帝都 騒然 ――心優しき反逆者の一族――

〜〜 第12話 〜〜


 ミカサ公園の象徴である空中戦艦ミカサの艦首部分。
 その巨大な鋼の塔の半ばに、丁度テラスのような形で突き出している吸気孔の風防。
 その上に佇む一つの人影。
 黄昏時の海風になびく黒いマント。マントの下は黒の燕尾服。その下はレースで飾られた真っ白なドレスシャツ。
 頭の上には黒いシルクハット。黒光りする丸いつばの下には目の部分を覆う黒い仮面。
 仮面舞踏会に参列する紳士のような装い。
 顔の上半分を覆われていても、一目でそれと分かる端整な顔立ち。
 細い頤(おとがい)、柔らかな頬の線、赤い唇。
 タキシードの胸を押し上げている豊かな曲線を見なくても、その人影が男装の麗人であると分かる。
 薄い霧のたなびく地上を見下ろし、真鍮色のフルートを形の良い紅唇に近づける。
 マウスピースに唇を添える直前、彼女は小さく呟いた。

「機械の檻に囚われた哀れな魂たち。
 念(おも)いを示しなさい。
 あるがままの念いを。
 そうしたら、あなたたちを解き放ってあげるわ。
 滅びという名の解放を、あなたたちに与えてあげる…」

