帝都 騒然 ――心優しき反逆者の一族――

〜〜 エピローグ 〜〜


 帝都に嵐のような騒動を巻き起こして、大神家の人々は去って行った。
 何事も無かったように。
 実際、彼らが今回の騒動に関わったという記録は公式にも非公式にも一切残っていない。
 従機兵を狂わせた笛の音も、特戦研を襲撃した謎の一団も、完全に無かった事になっていた。
 北へ向かう汽車の中。
 奥日光の自宅に戻る父母、祖父とは別に、美鶴は仙台を目指していた。
 彼女の隣には修蔵、そしてその向かい側には、何故か、大神とさくらの姿があった。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 その日の朝のことである。
 両親と祖父と従弟を送り出し、さくらと一緒に姉夫婦の見送りに出た大神に、美鶴の非難が浴びせられた。

「一郎さん、貴方、手ぶらで行くつもり?」
「はっ?」

 勿論、大神はどこにも行くつもりは無かったので、姉の言葉は全く理解できなかった。

「さくらさんはご実家に帰るのだから特に何もいらないでしょうけど、貴方はそうはいかないでしょう。せめて、着替えくらい用意しないと」
「えっ?、さくらくんの実家?」

 何がなんだか訳が分からず婚約者に助けを求める大神だが、返って来たのは同じような困惑顔だった。

「…姉さん、いったい何の事だか分からないんだけど…」
「一郎さん、貴方、寝惚けているの?
 あたしたちがさくらさんのご実家へご挨拶に行くのに、貴方たちがついて来なくてはお話にならないでしょう?」
「……姉さんがさくらくんのご実家へ?
 そんな話は聞いていないけど……」

 ここで美鶴は、ハッとした顔になった。

「姉さん……その話、俺もさくらくんも、聞かせてもらってないよね…?」

 婚約者譲りの(?)ジト目を向けてくる弟から、美鶴はさり気無く視線を外した。

「…そ、そうね。今回は色々あったから、もしかしたら言ってなかったかもしれないわね」

 だがいつまでも知らん顔を出来るはずも無い。
 出来るだけのさり気無さを装って、美鶴は白々しい口調で答えた。

「姉さん……」
「ま、まあ、長い人生こういう事もあるわよ。
 じゃあ一郎さん、そういう訳だからすぐにお支度してちょうだい。
 軍人さんですもの、10分もあれば充分よね?
 さくらさんも、申し訳ないんですけどすぐにお支度していただけますか?」

 この姉の「非常識さ」には十二分に慣れているはずの大神であったが、この言い草には仰天してしまった。

「姉さん!?
 俺だってさくらくんだって、仕事があるんだよ! そんな、今日の今日すぐにって言われたって…」
一郎さん! 貴方、何て事を仰るんですか!!

 自分は極々常識的な事を言ったはずだ。
 それなのに何故自分が叱り飛ばされなければならないのか、理解できない大神であったが、姉の余りの剣幕に反論の言葉を失ってしまった。

「妻を迎えるという事は一家を構えるという事、家族を作るという事ですよ!
 結婚より大切なお仕事なんてありません!!
 人として最も大切なお仕事を果たせないようなら、軍人さんなんて辞めておしまいなさい!! 一郎さんの働き口くらい、姉さんがいくらでも探してきてあげます!!」
「………」
「大神、行ってこいや」

 絶句した大神に助け舟を出したのは何時の間にか背後に立っていた米田だった。

「閣下、しかし……」
「構わねえよ。好きなだけ、休暇をやる。お前はそれだけの仕事をしたんだ。
 それに、お前に辞められると、みんなが困っちまうんでな。
 行ってこい、大神」
「さすがは米田閣下、一郎さん、良い上官をお持ちになって、貴方、幸せね。
 じゃあ、急いで用意してきてね。汽車の時間まで、あまり余裕はないから」
「……用意してきます!」

 自棄気味に二階へ駆け上がる大神に、さくらが慌てて続いた。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 という訳で、仙台はさくらの実家である。
 汽車の中ではずっと仏頂面だった大神も、婚約者の実家となればそうはいかない。
 迎えに出たさくらの母、若菜と尋常な挨拶を交わし、姉夫婦を紹介した。
 ――意外な事に、今日の訪問はちゃんと話が通っていた。

「……ちゃんとお約束を頂いていたんだね……」
「当たり前でしょ! 大神家として真宮寺家にご挨拶に伺うんです、お約束も無くお邪魔するなんて失礼な真似をするはずがないじゃありませんか」
「………」

 大神としては言いたい事が千も万もあったが、婚約者の実家で見苦しい姉弟喧嘩を見せる訳にはいかない。
 沈黙を守って、姉の後ろに腰を下ろした。

「真宮寺家当主、桂でございます」

 若菜に連れられて、さくらの祖母、桂が上座に姿を見せる。

「大神家当主、大神美鶴でございます」
「美鶴の夫、桐生修蔵です」

 そして姉夫婦が、知らない者にとっては不思議に思うか、さもなくばからかわれていると思うに違いない挨拶を返した。

「念のためご説明申し上げます。
 大神家は養子を迎えるに当たり、夫に大神姓を強制しないしきたりになっております。大神を名乗るのも、元の姓を名乗るのも、婿入りする者の選択に任せるのがわたくしどものしきたりです。
 そして大神家の当主は、男女を問わず長子が結婚と同時に相続する決まりになっております。
 ですからわたくしも表向きは桐生美鶴を名乗っておりますが、正式には大神美鶴、大神家の当主です」
「ご丁寧にいたみいります」

