第参拾話  6th day - More more more - (前編)

written on 1999/5/3


 

 

「やっと夜が明けてきたね」

 

 車内はいつのまにかほどよく暖まっており、シンジはシートベルトをはず

すと、着込んでいたコートを脱いで後部座席に放り込んだ。

 

「そっちも脱ぐ?」

 

「ん。ちょっと待って。いま止めるから」

 

 そういうとアスカは後ろを振り返りながらゆっくりと車を路側帯に止めた。

 無事に車が停止すると、ようやく彼女の顔から硬い表情がとれる。

 

「振り返っちゃ危ないよ。ミラーで見れるようにしなきゃ」

 

「うっさいわねー。まだ車は慣れてないんだからしょうがないじゃない」

 

「もしかしてミラーの調節もしてない?」

 

「……どうりで見づらいと思ったわ。早く言いなさいよ、バカ!」

 

 はいはい。

 と、シンジは肩をすくめて、それ以上アスカを刺激しないよう口を閉じた。

 

 二人を乗せた自動車は、家を出てからずっと緊張感たっぷりの運転が続い

ていた。

 アスカが借りたレンタカーはごく一般的な普通車だったが、普段バイクで

移動することが多い彼女にとっては、どうにも運転しづらいようだった。

 さらに雪のちらつくアウトバーンを走っているため、さっきからアスカの

神経はかなりいらだっていた。

 

 今日はシンジがドイツに到着してから六日目。

 アスカから昨晩いきなりスキーに行こうと誘われたシンジは、否応なしに

十時にはベッドの中にたたき込まれていた。

 そして、早朝から出発して一日中たっぷり滑るつもりだと話したアスカが

シンジをたたき起こしたのは五時前。

 六時に出発したときもまだ家の外は真っ暗だった。

 シンジはもちろんスキーの経験がなかった。

 スキーというスポーツは日本でも昔は一般的なものだったが、セカンドイ

ンパクト後の常夏化現象により、しばらく幻のスポーツとして途絶えていた

のだ。

 気候が正常になった今でも、まだ設備が整っていないためか雪の多い地方

以外ではごく一部の金持ちのするスポーツといったイメージがあった。

 もちろんシンジのまわりでもスキーを経験しているような人間はほとんど

いなかった。

 まさかこんなところでスキーを経験することになるとはシンジも思いもし

なかったが、昨日アスカが勤め先の新聞社から奪ってきたスキー場の券は、

二人まで入場料とリフト代が無料になるうえ、用具一式を借りるお金もアス

カが出してくれるという。

 日本に戻ればいつ経験できるかわからないだけに、シンジもちょっと甘え

てみることに決めたのだ。

 

 バフッ。

 

「!?」

 

 昨晩からのことに思い出していたシンジの胸に、突然アスカのコートが投

げつけられた。

 

「しわ、つかないように綺麗にたたんどいてね」

 

 腕まくりをしてハンドルを握りなおしたアスカを見て、シンジはまだしば

らく怖い思いをしなきゃならないな、と覚悟を決めた。

 

 

        *        *        *

 

 

 車は静かに動き出す。

 さっきまで真っ白に曇っていた助手席の窓からは、いつの間にか外の様子

がはっきりと見えるようになっていた。

 なにげなくカーステレオのスイッチを入れると、少し古めかしい曲が流れ

出してきた。

 ラジオのチャンネルがオールディーズ専門の局に合わせられているようだ

った。

 曲名までは覚えていなかったがシンジも聞いたことがある曲。軽快なリズ

ムのラブソング。

 アスカも指でリズムをとりはじめた。

 

「この曲知ってる?」

 

「聞いたことはあるけど」

 

「BarryWhiteの『You're The First,My Last,My Everything』。1970年代に

はやった曲よ、確かね」

 

「70年代かぁ。古いね。もしかして冬月さんの青春時代?」

 

 くくっとシンジは笑った。

 

「この曲に合わせてディスコってやつで踊ってたりしてね」

 

 アスカも大きな声で笑い出す。

 別に馬鹿にしているわけではないが、冬月が踊っている姿を想像すると、

どうしても笑いがこみ上げてくるのだ。

 そもそもこんな風に軽口がたたけること自体が楽しいように見える。

 

「でも、どうなんだろ。ほんとのとこは。あの頃の日本って、高度成長期と

かなんとかって時代だったんでしょ?」

 

「みたいだね。活気溢れる時代だったらしいよ」

 

「この前テレビで見たけど新幹線ってのもあの頃開通したんだって」

 

「へー。そうなんだ。もう田舎でしか走ってないもんなぁ。そういや東京オ

リンピックもあの頃かな?」

 

「え? 東京でオリンピックなんてやってたんだ」

 

「そうだよ。やってたんだよ。アスカ、日本を馬鹿にしてない?」

 

「してない。してない。してないってばぁ」

 

 そう言いながらもアスカは可笑しそうに笑う。

 ラジオからは続けてスローテンポの曲が流れ出してきた。

 

「『Can't Smile Without You』だ。知ってる?」

 

「ううん」

 

「70年代の名曲。これはLenaのカバーだけど」

 

 詩の内容はタイトル通りストレートだった。

 しっとりとした女性ボーカルが切ないメロディに合わせて、恥ずかしいま

でにシンプルな言葉を歌い上げていく。

 

