魔闘サクラ大戦 番外編2
その1



「最近の少尉、よくお出かけになられますわね」

 公演後の楽屋。舞台用の化粧を落としながら不満気に、本人はさりげなさを装っているつもりだが、すみれがこんなことを口にした。

「今日も海軍の方へ行かれてるみたいなんです。朝早くから制服に着替えてお出かけになったんですけど…」

 衣装の片付けを手伝いながらさくらが応える。彼女は今回出番が少なく、裏方としてもこまめに走り回っている。

「最近、軍服の大神はんも見慣れてしもうたなぁ」

 何となく寂しそうな風情で付け足したのはやはり今回チョイ役兼裏方の、こちらは賑やかに走り回っている、紅蘭である。もっともこの台詞、本人が聞いたら「それは逆だ」と口を挿みたくなるに違いない。軍服姿の方が本来の彼の姿なのだから。

「もしかして、戻れって言われてんのかな?海軍の方からさ」

 さらりと言ってのけたのは、やはり化粧を落とす途中のカンナであった。
 その瞬間、三人の視線が一斉に集中する。非難をたたえて。

「…カンナさん、あなたって人は、どうしてそう無神経なんですの」
「な…」

 なにおっ、と反射的に言い返そうとして、さくらのあからさまにしょんぼりした表情が目に入った。三人はそのことをあえて口に出さなかったのだと、それでカンナは気がついた。

「…わりい」

 すみれに、というよりさくらに対して、カンナはバツ悪そうに頭を下げた。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 あの震災と騒乱から一ヶ月余り、帝都は奇跡的な速さで復興を遂げていた。
 地震の起こった時刻がちょうど夕食も終わり各家庭とも火を落としていた頃合いであったこと、激しい夕立によって家屋も空気もたっぷりと湿気を含んでいたこと、二つの偶然のおかげであれ程の大地震にも拘わらず火災はほとんど起こらなかった。そして、大挙出現した機械兵が何故か積極的な破壊活動を行わなかったこと。これらの要因が重なり、帝都の被害は当初予想されていたよりかなり低いものだったのであるが、それにしても帝国にこれほどの底力があったかと思わせる再建振りである。
 それでも未だ住む家を失い、あちこちに建てられた仮住まいで雨露を凌いでいる者も多い。しかし、急速な近代化の中でも市井の人々の人情は廃れていなかった。地方からの急激な人口流入により、隣に住む人の顔もわからないという嘆かわしい風潮が近時蔓延しつつあったが、今日を生き明日を迎える為に見も知らぬ隣人と助け合うことで共同体が再生していくさまは、せめて禍より生じた福であると思いたいところだ。
 大帝国劇場は、とりわけ被害の小さかった建物の一つだ。流石は最新の建築技術の粋を尽くして建てられただけのことはある、人々はそう噂していた(ある事情により実際には最新を超えた技術が用いられていたのであるが)。そしてわずか一ヶ月で公演を再開するまでに辿り着いたのである。暗くなりがちな人々の心を勇気づける為、とかく後回しにされがちな娯楽に後押しを与えた政府の粋な計らいのおかげでもある(このことには、枢密院の意向が強く働いたとの噂がある)。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 大帝国劇場十月公演、「蛇女火炎地獄」公演終了後の楽屋。帝劇の女優である彼女達が話題にしていたのは、この帝劇で事務員兼、モギリ係を務める大神一郎という青年のことである。以前の彼は、と言ってもせいぜい一月と少し前のことでしかないのだが、舞台が終わった後は毎回まめに顔を出し、彼女達を労っていた。だが最近、彼は劇場を留守にすることが多くなっており、必然的に彼女達と顔を合わせる機会も以前ほどでは無くなっていた。そのことが彼女達、特に今回の舞台で主役を務めるすみれには不満であり、そして少女達全員にとって不安でもあった。
 無論、彼、大神一郎はそれだけの存在ではない。元海軍少尉にして、彼女達のもう一つの顔、帝国華撃團花組を率いる隊長、彼女達が命と心を預けた唯一人の男。去る九月一日夜半から翌未明にかけての騒乱(と天変地異!)を鎮めた立役者である。あの、圧倒的に不利な戦いの中で、誰もが挫け、望みを失い、自棄に陥りそうになった状況の中で、彼女達を守り抜く、そして勝利すると断言し、実際に誰一人犠牲にすること無く勝利をもぎ取った彼。己が力を使い果たし意識を失うまで彼女達を守り続けた彼。最早彼女達には大神以外の隊長など考えられなくなっていた(彼女達の忠誠心は既に長官である米田でも帝国でもなく、正義と平和ですらなく、大神個人に向けられていたのかもしれない)。その一方で、彼女達は良く知っていた。大神が海軍にとっても手放すことの出来ない期待の星であるということを。士官学校を主席で卒業したというだけでなく、その個人、集団いずれにおいても卓越した戦闘能力は華撃團配属前から極めて高く評価されていたという話も耳にするようになっていた。その彼が、最近海軍本部に顔を出すことが多くなった。慰めは海軍だけでなく、陸軍、そして華撃團が制度上属している近衛軍にも頻繁に足を運んでいるということだ。しかし、彼女達の胸の中で、別離の不安は日増しに大きくなっていた。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「みんなー、お疲れ様ぁ」
「アイリス、お勉強は終わったの?」
「うんっ、今日はもうおしまい!」

