魔闘サクラ大戦 第七話
その1



 崩れ落ちた建物、ひび割れた道路、転倒した列車。そして、血を流す人々とかつて人であったもの。未曾有の大地震が帝都を襲った。あまりの惨事に恐慌に陥るより呆然と立ち竦む市民達。そんな人々を、倒壊を免れた時計塔の上から見下ろす人影があった。

「フ…これが六破星降魔陣か…」

 薄ら笑いを浮かべるまだ若いと言っていい男。この惨状を目の当たりにして、笑いを浮かべる精神の持ち主。何時の間にか姿を消したその男の謎めいた台詞を聞き取ったのは、ただ夜の暗闇だけだった。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 医療ポッド、それは蒸気に溶け込ませた生体賦活剤を満たした閉鎖型の治療機である。ひしゃげた円筒形の寝台とでも言おうか。人が横になれるだけの大きさを持つ金属製のカプセル。帝国華撃團の最先端技術を利用した、万能治療機。人体の治癒力を最大限にまで高めるその機械の中に若い女性の姿があった。まだ若い、そして美しい少女。目を閉じた彼女が横たわるポッドの傍らに膝を突く若い男がいる。金属の蓋に組み合わせた両手を載せ、組んだ手の上に額を押し付けているその姿は祈りを捧げているようにも見える。苦しげに閉じられた両目。微かに震える唇から、微かに震えた声が漏れた。

「さくらくん…目を開けてくれ……」

 大神の震える声が。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 大地震の瞬間、大神の体に正体不明の力が襲い掛かった。全身に明滅する閃光。身悶え、倒れそうになる大神を抱き止めようと手を伸ばしたさくらは…衝撃に意識を失った。
 大急ぎで医療室にさくらを運び込んだ大神。さくらはそのまま医療ポッドの中となり、地震から数時間が経過した今も、目覚める気配すらない。そして大神は数時間が経過した今も同じ姿でさくらの側に付き添っている。祈るように跪き、祈るように手を組み、祈るような表情で。
 大神の背後には五人の少女達。帝国華撃團・花組、彼の部下である少女達。彼女達もまた、大切な仲間であるさくらの容態を案じて付き添っているのだった。それが何の役にも立たぬと知りつつ。だが、彼女達はこの大神の姿を見て、こんな場合であるにも拘わらず安堵するものも感じていた。つい先程見せられた衝撃的な光景。人の体に、無表情に刃を突き立てる大神。死に行くものに対して何の感慨も、感情の揺らぎすらも見せなかった、彼女達の敬愛する男の冷酷無情な姿。だが、今さくらのことを一心に案じる大神の姿は、間違いなく彼女達が心を預ける隊長の姿だ。

「大神くん…」

 躊躇いがちに声を掛けたのは、大神より幾分年上の美しい女性。その声に、大神はゆっくり顔を上げた。

「あやめさん…」

 あやめにとってある意味驚きだった。これほど大神が脆い姿を見せるとは。いや、脆いと言うのは違うかもしれない。情の深さ、その非人間的なまでの才能と能力に似合わぬ人間的な暖かい心の表われか。

「さくらくんの容態は…どんな具合なんですか?」

 心の底から仲間を、さくらを案じるその声は、しかし力を失ってはいなかった。大神は決して絶望してはいない。自分の務めを忘れてもいない。自分でも意外なことに、そのことに胸を撫で下ろす想いをあやめは禁じることが出来なかった。

「医療ポッドの診断では、怪我は全くなし、内臓にも異常は見られないわ。脳波も安定している。何故目を覚まさないのか…残念ながら原因不明よ」

 再びさくらの横たわる医療ポッドへ視線を落とす大神。金属製の蓋は顔の部分だけがガラス張りになっており、目を閉じたさくらの表情が見える。全く無表情の、別人の様なさくらの顔が。

「傷一つ無いというのに…せめて目覚めない理由がわかれば」
「ただ…」

 あやめの口から漏れた言葉に鋭く反応する大神。見るものに恐怖すら感じさせる真剣な眼差し。自分にはこれ程心を傾けてくれる相手がいるだろうか、不謹慎と知りつつあやめは心の片隅でこう思わずにいられなかった。
 もつれた舌を無理矢理直して、あやめは言葉を続けた。

「…ただ、さくらの気の流れが異常に高まっているのよ」
「…どういうことですか?」
「これはあくまで推測だけど…さっきの衝撃で『トランス状態』になってしまったのかも…」

 背後で息を呑む気配。大神は立ち上がりながらゆっくり振り返った。
 意味のわからないアイリス以外は一様に蒼ざめた顔になっている。衝撃を受けた表情。だが、大神が比較的平静な顔をしているのを見て、少しほっとしたような雰囲気が漂う。内心舌を巻くあやめ。部下の動揺を鎮めることは指揮官のもっとも重要な役割の一つ、そのことを大神はよくわきまえていた。
 大神は再びあやめの方へと向き直った。

「仮にトランス状態だとして、目覚めさせる方法はわかりますか?」

 一番訊かれたくなかったことを平然と口にする。答えを聞くのが怖いはずのことを。希望を打ち砕かれるかもしれない答えを。なぜ大神は取り乱したりしないのだろう?妙に心をかき乱される大神の態度。自分とそう年の変らない、否、年下の、新米のはずの青年士官。その落ち着いた顔がなんだか小憎らしくなってきたのをあやめは感じた。

「残念ながら…私達に彼女の眠りを覚ます方法はないのよ」
「そうですか…」

 落胆した様子は見せても、無様に騒ぎ立てたり見苦しく悲嘆に暮れたりしない。そんな、出来過ぎた大神の態度に、自分でも訳の分からない衝動に任せてあやめは言葉を続けた。

「これで花組は貴重な戦力を失ってしまったわね…」
「あやめさん!!」

 およそ日頃のあやめからは考えられない無神経な一言、そして日頃の大神からは想像することの難しい厳しい口調。感電したように身を震わせるあやめ。それは叱責だった。
 あやめの顔色が変わる。自分が決して口にしてはならないことを口に出してしまったことを今更のように自覚する。

「ご、ごめんなさい。どうかしてるわね、私…こんな事を言うなんて……」
「いえ、私も分をわきまえぬ振る舞いでした。申し訳ありません、あやめさん」

 二人はすぐに大人の度量を見せて場を取り繕うが、それでも気まずい空気は晴れない。そこに女性士官が駆け込んできた。空の青、風組の制服。

「大神さん、魔装機兵が現れました!!すぐに作戦室に来て下さい」
「わかった、由里くん。すぐ行く」

 その場の雰囲気を振り払うように、明るい声で大神は少女達に指示を出す。さくらのいない花組に。

「皆、作戦室に集合だ」

 そして、不安げな表情をしている少女達にこう付け加える。

「さくらくんは必ず目を覚ます。だから俺達は俺達に出来ることを、俺達にしか出来ないことをしよう」

 その声は決して強い調子ではなかったが、不思議な確信がこもっていた。信じる心を分け与えるような不思議な力が込められていた。五人の表情が変わる。不安の色が薄らぐ。

「そうですね…皆、作戦室に行きましょう」

 表情を緩めたマリアが他の四人に促す。

「大神隊長」

 そこへ医療室の医師、兼医療ポッド技師から声が掛かった。

「少し、いいかな?」
「わかりました。皆、先に行ってくれ。あやめさんも先に行って下さい」
「はい、隊長」
「わかったわ、大神くん」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「大神隊長、君は何とも無いのかね?」

 腰掛けた大神に浴びせられたのは、この抽象的な質問だった。

「はい、別に異常はありませんが…先生、何か?」
「端的に言おう。君なら理解できると思う」

 医師は軽く前置きし、机の上から診断書を取り上げて本題に入る。

「真宮寺君の体内から大量の霊的エネルギーが検出されている。我々の研究記録の中に、これと酷似した事例がある。神懸かりの巫女に観測される現象だ」
「さくらくんは神懸かりしていると?」

 軽い驚きを示す大神。それほど意外でもないような表情である。

「先程の話では、元々君に流れ込んだエネルギーが彼女に流入したようだね?ということは、君の内にも『神』が宿っているかも知れん」
「……」

 しかし、この一言には意表を突かれたようだ。

「気をつけることだ。『神』が必ずしも人に優しいとは限らない」
「…わかりました、十分気を付けます」
「君ほどあらゆる意味で自己制御に長けた者を私は見たことが無い。自覚さえしていれば、君ならば大丈夫だろう」
「ご忠告ありがとうございます。肝に銘じておきます」

 わずかに息をつくと、医師は疲労交じりの声でこんな事を言い出した。

「頑張ってくれよ、大神隊長。君が頼りだ。この戦(いくさ)を終わらせて、彼女達を戦いから解放してやってくれ」

 医の道に携わる者にとって、少女達が殺伐とした戦に命をすり減らす様は耐え難いものがあるのだろう。そして、それは大神の願いと同じだった。

「わかりました」

 大神は頷き、立ち上がった。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


(さくらくんは俺の身代わりになったようなものだ…何故あんなことをしたんだ、さくらくん。君達の無事こそが俺の願いなのに…)

(事前に敵の目的が分かっていながら何の手立ても講じられなかったとは!だが、これ以上奴等の思い通りにはさせん!!)

