帝都 騒然 ――心優しき反逆者の一族――

〜〜 第14話 〜〜


 カンナが、すみれが、捨て身の突撃を敢行しようとした瞬間。
 頭上に、強大な霊力が発生した。
 思わず足を止めた七人は見た。
 彼女たちは聞いた。
 閃光の中から、この場にいないはずの人の声を。

狼虎滅却!

 雷光が空の一点に生じた。
 空といっても、実際には10メートルもあるまい。
 だから余計に、自然にはありえない現象だった。

九天勅下(きゅうてんちょっか)!!

 雷光は真っ直ぐに宙を翔け降りた。
 従機兵の頭上へ、回避不能の速度で。
 それは人の姿をとった雷(いかづち)だった。
 否、雷光を全身に纏った人間だった。
 手槍と呼ばれる短い槍を従機兵の頭部へ猛然と突き立てる。
 激しく飛び散る雷光。
 槍を突き立てられた機体は全身から閃光を撒き散らして倒れた。
 飛び散った雷光は周りにいた従機兵を巻き込み、薄い煙を上げさせている。

「マリアさん、今です!」

 軽やかに地面を蹴った青年は、生身とは到底信じられぬ跳躍力でその場を離れた。
 マリアは彼を知っていた。
 だが、それを考えるのは後回しだ。
 第二の本能となった戦士の心構えが、敵機の隙を見逃さなかった。

「そこっ!」

 雷光を浴びて運動機能を麻痺させた従機兵はマリアの放つ銃弾に為す術も無く撃ち斃された。

「鷹也、さん?」

 呆然としたすみれの声が通信機越しに聞こえる。
 大神の声と思ったのは勘違いだった。
 だが、勘違いしても仕方の無い、同じ言葉、似通った声質。
 そうだ、あれは間違いなく、大神の従弟、大神鷹也。
 だが、あの好青年が、あの激烈な技を揮ったというのか?

「すみれ、ボサッとすんな!」

 途中で足を止めたとはいえ、カンナとすみれは既に突出していた状態にあった。
 そのすみれ機に生じた隙。それを見逃さず、隊列を組んで襲い掛かる従機兵。
 援護は間に合わないタイミングだ。すみれは咄嗟に長刀を立てて、防御に全霊力を回した。迫り来る衝撃に備える。
 だが、従機兵と接触するはずの一瞬前に、巨大な人影が紫の機体の前に立ちはだかった。
 否、逆だ。
 巨人は紫の光武・改へ襲い掛かろうとする従機兵の前へ立ちはだかったのだ。

狼虎滅却!

 目の前の巨人が更に巨大化したように、すみれの目には見えた。
 巨人は、恐ろしく長大な刀を大上段に振りかぶっていた。

捲土重雷(けんどちょうらい)!!

 霊力の塊が従機兵に叩きつけられた。
 巨大な雷球の形をとった霊力は従機兵を真っ平らに叩き潰し、更に地面を擂り鉢状に抉って四散した。
 抉れた地面から飛び散る砂礫は雷を纏う散弾となって後続の従機兵を貫く。

「撃てェ!」

 その人影の重々しい怒号に操られたかのように、紅蘭が誘導弾を発射する。砂礫の散弾に撃たれ雷撃に侵された従機兵は紅蘭の砲撃から逃れられなかった。

「親父さん…か?」

 半信半疑の呟きはカンナの口から漏れていた。
 すみれは激しく瞬きしていた。
 あれほど巨大に見えた目の前の人影が、今は普通の背の高さに「縮んで」いた。
 それは間違いなく、大神の父親、大神熊作だった。

狼虎滅却!

 闇の中で、またしても烈しい気合が発せられた。
 レニの左側面だ。
 その声の周りで、空気が帯電したように彼女には見えた。

風刃雷舞(ふうじんらいぶ)!!

