帝都 騒然 ――心優しき反逆者の一族――

〜〜 第11話 〜〜


 その日、帝都は朝から騒然としていた。
 まだ家庭の主婦が朝食の後片付けを終えたばかりの刻限。
 鉄板を張った物々しい大型貨物車両が列をなして帝都のど真ん中を南下する。
 市ヶ谷から芝浦埠頭へ、そしてミカサ記念公園へ。
 開放型の荷台には西洋甲冑を連想させる鈍色の機械兵がずらりと並べられていた。
 その中に前後左右上下まで分厚い装甲板で覆われた箱型の荷台を持つ、機関車も運べそうな一際大型の車両が混じっていた。
 市民はその姿に力強さ、頼もしさより、むしろ不吉な予感を覚えていた。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 大帝国劇場もその日は午前中からざわざわしていた。
 冬公演の初日にはまだもう少し日数がある。
 取材の申し込みも一時期に比べれば落ち着いている。
 帝都市民を騒がせている貨物車両の正体も帝劇内――帝撃内には周知済みだ。
 彼女達をざわつかせているのは新たな来訪者だった。
 来訪者は青年だった。
 それも、かなり美形の。
 美女、美少女揃いの帝劇だが、男性も中々のハンサムが多い事で知られている。
 今は部外者だが、ファンにはお馴染みだった元モギリの青年もその一人だ。
 もちろん、(元)花組隊長・大神一郎の事である。
 だがその青年は、彼女達の贔屓目で見ても、大神より更に整った容姿の持ち主だった。
 恋愛映画に出てくるような甘いハンサムではなく、凛々しく引き締まった男らしい二枚目。
 そしてその整った顔立ちの中に大神と多数共通点の見られる事が、彼女達の関心を一層惹きつけずにはおかなかったのである。
 ロビーに佇む青年の姿を食堂からこっそり盗み見ている十二の瞳。
 たまたま売店を手伝っていたさくらが二言三言、言葉を交わし、二階へ連れて行こうとするのを丁寧な仕草で辞退して、階段を小走りに駆け上がっていく彼女をロビーで見送る青年の姿を、丁度食堂に居合わせた由里、紅蘭、織姫が見かけたのが始まりで、僅か二、三分の間にすみれ、アイリス、レニまで加わっていた。

[見れば見るほど似てるわねぇ]
[やっぱり大神はんの親戚なんやろうなぁ]
[そうですわね。とても他人には見えませんわ]
[鷹也お兄ちゃんみたいに、お兄ちゃんのイトコなのかな?]
[多分]
[デモ、こっちの方が美形で〜す]

 ……思えば鷹也、つくづく報われない「いい人」である。

[さくらはんも顔見知りみたいやったし]
[映画俳優でも通りそうだけど、何をやっている方なのかしら]
[学生さんみたいですわね…ちょっと、あれは北大の校章じゃありませんこと?]
[なにそれ?]
[北海道の札幌にある帝国大学のことだよ。この国ではトップクラスの大学の一つだ]
[中身もエリートという訳ですネ。中尉さんもタジタジで〜す]

「あなた達……何をやっているの?」

 不意に背後からかけられた声に、五人は一斉に跳び上がった。残る一人のレニですら、動揺を隠せずにいる。

「か、かえでサーン!?」
「び、びっくりさせんどいてぇな!?」
「びっくりって……一体何をしているの?」

 かえでが改めて問い掛けたのも無理のない事だ。柱の陰に隠れるように体を寄せてひそひそ話をしていれば、誰でも不審に思うに違いない。

「な、何でもありませんわ、オ、オホホホホホホ…」
「……?」

 こんな胡散臭い態度で何でもないはずは無い。
 彼女達が覗き見ていた方へ視線を向けると、丁度こちらの様子に気づいた青年と目が合った。
 礼儀正しく会釈をする青年に慌てて会釈を返し、かえではそれだけで納得してしまった。

「まあ…あなた達も若いんだから仕方ないとは思うけど……」

 苦笑するかえでに赤面する六人。
 丁度そこに、さくらと美鶴が二階ロビーに通じる階段から降りてきた。

「豹馬さん、どうしたの?」
「美鶴従姉さん、ご無沙汰しております」

 親しげに声をかける美鶴に、礼儀正しく応じる青年。
 もうお分かりの事と思うが、この青年は大神の従弟の一人、大神豹馬である。

「約一ヶ月ぶりだから、最近では短い方ね。
 それで? ここまで追いかけてくるくらいだから何かご用があるんでしょう?」
「はい、いいえ」
「………こみいったお話?」
「いえ、そういう訳では」

