第弐拾八話  3rd day - White Night (SIDE_B) -

written on 1998/10/4


 

 

 さく。

 

 さくっ。

 

 雪を踏みしめる音が響く。

 まだ誰も足跡を残していない歩道の脇をアスカが歩いていく。

 少し後ろを続くシンジの目に足跡がくっきりと映る。

 

 アスカはたぶん気づいてないんだろうな……。

 雪道を歩くときの彼女の癖。まっさらの地面に自分の印を残していくこの

行為はなんとなく彼女にふさわしい。

 そんな風にシンジが思っていると、急に冷たい風が強く吹いてきた。

 マフラーに手をあて身を縮めたアスカが、ふと思い出したように振り返っ

た。

 

「ね、このマフラーどこで買ったの?」

 

 シンジの頭の中に商店街の様子が浮かぶ。

 すぐに言葉に組み立て直すと、歩みをゆるめて隣に並んできたアスカに向

かって口を開く。

 

「噴水広場の銅像が向いてる方に路地があるよね。あそこに入って一つ目の

脇道を右に曲がってちょっと奥に入ったお店。わりと目立つショーウインド

ウがあるんだけど……」

 

「あ、あそこね。ふーん。あのお店って女物ばっかりじゃない? よく見つ

けたわね」

 

「うん。ちょっと入りづらかったけど、洞木さんにお願いしてついてきても

らったんだ。もちろんそのマフラーは自分で選んだんだけどね」

 

「……そ。彼女元気にしてる? メールのやりとりはしてるんだけどさ。実

際に顔を見たのはこっちに来る直前が最後なのよ」

 

「元気って言えば元気だけど。トウジが……ほら、そーゆーのって面倒くさ

がるほうだから、あんまり連絡とってないみたいで……」

 

 シンジの顔がわずかに曇る。

 やはり距離が離れているという事実は、彼女たちのように強い絆で結ばれ

ている二人にも不安をもたらすようだ。

 身をもって実感しているアスカは心配そうに呟いた。

 

「ちゃんと慰めてあげてね」

 

「うん。わかってる。やっぱり寂しいんだろうね。一緒に映画につきあって

あげたりすると喜んでくれるんだ」

 

 屈託のない笑顔を浮かべるシンジ。

 ピクリとアスカのこめかみが引きつる。

 

「映画? ふ〜〜〜〜〜〜ん。はじめて聞いたわ、それ」

 

「あれ? 言ってなかったっけ?」

 

「初耳。羨ましいわね。あたしも誰かに慰めてもらおうかなあ」

 

「もう、なに言ってんのさ。ほら、映画館見えてきたよ。そんなことでへそ

曲げないで。子供じゃないんだから」

 

 むかっ。

 まるでそんな音が聞こえてくるかのようにアスカの表情が変わる。

 

「どーせ子供ですよーだ」

 

 顎をとがらせて足早に歩いていくアスカの後ろ姿を見ながら、言い過ぎた

かな、とシンジは頭を掻いた。

 最近は、昔のように何気ない一言がお互いの神経を逆なでするようなこと

はなく、こんなことも気心の知れたじゃれあいのように感じられる。そう思

うのは自信の持ちすぎなのだろうか。

 少しずつ変わっていく二人の関係にシンジは静かな笑みを浮かべた。

 アスカが二枚の入場券を片手に映画館の入り口でじっとこっちを見つめて

いる。

 軽く手を挙げてシンジは走りだした。

 

 

        *        *        *

 

 

 シンジの語学力が、英語ならなんとか聞き取れるレベルにまで上達してい

たのは幸いだった。そうでなければ言葉もわからずこのような人間ドラマを

主体とした映画を観るのは苦痛に違いなかった。

 

