第拾五話 「闖入者」

written on 1997/6/18


 

 

 半分ずり落ちかけた掛け布団が、毛布からにゅっと出てきた手によって引

き上げられた。

 先ほどから何度も規則的に繰り返されている光景。

 しかし時を追う毎に布団がずり落ちる面積が大きくなり、8度目に伸ばさ

れた手は空を掴むしかなかった。

 まだ暖かさの残る布団は、床の上で完全に沈黙する。

 

 そして諦めの悪い手は何度かあたりを探っていたが、しばらくすると、床

に落ちた布団同様、力無く動きを止めた。

 

 ・

 

 ・

 

 ………もぞ

 

 ベッドに残った毛布の中から人影が身体を半分起こした。

 その緩慢な動きは明らかにまだ頭が寝ている証拠であったが、毛布をしっ

かりと肩まで引き上げて巻き付けているのは、慣れないこの寒さのせいか。

 

「さぶ………」

 

 碇シンジが始めて迎えた長野の朝は、予想以上に寒かった。

 

 

 シンジは毛布から身体を抜け出してベッドに腰掛けると、大きく伸びをし

た。

 自然と欠伸がでてきたが、それは寒気による身震いにより、中途半端に止

められてしまった。

 外はまだ少し薄暗く、締め切ったカーテンを通して外気の冷たさが伝わっ

てくる。

 

 シンジは、しばらく身体のあちこちを伸ばしたりして頭をはっきりさせた

後、ひんやりとしたフローリングの床を踏みしめ、ぺたぺたと端末の前まで

歩み寄った。

 ドイツとの時差は約8時間。

 アスカがいつも寝る前に送るメールがそろそろ届く時間だった。

 慣れた手つきで端末を立ち上げ、メールの確認を始める。

 

 アスカからのメールは2通あった。時間はほんの数分遅れ。

 一通目のメールを送った後に何かを思い出したのだろう。

 二通目は非常にサイズが小さかった。

 

 シンジはとりあえず一通目に目を通した。

 アスカのメールはシンジほど事細かに書かれているわけではなかったが、

その内容は常に明るくて元気がよく、まるで彼女が目の前でしゃべっている

かのような感覚を味わえた。

 だからシンジは、こうやって朝一番に彼女のメールを確認し、一日の始ま

りを気分良く迎えるのを習慣としていた。

 

 一通目は、いつものように、その日の行動や感じたことが書かれていたの

で、とりあえずざっと読み流すにとどめる。

 後からメールを返信するときに、またじっくり読み直すのだ。

 そして次に、気になっていた二通目を開いたシンジは、そこに書かれてい

た内容に思わず苦笑した。

 

『同居することになった女の子の写真を送りなさい。大至急!』

 

 あいかわらずだ―――と、こみ上げてくる嬉しさを噛みしめながら、シン

ジは返信のアイコンをクリックする。

 しばらくは直接顔を合わすことがない気軽さからか、少し悪戯を思いつい

たのだ。

 アスカの反応を思い浮かべながら、口元をゆがめて素早くキーを叩く。

 

『イ』

 

『ヤ』

 

『ダ』

 

 そして即座に送信。

 そこまで済ませるとシンジは端末をシャットダウンして、まだ解いてない

荷物からタオルを取り出すと、洗面所へ向かった。

 

 

        *        *        *

 

 

 シンジが朝食をとるために階下へ降りたときには、すでに雨佳が食事を済

ませて学校に出かけるところだった。

 アスカに送る2通目のメール―――1通目のメールを言い訳するような情

けない内容のメールを書いているうちに、食事の時間に少し遅れてしまった

のだ。

 冬服の制服に身を包んだ雨佳の姿に、シンジは懐かしそうな表情を浮かべ

て足を止めた。

 

 

 階段を下りるシンジの足音に気づいて、靴ひもを結んでいた雨佳は後ろを

振り返った。

 黒い長袖のシャツにジーンズというラフな格好で、シンジがじっとこっち

を見ていた。

 雨佳は慌てて靴ひもを結び終えると立ち上がった。

 そして、いつもの調子で『おはよっ』と明るく挨拶すべきか、『おはよう

ございます』としとやかに愛想を振りまくべきか、それとも『よく眠れまし

た?』とか『寒かったでしょ?』と気遣いの言葉をかけた方が良いのか思い

悩んでいるうちに、

 

