<Vol.2 焦げつく太陽>

written on 1996/5/5


 
 

//Chapter1 「校庭と汗」

 
 

 ――――太陽

 

 ――――蝉

 

 ――――西瓜

 

 日本に季節が戻ってきて、3度目の夏がやってきた。
 

 シンジをか弱く見せていた細い身体の線は成長とともに姿を消し。

 そして陸上部に入部して2度目の夏、白かった肌も、今はすっかり日焼けし

て浅黒い輝きを見せていた。
 

 シンジは、そう、

 少年の危うさと、大人の落ち着きを併せ持つ、『17歳』になっていた。

 

 寡黙で、瞳にいつも暗い影を落としているシンジは、クラスでも異色の存在

であった。
 

 成績はいつも上位をキープ。

 もちろん、これはアスカのお節介があってのことなのだが、シンジ自身が、

いつ綾波が目を覚ましても大丈夫なように、常にノートを取っておくことを忘

れなかった事も大きな理由の一つ。
 

 ハイジャンプも県大会で上位に入賞するほどの成績を上げ。

 すらりと伸びた手足を美しく操りながら、ただ一人、黙々とハイジャンプの

練習に打ち込むシンジに、好意を寄せる生徒は少なからずいた。
 

 ―――― 土曜日、炎天下の校庭。
 

 シンジは基礎トレの3セットを終え、汗だくになって木陰で仰向けに転がっ

ていた。

 目をつぶると、聞こえてくるのは、野球部のかけ声と蝉の鳴き声だけ。

 噴き出す汗をそのままに、熱を持った身体をそよ風にさらしていた。
 

 誰かが近づいてきたような気配がして、シンジは目を開けた。

 見慣れた顔が視界に飛び込んでくる。

 スカートを押さえつけたアスカが、シンジの顔をのぞき込んでいた。
 

 「頑張ってるわね」

 アスカの声は、とても、優しかった。

 「まあね。県大会が近いから」

 シンジはぶっきらぼうに言葉を返す。
 

 「今度は優勝できそう?」

 「さぁ」

 全く興味なさそうに答えると、シンジは再び目を閉じる。
 

 3年前のアスカなら、こんな態度をとるシンジの頬を間髪いれずひっぱたい

たところだろうが、3年間の歳月はアスカを数倍も忍耐強くしていた。

 

 「・・・水、持ってきてあげよっか」

 「別にいいよ」
 

 握りしめていたアスカのこぶしに一段と力が入った。
 

 「あっそぉ。友達の少ない少年が一人さびしそ〜に練習してるから、ちょっ

  と励ましてやろうかと思ったのに。そーゆー態度とるワケね」
 

 爆発しそうになる感情を抑えながら、それでもアスカは努めて優しげな声を

出そうと試みた。
 

 シンジが小さな声でつぶやく。

 「ごめん・・・暑くてイライラしてるんだ」
 

 シンジの言葉に、アスカは、ふぅっと、小さく溜息をつく。

 「ったく、その謝る癖だけは3年前から直んないわね」

 「ま、でも、今のはシンジが悪いんだから、謝るのは当たり前だけど」
 

 ひょいっと、アスカがシンジの傍らに腰をおろした。

 風に流される栗色の髪を手で押さえつけながら、隣に横たわるシンジをアス

カは見つめる。
 

 いつのまにか見違えるくらいたくましくなったシンジ。

 でも、心だけは3年前に置き去りにしたままのシンジ。

 あたしがそばにいるというのに、その腕で顔を覆ったまま、一度もあたしの

顔を見ようとしないシンジ。
 

 蝉の鳴き声と、風が木の葉を揺らす音だけが、二人の耳を支配していた。

 

 「先輩、今日は来ないよ」

 沈黙を破ったのは、シンジだった。
 

 「知ってるわよ」

 思いがけないシンジの言葉に、アスカは思わず語気を強めてしまう。

 

