魔闘サクラ大戦 第六話
プロローグ



 その部屋は埠頭を臨む煉瓦造りのビルの2階にあった。実用的な机、実用的な椅子、申し訳程度の応接用の調度。壁には世界地図が貼られており、棚や机を占領している帳簿は全てアルファベット書きになっている。ここ横浜では珍しくも無い西洋人の貿易会社の事務所である。
 その申し訳程度の応接用の椅子に若い男が腰を下ろしていた。ごく普通の和服姿。その貫禄から見て、単なる使用人とは思えない。若いながらも自分の城を切り回している遣り手の商人か。だが、ごく当たり前の青年の容貌、その影に時折見え隠れする違和感は?

「ミスタースミス、お手数をお掛けした」
「結構梃子摺りましたよ、ミスターくろき」

 スミスと呼ばれた中肉中背の西洋人は言葉とは裏腹に全くの無表情で一綴りの紙束を差し出す。

「だが、間違いないでしょう。『大神』なる者は日本海軍少尉、大神一郎、この人物だと思われます」

 「くろき」と呼ばれた青年は渡された紙束を捲りながら応えた。

「この若造が帝国華撃團の指揮官か…」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 西洋人の名はジョン=スミス、表向きは貿易商ということになっているが、その真の姿は米国国防総省諜報部、極東工作員の一人である。余りにもあからさまな偽名だが、それを言うなら目の前の青年の名は輪を掛けてふざけている。この青年は自称「黒き叉丹」、一大キリスト教国であるアメリカの工作員相手に「さたん」を名乗るのだから。だが、この二人は相手の名前に拘るような精神の持ち主ではなかった。さすがに「さたん」とは呼べず、「くろき」という呼び名を使っていたが、赤でも青でも別段気にはしなかっただろう。相手に利用価値があるかどうか、それだけが二人の繋がりだったのだ。

「厄介な人物を相手にされてますね、ミスターくろき。『ヤング・ジュピター』が敵の指揮官とは…」

 英文でつづられた書類から顔を上げ、視線だけで黒き叉丹は問いを発した。禍禍しい視線、「邪眼」というのだろうか、普通の神経の持ち主なら目を向けられるだけで体に不調が生じそうなその視線を眉一つ動かさず受け止めて、スミスを名乗る男は説明を始めた。

「大神一郎少尉、彼は西太平洋地域の仲間内では若いながら要注意人物として知る人ぞ知る存在ですよ。約一年前、当時まだ候補生の身でありながら、マーシャル諸島近海で海賊行為を働いていた旧ドイツ海軍残党の秘密基地を暴き出し、人型蒸気部隊を率いてこれを殲滅しています。巡洋艦からの遠距離弾道襲撃という世界でもまだ数えるほどしか例の無い奇襲戦術を見事に成功させてね。その時の電光石火の用兵と情け容赦の無い徹底した破壊ぶりからついたコードネームが若き雷神、『ヤング・ジュピター』。奇しくも『おおがみ』とは『ジュピター』の意味なのですね」
「それで、この男は今どこに」

 信じがたい武勲談にもまるで興味がなさそうな口調で叉丹は要点だけを尋ねる。報告書には大神少尉の経歴しか書かれていなかったのだ。

「彼は4月より近衛軍へ出向扱いになっていますが、実際には大帝国劇場でチケット係をやっていますよ。どうやら劇場に秘蔵されている宝物の警護に回されているらしいというのが以前調査した時の結論でした。彼のような人材を疎ましく思う小人はどこにでもいますからね、目立ちすぎて冷や飯を食わされているものだとばかり思っていましたが…こんな裏があったんですねえ。すっかり騙されましたよ。ハハハハ」

 空々しい笑い声。笑っているのは声だけで、顔は笑いの仮面を被っているようにしか見えない。だが無論、叉丹はそんな事を気に掛けたりはしなかった。

「銀座か、なるほどな……」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 海岸沿に建ち並ぶ倉庫。事務所を後にした叉丹は魔装機兵の部品を受け取るべく倉庫街に来ていた。あたりには他に人影が無い。元々船が着いた時以外は決して人通りの多い場所ではないが、全く人がいないというのもおかしなものだ。だが、知ってか知らずか叉丹の口元には薄っすらと、酷薄な笑みが浮かんでいた。

「黒之巣会幹部、黒き叉丹だな」

 姿無き路地から突如人の声。

「一緒に来てもらおう」

 誰もいなかったはずの路地に忽然といくつもの人影が湧き出す。都合4人。全員の手に銃が握られていた。

「人払いの結界、それに隠形か。まあまあだな」

 取り囲む銃口を前にして、徒手空拳の叉丹は相変わらず薄笑いを浮かべたままだ。全身から冷笑の波動を放っている。

「無駄な抵抗は止めろ。我々は引き金を引くことを躊躇わない」
「政府の犬どもが。おまえ達ではこの私に指一本触れることも叶わぬぞ?」

 見下しきった態度に怒りを覚えるよりも疑念を感じる男達。だが、いつまでもこうしている訳にはいかない。背後を囲む二人が叉丹を拘束すべく素早く近づく。しかし。

「何っ!?」

 掴みかかる四本の腕はいずれも空を切った。それを合図にしたように叉丹の姿がゆっくりと薄れて行く。

「フハハハハハッ、どこを見ている」

 屋根の上から響く嘲笑。男達を見下ろし、叉丹は中空に大きく逆五芒星を描く。
 慌てて銃を構える男達。だが、既に遅かった。

「死ねぇい!」

 何という妖力。呪文も儀式も使わずに、単なる言葉だけで逆五芒星魔法陣を発動させるとは。降り注ぐ妖力弾は男達をバラバラに引き裂いた。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「……以上の経過で、黒之巣会幹部の拘束は失敗に終わりました」
「…そうか、全滅したか」

 直立不動のまま悲壮な顔で立ちつくす男に目をやりながら、米田は深々と息を吐いた。

「米国の工作員の方はどうなりました?」

 不首尾に終わった作戦の報告に来ている月組の隊長に、あやめは薄情なまでの冷静な口調で尋ねる。軍事、殊に諜報活動に犠牲は付き物だ。いちいち落ち込んでいてはきりがない。あやめは元々軍人ではないが、軍の中ですごす内にすっかり慣れてしまったのだろう。軍事、というものに。

「アジトを自ら爆破しそれに紛れて逃げようとした所を手の者が捕捉したのですが、そこで銃撃戦になり誤って重傷を負わせてしまいました。身柄は抑えていますが現在意識不明の重体です。回復の見込みは薄いとのことです」
「わかった。他の米国工作員の方を引き続き調査してくれ。黒之巣会の方は別の手立てを考えてみよう」
「判りました。失礼します」

 米田の言葉に応えた二言以外は全く音を立てずに月組の隊長は地下司令室を後にした。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「徒に犠牲を出しただけで、結局何の成果も無かったのですね」
「そう簡単にはいかないだろう…」

 残された二人はそれきり口をつぐんでしまう。同じ言葉を飲み込んで。それは、困難な任務をいとも簡単そうに成し遂げてしまう一人の青年の名前だった。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 地の底の暗黒。時が止まったかの様な濃密な闇。だが、その中に蠢く者があった。
 不意に灯が点る。一本の燭台の灯りが闇に揺らめく。その隣にはまだ若いと言っていい男。横で跪く女。そして祭壇の如きものの前に浮かび上がる年老いた影。
 男は女に習って跪き、形ばかりであったが、恭しく一礼した。

「天海様、華撃團めの根拠地、判明致しましてございます」
「そうか」

 黒之巣会幹部、黒き叉丹は米国の工作員より手に入れた情報を黒之巣会首領、天海に伝える。だが伝えたのはそれだけだ。それ以外の情報は無価値と判断したのだろうか。例えば、暗殺すべきと示唆された敵指揮官に関する事…

「叉丹よ、我に逆らう愚か者どもに裁きを下すがよい」
「お待ち下さい、天海様」

 華撃團抹殺の任を叉丹に与えようとする天海。これに異を唱えたのは紅のミロクであった。

「その任務、是非とも私にお任せ下さい。必ずや前回の雪辱を果たしてご覧に入れます」
「ふむ、ではミロクよ、やって見せるがよい」
「ははぁ」

 天海はあっさり前言を翻した。だが、叉丹は興味無さそうな顔を拝跪の姿勢で隠しているだけだった…

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 太正12年8月のある日。横浜海岸通にある煉瓦造りのビルの一室で爆発火災があった。火元は西洋人の経営する貿易会社の事務所。およそ爆発物とは縁の無さそうな所で起こった爆発であるにも拘わらず、そのことが報道機関で大きく取り上げられることはなかった。同日発見された惨殺死体については一行の記事にもならなかった。