 彼女は静かで哀愁の漂う、それでありながら心の奥底に秘められた衝動を揺さぶるような旋律を奏で始めた……

◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 突如動き始めた従機兵に、ミカサ公園は大混乱に陥っていた。
 自律行動型兵器といっても、従機兵は命令を与えなければ動かないように作られている。自律型、というのはあくまで、一つ一つの行動を操作しなくても与えられた命令に沿って最適の行動を判断し実行できる、という意味でしかない。
 それが、何の命令も与えていないのに、休眠状態から勝手に起動して勝手に動き出したのである。ただ動き出しただけでも、関係者をパニックに陥れるには十分だった。
 従機兵はいきなり暴れだしたわけではない。最初はただ、歩き回り始めただけだった。一体一体バラバラに、全く組織性というものなしに。
 しかし命令も無く動き出したものが、命令も無く攻撃を開始しないという保証は無い。味方、つまり、自分たち相手に攻撃を仕掛けないという保証も。
 錯綜する怒号の中、警備に当たっていた陸軍の将校は特戦研の技術者に対応を求めた。
 これは当然の判断で、短絡的に攻撃を開始しない辺りは、それなりの人材を陸軍も用意したという事だろう。
 それに対して――特戦研の対応はお世辞にも上出来とは言えなかった。
 彼らはまず、従機兵を機械的に強制停止させようとした。
 遠隔操作で蒸気機関を停止させる安全装置を作動させようとしたのである。
 不手際とまでは言えない。このような場合の為の、安全装置であろうから。
 だが、待機状態から暴走を始めたのであればともかく、完全に停止した状態から、言い換えれば、強制停止させられた後の状態から、従機兵は暴走を始めたのだ。通常の遠隔操作が効かないのは予測してしかるべきである。
 そして、強制停止信号を与えられた従機兵は、それまでの「おとなしい」行動から一変して、激しい反応を示した。
 同士討ちを始めたのだ。
 停止せよ、という命令を、同型機を停止させよ、という命令に読み違えたかのように。
 従機兵は機動性を重視した白兵戦用機体。従機兵同士の戦闘は当然、肉弾戦(?)になる。全高は成人男性とそれ程違いが無いとはいえ、重金属の塊である従機兵の重量は、操縦席という空間が無い分、霊子甲冑と大して変わりが無い。
 それが三十体も入り乱れぶつかり合っているのだ。しかも、各機体に備わった霊子力場は自らの、つまり従機兵の攻撃に耐える十分な強度を備えている。その結果、自らの「晴れ舞台」を破壊し、「付き添い」の技術者や警備兵を巻き込む大乱戦を繰り広げることになったのだ。
 しかし、この段階ではまだ、当事者達にとっては一大事であっても大局的に見ればそれ程深刻な事態では無かった。暴走している従機兵は同士討ちの果てに、やがてはお互いを破壊し、あるいは動力が尽きるか機体の骨格が戦闘に耐えられなくなり停止しただろう。
 特戦研も陸軍も、従機兵を放置して避難すれば良かったのだ。
 だが彼らは、そうしなかった。
 特戦研は自らの組織延命の為に、陸軍の兵士は命令に縛られて=正しい命令が下されなかった為に。
 彼らはあくまで、従機兵をコントロールしようとした。
 三十の従機兵と共に持ち込まれた三台の超大型トレーラー。その荷台に三人の若い将校が走る。
 特戦研の技術士官、その中で、機動兵器の試験運転を担当するパイロット達だ。
 荷台の後方扉が開き、ごついスロープが地面に伸びる。
 パイロットが貨物室の中に駆け込んでおよそ一分後、重低音の咆哮が轟いた。
 無限軌道の軋む独特の騒音と共に、人型蒸気がスロープを伝って降りてきた。スター・改と同型の、無限軌道で走行するタイプだ。上半身の人型部分は背が低く、その代わり前後に厚みがある。蒸気機関とは別に背負う巨大な円筒は、霊子核機関と霊子演算機。
 米田に対して、特戦研の岩井少佐は、従機兵の機能は自動護衛機であると説明した。だが、護衛に特化した機動兵器等というものは非合理で不経済な代物である。高い移動能力が与えられているからには、前線で、能動的な攻撃に使用する事が考えられて当然だ。この場合、前線の戦況に応じて、言い換えれば前線を見ながら命令を与える管制用の機体、指揮官機が必要となる。
 従機兵を前線で指揮する為の機体、それがこの将機兵だ。特戦研はこの混乱を、将機兵の管制機能によって収拾しようと図ったのである。
 結果論だが――これが致命的な判断ミスとなった。
 彼らは霊子科学・霊子技術の専門家ではあっても、魔の本質については無知だった。
 魔がどのようなものであり、人間にとって如何に脅威であるか、余りにも無知だった。
 ここがミカサ公園であり、降魔の発生源である大和の、聖魔城の一部であるという事を余りにも軽く考え過ぎていた。
 従機兵の制御機構には蠱毒の魔術が使用されている。呪文・魔術儀式を用いたものであろうと機械技術的な手段を用いたものであろうと、因果の本質は変わらない。
 従機兵と集中制御用演算機は魔術によって形成された霊的回路を通して交信する仕組だ。霊的に接続された演算機には、従機兵の側から常に「魔」の力が流れ込んでくる。将機兵=制御演算機の仕組上、この流入を止める手立ては無い。その逆もまた、常に生じる。演算機に、将機兵に蓄積された魔の力は従機兵に流入する。
 蠱毒の呪法によって増幅され封じ込められた怨念が、魔の力となって従機兵と将機兵の間を循環する。そしてこの地には、底知れない怨念が蓄積され封じられている。降魔という名の怨念が。
 絶叫が通信回線を駆け抜けた。
 将機兵に乗り込んだパイロットが放ったものだった。
 それは、断末魔の悲鳴。
 魂が侵食される恐怖と絶望の叫び。
 同時に、従機兵が咆哮を放った。
 スピーカーなど装備されていないのに、である。
 従機兵の装甲は、魔の干渉を撥ね退けるシルスウス鋼だ。
 だが、内部機構まで全てがシルスウス鋼で作られている訳ではない。
 そして、頭脳部分には生体組織が用いられている。
 その頭脳部分を納めた頭部から、変貌が始まった。
 口など持たないはずの頭部に、大きな裂け目が出来る。
 開いた裂け目にズラリと並ぶ鋼の牙。
 蜘蛛の目の様に横二列に並んだ光学センサーが不気味な光を放つ。
 両腕の先端につけられた三叉の刃がグニャリと曲がった。
 まるで、鍵爪のように。
 関節部、装甲の隙間から粘性の高い液体が滴り落ちる。
 オイルではない。
 生々しい異臭を放っている。
 生物的な特徴を加えた従機兵は生物的な動作で左右を見回し、
 警備の兵士へ襲い掛かった!

 一体何が起こったのか。
 魔を知る者ならば、事態は明らかだ。
 従機兵に魔が取り憑いたのである。
 降魔が、従機兵と融合を果たしたのだ!