 素早く目を向けたその先では、逞しい体つきの青年が大小の刀を打ち合わせながら体を旋回させていた。
 大刀を小刀の上で滑らせる。
 大小の刀が光を帯びる。
 烈しく弾ける雷の光だ。
 雷光は旋回する刃が作り出す風に乗って撒き散らされる。
 青年が跳び退った後には、点滅する光の欠片が全身に突き刺さり動きを止めた従機兵の集団が残されていた。

「織姫、左!」
「わかってまーす!」

 光弾が雷光の嵐に襲われた従機兵の群れを貫く。

「レニ、後ろぉ!!」

 アイリスの悲鳴が戦場に響く。
 見知らぬ援軍の技の威力に思わず気を取られてしまったレニの背後から、霊子甲冑最大の弱点である背面の蒸気機関めがけて従機兵の切っ先が伸びる。
 だが、火薬で打ち出されるその穂先よりも速く、閃光がレニ機の背後を駆け抜けた。

狼虎滅却!

 それは耳で聞いた声ではなく、思念の雄叫びだったかもしれない。

電光裂火(でんこうれっか)!!

 レニに襲い掛かろうとしていた従機兵は完全に動きを止めていた。
 その胴体部左側面と丸い頭部の左後方が鮮やかに斬り裂かれ、全身から火花を飛び散らせていた。
 アイリスの声に振り向き、援護射撃の態勢に入りながら間に合わない事を悟り歯を噛み締めていたマリアは、その青年が何をしたか辛うじて捉えていた。
 その青年は霊子甲冑も及ばぬ、従機兵も凌駕する速度ですれ違いざま、左の一刀を従機兵の後頭部(?)に叩き込み、その刃を引く反動で更に加速し、右の刃で従機兵の胴を薙いだのだ。
 寒気がする程の技の切れ味。一体この人たちは何なのだろう。
 無論、理性は認識している。この人たちは間違いなく大神の縁者だ。そして、自分たちの味方だ。
 だが、余りに唐突な出現と、霊子甲冑にも匹敵する程の攻撃力に実感が湧かないのだ。有体に言えば、度肝を抜かれていたのである。
 確かに、生身で降魔を斃した人たちもいる。他ならぬ帝国華撃団総司令米田一基とその仲間である対降魔部隊。彼らの技は霊子甲冑にも見劣りしなかったはずだ。
 それに、霊子甲冑は「甲冑」と名づけられている通り、操縦者の身体を守る事を主眼に作られている。霊子機関は霊力を現象に変換する装置であり、例えば闘仙武術の様なもので霊力を攻撃力に転化する技に長けている者ならば、攻撃力は生身でも霊子甲冑に乗っていてもそれほど変わらないはずだ。
 最初に花組の隊長を務め、今も隊長代行の地位にあるマリアは、その程度の理屈なら知っていた。だが理屈で知っているのと、目の当たりにするのとでは精神が受ける衝撃の度合いが違う。

狼虎滅却・快刀乱麻!!

 また一体、従機兵が破壊される。二本の大刀を振るった主は先日から帝劇に宿泊している小柄な老人だ。

「マリア殿、儂らがこやつらを撹乱する故、あなた方が止めを刺されよ。
 流石に、全開状態を続けるのはしんどいのでな」

 それは本音だったのか、それともマリアたちが受けた衝撃を慮ってのものだったのか。
 だがいずれにせよ、この一言でマリアたちは平常心を回復した。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 五つの人影が戦場を駆け巡る。
 従機兵の頭上から襲い掛かる鷹也。
 閃光と化して駆け抜ける豹馬。
 変幻自在の動きで幻惑する申之介。
 虎太郎と熊作も若い三人ほど派手ではないが、無駄のない身のこなしで敵の攻撃を許さず、確実にダメージを与えている。
 一撃で従機兵を破壊する事は少ないが、霊子力場に守られているはずのシルスウス鋼の装甲を木か皮の鎧の様に斬り裂いていく。
 彼らの動きに迷いはない。
 僅かの躊躇も、恐怖もない。
 興奮で恐怖を紛らせている様子もない。
 彼らも生身であるからには、従機兵の攻撃が当たれば血も流すだろうし死ぬ事だってあるはずだ。
 だが彼らはそのスリルをすら、楽しんでいるようにも見えた。
 笑っている訳ではない。
 だが、表情が活き活きしていた。
 解き放たれた野生の獣…彼らの姿からは、そんな趣が感じられた。