 話が噛み合っていない。

 それが、二人の会話に聞き耳を立てていた七人の(つまり、かえでまで!)端的な感想だった。天は二物を与える事はあっても、三物は与えないのね、と感じた者もいたし、二物を与えられると余計な物までついてくるのね、と感じた者もいた。
 そして美鶴の隣では、さくらが心の中でホッと胸を撫で下ろしていた。従姉弟同士でも意志の疎通が上手く行かない事があるのだ、自分が戸惑いを覚えても何の不思議も無いのだと。

「…生憎、一郎さんは外出されているけど、お爺様もお父様もいらっしゃるから、お部屋においでなさいな」

 美鶴はそんな義妹(いもうと)の――正確には近い将来の義妹、だが、美鶴の意識の中では既に、さくらは実の妹に等しかった――内心の思いは知らず、また、それ程悩んだ様子も無く、豹馬を自分達の宿泊している部屋へと誘う。

「しかし」

 短く応えて、チラッと視線を食堂へと走らせる豹馬。
 ほとんど生まれた時からの付き合いだ。今度は美鶴も彼が何を言いたいのか、すぐに理解した。

「相変わらず礼儀正しいのか無愛想なのか微妙な人ね」
「すみません」

 嘆息する美鶴に謝る豹馬だが、少しもすまないと思っていないように聞こえたのは決してさくらの錯覚ばかりではないはずだ。

「やれやれ……いらっしゃいな」

 しょうがないですね、という顔をした美鶴に言葉と身振りで促されて、三人は食堂へと移動した。

「かえでさん、少しよろしいかしら?」

 そう話し掛けた美鶴の隣でさくらが怪訝な表情を浮かべた。
 美鶴は元々冷たい感じを与えかねない整った顔立ちの美人だが、実はとても人当たりの良い女性だ。今はまだ、それ程長い付き合いともいえないが、美鶴が誰かに愛想の無い態度を取っているのをさくらは見た事が無い。
 ところが、かえでに話し掛けた声の中には何処かよそよそしさと言うか、冷ややかさが混ざっていた様に感じられたのだ。
 同じ「お姉さん系」の美女同士、意識するものでもあるのだろうか?
 ……等という事は、さくらには考えも及ばなかったが。

「はい、何でしょうか?」
「ご紹介させて下さい。
 こちら、大神豹馬さん。あたしたちの従弟で、北海道大学の学生をしておりますの」

 錯覚だったのだろうか?
 かえでに向かって豹馬を紹介する美鶴の態度は、他の人に対するのと同じ様に、丁寧で感じの良いものだった。

「初めまして、大神豹馬です」

 豹馬の挨拶はいつも通り――と言える程まだ付き合いは無いのだが、容易に想像できる――礼儀に則った折り目正しいものだ。

「は、はい、初めまして。藤枝かえでです」

 そのシャープな容姿と見ようによっては堅苦しい態度に、かえでも思わずしゃちほこばった挨拶を返してしまう。

「かえでさん、豹馬さんをあたし達がお借りしているお部屋にお通ししてもよろしいかしら?」
「え?、ええ、もちろんです」
「ありがとうございます。
 豹馬さん、お聞きの通りよ」
「ありがとうございます。それでは、失礼させていただきます」

 美鶴の言葉に小さく頷き、かえでに一礼して従姉の後に続く豹馬。つまり、主の許可が無ければ勝手に上がり込む訳には行かない、という事だ。
 確かにそれが常識だし礼儀に適った振る舞いでもあるが、やや堅苦しい流儀である事は否めなかった。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇

「豹馬、どうしたんじゃ?」
「ご無沙汰しております、お祖父さん」

 何の前置きも無くいきなり問い詰められても、豹馬は自分のペースを崩すことなく一人一人に向かって律儀に挨拶を述べる。それは年下の鷹也に対しても変わることは無かったし、前回顔を合わせていない修蔵に対しては特に丁寧なものだった。
 その余りに徹底した「自分流」には、気侭な事では人後に落ちないと思われた虎太郎も苦笑するしかないようだ。