◇◆◇◆◇◆◇◆◇

「あら……ちょっと予想外ですね」

 「テラス」で、のほほんと呟く若い女性の声。

「だが、大義名分としては十分じゃないかな? こっちの方が」

 その背後に突如出現した長身の人影。

「そうですね。それに、この程度の雑魚相手に一郎さんが手を焼くとも思えないし」

 仮面の紳士に仮装した美鶴は、背後の修蔵に向かって、とも、独り言、ともとれる口調でそう呟いた。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 大帝国劇場に警報が鳴り響く。
 いつも通り素早く参集した大神以下花組九名を前にして、米田は不機嫌を丸出しにしていた。

「大神…お前の言う通りになっちまったぜ」

 それだけで事態の半分を理解した大神だったが、他の八人の為、詳細な説明を待った。

「本日1659、ミカサ記念公園に搬入された従機兵三十機が突如暴走を開始。
 十分後、降魔と融合。
 現在、警備に当たっていた陸軍と交戦中よ」
「降魔ですって!?」
「降魔が出現したのですか!?」

 問い返す声には戦慄が含まれていた。
 当然だろう。彼女達は降魔の脅威を身をもって知っている。おそらく、現在生ある人々の中では、米田に次いで。

「でもかえではん、従機兵と融合ってどないな意味ですか?
 降魔兵器みたいに、降魔の組織が組み込まれとったっちゅうことかいな!?」
「確実な事は分からないわ。でも、状況から判断する限り、降魔が従機兵に憑依した、と考えるべきでしょうね」
「降魔が機械に取り憑いただってぇ!?」
「そんなことできるの!?」
「あり得ない事じゃない。無機物が妖怪に変化した事例も数多く伝えられている」
「デモ、それは単なる昔話でしょー?」
「いや、織姫くん。太正2年までは、降魔も単なる昔話と考えられていた。古い言い伝えだからと言って、真実を含んでいないとは言えない。
 それに、魔が兵器に憑依し、変形変質させてしまう事があっても不思議は無いと俺は思う。人間の体を変化させられて機械を変化させられないという理屈は無いからね」

 落ち着いた声で意見を述べる大神の、その発言に含まれた恐るべき可能性に、米田、かえでを含めた全員が黙り込んでしまう。

「……大神はん、それってつまり……光武が魔に取っ憑かれる事もあり得るっちゅう意味ですか……?」
「いや、光武は魔に対抗する為に作られた兵器だ。それに、光武には俺達の霊気が染み込んでいる。正義と平和を願う俺達の想いが宿っている光武が魔に奪われる事は無いと思うよ」
「…逆に言えば、魔に対抗する措置を講じていない兵器は、魔に奪われてしまう可能性があるということ?」
「極端に言えば、その通りだと思います。聖魔城や武蔵のような濃密な妖気の中では、通常兵器が魔に憑依される可能性を否定できません」
「聖魔城や武蔵の中ならば、ですか…」
「そうだ、マリア。魔が現実世界に直接影響を与える事など、そうそう起こりうる現象ではないと俺は思う。
 今回のケースは特別です。従機兵には元々、魔の要素が組み込まれていました。それが何かの拍子に解放され、降魔を招き寄せる事になったのでしょう」

 前半はマリアに、後半はかえでに答えた言葉だ。

「…いずれにせよ、不完全とはいえ降魔が出現した以上、花組の出番だ。
 対岸へ続く橋は月組に封鎖させているが、長くはもたんだろう」
「…まだ撤退が完了していないのですか?」
「健気にも、命懸けで上陸を阻止するんだとよ!」

 呆れ声が抑えきれない大神の問いに、米田が答を吐き捨てる。
 部下に撤退命令を出さない陸軍の現場指揮官に米田は本気で怒っているようだった。

「…そんな訳で、橋を落とす事もできねえ。
 大神! 何としても、従機兵をミカサ公園内で殲滅するんだ!」
「了解しました!」

 ピシッと敬礼で答え、大神はくるりと振り返った。
 かつてのように。
 いつものように。

「帝国華撃団、出撃せよ! 目標、ミカサ公園!」
「了解!!」

 いつもの通り、応えが返された。
 全幅の信頼を込めた、応えが。
 彼女達の表情に迷いは無かった。
 ただ一人を除いて。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 浅草支部からミカサ公園まで。上昇・下降・加速・減速まで入れて僅か十分程度の道のりだが、それでも無駄な体力の消耗を避ける為、霊子甲冑のパイロットは機体から降りて船内で過ごす。
 艦橋で作戦会議が行われる以外は、翔鯨丸内の行動は原則自由となっている。
 (新)ミカサと違ってそれ程広い船内ではないが(それでも、通常の飛行船に比べればずっと広い)、各隊員はそれぞれお気に入りの場所があって、思い思いの場所で戦闘前の一時を静かに過ごす。
 大神のお気に入りの場所は、眼下を一望できる窓のついた、外壁沿いの廊下だった。
 そしてそれは、さくらお気に入りの場所でもあった。