 彼らの介入により戦況は一変した。
 従機兵の連携が完全に崩れていた。
 彼らの技がいくら超人的であるとはいえ、客観的に見れば霊子甲冑を凌駕している訳ではない。
 スピードも、豹馬を除けば機械の目で捕捉出来ない程ではない。
 だが、生身の人間がこれほど高い攻撃力を示し、これほど高速で移動し、これほど自在に空中を飛び回るなど――それは既に、跳躍ではなく飛行だった――演算機に与えられたデータに反していた。
 瞬間移動や空中浮遊(レビテーション)ではなかった事が余計に演算機の混乱を招いていた。
 従機兵の連携はその行動を束ねる大型演算機の予測演算によって成り立っていた。バランサーの能力が不十分で慣性を殺し切れない従機兵が花組の攻撃を躱し得たのは、予測演算能力の高さに依るもの。
 その演算を狂わせる、規格外の存在の介入。それが、従機兵の連携が混乱している理由だった。
 大型霊子演算機もついていけない、「常識」に逆らう「規格外」の者たち。
 彼らに予測演算を狂わされた従機兵は、花組の攻撃を躱せなくなっていた。
 従機兵の全滅は、時間の問題となっていた。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 大神とさくらは加山以下月組の精鋭に先導されて研究棟の廊下を、階段を、地下深くへ進んでいた。
 エレベーターは使わない。そんな無用心な人間は、ここには一人もいなかった。
 警備兵には度々遭遇したが、大神たちが手を下すまでもなく月組の手によって排除された。と言っても、殺した訳ではない。今回の相手は帝劇を襲った太正維新軍とは違い、明確な叛乱の意志を持っている訳ではないからだ。
 従機兵、あるいはそれに準じる霊子兵器の迎撃を受けるかとも案じられたが、どうやら作戦通り、正面から突入した花組の方へ引き付けられているようだ。
 長い階段を駆け下りる加山。彼の部下は、背後から押し寄せる特戦研の警備兵を防ぎ止めている。おそらく彼らも生化学的な強化措置を受けているのだろう。殺さずに撃退する事は、精鋭揃いの月組にも難しかった。
 自律行動型兵器の抵抗を予想して霊子機械に対する攻撃力の強い火の術者と雷の術者で隊を構成したのも裏目に出た。幻術の術者は――術者と言うのは語弊があるが――加山だけだった。そして加山には二人を案内するという役割があった。
 今や二人を先導するのは加山のみ。そして彼に続く二人の腰のホルスターには、それぞれ二振りの刀が差されいた。
 大神の腰には神刀滅却と光刀無形。
 さくらの腰には霊剣荒鷹と神剣白羽鳥。
 普段から二刀を使う大神はともかく、一刀流を修め二本の刀を左右に差す事など無いさくらは少し走り難そうだ。
 ただでさえ女性の身で、しかもそのようなハンディを負いながら、加山と大神の健脚に遅れる事無く最下層に到達したのは、忙しい女優稼業の合間にも剣の修行を欠かさない節制の賜物だろう。
 兎にも角にも、三人は無事特戦研の最下層に辿り着いた。
 そこは広いホールになっていた。
 何処と無く赤坂の、日本橋の地下を連想させる空気が漂っている。
 中央に鎮座する巨大な機械が、従機兵を制御する大型霊子演算機。もしかしたら帝撃の演算機を上回る規模かもしれない。
 ただでさえ霊子演算機は膨大なエネルギーを必要とする。これだけ巨大な演算機にエネルギーを供給しているのは、その背後に見える霊子核機関だろう。これもまた、ミカサ以外ではお目にかかった事の無い大規模な動力炉だ。
 そして思った通り、演算機と各機関は強力な霊子力場に覆われていた。