「さて、気が済んだかの? 豹馬」
「…?」
「まあ、そう考え込まずとも良い。
 それで、豹馬よ、訳は聞かせてもらえるのであろうな?」
「父の言いつけです」

 自分が言葉少ない代りに、他人の言葉足らずな台詞も良く理解できるらしい。
 祖父の問い掛けに対し、何を、と問い返す事も考え込む事もなく豹馬は即答した。

「帝都で、お祖父さん達のお手伝いをせよ、と」
「ほぉ……儂らが何をしようとしているのか、麟太郎は存じておるのか?」
「いえ、具体的なことは」
「ほほぉ……麟太郎め、相変わらず鋭いのぉ」
「お父様が帝都にいらっしゃって何もしないはずはないと、麟太郎さんはご存知なんですよ」
「……千鳥……」

 もっともらしい表情でしきりと感心して見せていた――それは少々わざとらしい態度だった――虎太郎だったが、さりげない千鳥のツッコミに情けない顔で絶句してしまう。

「あのぅ………何か為さるご予定なのでしょうか?」

 そこに、隠そうとしても隠し切れない、大量の不安が漂う声。
 しまった、という顔になったのは鷹也だけだった。
 嫁ぎ先の家族が何か穏やかでない事を画策していると悟って、怯えたような表情を浮かべているさくらに、美鶴がにっこりと笑いかけた。

「良いこと、よ。さくらさん。
 少なくとも、貴女と一郎さんにとっては」

 もうすぐ義理の姉になる女性(ひと)の笑顔には、頷かずにはいられない、抗う事など到底出来ない迫力のようなものがあった。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇

「特戦研はああ言っていますが、従機兵は明らかに魔術を使用した機体です。
 その閲兵式を、選りにも選って聖魔城の跡地でもある、このミカサ記念公園で行うなど正気の沙汰とは思えません」
「自分も大神の意見に賛成です、総司令。
 ミカサ記念公園は聖魔城の復活が二度と無いよう、その一部をあえてこの世界に引き止め、物質世界の法則で霊性・魔性を拘束する事を目的とした、巨大な封印装置です。
 そのミカサ公園で魔術を利用した兵器を動かすなど、下手をすれば聖魔城の封印を揺るがせる事になりかねません」
「…分かってる、分かっているよ、そんな事は!
 だが、帝都の中心部にこれほど広大な空き地が他に無い事も事実だ。
 チッ……こんな事ならミカサ公園なんざさっさと沈めさせちまえば良かったぜ……」

 三人が言葉を交わしているのはミカサ記念公園の対岸にある切り立った崖の上だ。
 大神と米田は加山の運転する車で、公開式典で使う従機兵の大量搬入の様子を検分、否、監視に来ているのだった。

「米田司令、私は柳生大佐の真意が分かりません。降魔戦争の関係者でいらっしゃる以上、降魔の脅威についても魔の特質についても十分な知識があるはずです。
 なのに何故、ミカサ公園の使用に反対されなかったのか…」
「…奴の発案なんだよ、あそこを使うってぇのはな。
 ミカサ公園は一本の橋で帝都とつながっているだけだ。だから、もし従機兵が暴走するような事があっても、橋を封鎖しちまえば空を飛べない従機兵が市民に危害を加えることはない、だとよ。
 まあ、確かにその通りなんだろうけどよ……なーんか引っかかりやがるぜ……」
「いずれにしても、十分な警戒が必要です。特戦研の動きに警戒するだけでなく、思わぬ敵が従機兵の制御機構に魔術攻撃を仕掛けてくる可能性もあると考えます」
「加山…それらしい動きがあるのか?」
「いえ。現在、帝都に対する攻撃を企てている勢力は見当たりません。ですがもし、そうした者達が従機兵の制御を奪うに成功すれば、労せずして帝都の中心部に兵力を展開できる事になります」
「確かにな……いくら警戒しても警戒し過ぎってこたぁねえだろう。
 特戦研の奴らを守ってやる為に俺達が動かにゃならんってぇのは何か癪に障って仕方がねえが、已むを得ねえ。
 加山、頼んだぞ」
「司令、私は如何いたしましょうか?」
「大神は銀座本部で待機だ。万が一、加山の懸念するような事態になれば、止められるのは花組だけだからな」
「…ハッ」
「…お前の気持ちも分かるよ、大神。できれば、こんなくだらねぇ事であいつらを危険な目に合わせたかぁねえよなぁ…」
「……ところで、あの大型車両は何でしょう? 従機兵を積んでいるようには見えませんが」
「……加山、何か知っているか?」
「特戦研の従機兵計画書の中に、『将機兵(しょうきへい)』という、従機兵とセットで配備される機体の名が出てきます。おそらく、あれがそうでしょう」
「しょうきへい…?」
「ああ。どうやら、従機兵をコントロールする為の機体のようだ。
 従機兵制御用の大型演算機を備えた人型蒸気というところだろう」
「移動能力と攻撃力と装甲を備えた大型霊子演算機、と言うべきかも知れないな。
 霊子核機関を搭載し、霊子力場を備えた」
「雪組の『怪神』のような、か?」