「さくらくん」
「あっ、大神さん…
 ………」

 精彩の無い瞳で――それはさくらには珍しい事だった――外を眺めていたさくらは、大神の声に振り向くと、口を半ば開き、目に逡巡をたたえながら、何事か言い掛けたが、結局そのまま口を閉ざし、沈んだ顔で俯いてしまう。

「…三年前も、こうして東京湾に向かったね」

 さくらの様子がおかしいのは、出撃前の作戦指令室から、否、出撃の召集がかかる前の、二人で過ごしていた時から気がついていた。
 そんなさくらに大神は、二人が記憶を共有する、あの時の事を語り始めた。

「あの時は、俺が窓の外を見ていて、さくらくんが声をかけてくれて…」

 さくらは声を失い目を丸くして大神を凝視していた。
 まさか大神があの時の事を自分から話題にするとは、思っても見なかったからだ。
 それは彼女にとって、帝国華撃団にとって、最も辛い戦いだった。
 最も勝算が低かったというだけでなく、一番、心が痛い戦いだった。
 京極に操られた父との戦いよりも、心が痛い戦いだった。
 父とは違って、彼女は戦いの直前まで、自分達と一緒に暮らしていたから。
 同じ時を共有する仲間だったから。
 多分、大神にとっては、自分以上に辛い思い出のはずだ。
 さくらは今でも、大神が彼女に対して特別な感情を持っていたと思っている。
 彼女の事が好きだったのだと今でも思っている。
 その事を思うと、今でも胸が痛む。
 嫉妬が無い、と言えば嘘になる。
 だがさくら自身の事よりも、大神が可哀想だった。
 大神は、それでも、戦わなければならなかったから。
 例え相手が彼女であっても、立ち止まる事は許されなかったから。
 もしかしたら大神の背負っている運命は、「破邪の宿命(さだめ)」なんかよりもっと、ずっと重いのかもしれない。
 彼は、平和を守る為に、自分の命を犠牲にする事さえ許されない。
 彼は、平和を守る為に、勝つ事を義務づけられている。
 相手が誰であろうと、戦って、勝つ事を。
 多分あの戦いは、そういう彼自身の運命と、彼が初めて正面から向き合った戦いだった。
 それは、辛い記憶のはずだ。
 それなのに。
 あの時の事を語り始めた大神の瞳は、引き込まれそうなくらい、優しかった。
 否、「くらい」ではなく、事実さくらは、彼の眼差しに引き込まれていた。

「…さくらくんが、俺の事を励ましてくれた」
「………」
「多分、あの時だと思う」
「えっ…?」
「君が、俺にとって、何よりも大切な存在になったのは」
「お…お、がみ、さん……」

 息が詰まった。
 息が出来なくなった。
 ただ彼を見詰める以外に、何も出来なくなった。

「ただ好きなだけじゃない。愛しいだけじゃない。何よりも君が大切なのだと…
 君をこの手に抱きしめても、口づけを交わしても、そんな、形だけでは、全然足りないのだと…
 自分の本当の気持ちに気づくまで、随分時間がかかってしまった。もしその間に、君の心が誰か別の男性に向いていたら、と思うと、今でも冷たい汗が止まらなくなるよ」

 フッ、と大神が笑った。それは自嘲の笑いではなく、穏やかで優しい笑みだった。

「そんなことありません!」

 意識するより先に言葉が出た。伝えなければならない事を伝える為に、呼吸が回復した。
 伝えたい事を伝える為に、動かなくなった身体が動き出した。

「そんなこと絶対にありません!
 あたし、ずっと大神さんのことを見てました。大神さんのことだけを見てました。ずっと大神さんのことが好きでした。
 これまでも、これからも、あたしはずっと、大神さんのことだけ、好きです」

 最後は上手く舌が回らなくなってしまった。幾ら言葉を重ねても、伝えたい事の万分の一も伝わらない気がして、焦ってしまって。

「さくらくん、去年のクリスマスに約束したよね。俺はずっと、君と一緒だって。
 俺はずっと、君の傍にいる。君の苦しみ、悩み、悲しみを、少しでも軽くしてあげたいと思う。少しでも分かち合い引き受けてあげたいと思う。
 だから、悩んでいる事があったら、苦しい事があったら、俺に打ち明けてくれないか」

