<Vol.10 ASUKA!(後編)>

written on 1996/5/26


 
 

//Chapter1 「LOVE DIVER -B-」


 

 『味は保証するよ』

 そうシンジが断言したお勧めのレストランは、シンジの舌なら安心だと思

っていたアスカの予想をも上回るおいしさだった。

 見かけも中身も立派なレストランだっただけに、値段の方が心配になった

アスカは割り勘にしようと提案したが、シンジはきっぱりと断った。

 『アスカが喜んでくれたのなら、お金なんてどうでもいいよ』

 泣きたくなるようなセリフを吐いて。 
 
 

 「ねぇシンジ」

 「なに?」
 

 レストランを出た二人は、夕暮れ時の歩道をぶらぶらと歩いていた。

 雲行きが少し怪しくなっていたのだが、さっさと家に戻るのは、なんだか

味気ないような気がして、二人は駅を一つ分歩くことにしたのだった。
 

 二人だけで一緒に歩いている間だったら、アスカはなんでも言えるような

気がしていた。

 ――――つらくなってもかまわない。

 7回この言葉を繰り返した後、アスカは決心した。
 

 「あのね・・・」

 「うん?」

 アスカが髪をかきあげながらシンジの顔を見た。
 

 「あたしね。シンジとこんな風に歩きたいって、ずっと思ってたの」
 

 アスカのあまりにも自然な言い方にシンジは返す言葉を持たなかった。

 「・・・」
 

 「いつの頃からかは忘れちゃったけど・・・エヴァに乗らなくなってから

  ってことだけは確かね」

 そう言うと、アスカはころころと笑い声を上げた。

 「あの頃のシンジはさえない男の子だったもんねー」

 「そう・・・だったね」

 シンジも3年前の自分を思いだして苦笑いを浮かべた。

 「今もそんなに変わってないと思うけど・・・」

 「そうかも」

 またアスカがくすっと笑った。

 「あたしが変わっちゃったのよ。きっと。

  なんだかおかしいのよね。無理しようと思わなくなってるの。

  昔だったら死んでもさっきみたいなこと言わなかったわ」

 アスカが上目遣いにシンジの顔をのぞき込む。

 「でしょ?」

 

 シンジは無言でうなずいた。

  

 「でも、あたしって嫌な女だから、自分からは言うのはしゃくだったの。

  シンジから言ってくれないかなって、ずっと待ってたんだと思う」

 アスカがこつーんと小石を蹴り飛ばした。

 その石の行方を目で追いながら、シンジは訊ねた。

 「何を?」

 「バカッ。そういう鈍感なところはあいかわらずなんだから」

 アスカは囁くように言った。

 シンジが好き。

 まるで、そういう言い方だった。

 

 びゅう、と、風が吹いた。

 少し生暖かい風だ。雨が来るのかもしれない。

 でも、今のシンジにはそんなことは全く気にならなかった。
 

 アスカが、可愛い。

 こんなアスカを初めて見たような気がする。

 もしかしたら今まで、わざとそんな風に見ようとしなかったのかも知れな

い。

 僕なんかの側にいてくれるのが不思議なくらいだったから。

 この微妙な関係を壊れてしまうのが怖かったから。

 エヴァでしか繋がっていない絆なんだって、思い知らされるのが恐ろしか

ったから。

 

 でも、今は、違う。

 アスカはエヴァのパイロットではないし、僕もそうだ。

 同じ学校に通う同級生なだけなんだ。
 

 この3年間で忘れかけていた気持ちが鮮やかに戻ってきた。
 

 今の気持ちに素直になろう。

 

 シンジの右手が、そっとアスカの左手に触れた。

 ぴくり、と、アスカは身じろぎをしたが、シンジが優しく手を握ってくる

のを拒もうとはしなかった。

 「な、なに、手なんか握ってんのよ」

 照れ隠しにアスカはついつい語気を強めてしまう。

 

 「迷惑?」

 シンジはアスカの瞳を優しく見つめた。

 