 美鶴と若菜が、優雅さを競うようなお辞儀を交わす。

「本日は真宮寺家の跡取でいらっしゃるお嬢様と、我が弟にして大神一族の宗主たる一郎の婚姻により生じる問題について、ご提案があってまいりました」
「姉さん?」

 大神はびっくりしてしまった。
 彼は、姉の口振りから、今日は単なる挨拶に訪れたのだと考えていたのである。

「御用の向きについてはお手紙を拝見致しております。
 ただ、一つお尋ねしてもよろしいでしょうか?」

 柔和ながらも毅然とした態度で、若菜が質問を投げかける。

「大神一族宗主、とは、どのようなお立場なのでしょう? 一族の祭事を司られるお立場という事でしょうか? 失礼ながら、そのようなお立場と当主とを別々の方が務められるというのは、正直申しまして良く理解できないのですが」
「ご不審はごもっともです。大神一族以外の方にはお分かりになり難いでしょう。
 端的に申し上げれば、『大神一郎』の名を継ぐ者は大神一族を代表する者であり一族全体の指導者であり目標でなければならないのです。一族の宿願を成就すべく、全身全霊を以って修行に打ち込むべき者、それが『大神一郎』です」
「一族の宿願、ですか…?」
「それについてはお嬢様からお聞きください。しきたりにより、家族となる者以外に直接申し上げる事は出来ません。
 それよりも、この婚姻に関わる重大な問題について、お話させていただきたいと存じ上げるのですけど」
「真宮寺家の跡取、の件ですね」
「はい。
 本来であれば、大神家には既にわたくしという跡目がおり、真宮寺家にはお嬢様しかいらっしゃらないのですから、弟を真宮寺家に差し上げるのが筋というものでしょう。
 ですが、『大神一郎』は大神一族にとって象徴とも言える重要な存在であり、しかも単なる血縁で代替出来る立場ではありません。
 大神家としては、弟を養子に差し上げる事は出来ないのです」

 きっぱりと言い切る美鶴の言い草は、真宮寺家に喧嘩を売っているようなものだ。
 跡取を無くすか、結婚をやめるか、と言っているのに等しいのだから。
 大神の隣に控えたさくらは当然そう受け取った。そして、最悪の事態を予想して、顔を蒼褪めさせていた。

「大神家はこの問題について、解決策をお持ちだとうかがっておりますが……」
「はい。
 残念ですが、弟を養子に差し上げる事は出来ません。お嬢様は、当家に嫁いでいただきます。
 その代わり、弟とお嬢様の間に生まれた子供を、真宮寺家の養子に差し上げます」

 大神とさくらにとっては、全く初耳の青天の霹靂だった。

「もちろん、養子に差し上げると申し上げましても、それは子供が成人した後です。二人の子供が成人するまでは大神家の子として育てます。その子が成人した暁には、真宮寺の姓を名乗らせてあげてください」

 だが、それほど大きなショックは感じなかった。家の存続を考えるならば、これは確かに一つの解決策だからだ。

「しかし、子供がお一人しか生まれなかった場合は?
 真宮寺家は残念ながら、子供が少ない家系です。私も結局、子供はさくら一人しか授かりませんでした」

 対する若菜の反論も、もっともなものだった。

「構いません」

 だが、ここから先が普通とは異なる部分だった。

「大神家は、わたくしの子が継ぎます。大神一族にとって重要なのは『大神一郎』の名を継ぐ者。弟の子供が大神姓で無くなったところで、わたくしどもは何とも思いません。
 その子がどのような名前になろうと、わたくしにとっては可愛い甥、あるいは姪であり、わたくしの父母にとっては可愛い孫である事に変わりはないのですから」
「…『大神一郎』というお名前は、大神家にとってそれ程までに重いものなのですね…」

 しみじみと呟いた若菜は、桂の口元へ耳を傾けた。

「分かりました。義母も、それで良いと申しております。真宮寺家は、弟様とさくらの間に生まれた子供に継がせる事と致しましょう」
「ご理解いただき、ありがとうございます。
 大神家は、真宮寺家の跡取として恥ずかしくないよう、一郎とお嬢様の子を立派に育てる事を誓います。
 但し」
「但し?」

 意味ありげに言葉を切った美鶴に対し、表面上は平静に若菜は訊ねた。

「二人の子供は、破邪の宿命(さだめ)を継ぐ者にはならないでしょう。
 破邪の血と、破邪の力は受け継ぐかもしれません。ですがその子が、破邪の宿命に身を委ねる事はありません。その子も、その子のその子も。
 何故なら、破邪の血の宿命は、この弟が終わらせるからです。弟は必ずや、大神一族の宿願を果たす、最初の『大神一郎』となります。そして、破邪の宿命に終止符を打ちます」

 それが美鶴の真に伝えたかった事、大神一族の、真宮寺家に対する婚姻の誓いだった。

[帝都騒然・完]

 

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