 「じゃ、何しに来たのさ」 

 「あら。先輩に会いに来るためじゃなければ、あたしはここに来ちゃいけな

  いわけ」

 「別にそんなこと言ってないけど。いつもだったら、せんぱ〜いって黄色い

  声あげて行ってるだろ」
 

 アスカは再び爆発しそうになる怒りを抑えながら反撃を試みる。

 「あ〜らシンちゃん。もしかしてやきもちやいてんのかしら」
 

 しかし、かつてのような反応は、今のシンジには、もう、ない。

 

 「別に」と、一言答えるのみである。
 

 ほとんど感情を表さないシンジに、アスカはなぜか、いや理由がわかってい

たからこそか、無性に腹が立ってしまう。

 

 「あたし、帰る」

 

 アスカが離れていく気配を、シンジは感じた。

 

 

 3ヶ月前。

 アスカから、うちのキャプテンと付き合ってるということを聞いたとき、僕

は確かに、彼女がどこか遠いところへ行ってしまったような喪失感を味わった

はず。

 アスカがずっと一緒にいてくれるわけがないのはわかっていたけど、あっさ

りと自分よりも親しい男、『恋人』と呼べる存在を作ってしまったことは、一

時の間、綾波のことが気にならなくなるほど胸が苦しくなったはずなのに。
 

 それが、いまでは、もう何も感じない。

 

 そういえば、高校1年の時、知らない女の子から初めてラブレターを貰った

ときも何も感じなかったっけ。
 

 何もかもがどうでもよくなりつつあるような、この感じ。
 

 ――――また、エヴァに乗る前の自分に逆戻りか、、、

 

 上半身を起こして、シンジはうつむいたまま自嘲気味に笑う。

 汗が、額を、鼻を、首筋を伝って地面に吸い込まれていく。

 校舎の時計に目をやると、休憩の時間はちょうど終わりを告げていた。

 

 シンジは腰を上げて、再び炎天下の校庭へ身体をさらけだす。
 

 そして、ただ黙々と、何かにとりつかれたように、バーを飛び越え続ける。
 
 
 

//Chapter2 「少女」


 
 

 「ごめん。病院に行かなくちゃならないから」
 

 今日も一人、練習を終えて学校を後にしようとしたシンジに声をかける生徒

がいた。

 今年入部したばかりのマネージャーの一人である。

 そして、こうやって、シンジに断られた生徒は、いつの間にか片手では数え

られないほどの数になっていた。

 

 「・・・すいません。妹さんの看病も大変ですね」

 少女は、歩き出したシンジに慌てて追いつくと、横に並んだまま口を開く。

  

 綾波レイはシンジの妹として戸籍上処理されていた。

 無用の混乱を与えぬようとの、冬月議長の配慮である。

 

 少女は勇気を振り絞って言う。

 「あの・・・私に、何か手伝えることありませんか?」

 

 ちらりと、シンジは頬を紅潮させている少女に顔を向けた。

 「ありがとう。でも、君には関係がないことだから」

 「そう・・・ですか・・・それじゃ、これで、失礼します」

 少女は諦めの表情を浮かべて、足を止めた。

 シンジの瞳が自分ではなく、自分の向こう側を見ていたような気がしたから。 
 

 そのまま歩みを進めて校門を出たシンジは、かなり傾いてきた太陽を仰ぎ見

て、心の中でつぶやく。

 

 ――――そろそろかな

 

 シンジは病院に間借りしている農園の西瓜に思いを馳せた。
 

 ある人の形見。

 

 今年も立派に育った。

 今年も綾波と一緒に食べよう。
 

 ――――どうせ味なんてわかんないだろうけど。
 

 シンジは自嘲気味になるのを、かろうじて防ぐ。

 

    君には君にしか出来ない、君になら出来ることがあるはずだ。

      誰も君に強要はしない。自分で考え、自分で決めろ。

           自分が今何をすべきなのかを。

             後悔の無いようにな。
 

 今は綾波のそばにいること。

 自分で考え、自分で決めたこと。

 後悔はしていない。

 

