帝国華撃團訓練校
第三話『初めての外出』その1

 太正13年6月某日
 軍人は戦争をするのが仕事、と言う奴らがいる。
 軍人は殺し合いが商売、と言う奴らもいる。
 確かにそういう一面もある。
 どんな奇麗事を並べようと戦争が破壊行為と殺人行為であることに間違いはないし、そもそも奇麗事に縋らなければやっていけないようなら、最初から軍人になどなってはいない。
 あくまで、俺の場合は、だが。
 だが、軍人の仕事が戦争と殺し合い、という言い種は、間違いではないが正解でもない。
 そもそも、一年365日、ずっと戦争を続けている軍隊など滅多に存在しない。
 いや、世間並みに日曜日は休みだとしても、一年の85%を実戦に費やしている軍なんて、それこそ革命・内戦の真っ只中に置かれた軍隊くらいのものだろう。
 戦争をするには金が掛かるのだ。
 その度合いは、年々甚だしくなってきている。
 兵器を作っている奴らが、どんどん大規模かつ高性能の――つまり高額の――商品を提供してくれているからな。
 物を買うだけじゃない。兵器が高度化、大規模化すればするほど、それを扱う人間の側にも金を掛けなければならなくなる。
 ついでに時間も。
 実際に開戦、となった後も、弾薬だって食料だって蓄えだけではすぐに底をつく。補給物資を作るのにも、金と時間の両方が必要だ。
 軍隊が戦争だけをやっていればいいというのは、遥か昔の話なのだ。
 現代においては、一年中戦争だけをやっている軍隊は、すぐに国を食い潰してしまう。
 では、軍隊の主な仕事は何か。
 訓練である。
 現代の軍隊は、敢えて単純化して分かりやすく言えば、訓練の合間に時々戦闘をやっているだけなのだ。
 俺だって、南洋海域では年間50回の出動回数を数えたが、一回あたりの作戦日数は最長で3日だった。
 戦争が軍人の仕事、とほざく奴らに、俺はこう言葉を返そう。
 軍人は、戦争に備えるのが仕事だと。
 そういう意味では、この訓練校という部署は最も軍隊らしい軍隊なのかもしれない。
 訓練が主体であり、非常時に出撃する。
 任務の中心はあくまでも訓練。
 の、はずだったのだがなぁ……

(大神一郎の日記より)




『大神教官、加山教官、至急作戦演習室へ出頭してください』
 緊張を隠し切れない声が教室のスピーカーから流れるのと同時に、大神はチョークを握った手を止めた。
 さくらが少し不安な目をして彼の顔を見上げている。
「講義を中断する。さくらくん、席に戻りなさい」
「はい」
 ピョコンと頭を下げて自分の席へ戻るさくら。緑の黒髪が滝のように流れ、清潔な香りが大神の鼻腔をくすぐる。
 だが、今の彼はその余韻を楽しむ精神状態に無かった。
「全員このまま待機。
 別命があるまで、ここからの陣形展開について自習とする。その結果は次回の講義で発表してもらう。以上だ」
 6人の乙女たちがサッと立ち上がり、少しはさまになってきた敬礼で応える。
 黒板上、赤のチョークで徹底的に修正が加えられたさくらの回答をそのままにして、大神は足早に、教室を後にした。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「出動はいいなぁ〜♪」
「ボーナスが出るからか?」
 風を巻く勢いで指定された部屋へ歩きながら、大神は隣から聞こえてきた能天気な囁き――それは場違いに陽気な声でありながら、並進する大神にしか聞こえない声だった――に素っ気無く答えた。
「ああ。まったく、懐が暖かくなり過ぎて小火(ぼや)を出しそうだ」
 そう答えた加山の表情はいつも通り真剣味皆無の道化師マスクだったが、軽くすくめられた両肩が隠す必要もない内心を物語っていた。

 全く、最近の出動頻度といったら洒落にならない。敵――名前も知らない反政府武装組織――は人事考課の期間にでも突入したのだろうか? とにかく、毎日のように騒動を起こしている。先週から今週に掛けては魔操機兵の出現が文字通り毎日のこととなっている。