 「バ バ バ、バッカじゃないの。子供じゃあるまいし・・・手なんかじゃな

  くて、腕くらい組みなさいよ」

 そう言うなり、アスカはシンジの腕に自分の腕を絡めた。

 そして、そっと身体を寄り添わせる。

 

 いい匂いがする・・・

 

 シンジは知らないうちにすっかり女らしくなっているアスカに気づいて、

おいてけぼりにされたような軽い衝撃を覚えた。
 

 でも、なんで、アスカは僕なんかのことを・・・
 

 アスカを見れば見るほど、シンジは不思議に思う。

 アスカは頭が良くて、美人で、運動神経も抜群で、性格も・・・最近は良

くなって・・・
 

 シンジがじっと自分の顔を見つめているのに気がついて、アスカは頬を赤

らめた。

 「何よ。あたしの顔に何かついてるってーの?」

 

 「ううん。あんまり綺麗だったから」
 

 シンジはまさか自分の口からこんな言葉が出てくるとは思いもよらず、恥

ずかしさで顔を真っ赤にしてしまった。

 アスカは・・・もう、いうまでもないだろう。

 

 どこから見ても、それは恋人同士に見えた。

 本人達がどう思っていようとも。
 

 シンジはアスカのぬくもりを感じながら幸せに思う。

 知らなかった・・・

 肌と肌を合わせると、こんなに気持ちが落ち着くものだったなんて。
 
 
 

//Chapter2 「LABYRINTH」


 

 雨は唐突に降り出した。

 ちょうど住宅街にさしかかったところで、近くに喫茶店のようなものもな

く、二人は近くの公園で雨宿りをすることにした。
 

 降り続ける雨をぼーっと見ながら、アスカはぽつりと言った。

 もう一つ、どうしても聞きたかったことだった。
 

 「シンジ・・・レイのこと、どう思ってるの?」

 

 その言葉を聞いた瞬間、シンジの頭の中を色々な光景がよぎっていった。

 もちろんアスカとレイの姿が。

 繰り返し、繰り返し。
 

 アスカはシンジに背を向けたまま答えを待っている。
 

 「・・・わからない」

 シンジは自分の気持ちを正直に言った。

 「エヴァに乗っていた頃は・・・どうだったんだろう?

  綾波のこと好きだったのかも知れない。

  でもそれはアスカも同じだった。

  違ったのは、綾波がなんだか他人じゃないような感じがしていたこと。

  何か秘密があったみたいなんだ。もう今となってはわからないけど。

  でも、この3年間、僕が綾波のことだけを考えて生きてきた事実は変わ

  らない。

  その間、アスカのこと利用してただけだったのかもしれない。

  だってさ、アスカだよ?

  アスカがそばにいてくれたんだよ?

  どこかで甘えていたのかも・・・アスカがいるさって。

  だからアスカの事・・・僕は『好き』だって言っちゃいけないんだ。

  そんなのって都合良すぎるよ。

  綾波のこともどう思っているのかわからないのに、そんなこと言えるわ

  けない。  

  いつになったらはっきり言えるのかも・・・わからないよ」

 シンジはアスカの背中をじっと見つめながら言った。

 「ごめん」
 

 アスカは悲しくなった。

 シンジの正直さに、悲しくなった。

 涙が、出てきた。
 

 アスカはうつむいたままシンジの方を振り返った。

 「嘘でもよかったのに・・・」

 涙が、止まらない。

 「嘘でも・・・いいの・・・」

 アスカがぐいっと顔を上げた。

 「ばか。ばかッ。シンジのおおばかッ!」

 止められない想いが吹き出してくるのを、もう、アスカは抑えようとしな

かった。

 「嘘でもいいのッ。

  今だけで、この一瞬でいいから、あたしを見つめてよ・・・

  その手で強く抱きしめて。

  お願いだから、あたしだけを見て!

