帝国華撃團訓練校
第一話『初めての授業』その2

太正十三年四月某日

俺はいったい何の為に呼ばれたんだ?
俺は今、帝国華撃團とか言う怪しげな部隊の訓練校に派遣されている。
今日が初日、いったい何をやらされるのかと思えば、何もやっていないぞ、今日は。噂に聞く霊子甲冑も動き自体はまあまあの出来だったが、あんなにエンジンが不安定ではとても実戦には使えん。あんな物に乗って戦場に出なきゃならんのなら、マジで脱走するぞ、俺は。
……まあ、何もしないで給料がもらえるなら楽なもんだがな。とは言うものの、功績を上げんと給料は上がらんし、難しいところだ。
それにしても、あの娘、「真宮寺さくら」だったか、あれは良い女だった。磨けば飛び切りの美少女になるぞ。教官なんてどうせ暇だろうし、せいぜい楽しませてもらうか。
しかし…「真宮寺」か。まさかな……
(大神一郎の日記より)

◇◆◇◆◇◆◇◆◇

わずかに紫がかった薄い青空。
ひんやりと澄んだ空気。
小鳥のさえずり。
日の出直前、早朝の帝都。
その清々しい空気の中を規則的な歩調で歩む青年の姿があった。
帝都某所、帝国華撃團訓練校。
高い塀で外部から隔絶された敷地の中を歩む、(外見だけは)この清々しい雰囲気に相応しい若者の名は大神一郎、つい一昨日迄海軍少尉だった青年士官である。
いや、今でも海軍少尉であることに変わりは無い。ただ、今現在彼の所属が海軍ではない、というだけのことだ。彼は昨日から、この帝国華撃團訓練校に教官として派遣されていた。
長身、鍛え抜かれた肉体に引き締まった凛々しい容貌。まさに早起きして鍛錬を積む勤勉な武人に相応しい外見である。
外見だけは。
否、実際に彼は鍛錬しているのだ。ただ歩いているだけに見える今も、見るものが見ればわかるだろう。規則正しい呼吸と共に彼の体内で「気」が練り上げられていることに。「動禅」。その静かな佇まいとは裏腹に彼の内部では膨大なエネルギーが渦巻いていた。
しかし。
それは決して、「勤勉だから」ではない
いずれ、皆さんにもおわかりいただけるだろう……

木立の向こう側、敷地の最も外れ、裏庭の片隅に彼は小柄な人影を発見した。
そして、すぐに自分の勘違いに気づく。
その人物は小柄なのではない。
女性なのだ。
長い髪を飾り気の無い紐でまとめ、実用一点張りの剣道着に身を包んだ若い女性、少女は、一心に太刀を振っていた。
木刀ではない。本身の、日本刀だ。
こめかみを伝う汗が、もうかなりの時間そうして素振りを続けていることを物語っている。日本刀の重量で、大粒の汗を流すほどの間素振りを続けられるということは、この少女の剣術が昨日今日の付け焼刃ではないということを意味している。
(ふむ、なかなか……北辰一刀流か。女性の技ではないな。俺には及ばんが)
「さくらくん、精が出るね」
内心の傲慢な思いを露ほども見せず、少女の動きが「既発の虚」に移行した瞬間を見計らって爽やかな声で話し掛ける大神。
「あっ、大神、教官」
少しびっくりしたような表情で振り返った少女、さくらは口篭もりながら大神の声に応えた。
「?、どうしたんだい、その『教官』というのは」
「えっ?」
「昨日は『大神さん』と呼んでくれたじゃないか」
「ですが…」
「確かに俺は君達の教官を任命されたけど、名前で呼んでもらっていいんだよ」
「大神さん…」
「そう、それでいい」
くだけた、しかしどこか上位者であることを匂わせるような口調で話し掛ける大神。無論、その方がどこかおどおどしたこの少女には効果的だと計算した上でのことだ。
「見事な技だね。北辰一刀流、そうだな、中皆伝、くらいかな?」
「いえ、そんな…あたしなんかまだ皆伝には程遠いです」
「それは君が女性だからだよ。剣術の世界はまだまだ封建的だからね。大丈夫、君には十分皆伝の腕がある」
「本当ですか……?」
疑惑と、期待がさくらの中で頭をもたげる。
ちょっと素振りを見ただけで…でも……
「ああ、太刀筋を見れば大体の実力はわかる。海軍にだって、君に勝てる使い手はそうそういないと思うよ(俺は別だけど)」
「…!、ありがとうございます!」
パッとさくらの表情が明るくなる。もちろん、彼女には大神の内心の声は聞こえない。
自分の力を認めてもらえる。自分を認めてもらえる。それは、自信の欠如に悩む者には最高の口説き文句だ。
彼女の心底嬉しそうな笑顔にこっそりほくそ笑む大神であった……