 二人が観た映画はアカデミー賞候補の名に恥じない内容だった。

 今をときめく若手スターが体当たりの演技を行い男娼まで演じていること

ばかりが話題になっていたが、他の俳優も優れた演技を見せていたし、舞台

となる時代の空気を感じさせる効果的な音楽やセットの見せ方も素晴らしか

った。

 舞台は二十世紀後半のアメリカ。軸となる登場人物は三人。一人は甘いマ

スクと人なつっこさで誰からも好意を持たれる好青年。そして彼の親友でま

じめさが取り柄のような男。もう一人は彼らと三角関係に陥る活発で美しい

女性。

 大学時代に仲が良かったこの三人は、時には愛情のもつれや嫉妬に悩まさ

れ危うい関係になりながらも、深い絆を育み卒業してもお互い連絡を取り合

うことを誓う。

 卒業後、大学時代に親友に対する劣等感に悩まされていたまじめな男は着

実にステップアップし、大手法律事務所の弁護士として名を馳せる。

 対して大学を卒業してすぐに都会に出ていったもう一人の男の方は、映画

界において順調なデビューを果たすも、壁にぶつかり派手な銀幕の世界の裏

に潜む闇にずぶずぶとはまりこむ。無気力になりドラッグにも手を染めるが

代金を払えなくなったためギャングに男娼として働かされそうになってしま

う。

 そこに彼の友人である二人が車を飛ばして助けにやって来る。間一髪助け

ることに成功するが、結局逃走の途中で彼はドラッグの副作用で死んでしま

い、残された二人が呆然とするなか幕は閉じる。

 

 栄光と挫折。友情と憎悪。愛情と嫉妬。プライドと劣等感。

 これらが深く織り込まれた演出は若者には痛いほどの現実感を伴って、そ

して老いたる者にはほろ苦い記憶を呼び起こした。

 クリスマスにカップルで観る映画にはふさわしくなかったかもしれないが

二人ともその内容にはじゅうぶん満足していた。

 

 

「あんなの自業自得ってやつよね」

 

 アスカがワインの入ったグラスを傾けながら突き放すように言った。

 その言葉に微かに自虐的な響きを感じ取ったシンジは、うなずくことをた

めらい曖昧な表情を浮かべながら彼女の視線の先を追った。

 

 窓ガラスにはケルンの美しい夜景が映っている。

 二人は映画を見た後、高層ビルの最上階にあるレストランで食事をとって

いた。階下はすべて高級なホテルで占められており、このレストランも完全

予約制で一般人が食事をするには難しい場所であった。

 アスカが言うにはこれが彼女の母親のプレゼントらしい。

 場違いな自分たちの若さと服装にシンジは気後れしていたが、アスカの堂

々とした態度はそんなシンジの心配を吹き飛ばしてくれた。

 

 二人はさきほどから料理に舌鼓をうちながら、映画の感想で盛り上がって

いたのだ。

 

「だってさぁ。逃げてばっかりで努力もしないでそのくせ他人にはちやほや

されたいなんて甘いのよ」

 

 アスカが暗澹としたラストシーンの中で死んでいった主人公のことを言っ

ているのは明らかだった。いつもながら痛烈な批判の言葉にシンジは圧倒さ

れる。

 

「でしょ?」

 

 うん。と、シンジはただ肯くだけだ。

 

「他人に認められないと自分の価値を見いだせないなんて最低の人生」

 

 続くアスカの言葉はまるで自分に言い聞かせているようにも聞こえた。

 

「わっかんないわよねー。あんなに自分のことを気にかけてくれる友達と恋

人がいたのに」

 

 そうなんだけど、だからこそなんだ……。

 憤慨するアスカを見つめながらシンジは思う。

 

「結局なにが言いたかったんだろ。中身は良くできてたけど、後味悪いわよ

ね、あんなラストじゃ。そりゃ、あの展開でハッピーエンドってのも嘘っぽ

くてヤだけど」

 

 アスカの言葉が途切れるのを待ってシンジが口を開いた。

 

「うん。でもなんとなく主人公の気持ちはわかる気がするな。きっと世界が

どこまで自分を見てくれているのか試したかったんだと思う。すべてに見捨

てられるのはいつになるのか。自分の価値を実感したかったんじゃないかな

って。それは甘えともちょっと違うと思うんだ」

 