 さくらの瞳がじわっと潤んだ。
 大神は、いつものように慌てたりはしなかった。

「……はい」

 瞳を潤ませたまま、笑顔で頷くさくら。
 大神もまた、笑顔で頷いた。
 それから、ちょっと雰囲気を変えた、悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「これって、爺さん達の悪企みだよね?」
「えっ?」
「この騒ぎは、爺さん達が起こしているんじゃないのかい?
 さくらくんはそれを聞いてしまって、ずっと気にしていたんだろう?」
「えっ、いえ、あたしはそんなにはっきり聞いた訳じゃなくて、ただ豹馬さんがいらっしゃった時、何か計画されているみたいな事を仰られて、それで美鶴さんに訊いたら『良い事』だって……」
「やっぱりそうか…」

 しどろもどろと答えるさくらに、呆れ顔を隠しもせず大神は深々と溜息を吐いた。

「全く…さくらくんをこんなに悩ませるなんて言語道断だな。きついお仕置きをくれてやらないと…」
「お、大神さんっ! あたしは別に、そんな、ですから…!」

 剣呑な台詞を、到底冗談とは思えない口調で呟く大神を、さくらは慌てて止めようとした。
 自分が原因で親子喧嘩になったりしたら、それこそさくらは立場が無い。

「大丈夫。さくらくんが気にする事は無いから」
「ですけど…」
「今回の事もね」
「えっ?」
「今回の事件は、今日起こらなくてもいずれ起こった事だし、俺も従機兵を放っておくつもりは無かったからね。
 やり方は強引だけど、爺さん達はいいきっかけを作ってくれた」
「あの、大神さん?」
「だからさくらくんも、全然気にする必要ないんだよ?」

 大神の笑顔は、爽やかと言い切ってしまうにはどこか悪戯小僧のような罪の無い邪気が垣間見えて、大神もやっぱりあの人たちの家族だったんだなぁ、と、さくらは今更のように思ってしまった。
 既に、彼女の抱えていた屈託は、何処かへ消え去っていた。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 東京湾に浮かぶ小さな島。
 小さな、と言っても銀座の町全体より広い。
 艦首部だけとはいえ、あのミカサを突き立てて尚余裕のある大きさだ。
 ミカサ記念公園。
 かつての聖魔城の一部。
 公園といってもきれいに整地されただけの単なる空き地だ。
 第一次、第二次降魔戦争の犠牲者を弔う慰霊碑を立てようという計画もあったが、霊的な観点から退けられた。
 ミカサ公園の真の意味を考えれば、慰霊碑は逆に怨霊碑となりかねないからだ。
 だが、帝都の中心にこれほど近い、これほど広大な空き地を一切使用せず放置するのはもったいなさ過ぎるので、時々臨時の催し物が行われていた。
 それは大規模なパレードだったり展示会だったりする。二桁のサーカスが同時公演を競った事もある。
 今回も、華々しい式典のため大袈裟に飾られた仮設物が、突貫工事で多数設置されていたはずだが、今はもう見る影も無かった。
 翔鯨丸の捉えた映像が光武・改の操縦席にも回されている。
 大神を含めて、花組の九人は既に愛機へ搭乗を済ませていた。

『大神さん、降下ハッチを開きます』
「了解」

 艦橋からの通信に大神が短く応えると同時に、進行方向に対して後方に設けられた翔鯨丸格納庫の扉がゆっくり開かれた。既に速度は十分落とされており、急激な気流の進入で霊子甲冑が体勢を乱すことも無い。
 光武・改の操縦席モニターに降下地点が点滅表示される。地上の映像は、降魔と融合した従機兵と不気味な力場を放射している将機兵(であった物)に埋め尽くされた感があった。

「従機兵の運動速度はかなりの高速です。タイミングを合わせないと、着地の瞬間を狙われる恐れがあります」
『大神さん、翔鯨丸で砲撃を加えますか?』

 通信機を通じたマリア、かすみの進言に、大神は首を横に振った。

「根拠は無いが、砲撃はまずい気がする」

 他の者が言ったのでは到底受け容れられるはずの無い根拠の無い台詞も、大神の言葉ならば、また、相手が彼女たちならば、何の疑問も無く受け容れられる。

「また、タイミングを合わせると言っても余り時間を掛けてはいられない。
 まず俺が降下し、着陸ポイントを確保する。マリア、紅蘭、織姫くんは俺が出た後、三十秒の間隔をおいて降下し、空中から援護射撃を加えてくれ。
 残りの者は三人に続いて順次降下だ。行くぞ!」
「了解!」