◇◆◇◆◇◆◇◆◇

「大神少尉、今日から実際の訓練を受け持ってもらいます」
朝の教官室。まずは順当な挨拶を交わした後、真面目な顔で事務的な話題を持ち出したのは藤枝あやめ特務中尉であった。
「わかりました」
「大神少尉、君には光武を使ってもらうことにしたよ」
そして機嫌の良い声で大神に話し掛けたのは山崎真之介特技少佐である。
「桜武では君の力に耐えられないようだからな。いやあ、いきなり光武を使うことになるとは思わなかったよ、ハッハッハ…」
残念そうな言葉の内容とは逆に、山崎の口調は上機嫌そのものである。
「ようやく光武も日の目を見ることができるんだなぁ。君なら光武の力を十分引き出せるだろう」
どうやら、出番の無かった実戦用霊子甲冑を格納庫から出せるのが嬉しいらしい。…技術者丸出しである。
「光武の霊子機関は桜武のものより五割がた容量が大きいからな。君の力にも十分耐えられるはずだ」
「はっ、ご期待に沿えるよう勤めます」
今にも大神の肩を叩きそうな山崎を前に、神妙な返答を返す。だが大神は、心の中で溜息をついていた。彼の力に耐える、と山崎は言っているが、昨日の彼は限界の半分も力を出していなかった…
「うむうむ、期待しているぞ」
大神の目には降魔戦争の英雄が道化に見えていたかもしれない。

「まずは花組のみんなを紹介するわ。それから貴方の機体に案内します」
(うーん、歳よりも老けて見えるかな……でもプロポーションはなかなか……)
一歩後ろをついてくる大神がそんな失礼なことを考えているとは夢にも思わず、彼を花組の教室に案内するあやめ。
彼女は注目されることに馴れていた。若い女性の身で英雄に数えられる稀有の存在、そうでなくとも十人が十人とも振り返るような美貌である。男の視線をいちいち気にしていたら生きていけないだろう。
だがその所為で、彼女はこの時、頭の天辺から足のつま先までなめ回すような大神の視線に気づかなかった。彼の本性を見破るチャンスだったと言うのに……
無知は時に幸いである。

「皆さんに新しい教官をご紹介します。海軍よりお招きしました、大神一郎少尉です」
「帝国海軍より教官として派遣されて参りました、海軍少尉、大神一郎です。よろしくお願いします!」
あやめの紹介に間髪を入れず進み出て、鮮やかな敬礼と共にメリハリの利いた挨拶を述べる大神。あくまでも生真面目に、男らしく。
だが彼は、もう少し動揺すべきだったかもしれない。彼が目の当たりにしている光景は動揺して然るべきものだったから。
彼と向かい合って整列する「生徒」はわずか六人だった。しかも…
「マリア・タチバナ訓練生」
「はっ!」
あやめの声に長身の少女が進み出る。プラチナブロンドの髪、翡翠の瞳。長身の大神と頭半分程しか違わぬ背丈。どことなく日本的な面影もあるが、明らかに西洋の、北欧系の血が混じっている。
女性で、しかも異国の血が混じった訓練生。しかし、大神はこの異様な組み合わせにも眉一つ動かさない。
「大神少尉、彼女が花組の教室長、マリア・タチバナ訓練生です」
「マリア・タチバナです。大神少尉、よろしくお願いします。海軍仕込みの戦闘技術を是非見せていただきたいものです」
「こちらこそよろしく、タチバナ訓練生」
いささか挑戦的な初対面の挨拶も、まるで動じることなく受け流してみせる。初めての場所だというのに、その姿は不思議なくらい自信に満ち溢れていた。
「桐島カンナ訓練生」
「おうっ!」
「神崎すみれ訓練生」
「はい」
「李紅蘭訓練生」
「はいな」
「イリス・シャトーブリアン訓練生」
「は〜い」
「真宮寺さくら訓練生」
「はっ、はい!」
名前を呼ばれて次々と進み出る少女たち。そう、全員がまだ二十歳前の少女達だ。
「以上六名が花組の訓練生です」
サッ
あまりに異常なメンバー構成であるはずだ。普通の軍人なら我が目を疑い呆然となるか、馬鹿にするなと怒鳴り出すところだろう。だが、大神は至って平然と目の前の現実を受け入れていた。ごく普通に敬礼を返す大神。その姿は、大神の混乱する姿を予想していたあやめを困惑させる程平然としたものだった。