その1



(漸く終わりか。今日は千秋楽だけあって、客が多かったな…)

 大帝国劇場夏公演「西遊記」も好評の内に千秋楽を迎え、観客で溢れていたロビーも漸く静けさを取り戻していた。
 客の見送りを終え、やっとのことで半券の整理も済ませた切符係の青年は彼の仕事場(の一つ)である受付の後片付けをしながら一仕事終えた解放感からであろう、取り止めも無いことを考えていた。

(最初はどうなることかと思ったが、後半からはすみれくんとカンナの息も合うようになって、何とか格好がついたな…そう言えば、深川の一件の後からだな、二人がつまらないことでいがみ合わなくなったのは…何があったのだろうか…)

 頭では別のことを考えていても、既に手慣れた作業である。段取り良く後片付けを終えると、気持ちも一緒に切り替えることにした。さて、どうするか?といったところだ。

「椿ちゃん、そっちも終わりかい?」
「いえ、私の方はもう少しかかります」
「手伝おうか?」
「いいですよぉ、売上げのお勘定は済ませちゃいましたから。後は商品の整理だけですもん。大神さんも今日は大変だったみたいだし」

 とりあえず遠慮してみせているが、まんざらでもなさそうである。モギリの青年、大神に声を掛けられて嬉しそうに頬を染めている少女は、名を高村椿という。やり手で知られる大帝国劇場の売店係だ。何時の間にか買うつもりだったものの倍の品物を手にしていると評判の売り子さんである。だが、ここ大帝国劇場に勤める者の多くがそうであるように、彼女にももう一つの顔があった。帝国華撃團隊員の顔。帝都防衛秘密部隊、帝国華撃團の中で後方支援を担当する帝撃風組。椿はその中でも屈指の霊力の所有者と見られており、帝撃の中でも最年少層に属しながら、開発中の霊子火器の管制員として訓練を受けている身であった。
 そしてモギリの大神青年、この二枚目には違いないがどこかとぼけた、人の好さそうな、良く言えば優しげ、悪く言えば柔弱な外見の青年こそが、帝国華撃團実戦部隊、帝撃花組の隊長にして秘密兵器・霊子甲冑の最高の使い手、大神一郎元海軍少尉その人である。
 親しげに談笑する大神と椿。それを見詰める視線があった。戦場にあっては鈍感と程遠い大神だが、日常生活において敵意や闘気の無い視線には全くの無頓着である。椿と笑顔でお喋りしている自分を見て、哀しげに顔を曇らせている少女に大神は全く気付いていなかった。
 もっとも、大神のお喋りはそう長いこと続かなかった。相手はまだ仕事中だ。それでなくても、女性に愛想を振り撒く趣味がある訳ではない。大神は単に仕事仲間への気配りとして声を掛けただけだから(相手がどう思っているかは別にして)、簡単に会話を切り上げ、楽屋の方へと歩き出した。

「大神さん!」

 その背中に声を掛ける少女。つい今し方まで浮かべていた憂いの表情をぎこちない笑顔に隠して。

「やあ、さくらくん。舞台はもう片付いたのかい?」

 振り返って笑顔で応える大神。さくらの内心に気付いたのか気付かないのか、屈託の無い笑顔で真っ直ぐにさくらを見る。その笑顔が自分だけに向けられているのを見て、さくらの心に巣食った憂いは嘘のように拭い去られてしまう(さくらにはそんな、良く言えば純朴、悪く言えば単純なところがある)。心の裡を隠す為の笑顔が本物の笑顔に変わった。生気に輝く笑顔。
 大帝国劇場の花形スター、真宮寺さくらの魅力を形容する時、「清楚な」「可憐な」以上に多用されたのが「活き活きとした」という賞賛である。彼女は決して上手い役者ではなかったが(歌は絶賛されていたが、演技は今一つというのが評論家の間での定説である)、生命(いのち)そのものの輝きを思わせる瑞々しい魅力がそれを補って余りあると評されていた。今その表情を飾るのは、まさしく生命の歓びを体化した様な笑顔。

「はい!大神さんもお仕事お疲れ様でした」

 まさに元気一杯、という感じのさくらの応えである。

「全く、今日のお客さんの多い事といったら。本当に疲れたよ」

 言葉とは裏腹に、大神の目も笑っている。帝劇に来た四月、見送りの終わる頃には本当に疲れ切った様子で、見ているさくらも辛くなる程だったことから思えば雲泥の差である。例えモギリの仕事についてであろうと、そんな大神の進歩が頼もしくてさくらの笑みは益々明るいものとなった。

「今日は夏公演の千秋楽でしたしね…そうそう、その事なんですけど」

 ここでチラッと表情を窺うような視線を見せるさくら。大神がそれに気付いたかどうか。

「これからみんなでサロンに集まることになっているんです。よかったら大神さん…一緒に行きませんか?」

 そう言うさくらにはわずかに不安の色が見える。もし…

「いいね。じゃ、行こうか」

 だが、大神は二つ返事で肯いた。何の迷いも躊躇も感じさせない応え。

「はい!…よかった、私も呼びに来た甲斐がありましたよ」

 こういう時、大神は決してさくらを冷たくあしらったりはしない。さくらにもそのことはわかっていたが、こうも気持ちのいい返事をもらえるとやはり嬉しい。だが、これだけで終わらないのがこの二人、特に大神である。

「え?…さくらくん、わざわざ呼びに来てくれたの?」

 聞かなくても判りそうなことを何故かあえて尋ねる大神。意識してやっているならたいしたプレイボーイだが、無意識だから尚のこと性質が悪い。
 案の定、さくらは赤面して俯いてしまう。

「え、ええ…大神さんもお仕事でお疲れだろうな、と思って…」
「…ありがとう、さくらくん」

 だからそこでそんなに優しい声を出さなくてもよさそうなものだが。これでは駄目押しである。

「い、いえ、さ、さあ、行きましょう、大神さん!」

 頬だけでなく耳まで赤くなっている。だが、さくらとしては誘いに来た手前逃げ出すことも出来ない。出来ることといえば、照れ隠しに声を張り上げるくらいである。
 大神もよく蹴飛ばされないものだ(誰に?と言われると困るのだが)。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「皆、お疲れ様」

 テーブルを囲んでいた五人の少女が一斉に振り向く。皆一様に笑顔を浮かべて。だが、その内の半分は大神の横に立つさくらを見て表情を変えた。サロンに修羅場の空気が満ちる。

「あー、さくら、また抜け駆け。ずるいずるい」

 真っ先に声を張り上げたのは金髪碧眼、フランス人形そのままの愛らしい顔立ち、だが人形ではありえない豊かな表情。イリス・シャトーブリアン、通称アイリス。まだ10歳ながら帝劇の人気女優の一人である。

「ぬ、抜け駆けなんかじゃないわよ。大神さんがそろそろ楽屋に来てくれる頃かな、って思ったから、その、すれ違いになっちゃお気の毒だし…」
「まあ、さくらさんにしては随分気がつきますこと」
「まあ、そういうことにしときましょうやないか。なあ、大神はん?」

 含みのある表情で含みのある言い方をしたのは、栗色の髪を肩の所で切り揃え紫の振り袖を纏った、切れ長の双眸が印象的な美少女。さくらが清楚可憐ならこちらは絢爛華麗。大帝国劇場の(自称)トップスター、確かにもう少し自制心というものを身につければその名に相応しいであろう、神崎すみれである。そして、からかうような笑みを浮かべてからかうような口調で大神に話題を振ったのは赤いシナ服、というかチャイナドレスを身に着け、丸縁の眼鏡を掛けた愛敬溢れる少女である。彼女の名は李紅蘭、見かけだけでなく生っ粋のシナ人であり、やはり帝劇の人気女優である。

「そうだね。皆を探し回らずにすんで助かったよ。おかげで、それだけ早く皆にこう言えるからね。夏公演、ご苦労様」

 繰り返して言うが、大神は計算してこういう歯の浮く台詞を口にしているのではない。こと軍事に関してはどんな辛辣な謀略を仕掛けることも厭わない、十重二十重の計略を張り巡らす大神だが、日常生活の彼は善良そのもの。思ったことを正直に口に出しているだけだ。だが、それだけにこんな台詞を照れもせず言われる方は堪らない。すみれも紅蘭も二の句が告げず、意味も無く顔を赤らめるばかりであった。