 外見からはわからないが、大神の心を占めていたのはさくらを案ずる心ばかりではなかった。自分の不甲斐なさに対する憤りと敵に対する闘志をも掻き立てながら、大神は作戦室へと向かう。同時に何種類もの思考を抱えて、彼らしくもなく、背後から忍び寄る人影に気がつかなかった(危険を感じなかった所為もある)。

「うふっ…だぁ〜〜れだ?」

 視界を塞ぐ繊細な手と耳元に囁きかける甘い声。猛り立った心が和む。
 犯人が誰かはすぐに分かった。

「これは…すみれくんだろ?」
「ほほほっ…わたくしのこの美しい声は間違いようがありませんものね」

 全くすみれらしい言い草。それに相応しい調子で大神も応える。

「ははは、任せてくれよ。他ならぬ、すみれくんだものな」
「まあ、少尉ったらお上手ですわね」

 頬を赤らめるすみれ。まんざらでもなさそうだ。

「…すみれくんがこんなことをするなんて珍しいな…」
「あ…いえ…その……た、たまには、こういう遊びも面白いかと…おほ、おほほほほほ!」

 自分の顔を覗き込んでくる大神に、慌てたように弁解を口にするすみれ。それが照れ隠しであることも、すみれの真意も大神にはわかった。わかるような気がした。

「すみれくん、俺なら大丈夫だ。俺を元気付けようとしてくれたんだろう?ありがとう」
「あっ、いえ、そ、それではこれで…わたくし、失礼いたしますわ。お先に…少尉」

 顔を赤くしてそそくさと立ち去るすみれ。その背中に大神はもう一度小さく声を掛けた。

「……ありがとう、すみれくん」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「遅くなりました。敵の状況を教えて下さい」
「魔装機兵は帝都の七個所から出現しました。数はそれぞれ百を超えています」

 作戦室の扉を開けるなり戦況について尋ねた大神に、空色の制服を身に着けたかすみが答える。

「総数七百以上か…よくもこれだけの数を揃えたものだ」
「そんなお気楽なこと言ってる場合かよ!とてもじゃねえがいちいち相手に出来る数じゃないぜ、どうする?隊長」
「さくらもいないのに…お兄ちゃん、どうしよう」

 呆れ返ったように呟く大神に焦りの色を浮かべる一同の視線が集まった。米田にすら、心なしか焦燥の色が見て取れる。

「落ち着け。焦ったところで事態は好転しない。魔装機兵は何か動きを見せていますか?」

 冷静に質問する大神。問い掛けられたのはあやめである。

「今のところ、威嚇するように隊列を組んでいるだけよ」
「何も手出しはしていませんよね?」
「彼らには通常の武器は通用しないとわかっているから。警察や陸軍には無用に犠牲を出すことが無い様長官から通達してもらいました。でも、何でそんなことを訊くの?」

 大神の意図がわからない。いや、この大軍を前に何故こんなに落ち着いていられるのかがわからなかった。それがわからなかったのはあやめだけではなかった。

「大神、何か考えがあるのか?」

 米田がそれまでの沈黙を破る。

「いえ、策があるという訳ではありませんが。ただ、これだけの数の魔装機兵を同時に制御することはいかに魔法陣の力を借りたところで不可能な筈です。大半の魔装機兵には単純な命令が予め刷り込まれているだけでしょう。おそらくは、自己防衛と無差別の破壊活動」
「……」
「黒之巣会は何らかの要求を政府に対して突き付けてくる筈です。それが受け容れられない場合、破壊命令を発動させる術が行われるのだと思います。奴等の目的は日本の支配です。奴等にとっても旧王都である東京を、目的も無く破壊することはまずないと思われます」
「なるほどな…」

 奇妙な沈黙が流れる。それを破ったのは、通信管制を担当している由里だった。

「長官、ラジオの全周波数帯から黒之巣会の声明予告が流されました!」
「電波を乗っ取るとは…たいした技術だ」

 雰囲気に似合わぬ他人事のような呟きを漏らす大神。だが、それを耳に留めたものはほとんどいなかった。

「すぐにスピーカーをつないで!」

 あやめの指示。程なく、スピーカーから地の底より響いてくるかの如き不気味な声が流れてくる。覚えのある声。芝公園で戦った人妖の声だ。

『我は黒之巣会総帥、天海!帝都の生きとし生ける者どもよ、見たか、我が力を!我が力を持ってすれば、この汚れた街から西欧の血を洗い流しかつての徳川幕府を復活させることなど造作も無し!!』
「貴様の力で出来ることは破壊と殺戮だけだ」

 ボソッと呟く大神。その口調には嫌悪感が溢れていた。

『帝都の哀れな市民に告ぐ!おまえ達に残された時間はあと…1時間だ!即ち、午前四時までに政府は解散し、我々に降伏せよ!その証として、帝都銀行の保有金百億と、米田中将の命を差し出すのだ!要求が受け容れられぬ時は、帝都壊滅の瞬間が訪れる。フェーフェッフェッフェッフェッ』
「金百億、それが援助の代償か。売国奴め!!」

 吐き捨てるように言う大神。それをかき消すようにいきり立つ米田。

「俺の命が欲しいだと!よぉし、いいだろう、天海!!刺し違えてやるぜ!!」
「長官!」

 今にも飛び出していこうとする米田の前にマリアが立ち塞がる。こういう事態にはさすがに冷静だ。

「どけ!奴等がせっかく死に場所を作ってくれたんだ!」

 対して米田は完全に逆上している。黒之巣会の企みを阻止できなかったこと、帝都が最早風前の灯火であること、自分が名指しされたこと、その全てが知将米田の頭脳を狂わせている。マリアを押しのけて進もうとする米田。

「落ち着いて下さい、長官」

 米田とマリアの間に割って入った大神は、平素の口調と表情を崩していなかった。

「まだ勝敗が決まった訳ではありません。さくらくんがいないとはいえ、花組は健在です。光武も、翔鯨丸も」

 その落ち着いた声が、場の空気を沈静化させる。

「長官、隊長のおっしゃる通りです。早まっては敵の思うツボです。ここは冷静になって下さい」
「うむ…すまん。おまえ達の言う通りだ」

 畳み掛けるマリアの説得に米田は漸く平常心を取り戻す。

「だけど、どうするんだい、隊長?敵が満足に動けねえなら、いっそのこと片っ端からぶっ潰すか?」
「これだから単細胞は困りますわ。いくらなんでも百倍以上の敵を一度に相手に出来るものですか」

 その事はカンナにもわかっていた。すみれにしても代替案がある訳ではない。

「このまま四時になったら、みんな死んじゃうよ!?ねぇ、お兄ちゃん、お兄ちゃんなら何とかしてくれるよね!!」

 半ばべそをかきながら、縋り付いてくるアイリス。
 暫しじっと目を閉じていた大神は目を開くと同時に口を開いた。

「敵の本拠地をつき、天海を仕留める。これしかない。魔法陣も魔装機兵の制御も天海の妖力によるものに違いない。ならば、天海を討てば…」

 大神が口にしたのは極平凡な戦略である。しかも言うは易く、行うは難い。しかし、追い詰められた状況で平凡な、言い換えればありふれた策を選択することのなんと困難なことか。そもそも、有効であるからこそありふれているのである。だが、危地に陥った時、奇策を好んで自滅する者のなんと数多いことだろうか。

「なるほど、帝都の魔法陣は消滅しますね」
「敵の急所を突いて一撃必殺、だな。空手と同じだぜ」
「確かに、その作戦しかありませんわね」

 そして、この場合それしかないのだ。そのことが全員に、直感的に理解できたようだった。

「…問題は、敵の本拠地がどこか、ということだが」
「それやったらまかしときぃ!こんな時の為に蒸気演算機があるんやないか。天海かどうかは特定できへんけど、帝都に漂う妖気を感知して地図に投影することは出来るで」

(…他に手立てはないな。不確実すぎるのだが…)

 紅蘭の発案は大神も思い浮かべていた。だが、蒸気演算機は力の大まかな種類と大きさしか測定できない。天海がもっとも大きな力を発しているとは限らない。だが、もう時間が無い…

「よし、やってみよう。皆、演算室に集合だ」
「はい!!」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「ふふふ…俺達の出る幕無し、だな。あやめくん」