 独り先行する事にも、危険です、という当然の反論すらなかった。
 大神は、それが当然のように、単独で空中に躍り出した。
 降下地点は敵影の無い空白地帯、では無かった。
 既に魔の性質が機械の知性より勝っているのか、隊列を成さず群れを成している従機兵の鼻先に大神機は降下して行った。
 知性の代りに闘争の本能が機能しているのか、着陸地点を囲むように従機兵が移動する。
 マリアが懸念した通りに。
 落下する白銀の機体。
 空力制動は、かからない。
 ありえないことだが、出撃直後に故障が発生したのだろうか?
 翔鯨丸艦橋で大神機をモニターしていたかえで達がヒヤッとした瞬間。
 それが全くの考え違いであることがわかった。

狼虎滅却!

 雄叫びが轟く。
 それは通信回線を通じて、というより思念波として、彼女達の意識に響いた。

古今無双!!

 白銀の機体が煌く雷電を纏う。
 降下する勢いを殺さぬまま、むしろ、自由落下よりも勢い良く宙を翔け降りる大神の光武・改。
 跳びかかって来た従機兵を跡形も無く粉砕し、地面に弾けた雷光の束で降下地点を囲んでいた敵機をまとめて炎上させる。
 その徹底した破壊の力に心無き魔も恐れを成したのか、戦場に空白の時間が訪れる。
 それは長くても二、三秒の事だった。
 だが、マリアたちが空中で体勢を整えるのに十分な空白だった。
 パラシュートを開き降下速度を殺した三機の砲撃用機体から銃弾が、榴弾が、光弾が降り注ぐ。
 後退する従機兵。
 マリア達が着地したとき、そこには四体の霊子甲冑で作られた四角形のエリアが形成されていた。
 その中へ、次々と降り立つ五つの機体。
 即座に隊列が再編される。
 白銀の機体を頂点に、桜色の機体と真紅の機体がそれに続き、紫の機体と深青の機体、その間に金色の機体、というように。
 誰が指示することも無く、彼女達は自然に大神を頂点とする陣形を作り上げた。
 そして。

帝国華撃団、参上!!

 勇ましい名乗りが戦場に轟いた。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 緒戦を制した花組だったが、その後は苦戦を強いられていた。
 損害は無い。
 従機兵に憑依した降魔は、魔の干渉を撥ね退ける性質を持つシルスウス鋼の装甲の所為で、従機兵の元々のサイズ以上に成長することを阻まれていた。内側を守るはずの装甲で、拘束を受けているのは皮肉と言えよう。
 大型降魔に比べて半分強の大きさにしか成長できない降魔=従機兵は、それに見合う妖力しか発揮できない。それでは、大型降魔や降魔兵器の攻撃力に遠く及ばない。体内に抱える霊子核機関は彼らを招き寄せた細い通路から地下の怨念を絶え間なく汲み上げていたが、それを攻撃力に転化する器が彼らには無かった。機械の動力も、大型降魔とのギャップを埋めるには至らない。
 その代わり、人型蒸気専門家を驚嘆させたスピードは生きていた。生物の滑らかさが加わったことで、運動能力が一層高まっていた。
 つまり、捕捉出来ないのである。
 攻撃が当たらない。
 織姫の広範囲砲撃も、マリアの精密射撃も、ほとんど回避されてしまう。レニのリーチやさくらの太刀行きの速さを以ってしても、直撃は難しかった。
 単なる運動速度だけではなかった。
 整然とした「規律」は感じられなかったが、各個体の運動には予測計算のようなものがあった。
 帝撃側の攻撃を読んでいるように、的確な回避行動を行う。
 大神の指揮が敵の攻撃を無力化してきたように。
 そして、徹底的なヒット・アンド・アウェイで光武・改に小さなダメージを重ねて行く。
 唯一、降魔=従機兵の胴体を捕えることが出来たのは、敵を上回る「読み」を持っている大神の機体だけだが、三機が撃破されたところで敵機は大神機へ仕掛けてこなくなった。
 追撃戦では単純な足の速さが物を言う。
 戦況は一進一退となっていた。