 加山の問いに無言で頷く大神。
 武蔵出現時、帝都に投入された「怪神」の事は、大神も報告書で知っていた。

「……頭の痛え物ばかり出てきやがるな……
 大神、俺達は一旦引き上げるぞ。加山は引き続き監視と警戒を頼む」
「ハッ!」

 二人の中尉は(加山も大神に遅れること半年で中尉に昇進していた)声を揃えて敬礼し、それぞれ命令された任務に就いた。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 大神が帝劇に戻った時、そこに彼の家族は一人も残っていなかった。

「皆、どうしたんだ……?」

 呆然と呟く大神。その顔には驚きと不安が垣間見えている。
 彼に不安を覚えさせたのは、虎太郎も熊作も美鶴もいなくなっていたからではない。自分に断りもせず、あるいは自分の帰りを待たずに全員で外出したからといってショックを受けたりする程、彼は子供ではなかった。
 彼に言い知れぬ不安を与えたのは、彼を出迎えたさくらの無理矢理笑っているような危うい微笑。
 まるで、笑っていないと不安に押しつぶされてしまう、とでもいうような。
 今日は朝からずっと、母親と姉の相手をしていたはずである。
 彼女を自分の部屋に連れて行き、大神は事情を聞き出そうとした。

「さくらくん、一体何があったんだい?」
「あの…豹馬さんが見えられて、それで、皆さんでお出かけに…」

 歯切れの悪い口調で答えるさくら。腰を下ろすようにっても、俯き加減でずっと立ったままだ。

「豹馬が?
 ……何か言ってなかった? 帝都に来た理由とか」
「あの、えっと……いえ、特に……」

 言い難そうに口ごもっているさくらの様子から見て、特に何も無いはずはない。
 大神は椅子から立ち上がると、部屋の扉を開けて廊下の人影を窺い、誰もいないことを確認して部屋の鍵を閉めた。
 カチャッ、という金属音に、ビクッと体を震わせるさくら。
 大神の部屋でもさくらの部屋でも、二人きりでいる時に鍵をかけたことはほとんど無い。
 既に将来の約束を交わし、周囲の人々にも認められている二人だ。
 いつかは、その時が来ると分かっていたし、望んですらいた。
 だが、未知の経験に対する本能的な恐怖は、それとは別のものだ。

「さくらくん……」

 大神の手が肩にかかり、さくらの体は硬直した。
 緊張、恐怖、不安、期待、様々な感情が交じり合い渦巻いて、意識がぼやけてしまう。
 直前まで抱えていた別の不安は何処かへ飛び去ってしまっていた。

「座って…」
「はい…」

 肩に手を置かれたまま、ベッドの上へ一緒に腰を下ろす。肩を抱かれている訳ではないのでそれほど密着してはいないが、誰も入ってこれない二人きりの部屋の、ベッドの上で、ほとんど体を寄せ合っているのだと意識するだけで、心臓が暴走しそうだった。

「大丈夫、何も心配は要らない」
「はい…」

 そうだ、何も心配する必要なんて無い。霞のかかった意識の中でさくらはそう思った。
 自分はこの人に全てを委ねていればいい……何故こういう状況になったのか、ほんの一分前に何の話をしていて、自分が何に不安を感じていたのか、さくらはすっかり忘れてしまっていた。

「ええと……
 豹馬と爺さんがどんな話をしたか覚えてないかな? ちょっとした事でも良いんだけど」

 一方、大神の方は。
 突然色っぽくなったさくらにどぎまぎと戸惑いを感じながらも、持ち前の生真面目さと使命感から何とか雰囲気に流されず踏み止まっていた。

「……えっ?……あっ!」

 目を半ば閉じ、夢を見ているような表情になって微妙に上を向いていた――つまり、あからさまに言えばキスを待つような体勢になっていたさくらは、まずきょとんとした顔で問い返し、それから自分の勘違いに気づいて顔から火を噴き出した。

「ど、どうしたんだい!?」

 突然顔を両手で覆って深々と俯いたさくらに、大神はオロオロとしてしまう。彼女が泣き出したのかと思ったのだ。
 実際、さくらとしては泣き出したい気分だった。自分がとんでもなくはしたない女のような気がして。
 その一方で、大神に対して少し恨めしさも感じていた。