「ありがとうございます。ちょうど今回の舞台の反省会を始めるところだったんです。そうだ、隊長のご意見もお聞かせいただけませんか?」

 顔を赤らめ口篭もる四人を笑みを含んだ目で見ながら、場の空気を取り繕うように大神へ話し掛けたのはさくらやすみれよりやや年上、大神と同年代かと思われる大柄な女性であった。淡いプラチナプロンドの髪と翡翠の瞳、まだまだ残暑も厳しいというのに黒一色のいでたちの、そう、美女というより麗人と表現するのが相応しい女性だ。マリア・タチバナ、日系ロシア人のこの麗人が帝国歌劇団のリーダーである。彼女の経歴は演技や舞台とは全く縁の無いものであったが、門前の小僧の譬えの通りか、以前ブロードウェイで仕事をしていた時の見聞が彼女を一流の役者に仕立てていた。

「感想くらいだったらお安い御用だが、素人の俺なんかの意見が役に立つかな?」
「あたいだって素人みたいなもんさ!それに隊長の間合いや足運びなんかについての目の付け所は随分参考になるよ。隊長、あたいの主演女優振り、どうだった?」

 明るい声で、いささか舞台とは関係ないような、演技というより寧ろ武術についての助言を求めるような台詞を口にしたのは、マリアより更に大柄な、やはり大神と同年代くらいの女性。南国の太陽のような明るい雰囲気を全身から発散しているこの女性は桐島カンナ。やはり帝劇の人気俳優である。

「主演女優?主演猿優の間違いではございませんこと」
「何ぉう!だったらそっちはやられ役の助演鬼優じゃねえか!」
「何ですってぇ!」

 他愛も無い口喧嘩。和気藹々たる雰囲気の中で一種の親睦儀式を繰り広げているこの少女達こそ、彼、大神一郎の部下、霊力を糧とする鋼の甲冑に身を固め、魔性の存在との死闘に身を置く帝国華撃團花組の隊員達である。

(舞台が終わった解放感で皆はしゃいでいるな。皆にはいつもこうして笑っていて欲しい。出来るなら…)

 だが、彼女たちを戦場へと導くのは他ならぬ大神自身である。彼が内心どのように考え、日頃どのように手を尽くそうとも、この事実ある限り彼の願いは身勝手な感傷である。この自覚が更に彼を苦しめている……

「打ち上げ?」

 大神がいささか自虐的な思考に沈んでいる間に、これから打ち上げをすることに話が決まったらしい。

「そや、早い話が宴会や。大神はんも参加してくれるんやろ?」

 花組お祭り担当(?)の紅蘭が大神に尋ねる。形式は質問だが実態は大神の参加を既定の事実として折り込み済み、といった口調だ。
 無論、大神に否やはない。

「楽しそうだね。いいとも、喜んで参加させてもらうよ」

 …楽しければいいというのか?今まで思いっきり深刻なことを考えていたのではないのか?この男、海軍にいた当時からこういう性格だったのだろうか。社会復帰(?)が危ぶまれる…

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 早速準備に取り掛かることとなった。カンナとすみれとアイリスが会場となる楽屋の準備、マリアが料理、紅蘭は秘密の準備(怪しい!)。そしてさくらは、

「じゃあ、私は飲み物とかおつまみの買い出しに行ってきますね」
「一人じゃ大変だろう。俺も買い出しにつきあうよ。さくらくん、一緒に行こうか」

 この考え無しの台詞に目元をヒクつかせる者数名。

「本当ですか?助かります!」

 だが、当人達は全く気付いていない。

「それがいいかもしれませんね。何だか夕立でも来そうな気配ですし」

 鈍感な隊長をフォローするのはいつもマリアの役目である。実際、戦場の外にあっては歌劇団だけでなく華撃團のリーダーも実質的にはマリアと言えるのかもしれない。
 だが、せっかくのフォローもこの時は無意味になってしまった。

「えっ、ゆ、夕立ですか!?あ、あの、大神さん、私やっぱり一人で行ってきます」

 フォローを受けたさくら自身が大神の同行を辞退してしまったのである(珍しいこともあるものだ)。

「でも重くないかい?」
「い、いえ、大丈夫です。それに、夕立になったら私、きっと、……」

 顔を曇らせるさくら。

「…えっ?」
「い、いえ、何でもありません。そ、それじゃ、私、行ってきますね」

 そそくさと玄関に向かうさくら。逃げるように。
 その不自然な態度に首を捻ったのは大神だけではなかった。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 飲めや歌えや、ではなく食えや歌えやの大宴会。女性ばかりと言ってもまだまだ育ち盛りの年頃が半数、人並み外れて大柄な体格が残りの半数である(他の二人が規格外なので余り目立たないが、大神もこの時代にしてはかなり大柄な部類に入る)。また、女性ばかりで賑やかなことは言うまでもない。紅蘭の秘技、猿回し、じゃなかった、皿回しを肴にアルコール抜きでも十分ドンちゃん騒ぎが繰り広げられていた。

「お兄ちゃん、あーんしてぇ」
「はい、あーん」

 …まあ、ノリのいいこと。エリート軍人の既成概念とこれほどかけ離れた若者もそうはいないだろう。

「えへへっ!じゃあ今度はジュースをついであげるね。…あれっ?ジュースもうないよ!?」
「…こっちも品切れや。そっか、さくらはんが買ってくる手筈になっとったんや」
「しかし、さくらのやつ遅いなあ。お化けにでも会ったんじゃねーだろうな?」
「確かに…心配ね」

 そう、出て行ってからかなりになるというのにさくらはまだ戻って来ない。

「雨だ…」

 ふと、外から聞こえてくる雨音に大神が気付く。今迄騒ぎに紛れて聞こえていなかったが、降り出してから結構経つようだ。

「夕立ですわね。この雨の所為で遅れているのではなくて?」
「どこかに雨宿りしているのかもしれませんね」
「どれ、ちょっと見てくるよ」

 マリアの言葉に大神が立ち上がる。
 だがその時、廊下を駆けてくる軽快な足音と澄んだ声。

「すみませーん。すっかり遅くなっちゃって…」

 さくらの声だ。漸く戻ってきたらしい。
 そして、それが起こった。

 轟浪轟浪轟浪轟浪

 轟く雷鳴。

 キャアアァーーー
 ドサッ

 絹を裂く悲鳴。そして倒れ込むような音。

「どうした、さくらくん!!?」

 楽屋の扉を蹴破らんばかりの勢いで廊下へ飛び出す大神。その後に続く面々。そして大神は信じられない光景を見た。

「か、雷様が……」

 耳を塞ぎ目を閉じ、廊下にしゃがみこんださくらの姿。何を言っているのかよく聞き取れない、口を動かしても言葉にならないほど動転している。いや、脅えている。あの気丈なさくらが。

「さくらさん、どうなさったの!?」
「さくらくん、どうした!さくらくん!?」

 さくらの前にしゃがみこみ、肩に手を掛け事情を聞き出そうとする大神。さくらがこれほど取り乱すのだ。余程のものを見たに違いなかった。しかし。

「か、雷様に、お、お臍取られちゃう!」
「………」
「………」
「………」
「……はぁ?」

 彼女らしからぬ間の抜けた声ですみれが問い返す。だがそれも無理はない。呆気に取られているのは大神も同じだった。

「さくら、あなた…本気で言ってるの?」

 マリアだけではない。大神も自分の耳を疑っていた。

 轟ーン
 キャアァーーー

 再び鳴り響く雷、そして悲鳴。

「さくらくん、しっかりしてくれ!」
「…雷様ですって?お臍を取られるですって?…全く、よくこれで光武に乗って戦えますこと」
「アイリスだって雷様こわいもん」
「さくらは子供の頃、よっぽど怖い思いをしたんだなぁ…」
「………」

 大神がさくらを落ち着かせようと必死になっている傍らで各々がそれぞれの感想を口にする。薄情な訳ではない。誰にとっても、それほど意外な光景なのだ。
 鳴り止まぬ雷鳴にただ震えるさくら。だが、大神にはこの一時さくらの側についていてやることすら許されなかった。

『大神さん、大神さん、支配人がお呼びです。本局までおいでください。』

 劇場中に流れる呼び出しの放送。本局とは地下司令室の暗号である。劇場内では帝撃に関してさまざまな暗号が用いられている。会議室とは作戦室のことであり工作室が地下格納庫のことだ。つまり、これは華撃團花組隊長としての呼び出しである。となれば、後ろ髪を引かれながらも、どんなにさくらのことが気になろうとも、大神はここに留まることが出来ない。自分自身に許すことが出来ない。結局、彼は軍人だったのだ。