「さくらくん」
「ええ、大神さん」

 二人は頷き合い、両腰の霊刀を次々に抜き放つ。
 両手に握る二剣二刀は、しっくりした手ごたえを返してきた。
 四振りの刀が既に、二人を主と認めている証拠だろう。
 例え普段米田の手にあり、かえでの手にあっても、二剣二刀の儀を行えるのは――自分たちを使いこなせるのはこの二人だけなのだから。
 二人はそれぞれ二本の刀を眼前で交差させ、儀に必要な水準へ気勢を高める態勢に入った。
 だが、二人はそれを中断せざるを得なかった。
 壁を震わせる轟音と床を震わせる振動が、中断を余儀なくした。

「大神!」

 加山に警告されるまでもなく、二人は振り向いていた。
 四機の従機兵を従えて彼らの方へ歩いて来る将機兵へ。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 加山たちが通った道とは別のルートを進む二つの人影があった。
 一人はライフルを抱え、マフィアお抱えの殺し屋のような黒いスーツを纏った長身の男性。
 もう一人は同じ黒ずくめの洋装でも、タキシードに黒マント、黒のシルクハットという探偵小説に出てくる怪盗のような出で立ち(流石に仮面はもうつけていない)。

「ところで美鶴」
「何です、修蔵さん」

 猛スピードで階段を駆け下りながら、少しも息を切らさず言葉を交わす二人は、言うまでも無く大神の姉夫婦、修蔵と美鶴である。

「その格好、気に入ったのかい?」
「ええ♪ 似合いません?」
「いや、似合ってるよ。とても格好良い」
「あら、ありがとうございます。お土産にもらっていこうかしら」
「一郎君にお願いしてみたら?
 舞台衣装が一着だけって事は無いだろうから。
 でも、その程度のものだったら俺が買ってあげるけど?」
「まあ、楽しみにしていますね♪」

 とことん緊張感の無い会話だ。
 だが、二人の身のこなしには一部の隙も無い。
 無駄によろめいたり足音を立てたりなどせず、二人は大神たち三人に遅れること僅かで最下層に到着した。
 そして、将機兵と対峙する三人を見た。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇

「加山、さくらくんを頼む!」
「分かった!」
「大神さんっ!」

 大神の決断は速かった。
 彼は一番近い位置に立つ従機兵へ斬りつけた。

狼虎滅却・快刀乱麻!!

 将機兵の大口径砲は、確かに高い威力が予想される。霊子甲冑でもダメージは避けられないだろう。生身ではひとたまりもあるまい。
 だが、このように限定された空間では従機兵のスピードの方が脅威だ。特戦研の人間であればこの部屋の機器を破壊したくないはずだから余計に、まず排除すべきは従機兵の方となる。

破邪剣征・桜花放神!!

 加山の背中に庇われていたはずのさくらが、いつの間にか白羽鳥を鞘に収め、両手で荒鷹を振り下ろしていた。
 清浄な霊気の衝撃波がまた一体の従機兵を破壊する。
 残り二機。
 次の相手へ大神が斬り込もうとした瞬間、背後からもう一機が襲い掛かってきた。
 跳躍して躱す大神を追いかける機銃弾。
 この将機兵には対人用の小型火器も取り付けられていたのだ。
 大きく距離をとり、二本の霊刀を交差させ、霊力の防壁を作り出す大神。
 銃弾は霊子の壁に空しく撥ね返される。
 従機兵が将機兵の前に並ぶ。
 大神の元へさくらが駆け寄る。
 加山がその前に立とうとするのを大神が押し止める。
 向かい合う三体の戦闘機械と三人の戦士。