「びっくりしたでしょう?」
教室棟の廊下で、大神を先導しながらあやめは自分の方がびっくりしたような声で大神に話し掛ける。
「そうですね、わずか六名のうち半数が外国人とは驚きました」
少しも驚いていないような大神の答え。
「い、いえ、そうじゃなくて、女の子ばかりだから…」
ますます当惑したようなあやめの声。
「普通の任務ではありませんからそういうこともあるかと思ったのですが」
さも当然のような大神の口調。
あやめはまじまじとその顔を見詰めずにはいられなかった。
「藤枝中尉?」
「あやめでいいわ、大神少尉。『南海の白き狼』に『中尉』だなんて何だか居心地が悪いもの」
「では私のことも大神、と呼び捨てにして下さい」
人当たりの良い好青年の顔で応える大神を改めて見詰めるあやめ。
あやめもこの青年の噂は聞いていた。『南海の白き狼』、またの名を『南海の餓狼』。南洋諸島海域に出没する海賊にとって、彼の名は恐怖そのものだと言う。
僅か一年足らずの間にそれまで南洋統治領近海を我が物顔で荒らし回っていた華人海族や旧ドイツ帝国海軍残党の隠れ家をことごとく叩き潰した南洋艦隊機甲上陸部隊『海狼』第七小隊の小隊長。南洋に秩序を確立した第一の功労者という評価すらある、海軍若手きっての凄腕指揮官。
たが、彼が恐れられる理由は無論、それだけではない。彼が出動した際の捕虜は常にゼロ。敵生存者も確認されている限りゼロ。彼の通った跡に命ある者の姿は無いとまで言われている、恐怖と絶望をもたらすジェノサイダー。敵ばかりでなく、味方である海軍の荒くれ下士官達も彼の名を聞くだけで蒼ざめると伝えられている、呵責なき戦士。
彼の外見は、身長こそそこそこ高いものの全体に均整が取れており、それ程大きいという印象は与えない。容貌もなかなか鋭い目鼻立ちをしているが表情は温和であり、到底そのような凄腕の兵士には見えなかった。しかし、あやめは思う。この何物にも動じないかに見える落ち着き振りはやはり只者ではない。この青年なら、眉一つ動かさず冷静に人を殺すことが出来るかもしれない、と。
そう、次の一言を聞くまでは。
「ああ、そう言えば、美形揃いなのには驚きました。霊力と外見には何か因果関係があるのですか?」
あやめの両眼は更に大きく開かれることになった。今にも口笛を吹き出しそうな、太平楽な表情。女性に声をかけることしか興味がないような、街角にボケッと佇む若い男達と少しも変わらない表情だ。流石にチンピラと言うには品があるのだが。『南海の餓狼』の異名と目の前の青年が再び一致しなくなってしまう……

「これが『光武』よ」
「これが実戦用の霊子甲冑『光武』ですか。外見はほとんど桜武と変わりませんね」
ずんぐりした純白の機体を前にして芸の無い感想を述べる大神。
あやめは、彼の注意が別の方向に向けられているのに気づいた。
「ああ、それは実験機『神威』よ。それが私の乗る零型機、隣が真之介、いえ、山崎少佐用の壱型機、向こうが真宮寺閣下のやはり壱型機」
「随分、凝った造りですね」
大神がこう言うのも無理はない。
円筒形を基本にしたシンプルそのものの姿を持つ光武に対して、神威はさながらマントを羽織った西洋甲冑騎士、それもつけられるだけの装飾品をつけたパレード用の姿に似ていたのである。
「…そうね」
溜息混じりに応えるあやめ。
「実験機ということで、考えられる限りの装備をつけたのはいいんだけれど、おかげで機体が重くって……動きが亀のように鈍いのよ。まあ、その分装甲は頑丈だから差し引きゼロなんだろうけど…」
どうやらあやめは、あまり神威が好きではないらしい。
「でも、この機体に乗るしかないのよね……これは私用に調整されているから」
赤紫に塗装された機体を仰ぎ見ながら、あやめは諦め混じりの口調で呟いている。
もっとも、大神はそんな贅沢な悩みに興味無かった。彼の興味は、神威の更に奥に鎮座している機体に向いていたのだ。
「藤枝中尉…あやめさん。あの機体は…?」
「えっ?あ、ああ、あれね……」
あやめの美貌を飾る疲労の色がますます濃いものとなる。
「あれは重霊子甲冑『神武』。現在考えられる限りの、最強の霊子甲冑、なんだそうだけど…」
口の中だけで小さく呟かれた次の言葉は、「真之介、全く、あの馬鹿…」と大神には聞こえた。
要求する霊力の下限値が高すぎて誰にも動かせないのよ」
「……ということは」
「そっ。飾りよ、飾り。全く、少ない予算の遣り繰りに頭を悩ませていると言うのに……」
真之介の道楽にも困ったものだわ、とあやめが呟いたような気がしたが、大神は礼儀正しく聞いていない振りをした。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇

