太正13年6月某日
世の中には予測のつかない出来事が多い。
自分は全てを予測できる、等とほざく奴が居たら、それは単なる莫迦に過ぎない。
あらゆる可能性を念頭において行動する、とは、相反する未来に対して同じように備えるということであり、結局何の準備もせずに行動することと同じなのだから。
だから、予測のつかなかった事態に遭遇した場合、大切なのは驚き過ぎないこと。
動揺せず、冷静に、素早く対処すること。
…と、今更こんな分かりきったことを考えてしまうということは、俺も少しは動揺していたらしい。
まさか、あんな馬鹿げた話が実際に……
世の中、何が起こるかわからないものだ。
(大神一郎の日記より)
今日の戦場は鶯谷だ。
戦場、と言って良いものかどうか……戦場というには少々ヌルい、と大神は正直なところ感じているのだが。
命の危険がない、という訳ではないのだが、帝都における出動は戦場に存在する非日常性が感じられない。
――それだけ、出動が日常化してしまった、ということなのかもしれない。そう思い至るに及んで、大神は小さく溜息を漏らした。
「大神さん……どうなさったんですか?」
途端に問い掛ける控え目な声。口の中だけの小さな息遣いを耳聡く聞き取ったらしい。
声の主はさくらだった。場所は大神の隣、霊子甲冑移送車の、荷台の上。
以前は加山の定位置だったこの席――つまり、大神の隣――は、今ではさくらのものとなっていた。無論、出動メンバーに選ばれた場合は、だが。
加山はといえば、本来の持ち場である指揮車両の中、情報端末の前。
これは当然。
光武を固定した荷台の上は、大神とさくらの二人きり。
こうなったのは、さくらが図々しいから
では、ない。
道路の耐久性――主として、橋の強度――の関係で、一台の移送車両に積める霊子甲冑は二機までとなっている。
そして大神機とさくら機は共に大刀を主装備としており、二刀流と一刀流の違いこそあれ、光武で大刀を主武器としているのはこの二人だけである。
霊子甲冑はどうやって戦場まで外装兵器を、刀を持っていくのか?
機体に鞘をつける?
とんでもない。
霊子甲冑や人型蒸気は限定されたフィールドで運用される強襲型の兵器だ。
本来は戦車のように長距離を自分で走って行くものではない。
移送車や艦船、あるいは飛行船で焦点となる戦場まで運んでもらい、短時間で戦局を決定付ける、そういう兵器だ。
長距離を移動するなら二足歩行より車輪や無限軌道の方が遥かに効率的である。
二足歩行の利点は運動性の高さ――この場合、運動性=移動の自由度――にある。
車輪では克服できない高低差移動や無限軌道では真似の出来ない素早い左右運動が二足歩行兵器の強みだ。
人型蒸気、そして霊子甲冑が自分の足で歩き始める所は既に戦場であり、刀を鞘に納める必要などないのである。鞘のような死質量は二足歩行兵器の持ち味である運動性を損なうものでしかない。
話を戻そう。
では、霊子甲冑用の刀はどうやって戦場まで運ぶのか?
当然、霊子甲冑と一緒に移送車両で運ぶのである。
本数も無論、一本だけ(大神機の場合は二本だけ)ではない。
刃毀れや折れた場合に備えて、ちゃんと予備が積んである。
各機体は通常、自分が乗っていた車両から補給を受ける。
予備の刀は大神機とさくら機のどちらでも使える。
このように、同じ武器を使う機体は同じ車両で運搬した方が効率的なのだ。
勿論、効率的だから常にそうしなければならないという理由は無く、他にも色々な思惑が絡んでいるのも、まあ、事実ではあるのだが。
閑話休題
高速で走行する剥き出しの荷台の上で、口の中だけに留めたはずの溜息を敏感に感じ取ったさくらの鋭さに、正直意外感を禁じ得ず、とは言ってもこういう特定の部門に発揮される彼女の鋭敏さにはそろそろ慣れてきた大神である、言うまでも無くうろたえる様な事は無かった。
「こうして活躍できる機会があるのは嬉しいが、俺達軍人の出番が多いという事は世の中が平和でないという事だ。
軍人は暇を持て余しているくらいが丁度良い……そんな事を考えてしまってね。
お父上に聞かれたら怒られてしまうかな?」
「そんなことありません!
大神さん、とてもご立派なお考えだと思います!」
本音である。少なくとも、嘘は言っていない。
だが、ものは言いよう。
さくらの双眸はすっかり『崇拝』に染まっていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
戦場は鶯谷の公園だった。
(何でこんな所を攻撃しているんだ、こいつら……?)
何も無い。
蒸気供給施設も、発電施設も、通信施設も、交通施設も、生産施設も、何も無い。
敢えて言うなら、市民の憩いの場があるだけだ。
(まさかこいつら、本気で「市民生活を混乱させる」為だけに兵を動かしているんじゃないだろうな…?)