『お前さえいなければ…!』

 従機兵のスピーカーから聞こえてきたのは、岩井少佐の声だった。

『お前さえいなければ!
 従機兵は帝国軍の主力兵器として採用され、僕たちもようやく能力に相応しい評価を受けることになっていたのに!』
「大神を相手に望んだのはお前たちの方だぞ」

 冷静に指摘したのは加山だ。
 だが、その正しい指摘を受け容れる悟性が岩井に残っていたかどうか、極めて疑わしかった。
 岩井の口調は奇妙に子供っぽく、また狂気を孕んでいた。

『五月蝿い!
 そもそも人間の操縦する人型蒸気が演算機で制御される従機兵のスピードについてこれるはずが無いんだ! まともな人間なら、刀だけで従機兵を破壊できるはずは無い!
 化け物め! お前たちのような化け物の所為で…!
 そうとも、そもそもお前たちのような化け物が、京極様の邪魔さえしなければ、今頃は…!』
「陸軍技術少佐・岩井五郎!」

 偏執的な岩井の糾弾――世迷い言を、大神の凛とした声が遮った。

「今の言葉、お前が京極の叛乱行為に加担していた証拠と見做す!
 大人しく投降すれば良し、さもなくば逆賊としてこの場で処刑する!」
『黙れ黙れ! 逆賊だと!? お前たちの方こそ、京極様の理想を理解せずこの国を蝕む愚か者だ!』
(そうだ、我々の方が正しかった。真に国を憂えていたのは我々の方だ)

 それは声ではなかった。
 全員の意識に響いたのは一つに束ねられた複数の思念波だった。

『う、うわーっ!』

 大神は、さくらは、加山は見た。
 黒い思念の渦が、将機兵の霊子核機関へ吸い込まれていくのを。
 だが、ミカサ公園で見た悪夢は繰り返されなかった。
 鳴り響いた銃声が悪夢を断ち切った。
 将機兵の操縦席に撃ち込まれた一発の弾丸。
 霊子障壁に守られているはずの将機兵の、装甲の隙間から操縦席を貫いた徹甲弾。
 大神たちにも弾丸の軌跡が見えた訳ではない。
 火花を散らす装甲の隙間、突如途切れたパイロットの思念、停止した将機兵から狙撃の事実を推測しただけだ。
 そして奇妙なことに、大神にも加山にもその銃弾の気配を感じ取れなかった。
 二人が銃弾を躱すことが出来るのは、超人的な視力で音速を超えるちっぽけな弾丸を捉えているからではない。
 銃弾の纏う気配――射手の殺気、銃弾それ自体が発する「気」、そういったものを捉えているのだ。
 この世界の存在は、全て「気」を纏っている。
 石ころや土くれにも「気配」がある。
 火や衝撃波といった質量を持たないエネルギーも「気配」を持っている。
 物理的なエネルギーでない霊力で銃弾や炎を防ぐ事が出来るのも、実はこの「気配」に反応し、「気配」を伴う「現象」の侵入を阻んでいるからに他ならない。
 その「気配」が今の銃弾には無かった。
 だからこそ、将機兵の霊子障壁を全く無抵抗に貫く事が出来たのだろう。
 その事実に気づき、衝撃に立ち尽くしてしまった加山を尻目に、大神は次の行動を起こした。

狼虎滅却・三刃成虎!!

 並んだまま動かない二機の従機兵に向かって、二本の刃を突き出す。
 シルスウス鋼の装甲を貫いた神刀滅却と光刀無形は、従機兵を内部から灼き尽くした。
 大神が逸早く立ち直ったのは、彼の精神が加山より強靭であったから、ではない。
 彼はこんな事が出来る射手を一人だけ知っていた。