(大神さんったら、あんな紛らわしい言い方をしなくても……)

 恥ずかしくてとても大神の顔を直視できないが、八つ当たりに近い恨めしい気持ちに後押しされて、指の間からチラッと大神の顔を見上げた。
 大神は今にも泣き出しそうな顔をしていた。鏡が無いので見比べる事は出来ないが、多分さくら自身より狼狽した顔をしている。さくらの方は羞恥故だが、大神の方は突然泣き出した――と大神は思っている――さくらに対する困惑の故だろう。
 そんな大神の困り果てた顔を見て、さくらは彼を可愛いと思ってしまった。さくらの目から見た大神はいつも凛々しくて頼り甲斐があって、そんな彼を今まで可愛いと感じた事など無かったが、恥ずかしさの余り顔を上げられなくなっただけの自分の事をこんなに一所懸命心配してくれる大神の事を、可愛いと思い、一層愛おしいと思った。

 さくらの中で、悪戯心が頭をもたげた。

 もう少し、大神を困らせたままにしてみたい。

「あぁ、あたし、もう、恥ずかしくて死んじゃいそう……大神さんにこんなところを見られるなんて……」
「さ、さくらくん!?どどどうしたの!?」
「あたしの事、はしたない女だって思いませんでしたか? ねぇ、大神さん、あたしに愛想が尽きたりしませんでしたか?」

 すがりつくさくらに、信号機のように顔色を変えながら硬直してしまう大神。
 帝撃での大神は、常勝不敗の天才指揮官、さくらは彼に従い彼の手足となって動く隊員。
 だが帝劇では、大神はモギリ、さくらは花形舞台女優。
 大神にさくらの「演技」を見抜けるはずは無い。
 半分は本気だから、尚の事だろう。
 あたふた、あたふたと何とか自分を慰めようと悪戦苦闘する大神に、可笑しさよりも嬉しさの方をさくらはずっと強く感じていた。
 これは悪戯心から生まれた「嘘」だ。
 だが、悪気は無かったのだ、断じて。
 普段お互いに忙しくて、中々二人きりの時間を作れない事に、口に出せない寂しさを感じていた彼女が、普段我侭を言えない分、珍しく二人きりの時間に、婚約者に甘えているだけだったのだ。
 何故そんな事をしたのか、あえて理由を追求するならば、誰にも打ち明けられない不安に――彼女の大切な人の家族に対する讒言になりかねないのだ、打ち明けられるはずがない――独りで耐えていた反動だったのかもしれない。
 早とちりをしたのも、情緒不安定が激しかったのも、悪戯心も、甘えてみたのも。
 彼女が悪い訳ではない。
 例えその所為で、事態に対処する為の時間が永遠に失われてしまったのだとしても。
 この一時の恋愛喜劇(ラブコメ)で、完全に手遅れになってしまったのだとしても。
 彼女は知らなかっただけなのだ。
 大神一族の、真の姿を……

◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 その頃、大神がその行方に心を悩ませていた虎太郎たちは。
 ――大神の家に上がり込んでいた。

「良いんでしょうか、勝手に上がったりして…」
「良いのよ。家族ですもの」

 改めて言うまでも無いと思うが、前者は鷹也、後者は美鶴の発言である。
 お互い、言っている事はもっともなのかもしれない。だが…中々足して二で割るという訳には、世の中行かないようだ。それが個性とか性格とかいうものであるなら特に。

「ところで、得物はどうするんですか? 私は自分の銃を持ってきていますから問題ないですけど」

 そう言って、修蔵が傍らのスーツケースに手を置く。どうやらこの中身は着替えなどではなく分解したライフルでも入っているらしい。

「それなら、そろそろ届く予定じゃよ」

 そう答えて、虎太郎は玄関の方へと目を向けた。
 噂をすれば影、という奴か、それとも時間通りなのか。
 家の前に中型の蒸気自動車が停車した音が聞こえた。

「着いたようじゃな、どれ」

 大儀そうなのは声だけで、動作は身軽く立ち上がる虎太郎。
 つられるように全員が立ち上がった。

「あの、皆さんで出迎えていただかなくても、僕だけで十分ですから」
「いいのよ、鷹也さん。申之介さんとは久しぶりだし」

 何故か恐縮したように伯父達を引き止めようとする鷹也に、千鳥がいつもの穏やかな笑顔で首を横に振った。どうやら二人とも、いや、ここにいる全員が、新たな来訪者の正体を気配だけで悟ったらしい。