 そうシンジに言われて、アスカはのどの奥に引っかかっていたつかえが取

れたような気がした。苛立ち混じりの批判ばかりしていたのは、この引っか

かっていたものを上手く言い表すことが出来なかったからなのだ。

 

「ふ〜ん……。確かにそういう見方もできるわね」

 

 このように深いところで共感できるシンジの感情の豊かさは、アスカに足

りないものだった。なにごとも理詰めで考える癖がついている彼女にとって

はたいへん羨ましいところでもあり、また魅力を感じる部分でもあった。

 

 そのとき室内に流れていた音楽がスローテンポの曲に変わった。

 ボーイ達が火のついたキャンドルを手に次々と現れる。

 揺らめく炎が室内を彷徨う様は幻想的に見えた。

 すべてのテーブルにキャンドルが行き渡ると静かに室内の明かりが消えた。

 ほうっと浮かび上がる炎を通してお互いの瞳が相手をとらえた。

 

「いい雰囲気じゃない」

 

「そうだね」

 

 そう言ったきり二人の間に沈黙が続いた。

 料理はデザートまですべて出し尽くされていて、さっきからしゃべってば

かりいたことにシンジはようやく気づいた。

 チラリと腕時計を見た瞬間、アスカの髪が微かに揺れたのが視界の隅に入

った。

 時間を気にしていることを見咎められたのかと思い、シンジはおそるおそ

る顔を上げたが、アスカは目を伏せたままだった。身体が固くこわばってい

て、どこか緊張しているように見えた。

 数秒間の沈黙の後、アスカの右手がポケットを探り、なにかを握ったまま

テーブルの上にすっと差し出された。

 

 軽く握ったこぶしの下に一枚のプラスチック製のカードが見えた。

 最初、それが何を意味するのかシンジにはわからなかった。

 アスカの顔を見ても視線を合わさないように窓の外を見ているばかりで、

ひとことも口を開かない。まるで息を止めてシンジの反応を待っているよう

な雰囲気だった。

 

 シンジはもう一度そのカードに目をやった。

 

『32−BL01』

 

 数字とアルファベットが見えた。

 そして次に階下のホテルの名前が見えた瞬間、心臓がどくんと大きな音を

あげた。

 

「アス……カ……」

 

 そのカードが階下のホテルのカードキーであることは確かだった。

 アスカの意図に気づいたシンジの心拍が急激に跳ね上がる。

 頭の中は早鐘を打つようにガンガンと鳴り響き、ようやく出した声はかす

れていて、さらに恥ずかしさを倍増させた。

 

 そうか。

 このレストランに上がってくる途中、母親に電話があると言って自分だけ

を先に行かせたのはこういうわけだったのか。

 猛烈な勢いで血が上ってくる頭の片隅で、シンジは納得していた。

 よく考えれば想像できないことではなかった。

 いつかくることだと思っていた。

 しかし、まさかそれが今日だとは……。

 

 性的な話にアスカが敏感なのは知っていた。

 小さい頃の家族環境の影響も大きいのだろうが、性格的に潔癖な面もあっ

て、シンジはかなり気を使ってきたつもりだった。できる限りそのような話

には触れないようにしてきたし欲望も抑えてきた。

 十分に時間をかけてからでいいじゃないか。

 いつもそういう風に自分に言い聞かせてきた。

 シンジにとっては我慢することも愛情の一つだと思えたのだ。

 それは自己満足の世界であり、大きな勘違いだったのかもしれないが、シ

ンジはだからこそシンジであった。

 

 しかし今日はそのアスカからの誘いである。

 

 沈黙が続く。

 変わってしまうのではないかという不安感。今以上にお互いのことが分か

り合えるのではないかという期待。シンジの頭の中を様々な想いが巡る。

 シンジは静かに、しかし深く息を吸い込むと、アスカの手に自分の手を重

ねた。掌がじっとりと汗ばんでいるのがわかる。

 シンジはアスカの瞳をしっかりと見つめて口を開いた。

 

「やっぱり今日は帰ろう」

 