「やあ、片付いたね」
「修蔵さん」

 キリュウ・ザ・モータル・ショットの異名は、マリアに教わるまで知らなかった。だが大神は、別の名を知っていた。
 修蔵の使う脅威の技、「虚無の弾丸」。
 弾丸から全ての気配を消し去り、物理的には確かに存在するにも関らず、霊的には存在しなくしてしまう、「気」の防壁を無効化する技。霊力を武器に込める通常の霊撃とは逆の、「負の霊撃」とも呼べる恐るべき技術。

「まだですよ、修蔵さん」
「姉さんまで……どうしたんだい、その格好?」

 加山もさくらも、新たな闖入者を呆気に取られた顔で見詰めている。……主に、美鶴の衣装に気を取られているのだと思われるが、それも無理のない事だった。
 これは「ドクロX」の衣装ではないか。

「ああ、これ? 動き易そうだったんで衣裳部屋から貸していただいたの」
「…誰に、貸してもらったんだ?」
「今はそんな事を気にしている場合じゃないでしょう?
 まだ、あれを片付けるというお仕事が残っていますよ」

 そう言って、形の良い指で霊子演算機を指差す美鶴。
 確かに彼女の言う通りだが、誤魔化されたという感は否めない。
 それに、一旦糸の切れた緊張をすぐに取り戻すのは難しかった。

「そんな事を気にしている場合じゃないって言っているでしょう?
 あれを御覧なさい」

 もう一度、美鶴の指差す方へ目を凝らす。
 途切れた緊張は、特に苦労することも無く、否応無しに戻ってきた。
 今まで以上の緊張を強いられるものが、そこには見えていた。

「あれは…怨霊?」

 加山が慄然と呟いたように、霊子演算機の前には黒い、人の形をした靄が――怨霊の影が渦巻いていた。

「大神さん、あれを見て!」
「…天笠、少佐か…?」

 さくらが悲鳴と共に指差した顔、大神を絶句させかけた姿。
 それは確かに、あの天笠少佐の面影を残していた。

「まさか、この霊子演算機は……」
「死霊が宿っているみたいね。
 確か従機兵とかも死んだ犬の脳細胞を使っていたんでしょう?」
「人間の…処刑された太正維新軍の死体を使ったのか……?」

 淡々とした美鶴の指摘に、大神はそのおぞましい事実を悟らぬ訳にはいかなかった。

「志を同じくした者同士、死して尚護国の礎とならん、というところじゃないかな?」

 皮肉っぽい修蔵の言葉にも、今は怒りが湧かなかった。
 怒りは、この残酷な暴挙そのものへ向けられていた。

「ここからでも中の機械を壊す事は出来るけど、それではあいつらを解放しかねない。
 浄化するか、消滅させるか、どっちかしかないよ?」
「言われるまでもありません!
 さくらくん、二剣二刀の儀をやるぞ!!」
「はいっ!!」

 大神の強い意志が込められた言葉に、さくらもまだ顔色こそ蒼褪めていたが、力強く頷いた。

「そう、浄化を選ぶのね。
 それが一郎さんの決定なら……」

 美鶴の言葉に首を捻ったのは加山だ。
 何か、妙な含みを感じる口調だった。
 だが大神とさくらの二人は、既に退魔浄化の儀式に精神を集中していた。

神行・霊鳥・無形・荒清!!

 二人の掲げる四振りの刀に、地の、水の、火の、風の、この世界を構成する諸々の力が集ってくる。
 最早、「試し」はない。
 二剣二刀は一つになった二人の意志のままに、一切の魔を浄化する刃となる。

いやああぁぁぁぁぁぁ!!
せりゃあぁぁぁぁぁぁ!!