 米田の口調には寂しさよりも満足感が漂っている。優れた後継者を見出した老人の満足感とでも言おうか…

「長官、私達にもまだまだやらなければならないことがありますよ?」

 わざとおどけたような口調であやめが言葉を返す。その思い遣りが通じたのだろう。米田は背筋を伸ばして立ち上がった。

「そうだな、奴一人を働かせる訳にもいかん。あやめくん、今回はわしも翔鯨丸から指揮を執る。花屋敷へ移動するぞ」
「わかりました!」




その2



 撞球(ビリヤード)台を思わせる巨大な卓の上を光が踊っていた。硝子面には帝都周辺の地図が描かれており、下からいくつもの光点が投影されている。蒸気演算室、主演算機投影盤。蒸気演算機の分析結果を表示する装置であった。
 演算機の前では紅蘭が操作卓に手をついて一心に精神を凝らしている。こめかみを伝わる汗。蒸気演算機は蒸気と電気で動く物だが、単なる計算機以上の能力を発揮する為には霊子機関による補助が必要となる。そして、蒸気演算機に高い能力を与えることにかけては、紅蘭の独壇場だった。
 帝都の地図上に八つの光点が定着する。六つは六破星降魔陣の「楔」を打ち込まれた場所。一つは魔法陣の中心。そして、ひときわ大きな光点は魔法陣の軸線上からやや外れた地点を示していた。

「紅蘭、もういいぞ」
「ふぅー、どれどれ」
「………」

 卓上を覗き込む六人。アイリスは大神に抱きかかえられてだが。こんな場合でも一悶着が絶えないのは呆れるべきか、それとも余裕があると喜ぶべきか。

「隊長…どう思われました?ひときわ大きな光点が映っていましたが」

 光点の大きさは妖力の強さに比例する。ひときわ大きな光点、それはひときわ大きな妖力がその場所に存在するということ。おそらくは最大の力を持つ妖術使いがそこにいるということだ。
 全員の視線を受けた大神の応えは、だが意外なものだった。

「俺は、あの大きな光は天海ではないと思う」
「…何故です?」

 マリアにしてみれば、単に確認の為の質問だった。マリア自身は天海に間違い無し、そう確信していた。それを大神は違うと言う。

「規則的に並んだ光点の中で、あの光だけが文字どおり異彩を放っていた。どうもそのことが引っかかる」
「ですが、あんな強い妖力を放っておく訳にもいきませんわ」
「それに時間がないんや。ある程度、決め打ちでいかんとしょうがないで」
「一番強い奴をぶっ潰せば間違いねぇよ」
「アイリスもそう思うよ」

 珍しく、大神の意見に皆が異を唱える。それは、大神自身にも確信が欠けていたからかもしれない。

「隊長、私も皆の意見に賛成です。とにかく、今は迷っている暇はありません。出撃しましょう!」

(天海でないとしても、黒之巣会がらみであることには間違い無い。何らかの手がかりは得られる筈だ)

 マリアの言う通り、何より時間が無い。手がかりを得る為には多少危険を冒すのもやむを得ない。大神は心を決めた。

「わかった。あの光を天海と想定しよう。帝国華撃團・花組、出撃だ!目指すは天海の根拠地!」
「はい!!」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 轟雷号より降り立つ光武。最早偽装などと言っている場合ではない。直接地上に躍り出る六機。

「すみれくん、このあたりだな」
「ええ!このあたりの妖気の高まり…間違いありませんわ!」

 周囲を見回す大神。このあたりは地震の影響が少なかったようだ。煉瓦造りのビルがいくつも原形をとどめている。

「フハハハハハ。ご苦労だな、華撃團!」

 それらの一つ、正面のビルから突如聞こえてくる嗤い声。何時の間にか、屋上に一人の男が立っていた。
 見覚えがある。確か、上野公園で…

「あの男は黒之巣会の!」

 マリアの声が大神の記憶を裏付ける。そう、それは黒之巣会幹部、黒き叉丹と名乗る妖人だった。
 決して捨てておける相手ではない。だが、今は別の目的がある。

「貴様如きに構っている暇はない。親玉の天海はどこだ!」

 大神は何となくわかってしまった。ここに、天海はいない。となれば、この男が数少ない手掛かりだ。

「親玉…!?フフフフフ…」

 だが、黒き叉丹は逸らかすように嘲笑を続けるだけである。

「素直に白状すれば、痛い思いをせずに済みますわよ!?上野公園でわたくしにコテンパンにされたのを懲りてらっしゃらない様ね」
「隊長!この男を倒して天海の居場所を吐かせましょう」

 優雅な口調で気の短いことを言うすみれ。今にも銃弾を叩き込みそうな勢いのマリア。しかし、その気迫を前にしても、叉丹の顔に張り付いた冷笑は消えなかった。

「そう上手くいくかな?」

 その台詞を合図にしたかの様に、背後から吹き付ける大量の妖気。振り返る大神の目に映ったのは、何時の間にか現れた魔装機兵の大軍だった。

「くっ…こういうことか!」

 罠にはめられた、その事が全員にわかった。自分達が妖気を辿って出てくることが読まれていたのだと。

「隊長、どうするんだ!?」

 機械的に歩み寄る(機械だから当たり前といえば当たり前だが)魔装機兵の群れに向かって構えを取りながらカンナが叫ぶ。彼女ですら、追い詰められた表情をしているのがその声から窺える。

「皆、命を無駄にするな!とりあえず守備陣形を敷け。脱出の機会を待つんだ」

 陣頭に立ち、大神が号令する。絶望するな、命を粗末にするな、それは彼が常に言いつづけていることであり、実践していることである。

「了解しましたわ!確かにここは、神崎すみれ様が命を懸けるには相応しい舞台とは言い難いようですわ」

 強がりであっても、こんなすみれの一言には前向きの気持ちにさせてくれるものがある。だが一方で、状況が絶望的だという認識も共通のものだった。

「そやけど…この大軍を相手にどれだけもつやろか…このままやと遅かれ早かれ、全滅やな」

 紅蘭のそんな一言は五人の気持ちを代弁している。五人、ただ一人の例外。

「脱出は可能だ。とにかく、身を守ることに専念しろ。マリア、機関砲を連射から三点射撃に切り替えろ。紅蘭、チビロボの制御を八機同時から個別制御に変更。弾薬を長く持たせるんだ」

 持久戦の指示。短期決戦兵器である光武の、本来の運用方法とは異なる戦術指揮。大神は本気で諦めていない。
 そして、間近まで押し寄せてきた魔装機兵を次々と、ことごとく一刀で切り捨てる!

「すげえ…」
「まるで快刀乱麻の連発ですわ…」

 白い光武の振るう大刀には雷光が舞い踊っていた。一振で相手を爆砕するその剣撃は確かに大神の必殺攻撃、狼虎滅却・快刀乱麻かと見える。

「隊長、無理をしないで下さい!」
「そや、いくら大神はんでも必殺攻撃の連発なんて身が持ちまへんで!」

 自棄になっているとすら見える大神の獅子奮闘。機を待つといいながら、このままではすぐに息切れしてしまうに決まっている。そう見えた。しかし。

「何を勘違いしている。君達こそ、無駄な力を使うなよ!」

 少しも息の上がった様子のない、平然とした声が通信機から返って来た。まるで大神の霊力自体が急激に増大したかのようだ。
 単調に前進することしかしない魔装機兵を藁人形でも切り捨てるかのように片端から倒していく大神。無敵…その姿を見ているとそんな言葉が頭をかすめる。希望が湧いてくる。生き延びることへの、勝利への。
 そして、機は訪れた。

 爆!

 魔装機兵の集団、その後方で大型霊子爆雷の爆発が起きる。次々と吹き飛ばされる魔装機兵。

「私の大事な仲間を傷付ける奴は、許さない!」

 爆発音の合間に聞こえてくる、大神が耳にすることを切望していた声。

「破邪剣征・桜花放神!!」

 魔装機兵の群れを切り裂いて一直線に道が出来る。その先に見える薄紅の光武。その真上に浮かぶ鈍い輝きを発する巨体。

「翔鯨丸!それにさくらくん!!目を覚ましたのか!!」

 ここまで感情を露にした大神の声も珍しい。

「隊長!みんな!黒之巣会の本拠地がわかりました。ここは引いて下さい」

 むしろさくらの方が戦闘に集中していた。というより、必死だった。

「本当!?」

 その思いがけない台詞に問い返す言葉が出るのも無理はない。だが、今最優先のこと。それは

「その話は後だ。一気に戦線を離脱するぞ。皆、続け!」

「りょ、了解!!」

 翔鯨丸の砲撃とさくらの必殺技で切り開かれた退路から、大神は花組を全速で撤退させた。魔装機兵の反応は鈍い。と言うより、包囲しようという意志が無いようにも見える。敵の連携が皆無であったことにも助けられ、花組は速やかな脱出に成功した。
 全速離脱。全速、それ故、叉丹の意味深な台詞を耳に留めた者はいなかった。

「天海か華撃團か…どちらが勝つもよし…フフフフフ…」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「さくらくん…よかった、意識を取り戻したんだね」
「大神さん…ごめんなさい、遅れちゃって」