 魔術兵器に通常兵器は効かない――あるいは、余り効果がない。
 魔術は物理学的にありえない現象を起こすものだ。そこには法則性も因果関係も厳然として存在するが、自然科学の体系で説明する事は出来ない。だからこそ「魔」術、なのである。
 物理学的にありえない現象を起こす能力を付加された兵器に、物理法則に則ったダメージを与える事は難しい。質量と速度による変形と分解、熱量による変質と劣化、それらは全て自然科学的な因果関係の産物であり、魔術とはある意味でこの因果関係を覆す力なのだから。
 もっとも、魔術兵器に物理的な攻撃が全く効かないかというとそうでもない。
 「物理法則を否定する力」も所詮は「力」であり、攻撃を無効化できる程度は「魔術」に注がれたエネルギーに比例する。
 従って強力な魔術兵器ならば強力な物理攻撃を無効化できるし、巨大な物理エネルギーならば魔術兵器を破壊することもできる。
 結局は力関係なのだ。
 レベルの低い魔術兵器ならば、歩兵の装備で撃破することも可能だ。
 魔操機兵のような強力な魔術兵器でも戦艦の主砲が直撃すればある程度のダメージを蒙ることになる。
 だが、東京の街中に艦砲射撃を加えるなどできるはずもない。
 政府の目的はあくまで帝都を守ることであり、魔操機兵の撃退はその為の条件なのだから。
 それ故、結局のところ魔操機兵に対抗する手段として、政府側も魔術的な手段を投入せざるを得ないのだ。
 それは魔術的な攻撃力を備えた兵士でありまた魔術兵器である。
 日本政府が有する最強の魔術兵器は霊子甲冑。
 今のところ、霊子甲冑を実戦レベルで運用できるのは帝国華撃團訓練校のみ。
 従って、生身の術士や携行用に毛が生えた程度の魔術兵器で撃退できない「敵」が出現した場合は、訓練校スタッフの出番となる。
 そして訓練校の中でも、霊子甲冑でまともに市街戦を指揮できるのは大神少尉ただ一人であり、彼をまともにサポートできるのは加山少尉ただ一人だった。
 それは、訓練校の先任スタッフ――多くは彼らよりも地位の高い将校――にとっても、不愉快ながらも認めざるを得ない事実となっていた。

 それが大神と加山の、過重労働の背景だった。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「大神、ご苦労だったな」
「はっ!」
「加山君もお疲れ様。相変わらずの見事な手並み、二人とも大活躍でしたね」
「恐縮です!」
 上機嫌の米田とあやめ、その前に生真面目な表情の――下に働き過ぎに対する不満を隠した――大神と加山。
 このところ米田は上機嫌であった。帝都防衛における、彼の配下にある帝国華撃團(訓練校)の大活躍、がその理由だが、単純にそれだけではない。
 本来、帝都防衛は帝都に駐留する陸軍の第一師団が担うものである。
 師団の最高責任者は当然師団長だが、帝都という場所柄もあり、第一師団は陸軍大臣の直轄という性格を色濃く持っている。
 帝撃の出撃は、第一師団の力不足、ひいては陸軍大臣の力不足、という意味合いもあるのだ。
 現陸軍大臣・京極慶吾のことを内心、ではなくあからさまに快く思っていない米田としては多少頬の筋肉が弛緩しても仕方の無いところかもしれない。
 しかし、大神にしても加山にしても何処かの少佐のように上官の喜びは自分の喜び、等という奴隷根性に染まった思い込みは持ち合わせていなかったし、上官の喜びは自分の出世の種、等というさもしい飼い犬根性からも縁遠かったので、米田の機嫌が良かったからといって疲労感が軽減される訳では全く無かった。
 もっとも、二人の思うところが完全に同じだったか、というと、そうでもない。
 大神は、彼の「親友」より一つ多く、疲労の種を抱えていた。
 頭痛の種、と言った方が適切かもしれないが。
「全く、頼もしい限りですね、閣下。噂に違わぬ技量、そして指揮能力です」