 今回、アイリスは出番が無い。ところで、アイリス、イリス・シャトーブリアンはフランスでも屈指の名門貴族、シャトーブリアン伯爵家の一人娘である。もうこの年齢になれば、古典教養、礼儀作法、歌舞音曲、貴族として学ばなければならないことが本来山のようにある筈だ。シャトーブリアン家令嬢とあれば、それこそ十指に余る家庭教師に囲まれていても不思議はない。しかし、さすがに家庭教師をここまで連れてくることは出来なかった。(元々その力故に、家庭教師をつけられなかったという事情もある)そこで、戦後処理も一段落付き、比較的手の空いたあやめがアイリスの出番の無いこの機会に集中講座を開いているという訳だ。あやめの教養は、ヨーロッパの王侯と並べても恥ずかしくないものであった。

「あれっ…お兄ちゃんは?」

 きょろきょろと目を動かすアイリス。何となく顔を見合わせる四人。

「隊長なら支配人室よ。米田長官とお話されてるわ」

 そう言いながら楽屋に入ってきたのは、常と変わらぬ黒衣の麗人、マリアである。マリアも今回出番が無い。そこで彼女は演出の手伝いへと回っていた。以前ほど破茶目茶は無くなったとはいえ、何かと脱線の多いすみれとカンナの組み合わせである(十月公演の演目は震災前から予定されていたが、復興の景気づけには賑やかな舞台の方がいいとの理由でいささかこの時期には相応しからぬ趣のある今回の舞台が、この配役故にそのまま興行されることになった)。そして、すみれとカンナの二人を御することが出来るのはマリアだけ、という訳なのだ。

「よかった、今日は早めにお戻りになられたんですね」

 ほっとした顔でさくらが言う。馬鹿げた話だが、彼が海軍司令部に出向いた時はいつも、このまま帝劇には戻ってこないんじゃあ、などという不安がこみ上げてくるのだ。

「全く、何故少尉ばかりあんなにお忙しいのでしょう?まだ病み上がりも同然だというのに…」

 ぼそぼそ、と呟いたすみれに皆の視線が集中する。しまった、という顔をするすみれ。滅多に聞くことの出来ないすみれの本音である。だが、冷やかす者はいなかった。釈然としない想いを抱えているのは同じなのだ。
 大神はあの決戦の後、過労で一週間寝込むことになった。正確に言えば、彼女達がベッドに縛り付けたのであるが。ところがその後すぐ、席の暖まる暇も無いほど東へ西へと走り回り始めたのである。あの奇跡のような勝利の後だというのに、まるで気を緩める様子が無い。焦っている風にも見えなかったが、それでも気になって口々に尋ねてみたのである。しかし、大神は後始末だよ、と笑って答えるだけではっきりしたことを誰にも、何も教えてはくれなかった。そのことがまた、彼女達の不安を掻き立てる……

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「…海上輸送路はほぼ抑えたようです。魔装機兵に限らず、反政府組織に対する武器供与の道は遮断できたと言ってもいいでしょう」
「とんだ副産物という訳だな」
「…海上警察は元々陣容が厚いとは言い難い組織ですから…海軍との協力関係はもっと早くから検討されてしかるべきものだったと思います」
「縄張り争いは馬鹿げてるってぇか?耳の痛え話だな」
「いえ、そんなつもりでは…」
「いいんだよ。俺も前々からそう思ってるんだからな。陸軍だ、海軍だってぇからお前に来てもらう時も結構苦労したんだぜ?この国にはまだまだそんな事を言っていられるほど余裕はないんだがな…」
「……一方、探索の方は思わしい成果が上がっておりません」
「黒き叉丹か…やけに気にしているようだが、魔装機兵の製造を不可能にするだけでは安心できないという訳か?」
「取り越し苦労だといいのですが…」
「…とにかく、お前の納得がいくまでやってみな。この件についちゃあお前が立案者だ。俺も伯爵も出来るだけのこたぁやるつもりだからな」
「ありがとうございます。明日は陰陽陣の探索方との打ち合わせに行って参りますので、申し訳ありませんが劇場の方は…」
「ああ、わかってるよ」