 翔鯨丸艦橋、取り囲む仲間達を前にして、さくらは照れくさそうに笑っている。大神が心の底から待ち望んださくらの笑顔だ。

「とんでもない、君のおかげで皆が命拾いしたよ…」

 さくらをじっと見詰める大神。その熱い視線に耐えられなくなって、さくらは誤魔化し笑いを浮かべながら目をそらす。

「い、いやですね、どうしたんですか、大神さん」

 ギュッ

 全員が呆気に取られた。さくらを含めて。大神はさくらの両肩を挟み込むように掴んで、感極まったように俯いたのだ。

「お、大神さん?」
「よかった…本当によかった。君が目を覚まさないままになってしまったら、俺は自分を許すことが出来なかっただろう。君達を守ると誓った俺が、君達を傷つけることになるなんて…さくらくん、頼む。もう二度とあんな馬鹿な真似はしないでくれ」

 胸が熱くなる。さくらばかりではない。すみれが、マリアが、アイリスが、紅蘭が、カンナが、花組の全員が自分達を想う大神の気持ちが「本物」であることを感じ取っていた。

「大神さん…私、意識を失っていたそうですね。もう二度と目覚めないかもしれないくらい。それが…大神さんの力になれて、こうしてお話できるなんて…」

 自分を捕まえている大神の腕に手を添えて、顔を上げた大神に、はにかんだ顔でさくらは言葉を綴る。

「さくらくん…」
「お、大神さん…私……」
「ゴホッ、ゴホッ」

 見詰め合う二人は聞こえよがしの咳払いに我へと返る。

「あー、もしもし、お二人さん?うちらもおるんやけど…」

 いくら大神の言葉に感動したからといって、衆人環視の中で二人の世界を作られては面白い筈が無い。たちまち赤面する二人。大神がここまで赤くなっているところなど、滅多に見られぬ光景である。こんな場合、この厳しい状況下にあって、初めて全員の顔に笑みが浮かんだ。

「でも、良かったな、さくら。これでめでたく花組勢揃いだぜ!」
「全く…いつもいつも心配かけさせますこと」

 空気が和む。やはり、悲壮感に染まるのは花組に相応しくない。顔の色を何とか元に戻した大神はそう思っていた。

「でも、さくら…あなた、何がきっかけで意識が戻ったの?」

 誰もが心のどこかで感じていた疑問をマリアが言葉にする。

「ええ…私、夢を見ていたんです」
「夢…?」

 大神の表情が驚くほど真剣なものへと変わった。




その3



「見たことも無い景色なのに何だか懐かしいような…不思議な夢でした」

 夢、それは平凡で特殊な精神現象だ。極一部の例外を除いて、誰もが夢を見る。だが、夢の中で人は説明のつかない不思議な体験をする。
 無意識下に貯えられた記憶が無秩序に組み合わされて睡眠中に再構成される。それが夢であると一部の識者は言う。見たことも無い光景を夢の中で経験するのは記憶が断片に分解され、出鱈目に組み合わされている所為で、それが未知の経験に感じるのは無意識下に追いやられた記憶の集合体だからであると。記憶の組み合わせは意識していない欲望や衝動に従うのであり、それ故夢を分析することで抑圧された精神を分析することが出来ると。
 しかし、夢にはこうした「科学的見解」では説明できない「力」があることも否定できない。夢の中で人は捜し求める真実や未来の出来事を垣間見ることが確かにある。「神託」としか言いようの無い体験をした人々も決して少数ではない。「夢」には「神懸かり」に通じる道がある、様々な文献を研究する中で、大神はそう考えるようになっていた。
 さくらはトランス状態にあった。医師は言った、彼女は「神懸かり」に似た状態であったと。そして、その間夢を見ていたという。その夢は果たして、単なる「夢」なのだろうか?それとも…

「ぼうっと薄紅の色に霞んでいました。…まるで花霞の中にいるみたいに。そこで私、小さな女の子にあったんです」
「その子は…もしかして子供の頃のさくらくんに似ていなかった?」
「そうです!なんでおわかりなんですか…?」
「続けて」
「あっ、はい…その子は私にいろんなことを教えてくれたような気がします。海を渡る風とか洗い流されたものの辿り着くところとか…そのほとんどはぼんやりとしか覚えていないんですけど…一つだけ、はっきり覚えていることがあります」
「それは?」
「はい、『敵は魔を封じ込めた門の上にいる』と」
「魔を封じ込めた…門?」
「隊長、何のことだかおわかりですか?」

 それまでじっと話を聞いていたマリアが大神に問い掛けてくる。

「いや。しかし、あやめさんにはお心当たりが有りそうですね?」
「それは俺から説明しよう」

 こう言って艦橋に上がってきたのは米田である。その隣には、もっと意外な人物の姿があった。

「長官!それに加出井少佐!?何故翔鯨丸に乗っていらっしゃるのですか?」
「決戦だからな。今回はわしも翔鯨丸から指揮を執ることにした」

 と米田。

「陛下のご命令で我々は君達に全面協力することになった。よろしく頼む」

 こう言ったのは、近衛軍法術大隊、通称陰陽陣の副司令、加出井法行少佐であった。

「ありがとうございます。こちらこそ、よろしくお願いします」

 敬礼する大神に加出井は苦々しい笑いを見せる。

「礼には及ばん。今回のことは我々の責任でもあるからな。これほど大規模な法術を事前に察知できなかったのは言い訳しようの無い失態だ。それに帝国華撃團・夢組は我々の身内でもある。花組の君達にばかり負担は掛けられん」

 夢組は当初、陰陽陣の協力で編成された。陰陽陣に属する筈だった術者も少なくない。そして本来、帝都に仇なす魔術に対する監視は夢組の任務であり、宮城守護を担う陰陽陣の役目である。加出井はそういう意味で言っているのであろう。だが、責任云々など大神には興味の無いことだった。

「六破星降魔陣は法術なのですか?魔術ではなく?」

 大神の言葉に加出井の苦笑いが深くなる。

「耳ざといな。まず、そのことから説明しよう。逆賊どもが『六破星降魔陣』と呼んでいる術は本質的に、結界を解除する術だ。歴史ある都市には霊的な防護が掛けられている。このことは知っているな」
「はい」
「守護の術は様々だが、もっとも一般的な術式は地脈の流れを誘導して法陣を描く方法だ。そうすることで外部からの霊的侵入を防ぐと共にその土地の持つ荒ぶる力を鎮め、封印する」
「……」
「六破星降魔陣は法陣を描く地脈の流れを堰きとめ、都市に掛けられた結界を弱めると同時に、圧力の高まった地脈の流れを一気に暴走させることで封印されていた力を解き放つ術だ。従って、この術の影響下ではその土地の持つ全ての力が利用できるようになる。『魔』の力も」
「それであれ程多数の魔装機兵を起動させることが…」
「その辺のことに関しては君の方が詳しいだろう。私にわかるのは純粋に法術関係のことだけだ…この術は三本の直線を組み合わせた法陣の完成によって発動した。この手の法陣は、陣を描く直線の交点で全体を制御することが多い」
「そこが天海の根拠地…では、二つの交点の内どちらか、の問題になる訳ですね」
「そうだ。そして『魔を封じた門』が手掛かりになる」

 ここで、これまで加出井に説明を任せていた米田が口を開いた。

「今を溯ること五年前、帝都で『降魔戦争』と呼ばれる戦いがあった」
「こうま…せんそう……五年前、帝都で原因不明の破壊活動が続発したのは知っていますが…そのような戦いが…」
「お前が知らぬのも無理はない。帝国の封印された歴史の一つだからな…五年前、大発生した古の魔物『降魔』と帝国陸軍特殊部隊・対降魔部隊との知られざる暗闘、それが降魔戦争だ」
「対降魔部隊…」
「我が僚友、真宮寺一馬と共に迫り来る魔の気配に備えて組織した非公式の部隊だよ。我々二人の他に、光武や翔鯨丸の設計者である山崎真之介…」

 その名を聞いて、あやめの顔が僅かに歪む。

「そしてここにいる藤枝あやめ君、たった四人の部隊だった」
「わずか四人ですか…?」
「魔物と戦うなど、誰もが一笑に付していた時代だったのだ。そのような部隊を作ることすら反対の声が多かった。人材の無駄使いだといってな…苦闘の末、我々は『太古の呪法』をもって……降魔を帝都の地底奥深くに封じ込めた。取り返すことの出来ぬ犠牲を払ってな…」
「そのことについては、何とお詫びをして良いやらわかりません。今もって、我々の不明を恥じるばかりです。宮城の結界が築かれている帝都に魔物が跳梁することなど有り得ぬと…そんな思い上がりが我々にあった所為で…」
「いいのだ、少佐。お前が責任を感じることではない。それが常識だったのだ」

 辛そうに歯を食いしばる加出井に米田が慰めの言葉を掛ける。
 深く考え込む表情になっている大神にあやめが声を掛けた。

「大神くん…何か訊きたいことが有りそうね…」
「はい…太古の呪法、とは…?」

 遠慮がちに問いを発する大神。それが米田やあやめにとって、思い出したくない記憶につながることを大神は感じ取っていた。しかし、確認しない訳にはいかなかった。武器となるものならば全て。