大神は優れた軍人である。
兵士としてばかりでなく、指揮官としても、戦術家としても、戦略家としても、もしかしたら政略家としても一流の能力を持っている。
だからこそこういう、未だ正体不明のゲリラが繰り広げる破壊活動の脈絡の無さに戸惑いを覚えてしまう。
『大神、こいつら、何を考えていると思う……?』
通信機からは戸惑いを含んだ呆れ声が流れ出している。
情報解析においては大神と同等以上の能力を持つ加山ですら、困惑は同じのようだ。
「分からん。是非調べてくれ」
光武を前に進ませながら、大神は素っ気無く答えた。
気になる、のは確かだ。
だが今の最優先事項は「敵」の征圧。
敵魔操機兵の全機破壊、敵有人機体の破壊または捕獲。
それ以外は後回しだ。
こういう切り替えの早さは前線指揮官に不可欠の能力。
そして大神は薄情な程あっさりと思考のチャンネルを切り替えることの出来る軍人だった。
連日の出動に対する飽和感も視界の端に移る歩兵部隊指揮官に対する苦手意識も完全に意識から締め出して、大神は彼の指揮下に置かれた4つの機体に前進の合図を送った。
今日のメンバーはさくら、カンナ、すみれ、レニ。
周囲に延焼しやすい木造民家が多い地理的制約と、敵の数が少なくまた遠距離攻撃型の機体が観測されなかった戦力条件から選出された近距離攻撃に重点を置く布陣だ。(レニが出動を命じられて自分が待機に回された事に織姫が盛大な抗議を行ったが、軍規の前に引き下がらざるを得なかった)
後詰めとしてあやめの神威が控えている。(留守番役に回された山崎もやはり抗議の声を上げたが、当然、黙殺された)
予備兵力として、真宮寺少将率いる雪組抜刀隊。
十分過ぎる戦力だ。
10機に満たない魔操機兵など5分で制圧できる。
そう大神が判断したのは過信でも思い上がりでもなく、予め定められた事実だった。
予め、定められた
予定。
しかし
予定は往々にして、予想外の乱入者によって破られるものだった。
「ガーハッハッハッハッ!」
大神が突撃を命じようとした、まさにその出端を挫く様に。
野太い高笑いが「戦場」に響き渡った。
「待っていたぞ、華撃團!」
その声は高台に続く石階段の上から聞こえて来た。
「陸軍法術特殊戦隊・五行衆筆頭、金剛っ!!」
声に相応しい、筋骨隆々とした男だった。
その筋肉を見せ付けるように軍服の前を大きく開き、長大な刀を肩の上に担いでいた。
軍服の肩には通常の階級章の代わりに五芒星の紋様。
鈍く光る真鍮色の巨大な人型蒸気の頭の上に立ち、割れ鐘の様な大音声で口上を続ける。
「オメエ達の天下も昨日までだ。今日からは京極様直属の俺達五行衆が帝都を仕切る!」
「…我々を待っている位ならさっさと敵を撃退したらどうだ?」
「い、言われなくても今すぐ片付けてやるぜ!!」
余りにも唐突で時代錯誤な登場の仕方に帝撃の面々は呆気に取られていたが、逸早く自分を取り戻した大神の冷静な突っ込みに、金剛と名乗った大男は光武の拡声器の音量に負けない大音声で怒鳴り返した。
「ヤロウども、やっちまえ!」
オウ! と答える声はなかった。
代わりに鳴り響いたのは騒々しい金属音。
『魔操機兵だと…?』
思わず漏らしたのは米田か。
他の者は声も出せずにいる。
驚いて、と言うより、多分に呆れて。
それは人型蒸気ではなかった。
無論、霊子甲冑でもない。
どう見てもパイロットが乗り込む空間の無い細身のシルエットは明らかに魔操機兵だった。
(陰陽師なら式神――『鋼のゴーレム』を操るのもお手の物だろうが……
帝都市民の前でそれを使うかね…?)
絶句しているのは大神も同様だった。
治安維持活動には心理的側面の比重が高い。
単に敵を撃退すれば良いというものではない。
市民に不安を与えぬよう配慮しなければならない。
不安が昂じれば敵の攻撃を待たずして都市機能は安定を失う。
市民の間では『怪蒸気』と呼ばれ、降魔と同じような人を害する魔物と見られている魔操機兵を陸軍側が使うなどハッキリ言って愚作だ。
しかもそういう政治的な面ばかりでなく、純軍事的な面からも魔操機兵の使用には大きな問題があったはずだ……
「オラオラオラ! ぶっ壊せ!!」
大神達の困惑と懸念をよそに、大男は威勢良くはしゃいでいた。
彼の操る魔操機兵達も同族を相手に大暴れしている。
場所柄も弁えずに。
『無茶苦茶だわ…』
通信機から聞こえてきた声はあやめか、かえでか。
流石に姉妹、良く似ている。
『大神さんっ!』
『教官、放っておいてよろしいんですの!?』
『止めた方が良いんじゃねえか!?』
『隊長、どうする?』
次々と判断を求めてくるさくら、すみれ、カンナ、レニ。
その間にもまた一つ、組み合ったまま公園から転げ落ちた敵味方(?)の魔操機兵に民家が押し潰される。
『おい、テメエ、金剛とか! いい加減にしねえか!!』
戦場に轟く米田の一喝。
「う、うるせえ! 言われなくても分かってらぁ!」
大神は密かに感心した。
京極の直属だから地位には縛られないだろうが、あの米田を相手に一歩も引かぬ口答えを返すとは。
無知故の蛮勇だろうが、肝が太いのだけは確かだ。
「おい、オメエら!! 俺に恥かかす気か!! しゃきっとしやがれ!!」
……いや、単にバカなだけかもしれない。
大神はそう思い直した。
これだけの数の魔操機兵を操る術を習得しているのだ、決して知能が低い訳では無いだろう。
だが知能と賢さは微妙に別のものだ。
魔操機兵は所詮操り人形。
恥をかかすもなにも、動かしているのは自分自身ではないか。
それとも――?