 これが、大神が飛び回っている理由である。先の戦いはあくまで僥倖であった、大神はそう力説した。天海の目的が権力奪取にあったからこそ魔装機兵の大軍は積極的な破壊活動を行わなかったのであり、帝国の力を殺ぐことが目的であったなら帝都の壊滅は避けられなかったと。本来なら、あれほど大量の兵器が叛徒の手に渡った時点で既にこちらの負けであったと。
 これを、他ならぬ大神が、勝利をつかんだ指揮官が口にしたのだ。年齢と功績を考えれば勝利に浮かれ、有頂天にならない方が異常なことであるのに。それだけにこの発言には重みがあった。普通彼の年齢でこんな事を言えば、何を生意気な、と一喝されるのが当然であるし、事実華撃團のことを知る極僅かな高官の間ですらそう思った者もいた様である。しかし、さすがに帝国の最高機密に関わる人々は見識と度量を持ち合わせていた。つまらない面子に拘ることを恥だと知るだけの誇りも持ち合わせていた。特に、近衛総監花小路伯爵の強い後押しを受けて陸軍、海軍、近衛軍各情報部及び特別警察組織の協力班が組まれることとなり、大神がその連絡係、実質的には調整役に任じられたのである。そして、外国諜報機関の武器密輸経路について徹底的な調査と遮断を展開していた。
 この任務については驚くほど短期間に成果が上がっていた。これ迄各機関がバラバラに秘匿しているだけだった情報を一所に持ち寄るだけで信じられないほどの進展があったし、華撃團・月組が独自に進めていた調査が殊に功を奏した。しかし、大神はこれだけで満足してはいなかった…

「以上です。失礼します」
「ああ、ちょっと待ちな」

 敬礼をし、部屋を出ていこうとする大神へ米田が言葉を投げる。

「また出かけるのか?」
「はい、伯爵へも報告書をお持ちすることになっておりますので」
「そっちは俺がやっといてやる。たまにはゆっくりあの娘たちの相手をしてやんな」
「……しかし、」
「戦いが終わったらもう用無しってぇんじゃねえだろ?あいつらに対するお前の責任が無くなった訳じゃねぇんだぜ」
「……はい」

 大神の顔は何故か辛そうだった。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


(あいつの気持ちもわからんではないんだがな…)

 閉ざされた扉を見やりながら椅子に深く座り直す米田。

(大神よ、お前は逃げる訳にはいかねぇんだ…いずれは結論を出してやらにゃあな……)

 心の中で語り掛ける米田の脳裏にいなくなってしまった年下の友人の顔が浮かんでいた…

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


(戦いが終われば用無しか…用無しなのは俺の方だ。俺は彼女達にとって用の無い人間になった方がいい…)

 重くなった足を引き摺って二階の自室に向かう。彼女達のところへ顔を出すなら、その前に軍服を着替えなければならない。軍人の姿で彼女達の前に出たくなかった。これが本来の自分の姿であっても。

「大神さん…」

 躊躇いがちに話掛ける声。内心の動揺を軽々と抑え込んで大神は振り向いた。最近すっかり心を隠す術が身に付いてしまっている。

「さくらくん、舞台お疲れ様。皆はまだ楽屋かい?着替えてから顔を出そうかと思っていたんだが…」
「…大神さんこそ、お疲れじゃないんですか?」

 しかし、大神の完璧な演技もさくらには通じなかった様である。その心の裡を見抜いたというのではないが、大神の態度にどこか不自然なものを感じるさくら。だが、さくらはそれを、疲労の所為だと解釈した。無意識の内に、大神に疑いを持つことを避けていた。