「行ってらっしゃい」

 

 と、シンジがにこりと微笑みかけてきた。

 その瞬間、雨佳の頭は真っ白になる。

 

「あ、えっと、その―――」

 

 鞄を胸に抱えて、ぎこちなく頭を下げると、

 

「行って来ます!」

 

 雨佳は勢い良く玄関を出ていった。

 

 

 ―――元気いい子だな。

 

 くすっと笑って雨佳を見送ったシンジは、食事をとるために居間へ向かお

うと後ろを振り返った。

 ちょうど、一階の廊下の向こうから、己月が玄関に向かってとことこと歩

いてくるのが、目に入った。

 

「おは………Good morning」

 

「………」

 

 己月は、ぺこり、と無言で頭を下げると、すっとシンジの隣をすり抜けて

玄関へ向かう。

 

 頭をぼりぼりと掻いて振り返るシンジ。

 

 靴を履いて玄関を出ていこうとする己月に、大きな声で再び声をかける。

 

「行ってらっしゃい!」

 

 ドアを開けて出ていこうとしていた己月は、振り返るとまた無言で頭を下

げた。

 ウェーブのかかった薄茶色の髪が、朝日に煌めいて眩しく見えた。

 

 

        *        *        *

 

 

「香奈ッ。おっはよー!!」

 

 いつもの待ち合わせ場所である一本杉の下で座り込んでいた香奈が、雨佳

の声に頭を上げた。

 相変わらずの、ぽやんとした顔つき。

 朝も昼も夜も同じような表情なので、果たして眠いからなのかはさっぱり

わからない。

 

 小走りに駆け寄ってきた雨佳は、頬を上気させながら白い息を吐いた。

 

「なにしてたの?」

 

「蟻さんと遊んでたの」

 

「あ、蟻?」

 

 雨佳は不可解な表情で、香奈の足下に視線をやった。

 

 確かに蟻の行列がある。

 そして、その行列を邪魔するように並べられてるいくつもの小枝。

 蟻が障害物に気づいて方向を変える度に、追っかけて執念深く小枝を配置

していった様子が伺える。

 

 ―――じと

 

 思わず雨佳は香奈の顔を見た。

 

 ―――にこ

 

 香奈が屈託のない笑みを返す。

 

 その笑顔を見て雨佳は小さく溜息をついた。

 香奈の行動を理解するのはとうの昔に諦めていたので、この一連のやりと

りを頭から消去して、時間を少し戻すことにする。

 

「さーって、今日も元気にいきましょうかぁっ!!」

 

 雨佳の声に驚いて、小鳥が二、三羽、一本杉から飛び立った。

 顔をしかめた香奈が、わざとらしく耳をふさいで言う。

 

「朝から元気がいいね。あたしは昨日の長電話のせいで眠いのに……」

 

 にへら

 

 まるでそんな擬音が聞こえてくるような、妙な表情を浮かべる雨佳。

 

「朝から声かけられちゃった」

 

 香奈の嫌味など聞いちゃいない。

 

「昨日は見た目だけって言ってたじゃない。何かあったの?」

 

「べっつにー」

 

「え〜。嘘でしょお? なんかあったんだー」

 

「なんにもないないない。思ったより優しそうでさ。背も高いし、割といい

かもしんないなーって」

 

「ね、ね。あたしにも今度紹介してよ、その人」

 

「えー。うーん。まー、いいけどさー。タダってわけにはいかないわね。い

つものモンブランをおごってくれたら紹介してあげる―――」

 

 

 二人の少女が嬌声を上げながら、制服のスカートを秋風に舞わせて歩いて

いく。

 

 山肌の斜面を駆け下りる風は肌寒く、あたり一面の雑木林はすっかり秋の

匂いが深まっていた。

 

 

                          <拾六話に続く>



 暴走してます。エヴァではなくなりつつあります(^^;)

 次回は舞台が変わりましてアスカinドイツ編をお届けするつもりですが、

こちらもたぶん暴走します・・・



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