その2



「大神、黒之巣会の狙いが判ったぞ」

 さくらをマリアに任せ、地下司令室へ出頭した大神を待っていたのはこの衝撃的な一言だった。自然と大神の居住まいが直る。目の光が強さを増し、唇が引き締まる。

「先日お前が持ち帰ってくれた報告にある金剛杵状の器物、あれは上野寛永寺に保管されていた古の祭器「楔」であることが判明した」
「寛永寺…そう言えば寛永寺の創設者は天海僧正!黒之巣会の天海と三百年前の天海僧正とはやはり何かつながりがあるのでしょうか?」
「それはまだ判らないわ…でも、無関係ではないでしょうね。黒之巣会の目的は幕藩体制の復活なのだから」

 あやめの答えに頷く大神。もっとも、反魂の術により黄泉返らされた本人(の魔性の部分)であるとは二人にとっても想像の外だった。
 映像盤の前の米田が説明を続ける。

「さて、この「楔」だが、これは地脈を塞き止める力があると伝えられている。そして、黒之巣会のこれまでの襲撃地点はこの五個所だ」

 芝、築地、浅草、深川、そして華撃團の出動が間に合わなかった九段下(夜間の隠密行動で市民には一切の被害がなかった)。壁の投影盤に帝都の地図と襲撃地点が示される。

「以上の情報を元に蒸気演算機が割り出したのがこれだ!」

 襲撃地点を示す光点に日比谷公園が書き加えられ、それぞれが直線で結ばれる。すると

「これは!…複十字魔法陣!?」
「ほう、さすがだな。これが魔法陣だと見抜くとは」

 誉められても大神は返す言葉が出ない。これほど大掛かりな仕掛けを企てていたとは、大神にとってすら予想外だった。

「大神くん、見ての通り、黒之巣会は帝都そのものに魔術を掛けようとしているわ。それがどのように作用するものなのかはまだ判らない。術の解明と解呪には夢組が全力であたっているわ。だけど、術の完成を阻止することが最も重要よ!」

 緊張した面持ちで肯く大神。まさに彼もそのことを考えていた。これほど大規模な術を無効化する為にはかなりの準備が必要なはずだ。術が完成してしまってはおそらく手後れだ。

「黒之巣会の次の襲撃地点は蒸気演算機の示す通り、十中八九日比谷公園だ。奴等の狙いがなんであるにせよ、絶対に阻止せねばならん」
「はっ!」
「花組、第一級待機。幸いなことに日比谷公園はここの目と鼻の先だ。黒之巣会の企みを断固阻止せよ!」
「はっ!!」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


(至急皆を作戦室に集めなければ)

 急ぎ足で地上に向かう大神。彼の頭の中は既に臨戦態勢に切り替わっていた。しかし。

「大神さん…」

 目の前に現れた、哀しげな顔をしたさくら。こんな元気のないさくらを見るのは初めてだ。大神は胸を突かれる想いを感じた。大神の心を戦いから日常へと引き戻すほどの何かがそこにはあった。

「ちょっと…いいですか?」

 おずおずとさくらが尋ねる。それは常の快活な、活力に溢れる彼女ではなかった。

「わかった、こっちへ」

 ちょうど横に鍛練用の更衣室がある。大神はさくらを中へと誘った。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「大神さんにだけ、お話しておきたいんです」

 力の無い、だが思い詰めた表情。ほうっておいたら音を立てて壊れてしまいそうなくらい、危うい感じがする。

「さっきの雷のことだね?」

 大神の言葉にさくらはコクンと肯いた。

「私、小さい頃、お転婆で…」

 ぽつり、ぽつりと語り始める。それはおそらく、さくらがずっと心の奥底に秘めつづけていたこと。

「その日も、おばあちゃんが外で遊んじゃ駄目だという言い付けを聞かずに、お友達と木登りをして遊んでいました」
「……」
「気がつくと、空が真っ暗になっていて、そして、突然、目の前が真っ白に光って」
「……」

 よく見ると、さくらの体は小刻みに震えていた。無意識にであろう、両手で自分の肩を抱きしめている。

「パアッと燃え上がった炎の中に、見たんです」
「……」

 大神は何も口を挿まない。ただ真摯な目をして、根気良く話を聞いていた。

「稲光を纏った、大きな人影を。私の方を見て、にやっと笑ったような気がしました」
「……」
「それきり、気を失って…気がついた時は家で寝ていました。運良く枝に引っ掛かっていたそうです。隣の木に雷が落ちたのに怪我をしなかったのは奇跡だって言われました」
「…それで雷が怖くなったのかい?」
「今では幻だったってわかっているんです。雷様なんている訳無いって。でも、あの笑いが忘れられなくて…いつか、連れて行かれるんじゃないか、お臍を取られちゃうんじゃないかって…」
「……」
「おかしいですよね、光武で戦う花組の隊員が雷を怖がるなんて…」

 すっかりしょげかえっているさくら。舞台を壊した時もこれほど落ち込んだりはしていなかった。普段は意志の光に溢れた美貌も活力に満ちた細身の肢体も、今はひどく弱々しく見えた。

「そんなことはないよ」

 大神はさくらの両肩にそっと手を置き、驚いて上を向くさくらに優しく微笑みかける。全く企まぬ、自然な微笑みで。

「おかしくなんて全然無い」
「大神さん…?」

 てっきり馬鹿にされるか、子供扱いされる、冷静に考えれば大神がそんな態度をとる筈が無いのだが、そう思い込んでいたさくらにとってあまりにも意外な反応だった。

「人が人知を超えたものを畏れるのは当然のことで、また正しいことなんだ」

 さくらの告白を全て信じているかのような口振り。かえってさくらの方が戸惑ってしまう。

「で、でも、子供の頃の幻を怖がってるなんて…」
「幻とは限らない。さくらくん、雷って何だと思う?」
「えっ…電気じゃないんですか?」
「じゃあ、電気って何だろう?」
「えっと……」

 さくらには答えられなかった。そもそも、そんなことまで考えたことはなかった。

「雷は電気だと言う。でも、この太正の時代でも電気が何なのか、答えられる者はいない。それは雷が何なのかを答えられないのと同じだよ」
「……」
「さくらくん、君が見たものは本当に雷様なのかもしれないよ」

 急に不安げな表情になるさくら。あれが幻でないとしたら…との恐怖が湧いてきたのだろうか。それを見透かしたように大神の笑顔に力がこもる。

「大丈夫。畏れることを知る者に、神々はむやみに罰を下したりはしないから。雷様は君を傷つけたりしないよ」

 まるで神々や雷様をよく知っているかのような口振りである。心の片隅で疑問を覚えたさくらだが、今はどうでもいいことだった。あんな醜態を見せた自分を大神は見捨てないでいてくれる。力づけてくれる。その想いが、さくらの胸をいっぱいにした。

「大神さん…ありがとうございます」
「まあ、君があんなに取り乱すなんてちょっと驚いたけどね」
「言わないで下さい!ああ、私恥ずかしくて死んじゃいそうです。大神さんにあんな所を見られるなんて…」

 両手で顔を覆って俯くさくら。消え入るような声で大神に可愛い抗議をする。だが、それはさっきまでの萎れてしまったようなさくらではなかった。いつもの、生き生きとした表情豊かなさくらだった。顔を覆う寸前、大神がにやっと笑うのが見えた。その笑いは幼い頃見たあの人影の笑いになんとなく似ているような気がしたが、何故か恐怖は湧いてこなかった。

 轟アァァァン

「キャアアアァーーー」

 だが、時の神は皮肉である。見計らったように鳴り響く轟音。いくら大神の言葉でも、心に染み付いた恐怖はそう簡単に拭い去ることは出来ない。あられもなく悲鳴を上げ、取り乱すさくら。

(爆発音!?足元からだ!)

 大神はそれが雷鳴でないことにすぐ気がついた。実験などでは有り得ない。信じ難いことだが、敵襲か?