『おい、大神…』
「何だ」
『あいつ、もしかして制御を失っているんじゃないのか…?』
「どうやらかなり混乱しているようだな。仮説は現実となったか…」
魔操機兵を使用することについての純軍事的な問題点。
それは魔操機兵の制御にあった。
誘導波=霊波の干渉による制御の喪失。
式神、あるいはゴーレムというものは術者毎に少しずつ異なっていて、その固有性が式神を操作する霊波調の違いをもたらす。
ラジオのチューニングを合わせるようなもので、Aという術者の式神をBという術者が自分の式神を操るための霊波で操ることは出来ない。
式を奪う、つまり相手の式神の制御を奪い取る為には、その式神の固有波調を模倣するか、式神本体に干渉して自分用に作り変えなければならない。
だが鋼のゴーレム=魔操機兵は式術で操る為に作られた人型蒸気であり、工業的に生産された、魔術的に見ればほとんど同一のものだ。
その為、敵味方が同時に魔操機兵を使用した場合、誘導用の霊波の干渉で暴走を引き起こす可能性が指摘されていた。
制御を失った魔操機兵は当初のプログラムに従って行動する、即ち、無目的な戦闘行為を繰り広げるのみ。
破壊活動を目論む側はそれでも構わないが、それを阻止しようとする側にとってはとんでもない話だ。
その「とんでもないこと」が目の前で現実になりつつある。
「已むを得ません! 司令、双方の魔操機兵に対する戦闘許可を!」
大神も一応遠慮していたのだ。
相手は嘘か真か、否、こんな馬鹿げた嘘をつく詐欺師はいないだろうから本当のことだろう、陸軍大臣直轄の兵である。
無闇に事を構えては色々と面倒なことになりかねない。
本音を言えば、京極と米田の間に揉め事が起こっても一向に構わないのだが、訓練校における様々な「投資」を回収するまでは、厄介ごとはなるべく控えておきたかった。
しかし、物事には限度がある。
大神も全然、全く、面子を気にしないという訳ではないのだ。
自分が出動した戦場を散々引っ掻き回された上、作戦失敗では目も当てられない。
しかし、彼の決断は少々遅きに失していた。(無論、本当に決断しなければならなかったのは彼ではないのだが)
金剛は見かけ通り、余り気の長い方ではなかったのだ。
「テメエら…あくまで俺様に楯突こうってんだな!!」
轟音が地面を揺らした。
『嘘…っ』
『マジかよ…』
『非常識ですわ…』
『……』
何と、真鍮色の魔操機兵は頭部に操者を乗せたまま何十段もある石段を一気に飛び降りたのである。
その衝撃に耐え、バランスも崩さず尚もその上に立っている金剛の体術・あるいは法術は大いに賞賛されて然るべきものだったが、ここまでの顛末からかどうしても馬鹿馬鹿しい蛮行に見えてしまう。
しかし、この男は単なるバカではなかった。
「いかん! 全員、防御壁最大出力!!」
「オオォォォ! 五行相克・鬼神轟天殺!!」
大神の命令に被さる様に、金剛の魔操機兵から電光の束が放出される!!
「きゃぁぁぁぁ!!」
おそらくそれは物理的な電撃ではなく、収束された霊力の奔流だろう。
だが物理的な電撃と同じく、金属を選別して吸い込まれていった。
敵味方、関係なく。
大神の命令は際どいタイミングで間に合っていた。
シルスウス鋼の防御力だけでは防ぎ切ることの出来なかったであろう霊撃を光武の展開した防御壁は凌ぎ切っていた。
しかし、衝撃まで全て消し去れた訳でもない。
反射的にあがる複数の悲鳴。
その中にはさくらのものもあった。
そしてその直後。
「さくら!!」
見なくても分かる、血相を変えた、父親の声。
この時、厳烈な鬼将軍は、娘を案じる父親に変わっていた。
それも、かなり親バカの。
「おのれ不届き者!!」
その迫力はこの日、この場に轟いた咆哮の中で最大のものだっただろう。
「破邪剣征・桜花放神!!」
問答無用の一撃が放たれた。
それは金剛とその乗機を吹き飛ばし、既に動きを止めていた魔操機兵をなぎ倒し、ついでにその背後の民家まで撃ち抜いていた……
その3へ