  あたしを一人にしないでッ!!」
 

 雨が横殴りに強く降り出した。

 こんな風にアスカが感情をぶちまけるなんて、シンジは思ってもみなかっ

た。

 アスカも自分の言葉に感情が高ぶるのを抑えられないようだった。

 涙を浮かべたアスカの瞳に耐えきれず、シンジは目を伏せた。

 

 足音が遠ざかり、

 アスカが駆け出して遠くに離れていくのを、

 シンジは引き留めることが出来なかった。
 

 手を掴むことが出来なかった。

 

 シンジはいつの間にかずぶぬれだった。

 ズボンが汚れるのもかまわずに、シンジは地面に腰をおろして雨に打たれ

た。

 雨に濡れた髪がべっとりと頭に張り付いて気持ちが悪い。

 呆然とそんなことを考えていると、
 

 ・・・このままじゃ・・・いけない。
 

 昔の僕じゃない、今の僕の声が、また聞こえたような気がした。
 
 
 

//Chapter3 「2nd KISS」


 

 2時間後、僕はアスカの寮の入り口に立っていた。

 目の前にはオートロックのドアが立ちふさがっている。

 僕はインターホンで何度もアスカを呼び出した。

 5回目のコールでアスカの姿が磨りガラスのドア越しに見えたような気が

した。

 その人影はぴたっとドアの向こう側で立ち止まった。

 ドアを開ける気配はない。 
 

 僕はドアの向こうにいるはずのアスカに向かって話しかけた。
 

 「アスカの言いたいことはわかる・・・と思う。

  でも、さっきも言ったように、今の僕にはできない。

  ただ優しさに甘えてるだけじゃ、昔の僕と変わらないんだ。
 

  でもアスカのことを大切に思っていることだけは信じて欲しい。

  都合がいい男だって思われてもいい。

  嫌われてもいい。

  アスカのこと、綾波のこと、同じくらい好きだ。

  

  でも、今は綾波のそばにいなきゃいけない。

  でないと綾波は絶対にどこか遠いところへいってしまう。

  そんな気がするんだ。

  許してなんて言わないよ。

  僕は、まだ、綾波のそばにいる」

 

 シンジは自分の言葉で訥々と想いを語った。

 ドアは開く気配を見せなかったけど、シンジが話し終えてしばらくたつと

、アスカの声がガラス越しに聞こえてきた。
 

 「・・・わかったわ。

  今は、シンジのこと信じる。

  信じるから・・・

  信じるから・・・いつか、あたしのことを幸せにして。

  そうでなきゃ・・・そうでなきゃ・・・ブッ殺すわよ!」

  

 ガチャン。

 

 ゴツン。
 

 「痛っ!」
 

 いきなりドアが開いてアスカが飛び出してきた。
 

 僕は額と鼻をしたたかに打ち付けてめまいをおこしていたのに、アスカは

容赦なく抱きついてきた。
 

 「うふふ・・・あたしのことしおらしい女だって思った?

  そんなに甘くはないわよ、ばかシンジ」
 

 雨に濡れたアスカの顔が近づいてきて、そして僕の視界を完全に塞いでし

まった。
 

 チュッ

 

 アスカとの2度目のキスは雨の味がした。

 

 

 ――――なんて言ったら、アスカに殺されちゃうかな。
 
 

 P.S.

  

 ママ、あたしは今日デートをしました。

 先輩じゃありません。彼とは別れましたから。

 今日の相手は、あのバカです。

 あのバカ、突然変な理由で私に誘いの電話を入れてきました。

 もちろん断る理由なんて、見つけることが出来ませんでした。

 本当のこというと、見つけようとしなかったんです。

 

 とにかく今日は色々あって、日記には書き切れません。

 ただ、あたしは自分の気持ちを正直に言うことが出来ました。

 あのバカは・・・わかんないけど、いいんです。

 あたしは自分の気持ちを全部言えたから。

 

 そして雨の中、二度目のキスをしました。

 

 三度目は、絶対、あのバカからキスさせようと思います。

 その時はまた報告しますね。

 

 それじゃ、ママ。

 おやすみなさい。
 
 

<Vol.11へ続く>



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