帝国華撃團訓練校
第二話『初めての実戦』その1

太正十三年5月某日

 持つべきものは友、なのだそうである。説教くさい文句だが、間違いではない。確かに、「友人」という輩は多いにこした事は無い。
 一口に「友人」と言っても、色々な種類がある。親友、悪友、学友、戦友、遊び仲間、そして……腐れ縁。
 友人にも色々ある。中には厄介事しか持ち込んでこないような、一見はた迷惑にしか思えない友人も。だが、それでも友人は多いに越した事は無い。例え「悪友」「腐れ縁」であったとしても。
 その方が何かと便利だからな。昔から言うではないか。友人と鋏は使いよう……

(大神一郎の日記より)

 

 海軍少尉、大神一郎が帝国華撃團訓練校の教官に着任してから、早くも一ヶ月が経とうとしていた。
 帝国華撃團訓練校。帝国華撃團の隊員を養成する為の訓練施設である。
 ………
 「当たり前やんけ―!」とツッコまれた貴兄、少々お待ちいただきたい。確かに読んで字の如く、と言うか読めば誰にでも分かる通り、この訓練校は帝国華撃團隊員を養成する為の物。しかし、である。貴兄は「帝国華撃團」が何なのか、果たしてご存知であろうか?帝国華撃團の隊員になる為にどのような技能が必要とされているのか、ご存知だろうか?
 帝国華撃團とは、装備に霊子技術を全面採用した、最先端にして異端の機械化部隊である。その装備は陸戦用を主とした構成となっている。が、陸軍に所属しているわけではない。陸軍にも海軍にも属さない指揮系統。移動手段として大型飛行船を擁し、専用の軍事工廠も有している。帝国華撃團は、一個の独立した戦略単位なのである。
 現在は対降魔部隊のスタイルを受け継ぐ抜刀隊が帝国華撃團の主力部隊だが、帝撃の次期主力兵器・霊子甲冑のパイロットを養成する花組、そして星組は訓練校でも花形コースと見られている。だが、訓練校はパイロット養成コースだけで成り立っているわけではない。輸送・兵站部隊を養成する風組、対呪術・魔術戦闘に備えた術士に軍としての行動様式と基礎的な戦闘技術を教える夢組、抜刀隊を発展的に再編成した歩兵部隊を育成する雪組、そして、近代戦に欠かせない情報戦のエキスパートを育て上げる為の月組。
 それぞれのコースのそれぞれの教室に――というのも、花組や星組は適性者が少ない為1クラスだが、軍の構成上大人数を必要とする風組や雪組は何クラスにも分かれているのだ――その必要とされる技能に長けた教官が配されている。大神はその中で、機甲戦の名手として花組の教官を任せられているのである。
 パイロット養成コース、花組。その主たる目的は当然のことながら霊子甲冑のパイロットを育成すること。だが、霊子甲冑の操縦を教えることだけが大神の役目ではなかった。

「……このように呪殺に対する防御手段として開発された人型蒸気だが、その効果は対呪術に止まらなかった。銃の本格採用以来、兵器は常に攻撃力が防御力を上回る事となり、戦術の潮流は密集から散開、機動力重視へと流れていたが、銃弾・砲弾に対しても高い防御力を持つシルスウス鋼の装甲を纏った人型蒸気の登場で再び戦術の潮流に変化が生じ始めている。
 初期の人型蒸気が戦斧や戦槌を主装備としていたのは、一つには内蔵できる弾数に限りがあった為だが、主な理由は銃弾で破壊できない人型蒸気の装甲を破る為に威力の大きい、大質量の兵装が必要だった事にある。急速な改良に伴い、腕部の出力が向上し質量に頼らなくても十分な威力を生み出せるようになった事で人型蒸気の装備は戦斧や戦槌から取り回しの自由が利く長刀や長槍が主流となったが、それでも白兵戦で直接打撃を加える事が人型蒸気同士の戦闘で最も有効な手段だと考えられている事に変わりは無い。
 霊子甲冑同士、あるいは同じ発想に立った魔術機甲兵器との戦闘ではこの点が更に強調されるだろう。霊力の力場で鎧われた霊子甲冑に対して、火器は対人型蒸気以上に決定力を失う。霊子甲冑戦闘における火器の運用は機体性能の向上に従って困難度を増していくことになる」