「鷹也くん、待たせるとまた五月蝿いんじゃないの?」
「そ、そうですね」

 からかうような、と言うより明らかにからかっている美鶴の台詞に、鷹也は大慌てで玄関を飛び出した。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇

「よぉ、爺さん! 来てやったぜ!」
「申之介、ご苦労じゃったの」
「全くだぜ。急に連絡寄越すから何かと思えば、刀抱えて帝都に来い、だ。こっちの都合はお構いなしかよ」

 郵便配達によく使われている小型貨物車の運転席からひらりと飛び降りて、威勢のいい台詞をまくし立てた青年は、大神の従兄で鷹也の実兄、大神申之介だった。

「相変わらず粗野な人ですね、申之介さん」
「オメエも相変わらず刺だらけだな、美鶴」
「薔薇の刺は不埒な花泥棒の手しか刺さないんですよ」
「知ってっか、美鶴。花泥棒は罪にならないんだぜ」
「罪を免れるのは風流故の花泥棒。花園を土足で踏み荒らすような野蛮人に免罪符は効かないんです」
「薔薇っつうより茨の冠だな、オメエの場合は。結婚して少しはその口の悪さも治るかと思っていたのによ」
「申之介さんはその粗野な態度が治らない限り、結婚なんてまだまだ当分無理ですね」
「全く、ああ言えばこう言うのも相変わらずかよ。
 外面如菩薩、内面如夜叉とはオメエの事だな、美鶴」
「あら、ありがとうございます、申之介さん。
 容姿は誰の目にも明らかなもの、内面は見える人にしか見えないもの。
 ましてや、外見も内面も粗野でむさ苦しい貴方に比べれば、外見の美しさだけでも十分勝っていると言えますね」

 間断なく応酬される売り言葉に買い言葉の数々。だが、観衆(ギャラリー)は笑って見ているだけだ。苦笑、微笑、ニヤニヤ笑い、の違いはあるにしても。どうやらこの二人、いつもこの調子らしい。
 ちなみに、粗野だ粗野だむさ苦しいと美鶴は散々貶しているが、申之介の外見は決して醜い訳でもみすぼらしい訳でもなかった。
 確かに、粗野でむさ苦しいかもしれない。長く伸ばしたぼさぼさの髪は黒一色の組紐で無造作に束ねているだけで、櫛を通した形跡などどこにも見当たらない。
 太い眉毛、もじゃもじゃのもみ上げ、真っ黒に焼けた肌。身に付けているものもこの晩秋だというのに厚手のシャツと作業着のようなズボンだけだ。足首まである皮の靴(カウボーイブーツか?)は元の色が想像出来ないほど色褪せ擦り切れている。
 一つ一つの要素を採り上げてみれば、到底見栄えが良いとはいえない。
 だが、それらが申之介という素材の中で一つになると、野性的な雰囲気を演出する小道具に成っていた。一つ一つのパーツがしっかりくっきりとした「濃い」顔立ち。ゆったりしたシャツに隠された逆三角形の上半身に太い二の腕。鷹也の何処か中性的・少年的な風姿、修蔵の紳士的な雰囲気とは根本的に異なる、大神や豹馬の凛々しい男らしさとも一味違う、野性味溢れる、「男臭い」魅力。
 癖の強い、強烈過ぎる印象は確かに一般受けする外見ではなかったが、決して醜男ではあり得ない。大神申之介という青年は、一目見たら忘れられない、極めて個性的な男前だった。

「…修蔵、オメエ、よくこんな女と結婚する気になったな? 後悔してねえ?」
「いや? どうして後悔するんだ?
 君には色々と感謝しているけど、中でも一番感謝しているのは美鶴に逢わせてくれた事だよ」
「お生憎様ね、申之介さん。修蔵さんは貴方と違って、人を見る目があるのよ♪」
「…恋すりゃアバタもエクボとは良くぞ言ったもんだぜ…
 儚いねぇ…男の友情って奴は」
「申之介、それは大きな誤解だ。私達の友情はダイヤモンドのように強固で黄金のように不変だ。ただ、愛は全てに勝るというだけなのだよ」

 修蔵と申之介は旧知の仲だった。そもそも修蔵が美鶴と、大神一族と知り合うきっかけとなったのが放浪癖の強い申之介との出会いだったのだが、それはまた、別のお話、である。