「我々が使用した呪法は、強力な封魔の力と引き換えに…術者の命そのものを代償とする恐るべき術だった」

 平板な声で米田が解説する。強靭な精神力で動揺する心を抑えているのがわかる。
 そして大神も、内心の失望を意志の力で隠していた。人の命を代償とする術では使えない。大神はそんな風にしか考えない人間だった。
 ところで、よく勘違いされていることではあるが、大神は決して人道主義者ではなかった。戦場で敵を殺すことに躊躇いを持たないというだけではない。海賊やゲリラを捕らえた時、拷問こそしなかったものの尋問が終われば平然と処刑していた(それが当時の国際法規である)。軍規には甘い方だったが、非戦闘員に対する暴行に手を染めた者、特に陵辱行為を働いた者は死罪に処すのが常だった。彼にとって大切なのは仲間の命であり、味方の命であり、同胞の命であり、保護されるべき者達の命だったのだ。
 そしてもう一つ、大神には確かめたいことがあった。

「真宮寺一馬さん…もしかして」
「そう…さくらのお父様よ」

 やはり…そう思って首を巡らした大神はさくらの、哀しげな顔はしているが意外と冷静な表情を見つけた。薄々感づいていたらしい。

「五年前…そう…その時、父様は大怪我を負って……」
「真宮寺一馬…素晴らしい男だったが気の毒なことをした…」
「いえ…父も本望だったと思います」

 それは違う、思わず大神はそう叫びそうになった。さくらの台詞は米田に気を遣ったものだ。哀しみを共有する者への思い遣りの台詞。
 だが、大神はさくらに死が本望だったなどということを言って欲しくなかった。生き続けることこそが命を与えられたものの義務であり、いかに美化しようと「死」は「生」の敗北でしかない。命あるものに必ず訪れる敗北。必然であるからこそ、その時まで、生き続けることを考えなければならない。闘い続けることを考えなければならない。必然の終着、「死」と。それが大神の信条だった。
 死は美化するものではない、ただ、悼むべきものだというのに。こうした「軍人的」な台詞に反発を覚える時、大神は自分が異端の存在であるということを強く自覚する。それはまた、彼が若いということ、「強者」であるということに他ならなかったのだが…

「どうなさったの、少尉?」

 何時の間にかすみれが隣に来て、顔を覗き込んでいたようだ。少し、心配そうな視線。自分はそんなにひどい表情をしていたのだろうか、大神は思わず苦笑いしてしまった。

「少尉…?」
「いや、何でもないよ。それで、その封印の地が『魔を封じ込めた門』という訳ですね」

 心配ないという風にすみれに向かって軽く首を振り、大神は意識を本題へと向けた。

「そうだと思うわ。きっと、さくらに流れる『破邪の血』が夢という形で敵の本拠を教えてくれたのよ」

 あやめの何気ない一言が大神の無意識領域にある何かを強く刺激した。

「破邪の血…?」

 単に聞き慣れないというだけではない。自分の中の何かが強く揺さぶられる。心の奥、深いところに潜む何かがその言葉に反応している。
 そんな大神の動揺に気付いた者はいなかった。単なる反射的な質問だと思ったようだ。

「古来より真宮寺家が伝える『魔を狩る者』の血統のことだ。…今ではもうわずかしか残っておらん」

 辛そうに語る米田。その言葉をあやめが引き継いだ。

「さくらが夢の中で聞いた『魔を封じ込めた門』…そこは五年前の、降魔封印の地に違いないわ。そしてそれは、日本橋よ!」
「日本橋…確かに魔法陣の交点の一方ですね!」

 マリアが

「今度こそ間違い無さそうだな!」

 カンナが

「いよいよ本番ですわね!」

 すみれが

「これが最後の決戦やな!」

 紅蘭があやめの声に応える。
 そして、アイリスは大神にこう言った。

「これに勝ったら……もう戦わなくていいんだよね!」

 アイリスだから言えた台詞、アイリスだから口に出来た本音であろう。軍隊では到底許される台詞ではない。だが、エリート軍人である筈の大神はこの言葉に心から頷いた。

「ああ!…これを最後にしてみせる!!」

 そんな大神の姿を眩しげに目を細めて見る米田とあやめ。若者の純粋さとそれを可能にする力。五年前、かけがえの無い仲間を失った時から、自分達が持ち得なくなった輝き。

「大神さん、出動命令をお願いします!!」

 そして、同じ輝きを放ちながらさくらが大神を真っ直ぐ見詰める。

「皆、一つだけ厳命しておくことがある」

 さくらの視線を受け止め、頷き、そして全員へと視線を向けて大神は威儀を正した。引き締まる空気。

「命を粗末にするな。決して死んではならない!必ず全員で帰って来るぞ!!」

 体の芯が痺れるような強烈な意志。魂が震えるような強い想い。それは相反する命令である。これから大神は彼女達を死地へと導こうとしている。それでも、大神の言葉に偽りを感じた者はいなかった。全員が心で感じ取った。これこそが大神の真の願いであると。

「はいっ!」
「了解!」
「はーい!」
「がってんや!」
「お任せ下さい!」
「隊長、必ず、必ず帰ってきましょう!」

 もう一度一人一人に視線を向け、正面を見据えて大神は指令を下した。

「帝国華撃團花組、出撃せよ!!」




その4



「目標地点確認!」
「翔鯨丸、高度下げます!」
「出撃可能高度到達!発進ゲート、出撃用意!」
「主砲、広角散弾装填完了!援護射撃準備よし!」

 翔鯨丸艦橋を緊張した声が飛び交う。女性が目立つのは華撃團ならではだが、その表情は一様に引き締まっている。敵大軍の直中に花組を突入させるのは翔鯨丸乗組員にとっても初めての大規模戦闘と言える。僅かな手順の狂いが花組の命を危険に晒しかねないのだ。

「大神くん、聞こえて?これから魔装機兵の一群に向けて広角散弾を打ち込むわ。全滅させることは出来ないけど、降下する隙は生じる筈よ。降下地点とタイミングはあなたが判断して!」
『了解』
「長官」

 通信機から身を起こし、あやめは米田の方へ振り返る。

「よし、主砲発射!」

 米田が開戦を告げた。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 その少し前。光武に乗り込んだ大神は、同じく光武に搭乗済みの隊員達に作戦指示を送る。

「降下したら周囲の魔装機兵は相手にせず、一気に地下へ突入する」
「しかし、それでは背後から攻撃を受けることになりませんか?」
「先程の戦闘でもわかったように、魔装機兵は細かい管制をされていない。こちらの迅速な行動には対応不可能だと考えられる。兵力を分散して迎撃する方がむしろ包囲される危険性が高い。それに式を操る術を陰陽陣が撹乱してくれることになっている。魔装機兵は金属の式鬼と言っていいからな。背後から襲撃される可能性は無視すべきだ」
「わかりました」
「それより問題は、敵の本拠地に侵入した後だ。紅蜂隊より更に強力な魔装機兵が配備されている可能性がある。くれぐれも孤立することが無い様注意しろ」
「はいっ!」
『大神くん、聞こえて?これから魔装機兵の一群に向けて広角散弾を打ち込むわ。全滅させることは出来ないけど、降下する隙は生じる筈よ。降下地点とタイミングはあなたが判断して!』
「了解」

 あやめから通信が入ると同時に発進ゲートが開く。

「皆、聞いていたな!主砲発射後、すぐに降下する。光武出力全開!」
「了解!」

 一瞬後、主砲の発射音が轟いた。敵の群れにぽっかり空隙が生じる。

「降下する。続け!」
「はいっ!!」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 地上に降下する純白の機体。それに続いて薄紅の、紫の、銀の、金色の、緑の、真紅の光武が降下していく。

「頼むぞ……」

 地上に降り立つ七つの機体を確認し、米田は第二射の用意を告げた。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「日本橋の地下にこんな空洞があったなんて…」
「江戸大空洞…」
「隊長、なんですかそれは?」

 大神の漏らした一言に質問の声が飛ぶ。

「伝説だ。江戸、即ち帝都の地下はいくつもの空洞があり、そこは異界の力で満たされていると。それ故江戸は聖なる者にとっても、魔なる者にとっても、都となりうる地なのだと…単なる作り話ではなかったようだな」
「見て下さい、奇妙な建物があります」