 一旦言葉を切って、生徒達の上に視線を一巡させる大神。熱心にメモを取る者、挑戦的な視線を返す者、ポーッと彼の顔を見詰めていて慌てて視線を逸らす者。花組総勢、僅か6人の生徒達の、それでも6人6様の反応と、その倍以上の熱のこもった視線に特段感情の動きを示さず彼は再び講義に戻った。

「しかし、これは火器の重要性が消失した事を意味しない。むしろ、火器の運用の巧拙が益々問われることとなっているのだ。
 霊子甲冑戦闘においては、おまけのようにつけられている標準装備の機銃はほとんど役に立たないと考えるべきだ。あくまで補助装備、と認識した方が良いだろう。霊子甲冑における火器の運用は、火力に特化した重火器装備の機体によって行われなければならない。この点、砲撃戦用、白兵戦用に換装が可能な光武は流石に優れた戦術思想に基づく設計だと言える。
 火力特化型の霊子甲冑の運用方法は二通り考えられる。一つは、後方支援に専念し白兵用機体の前進を援護する事。もう一つは白兵戦で敵を釘付けにし、側面、後方に回り込んで敵機体の弱点を狙撃する事。
 この二つの戦術は、どちらが優れている、劣っていると言うものではない。戦場に、二つと同じものは無い。臨機応変、その状況下に相応しい戦闘方法を選択する事が最も重要であるのだ」

 ここで、終業の鐘が鳴った。

「これで午前の講義を終了する。花組は午後の演習で白兵戦機と砲撃戦機の連携運動の訓練を行うので、自分なりに今の講義をよく整理しておくこと。風組はシミュレーターを用いた空対地砲撃の訓練だと聞いている。以上だ」

 計ったように講義をまとめた大神に、生徒達は一斉に立ち上がり多少ぎこちなさを残す敬礼を向けた。
 大神の役目はパイロットの育成。操縦の訓練だけでなく、戦術理論の講義もその中に含まれている。そして海軍兵学校を主席で卒業し、実戦においても類稀な戦果を誇る彼には、時々こうして花組のみならず他のクラスに対しても講義を行う事が求められていた。

「大・神・先・生♪」

 教室を後にしようとする大神を呼び止める悪戯ッぽい陽気な声。

「榊原君か、何か質問かね」

 一瞬も考え込むような素振りを見せなかった大神の応えにその女子生徒は目を丸くした。

「先生、私の名前ご存知なんですか?」
「教官が生徒の名前を知っていると不思議かな?」

 当たり前のように問い返された大神の一言に、女生徒の利発そうな光を宿した大きな瞳は益々真ん丸に見開かれてしまう。

「だって、あたしが先生の講義を受講させていただくのは今日が初めてですよ?」
「ここに在籍している訓練生は外部研修中の者を含めても200名に満たない。一ヶ月もあれば顔と名前を覚えるくらいは造作も無い」(特に美人はな)
「へぇ〜、さっすがは大神教官ですなぁ……
 由里、あんたの特技も顔負けやね」
「紅蘭君か、君は榊原君とは親しいようだね」
「去年、寮で同室やったんですわ」

 最初の女生徒、榊原由里の背後からひょっこり顔を出したお下げ髪の少女に、堅苦しくなく且つ威厳を失わない絶妙の口調で大神は話し掛ける。実直そのものの表情で。例え読心の霊能者がいても、彼の内心の声を聞き取ることは不可能に違いない……

「本当に、噂以上ですね。流石は10年に一人の天才士官……」

 友人の乱入でようやく自分を取り戻せたのか、しみじみと呟く女生徒。自分がどういう目で見られているのか、全く気づかずに。

「そんな者ではないさ。この程度は指揮官として当然の事だ」

 謙遜している、等という雰囲気を全く見せない、あっさりとした言葉に、二人の少女の表情を彩る感嘆の色は一層濃いものとなった。

(10年に一人?フッ、そんなつまらない者ではないさ。この俺は空前絶後だ)

 そう、彼の言葉は全くの本心だったのである。彼女達の理解とは逆方向に……

◇◆◇◆◇◆◇◆◇

「ところで先生、ご存知ですか?月組に新しい教官が着任されるそうですよ」

 ひとしきりミーハーなハートマークに頭上でワルツを躍らせた後、瞳をきらきら輝かせながら、風組生徒・榊原由里はそんな話を切り出した。

「そういえば、月組の教官は長期休養中だったな」
「そう、そうなんですよね!……ここだけの話なんですけど、月組の生徒ってすっごく性格悪いんです。いや、性格が変なのかな?とにかく、やることなすこと根性が2回転宙返り半捻りしてるみたいで、その所為で月組の担任になった先生はみ〜んな胃に穴を開けちゃうんですよ♪」
「ハハッ、月組だけに月面宙返りってか?」
「………紅蘭、何のこと?」
「………すんまへん、忘れて。チョット時代考証しくじっただけやさかい」
「???」