「おっ、オメエが手放しで褒めるなんて珍しいな、一馬。
 どうでい、大神。『鬼王』にここまで言わせた感想は、よ?」
「…過分なお言葉、恐縮であります!」
「いやいや、私は世辞など言ってはおらんぞ、大神君。実際に隣で戦ってみた上での正直な感想だ。流石はさくらが見込んだだけのことはある」
「…畏れ入ります」
 大神ともあろうものが、答えを返すまでの短い「間」に隠しきれない本音を覗かせてしまったいたが、それに気づいたのは浮かれた空気に同調していない彼の友人だけだった。
 大神の頭痛の種、それはこのところすっかり訓練校に腰を落ち着けて、出動の度に行動を共にするようになった『鬼王』こと真宮寺一馬少将の存在そのものだった。
 霊子甲冑を実戦運用できるのは帝撃(帝国華撃團訓練校)のみであり、帝撃に対する出動要請は霊子甲冑の出番を意味している。
 だが、帝撃の戦力は霊子甲冑だけではないし、魔に対する手段もまた霊子甲冑のみではない。
 陸軍・対降魔部隊。
 かの「降魔戦争」の折、降魔撃退の中心となったのは、千年の伝統を誇る陰陽師や密教僧ではなく、陸軍抜刀隊から派生したこの霊力剣士達だった。
 伝統ある、しかし、時代から取り残された存在である陸軍抜刀隊。機関銃と大砲の時代になっても尚、剣に対する拘りを捨てられない愚直な頑固者の集まり。その集団には、その強い拘り――思い込み、と言い換えた方が適切かもしれない――故にか、卓越した技量と、常人を遥かに上回る「気」の力の持ち主が多数在籍していた。
 その中からより強い霊力を秘めた者を選び出し、正真正銘命懸けの訓練で(訓練中の死者も一人や二人ではなかった)霊力の使い方を教え、刀身に霊子回路図(霊子力学に基づく一種の呪符、霊水晶を配置して作る霊子回路の簡易版)を刻んだ玉振鋼の刀とシルスウス鋼で編んだ鎖帷子を与えて編成した退魔の剣士達。
 それが陸軍対降魔部隊であり、彼らに「力」と武器を与え、彼らの先頭に立って戦ったのが米田一基、真宮寺一馬、山崎真之介、藤枝あやめの四人であったのだ。
 降魔戦争終結後、対降魔部隊の生き残り――彼らの戦死率はとても口に出せない――が米田の下へ留まったのは当然の成り行きであっただろう。彼らは現在、帝国華撃團(訓練校)の歩兵部隊の先任士官を構成している。即ち、帝国華撃團・雪組である。
 雪組は降魔戦争を生き延びた歴戦の兵士と彼らに鍛え上げられた猛者で構成される精鋭部隊。霊子甲冑を動かすことは出来なくとも、その戦闘力は花組や星組にそれ程劣るものではない。確かに霊子甲冑の持つ決戦能力に比べれば生身の技は見劣りするが、大型機動兵器の使用が制限される局地的な戦いにおける有用性は花組・星組を凌駕している。
 そして真宮寺一馬少将は専用機体・神威を与えられてはいたが、帝撃における主たる任務は雪組の統率にあった。
 ――指揮、ではない。実を言えば。彼は裏御三家当主の名に恥じぬ超一流の剣士であり術士であったが、それはあくまで個人の技であり、集団指揮に長けているとは残念ながら言えなかった。
 だが、対降魔部隊、現在は帝撃雪組、に対する彼の統率力は群を抜いていた。剣に生きる男達だからこそ――実は女性も若干名在籍している――彼の卓越した剣の腕を肌で実感できるのだろう。霊力に目覚めた者達だからこそ、一馬の凄まじい霊力を実感できるのだろう。彼が陣中に居るのと居ないのとでは剣士達の士気がまるで違うのだ。別に先頭に立たなくても、ただ居るだけで雪組の戦闘力は目に見えて向上するのである。それが人望故にか、恐怖故にか、は微妙なところであるが。
 そんな訳で。
 帝撃の出動回数増加は、星組や花組の実戦投入を早めただけでなく、雪組の出番を増やすことにもなった。それは即ち、一馬の出番が増えることでもあり、同じように毎度毎度声が掛かる大神は必然的に彼と行動を共にせざるを得なくなったのである。
