第弐拾壱話 「空と雲と彼女の気持ちと」

written on 1998/2/1


 

 

 最近なんかおかしいのよねぇ………

 

 今日も無言で朝食を作っているシンジの背中を見ながら、雨佳がひとりご

ちた。

 

 暗い顔で帰ってきたシンジを彼女が玄関先で出迎えたのは、シンジが友達

に会いに街に降りたあの日の夜のことであった。

 ほろ酔い気分で帰ってくるのかと思ったら、どこか焦点の定まらないよう

な沈んだ面もちで帰宅したシンジを見て、雨佳は面食らった。

 誰と会ってきたのか問い詰めようと用意していたセリフも、さすがに投げ

かけることが出来ず、『ただいま』と一言だけ残して階段を上がっていくシ

ンジの背中をじっと見つめることしかできなかった。

 

 その次の日からここ一週間ばかり、雨佳はシンジの明るい顔を見てなかっ

た。

 もちろんそれは雨佳だけではなく、達明や己月も同様であった。

 しかし、二人ともそんなシンジの様子を気にかける風でもなく、普段通り

に接するのを見て、雨佳は少し腹を立てていた。

 己月はそれが当たり前のことだとしても、気を使う立場であるべき達明に

何の変化も見られないのが不満だった。

 逆に、時々気の抜けたようにぼーっとしているシンジを叱り飛ばすことさ

えあった。

 

 なんにもわかってないんだから………

 

 雨佳は一人、自分が何とかしてあげなくてはという使命感に駆られていた。

 

「ね、碇さん」

 

 味噌汁の味をみているシンジの背中に向かって、雨佳は声をかけた。

 

「ん?」

 

 シンジは振り向かず答えた。

 味噌汁の味が不満なのか、ちょっと首を傾げたりしている。

 その態度に雨佳は頬を膨らませる。

 

「ねーってば!」

 

「どうしたの?」

 

 怪訝そうな顔をして、シンジが首をねじ向けた。

 雨佳はその顔をじーっと見つめながら、意を決したように口元を引き締め

ると、まじめな顔で言い放った。

 

「最近へんですよ」

 

「え? なにが?」

 

「怖い顔してること多いし、今だって前みたいに笑ってない」

 

「そんなことないって」

 

 雨佳には、シンジが慌てて笑顔を取り繕ったように見えた。

 

「そんなことあります」

 

「気のせい気のせい」

 

「そうですかぁ?」

 

「そうだよ」

 

 まるで自分に言い聞かせるようにシンジは呟くと、再び無言で朝食の準備

を始める。

 その背中に訝しげな視線を投げかけながら、雨佳はテーブルの上にひじを

ついた。

 

 絶対おかしい………

 

 けど、これ以上のことはここでは聞けないわよねー。

 

 己月が目を覚まして洗面所へ行く音を背中に聞きながら、雨佳は小さくた

め息を付いた。

 

 

        *        *        *

 

 

 やっぱりわかるのかなぁ………

 

 雨佳と己月の二人が家を出るのを見送った後、自分の部屋に戻ったシンジ

は身体をベッドに投げ出した。

 ぼんやりと天井を仰ぎ見ていると、またあの時のことが思い出されて心が

憂鬱になってくる。

 

 確かにアスカの言うことは正しい。

 

 正しいんだけど………

 

 シンジは、ごろりと身体を横に傾けると、枕をぎゅっと頭に押しつけた。

 

 

 事の発端は、例の優梨に会いに行った日に、帰宅してからかけたアスカへ

の電話だった。

 激しく落ち込んでいたシンジは、無性にアスカの声が聞きたくなったので、

彼女が仕事中であることを知りながら、携帯電話を手に取った。

 だが、1コール目で出てきたアスカの声は、シンジに話す暇さえ与えなか

った。

 小さく『ごめん。しばらく忙しくなるから電話しないで。仕事が終わった

らこっちからかけるから』と言い放って、その電話は唐突に切られてしまっ

た。

 

 そして、次の日、その次の日と、アスカには電話が繋がらなかった。

 毎日やりとりしていた電子メールを出す気にもなれず、数日後にようやく

アスカから電話がかかってきた時には、すっかりシンジの心は苛立っていた。

 