「仲が良いのは分かるけど、そろそろお止めになったら?
 鷹也さんが困っているわよ」

 見れば鷹也は、顔を赤くして所在無げに視線を彷徨わせている。身内の醜態を恥ずかしく思っている、だけにしては少々顔の色が熱っぽい。

「…だらしねえぞ、鷹也。この二人程度に当てられるなんてよ」
「申之介さんの戯言は横に置いておくとして、鷹也くん、貴方もそろそろ良い女性(ひと)を見つけた方が良いんじゃないの?
 そうねぇ…すみれさんなんてどうかしら?」
「兄さん! 美鶴従姉さん! からかわないで下さいっ」
「はいはい、そこまでって言ったでしょう?」

 すっかり顔を真っ赤にしてしまった鷹也と、そんな彼を面白そうに微笑ましそうに見詰める申之介と美鶴(どちらかと言えば面白そうに、の方に比重が掛かっていた…こういう所は気が合うらしい。実はこの二人、近親憎悪という奴かも知れない…)。
 人の悪い年長の二人に玩具にされかけた好青年・鷹也に救いの手を差し伸べたのは、やはり千鳥だった…と言うか、このメンバーで他に助けてくれる人は望めない。

「美鶴、仲が良いのも結構ですけど、いい加減になさいな。
 申之介さんも、鷹也さんをあまり苛めては駄目よ」
「は〜い」
「分かりました、伯母上。失礼致しました」
「……申之介さん? 随分態度が違いませんこと?」
「うるせえぞ、美鶴。礼儀正しい人には礼儀正しく、ざっくばらんな人にはざっくばらんに。俺の礼儀は相手を選ぶんだよ」
「呆れた…」

 美鶴は尚も何か言いたそうだったが、申之介が完全にそっぽを向いてしまった為、不発に終わった。
 申之介も千鳥の言う事にはどうやら逆らえないらしい。

「爺さん、荷物はどうする? とりあえず中に運んだ方が良いか?」
「そうじゃの…お主が選んだ物じゃ、間違いは無いであろうが……
 一応、見せてもらおうかの」
「ああ、そうしてくれ。俺も現場であれこれ言われるより先に見てもらった方が助かる」
「申之介、手伝おう」
「大丈夫だよ、伯父貴。大砲載せて来た訳じゃねぇんだからさ」

 後ろの荷台に上半身を突っ込みながら、熊作の申し出をやんわりと断る申之介。

「よっ、と」

 そして、掛け声と共に体を起こした彼の両手には、成人男性程の太さと長さを持つ、馬鹿でかい竹の籠が抱えられていた。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇

「まずは爺さんの分からだ」

 大神の家の居間に見るからにずっしりと重そうな、巨大な竹篭を持ち込んだ申之介がその中からまず取り出したのは、黒塗りの簡素な鞘に納まった二振りの打刀だった。

「ほぉ…」

 一振りを畳に置き、もう一振りを正座のまますらりと抜き放つ。眼前に立て、一目見るなり、虎太郎は感嘆の溜息を漏らした。

「刃渡り二尺三寸。少し短めだが、強さと切れ味は爺さんにも満足してもらえると思うぜ。
 最近じゃ、俺の自信の二振りだよ」

 最初の一本を鞘に収め、次の一本を同じように検分して、虎太郎は大きく頷いた。

「気に入ったぞ、申之介。良い仕事をするようになったではないか」
「煽てても値引きには応じないぜ」

 憎まれ口を叩きながらも、申之介は満更でも無さそうな顔で笑っている。
 彼は刀鍛冶。
 並みの刀では、大神一族の技に耐えられない。
 だから彼らは、自分達で使う武器は自分達で作り続けて来た。
 彼らの求める技に耐えられる、強靭な刃を。
 そして申之介は一族に武器を供給する、一族の鍛冶の技を継ぐ者だった。

「お次は伯父貴だ」

 頬に緩みを残したまま、申之介が次に取り出したのは、柄頭から鐺(こじり:鞘の先端)まで五尺を超える長大な野太刀だった。

「伯父貴には双刀よりそっちの方が良いだろう? 稽古ならともかく、実戦ではさ」
「うむ」

 流石にこれだけ長い刀を座ったままでは抜けないので、片膝を立て、鞘を投げ出すようにして刀身を抜き出す。

「熊作、お主、抜刀術はいつまでたっても上達しないのぅ」
「面目ありません」

 大して気にしている風も無く虎太郎にそう答えた熊作は、壁や襖を斬らぬ様にゆっくりとその長大な刃を振り回して見せた。

「刃渡り四尺二寸。野太刀としては少し大き目くらいの物だけどさ、強度は関帝の青竜刀と打ち合っても打ち負けないぜ」
「使わせてもらおう」

 刀身を鞘に収めながら、熊作は重々しく頷いた。

「豹馬にはこれだな」
「私の分もあるのですか?」

 やや意外感の感じられる声で豹馬が問い返す。

「俺を呼んでいるのに、オメエが呼ばれねえはずは無いだろ?」

 申之介の答えは明らかに勘違いだったが、別に拘る事でもないのでそれ以上言葉を重ねたりせず、豹馬は申之介から手渡された二振りを次々と抜き放ち、目の前で交差させる構えを取った。