 さくらの指し示す先には平たい円筒形の怪しげな建物がある。

「マリア、何か見えるか?」
「妖気が蓄積されていますが、砲塔は見当たりません。迎撃施設ではないようです」

 妖気を「見る」マリアの視力。

「紅蘭、探知器に反応は?」
「魔装機兵の反応があるで。ただ、反応が中途半端や…多分、魔装機兵の工場やないかと思うんやけど…」

 専用機に搭載された複雑な霊子装置を自由に駆使する紅蘭。

「少尉、妖気が近づいてきます!」

 すみれが見えざる敵の気配を感知する。

「お兄ちゃん。かなり強力な相手だけど、攻撃は刀だけみたいだよ」

 アイリスが敵の「属性」を認識する。

「もう時間が無い。工場は無視する。突撃するぞ!」

 大神の指示と同時に姿をあらわす真鍮色の魔装機兵。

「よおーし、行ったろうじゃねぇか!」

 カンナが駆け出す。左右の連撃。魔装機兵「近衛」はその凶刃を振るう間もなく崩れ落ちる。

「行きます!」

 その横を疾風の如く駆け抜けるさくら。隣には純白の機体が並走していた。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 敵の足を大神とさくらで止めている間に残りの五機がすぐに追いつく。遠距離攻撃能力を持つ火縄や大筒はマリアと紅蘭が仕留める。さくらとカンナが交互に前に出て近衛を迎撃する。二人を背後から支援するすみれの長刀とアイリスの念動。そして常に先頭に立ち、圧倒的な破壊力で魔装機兵を切り捨て、道を開いていく大神。最早大神が細かい指示を出さなくても、各人が自分の為すべき事をわきまえていた。わずか半年足らずの間に、花組は戦闘単位として完成されつつあった。
 しかし、彼女達は気付いていただろうか。かつて無い光武の圧倒的な威力に。あらゆる出力が上昇しているのは大神の機体だけではなかった。これまで相手にしてきた脇侍とは比べ物にならない戦闘力を持つ魔装機兵・近衛を一蹴する大神と少女達。そして全員の機体を白い輝きが覆っていたことに。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 鋼鉄の森に覆われた破壊の山を築き、鋼の断崖に滅びの峡谷を切り開いて、ついに大神はここに立つ。邪なる気で充満した祭壇の前に広がる空虚な広間。光武ですらも小さく見える地下の大ホール、その中央に立つ、邪悪としか表現できぬ人の形をしたもの。対峙する光武と人の形をした妖。

「よくぞここまで辿り着くことが出来たな…誉めて遣わそう…」

 地の底から、いや、黄泉の彼方から響いてくるような、生気がまるでない、命の代わりに別のものが詰まった声。人々を呪い、世界を呪う、それこそがこの声には相応しい。かつて芝公園で対峙した時より更に邪悪なる気が増幅されているが、間違いない。これは

「黒之巣会首領、天海…!帝都の…いや、この地上に明日を待つ全ての生ある者になり代わり、貴様を討つ!!」

 邪気を押し返す清冽なる叫び。いや、清濁、善悪を超えた、滅びに挑む命の力、終末に挑む始源の力か。邪気と霊気が弾け、空中に火花が散る。

「小賢しい!百年、早いわーっ!!カァァァァァァ!!」

 広間に魔法陣が光る。凶々しき光の中から姿をあらわしたのは、金色に濁った巨大な魔霊甲冑であった。その金の色は虚飾や欲望、人が金に抱く邪念の象徴の如く見える。太陽の金色とは対極に位置する、汚れた金の色。
 何の前触れもなく、魔霊甲冑の頚部より光が放たれる。一瞬の輝き。だがその一瞬より更に短い一刹那、極小の時の内に純白の光が弾ける!

「ありがとうございます!」

 最前列に立つさくらに向かい放たれた魔光を、大神の守護の力がはね返したのだ。だが、何という攻撃力か。やはり、これまでの相手とは桁が違う。例え不意を衝かれていなくても、まともに受ければ無傷では済むまい。それほどの威力を持つ魔光だった。

「全員散開。正面を避け、一撃離脱により攻撃せよ」

 指令と共に、自らの言葉に反して正面から突撃する大神。魔霊甲冑から再度光が放たれる。だが、その一瞬を見切ったように光武を横跳びに跳躍させると、汚れた金色の機体に側面より斬りつけた!飛び散る火花。弾ける雷光。

「そこっ!」
「ほいっ!」
「やあっ!」

 大神の指示に従い、側面、背面より遠距離攻撃を加えるマリア、紅蘭。瞬間移動の力を駆使し、一撃離脱をかけるアイリス。

「ええぃ!」
「チェストぉ!」
「それぇ!」

 足を止めることが出来ない為、必殺攻撃に必要な気を溜めることは難しい。だが、マリアや紅蘭の援護射撃と超絶の技術をもって間近より敵を翻弄する大神の攻撃、その合間を埋めるようにさくら、カンナ、すみれが一撃を加えては離れていく。そしてついに、敵魔霊甲冑の力場が綻ぶのを大神は感知した。

「皆離れろ!」

 何故、こう口にしたのか。無意識の指令、いや、警告。

「狼虎滅却・快刀乱麻!!!」

 雷光が爆発した。それは剣撃ではなかった。雷撃でもなかった。天に轟く雷の力がまさしく爆発したのだ!
 光が消えた後には、純白の光武と、砂の如く細かく砕かれすり鉢状に抉られた石畳の床があるだけだった…

「……」「……」「……」「……」「……」
「…やった!勝ったんだね、お兄ちゃん!」
「終わった…全員、引き上げるぞ」

 あまりの威力に呆然としていた少女達だが、無邪気なアイリスの歓声と大神の引き上げ指令により、一気に歓びを爆発させる。口々に歓声を上げる少女達。だが。

「フフフフフフ…闘いはこれからだ、虫けらども!」
「何ですって!?」
「……!」

 引きあげようとする光武の背後に妖々と響き渡る声。振り返る大神たちの目の前に立ち上る蜃気楼の如き影。影は見る見る存在感を増す。実体を手に入れた幻は、紛れも無く金色に濁った巨大な魔霊甲冑だった!そしてその中から響くのは

「魔界を統べる大いなる者達よ!草木を焼き払い、大地を割り、天空を引き裂く力を…我に与え給え〜〜!!」

 世界を呪詛する声。世界を呪う者の声。天海の声。

「そ…そんな、バカな!!」

 驚愕の叫び。皆を代弁する叫び。

「素晴らしい!全身にとめどない力が満ちてくるようだ…!」

 信じ難いことに、一層力を増した妖気。

「全員、第二波攻撃、用意!」

 狼狽の波を切り裂く冷静な指揮官の声。だが、一度戦闘の緊張から心を解き放ってしまった彼女達は、大神ほど素早く戦闘へと精神を切り替えられなかった。高まる妖力を感知しながら対応することが出来ない。先制も、回避も。

「今度は我の番だ!行くぞぉォォ!!」

 臨界まで高まる妖力。誰もが危険を感じながら、適切な行動をとることが出来ない。
 不意に、急激に膨れ上がる霊力。膨大な妖力に呼応するかの如く、彼女達の間近で湧き上がる巨大な霊力。

「六・星・剛・撃・陣!!!」
「狼虎滅却・快刀乱麻!!!」

 二つの力がぶつかり合う。霊力と妖力、お互いが相手を呑み込み、打ち消そうとする。吹き荒れる力の嵐に弄ばれる六つの光武。
 嵐が治まった時、お互いの装甲を所々黒く焦がしながら、純白の光武と金色の魔装機兵は正面から対峙していた。正面に立つ光武へ、魔光の発射孔が向けられる。

「破邪剣征・桜花放神!!」

 どこまでも真っ直ぐに吹き抜ける清なる嵐。最大射程を持つさくらの必殺攻撃が、その純粋な心を預けた相手を救おうと邪悪なる巨体に向かって放たれる。

「ぐぉぉぉぉぉ」

 完全な不意打ちの形になった。眼前の、大神機にのみ精神を集中していた天海は気の奔流を満足に防御することが出来ない。

「神崎風塵流・胡蝶の舞!!」

 真紅の幻炎、浄化の炎が汚れた影を覆う。

「がぁぁぁぁぁ」

 力の嵐から素早く体勢を立て直したすみれが、その誇り高い心を託した相手の力となるべく浄化の結界を展開する。

「スネグーラチカ!!」
「チビロボ!!」
「一百林牌!!」

 次々と魔霊甲冑に有らん限りの力をぶつける乙女達。

「イリス・マリオネーット!!」

 そして、純白の光武に与えられる癒しの力。かつて癒された自分の心の代わりに、大神の甲冑を持てる力の全てで修復するアイリス。

「天海ぃぃぃ!!」

 大神の咆哮。獅子吼、いや、それは竜の咆哮をすら思わせる。残された力の全てを込めて、大神の一刀は天海の魔霊甲冑を斬り伏せる!!
 素早く後方に下がり、体勢を立て直す大神。魔霊甲冑が致命傷を負っているのは間違いない。

「ぐぅぅぅぅ…愛だの、正義だの、そのような甘ったるいまやかしにうつつを抜かし!人の心の奥底に潜む闇を忘れたおまえ達にぃ、我が敗れるものかぁ!!」

 漏れ出てきたのは邪悪なる精神に相応しい断末魔、呪詛の声。

「闘ぉぉっ!!」

 すれ違いざま、最後の一刀を浴びせる大神。

「人の心に潜むものは闇だけではない!!愛も、正義も、確かに人の心が紡ぎ出す光なのだ!!」

 爆発音の中、この言葉を受け取ったのは花組の少女達だけだった。

 しかし。

 またしても魔法陣が輝いた。六破星降魔陣。その土地の持つ全ての力を解放する術。天海の復活を支えているのは、皮肉なことに帝都の大地である!