 新手の掛け合い漫才だろうか?それにしても、随分楽しそうだ。……漫才が、ではなく、こうして噂話を披露する事が。

「あっ、ごめんなさい、先生。えーっと、どこまで……そうそう!」

 要領を得ないと視線で語りながら、それでもクールなハンサムフェイスを崩さずにじゃれあう二人を無言で見ていた大神の事をようやく思い出したのか、慌てた素振りで手を振りながら由里は話題を戻した。

「それで、1ヶ月ぶりにようやく新しい月組の教官が決まったらしいんですけど、その方が先生と同期の、海軍の方らしいんです♪」
「ほぉ……」
「お名前が、加山雄一少尉と仰るそうなんですけどご存じですか?」
「加山少尉か、無論知っているよ。同期の中でも特別優秀な男だ」
「そうなんですか♪♪」

 大神の目がほんの一瞬鋭く光った事に、由里も紅蘭も気がつかなかったようだ。同期生を冷静に賞賛する大神の言葉に興味津々といった風情で頷いた由里に、これまた心底感心した様子で紅蘭はしみじみと話し掛ける。

「……いつも思うんやけど、由里、あんたどっからそんなこと聞き出してくるん?」
「人聞きが悪いわね、人がこそこそ立ち聞きしてるみたいな言い方しないでよ。あたしは出来るだけいろんな所に顔を出すようにしているだけなんだから」
「……やっぱり立ち聞きしとるんやん」
「違うわよ!」
「はいはい。
 由里、あんたホンマは風組やのうて月組の方が向いとるんと違うか?」
「…それって、あたしの性格が悪いって言いたい訳?」
「違う違う!そないな事誰も言うとりゃせんって!」
「……どうだか。
 でもまあ、あたしには無理ね。あたしは特ダネを秘密にしておくことなんて出来ないもの」
「なるほどなぁ……
 あっ、教官」

 友達同士のおしゃべりに夢中になってしまった二人を残して、大神は既に廊下へと出ていた。慌てて呼びかけた紅蘭の声に彼はくるりと振り向き、安心させるように小さく頷いて見せた。
 ホッと胸をなでおろす二人の女生徒。型破りとはいえここも軍の一施設。彼女たちも士官候補生の身だ。大神は教官であると同時に上官でもある。考えてみれば随分と失礼な態度だったのだが、咎めるどころか全く気にした様子も無い大神の態度は、彼女たちの目に十分すぎるほど男らしく、大人に見えた。
 再び無言で背中を向けた大神だが、ふと、何事か思い出したような風情で再度振り返る。

「榊原君、私も君は風組に向いていると思うよ。情報を正確に伝達することも、後方支援部隊の重要な役割だからな」

 返事を待たず、今度こそ無言で立ち去る大神。その背中に向けられるポーッとした視線。

(情報操作の基本は口コミにあり……)

 見送る少女たちに、彼の頭の中で弾かれた算盤は、当然、見えなかった。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 教官室の自分の机に戻り、隣の女性に目で会釈する。彼が(表面だけでも)礼儀正しく振舞っている相手は、パイロット育成コースの主任教官でありまた当訓練校の校長である米田中将の副官、かつて対降魔部隊四天王の一人として降魔の群れを帝都の地下に封じ若くして、かつ女性の身でありながら伝説の英雄となった藤枝あやめ中尉である。

(……英雄といっても、所詮は中尉だがな)

 しかし、そんな肩書きは大神にとってほとんど意味をなさない。せいぜい、機嫌を損ねるとマズイ、程度にしか思っていない。だからこそ、呑まれる事も気負う事も無く、自然体のまま礼儀正しく振舞えるのだ。

「大神君、お疲れ様」

 彼の控え目な挨拶に、あやめは艶やかな笑顔で応える。とかく無意味な偶像視か、あるいは無意味な敵意か、そんな「特別扱い」ばかりに慣れている彼女にとって、大神の自然な態度は好感と頼もしさを抱かせるものだったのだ。確かに、ある意味「大人物」には違いないのだが。