地響きを立てて歩む赤紫色の神威の後を純白の光武が滑るような足取りで続く。如何にも重そうに足を進める神威を前にして、軽快そのものの光武の動きがますます際立って見える。
野外訓練場には六つの機体が整列していた。大神が着任早々壊してしまった練習用霊子甲冑桜武だ。
蒸気の噴出音と共に神威と光武のハッチが開く。地面に降り立つあやめ。ほとんど遅れることなく、大神が彼女の横に並んだ。余り様にならない直立不動で待機する六人の少女達の前に。
「大神君」
あやめに促され、大神が一歩前に出る。
「早速今日から君達の訓練を受け持たせてもらう。さて、今日の過程だが、まず君達の実力を見せてもらいたい。一通り、これまでやってきたことを見せてくれ」
実力を見たい、という大神の言葉にむっとした表情を浮べた者がいた。おそらくは、常人には動かすことすらできぬ霊子甲冑のパイロットとして、訓練生ながらそれなりの自負を抱いているのであろう。
しかし、大神はその不遜な態度を別段咎めもせず、何も気がつかなかったような表情で全員に搭乗を命じた。

地響きを立てて演習場を駆ける鋼の甲冑。長大な長刀が、巨大な爪が、大口径の機銃が、榴弾砲が、次々と標的を破壊していく。鮮やかな手並み。その中で、大刀を装備した機体の動きが常に一泊遅れているのが目に付く。
「あの大刀を装備した機体は?」
「あれはさくらの機体よ。さくらも素質は良いものを持っていると思うんだけど……」
大神はわずかに目を細めてその機体の動きをじっと見つめていた。

「如何ですか、大神少尉」
長身・金髪の佳人、教室長のタチバナ訓練生が抑揚の無い、だがどこか挑戦的な口調で大神に問い掛ける。
この物言いは、考えようによっては失礼なものだ。彼女の立場では、大神教官、と呼ぶべきなのである。だが、大神に全く気にする様子は無かった。
温和な表情を全く変えず、彼はこう言った。
「君達の操縦技術は、全く実戦に耐えない。まだヨチヨチ歩きの子供と同じだ。到底、戦場には出せないな」
「なっ…!?」
淡々とした口調で紡ぎ出された大神の言葉に、激すると言うより呆気にとられた声を漏らす少女。
「すみれくん、だったな。発言を許可する。遠慮は要らないよ」
神崎訓練生、ではなく、すみれくん、と呼びかける大神。
子供扱いされた、と感じたか、今度は怒りに顔を紅潮させて、それでも寸前で激発を抑え、嘲るような口調ですみれは大神に応える。
「さくらさんならともかく、わたくしたちの操縦が使い物にならないとおっしゃるんですの?
ホホホホ…それでは、ぜひ模範実技を拝見したいですわねぇ」
人型蒸気と霊子甲冑は勝手が違う。どんな名パイロットでも、霊子甲冑をいきなり使いこなせるものではない。それが、これまで多くの教官達が面目を代償として証明してきた「事実」であった。それを知っての上での挑発である。
しかし、大神の応えはすみれの期待したものとはまるで別物だった。
「俺が模範を見せてやっても君達のレベルでは理解できないだろう。それよりももっとわかりやすい方法で教えてあげるよ」
「何ですってぇ!?」
耐えきれず遂に爆発するすみれ。だが、大神は相変わらずどこ吹く風だ。
「あやめさん、対機甲兵ライフルを用意していただきたいのですが」
「えっ、ええ。すぐに持ってこさせます」
あやめはそれまで、状況についていけず呆然としていたが、大神の一言で我に返ったように肩から下げた通信機へ大神の要望を伝えた。