 二人は全霊を込めた気合と共に四本の刃を振り抜いた。
 四つの刃の軌跡から四つの光が生まれ、一瞬で眩い白光に成って霊子演算機の防御力場に激突する。
 激しい光の中で、障壁と黒い靄は消え去った。

「やったな、大神!」
「いえ、まだよ」

 加山の賞賛を否定する美鶴。

「核となった意志は、まだ生きているわ!」

 彼女の叫びに呼応したかのように、演算機前面パネルの中央で、縦横1.5メートル前後の四角形のカバーが外れた。
 その中には、水中で無数のコードでつながれた一人の軍人が椅子に腰掛けていた。
 水槽に沈められ、機械にはめ込まれた壮年の軍人。
 液体の中であるにも関らず、その男はきちんと軍服を着せられていた。
 たゆたう長い髪の下に見える大将の階級章。
 忘れようとしても忘れられない顔。

「京極慶吾!」

 悲鳴のように叫んだのはさくらだった。

「そんな…何故!?」
「違う、さくらくん! あれは京極じゃない!」
「ああ、大神の言う通りです。あれは、京極の影武者でしょう」

 そう、京極は間違いなく武蔵で斃した。大神が京極と融合した新皇を両断したところに、さくらも立ち会っていた。彼女も、大神と一緒に新皇を滅ぼしたのだ。
 もう一度、水槽の中の人影を見る。確かに、帝撃で、王子で、武蔵で相対した京極に比べ「格」のようなものが不足している。影武者ならば外見が瓜二つなのも納得できる。
 しかし、その光景がおぞましく衝撃的であることに変わりは無かった。
 それは死体ではなかった。
 分かりたくなくても分かってしまう。
 確かに、命ある者の息吹が、鼓動が、命の波動が感じられるのだ。

「!?」
「そんな!?」

 大神が無言の、さくらが短い驚愕の声を発した。
 影武者の前に、再び黒い靄が渦巻き始めたのだ。
 怨霊が復活している。
 二剣二刀の儀が、成功したにも関らず!

「浄化できるのは遺された『念』のみよ。生きている人間の『意志』を浄化するなんて、例え二剣二刀の儀を使ったって出来ないわ。
 そして人間の『意志』は、例えそれが自分以外から強制されたものであっても、『念』や『魔』を呼び寄せたり呼び戻したりする事が出来る。魔をこの世界に招くのは、常に人間の意志なのだから」
「くっ……」
「一郎さん、どうするの? もう一度、念を浄化する? それとも、意志を消滅させる?」

 言葉を失った大神に、落ち着いた口調で問いかける美鶴。
 静かな口調でありながら、それはとても重大な問い掛けに感じられて、さくらも加山も口を挿む事が出来ない。

 怨(お)怨ォォォォォォ……!!