「フェーフェッ、フェッ、フェッ…無駄だ…我は何度でも…何度でも甦るぞ…」

 三度、姿をあらわす魔霊甲冑。

 この時。大神の中で何かがはじけた。

「うおおおおっ!」

 双刀を頭上に掲げて大神は吠える。

「二度と、復活などさせるものかぁ!!」

 天へと差し伸べられた刃が光を帯びた。

「奴を、天海を、この世から消し去るんだぁ!!」

 双刀の切先に挟まれた空間に光が生じる。眩き白光。
 輝きを増す光に呼応するが如く光武が光り出す。

「少尉!?」

 すみれの光武が

「隊長!?」

 マリアの光武が

「大神はん!?」

 紅蘭の光武が

「隊長っ!?」

 カンナの光武が

「お兄ちゃん!?」

 アイリスの光武がそれぞれの色を帯びる。そして

「大神さぁぁん!!」

 さくらの光武がひときわ強い光を放つ。桜色の霊光。それを合図にしたかのように全員の霊光が大神の輝きに飛び込んでいく。全ての光を奉げられ虹色となった光は、大神自身の光武から再び放たれた光を受けて一点の曇りも無い輝く純白の光球となる!
 見栄、体裁、嫉妬、差別、日々の暮らしの中で生まれる世俗の垢にまみれながらも、生来備わる人として自然な欲が社会生活の中で変質して生まれた負の想念に覆われながらも、精神の奥底で善と正義を求めて輝きつづける人の心、純粋な心の光。その魂の輝きをまさに具現したような光球が大神の手から放たれる。

「天海っ!これが正義の力だ!!人の心の、光の力だぁ!!!」

 眩き光球は魔霊甲冑を呑み込み一切の魔力を隔離する。今度こそ逃れることの出来ない滅びを与える!

「ヌゥゥゥゥグォォォァァァ!?」

 光の中で崩れていく金色に濁った影。

「…何ということだ!?偉大なる我がこのような輩に!…そんな…バ、馬鹿な!?この偉大なる我がどうして…?な…何故だ!!地は、我を見捨て給うたか!!?」

 ついに魔霊甲冑の巨体が全て崩れ去った。

「わ、我だけでは滅びぬぞぉ!!!ウギャァァァァぁ」

 純白の光球がはじけた。抱え込むもの全てを無に還して。




その5



「地表下より大量の霊子力を感知!」
「妖力反応、消失しました!」
「魔装機兵、動きを止めました!次々と自壊していきます!」

 上ずった声で報告が飛び交う。翔鯨丸艦橋には期待に溢れた熱気が膨らんでいく。

「光武の反応を確認…全機、健在です!!」

 一斉に湧き上がる歓声。その意味する所を全員が理解していた。待ち望んだ報告、待ち望んだ…

「長官!」
「大神からの連絡はまだか!?」

 喜びを隠せない表情で振り向くあやめに、戒める様な口調で米田が問う。そう、勝利に酔うのは最後の報告が届くまで待たなければならない。最後の確報が届くまで緊張を緩めてはならない。さもなくば手中の勝利が逃げていくことになる。長い戦歴の中で米田はこのことを骨の髄まで知り尽くしていた。だが、米田自身、勝利をほぼ確信していたのだ。浮かれる若い部下たちをどうして咎めることが出来ようか…

「いかん…!」

 しかし、この時米田の隣で小さく、だが深刻な声音で呟いた者がいる。

「長官!?」

 それに被さるように、探査装置に就いていたかすみが浮ついた空気を切り裂く、緊張を孕んだ声で叫んだ。

「地脈の力が増大していきます!」
「なにっ!?」
「地脈の力が暴走する…」

 呆然と呟いたのは加出井少佐、近衛軍法術大隊副指令、帝国屈指の陰陽師。

「どういうことだ、加出井!」
「閣下!私は部下と合流して何とか地脈の暴走を止めてみます!!」

 普段の落ち着いた物腰からは想像できない慌ただしい様子で艦橋から走り出る。十秒後には、星明かりの窓の外に巨大な鳥の足に掴まって地上へ舞い下りる彼の姿があった。「最高ではないが最強の術士」と呼ばれる彼の式術である。

「魔法陣かっ!?」
「妖力の反応はありません!」
「長官、もしかしてこれは、大地の反作用では…」
「むう…」

 大地の反作用、その意味する所は、魔術により流れを歪められていた大地の力が正常な状態を取り戻そうとして暴走する、ということだ。それは人の術ではない。自然の力。人の及ばぬ、「神」の力だ。いかに優れた術者であっても…

(なんということだ!!)

 少女たちが命を懸けてつかんだ勝利が、人知を超えた力の前に水泡に帰さんとしている。米田は初めて運命というものに絶望的な怒りを感じていた。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 妖気の完全なる消滅。静寂に包まれる地下空洞。今度こそ、真の勝利…?

「大神さん…?」

 おずおずとさくらがその名を呼ぶ。彼女たちの内なる光を統べ、一つにした男の名を。

「皆…我々の、勝利だ!」
「やったぜっ!」「やりましたわ!」「やったーっ!」「やったで!」「勝った…!」

 口々に叫ぶカンナ、すみれ、アイリス、紅蘭、マリア。そして

「やりましたね…大神さん。大神さんの、勝利です!」

 涙声で凱歌を上げるさくら。

「違う、皆の勝利だ。皆、よく無事でいてくれた。…帰還するぞ!」

 こみ上げる想いをもはや隠す必要はない。こういう隊長だからこそ、この男だからこそ、彼女達は戦ってこれたのだ。

「はいっ!!!」

 全員が彼に応えた。
 だが、運命は彼女達に更なる試練の一幕を用意していた。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「総員、木克土の法陣を敷く。急ぎ配置に就け!」

 部下の術士達に号令する加出井。陰陽陣、古より朝廷に仕えてこの国を、朝廷を霊的に衛ってきた陰陽寮の術士達の末裔、あるいは後継者。五行相克の理により、暴走する「地」の力を鎮めんと力を結集する。しかし、相手は「土」ではなく大地の力である。十分な準備もなく止められるものではない。そのことは当代最強の陰陽師、加出井にもわかっていた。だが、諦めることは許されない。帝都は帝のおわす地なのだ…

(要石の神術を使える者がいれば…)

 無い物ねだりの想念を振り払い、精神力の全てを五行の術に注ぎ込む。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 地下空洞の石畳、足元に響く低い轟音。耳で聞いた音ではない。その霊力で少女達は、そして大神は大地の鳴動を聞いた。

「なんだ?この地鳴りは」

 最初にその音に気づいたのは意外にもカンナだった。大地を振るわせる力を持つ彼女が、大地の波動に異常が生じたことを感じ取ったのだ。

「これは…すみれくん、魔の波動を感じるか!?」

 六破星降魔陣?身構える大神。天海を倒せば魔法陣は消失するとの仮定は誤りだったのか?

「いえ、邪気も魔の波動も感じませんわ…恐ろしいほど巨大な「気」が振動しています。今にも暴れ出しそうですわ!」
「大神はん、これは地脈の力や!」
「お兄ちゃん、来る…!」

 轟!

 悲鳴にも似たアイリスの叫びと共に、大地が吼えた。

「きゃあぁぁぁぁー」

 激しい揺れに襲われ、悲鳴を上げる少女達。ここは地底奥深くだ。生き埋めになればまず助からない。だが、出口は余りに遠い…
 この揺れ方では、到底脱出は間に合わない。こんな時に、こんなことが冷静に判断できる自分の能力が呪わしかった。自棄でも無駄でも、ただ逃げ回るだけでも多少は恐怖も紛れるだろうに。結局自分は彼女達を戦いに巻き込み、血なまぐさい戦場で死なせてしまうのか。こんな光届かぬ地の底で…やり場の無い怒り。運命に対する、自分に対する!

「うおおぉぉぉぉぉ!!」

 大神は吼えた。声の限り。無力感に苛まれて。僅かに残っていた力までも全て吐き出すかの如く。そして、力が空になり、心が真っ白になった時、それまでの自分とは違う自分が目覚めるのを僅かに残された意識の片隅で感じた。

「おおぉぉぉぉぉぉ!!!」

 光武の一刀を大地に突き立る。一刀を捨て、逆しまに突き立つ大刀を両手で握り締める。刃を地中に押し込まんとするかの如く、揺れ動く大地を不動なるものに縫い付けようとするかの如く。
 激しい揺れと恐慌の中で、少女達は見た、ような気がした。その時のことはいつまでも忘れられず、いつになってもはっきりと思い出せなかった。
 巨大な手が頭上から、天から下りてくる。地底であるにも拘わらず、腕の先には夜空が見える。その手が大神の光武と共に、地に刺さる刃をゆっくりと地中に沈めていく。光武を通じて、手に握る大刀を通じて、揺れ動く大地に膨大な、大地の力に匹敵する巨大な力を送り込む。
 大刀が鍔元まで埋まった時、巨大な手の幻影は消えた。何時の間にか大地の鳴動は収まっていた。不動の、全てのものを揺るぎ無く支える大地が回復していた。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 ゴオォォォォォ

 遠雷の如き地鳴りの響き。同時に激しい揺れが地上を揺らし、地を抑えんとした法陣を吹き飛ばす。その反動を受けて肉体まで跳ね飛ばされてしまう術者達。

(駄目か…!)

