<Vol.1 3年の歳月が過ぎて>

written on 1996/5/4



 

//Chapter1 「ボク」

 
 

 あれから3年。

 

 僕は17歳になっていた。

 

 アスカよりも頭半分は背が伸びて、陸上で鍛えたおかげか、身体も昔ほど華

奢じゃなくなった。
 

 世界再建委員会(旧ネルフ)から出る退職金と、アルバイトで稼ぐお金で、

貧しいながらも一人暮らしを続けている。

 

 結局日本に居着いてしまったアスカと同じ高校へ行く毎日。

 僕は以前にもまして無口になり、トウジとケンスケと委員長と、

 そしてアスカとくらいしかほとんど話をしなくなっていた。

 窓際の席で頬杖をついて、そしていつも窓の外をぼーっと眺めている。

 

 そう。

 まるで、あの頃の彼女のように――――

 

 

 あれから3年。

 

 綾波は、まだ、心を開かない。
 

 僕の躊躇が、綾波の心に支えきれない負担を強いたことは事実。

 僕の父親である「碇ゲンドウ」を、彼女の創造主である「碇ゲンドウ」を、

綾波レイに殺させたのは、明らかに僕の躊躇だった。
 

 その時の彼女は、誰よりも人間らしい心を持つ人になっていたというのに。

 

 『償い』という言葉では軽すぎる。

 

 最後まで逃げ出した僕、いつでも逃げなかった綾波。

 

 僕はあの戦いでいったい何を学んだのだろう。

 3年たった今でも、僕はこぶしをうちつける。

 卑怯で臆病で逃げ出してばかりいる自分に。
 
 

 意識を閉じてしまった綾波。

 

 僕は3年間、自分一人では何もできない綾波のそばについていた。
 

 本を読んで聞かせ、天気になれば散歩に連れていく。

 髪をとかして、爪もそろえてあげる。

 ご飯も作って食べさせるし、お風呂にも入れてあげる。

 

 だから綾波の身体のことは何でも知ってる。

 

 けれど、心には一度も触れたことがない。触れられない。
 

 なのに、一度も、綾波の声は聞けない。聞こえない。
 

 

 学校と部活とアルバイト以外、自分の時間を全て費やしてきた。

 別に見返りを求めているわけじゃないけど、この時期の3年間というのは、

僕の心を疲れさせるのに十分な時間だった。
 

 『明日か、10年後か、全くわかりません』

 3年前に担当医が言った言葉を僕は思い出す。
 

 『一生かかってもかまいません! 僕は綾波のそばにいます!!」

 3年前に自分が言った言葉を僕は何度も反芻する。

 

 そして、今日も、疲れ切った心を引きずって、僕は病院へ行く。
 
 
 

//Chapter2 「アタシ」

 
 

 あれから3年。

 

 あたしも17歳になった。

 

 あたしに断りもなく、ばかシンジはいつのまにか背を伸ばして、今ではすっ

かりあたしを追い抜いちゃってるの。

 高校に入ってから、突然陸上部にはいるなんて言い出して、体つきも少しは

男らしくなったけど、、、

 ハイジャンプを選ぶあたり、あいつは、あいかわらず変わってない。
 

 あたし?

 

 あたしは毎日アルバイトばかり。

 結局最後は役立たずで終わったんだからって、退職金断ったの、今では思い

っきり後悔してるわ。

 最後の意地っ張りだったのね、きっと。

 

 今はヒカリと一緒に高校の女子寮で暮らしてる。

 彼女の姉妹は田舎の方の中学校に行ってるんだって。

 最初は寂しそうにしてたヒカリも、今では自分の時間を楽しく過ごしてるみ

たい。

 すごくいいことだわ。年頃の女の子だもの。
 
 

 ――――あたしは、変わった。

 

 誰かを必要とする気持ちを素直に受け止められるようになったし、誰かに必

要とされることを素直に嬉しいと思えるようになったわ。
 

 シンジたちが最後の戦いに向かっているとき、私は夢の中で戦っていた。

 もう一人の自分。今までの自分。

 ただ見捨てられることを恐れていただけの自分と。

 

 とても長い夢だった。

 みんなが、励まして、叱咤して、あたしを助けてくれた。

 だから、今、あたしはここにいる。

 

 エヴァのパイロットではない、ただの一高校生として。

 「惣流・アスカ・ラングレー」として。
 

 でも、今も時々ママの夢を見る。

 呼びかけても、呼びかけても、何も答えてくれないママ。

 寂しくて、寂しくて、寂しくてたまらない、ちっちゃなあたし。

 

 3年前からあたしは日記を付け始めた。

 ようやく紡ぎだせるようになった自分の言葉で、ママへ語りかける。

 今日の出来事、感じたこと。

 ママがいなくても元気にしてるよって。

 あたしはもう大丈夫だよって。
 

 そう書きつづる。

 

 なのに。

 

 あいつは自分の心を3年前に置き去りにしたまま。
 

 ――――ファーストの存在に心を縛られたまま。
 
 

 「あんた、バカァ!