『大神くん』

 敵の残存数は将機兵を合わせて、まだ二十を越える。左右に視線を走らせ、打開策を探していた大神に、翔鯨丸のかえでから通信が入った。

『従機兵と将機兵の間に活発な霊子波通信が観測されているわ。
 どうやら、従機兵は将機兵から予測演算結果を受け取って、花組の攻撃を回避しているようね』
「了解しました。
 全員、先に将機兵を叩く!」
「了解!」
「全機停止、円陣を組め。俺とさくらくん、すみれくん、カンナ、レニが外円、マリア、紅蘭、織姫くんが内円、アイリスが中心だ」
「了解!」

 大神の命令は前進と停止を同時に命じるようなものだった。
 だが、混乱する者は誰一人いなかった。
 少なくとも戦場においては、帝撃・花組として出動している間は、大神の命令が絶対なのだ。
 階級によってではなく、信頼によって。
 楔形の突撃陣が瞬く間に円形の防御陣へ姿を変える。
 その周りを取り囲む降魔=従機兵。

「右前方の『将機兵』へ向かって微速前進。
 決して陣形を崩すな!」
「了解!」

 先頭の大神機に従って、ゆっくり歩き出す八機の光武・改。ある機体は後ろ向きに、ある機体は蟹歩きで。アイリス機ですら、「ジャンプ」せずに足で歩いている。
 降魔=従機兵の間に戸惑いが広がる。知性の無い下級降魔や感情を持たない機械が戸惑うというのも変な話だが、確かに意思決定の停滞が生じていた。
 花組が前進し、進行方向に相対する降魔=従機兵が後退する。但し、それは最前列の個体ほど大きく、後列に位置する個体は後退の度合いが少ない。
 その結果、将機兵との直線上に、敵機の密集状態が作り出された。

「さくらくん!」
「はいっ!」

 細かい指示は不要だ。ただそれだけで通じ合う。

破邪剣征・桜花爛漫!!

 鋭く振りぬかれた刃から衝撃波が放たれる。
 期せずして密集隊形となった降魔=従機兵に、自由な回避行動は不可能だ。
 全ての魔性を切り裂く清浄な霊気の奔流が将機兵との直線上に位置する降魔=従機兵を貫通し、将機兵の装甲を砕いた。

「すみれくん!」
「お任せください!」

 ただそれだけで通じ合う。さくらだけでなく、全員と。

神崎風塵流・不死鳥の舞!!

 衝撃波の直撃を免れた敵機の集団を高周波の霊波動、浄化の炎が呑み込んだ。
 一気に三分の一が行動不能に陥った降魔=従機兵は花組の円陣へ左右後方から一斉に襲い掛かった。
 同心円は中心に近づくに従って円周が短くなる。円の中心に向かって一斉に前進すれば、左右の間隔は狭くなる。降魔=従機兵は一見、連携が取れているかに思える一斉攻撃で、最大の優位点であった回避能力に自ら枷をはめる結果となった。
 銃弾が、榴弾が、光弾が降魔=従機兵を捉える。
 正拳突きが、ランスの一撃が砲撃を潜り抜けてきた敵機に止めを刺す。
 念力の波動が援護する。
 太刀、長刀が側方から切り込む。
 個々の戦闘力の差は、数の差を大きく凌駕していた。
 膠着が破れ、大勢は決した。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇

「やっぱり、助太刀なんて必要なかったようですね」

 例の「テラス」の上から地上の様子を眺めながら、淡々と呟く仮面、男装の美女。
 男装で、仮面をつけていても、美女と分かる美貌の主。こんな格好でこんな場所に立っているなんて相当変だが、その美しさは認めざるを得ないだろう。
 正体は、勿論、美鶴である。

「そうとも限らんぞ」

 そう応えたのは修蔵ではなかった。
 第三の人影が塔――ミカサの中から現れる。
 小柄な人影は、既にお分かりのことと思うが、美鶴や一郎の祖父、虎太郎である。

「あのずんぐりむっくりした奴、中々興味深い波動を放っておるわい。
 あれは、化けるかもしれぬぞ」

 虎太郎の指し示す先を美鶴、修蔵、二人の目が追いかける。
 さくらの放った衝撃波に装甲を砕かれた将機兵。
 その剥き出しになった鋼の骨格を、青黒い組織が覆いつつあった。

 

続く

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