 シンジの口から出た言葉はアスカを驚かせた。

 これ以上ないくらいのお膳立てに、自分としても思い切った決意をもって

挑んだつもりだったのに。まさかこんなことを言い出すなんて。

 シンジが我慢していることは薄々気づいていた。自分の身体に寄せられる

視線を感じることもあった。

 しかしシンジはキス以上には決して進もうとしなかった。

 大切に扱われ過ぎている。それは嬉しいことではあったが、もっと積極的

に求めて欲しいと思うときがないわけでもなかった。

 もちろん自分自身にも原因があることはアスカも理解していた。

 無意識のうちに茶化してしまい、自分から雰囲気をぶちこわしてしまうこ

とも何度かあった。

 行為自体が怖いわけではない。

 そのことでなにかが変わってしまうのではないかと恐れたからだ。

 今の関係が素晴らしく幸せなものであるが故に。

 

 いや、それはいいわけに過ぎず、心の底では『汚れてしまう』と感じてい

る自分がまだどこかにいるのかもしれない。

 ジェイナの後押しのお陰もあったが、過去の記憶に縛られたままの自分を

解放するためにも今日は決心していたつもりだった。

 

 だからアスカはじっと次の言葉を待った。

 

「教会に行く時間に遅れちゃうよ。アスカのお母さん、一人じゃきっと寂し

いと思うよ」

 

「そう……」

 

「僕だって、そりゃ……その……アスカと一緒にいたいけど……。だけど、

せっかくドイツに来たんだ。アスカのお母さんと三人で過ごすクリスマスな

んて次はいつ来るかわからないんだし、一緒にいてあげたいと思うのはそん

なに馬鹿げたことじゃないよね」

 

 ここ数日の間のことだけではあるが、シンジの頭の中には、ジェイナと過

ごした時間が浮かんでいた。

 開放的と言われればそれで納得できなくもないが、彼女がなにかと声をか

けてかまってくれるのは逆に寂しさの表れだとシンジは直感的に感じていた。

 一度しゃべり出すとなかなか終わらない身の上話。

 たっぷりと時間をかける食事の準備。

 一日に何度となく行われる掃除。

 きっとなにかしていないと不安になるのだろう。

 できるだけ側にいてあげたい。

 そうシンジが思ったのは自然な成り行きだった。

 

 自分たちには十分に時間がある。

 今日はお互いの気持ちがわかっただけでも満足だった。

 あとは次の機会を待つだけなのだから。

 

「……うん、わかった。シンジがそう決めたのならいい」

 

 アスカが静かに席をたった。

 

「帰ろ」

 

 言葉少なに歩き出すアスカの様子は、機嫌を損ねたのではないかとシンジ

を不安にさせるのに十分だった。

 しかし、シンジが横に並ぶのを待って絡めてきたその腕は優しく、斜め上

から見下ろす彼女の横顔は軽く笑っているようにも見えた。

 ふんわりと柔らかく匂ってくる香水の香りがシンジの頭の奥を痺れさせる。

 後悔の念がもたげてくるのを慌てて押し込んで、シンジは小さく呟いた。

 

「……ごめん」

 

「いいの。やっぱりシンジはシンジだなーって」

 

「は?」

 

 首を捻るシンジの隣で、エレベーターに乗るまでずっとアスカはくすくす

と笑っていた。

 

 

                          To be continued

 

                  4-5th day - Eternal picture -

 

 



 

 これはいったいなんなんだ? まったくストーリーがないぞ……

 シンジ×アスカなお話でこんなクリスマスイブってありですか?

 期待(?)させてしまった方ゴメンナサイ(^^;)

 ってゆーかシンジ君、カッコつけすぎ!

 

「あんたそれでもおとこー!? 乙女に恥じかかせるんじゃないわよ!

 こぉのバカシンジのあんぽんたーんっ!!」(アスカ談)

 

 だそうです。では、また。

 

 P.S.今度TVでやるらしいあの映画へのリスペクトを込めて。

 



DARUの部屋に戻る/投稿小説の部屋に戻る
inserted by FC2 system