「へろぉ、シンジ!」

 

 妙に明るいアスカの声が、シンジの神経をさらに逆撫でした。

 この時アスカは長期の取材を成功裏に終えることができて上機嫌だったこ

とを、もちろんシンジは知らない。

 

「あたしの声が聞けなくて寂しかった?」

 

「………別に」

 

「な、なによ。怖い声しちゃって。どうしたの? 何回か電話かけてくれて

たみたいだけど、何かあったの?」

 

「もう、いい………」

 

「ったく、うじうじうじうじと湿っぽいわねぇ。言いたいことがあったら、

ハッキリ言いなさいよー」

 

「だったら、あのとき………!」

 

 ―――聞いてくれなかったのはアスカじゃないか!

 

 シンジは思わず声を荒立てた。

 アスカの言葉に何の気遣いも感じられなかったからだ。

 

「え? あのときって?」

 

 電話口の先でアスカが戸惑いの声を上げたのを聞いて、シンジは心の中で

何かが急に冷め始めるのを感じていた。

 

「もう、いいよ………」

 

「………あっ、あのときのこと?」

 

 アスカが思い出したように言うのを聞いても、シンジには言い訳じみた言

葉にしか聞こえなかった。そんな言葉をアスカからは聞きたくなかった。

 

「別にいいって。どうせアスカにはどーでもいいことだから」

 

「ちょっと待ってよ! そんなこと言われても、あたしだっていろいろある

のよ!? 忙しくて電話できないことだってあるし、家に帰っても疲れてそ

のまま寝ちゃいたいことだってあるし………」

 

「わかってる。全部わかってるって。アスカには僕より大切な仕事と家族が

あるんだろ?」

 

 今度はシンジの皮肉じみた口調がアスカに火を付けた。

 

「あのね。あんたいったい何様のつもり? あたしはあんたのモノじゃない

のよ! シンジのことは………ホントに大好きだけど、自分よりあんたが大

切だなんて言ったことなんてないわ。あたしにだって大切な生活があるし、

大事にしたい時間もあるの。シンジのことを全部優先するわけにはいかない

ことくらいわかるでしょう?」

 

「それは僕だって同じだよ! でも、アスカは、アスカは………。もう少し

自分のことを犠牲にしてくれてもいいじゃないか!」

 

「犠牲!? まさか、自分を犠牲にすることが愛してる証明になるなんて思

ってるワケじゃないでしょうね? はんっ。そんなの気持ち悪いわ」

 

 二人の会話はエスカレートする一方だった。

 まるで、お互いのことを理解しようとしていなかったあの頃のように。

 

「ったく、ふざけてんじゃないわよ。だったら自分に都合のいい女を見つけ

ればいいじゃない。あんたがして欲しいことをしてくれて、あんたが寂しい

ときに慰めてくれて、あんたが疲れてるときはそっとしてくれて。全部あん

たが望むまま、気持ちいいことだけしてくれる女の子を。おあいにく様。あ

たしはそんな女じゃございませんのよ」

 

 アスカは興奮気味に一気にしゃべり終えると、

 

「とにかく、何があったのかちゃんと言ってくれなきゃわかんないじゃない」

 

 最後は、悲鳴に近い声をあげた。

 

 シンジは何も答えられなかった。

 アスカの言葉を頭では理解出来ても、感情を制御できるほどには、シンジ

もまだ大人ではなかったのかもしれない。

 怒りで喚きだしたいのを堪えるので精一杯だった。

 

「わかった。それじゃハッキリ言うよ。今、話したい気分じゃないから、こ

の電話切るね。アスカも嫌だろ? そんな気分のヤツの声聞いたって」

 

「ちょ………!」

 

 シンジはアスカの返答を聞く前に電話を切った。

 それから数日の間、シンジは携帯電話の電源を切って、電子メールを開く

ことさえしなかった。

 

 その時は怒りでまともに頭が働かなかったが、一夜あけて冷静に考えてみ

るとアスカの言っていることはある意味確かに正しかった。

 だが、それを全面的に認めて自分の非を謝ることも、シンジにはまだ納得

いかなかった。

 考えがまとまるまでアスカと話さない方がいいと思ってはいるものの、ど

のような答えを出せばいいのか、シンジはここ一週間ばかり悩んでいるのだ。

 今日もいつものように自問自答を繰り返す。

 