「…そうだな、少し疲れているかもしれない。まあ、たいしたことはないよ」

 咄嗟に話を合わせる大神。そう思わせておいた方がいい、瞬時にそんなことまで計算してしまう。

「じゃ、また後で」

 軽く手を振ってさくらに背を向ける。呼び止めようとして言葉を飲み込むさくら。大神は自分の前から逃げ出そうとしている。そんな直感が心をかすめる。その思いを懸命に振り払いながらも、大神の背中を見詰めるさくらの表情は親に見捨てられた子供のようにも見えた。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「皆、舞台お疲れ様」
「お兄ちゃん!」
「少尉…漸くお顔を見せて下さいましたわね?」
「おいおい、そんな何日も会ってない訳じゃないぞ」

 サロンに集まった皆の前へ大神が顔を出す。近頃は皆がどこにいるか、誰に聞かなくても何と無くわかってしまうようになっていた。飛びつくアイリスの背中越しにどこか拗ねたような物言いをするすみれ。大神は苦笑するしかない。
 にこやかに、包容力を感じさせる優しい笑顔で一人一人に声を掛ける大神。いつも通りの一幕。今迄通りの風景。だが、さくらは先程感じた恐ろしい直感が頭から離れなかった。その光景に空々しい違和感を感じていたのはさくらだけだった。




その2



 帝国華撃團花屋敷支部。地上は東洋一の呼び声も高い花屋敷遊園地。その大規模かつ高度な仕掛けは欧米の一流遊戯施設にも引けを取らないと帝都市民の密かな自慢の種になっている。そして地下は、掛け値なしに東洋一、そして世界最高水準と言っても何ら後ろめたく感じる必要のない霊子技術研究機関兼工場である。本部が人と霊力の要であるなら、花屋敷支部は華撃團の科学力の要である。
 大神一郎はその研究施設の中でも最も奥まった一角に来ていた。今ここでは霊子波動補正装置の研究が進められている。霊子波動補正装置、それは極めて個人差の大きい霊子力の波動を標準化することで霊力特性に左右されない霊子機関を実現する、その為の装置である。黒之巣会の魔霊甲冑解析によってこの装置の開発が始められた時から、大神はその実現に並々ならぬ熱意、技術者でもないのにそれは最早情熱と言っても差し支えない、を示していた。何故なら、この装置は…

「技術主任、進行状況はどうですか」
「大神君か、大分目処が立ってきたぞ。実験の時はまたよろしく頼む」
「何時でもおっしゃって下さい。出来る限り都合をつけます」
「うむ…それと、やはり紅蘭は貸してもらえないのだろうか?情けないことを言うようだが、霊子技術に関する勘のようなものはやはりあの娘が一番だからな」
「…申し訳ありません」
「…まあいい。君の気持ちもわからんではない。あの娘達を不必要とする為の装置の開発を手伝わせるのは、確かに皮肉なことだからな」
「……お邪魔しました。失礼します」

 表情を消し、一礼する大神。相手の男はしまったという顔をしていたが、特に咎めるつもりはなかった。完全な事実ではないとしても、それが大神の求めていることだからだ。霊子波動補正装置の目的は、現在極めて限られた条件に適合する人間にしか動かすことの出来ない霊子甲冑を霊力の強い者なら誰でも動かせるようにする為の物だ。具体的に言うなら、修行によって霊力を高めた術者に霊子甲冑を動かせるようにする為の物。霊子機関は元々法術や魔術と相性が悪い面がある。人間の持つ生のままの霊力波が霊子機関を動かす為には最も適しているのだ。霊子機関のこの性質が特に強く現れる霊子甲冑は、その為に生まれながら強い霊力を持っていて、しかも魔術的な修行を経験していない者にしか動かせないという、矛盾した極めて希な条件の人材を要求する。それが花組の少女達であり、大神なのだ。
 彼女達を戦いから解放してやりたい、あの日本橋の戦いの後、大神のこの思いは益々強いものになっていた。それは彼女達の為というより、自分の為であることも多分に彼は自覚していた…

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「少佐がお見えになるとは思いませんでした」

 入室してきた一団の先頭に立つ男の顔を見て、大神は意外感を隠せなかった。今日は近衛軍法術大隊、通称陰陽陣の探索方、つまり諜報部隊との打ち合わせに過ぎない。副司令である加出井少佐が多忙を割いてやって来るほど重要な集まりではないのだ。

「君がいろいろと動いているのは耳にしていたからね。三軍に跨る作戦を他ならぬ君が仕切っているのだ、重大問題でない筈はない。そう思い、興味が出てきてな」
「…お褒めいただき、ありがとうございます。私自身は余り大きな問題にならぬ方がいいと思っているのですが」
「もっともだ。何事もないに越したことはない…では、始めてもらおうか」

