや、考えるのは後だ!)

「全機、本体を集中攻撃せよ。影は放っておけ!」

 乱暴なようだが、影は機動力において光武に大きく劣る。これまでの交戦でそこを見抜いたが故の大神の指揮である。

「紅蘭、いけ!」

 言葉と、言葉以外の何かを伴う大神の命令に紅蘭が秘密兵器を繰り出す。

「頑張りや!うちのチビロボたち!!」

 チビロボ、それは大神が頭を捻った自動飛行式霊子爆雷の事だ。蓄霊素子を利用した霊子爆雷を霊応回路による蒸気噴射制御で敵に誘導するというものである。純粋な水は霊力に反応する。蒸気を霊力で爆雷の周囲に凝集させ、その噴射方向を霊応回路で制御するものだ。飛行制御の為の霊力を注入しなければならない為、通常の霊子爆雷より遥かに大量の霊力を込めなければならない。しかも、同時に八発を敵に集中するのだ。威力が大きい分、必要とする霊力も桁外れに多い。
 だが、発射されたチビロボの姿は紅蘭にとっても意外なものだった。自動飛行式霊子爆雷は大人の拳大の大きさである。だが、敵に向かうチビロボは大人の頭程の大きさがあった。手(敵に取り付く為のもの)もそれに見合って大きくなり、表情まで備えているではないか。
 チビロボは見事敵機に食いつき、爆発で大きな損傷を与える。しかし、誘導の緊張から解放された紅蘭の心中は穏やかではなかった。

(何やの、あれ!?爆雷が膨らむ訳はないし、蒸気がたまたまそういう形をとったんかいな?)

「マリア!」
「スネグーラチカ!!」

 マリアの光武から放たれた氷結の天使が、敵を氷の牢獄に封じ込め、弾丸が凍りついた敵を砕く。

(できたわ)

 完全に自信があった訳ではない。だが、この前と同じ様に雪の精霊が姿を現した時、マリアは特殊現象による攻撃、必殺攻撃を試してみる気になったのである。

「さくらくん!」
「破邪剣征・桜花放神!!」

 清浄なる霊気の嵐が真っ直ぐ疾り抜け、妖気を薙ぎ払う。

(大神さん、見ていてくれましたか!?)

 間合いの外からであろうと、さくらには何の躊躇も無かった。大神の語調から、以心伝心、桜花放神を使うべく指示されている事はすぐにわかった。ならば大神に従うだけ。さくらは完全に大神を信頼していた。

「すみれくん!」
「神崎風塵流・胡蝶の舞!!」

 そして、紅蓮の幻影、浄化の炎が敵の装甲を焼き焦がす。

(少尉、この一撃はあなたのために!)

 プールで溺れかけているところを助けられ、そして今もその力強い温もりで敵の刃から守ってくれた。誰かの為に、そんな依存心とは無縁のすみれであったが、今は大神に報いたいという気持ちで一杯になっていた。

「狼虎滅却・快刀乱麻!!」

 そして雷を纏った強大な一撃が敵本体を砕く。同時に影も四散した。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「ご苦労様、大神少尉」

(あの時の!?)

 翔鯨丸に回収され霊子甲冑から降りた大神を待っていたのは、昨晩、大神に心霊治療を施したあの女性士官だった。

「こちらが帝国華撃團副司令、花屋敷支部長はんです」

 訝しい想いが顔に出たのだろう。紅蘭がにこにこ笑いながら大神にその女性を紹介する。

「し、失礼しました!」

 慌てて敬礼する大神。

「藤枝あやめです。よろしくね。大神君。あなたには期待しているわ」
「はっ。こちらこそよろしくお願いします」

 やけに緊張している大神の姿を二人の少女が疑いの眼差しで見ている事を、その時大神は知らなかった…


――続く――
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