 

 僕は………単に甘えているだけだ。

 

 アスカの都合も考えずに、ただ慰めて欲しかっただけなんだ。

 少し拗ねてみればアスカが気にかけてくれるんじゃないかって。

 それが愛情を確認する手段になるんじゃないかって気持ちもあった。

 

 でも、アスカは、僕が望むようなことをしてくれなかった。

 

 たぶん、アスカはそこまでわかってるんだと思う。

 だから甘い言葉はかけてくれないんだ。

 それがアスカなりの愛情表現なんだという気もする。

 

 けど、そのアスカの強さが、僕の劣等感をかき立てるのも事実。

 いつもアスカは僕の一歩先を行く。

 僕は後ろを追いかけて行くだけだ。

 

 

 ………いつか追いつけるんだろうか。

 

 

 僕は、もう少しアスカとのことを冷静に考えてみたくなった。

 

 

        *        *        *

 

 

「でね、ちょっと元気づけてあげたいなってさ」

 

 雨佳は机の上に腰掛け、すらりと細い足をぶらつかせていた。

 先ほどまで暖房が入っていた放課後の教室には、まだほのかに暖かみが残

っている。

 隣の机ではさっきから香奈が本を片手にトランプ占いに興じていた。

 

「ふううううん」

 

 机に並べられたカードから目を離さず、香奈が疑い深そうな声を上げた。

 

「や、その、ほら、あそこ新しくお店できたじゃない。上手くいけば奢って

もらえるかもしれないでしょ」

 

 ぶらつかせている雨佳の足の動きが早くなった。

 

「それで、どしてあたしを誘ってくれたの?」

 

「え? だって、この前紹介してって言ってたじゃない」

 

「そーだっけ?」

 

「そうよっ」

 

「忘れちゃった」

 

 香奈は興味なさそうに言うと、再びカードに手を伸ばした。

 相変わらずつかみ所のない返答に顔をしかめた雨佳へ、帰り支度を済ませ

た他の友人が声をかけてくる。

 

「うーかぁ。なに話してんの?」

 

 おしゃべり好きの三人組だ。

 

「なんでもなーい」

 

 顔を上げた香奈を制するように、素早く雨佳は言い放った。

 

「またあの人のことー?」

 

 三人組はくすくすと顔を見合わせて笑い出した。

 

「そんなんじゃないわよぉ!」

 

 顔を赤くして雨佳は手をひらひらとさせた。

 

「ええいっ。ものども、散れいっ。ほら、早く帰りなさいよっ」

 

「けちー」

 

「いいじゃん、教えてよ」

 

「今度ね。今はダーメ」

 

 笑いながら小走りに教室を出ていく三人組の背中へ、雨佳は軽く手を振っ

た。

 

「ばーい」

 

「じゃーねー」

 

 三人が視界から消えたのを確認すると、再び雨佳は香奈の方へ向き直った。

 

「で、どうすんの? くる? こない?」

 

「え? 行くに決まってるじゃない。紹介してくれるんでしょ?」

 

「………はいはい」

 

 

        *        *        *

 

 

「どーしたんですか? ぼーっとしちゃって」

 

 その日の夕方、シンジが仕事場の外でぼんやりと空を見上げているところ

に、制服姿の雨佳が友人を伴ってやってきた。

 

 にこにこと満面に笑みを浮かべている。

 

 

「ね。今度、遊園地行きません?」

 

 

 

                       <第弐拾弐話へつづく>



 

 さて、遅れに遅れた本編の続き、ようやく書けました(^^;)

 ふっ。シナリオ通りに遅れたな(T_T)

 挿し絵付きってことで許して〜。

 でも、まさかオリキャラのCGを描いてもらえるとは………

 McRashさんには足を向けて寝られないッス!

 

 内容は相変わらずです。

 第弐部が終わるまで、まだ5話くらいは必要そう。

 第参部開始は夏かなぁ(爆)

 

                        Thanks to McRash!



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