  好きになった人が振り向いてくれないからじゃないのッ!」

 

 1年前、あたしはそう言って、シンジの頬を思いっきりひっぱたいた。

 

 あいつは呆然としてたっけ。

 『僕が何か悪いことした?』――――なんて顔に書いてあった。

 

 あったりまえでしょ!

 好きな人に『どうして恋人つくらないのさ』ってマジメな顔で言われてみな

さい。

 このあたしでも涙がでちゃうわよ。

 

 あの、バカ。

 本当に一生ファーストの面倒を見るつもり?

 そんなことしたってファーストは戻ってこないのに・・・

 あたしにはわかるもの。

 何度呼びかけても答えてくれない人もいるんだから。
 

 ほんとに、バカなんだから・・・
 
 
 

//Chapter3 「人形」

 
 

 「また髪が伸びてきたね」

 寂しげに少年は語りかける。
 

 「今度はどれくらいにする?」

 青い髪をなでつけながら、少年は訊ねる。
 

 でも、少女からは、何も返事は返ってこない。

 透き通るような紅い瞳からは何の反応も伺えない。

 

 諦めと、ほんの僅かな期待が入り交じった視線を投げかけて、そして少年は

いつものように食事の準備に取りかかる。

 

 元エヴァンゲリオン零号機パイロット『綾波レイ』専用の特別病室。

 世界再建委員会の長、冬月議長の特別な配慮で無期限貸与された部屋。

 生活するに困らない設備は全てととのっている。

 3年たった今では、この部屋を『スイートルーム』と茶化して呼ぶ職員もい

ない。

 3年間ほとんど毎日、朝と夜と一日に2度訪れる少年が、明るい顔で部屋を

出てきたことはないのだから。
 

 今では、この病院で働くほとんどの職員が願う。

 自分がこの病院で働いている間に、一度でいいから、少年と少女の笑顔が見

てみたいと。

 その時はどんな幸せな気分になれるだろうと――――
 

 

 「はい、口あけて」

 少年が口元へスプーンを運ぶと、少女は機械的に口を開いて食事を喉に通す。

 ほとんど咀嚼することなく飲み込んでしまうので、食事にもいろいろな工夫

がしてある。

 全て少年が本を読んだり、病院の職員に聞いて作ったものだ。

 

 「ほら、こぼさないで」

 少年は真っ白いナプキンで、なされるがままの少女の口元をぬぐう。

 昔はこんなことでも涙を流していた。
 

 ――――でも、もう、涙は出ない。

 

 食事を食べさせ終えると、今度は自分の食事を作る。

 そして後かたづけ。時間は8時を回る。

 宿題を済ませるころには9時。

 それから少年は色んな本を読んで聞かせる。

 少女が何も聞いていないことはわかっていたけれども。

 

 唯一彼女に反応があるのは『肉』。

 『肉』だけには、決して口を開かない。
 

 それは希望を、残酷な希望を少年にもたらす。
 

 『肉』――――それは、少女が生きている証。

 『肉』――――それは、少年が期待を持ち続ければならない鎖。
 

 少年は月に一度、肉料理を作って少女に食べさせようとする。

 それはまるで儀式のように、この3年間続いていた。

 肉料理だけには、決して彼女は口を開かない。
 

 『もしも彼女が口を閉じなくなったら?』
 

 『僕は何を支えに生きていけばいい?』
 

 『自分一人では何もできないのは今の綾波ではなくて、僕なんだ』

 

 『死んでいるのは、僕なんだ』

 

 少年は儀式の一週間前くらいから、そんな悪夢に悩まされる。

 だが、まだ、悪夢が現実になったことはなかった。
 

 これまでは――――
 
 

 「おやすみ」

 電気のスイッチを消して、今日も少年は病室を後にする。
 

 アパートへ戻れば後は眠るだけ。

 朝が早いから。
 

 綾波が、――――待ってるから。
 
  

<Vol.2へ続く>



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