 加出井は大神のことを妙に気に掛けている、というか、妙に気に入っている様子で、埒もない言葉の遣り取りすら楽しんでいる風がある。元々この男も、変わり者が多い陰陽陣の術者の中でもとりわけ物好きな性質との風評があり、おかげで「最高ではないが最強の術者」などという好意的だか疎まれているのかわからないような二つ名を与えられていた。しかし、実の所加出井が大神を気に掛ける理由は、とてもそんなお気楽なものではなかった…

「これが魔霊甲冑『神威』の残骸、黒き叉丹を名乗る叛徒が乗り込んでいた機体です」

 大神が彼らを連れていったところは、黒之巣会の魔装機兵、特に魔霊甲冑の分析をしている部署である。黒之巣会の技術は帝撃の技術者から見てもかなり進んだ部分があり、霊子波動補正装置以外にも様々な新技術の手掛かりが見出されている。

「この機体に染み付いている搭乗者の波動から黒き叉丹とやらの居所を突き止められないかという訳だな?」

 肯く大神。過去見、西欧の言葉で言うサイコメトリー。未だ何の手掛かりも掴めぬ叉丹の居所をこの術で突き止められないかという苦し紛れの策が今日の会合の主題であった。苦し紛れではあるが、利用できるものは何でも使うというのが大神の心境だった。
 あの日、蒸気演算機が最大の光点を示したのは、天海ではなく黒き叉丹だった。最大光点、それは即ち最大の魔力の持ち主ということ。それに加えて、叉丹の口にした妙な一言が大神の頭に引っ掛かっていた。

「親玉…!?フフフフフ…」

 あの時のさも見下したような口調と嘲笑。否、ような、ではない。叉丹は明らかに天海のことを軽んじていた。それに西洋文化を毛嫌いしていた天海が明らかに人型蒸気の派生技術である魔装機兵を使っていたというのも、今にして思えば余りに不自然である。もしかしたら黒之巣会の真の黒幕は黒き叉丹の方だったのではないか。この疑念が大神の思考の片隅にこびりついて離れなかった。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 消灯前、大帝国劇場。最近劇場を空けることの多い大神だが、夜の見回りだけは欠かさず続けていた。もっとも、以前に比べれば時刻も随分遅い。見回りの途中で少女達に顔を合わせる機会も少ない時間帯をわざと選んでの見回り。彼女達の身の安全の為せめてこの位のことはしていたい、しかし彼女達と顔を合わせたくない。一体何が大神の心を屈託させているのであろうか。

(舞台か……)

 この時大神は滅多にやらないことをした。袖の階段に足を掛け、瞬時、躊躇の後舞台に上がる。中央まで進み客席を見回す。
 大神は舞台に上がらぬ様自分を戒めていた。舞台設備を修理する時、千秋楽の後セットを撤去する時、人手が必要な時にはさりげなく積極的に手伝いを買って出るがそれ以外では非常事態以外に舞台へと足を踏み入れたことはほとんどない。

(ここは彼女達が歌い、踊る舞台…人々に感動と明日へ向かう心を、勇気と力を与える所。俺は、俺に出来ることは…)

「大神さん…!」
「さくらくん…?」

 はっ、と身を震わせ振り向く大神。最近に珍しく僅かとはいえ動揺を表に顕す。近づくさくらの気配に気づかぬほど大神は自分の思惟に没入していた。だが、一瞬後にはいつもの表情を取り戻す。親しげで穏やかな、優しい表情。だが、それが妙に仮面じみたものにさくらには見えてしまった。その表情が作られたものであることにさくらは気づいてしまった。

「どうしたんだい?もう遅いよ。早く寝た方がいい」

 思い遣りに溢れた声。だがそれすらも演技。心がこもっていたとしてもそれは演技。さくらは泣きたくなった。何故か知らず、涙が込み上げてきた。

「どうしたんだい…?」

 以前であれば慌てふためき、おろおろすることしか出来なかった大神。今彼はさくらの涙を見てゆっくり歩み寄り、優しく声を掛けた。指で涙を拭おうとすらする。計算され尽くした紳士の振る舞い。

「大神さん、どうして私達を避けるんです…!?私達が嫌いになったんですか!?」

 泣き出す寸前の声で詰め寄るさくらに驚いた顔、でも驚き過ぎていない顔を見せる大神。

「本当にどうしたんだい、さくらくん?俺が君達のことを嫌いになる訳ないじゃないか」

 その言葉に嘘はない。本心からの言葉であるとわかる。しかし、大神の本心の全てでないということもわかってしまう。強く抑制された感情、感情を知性が綿密な計算で制御している。自分に決して本音を見せようとしない大神。さくらは無性に哀しかった。