 轟アァァァン

「キャアアアァーーー」
「さくらくん、落ち着いて、うわっ!」

 さくらを落ち着かせようとした大神の目の前で、壁が崩れ落ちていくではないか!大神はさくらの手を引き慌てて飛び退った。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「か、雷様に、お臍取られちゃう!」

 連続する爆発音、足元を揺らす振動。最早間違いない、敵襲だ。だが、さくらはすっかり錯乱してしまっている。何とかさくらを落ち着かせなければならない。計算からではなく、大神はそのことを考えた。敵の撃退よりも先に。

「さくらくん、ごめん!」
「!」

 さくらの周囲から音が消えた。鳴り響く轟音も、足元を揺らす振動もさくらから遠ざかった。自分を抱きしめる力強い腕と暖かい胸、全身を包み込む温もりがさくらにとって世界の全てになった。早鐘のごとく打ち鳴らされる心臓、燃え上がらんばかりに上昇する体温。昂ぶる体と裏腹に、心に限りない安らぎをもたらす抱擁。生身の大神がさくらに与えたもの、それは光武の中に在って幾度となく抱きしめられた守護の霊気に似て、それを遥かに上回る陶酔感。今自分がどこにいるのか、何をされているのかすらわからなくなるほどに。

「さくらくん、もう雷様は心配要らないよ」

 耳元で優しく囁く声。

「ど、どうして?」

 かろうじて応えを返したが、意識してのことではなかった。自分の口が何を喋っているのかさえ今のさくらにはわからなかった。

「俺がずっとこうして抱いていてあげるよ。こうしていれば、雷様にさくらくんのお臍は見えないからね」

 悪戯っぽい声。不意にさくらは夢から覚めたような気持ちになった。自分を取り巻いていた何かが力を緩めたように感じた。

「くすっ、大神さんたら」

 大して出来のいい冗談ではないのに、何故かとても愉快な気持ちになった。そして、とても楽な気持ちになった。長いこと自分を縛りつけていた何かから解放された、そんな気がした。大神が自分を抱きしめたままなのも気にならなかった。恐怖はどこかへ消えてしまっていた。

「そう、それでいいんだ」

 漸くさくらの体を離す大神。普段なら羞恥心でそれこそ錯乱してしまう状況だが、さくらの心は何故か穏やかだった。温もりが自分から離れて行くのが惜しいとすら感じた。

「さくらくん、もう雷を怖がる必要はないんだ。俺がついているから」
「お、大神さん!?」

 残念ながら、さくらの平静な精神状態は長続きしない。大神が側にいる限り。何と大胆な台詞。

「俺がさくらくんを守ってあげるよ。俺がついている限り雷は君に手出しできない」
「大神さん…?」

 しかし、単に力づけるにしては随分奇妙な言い回しだ。まるで雷が大神の家来であるかのような…

「だから大丈夫。きっと守ってあげるよ」
「…はい!」

 だが、その真心に偽りはない。理屈ではなく心の最も奥深い部分でさくらはそれを理解した。轟音は相変わらず響いている。でも、最早怖れを感じなかった。どんな時でも大神がついていてくれると信じられる気がしたから。
 さくらは力強く微笑みを返した。




その3



「完全に閉じ込められてしまいましたね…」

 大神へ不安げな顔を見せるさくら。幸いなことに大きな塊が落ちてくるようなことにはならなかったが、廊下側の壁は縦横にひびが入り、あたりには壁や天井の破片が飛び散っている。

「駄目だな、枠が歪んでいるだけじゃない、どうやら扉の向こうを瓦礫が塞いでいる様だ。廊下の天井が落ちたか…」

 大神は先程から幾度も扉を押したり引いたり、あるいは扉に体当たりしていたが、あきらめて扉から離れた。足元からは相変わらず、激しい振動と爆発音。

(ここもいつ崩れるか判らんぞ…)

 不吉な予想が頭をよぎった大神だが、勿論表情には出さない。こんな時でも(あるいは、こんな時だからこそ)彼は将であった。

「さくらくん、道徳には反するが、この際だ。皆のロッカーの中に壁を崩せるようなものが入っていないか見てくれないか。火薬か、鎚か、あるいは銃でもいい」
「は、はい」

 落ち着いた声で明確な指示を出す。慌てた素振りは全く無い。強がりであっても立派なものだ。大神が(表面的には)全く落ち着き払っているので、さくらも少しは不安が薄らいだようである。
 ところで、この時大神が、自分が楽をする為にさくらを使い立てしたのではないことを付け加えておかなねばならないだろう。女性のロッカーの中を覗く訳にはいかないと思ったのである。この際と言いながら妙に律義なところのある大神である。

 ゴソゴソ

 まず紅蘭のロッカーを覗いてから(理由を説明する必要はないだろう)その後、端から順にロッカーの中を覗いていったさくらはマリアのロッカーから声をあげた。

「ありました!」

 振り向くさくらの手には回転式の拳銃。

「マリアの練習用の銃か」

 手慣れた様子で弾を確認する大神。

「全弾装填されているな、さすがはマリア」

 一発を残して銃から弾を抜き取り、ひび割れた壁へと大神は歩み寄った。急ぎ足で。小走りにそれを追いかけるさくら。

「…何をなさっているんですか?」

 所構わず壁を叩き始めた大神を見て、不思議そうな顔でさくらが問い掛ける。扉でも叩くような軽い力だ。壁を壊そうとしている様には見えない。

「よし!これならいけるだろう。さくらくん、銃弾の火薬で壁を壊して脱出するぞ」
「本当にそんな事が出来るんですか?」

 不思議そうな顔が不安げな顔に逆戻りする。無理もあるまい。薬莢の火薬などかき集めても多寡が知れている。その上、壁の向こうは瓦礫で埋まっているかもしれないのだ。

「力の加え方さえ間違えなければ小指で釣り鐘を揺らすことも出来る。構造上の要さえ崩せばこの程度の爆発でも穴を空けられる筈だ」

 さくらの表情がぱっと明るくなる。それは武術の極意にも数えられる譬えだ。言うは易く、行うは難いが大神なら出来るだろう。こういうことに関して、さくらは大神を盲目的に信じていた。
 しかし、大神本人にはそれほど自信がある訳ではなかった。壁に穴を空ける、ということではなく。

「…でも、これは一つ間違えば部屋全体が崩れて二人とも生き埋めになってしまう…一か八かの危険な賭けだ」

 ゆっくりと、言い含めるような口調で懸念を明かす大神。危険を隠すつもりはなかった。部下であっても、危険を知る権利も拒否する権利もある、それが大神の考え方だった。まして大神はさくらのことを部下だとは思っていない。大切な仲間、大切な…
 しかし、さくらに動揺は見られなかった。

「お任せします」

 いつものように。いつも。心の中でそう付け加える。

「俺を信じてくれるかい…?」
「ええ!」

 自分に向けられたあまりにも強い信頼の念に、いささか面食らったように大神は尋ねた。しかし、さくらの返事は揺るぎ無いものだった。

「…ありがとう」

 らしくもなく、それだけを言って大神は作業を始めた。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「じゃあ、いくよ」

 壁に仕込んだ火薬に向かって銃を構える大神。その背後では、さくらが祈る様に手を組んで、大神の背中を見詰めていた。
 銃を持つ手を真っ直ぐ伸ばす。呼吸を鎮め、精神を集中する。だがどうしたことだろう、狙いが定まらない。何百回、いや、何千回と繰り返してきた手順なのに。士官学校の射撃大会で優勝したことすらある大神の手が銃に初めて触る素人のように震えているではないか。

「……くっ……!」

(もし、建物の損傷が俺の想像以上だったら…さくらくんを…)

 そう、いくら射撃に集中しようとしてもこの念を振り払えないのだ。以前の大神を知る者には到底信じられないだろう。いったん銃を、そして剣を持った大神はいかなる迷いも見せたことが無かった。冷酷なまでに目的に集中することが出来た。冷静さを保持しつつ、いかなる感傷も、感情すらも切り捨て、意志と知性だけの存在になる。常に目的を見失わず、かつ躊躇なく目的達成の為の最善の手段を実行する、それが大神という軍人だった。その大神が迷っている。さくらを巻き込むかもしれない、単なる可能性に過ぎない、また案じても意味の無いことを怖れて。
 照星を睨む大神の視界を不意に白いものがよぎった。色白の小さな手。その手が銃を構えたまま震えている大神の手をそっと抑える。

(!)