大神の身長に匹敵するほどの長大な銃身。それに相応しい大口径。到底人の身で扱えるとは思えぬような巨大なライフルを、重量を確かめるように脇に抱える大神。
「大神君、支持架を使わないの…?」
「戦場では、いちいち支持架を据えているような時間なんてありませんからね」
当たり前のように応える大神。
対機甲兵ライフル。その名の如く、対機甲兵、つまり人型蒸気相手を想定した銃器である。歩兵用の重火器。だが、このライフルは外見を裏切らぬ重量があり、いくらガス噴射式反動軽減装置が組み込まれているといっても、人が「抱えて」使えるような代物ではない。元々支持架に固定した用法を想定して作られているのだ。
だが大神は、その設計思想を「実戦的でない」の一言でこともなげに否定して見せる。自分の手で構えるという事実によって。
その重火器を一旦、杖のように地面に立てて、大神はとんでもないことを言い出した。
「すみれくん、桜武で私に斬り掛かってきたまえ」
「…たかがライフルで霊子甲冑の相手をするとおっしゃるのですか?」
「これで十分だ」
「……わかりましたわ。そこまでおっしゃるならそれ相応の覚悟はおありなのですね?」
「心配要らんよ」
「………」
唇を噛み締めて機体へと戻るすみれ。
大神は長大な銃身を抱えて見物人からゆっくり距離を取る。
「ま、待って。待ちなさい、大神少尉」
追いすがるあやめの声にも大神は足を止めない。
「霊子甲冑の霊子防御壁に対機甲兵ライフルは通用しないわ!」
「知っていますよ」
「なっ…!何を考えているの、いくらなんでも無茶よ!!」
「大丈夫。下がっていてください」
昂ぶっている訳でもない、自信満々というのでもない。
まるで食堂にでも向かっているような平然とした大神の態度に、気おされたようにあやめは足を止める。

50メートルほどの距離をとって向かい合う人と霊子甲冑。霊子甲冑の手にはそのサイズに相応しい巨大な長刀。人の手には、その手に余るほどの長大な銃器。
「命だけは勘弁してあげますわ!
神崎風塵流、参る!!」
勇ましい名乗りと共に突進する霊子甲冑。
その巨大な質量と運動量を前にしながら、恐れる色も無く長大な銃身を大神は構える。
そして、狙いをつけたとも思えぬ無造作なタイミングで、トリガーを引いた。
ズギューン…
ズウゥゥン(コケッ)
銃声と、地響き。そして沈黙が辺りを支配する。
時が止まったかのように立ち尽くすあやめ、そして訓練生。
彼女達の眼前では、到底信じられない光景が展開されていた。
たかが、対機甲兵ライフルの銃弾、しかも一発だけで、霊子甲冑が倒されているのだ!
「ま、まだまだですわ!」
勢い良く立ち上がるすみれの桜武。その機体に、銃痕は無い。
当然だ。対機甲兵ライフルの銃弾で霊子防御壁を貫けるはずが無いのだから。
しかし、彼女達の常識を覆す光景が再び繰り返される。
ズギューン…
ズウゥゥン(コケッ)
走り出した桜武に再び浴びせられる銃弾。そして、横倒しになる霊子甲冑。
「くっ、そんな、馬鹿な!」
ズギューン…
ズウゥゥン(コケッ)
今度は立ち上がった瞬間、銃弾が浴びせられる。
足元を掬われた様に倒れる桜武。
それを見て、あやめは何が起こっているのか漸く理解したような気がした。
「まさか、そんな……でも、他に考えられない……」
「あやめさん、一体これは……?」
「…大神少尉は銃弾で足払いをかけているのよ、多分」
「まさか……!」
あやめの答えに絶句するマリア。
「体重が移動する、不安定になった一瞬を狙って、体重が掛かる直前の足を狙い撃つ。ポイントとタイミングとベクトル。全てが揃えば、対機甲兵ライフルの弾着程度の衝撃で霊子甲冑のバランスを崩すことができる…?」
あやめの口調も半信半疑、否、九割以上自分の言葉を信じていない口振りだった。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇

「今見てもらったとおりだ」
地面に立てた長大な銃身を片手で支え、少女達を前に淡々と語る大神。
列の一番端で唇を噛んで俯くすみれをにチラッと視線を投げたが、特に表情を変えることなく言葉を続ける。
結局、すみれの桜武は10メートルも進むことが出来なかった。立ち上がるたびに転がされ、ついには蒸気機関が作動不良に陥ってしまったのだ。
「君達の操縦はヨチヨチ歩きの子供と同じだ。二本の足で歩く不安定さがまるでわかっていない。オートバランサーに頼っているだけ。自分で霊子甲冑を歩かせてはいない。
君達の技量(うで)では、戦場に足を踏み入れた途端、砲撃で引っ繰り返され爆撃の雨で霊子甲冑ごと生き埋めになるのがオチだ。
今の君達のレベルで優劣を論じるなど時期尚早と言うもの。五十歩百歩だよ」
すみれは悔しそうな表情でますます唇をきつく噛み締めている。彼女以外にも大神の言葉に反発の表情を見せた者がいたが、現に目の前で見せられた離れ業の前に反論の言葉を繰り出せずにいる。
「それでは、午前の教程を説明する。時間の残っている限り、訓練場の端から端まで何度でも往復したまえ。これは、往復回数を競うものではない。一歩一歩、重心の移動を感じながらゆっくり歩くのだ。不用意な操縦をしている者は遠慮無く転ばせるからそのつもりで取り組むこと。
では、始め!」
不承不承、の者もいないではなかったが、全員が大神の命令に従って桜武の操縦席へと戻った。

「すごいわね、大神君。流石、帝国軍有数の機甲戦の名手と呼ばれるだけのことはあるわ…。対機甲兵ライフルであんなことが出来るなんて……」
「部下を掌握するためには、ハッタリが必要な時もありますから」
心底感心した表情で話し掛けるあやめに振り返りもせず、脇に立てた長大な銃身を片手で支えバラバラに行軍する桜武を眺めながらあっさりした口調で大神は応える。
「ハッタリ…なの?」
不信感よりも困惑が勝っているあやめの表情。
「あやめさん。これが前線の兵士になんと呼ばれているかご存知ですか?」
右手で支える対機甲兵ライフルを視線で指し示しながら逆に質問する大神。
「い、いいえ……」
「こんな馬鹿でかくて重くて取り回しに不自由な物を抱えていては、ろくに逃げることも出来ません。移動の自由がない歩兵なんて、機甲兵器の的にしかなりません。
おまけに、よほど当たり所が良くないと霊子甲冑どころか通常の人型蒸気にすら有効なダメージを与えられないときています。
せいぜい、待ち伏せの奇襲か自殺覚悟の足止めにしか使えない物なんですよ。この、対機甲兵ライフルという代物は」
「………」
「この銃はね、前線の兵士達には『玉砕ライフル』と呼ばれているんです」
「……!」
「対機甲兵ライフルでこんな真似が出来るのは、おそらく、私くらいのものですよ」
そう言いながら長銃身を脇に抱え引き金を引く大神。銃声とともに桜武が一機横転する。
「私だから出来ることです。実際には、歩兵に足元を掬われる心配なんてほとんど必要ありません。霊子甲冑の性能だけで、通常の部隊には無敵ですよ。
ですが、思いあがった部下というのは扱い難いものですからね。時には、ハッタリも必要です」
再び、対機甲兵ライフルを構える大神の横顔を見ながら、あやめは呆れる思いとともに、それ以上に戦慄を感じていた。
魔との戦いとはまた違う、人と人との戦いの、最前線を駆け抜けてきた者の持つ説得力。あやめを圧倒していたのは、言葉にすればそういう物。
霊子甲冑パイロットの教官。「力」を持ってはいても、「戦う」ということを知らない少女達に生き延びる術を教える者。あやめは、自分達の人選は正しかったと、この時確信していた。
…不幸にして、彼女には読心の能力がない。彼女には、大神の内心を知る術が無かった。
大神の内心。それは……
…気位の高い女は圧倒的な力の差を見せ付けて屈服させるに限るからな。
あの娘もなかなかの美形だ。これからの楽しみが増えたな

真剣そのものの表情の下に隠された邪な思惑
無知は、時に不幸の素である……

 

その3へ

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