「大神さんっ…!」

 潤んだ目で大神の目を正面から覗き込むさくら。睨んでいるのではない。視線を合わせて、じっと見詰めている。目で訴えている。本当のことを話して下さい、と。
 どのくらい二人は見詰め合っていただろう。十数秒にも十数分にも思える。フッと大神の表情が消え、視線を外し下を向く。すぐに戻された顔には何の表情もなかったが、仮面ではない表情があった。

「……あの日、地の底で地震に見舞われた時、俺は怖かった。心の底から恐怖を感じた」
「………」
「俺は結局君達を死なせてしまうのかと。人々を守ると、君達を守ると口にしながら、結局俺は破壊と殺戮しかもたらさない死神なのかと。あの時は幸運だった。今もって正体不明の力が俺達を助けてくれた。だけど、幸運なんてそうそう続くものじゃない。戦場では、運に頼るのは最後の手段だ」
「……大神さん……」
「俺は、君達だけは死なせたくない。それで俺の務めが果たせなくなるとしてもだ。だが、戦場に身を置く限り、いつか俺は君達を犠牲にしてしまうかもしれない…笑ってくれてもいいよ。臆病者だと。俺には自信がないんだ…」

 言葉とは裏腹に自嘲の色はない。淡々と、ただ事実だけを語る口調。自分のこと、自信がないということまで客観的に分析して。

「君達にはこの舞台がある。人々の心に明日を与える力がある。それは多分、戦場で戦うことよりずっと価値のあることだ。血生臭い戦闘は俺達に任せておけばいい。戦うことしか出来ぬ俺達に。俺はきっと、君達が戦わなくても済むようにしてみせる。だから…もう俺に従う必要はなくなる。その時がもうすぐ来るよ…」
「そんな……!」
「君達を嫌いになったりはしないよ。例え君達と離れ離れになっても、俺は君達のことを大切に想いつづける。だけど、君達は俺から離れた方がいい。俺の周りにはきっと戦いが寄ってくる。俺は戦いを引き寄せてしまうだろうから」
「大神さん…?」

 大神は時々謎めいた台詞を口にする。さくらの理解できぬことを言う。だが、大神の本心が何処にあるか、さくらは大体理解できた気がした。そして大神に伝えなければならないことがあると知った。

「大神さん?」

 さくらの口調が変わっている。雰囲気が、表情が一変していた。控え目ではあるがむしろ明るい表情でさくらが大神に問い掛ける。

「大神さんはどうして軍に入ったんですか?」

 問い詰める風ではない。かといって好奇心からという感じでもない。さくらの意図がわからずに、それでも大神は真面目に答えた。彼が子供の頃から叩き込まれてきた価値観を。

「戦う力を持たぬ人々を守る為だ。どんな強者であろうと、人である以上一人では生きていけない。だから力有る者は他人の為でなく、他ならぬ自分の為に力無き同胞を守って戦わなければならない。俺は子供の頃からそう教えられてきたし、それは間違っていないと思っている。だから軍を志願したんだ」

 心の中で肯くさくら。同じだ。やっぱり大神さんも同じ。

「大神さん、私もです」
「えっ…?」
「私も、自分の力が役に立つなら、戦うことを知らない人達を守ることが出来るなら、そう思って帝都に来ました。華撃團に志願しました」
「志願…したのか?」
「はい。私は大神さんみたいに、戦うことの意味をはっきり教えてもらっていた訳じゃ有りません。私はただ、平和を守る為に命を懸けたお父さんが考えていた事、感じていた事を知りたくてここに来たようなものです」

 一瞬、哀しみの色がさくらの瞳をよぎる。だが、それはほんの一瞬の事だった。さくらの表情には落ち着いた熱意とでも呼べるものが表れている。

「でもこの半年、大神さんの背中を見ていて戦うことの意味が少しはわかったような気がします。頭じゃなくて、心でわかったような気がします。私には大神さんほど力はないけど、大神さんについていくことで少しは帝都に住む人達の暮らしを守る為の力になれたような気がします」
「さくらくん、俺は……」
「今のお話を聞いて、私が感じていたことが大神さんの思っていらっしゃったことから外れていないってわかりました。ホッとしました。大神さんの気持ちをちゃんと感じ取ることが出来てよかったって思います」
「………」
「大神さん、私はそんなに頼りになりませんか?大神さんについていくことも出来ないんですか?少しは大神さんのお力になれたって思っていたのは私の勝手な思い込みですか?」
「そんなことはない!君が、君達がいたから俺は戦ってこれた」