 それはともかくとして。

「遅かったわね。今日は受講者が多かったから流石に調子がつかめなかったのかしら?」
「いえ、少々生徒から質問を受けておりまして」
「そうか、そうよね。大神君に限って、多少人数が増えたくらいでペースを乱されるはず無いものね。
 でも間に合ってよかったわ。大神君、お昼にする前に、少し付き合ってもらえないかしら。紹介したい人がいるのよ」

 大神にはこれだけの情報で十分だった。彼にはもう、「紹介したい人」の正体が9割9分判っていたが、口に出してはこう応えただけだった。

「わかりました」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇

「長官、藤枝中尉、大神少尉、参りました」
「おう、入りな」
「ハッ、失礼します」

 相も変らぬぞんざいな返事に律儀な応えを返して『校長室』という馬鹿でかい表札の掛かった扉を開くあやめ。彼女の背中に続いた大神は、デスクの前に予想通りの人物の後姿を認めた。

「大神、オメエに新しい同僚を紹介しておきてえと思ってな」

 その一言に、直立不動の後姿がビクッと小さく震える。
 敬礼を解き、三歩でその人影と並ぶ大神。彼の顔は、あくまで生真面目な表情を浮かべている。

「新しく月組の教官に来てもらって加山少尉よ。二人とも、よく知っているわよね?」
「はい」
「もちろんです」

 淀みなく答える大神。対して、加山少尉の答えには多少のぎこちなさがうかがえる。着任したばかりで二人の『英雄』を前にして、少し緊張しているのだろうか。

「共に江田島では10年に一人の逸材と呼ばれた好敵手同士。そのオメーらを二人とも横取りされたってんで山口さんには随分とネチネチ文句を言われたがよ。愚痴聞かされるくれえで済みゃあ安いもんだ。
 加山、一足先に着任した大神同様、期待してるぜ」
「ハッ!」

 ちなみに『山口さん』とは言うまでもなく、海軍大臣・山口和豊海軍大将の事。山口大将は「陸軍の米田、海軍の山口」と称せられる帝国軍指折りのうわばみ、もとい、酒豪であり、通常仲の悪い陸海軍の幹部同士でありながら、米田と山口はとても気の合う酒の友として知られている。
 愚痴を聞かされた、というのも当然酒の席での事だろう。要するに、酔っ払いがお互いにクダを巻いていただけのことである。

「加山少尉、本来ならば私が当訓練校の概要について説明しなければならないのですが、残念ながら急な任務で間も無く外出しなければならなくなってしまいました。
 大神少尉、加山少尉、貴方がたはライバルだっただけでなく、仲の良い友人同士だと聞いています。それで、大神君、午後の授業の前に一通り案内をお願いできないかしら」
「俺も出かけるからよ、昼飯は専用食堂で俺とあやめ君の分を食っていいぜ。周りの目を気にせず、久し振りの思い出話にでも花を咲かせるといいや。何だったら、一杯やってもいいんだぜ。賄いの方には俺から話をつけとくからよ」
「長官!」
「承知いたしました。ただ、午後から演習ですので食事だけ、ありがたく頂戴いたします」
「けっ、妙なところで堅苦しいやつだな」
「申し訳ありません」
「まあ、それだけオメエがプロなんだって事だろうけどよ。確かに、酒を呑んじゃあ光武には乗れんわな」
「ハッ」
「じゃあ、大神君、お願いね。加山少尉、そういう訳だから、今日のところは大神少尉に説明を受けた後、生徒のファイルにでも目を通しておいて下さい。実際の授業は明日からお願いします」
「ハッ!」

 少しホッとした表情を浮かべながら、二人の少尉に指示を与えるあやめ。あくまで生真面目な表情で敬礼を返した大神に対し、加山少尉の顔は、初対面の米田やあやめには判別できない程度、微妙に引き攣っていた。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇

「いつも思うんだが、高級士官ってのは良いモン食ってんだな。前線で実際に走り回る俺達の方こそ精をつけねばならんはずだが。違うか、加山?」
「あ、ああ、そうだな」

 落ち着いた色調の高価な調度品が整えられた高級士官用食堂。普段は米田とあやめ、それに真宮寺一馬少将が顔を見せた時に時々使うだけのこの部屋を(山崎少佐もこの部屋を使う資格はあるのだが、彼は仕事の時以外自分の研究室を離れようとしない)、今は二人の若い少尉が占拠している。
 日頃の優等生の仮面を脱ぎ捨ててガラの悪い台詞を連発する大神。だが、自棄になっている訳ではない。ある意味、米田達のプライベートな空間であるこの部屋に盗聴器や隠しカメラの類がないことはざっと見回しただけですぐに分かった。防音も完璧、給仕を装った監視員が潜んでいる気配もない。二人の「目」にはその程度を見分けるくらい造作もない事なのである。