「きゃあぁぁぁぁぁ!!」

 怨念が吠えた。
 突如、さくらが頭を抱えてうずくまる。

「さくらくん、どうした!?」
「さくらさん、これをつけて!」

 慌てて駆け寄る大神と美鶴。
 弟に対していた時と違って、美鶴は狼狽を隠そうともしていない。
 マントの影から取り出した物を、大急ぎでさくらの頭に被せる。

「あ……、大神さん、美鶴さん……」
「良かった…効き目があったようね」

 さくらの頭には霊水晶が鏤(ちりば)められた黄金の冠が被せられていた。千鳥がさくらに送ったあの宝冠だ。

「一郎さん、見て御覧なさい。あたしたちが思っていた以上に、あれは厄介な代物よ」
「あれは…霊水晶? あの光は……」

 美鶴の指し示す例の水槽の頂点部分。影武者の頭上に点る光。

「あれは…魔神器!?」
「馬鹿な! 魔神器は大神が砕いた! その欠片も海軍・陸軍・近衛軍に分けて厳重に保管されているは…ず…」

 否定する台詞の途中で、加山は気づいた。もちろん、大神も、美鶴も、事実を悟っていた。

「陸軍が保管していた魔神器の欠片が…特戦研の手に渡っていたというのか…?」
「あるいは、盗み出したのか、ね。そんなの、どちらでもいいことだわ。
 問題はあれに魔神器の欠片が使われ、生き人形と怨霊に力を与えているということ。
 そして魔神器の波動は、破邪の力を刺激し、場合によっては強制的に引き出す場合があるという事よ。
 今はまだ、『泰精宝冠(たいせいほうかん)』の力が効いている。これは破邪の術者が魔神器を使えないようにする為に、破邪の力を使えなくする為にあたしたちの一族が作った呪法具。
 でも、完全じゃなかったわ。完全な状態の魔神器の力を遮る事は出来なかったし、欠片だけでも何時まで持ちこたえられるか分からない……」
「かといって、あの機械を無闇に破壊しては霊子核機関まで爆発させてしまう恐れがあるんだろう?
 あるいは、あの怨霊を開放し、新たな魔物を招き寄せる結果になるかもしれない」

 修蔵の指摘した事は、大神にも加山にも分かっていた。だから二人は、苦しんでいるさくらを前にして手をこまねいているのだ。

「仕方ないわね…それに、良い機会だわ。
 一郎さん、良いわね?
 覚悟を決めてちょうだい」
「…分かった。頼むよ、姉さん」

 真剣な眼差しで頷きあう姉弟。
 恐ろしい緊張感が二人の間に生じて、他者の介入を拒む。
 問い掛けも、制止も。

「…大神家当主、大神美鶴の名において」

 厳かな宣言。だが、大神家当主とは? 桐生美鶴、ではなく、大神美鶴、とは?
 その疑問を持ち続ける事は、さくらにも加山にも出来なかった。
 次の瞬間放たれた言葉、解き放たれた力の所為で。

「天狼の解放を許可します」
狼虎滅却!!

 美鶴の言葉に続いて大神の口から放たれた声は、単なる気合でも呪言でもあり得なかった。
 それは天に轟き大地を揺るがす巨獣の咆哮の如く響いた。

天狼・転生!!!

 大神の全身が白銀の光を放つ。
 彼の身体は閃光と化して宙を翔けた。
 神刀滅却も光刀無形も、本来の色ではなく白銀の光に染まっている。
 不思議と、狼の幻影は現れなかった。
 天狼転化と似ていながら、確かに違う、遥かに巨大な力。
 余りの眩さに、その光の中で大神が何をしたのか、全く分からなかった。
 ただ結果だけが分かった。
 影武者は、水槽ごと、魔神器の欠片ごと、跡形も無く消滅していた。
 怨霊は痕跡も無く消し去られていた。
 霊子演算機は完全に沈黙していた。
 そして、霊子核機関のエネルギーまでが消え去っていた。

「…任務完了だ。さくらくん、お疲れ様」

 そして二本の足で床に立ち、光に霞んでいない確かな輪郭を持ち、さくらに微笑みかける大神は、いつもの大神だった。

「大神さんっ!」

 ドンッ、と大神に抱きつくさくら。困惑した表情を浮かべながらも、大神はさくらの気が済むまで、彼女を胸の中に支えていた。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 その時、既に地上では戦闘が終わっていた。
 マリアたちには訊きたい事が山ほどあったが、何から質問して良いのか分からず、結局虎太郎たちに短い礼を告げる事しか出来ていなかった。
 いい加減、虎太郎たちが何故ここにいるのかだけでも訊き出そうとした時だった。
 突如、地面の下に巨大な力が生じた。
 その直後、莫大なエネルギーが消失した。
 真っ暗な穴の中に引き込まれていくような錯覚さえ伴う喪失感を彼女たちは感じていた。
 何か、霊的なエネルギーが一瞬にして消し去られたのだ。
 相殺ではない。霊力で妖力を打ち消す、そんな消え方ではなかった。
 巨大な獣に喰らわれ、呑み込まれた、そんな消え方だった。

「天狼を使ったか…」
「暴走はしていないようだな」
「流石は一郎従兄さん。お見事です」
「天狼を完全に制御するなんて、流石は一郎従兄さんですね!」
「フンッ、やるじゃねえか」

 マリアたちには意味不明の言葉を並べる大神家の面々。だがその顔には、共通して賞賛の色が浮かんでいた。

 

続く

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