 強い調子で、語気荒くと言ってもいいような口調で否定する大神。さくらはここぞとばかり言葉に力を込めた。

「だったら!だったら、これからも一緒に戦わせて下さい。私は女ですけど、皆を守りたいっていう気持ちは同じです!私は大神さんのお手伝いをしたいんです。大神さんの、人々を守りたいっていう志の、力になりたいんです!!」
「さくらくん……」

 困惑した声で呟く大神。さくらの言っていることをもっともだと認める悟性と、彼女を戦場に立たせたくないという感情のせめぎあい。
 そこへ舞台袖から声が掛かる。

「隊長、私もさくらと同じです」
「マリア…それに皆……」

 マリアの後ろに皆の姿があった。カンナ、すみれ、紅蘭、アイリス。皆が一様に訴えかける目をして歩み寄ってくる。

「私がここに来たのはあやめさんに誘われてのことです。しかし、誘いに応じたのは単に自分の居場所が欲しかっただけでした。空虚な日々に疲れていたから…私にとって、帝都を守って戦うということは単なる義務でしかありませんでした。戦い続けてきた自分の新たな戦場。それが平和を守る為のものなら、ただ殺し合うだけの日々より意味がある。その程度にしか思っていませんでした」
「マリア…」
「平和を守って戦うということの本当の意味が私にはわかっていませんでした。それを教えてくれたのは、隊長、あなたです。自分の隣にいる者の命を疎かにして人々の命を守ることなど出来ないと。今、目の前にいる者を守ることが平和を守るということなのだと」
「……」
「私が花組の隊長を続けていたなら、きっとこの中の誰かを犠牲にしていたでしょう。隊長、あなたがいらっしゃらなかったら私はそのことに疑問すら感じなかったでしょう」
「……」
「人々の平和な暮らしを守って戦うということの意味を教えてくれたのは隊長です。戦いたいという気持ちを、殺す為ではなく守る為に戦いたいという気持ちを教えてくれたあなたの元で私は戦いたい。そうすることで初めて私は自分の過去を受け容れることが出来る様な気がします。自分の、殺戮の日々がこの為にあったのだと思うことが出来るんです。お願いします、隊長! 私にはまだあなたが必要です」

 ワタシニハアナタガヒツヨウデス。それが男と女の関係を意味しているのではないことはここにいる者なら誰にでもわかった。大神にも、マリアの真意は痛いほどわかった。自分が必要とされているということ、必要とされている意味が。

「隊長、以前のあたいは、戦うことの意味なんてどうでもよかったんだ」
「カンナ…」
「ただ、強い奴と闘えればそれでよかったんだ。闘うことしか教えてもらえなかったあたいの、生きるってことは闘って強くなることだって思ってた。ここに来たのだって、強い奴と闘えるって聞いたからさ」
「……」
「以前のあたいは、今のあたいに比べりゃ生きてたって言えないな。自分の力が何の為にあるのか知ろうともせず、何の為に闘うか考えようともしなかった。ただ面白半分で拳を振り回していただけのような気がするよ」
「……」
「ただ強くなりたいって生き方を否定するつもりはないぜ?それはそれで一つの生き方だと思う。でもあたいは、あたいにとってもっと意味のある生き方を見つけた。戦うことの意味を見つけた。教えてくれたのは隊長、あんただ。あんたの戦う姿が、あたいに力の使い方を教えてくれたんだ。強さが何の為にあるのかを」
「カンナ…」
「黒之巣会を倒したから、はい、さよならってのはあんまりじゃねえか?隊長、あたいはもっとあんたと一緒に戦っていたいんだ。そうすりゃ、もっといろんなことがわかるような気がするんだ。頼むよ、隊長!」

 ここにも自分のことを必要だと思ってくれている者がいる。いや、本当はわかっていた。自分のことを必要だと思ってくれている少女達の気持ちを。それが、彼女達の傷つく姿を見たくないという大神自身の望みと葛藤を起こしていたのだ。彼女達から離れたいというのが自分の為でしかないということを大神は自覚していた。その大神を今、少女達の言葉が激しく揺さぶっていた。