 ……大神少尉の心中、皆様ならお分かりいただけると思う。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「隊長」
 ここ連日の出動ですっかり慢性化してしまった疲労感――主に精神面の疲労――を押し隠して校長室を後にした大神に投げかけられたのは、抑揚に乏しい、硬質な、但し美しく透き通った少女の声だった。
「レニ君、今日もご苦労だったね」
「当然だよ。僕は戦う為にここに来たんだから」
 何の疑いも無くあっさり言い切った答えに大神は軽く苦笑してしまった。
 余り女性らしくない、というより少年そのものの口調の主はレニ=ミルヒシュトラーセ、少年のようにほっそりした体型の、短くした純銀の髪が印象的な、星組のトップパイロットである。口調だけでなく外見も身のこなしも少年そのものであり、事実、この少女のことを未だに少年と勘違いしている関係者も少なくない。――もちろん、大神はその服装・挙措動作に関らず、彼女が「少女」であり、しかもかなりの「美少女」であることに初対面から気づいていた。
 …それはともかくとして、彼女の操縦技術は大神の目から見ても既に一流のものであり、生徒ではなく教官として籍を置いていても不思議はない。必然的に彼女の出動頻度は花組・星組を通じて最高であり、大神の指揮下で最も多く戦っているパイロットでもあった。
 知らない人から見ればとてもそうは思えないだろうが、レニは随分大神に懐いていた。言葉も表情も乏しく、一日中自分からは一言も口を利かないことすら珍しくない彼女が、大神の姿を見かけると必ず声を掛けてくるのだ。
「レニ! そんな男とナニ話しているデスカ!?」
 そして、そんな時はいつも、この不機嫌な少女の声が割り込んでくるのである。
「織姫、上官だよ」
 抑揚のない、事実を告げるだけ、のような言葉。だがレニの台詞を補完すると、「上官に対して失礼だよ」という意味になる。
 彼女の隣に立っている黒髪の美少女――こちらは実に少女らしい優美な外見をしており、少年と間違えられることなどありそうになかった――ソレッタ=織姫にもそのことがすぐ分かったのだろう。不機嫌そうな両眼(まなこ)を更に吊り上げて相棒であるはずの少女に食って掛かった。
「こんな日本人の男に払う敬意なんてありまセーン! レニ、貴女、どうしちゃったデスカ!?」
「国籍なんて記号に過ぎない。重要なのは能力だ」
 これまた、実に色気のない台詞だが、レニにしてみれば最大級の弁護だろう。織姫にとって、面白かろうはずはない。
「レニっ! アナタ…」
「レニ君、織姫君、戦闘は終了したが待機命令はまだ解かれていないはずだ。教室に戻りたまえ」
「なっ…!」
「了解」
「…わかりましたデースっ!」
 話の腰をボキッと折った大神に織姫の怒りが爆発しかけたが、冷静そのものの口調と同時に背中を向けたレニを追い掛けて、勇ましい捨て台詞と共に大神の前から走り去った。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


(可愛いものだ。ああいうのも嫌いじゃないんだけどね)
 精一杯の反感が込められた織姫の捨て台詞も、大神にとっては微笑ましいだけだった。
 女性としての自覚に欠けるレニ。
 棘だらけの態度で突っかかってくる織姫。
 『マイ・フェア・レディ』も『じゃじゃ馬馴らし』も、どちらも相手を自分好みに変えていく楽しさがあり、大神も嫌いではなかった。だが目下のところ、頭を悩ます『アヒルの子』がいて、あの二人に手間暇を掛ける余裕がない。
 無論、さくらのことである。
 大神があれこれさくらの面倒を見てきたのは、当然、下心あってのことだ。
 初対面で見抜いたとおり、きちんと装ったさくらは結構な美少女であり、その面では大いに満足だった。精神操作(?)の方も、予定以上に順調な仕上がりを見せている。彼女の大神に対する依存と忠誠は、既に大神が意図した以上の水準に達していた。