 ハッとして視線を転ずる。それはさくらの手だった。さくらが両手を差し伸べて大神の手を包み込んでいた。信頼のこもった、信頼だけが込められた目でさくらは大神を見詰めていた。

「大神さん…撃って!!」

 大神の表情から強張りが取れる。フッと、わずかに微笑んだようにも見えた。いったん降ろした右手を再び水平に伸ばす。まるで力が入っていないかのように見えるその腕は、しかし微動だにしなかった。呼吸の間が長くなり、かすかに目が細まる。引き金に掛かる指に力がこもる。

 だが、大神は一つ判断を誤っていた。

 銃声、爆発音、そして

 押し寄せる衝撃波。

 薬莢から取り出した僅かな火薬のものでは有り得ない強烈な衝撃波が膨れ上がり二人に襲い掛かる!

 大神は、自分の霊力のことを計算に入れていなかった。自分の霊力がどれほど強力になっているか判っていなかった。この半年で急激に顕在化した霊力が、精神を集中した銃に込められ、弾丸に乗って発射されていたのだ。強大な衝撃波を生み出す大神の霊力が火薬の爆発と相乗作用を起こして強烈な爆風を発生させたのである。
 咄嗟に身を翻してさくらを庇う大神。だが、さくらはその腕をすり抜けて大神の前に立つ。大神の盾となるかの如く両腕を広げて。

(さくらくん!)

 大神の心が悲鳴を上げる。全てはほんの一瞬のこと。その一瞬の、そのまた何分の一かの極小の時間で大神はさくらを守りたいと念じた。

 そして、それは起こった。

 さくらの体から光が広がる。輝かしい霊光。神聖なものすら感じさせる輝き。光は大きく広がり、二人を包む眩い天蓋となった。光の天蓋は強烈な衝撃波を相殺していく!
 時間にすれば一秒にも満たなかったであろう。衝撃波が収まり、同時に光の天蓋も消える。壁には大人が楽に通り抜けられる様な大穴が空いていた。

「さ、さくらくん…今の光は…」

 滅多に無いことだが、大神は呆然と問い掛けた。度肝を抜かれた、そんな顔をしている。

「わ、わかりません…私、無我夢中で…」

 問われたさくらも同じような顔をしていた。いや、戸惑いはさくらの方が大きかったかもしれない。自分にあんな事が出来るとは想像したことも無かった。

「大神さんが危ない、それしか考えていませんでした。自分でも気付かない内に飛び出していたんです。でも…何故私にあんな力が使えたのでしょう…」

 心底不思議そうな顔をしている。

(今の力、単なる「霊力」とも思えないが…)

 以前、似たような力に触れたことがあるような気がする。たが、それが何か、大神は思い出せなかった。
 仲良く首を捻る二人は気付いていなかった。光が放たれる直前、大神からさくらへと流れ込んだ霊気に。似たような力に覚えがある筈だ。それは、光武で操るあの防御、合体防御とでも言うべき、大神がさくらの(そして、他の隊員の)霊力を取り込んで発動させる能動防御、守護の力と同種の現象だったのだ。思い出せない筈だ。大神は常に当事者なのだから。そしてあの力は、単なる「霊力」を超えた力なのだ。触媒の力が可能とする現象。触媒の力、それは…

「…とにかく、今は敵の撃退が先だ」

 我を失っていたのは一瞬のことだった。すぐに、現状と今為すべき事を思い出す。指揮官に必要とされる切り替えの速さは天性のものである。

「爆発音からすると、格納庫の手前で敵を食い止めているようだ。急がなければ。格納庫に侵入されたら光武に乗り込むのが難しくなる」
「はい!」
「行こう、さくらくん。皆が待っている!」
「はい!!」

 二人は同時に走り出した。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 激しさを増す轟音と振動。ここ、格納庫の間近まで迫っている。格納庫は全くの無人だった。整備要員まで迎撃に回っているようだった。

「さくらくん、緊急出撃の手順はわかっているね?」
「はっ、はい!」
「俺はロックを解除しなければならない。先に搭乗してくれ」

 緊急出撃手順とは。帝国の最高機密たる霊子甲冑・光武は当然のことながら搭乗者である花組隊長・大神にも独断で動かすことは許されない。幾重にも掛けられたロックを定められた手順で外していかなければ出撃できない仕組みになっている。しかし、そうした手順が消化できない緊急事態も当然想定されている。この場合にも、光武に乗り込むだけなら隊員だけでも可能だが、出撃には機体を拘束するロックを解除しなければならない。そして隊長である大神だけにロックを外すことが出来る手順が定められていた。それが緊急出撃手順である。(マリアが単独で出撃できたのは彼女が隊長を務めていた頃のコードが消去されていなかったからである。アイリスが光武を持ち出せたのはひとえに瞬間移動の力によるものだ。それぞれの事件以降、光武の管理は一層強化された)
 一旦、薄紅色の、自分の光武へと駆け出したさくらだが、急に立ち止まると踵を返して大神の目の前まで駆け戻ってきた。

「?」
「あの、大神さん!」

 勢いよく顔を上げて、その勢いのままにさくらは口を開く。

「さっきの、私の子供の頃の話なんですけど…」

 一転して、躊躇いがちな口調に変わる。万華鏡のような不思議な変化。こんな時であるにも拘わらず、大神は高鳴るものを感じた。

「あの話…誰にも言わないで下さいね」

 縋るような趣すらある。見上げるさくらの視線を正面から受け止める大神。

「判った、二人だけの秘密だ」

 初めから大神は誰かに話すつもりなど無かった。この緊急時にわざわざ言うまでもないことである。しかし、焦る様子など全く見せず、大神は穏やかに微笑んで力強く肯いた。

「ありがとうございます。何だか、照れますね」

 照れ笑いを浮かべながらそう言うと、さくらは再び勢いよく身を翻して自分の光武へと駆け寄った。そして、ハッチを開いて振り返った。

「でも、大神さんにお話してよかった。私、もう過去の記憶に負けません!だって、私には花組の皆が、大神さんがついているんですもの」

 照れる気持ちを隠すような大きな声。それは、さくらの誓いの言葉だった。

「さくらくん…」
「大神さん、行きましょう!皆で力を合わせれば必ず勝てる筈です。そうですよね!?」

 その言葉に大神は、今迄以上に力強く頷いた。

「約束しよう。俺達は必ず勝つ。さあ、さくらくん、急いで」
「はい!!」




その4



「おほほほほ!もう終わりか?口ほどにも無いな、帝国華撃團。おーほっほっほっほ!」

 鈍い赤色の魔装機兵の群れ。その中に立つ巨大な、異形の魔霊甲冑。毒々しい赤の機体は深川で「紅のミロク」を名乗った術者の魔霊甲冑「孔雀」に違いなかった。
 紅のミロクに率いられた魔装機兵は地下の資材搬入路から侵入し、徐々に内部へと踏み込んでいった。華撃團側も必死で反撃したが、花組の霊子甲冑以外では有効な打撃を与えられない。そしてその花組も

「…悔しいですけど多勢に無勢ですわね」
「アカン…そろそろ限界や!これ以上食い止められそうも無いで」
「諦めては駄目!隊長が来るまで何とか持ちこたえるのよ!!」

 弱気に傾く仲間を叱咤するマリア。だが、マリア自身も平常心とは言い難かった。
 ここに、何故か大神の姿が無い。そしてさくらの姿も。二人が何をしているのか気にならない者はいなかったが、ここにいる全員にとって大帝国劇場は自分の家と言っていい大切な場所である。マリアの指揮の下、敵の撃退に出動した。何といっても自分達の基地の中であり、花組以外の隊員達の支援も十分受けられるのだ。大神がいなくても敵を退けることなど造作も無い、そう思っていた。しかし、実際にはじりじりと押し込まれている。敵の数がこれまでに無く多いということもあろう。赤色の魔装機兵「紅蜂隊」の性能がこれまで相手にしてきた魔装機兵より優れているということもあろう。しかし、もっと別のことが全員を苛立たせ、焦らせていた。

(くっ!パワーが上がらない)
(どうしてだよ!どうしていつもの力が出ないんだ)

 苦戦を強いられているのは、敵の性能が高い所為ばかりではない。光武がいつもの力を発揮しないのだ。攻撃力も防御力も目に見えて低下している。反応の鈍さが実感として判る程。普段の感覚と実際の動きのずれが花組の被害を拡大していた。

(隊長がいない所為なの?隊長が私達に力を与えていたということなの!?)