「刃渡り二尺八寸。オメエならこの長さでも問題無いだろ?」
「問題ありません」
「そうか、良し。
 刀身はオメエの速さに耐えられるよう反りを強くしておいた。切り返しの時、少し引っ掛かりを感じるかもしれねえが…」
「……それも問題ありません」

 左右の刀を二度三度と回して反動の程度を調べていた豹馬が申之介に向かって頷いた。

「そうか。まっ、弘法筆を選ばずってヤツだな。
 最後に鷹也、オメエはこれだ」
「手槍ですか…」

 鷹也が呟いた通り、申之介が籠の中から取り出したものは全長五尺前後の手槍だった。

「オメエが一郎に憧れてるのは知ってるけどよ。実戦の時は、自分の技に向いた武器を使うべきだぜ」
「そうですね、兄さんの言う通りです」

 そう言って、槍の中央を持ち、しげしげと視線を往復させる。
 穂先は一尺六寸の諸刃直刀身、石突は一尺ほどの鋭く尖った円錐形になっている。
 サイズを別にすれば、日本式の槍と西洋式のランスをつなげた様な形状になっていた。

「双頭剣にしようかとも思ったんだけどよ、使い慣れているという点ではやっぱり槍の方が良いだろ?」
「そうですね。兄さんの言う通りです」

 軽く前後に突きを入れて、鷹也は満足した表情で全く同じ台詞を繰り返し、槍を足元に置いた。

「申之介、自分の分は持ってきておるか?」
「当然だぜ、爺さん」

 そう言って申之介が取り出したのは大小の刀。日本の伝統から言えばこちらの方が普通だが、同じ長さの大刀を用いる大神一族の二刀流から見れば異端の組み合わせだ。

「良かろう」

 だが、虎太郎の性格からすれば、型に拘ったりするはずも無く(例えそれが一族の秘伝であろうとも)、臨戦の心構えを孫が見せたことに深く頷いたのだった。

「さて。面子も揃った事じゃし、段取りに入ろうかの……」

 虎太郎の声に全員が円になって座る。
 男達だけでなく、美鶴と千鳥まで交えた、悪企みの相談が始まった……

◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 東京湾に夕日が沈もうとしていた。
 ミカサ記念公園から見る夕日は対岸の半島の影が霞んで陸地と水平線と区別がつかない、朧な境界に沈む。
 黄昏時、逢魔ヶ時。
 この世界と異界の境界が最もあやふやになる時間。
 全てが影と薄明の中でぼうっと霞んで見える刻(とき)。
 まして、この日のように、霧が立ち込めてきては。
 現代の蒸気文明の恩恵が厚い大都市は、蒸気機関が排出する大量の蒸気で季節を問わず霧が発生しやすくなっている。
 だから、ミカサ公園に霧が流れ込んできても、誰も不審には思わなかった。
 視界を遮ってしまう濃い霧ではなく、薄っすらと視界を霞ませる程度のものだったから、尚更、気にする者はいなかった。
 その霧は何の霊気も妖気も含んでいなかった。
 だから、密かに警備に当たっていた、月組の水の術者、風使いも、異常を嗅ぎつける事は出来なかった。

 霧の中に笛の音が流れる。
 横笛や縦笛ではなく、フルートの音色だ。
 哀愁の漂う静かな曲調。でありながら、心をざわつかせる、心の奥に秘めた原始的な衝動を揺さぶるような音色。
 誰が、何処で、何の為に。
 そんな、当然抱いて然るべき疑問も思い浮かばず、ミカサ公園に集った人々はその音色に聞き惚れた。
 陸軍の警備兵も、特戦研の技術者も、帝撃の秘密工作員達も。
 それが起こるまでの、短い間。

 重々しい蒸気機関の始動音。
 人々の注意が笛の音から蒸気機関の立てる騒音に移った時には、既にそれらは動き出していた。
 誰も、何の操作もしていないにも関わらず。
 三十体にものぼる、従機兵が、一斉に。

 

続く

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