 地に倒れ、絶望に襲われる加出井。もとより陰陽術は五行の理を用い、殊に大地の力を借りて術を行うもの。その大地の力が相手では、勝ち目は薄い…
 その時、彼は見た。天空より巨大な力が地底へと召喚されるのを。いや、大地の力が天へと噴き出し、再び地へと戻ったのか…彼の能力を持ってもしかと見極めることは出来なかった。彼にわかったことは

(要石の神術!大地を鎮める者の力!!)

 それは数十秒も続いたかもしれない。一瞬だったかもしれない。数分ということはあるまい。なぜなら、地上は更なる破壊を免れているから。大地は、地脈の流れは平静を取り戻していた。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 地に埋まった大刀の柄を握り締めしゃがみ込む純白の光武。地底は、再び静寂を取り戻していた。
 自分達が助かったことが信じられない。それ以上に今目にしたものが信じられない。現実感を失い、夢遊病者の如く立ち竦む花組の少女達。彼女達を白日の夢から目覚めさせたものは、通信機より聞こえてきた、厳しく叱咤する声である。

「何をしている、急いで退避するぞ!」

 何時の間にか立ち上がっている白い機体。今迄のことが夢でないと証明するかのように、常に二刀を携えているその腕には一刀があるのみであり、目の前の地面からは人の手には大きすぎる柄が真っ直ぐ生えていた。

「急げ、いつ天井が崩れてくるかわからんぞ!!」
「はっ、はい!!」

 鋼の甲冑は、堰を切ったように走り出した。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「何が起こったのだ…」
「地脈の暴走は一瞬、観測されたのみです…現在では完全に平静を取り戻しています……」

 翔鯨丸艦橋。空の直中にある彼らに、地上の振動は感じられない。彼らにわかったことは、一瞬、激しく霊子計器の針が触れ、次の瞬間更に強い反応の為針が振り切れてしまったということだけである。
 計器が死んでしまった為、感応力の比較的高い隊員が地上の様子を探っている。しかし、はっきりしたことはわからない。翔鯨丸に搭載された計測器の針を振り切ってしまうほどの巨大な力が跡形も無く消え去っているということがどうしても理解できない。

「長官、大神隊長から入電です!」

 重苦しい空気を拭い去ったのは通信を担当する女性士官の一言だった。

「任務完了。これより帰還する。以上です!!」

 短い、そっけない通信。だが、百万語の美辞麗句に勝る価値。翔鯨丸は歓喜と涙に満たされた。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「長官、任務、完了しました。敵首魁、天海の消滅を確認。地盤崩落の危険の為、残念ながら敵基地の探査は出来ませんでした」

 翔鯨丸艦橋。花組の六人を従え、米田に敬礼する大神。更にその横に立つ加出井に敬礼する。

「少佐、ご助力、ありがとうございました。魔装機兵の妨害を最小限に抑えていただきましたおかげで、速やかな任務遂行が出来ました」

 加出井も無言で敬礼を返す。その顔には素直な賛嘆があった。そして再び大神は米田に向き直る。

「ご苦労だったな、大神。花組はただ今をもって作戦行動を終了。休んでよし」
「はっ!」

 もう一度敬礼を見せ、大神は体を反転させる。彼の部下達へ、彼の大切な少女達へ。

 フッ…

 その顔に微かな、だがこの上なく満足げな笑みが浮かぶ。そして大神は、ゆっくりと、前のめりに崩れ落ちていった…

「少尉!?」
「隊長!?」
「は、早う医務室へ」
「いや、動かさねえ方がいい!」
「アイリス、先生呼んでくるよ!」
「大神さん!大神さんっ!!」
 ………
 ………

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「過労だ」
「はぁっ……?」
「単なる過労だ。信じ難いことにな」

 脈を取り、呼吸を計り、様々な計器をかざしていた医師は、彼も華撃團の所属であるからには当然心霊医術の使い手なのだが、呆れたように溜息を吐いた。

「………」

 呆気に取られる少女達。自分達が耳にした言葉の意味が理解できない、そんな顔をしている。

「あの、先生…?」

 同じく治癒術の使い手であるあやめが遠慮がちに問い掛ける。言外の質問を感じ取ったのだろう、医師は言葉を続けた。

「外傷無し、内臓に異常無し、ついでに霊的な障害も無し。完全な健康体だ。普通これだけ体力を消耗すれば、どこかしら異常が生じるものだぞ。気を失うまで疲労して内臓疾患一つ無いとは信じられん。一体、どういう頑丈な構造をしとるのだ、この男の体は?」
「じゃ、大神さんは?」
「ゆっくり寝かせて、美味いもんを食わせとればすぐに良くなる。まっ、一週間は無理をさせんことだな」

 ホッ…

 六人は一様に安堵した顔をして、目を閉じた男の顔を見詰めていた。一週間の看病…他の五人が自分と全く同じことを考えているとも知らずに。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「六破星降魔陣はその土地に封じられたあらゆる力を解き放つ術でした」

 翔鯨丸、艦長室。普段は使われることのない一室。米田とあやめを前に、語るともなく加出井は口を開いた。

「結界に封じられていた力を正邪の区別なく解放する術です。それは当然、魔の力だけではありません。魔の対極に位置する、神なる力をも解き放ってしまうものだったのです」
「…神なる力…」

 あやめの驚きを含んだ、どこか感情の麻痺しているような呟き。

「そして世界は相対立する力の均衡により成立っているもの、それが我々陰陽師の教えです。陰と陽、正と邪、虚と実、乾と坤、そして…魔と神」
「……」
「世界には崩された均衡を回復しようとする力があります。六破星降魔陣で天海が大地より魔の力を引き出した時、均衡を回復する為に神なる力もまた目覚めた…そして、魔に最も近く相対していた者を器に選んだ…それが今回の出来事だったのではないでしょうか」
「大神が…その器に選ばれたと…?」
「だからこそ霊子機関を過負荷で破壊するほどの力を振るい、地脈の暴走を抑えるほどの力を発揮できたのだと思います」

 引きあげてきた大神機の整備を担当する者が青い顔をして飛び込んできた。それが騒動の始まりだった。霊子機関が内側からの力によって壊れかけているというのだ。そして意識の戻らぬままの大神をよそに、少女達から戦いの一部始終が語られるにいたって、地脈の暴走を抑え込んだ神術が大神の手によるものであることが判明し米田達の狼狽は極に達したという訳だ。事情を知る者全てに厳しく口止めをし、一体何が起こったのか、これからどうすべきか、頭を突きあわせているのである。
 陰陽陣全ての力を合わせても抑えられなかった程の、そして帝都を壊滅に追いやったかも知れぬ程の大地の力を抑え込む力。一人の人間がそれほど巨大な力を持っているとすれば、それは国家にとって脅威でしかない…

「心配には及ばないでしょう」

 だが加出井少佐は米田の心配を和らげるように落ち着いた声でこう言った。

「先程の大神少尉からはそれ程巨大な力は感じられませんでした。帝都に存在する力が均衡を取り戻したことで、器としての彼の役割も終わったということでしょう。そもそも一人の人間がそれほど巨大な力に耐えられるものではありません。彼が倒れてしまったのも、大きすぎる力を一時的に背負わされた所為ではないかと考えます」
「そうか…だか」
「そうですね、このことは我々だけの胸の内に止めておいた方がいいでしょう。地脈の沈静化については原因不明ということにしておきます」
「そうしてくれると助かる…あいつは今のところ俺の部下だからな…どんなに規格外の奴であろうと、俺の部下である間は庇ってやりたいのだ…」
「私もそれ程恩知らずではないつもりです…自分達の力不足を償ってくれた相手を陥れるような真似はしませんよ…」

 顔を見合わせる二人。その顔に浮かぶ笑いは、どこか疲れた笑顔のようにあやめには見えた……

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 それからの七日間を大神はベッドの上ですごした。夜昼となく、手厚い看護を捧げる少女達に囲まれて。それもただの少女達ではない。今や帝都でも指折りの人気を誇る帝劇のスター達なのだ。うらやましい…男ならだれしもその想いを禁じ得ないであろう。
 だが。昼となく夜となく彼の周りで繰り広げられる鞘当てに、彼の神経はボロボロになっていた。しかも、逃げようが無い。彼がベッドを抜け出そうとする時だけ、彼女達はこの上なく息の合った連帯振りを見せるのだ。ここで胃に穴でもあけようものなら彼女達も少しは思うところがあったかもしれないが、彼の鍛えぬかれた頑丈すぎる肉体は、彼に病へと逃避することすら許さなかった。
 大神少尉の薔薇色の地獄は七日間もの間続いた。


――続く――
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