 マリアは思い出していた。大神が来る前の光武の性能が今と同程度だったということに。そして気付いた。大神の存在が自分達の力を増幅していたのではないかということに。
 自分の推測に気を取られて周りから注意が逸れる。連携に乱れが生じる。それが、致命的な一瞬を呼ぶ。

「アカン!」

 緑の機体を包囲する赤の魔装機兵。

「紅蘭!!」

 援護射撃は間に合わない。

(やられるっ)

 光武の中で思わず目を閉じる紅蘭。だがその瞬間、紅蘭の全身を霊気が包み込んだ。
 緑の光武に光が流れ込む。光は白い機体となり、緑の機体の上に二重映しの立体映像となる。

 バシッ

 その幻影は力を伴っていた。切りかかる魔装機兵の刃を弾き返し、はじける勢いで取り囲む魔装機兵を跳ね飛ばす。

(大神はん……?)

 何と力強い、そして暖かい波動であろうか。紅蘭は、今、いつも自分達を見守ってくれている暖かい眼差しと、何時の間にか忘れてしまっていた遠い、懐かしい記憶を思い浮かべていた。

「マリア、カンナ、すみれくん、紅蘭を救出しろ!」

 耳慣れた命令の声、いや、自分達を導く声。

「そこっ!」
「せいっ!」
「それぇっ!」

 三人は考えるよりも速く、その声に従っていた。意志ではなくその声が三人を動かしたかのようにすら見えた。たちどころに蹴散らされる魔装機兵。今迄とは明らかに異なる攻撃力。

「お兄ちゃん!」

 アイリスの歓声に他の四人も振り向く。目に映る純白と薄紅の二体の光武。

「さくら!」
「隊長!」
「おっそいでぇ、二人とも!」
「全くですわ!」

 歓声を上げる者もいる、悪態を吐く者もいる、だが疲れの色だけが濃かった全員の顔に笑顔が戻った。

「皆、遅くなってごめんなさい!」
「遅れてすまない、全員、怪我はないな!?」

 五人は力が戻ってくるのを感じた。大神が現れたというだけではない。さくらも一緒だったことが不思議と嬉しかった。やはり、七人揃ってこその帝撃・花組、全員がそう実感していた。

「はい、隊長。機体の損傷軽微ならざるものの、負傷者はおりません」
「少尉、ご命令を!」

 全員が大神の一言を待っていた。

「よし、隊列を組め。これより敵を殲滅する!」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「アハハハハ、馬鹿め、たった二機増えた程度で何が出来る!ものども、行け!!」

 ミロクの指令により群がる紅蜂隊。だが、ミロクはすぐに思い知ることとなった。

「闘っ!」
「哈っ!」

 前衛に立つ純白と薄紅の機体に次々と斬り伏せられていく魔装機兵。その背後から援護する機体の動きもこれまでとは比べものにならない。

「アイリス、皆の機体を修復してくれ」
「うんっ、わかったよ、お兄ちゃん!」

 そして、霊力を使い果たしていたかに見えた華撃團の機体に再び力が漲っていく。

「イリス・マリオネット!!」

 癒されていく機体。これまで見せなかった、使えなかった術。二機増えただけではない。残りの五機も中身が全く別物になっている。先程までとは別の、遥かに強力な部隊が出現したのだ。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 たちまちの内に魔装機兵を押し返していく花組の機体。紅蜂隊はあっという間にその数が半減していた。

「くっ…こ、この紅のミロクの、本当の力を見せる時が来た様ね」

 このような台詞を聞こえよがしに発することこそ、焦っている証拠である。

「出てくるがよい!妾が忠実なる僕達よ」

 魔霊甲冑・孔雀より力が発せられる。同時に大神が指令を下していた。

「紅蘭、遁甲術妨害装置作動!」
「ほいな!」

 紅蘭の光武から霊波が放出される。霊波が広がると同時に、あたりに散らばる備品や光武の予備装甲の上に赤い影が浮かびあがる!

「こ、これは!」

 驚愕の声をあげるミロク。

「やったで、成功や!」

 歓声を上げる紅蘭。

「よし、敵の遁甲術は封じた。増援の紅蜂隊は最早実体化できない。残る魔装機兵を掃討してミロクを包囲するぞ!」
「はいっ!」

 大神の指揮と、重なる返事。勢いを増す光武。
 遁甲術とは何か?それは五行、木、火、土、金、水の波動と同化し、その中に身を隠したり通路としたりする術である。忍術ものの読み物の中でよく目にする土遁の術、水遁の術等は遁甲術の一部だ。真の遁甲術は単に土の中にもぐり込んだり水中に潜ったりするものではなく、五行の「気」に同化することで「気」の世界、物質界と並行に存在する異次元界に存在を移す術なのだ。
 紅のミロクは土遁と金遁の術を使って紅蜂隊を呼び寄せている。前回の深川戦闘で、大神はそう分析していた。単に隠れているだけでは意味が無い。最初から数に任せて襲い掛かる方が戦理に叶っている。ここで注意すべきは魔装機兵の制御の仕組みである。魔装機兵はその頭部に格納された金属製の呪符を術者が発動させることで術者の命令に従う仮初めの意志を持つ。ならば、同時に制御することの出来る魔装機兵の数は術者の力量に応じて自ずと限られてくる筈である。単に暴れまわらせる=暴走させるだけなら話は別だが。(またこの故に、魔装機兵を操っている間、術者は魔霊甲冑を十分に動かせないのだろう)おそらく、紅のミロクは自分の制御可能数を超える魔装機兵を異次元に潜ませておいて、破壊された分の補充としているのだ。
 ところで遁甲術は妖術ではない。それは法術の一種で陰陽術に近いものである。おそらくミロクは元々魔に属するものではなく、魔に魅入られた法術師なのだ。陰陽術ならば華撃團にも詳しく知る者が多数いるし、霊子技術の観点からの研究も進められていた。遁甲術を技術的に再現することは出来なくても、異次元の扉を開くのを妨害し実体化を阻止する実験は既に行われていた。そのことを知っていた大神はミロクとの再戦に備えて大急ぎでこの装置を作らせ、紅蘭の光武に組み込ませていたのだ(複雑な霊子機械を作動させる力にかけては紅蘭が最も優れている)。
 そして今、「気」の次元に潜んでいた紅蜂隊は「気」の次元と「物質」の次元の狭間に磔となった。大神の「備え」がミロクの「術」を無力化したのだ。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 全ての紅蜂隊を破壊し、魔霊甲冑「孔雀」の包囲にかかる花組。だが、孔雀は思いのほか手強かった。

「あーっはっはっはっは」

 ドン、ドン、ドン

「大丈夫か、カンナ!?」
「ああっ、まだまだ平気だぜ」
「大神はん、どないします?これでは迂闊に近づけまへんで」

 魔霊甲冑・孔雀はこれまでの敵と異なり、強力な長射程砲を装備している。しかも移動速度が極めて速い。その上、さくらと大神以外は既にかなり消耗している。アイリスの能力で機体の損傷は修復できても、大神の助けなく苦戦を強いられた隊員達の疲労は光武の能力に影響を及ぼし始めていた。特に移動速度が落ち始めている。その所為で包囲網が完成しないのだ。

「よし、俺とさくらくんで奴の動きを止める。他の者は奴の正面に立たぬ様大きく迂回して包囲を絞り込んでいくんだ」
「わかりました、隊長」

 危険な作戦だ。特にさくらの光武は大神の機体ほど防御が強くない。以前なら真っ先に異を唱えていただろう。だが最早、マリアは大神の指揮に異論を差し挟んだりはしなかった。

「さくらさん、少尉の足を引っ張るのではありませんことよ」
「大丈夫です、すみれさん。任せて下さい」

 すみれの憎まれ口からはさくらを案ずる気持ちが感じ取れる。さくらの応えにはすみれを安心させようという思い遣りがこもっている。

「行くぞ、さくらくん」
「はい!」

 そして大神とさくらの遣り取りにはお互いへの信頼が込められていた。並んで孔雀へと突進する純白と薄紅の機体。
 襲い掛かる砲撃。だが、薄紅の機体は持ち前の俊敏さで直撃を躱しながら赤色の巨体へと肉薄し、純白の機体は砲撃を跳ね返しながら真っ直ぐ突っ込んでいく。これほど真正面から一直線に迫られては左右に躱しようが無い。どちらに動いても隙を作ることになる。ましてミロクは武術の心得など皆無と言っていい。動きを止め、立ち竦んでしまう孔雀。大神の狙い通りに。