「こーゆーのってやっぱりいいわね」

 

「うん」

 

「今度CD買っといて」

 

「わかった」

 

「聞きに行くから」

 

 アスカの口からさりげなく出た言葉にシンジは一瞬沈黙する。

 彼女がいつ日本に戻ってくるかはまだ聞いていなかったからだ。

 二人とも意識的に避けていた話題だった。

 シンジは意を決して口を開く。

 

「……いつ?」

 

「そうだ。どうせだから一緒に買いに行かない?」

 

 アスカの返事はわざとその話題を避けていた。

 遠回しだがシンジにもその意味は伝わった。

 一瞬だけアスカの横顔を見つめると、なにごともなかったかのように言葉

を続ける。

 

「いいよ。いつでも」

 

「土曜日。天気のいい日。買い物のあとはケーキと紅茶の美味しいお店でお

茶するの」

 

 そして楽しげにいくつもお店の名前を挙げはじめるアスカ。

 シンジは暖かい眼差しでそんなアスカの様子を見つめていた。

 

 

        *        *        *

 

 

「ううう〜〜〜」

 

 一足先に着替えを終えたシンジは、貸しスキー屋の前でアスカが出てくる

のを身を固くして待っていた。

 さきほどから声にならない声が口をつたって出てくる。

 肌を刺す寒さもすでに感覚が麻痺してあまり感じない。

 生まれてこのかた、第三新東京市以外の冬を体験したことのないシンジに

とって、ドイツ有数の高地にあるこのスキー場はとてつもなく寒く感じた。

 

 目的地のスキー場にはアウトバーンを二時間ほど走らせると到着した。

 高価な車ばかり止まっている駐車場に場違いなレンタカーを止めると、ア

スカはさっそくシンジを連れて貸しスキー屋に向かった。

 辺りを見回すと通りがかる人々はみな年のいった老夫妻で、お金持ちの老

後のレジャー然とした雰囲気を漂わせている。若く見えても青年実業家とそ

の愛人といった感じだ。

 シンジたちのように若いカップルはほとんど見かけなかった。

 しかも日本人がこんなところにいるのが非常に珍しいのだろう。みなシン

ジに向かってあからさまな視線を投げつけていく。

 そんなわけで、寒さ以外にも身を小さくする理由があったシンジは、目立

たぬよう貸しスキー屋の軒先の隅っこでぼんやりとしていた。

 

「おっまったっせ」

 

 ぼーっと遠くのリフトを見つめていたシンジの背後から明るいアスカの声

がした。ようやく着替えが終わったようだ。

 

「遅いよ。こんなにさむ……」

 

 不平の声を上げながら振り向いたシンジの口が途中で止まった。

 目の前にいるアスカの雰囲気がいつもと違ったのだ。

 オーバーオール風のレトロなスキーウェアはピンク色が基調で、寒さにほ

どよく染まった頬の赤みと唇の紅さとともに、真っ白なスキー場にとてもよ

く映えている。

 そして頭にちょこんとした感じで乗せている毛糸の帽子が可愛さを何倍に

もしていた。

 さっきまでの派手な服装――真っ赤でぴったりとしたジーンズにふさふさ

した毛のついた高価そうなコート。そして歩きにくそうなヒールの高い靴。

 ――とのギャップに、シンジはすっかり目を奪われた。

 もちろんそんなシンジの様子を見てアスカは心の中でガッツポーズだ。

 心なしか上気した面もちでシンジに言う。

 

「それじゃ、まずは初心者用のゲレンデで練習ね」

 

「う、うん。お手柔らかに頼むよ」

 

 さっきまで寒いなか待たされていたことはすっかり忘れて、これからの個

人授業を想像してがぜん声が明るくなるシンジだった。

 が、アスカは腕を組んできっぱりと言い放つ。

 

「なに言ってんのよ。午前中で練習は終わり。午後はあたしと一緒に中級コ

ースまで滑りに行くんだからね」

 

「い!?」

 

「バシバシしごくわよ」

 

 

 その言葉通り、アスカのスキー教室は午前中いっぱい休む暇なく続けられ

た。

 アスカの的を得た教えと、意外と運動神経に優れているシンジの努力もあ

って、ボーゲンではあったがシンジも昼前には転ばずに滑れるようになって

いた。

 その間、ネットに激突すること5回。大転倒で板が宙を舞うこと2回。止

まりきれずアスカに抱きつくこと3回(このうち張り倒されること2回)。

 もちろん転倒することは数えきれず。

 アスカもようやく初級者を脱出した程度なので、気がつくと助言しながら

隣を滑っていたはずのアスカが途中で転倒していて、それを見て笑ってしま

ったシンジがまた転倒するという微笑ましい姿も何度か見られた。

 

 はじめて体験するスキーの楽しさと、アスカと一緒にいられることの嬉し

さで、身体がボロボロになるのも忘れてシンジは雪の中を転げ回っていた。

 

 

                           <後編に続く>

 

 



 

またまた更新速度記録を更新!(^^;)

連続でやっちまった……。しかも前編のみだし(^^;)

後編は次の日曜に必ずアップしますんで許して(^^;)



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