「アイリス、自分の力が嫌いだった」
「……」
「こんな力があるからアイリスは一人ぼっちなんだって。こんな力、無ければいいのにってずっと思ってた」
「アイリス……」
「でも、今は力があってよかったって思ってるよ。お兄ちゃん、アイリスに力があったからアイリスはお兄ちゃんと会えたんだって。お兄ちゃんと会えたから、アイリスは自分の力で皆を守ってあげられるんだって」
「……」
「アイリス、戦いは嫌いだけど、戦争が嫌いでも自分では何も出来ない子達が大勢いるんだよね。そんな子達を戦いから守ってあげるのってとっても素敵なことなんだよね。この気持ちを教えてくれたのは、お兄ちゃんだよ」
「……」
「アイリス、今でも戦うのは嫌だけど、怖いけど、お兄ちゃんと一緒だったら戦えるよ!アイリスの力で皆を守ってあげられるよ!お兄ちゃんがいなくなったら、アイリスはまた自分の力を嫌いになっちゃうよ…」

 泣き出しそうな幼い少女の視線が大神の胸に突き刺さる。自分の責任、心を預かった者の責任を今改めて感じていた。

「大神はん…うちはほんまは兵器なんて作りとうない。戦争の道具なんて世の中から無くなってしまえばいいと思っとる」
「……」
「正直言うて、うちが花屋敷で研究に打ち込んどったんは機械いじりが好きなんと…自分の居場所が欲しかっただけや。自分が必要とされる場所が欲しかっただけや。華撃團かて結局のところ軍隊の一部やっちゅうことがわからん訳やない。この先自分の作った物が華撃團以外の軍隊で人殺しに使われるかも知れんって何べん悩んだか知れん」
「紅蘭……」
「でも、大神はんなら、きっとうちの研究をいい方向へ使うてくれる。平和を守る為に使うてくれる。うちはそう思っとるんよ。大神はんやったら、うちの研究を任せられると思うんよ」
「……」
「大神はんがいなくなったら、うちは何を信じていいのかわからん様になるかも知れん。うちの居場所が無くなるかも知れん」
「……」
「お願いや、大神はん!もうちょっとだけ、もうちょっとでいいんや。科学が、うちの技術が戦争に利用される為だけの物やないと信じられるようになるまで、うちらの隊長でいて欲しいんや!きっと正しい使い方をしてくれると思える大神はんに使うて欲しいんや!」

 紅蘭が幼い頃、内戦で家族を失っているということを大神は知っていた。そして技術者としての紅蘭を華撃團が手放しはしないということも知っていた。自分が彼女に対しても責任を負っているということを、彼は知っていた。

「少尉、もう少しだけ、わたくし達にお手伝いさせていただけませんか?わたくし達を大切に想って下さる少尉のお気持ち、このすみれ、少しはお察し申し上げられるつもりです。ですが少尉は、わたくし達の支えなんです」
「すみれくん…」

 わたくしの…という言葉を飲み込んで、言葉少なに訴えるすみれ。人の上に立つ者として教育されてきた彼女には、大神の心が痛いほどわかっていた。下の者に対する責任というものの重みを彼女もまた幼い頃から心に叩き込まれていた。それでも、彼女には言わずにいられない。大神に、ここにいて欲しいと。そういうすみれの心の動きもまた、大神にはよくわかっていた。

「大神さん!皆、一緒です。皆、大神さんにいて欲しいと思っているんです。大神さんと一緒にいたいと思っているんです。戦うことが大神さんの使命なら、私達は大神さんと一緒に戦いたいって思っているんです!」

 そして全員の、本当の気持ちを真っ直ぐに口にしたのは、やはりさくらであった。ただ大神にいて欲しいと…それが単純で本当の本音だけのものであるが故に、その言葉は大神の心に築かれていた最後の壁を打ち壊した。

「……すまない、皆。俺は隊長失格だな…」
「大神さん!?」
「俺は自分の力不足で君達を守れなくなるかもしれないという、自分の恐怖心の為、それだけの為に隊長としての責任を放棄しようとしていたんだな…俺が間違っていたよ」
「大神さん、じゃあ…」
「マリア、カンナ、アイリス、紅蘭、すみれくん、そして、さくらくん。もう少しの間、俺に力を貸してくれるかい?」

 力強く肯く六人。満面の笑みを浮かべる者、穏やかに微笑む者、そして涙を浮かべる者。
その姿を客席の奥から一人の初老の男が見ていた。

「大神、とりあえず、一つ目の答えは出せたようだな。あともう一つ、こっちの方が大変だぜ…」

 小さく呟くと、米田は音を立てぬ様客席を後にした。


――続く――
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