 シンジはそう自分に言い聞かせるしかなかった。
 
 
 

//Chapter3 「西瓜」


 
 

 「アスカ、碇君が来てるけど・・・」

 「知ってるわ」

 従業員の控え室で防犯カメラのモニターを見つめながら、アスカはバイト仲

間に返事を返した。
 

 ここは、アスカの主たる生活費の稼ぎどころであるコンビニ。

 シンジの帰り道でもあるためか、時折彼が買い物に寄ることもある。
 

 休憩時間になってアスカがこの控え室に入ってきてから、1分とたたないう

ちにシンジは表れた。

 その時からずっと、アスカはシンジの行動をモニター越しに追っている。

 すぐに買い物をするでもなく、手持ちぶさたにうろうろしながら、時折レジ

の方を盗み見しているところをみると、アスカに会いに来たのは誰の目にも明

らかだった。

 

 アスカがすぐ表に出ていかなかったのは、冷静に対応できるようになるまで

心を落ち着ける時間が欲しかったのだろう。
 

 ――――謝りにでも来たつもりかしら。

 アスカは、そんな想像をして、少し心を和らげる。
 

 3分ほどたって、アスカはようやく腰を上げた。
 

 アスカがレジへ出てきたのを見つけると、シンジは慌てて買い物かごをガタ

つかせながらレジへと向かった。
 

 「いらっしゃいませ」

 事務的に口を開いた後も、アスカはシンジと目を合わせようとしなかった。
 

 ピッ。

 ピピッ。

 次々とバーコードが読みとられていく。

 

 「あ、あのさ」

 シンジが周りを気にしながら――こういうところは、まだあいかわらずなの

だが――アスカにささやく。

 

 だが、アスカは手を休めないし、何も答えない。

 

 少し間をおいて、シンジは言葉を続けた。

 「今日、西瓜切るんだけど、よかったらアスカも病院に来ない?」

 

 ぴたりと、アスカの手が止まる。

 レジの計算はちょうど終了していた。

 うつむいたまま品物を袋に詰め、どかっとシンジの前に置くと、アスカは大

きく広げた手のひらをシンジの目の前につきだした。
 

 「2188円のお買いあげです」

 

 それっきり、10秒は沈黙が続いただろうか。

 アスカが何も反応しないのを見て、シンジは返事を聞くのを諦め、しかたな

く、千円札と百円玉を2枚ずつ、アスカの手のひらの上に載せた。

 

 お金を渡されてもアスカはしばらくの間身動き一つしなかった。

 髪がうつむいた顔にかかっていて、シンジにはアスカの表情を見て取ること

が出来ない。

 渡されたお金をぎゅっと握りしめると、アスカは身体を震わせる。

 

 長い付き合いから、これ以上ここにいても状況を悪化させるだけだとシンジ

は判断し、お釣りを諦めてお店を出ようとする。

 自動ドアが開いて、外に出ようとしたシンジの背中に、罵声とともに、何か

軽いモノが二つ投げつけられた。
 

 「バカシンジッ!!」

 

 驚いて振り向いたシンジの目には、奥の控え室に駆け込むアスカの後ろ姿し

か見えなかった。
 

 足元にはお釣りの1円玉が二枚。

 くるくる。

 くるくると回り続けていた。
 
 

 シンジのバカ!

 バカッ!

 おおバカッ!!

 

 あんたとあたしとファーストで、どんな顔して食べろっていうのよ。

 あたしはそんなに心の広い女じゃないんだから。

 みんなが思ってるほど割り切れる女じゃないんだから。

 

 アスカは控え室の壁にもたれかかりながら心の中で叫んでいた。

 

 ごめんなさい・・・加持さん。

 今年はあの西瓜、食べれないかもしれない・・・
 

 ・・・あたし、あたし、、、

 
 

 悲しいのはアスカ。

 

         悲しいのはシンジ。

 

                 悲しいのは、チルドレン――――
 
 

<Vol.3へ続く>



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