私説・第十四話――さくらBeginning――完結篇
「我ながら、えらいことになったなぁ……」
大帝国劇場二階、大神の私室。大神が私室として使っていた部屋。そこは、いつ主が戻って来てもいい様に隅々まで手入れがされていた。
「でも、すごく名誉なことなんですよね?おめでとうございます、大神さん」
テキパキと大神のベッドを整えていたさくらが、ぼやくような大神の一言に明るく応える。
「まあ、名誉なことなんだろうけど…いささか気が重いよ」
「うふふ、大神さんでも緊張することってあるんですね」
「そりゃそうだよ。だってねえ…」
摂政府軍事顧問、それは即ち、皇太子殿下の側近くに仕えて軍事面の相談相手になるということだ。現在帝国は差し迫った戦闘を抱えている訳ではないから、その任務は主に軍事面の教育係ということになる。
無論、摂政府の軍事顧問は大神一人という訳ではない。それどころか、遥かに地位の高い老練な軍人が何人もついている。護衛役も十分な人数が控えているのだ。実質的に、大神の出る幕など無いはずである。それを米田に問うたところ、殿下直々の発案だという。
この一週間の、無様なほどの騒ぎは当然摂政府の目に留まるところとなった。一体何が起こっているのかご下問を受けたのは花小路伯爵である。伯爵の説明を受けた殿下は、それならばどこからも文句のつけようがない職務を与える必要がある、との裁可を下されたということだ。それが、「摂政府軍事顧問」の地位である。
花小路伯爵のことだ、華撃團によかれといろいろ耳打ちしたに違いない、そう米田は言っていた。今後の華撃團の活動を考えるなら、大神は陸軍からも海軍からも干渉を受けない立場にあることが望ましい、と。
楽しそうにシーツを伸ばし、布団を準備するさくらを大神は笑顔で見詰めていた。今日、帝劇に泊っていく様大神に勧めたのは、もちろんさくらだ。部屋は何時でも使える状態にしてあるし、着替えも寝間着くらいなら用意できると。実際、この部屋をさくらが毎日掃除していることをその場にいたみんなが知っていた。だから、その時誰も口を挿まなかった。今も、この部屋にいるのは大神とさくらだけだ。
「でも、やはりここに戻ってくることは出来なかったな…」
さくらの手が一瞬止まる。
一瞬だけ止まって、それから今までの様にテキパキと動き出す。
「大神さん、終わりました。いつでも、お休みになれますよ」
「さくらくん?」
さくらの様子は見るからに空元気だった。
気遣わしげな大神の声に、さくらは今自分の手で整えたばかりのベッドが乱れるのも構わず勢いよく腰を下ろした。
「どうしたんです、大神さん?そんな、心配そうな顔しちゃって。あたしは大丈夫ですよ。
…それは、またここで一緒にお仕事できないのは残念ですけど、同じ帝都にいるんですもの。お会いしたくなったら、何時でも会いに行けるんですもの」
さくらの笑顔は強がりではあったが偽りではなかった。その笑顔を、目を細めて眩しそうに大神は見ている。
じっとさくらを見詰める大神。
さくらが頬を赤らめる。
出会った頃からほとんど変わらぬ初々しさ。大神の視線が一層愛おしげなものになる。
「会いたかったよ、さくら」
耳まで赤くなる。「さくらくん」、ではない、「さくら」。
真剣な、熱い、大神の眼差し。
「いつも、君のことを想っていた。さくら…」
「お、大神さん…」
ポーっとした顔でうわごとの様に呟くさくら。
「?」
だが、次の瞬間夢見る眼差しは訝しげな表情に変わる。
「さくら、こうして君に会える日のことを」
甘い囁きを続けながら、足音を立てぬ様ソロソロと扉に近寄っていく大神。
バンッ
「うわきゃああああああ!」
複雑に混ざり合った叫び声を上げて、廊下に尻餅をつく少女たち。
「み、みんな!?」
「よ、よおぉ、さくら」
「えへへへへへへへ」
「そ、その、少尉、じゃなかった、中尉、どうかお気になさらずお続け下さいな。おほ、おほほほほほほ」
「そ、そやそや、うちらのことは気にせんで…」
「……ここは撤退すべきだと思うよ」
「そ、そうデース。それでは中尉サン、おやすみなさいデース」
バタバタという足音が(一部パタパタ、という足音やドタドタ、という足音が混じっていたが)遠ざかっていくのを疲れた眼差しで見送りながら大神は深々と溜息を吐いた。
「流石にマリアはいなかったようだな…」
……
フフフフフ
ハハハハハ
「みんな変わらないなぁ」
「ええ、まだ半年ですもの。みんな、大神さんが旅立たれた日のままです」
屈託の無い笑顔を交わして、再び部屋の中へ戻る二人。パタンと扉が閉じる音がする。
「そうだね、みんな変わらない。
でも、さくらくん。君は、変わったね」
「えっ…?」
「とても、綺麗になった」
「お、大神さん?」
キョロキョロと左右を見回すさくら。窓の外や天井裏の気配まで探ってみる。
そして大神に目を戻すと、そこにはさっきと違って、じっと、たださくらのことだけを見詰めている眼差しがあった。
「会いたかったよ、君に。巴里は確かに美しい都だったけど、心に映るのは美しいものばかりじゃなかった。そんな時、無性に君に会いたいと思ったよ」
ギュッ
さくらは大神の服にしがみついて、その胸に顔を埋めた。
大神の視線から顔を隠したまま、聞こえるか聞こえないかの小さな声で囁く。
「あたしもです。大神さんにお会いしたかった。この頃は毎日そればかり考えていました。
大神さん、やっと、会えた…」
暫く、そのまま大神の胸に頭を預けていたさくらは、そっと手を放し、間近に大神の顔を見上げた。さくらの瞳は、涙に濡れてはいなかった。
「でも、これからはいつでもお会いできるんですよね?同じ帝都の空の下で、いつでも会いに行けるんですよね?」
「さくらくん…実はそのことなんだが、会いに来るのはやめて欲しいんだ」
「えっ!?な、何故です?どうして、そんな…」
さっと身を引こうとするさくら。しかし、大神の手の方が一瞬早かった。さくらの両肩を掴んで、息がかかる程の距離まで引き寄せる。
「会いに来る、のはやめて欲しい。帰って、来て欲しいんだ」
「えっ…?」
ポカンとした顔で、呆けたように大神を見るさくら。
「毎日、俺と同じ所へ、帰ってきて欲しいんだ。そして、俺を待っていて欲しい」
「大神さん、それって……」
大神は無言でさくらの左の手を取り、ごそごそとポケットの中をまさぐると小さな箱を取り出す。片手で器用に蓋を開け、中から輝く、…指輪を取り出した。
「半年前の続きだ」
さくらの薬指に指輪をはめる。
「一緒に暮らそう」
「……大神さん、これ、少し大きいですよ」
「えっ、ご、ごめん!」
余りにも意表を突くさくらの返事にすっかり狼狽してしまう大神。
ぎゅう
その隙に、さくらは大神を抱きしめた。
「いいんです。……ありがとうございます、大神さん。とっても、嬉しいです。あんまり嬉しくて、あたし…」
最後は涙声に変わる。さくらの髪をそっと撫でる大神。
「さくらくん、返事を聞かせて欲しい。今度こそ、頷いてくれるよね」
「はい、大神さん。さくらは、貴方の元へ参ります…」
<続く>
きっと、いつまでも……