「さくらくん、今だ!」
「はいっ!」

 さくら機が足を止め、抜打ちの構えに入る。高まる霊気。その間にも大神の突進は続いている。ミロクの目には、最早純白の機体しか映っていない。

「破邪剣征・桜花放神!!」

 その一途な、そして純粋な心を映すが如く、どこまでも一直線に伸びる清冽なる気の奔流。魔を吹き祓う霊気の嵐。さくらの必殺技が孔雀の巨体を直撃する。

「闘っ!」

 直後斬りかかる二本の大刀。大神が操る斬魔の刃。この近距離では長い砲身がかえって邪魔だ。

「哈っ!」

 さらに側面からさくらが斬りつける。孔雀の動きは完全に止まった。

「くう〜〜〜っ」

 悔しげに唸る紅のミロク。その時、孔雀の胸から突き出た貧弱な二本の腕が奇妙な動きを見せた。まるで印でも組むように骨だけの指が絡み合う。急激に「気」が高まるのを大神は感じた。妖気というより陰陽術の気に近い。いや、道術か。その気は大神にも馴染み深いものだった。

「―――っ、雷破!!」

 ミロクの呪言とともに強烈な雷撃が虚空に生じ、薄紅の光武へと襲い掛かる。
 跳ね回る稲光と電気のはじける音。
 だが、雷光はさくらに届かなかった。

「何ぃっ!?」

 さくら機の頭上に大刀が差し伸べられている。ミロクの放った雷撃は純白の光武に握られた大刀の上で舞い踊っていた。刀身に纏わり付く電光は何故か本体へ襲い掛かろうとしない。まるで、光武を操る意志に雷光までが服しているかのようである。

「ありがとうございます!!」

 さくらは理解した。大神の口にした言葉を。大神が側にいる限り、雷がさくらを傷つけることはない。理屈はわからない。だが、実際に大神はさくらを守ってみせた!
 さくらは改めて思った。自分は大神を信じて戦えばいいのだと。

「哈っ!」

 思わぬ方法で必殺の術を防がれて愕然としているミロクへさくらが斬りつける。力を放出して虚脱している孔雀に最前までの防御力はない。

「スネグーラチカ!!」

 更にマリアの必殺攻撃が襲い掛かる。

「神崎風塵流・胡蝶の舞!!」
「一百林牌!!」

 技の射程に応じて、次々と必殺攻撃が繰り出される。今迄の鬱憤を晴らすかのように。

「狼虎滅却・快刀乱麻!!」

 そして、ミロクが繰り出した雷撃よりも尚強力な雷光を纏った斬魔の刃が孔雀の巨体を跡形もなく粉砕した。



第六話エピローグ


「おーっほっほっほっほっ!」

 黒之巣会を全て撃破し格納庫へ戻ろうとした大神達へ突如注がれる出所不明の嘲笑。

「えっ?まさか!ミロクの声!?」

 さくらだけではない。全員驚きを隠せないでいる。あの爆発の中からどうやって…

「霊子力の爆発で妨害装置の霊波が遮られたか…」
「機体の爆発に紛れて術を使いよったんやな!ほんましぶといやっちゃでぇ」

 大神の一言に紅蘭が頷く。だが、悠長に解説している場合ではなかった。

「ほほほほほ!これで勝ったなんて思わないことねぇ」
「ま、まさか、奴等の襲撃は私達を足止めする為に!?」

 ミロクの思わせぶりな台詞に反応したのは大神ではなくマリアだった。大神は響きつづける嘲笑にじっと耳を傾けている。

「隊長!とりあえず作戦室に上がりましょう」

 不意に、白い光武のハッチが跳ね上がる。飛び降りた大神の右手には銃、左手には肉厚の短刀が握られている。目にも留まらぬ勢いで数メートルを跳躍した大神は戦場となっていた地下工房の片隅に向かって弾丸を撃ち込んだ!

 ギャアアーー

 断末魔の悲鳴と共に壁の中から滲み出してきたのは花魁装束の美しくも禍々しい女。これが紅のミロクか!?
 隙の無い足取りでその女に近寄る大神。花組全員が光武から飛び降りて大神の元へと駆け寄ってくる。

「紅のミロクだな?」
「な、なぜ妾の居場所が…?」

 短刀を突き付けて問い掛ける大神にミロクは途切れがちの呼吸で応える。弾丸は腹をえぐっており、いかに妖人であろうと長くは持たないと見えた。
 ミロクの疑問には答えず大神は尋問を続ける。

「おまえ達の目的は何だ。我々をここに足止めして何を企んでいる」

 大神の持つ短刀の切っ先はミロクの体に食い込んでいる。息を呑む6人。大神は彼女達が見たことも無い表情、いや、無表情をしていた。

「フ、フフフ、フフ、もう遅…い…今ご、ろは、最後の、封…印を、叉丹ど、のが…」
「!」
「封印…?」

 仮面じみていた大神の表情に驚愕の色が走る。しかし、他の隊員達はただ首を捻るだけだ。

「答えろ、紅のミロク!最後の封印は日比谷公園だな!?」
「ハッ、ハハ、ハ…天海様の…勝利…だ…妾は………」
「くっ!全員、作戦室へ急げ。光武の補給が終了次第、出撃する」

 こときれたミロク。だが大神は自分の手でもたらされた眼前の「死」を全く無視して命令を発する。しかし、反応はない。花組の乙女達は激しい動揺の内に硬直していた。

「どういうことです?封印とは?何故隊長にはミロクの居場所が分かったのです?」

 戦場の死をいやというほど目にしてきた筈のマリアですら、動転し、混乱している。必要の無いことまで質問している。彼女達は初めて冷酷な兵士としての大神を見たのだ。

「居場所を特定したのは声の反響だ。封印とは奴等が帝都に仕掛けようとしている魔術の儀式だろう。それを行う場所はおそらく日比谷公園だ。作戦室にはその確認に行く。光武の準備が出来次第、奴等の魔術を阻止する為に出動する。以上だ。急げ!」
「はっ、はい!!」

 全ての質問に一気に答え、再度命令を下す大神。その声には力が込められていた。衝撃から抜け出せぬままであるにも拘わらず頷く六人。
 しかし、最早手後れだった。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「完成だ」

 含み笑いをするまだ若いと言っていい男。年の頃は二十代後半か。陣羽織を羽織った、時代錯誤の侍装束以外は極普通の外見の青年である。だが、どこか違和感を覚えさせる。普通の人間には見えない、のではなく、とても人とは思えない何かが秘められている。
 日比谷公園の一角。あたりには人影一つ無い。夕立も上がり、まだそれほど遅い時間でもないというのに。男は視線を落としていた。見詰める先の地面はぼんやりと光を放っていた。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 帝都某所の地下。闇の中に佇む僧形の老人はカッと目を見開いた。

「おおっ、やりおったな、叉丹!ついに最後の封印を抑えたか」

 錦の袈裟、高位の僧服、だがなんという妖気か。この者が仕えるものは仏では有り得ない。

「時は来た!天よ吠えろ!!地よ叫べ!!」

 まさに呪いを撒き散らすのに相応しい魔人だ。

「偉大なる支配者の復活を祝う狼煙を上げるのだぁ!!」

 魔人の全身から膨大な妖気が吹き出した。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「なっ!?」

 駆け出さんとした直後、大神は異変を感じ取った。だが、彼の呟きは轟音にかき消された。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 足元を突き上げる激しい振動。
 聞いたことも無い激しい地鳴りの音。
 帝都全域を巨大地震が襲った。

 崩れ落ちる建物。脱線する蒸気列車。ひび割れる道路。
 押し潰される人々。
 阿鼻叫喚の渦。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 異変は帝撃本部でも起こっていた。

「ぐああぁぁぁっ」

 苦悶の声をあげる大神。両手で頭を抑え、全身を震わせている。まるで高圧電流を浴びているような、今にも倒れそうな悶え方だ。体中至る所で激しい光が明滅していた。

「大神さんっ!!」

 駆け寄るさくら。大神を抱き止めようと手を伸ばす。

「だ、駄目だ!」

 大神の警告は一瞬遅かった。

 キャアアアーー!!

 大神に触れた瞬間、さくらがまさしく感電したかのように激しく身を震わせ、悲鳴を上げて倒れる。目を見張る大神。

「ぐおおぉぉぉぉ!!」

 大神が咆えた。獅子の咆哮を思わせる気合と共に大神の全身に纏わり付いていた光が弾け飛ぶ。

「さくらくん!しっかりしろ、さくらくん!!」

 気を失ったさくらを抱き起こす大神。必死な表情、心より仲間のことを案じる必死な声に呪縛から解き放たれたが如く我に返る5人。一斉にさくらの周りへ走り寄る。

「さくら!」
「さくらさん!?」
「さくらっ!!」

 しかし、どんなに呼んでもさくらの意識は戻らなかった。


――続く――
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