「どうした、加山。何だか俺に会いたくなかったって感じだな」

 贅沢な昼飯をつつきながら、しかも久し振りに再会した「友」と水入らずの食卓にもかかわらず、歯切れの悪い受け答えを繰り返す加山に大神はニヤッと笑いを浮かべてからかうように問い掛ける。

「そ、そんな事はないぞ!い、いやぁ〜、親友のお前にこうして再会できて、俺はシアワセだなぁ〜」
「今日はギターは無しか?」

 軽口を叩く大神の邪悪な笑顔を前にして、加山の額に一筋の汗が浮かぶ。

「ごちそうさん、と。
 ……さて、加山。改めて、久し振りだな。南沙以来か」
「あ、ああ」

 テーブルに両肘をつき、指を組んだ両手で顔の下半分を隠してその向こうから意味ありげな視線を送る大神の一言に、加山はサーッと蒼ざめた。

「あの時は、随分、世話になったなぁ、加山」
「い、いや、あれはだな」
「あのガセ情報のおかげで敵の罠の真っ只中に突っ込む羽目になっちまって、おかげで俺は一戦闘撃墜数の海軍記録を更新しちまったよ。お前のおかげだ、加山」
「チョ、チョット待ってくれ、大神!」

 フッフッフッ……、という邪悪な含み笑いが聞こえてきそうな表情でゆっくり立ち上がった大神に、加山は慌てて椅子から飛び上がり二歩、後退って両手を懸命に顔の前で左右に振る。

「あ、あの情報を流したのは俺じゃないぞ!俺は何もしていない!」
「そうだな、お前は何もしなかった。あのガセネタは京極の野郎の差し金でチョロチョロ動き回っていた影山サキの色気にたぶらかされたお前の上官が、京極の企んだ海軍蒸気隊潰しの陰謀の一環とも知らず、でっち上げを得意顔で艦隊司令部に持ち込んだだけだ。
 お目出度くも、そのガセに踊らされて馬鹿な作戦を命令した能無し参謀どもの所為でもある」

 京極とは、言うまでもなく陸軍大臣・京極慶吾大将のこと。それにしても随分キナクサイ話だし、一介の少尉が関知出来るような話でもない。
 大神とは本当にただの海軍少尉なのだろうか?幾ら腕が立つといっても、それだけでは済まされないような気がする。

「そ、そうとも。俺は無実だ!」
「俺が世話になったと言っているのはそこさ。お前は何もしなかった。あれがガセだと知っていたのにな」
「ち…」
「違う、とは言わせんよ。お前ならば知っていたはずだ。影山サキ程度の女の小細工にお前が欺かれるはずはないからな」

 たらーり、たらーりと加山の頬に汗が伝う。

「本当に、あの時は世話になったな、加山」

 にこやかな、と言っても差し支えのない顔で一歩一歩旧友へと近づく大神。
 不意に、加山の表情から焦りの色が消えた。

「フン、どういたしましてだな、大神。そのおかげでお前は『南海の白き狼』の異名を取り、押しも押されぬ海軍蒸気隊のエースになったんじゃないか。言葉だけでなく感謝してもらいたいくらいだ」

 代わりに浮かんだのは太々しい薄笑い。

「その代償に、手塩にかけた部下を二人も死なせてしまったがな」
「おやおや、驚いたな。お前がそんなヒューマニストだとは今の今まで知らなかったぜ」
「パイロットを一人使い物にするのにどれだけ手間隙が掛かるか知らんのか?技術だけじゃない、俺個人に対する忠誠心を植え付け『手駒』として使えるようにするのは大変なんだぜ」

 大神の両眼に宿った危険な光に、加山は観念したように溜息をついた。

「……俺にどうしろっていうんだ、大神」
「なに、無くしてしまった『手駒』の代わりを作るのに協力して欲しいだけさ。お前の『目』と『耳』でな」
「……俺にお前の手駒になれって言うのか?」
「まさか。俺達は同期の桜の『親友』じゃないか。助け合うのは当然だろう?」

 爽やかに笑う大神を前に、加山はもう一度、観念の溜息をついた。

 

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