 だがこの「順調過ぎる」ところが頭痛の種其の壱、であったのだ。
 彼としてはただ、退屈が予想される訓練校勤務のちょっとしたスパイスに、美少女のつまみ食いを目論んでいただけなのだ。純情な少女を相手に一時限りの大人のゲームを楽しむつもりだった。無論、彼だけが楽しむのではなく、相手にも「恋」という名の一時の夢を与え、お互いに楽しんだ上で後腐れなくここを去るつもりだったのである。
 ところが、さくらはすっかり本気になってしまっていた。
 彼は「親友」ほど女性心理に精通している訳ではない。これは別に大神が鈍感とか奥手とかいうことではなく、また彼の「親友」が異常に軟派だとか女たらしだとかいう意味でもない。彼の「親友」は人間心理について大神も一歩譲ることを認めざるを得ないほど異常に精通しており、その一環として女性心理にも詳しい、ということなのだ。
 ひとまず、「親友」=加山のことは脇に措いておく。
 戦場における兵士の心理なら手に取るように理解できる大神であったが、日常生活における女性心理については平凡な洞察力しか持っていない。彼自身、この領域に関して己の能力を余り評価していない。
 その彼にでも判ってしまう程、さくらの心はハッキリ大神自身に傾いていた。元来一途な性質だったのだろう。それはもう、そう仕向けた彼がたじろいでしまう熱の上げようである。今はまだ先生と生徒、ならぬ教官と訓練生の垣根があり、さくらもそれ程あからさまな態度は見せないが、一度手を付けてしまえば押掛女房、迄は行かないとしても、何処までも何処までもお供いたします、となってしまうのは容易に想像が出来た。
 それでも、さくらだけなら何とでもなるはずだった。海の上は男の世界、縋りつく女に背を向けて夜霧の中を去っていくのは「海の男」の十八番である。いずれ海軍に戻る時が来たなら、何とでも理由をつけて別れられる、そう踏んでいたからこそ自分の素性が知れているこの訓練校で「つまみ食い」等という不埒な真似を試してみることも出来た、はずだったのだ。
 だが、頭痛の種其の二、が巨大な障害物となって、彼の下心の前に立ちはだかっていた。
 言うまでもない、真宮寺一馬少将、さくらの父親である。
 計算の通じない相手であることは以前から分かっていた。
 その腕よりも、地位よりも、その故に大神は彼に対して苦手意識を持っていたのだ。
 だがまさか、あれほど親バカであったとは――
 さくらが真宮寺少将の娘であったことも大きな誤算だが、彼の娘に対する溺愛ぶりはもっと大きな誤算だった。
 さくらに手を出す、其処までは良い。
 親バカの父親にしては意外だが、真宮寺少将は娘と大神の仲にむしろ前向きだった。
 彼は大神の「表向き」を高く評価しているようだったし、「裏」にはまるで気づいていなかった。
 問題は、手をつけた後である。
 仙台に強制連行されて三々九度の杯の前に座らせられること、間違い無しだろう。
 抵抗することも出来なくはないが、その場合、彼の地位と実績を考えれば、大神は軍にいられなくなるばかりかこの国から逃げ出さなくてはならなくなる。
 有効な抵抗、それはこの場合、少将を斃すことになるのだから。
 別段軍人としての名声や生活にしがみつくつもりも無いが、一時の火遊びの代償としては高くつき過ぎる。
 ここは、止めておくべきだろう。
 と、思う一方で、これまでさくらに掛けてきた少なからぬ手間暇を無駄にするのは惜しい、という思いもあった。
 どちらも損得勘定だけに、中々判断が難しい。
 表面上優勢な局面で行う撤退の決断は最も難度の高い戦略判断の一つである。
 戦場においてすらそうなのだ。日常生活においては、大神一郎の頭脳を以ってすら、中々結論を出せそうに無かった。
 大神少尉の悩み多き日々は、まだまだ当分続きそうだった。



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