<Vol.11 起きなかった奇跡>

written on 1996/6/1


 
 

//Chapter1 「それは夕立の降るが如く」


 

 第2新東京市、世界再建委員会ビル、議長室。
 

 白髪の男が端末のディスプレイに向かっている。
 

 「し、しかし、これはあまりに・・・

  第四次再建計画に支障をきたしかねません。

  外部に漏れると、進退問題に繋がる恐れも・・・」

 「かまわん。私が全ての責任をとる。

  指示通り、MAGI−Sの稼働率を30%ダウンし、伊吹博士にフリーアク

  セスの権限を与えろ」

 「・・・了解しました」
 

 冬月は回線を閉じ、深々とソファーに身を沈め、目を閉じた。

 「奇跡は、起きなかったか・・・」
 
 

 同月同日同時刻、第3新東京市、中央総合病院ヘリポート。
 

 「ほんとに・・・いいの?」

 「・・・はい」

 

 伊吹は久しぶりに、あの抑揚のない少女の声を聞いたような気がした。

 三年前に時間が舞い戻ったような感覚に襲われる。

 だがたった一つの違い、それが『時』を物語っていた。

 少女の紅い瞳に浮かぶ、伊吹が一度も見たことのなかった涙。

 拭っても拭っても溢れてくる涙。

 それが少女の全てを表していた。

 

 「伊吹博士、そろそろ出ます」

 ヘッドギアから助手の声がノイズと共に聞こえてきた。

 

 バラバラと空気を切り裂く音とともに、病院のヘリポートがしだいに小さ

くなっていく。

 第三新東京市が、遠くに消えていく。

 

 少女の紅い瞳は、天井の一点を見つめたままじっと動かない。

 一筋の涙だけが、少女が生きていることを証明しているように見えた。
 

 伊吹はそっと少女の手を握りしめる。

 だが、握り返してくる力は感じられず、行き場のない悲しみと悔しさで、

全身が脱力感におそわれる。
 

 先輩、どうすればいいんですか?
 

 私には何もできないんですか?
 

 ・・・科学ってなんですか?
 
 
 

//Chapter2 「アクション」


 

 「ちょっと! あんたたち何してんのッ!?」

 見知らぬ男達がレイの部屋の鍵を開けようとしているのを見て、アスカは

叫び声を上げた。

 

 あの日から3日がたち、病院から元気に帰ってくるハズのレイの代わりに

寮にやってきたのは、どこかで見たことがあるような黒服の男と、お揃いの

作業服を着た数人の運送屋だった。

 

 黒服の男は寮母と一言、二言話した後、胸の内ポケットから何かのカード

を見せて、マスターキーを奪い取った。

 

 レイの部屋が開けられ、全てが段ボールに詰め込まれた。

 黒服の男は暴れるアスカを羽交い締めにして、作業を無事に終了させた。

 

 アスカは彼らのやり方を知っていた。

 一時の時間も無駄にするつもりはなかった。

 自分の直感を信じて部屋に駆け戻り、一番大きいバッグを押入れから取り

出すと着替えを詰め込んだ。

 そして、駅へ向かって駆け出した。
 

 アスカが飛び乗ったリニアは、第2新東京市行きの最終列車だった。

 

 人影もまばらな指定席に身を沈み込ませると、アスカは真っ暗闇の窓の外

に目をやった。

 しばらく窓に映る自分の瞳を見つめ続ける。

 

 列車が地下に潜り始めると、アスカは思い出したようにバッグの中から携

帯端末を取り出した。

 スイッチを入れて、電子メールのモードに切り替える。

 まずヒカリに事情を伏せて、後の事を頼むメールを送ると、次はシンジ宛

にメールを書き始めた。
 

   シンジ、あんたはそこにいて。

   動いちゃダメ。

   何かわかったら必ず連絡するから。

   絶対にじっとしてて。
 

   お願い、私を信じて。
 

 送信ボタンを押すと、今度は電話のモードを受信拒否に切り替えた。
 

 悲しい声に耐えられる自信が、今のアスカにはなかった。
 

 ひととおり事を終えると、大きく息を吐いてアスカは身体の力を抜いた。

 だが、身体を動かすのをやめた瞬間、得体の知れない絶望が、心に忍び寄

ってくるのを感じた。
 

 震えが、止まらなかった。
 
 
 

//Chapter3 「TOKYO-2」


 

 列車が第2新東京市に到着したのは夜の12時を回っていた。

 気ばかり焦って何度も足をもつれさせながらも、アスカは以前に2、3回

遊びに来たことがある伊吹のマンションにたどり着いた。
 

 玄関のチャイムを鳴らす。

 2回、3回。
 

 不機嫌そうな声がインターホンから聞こえてきた。

 「はいはい。どちらさんですか?」

 「青葉さん? アスカです。惣流・アスカ・ラングレーです」

 「アスカちゃん!? なんでこんな・・・ちょ、ちょっと待ってて、今開

  けるから」
 

 電子ロックが解除される微かな音がして、滑るようにドアが開いた。

 帽子を目深にかぶった青葉が、アスカを招き入れた。

 

 「いったいどうしたの? こんな時間に・・というよりこんな所まで?」

 アスカの真剣な表情に、青葉もただごとではないと察したようだ。

 「何も聞いてません?」

 「マヤ・・・から?」

 「はい」

 「んー・・・いや、別に。今日からしばらく帰りが遅くなるって電話はあ

  ったけど」

 「・・・」

 アスカは確信した。

 「それね」

 「は?」

 「マヤは再建委員会のビル?」

 「あ、ああ、そうだと思うけど」

 「・・・でも、入れるわけないか・・・」

 アスカは眉間にしわを寄せてぶつぶつと呟き始めた。

 「何かあったの?」

 青葉が上着を着込みながら言った。

 「・・・青葉さんも協力して」

 アスカの有無を言わさぬ迫力に、思わず青葉は頷いた。

 「レイがいなくなったの」

 「レイちゃんが? 『第三』の病院から?」

 「うん。きっとマヤんとこにいるはず。

  今日委員会の黒服が寮に来て、レイの荷物を全部持っていったの。

  レイに何かがあったんだわ、きっと・・・」

 青葉は嫌な予感がした。

 「わかった。ちょっと待ってろ。今車を出してくる」
 

 それから10分も経たないうちに、二人は目的のビルの入り口に立ってい

た。

 押し問答の末、青葉が伊吹に連絡を取ることでようやく入館を許可された

二人は、指示通り地下6階の特別集中治療室に向かった。

 通常、一般人は決して入ることの出来ないセキュリティーランクAのブロ

ックだ。VIPクラスの患者しか対応しない。

 警備員に案内された部屋は、何の飾り気もない待合室だった。
 

 二人が到着したと同時に、白衣姿の伊吹が向かいのドアから姿を見せた。

 「マヤ! レイはここにいるんでしょ!」

 開口一番、アスカは伊吹に詰め寄った。

 視線を逸らしながら伊吹は答える。

 「・・・ええ。そうよ」

 「なんで! どうして! レイに何があったの!?」

 伊吹は助けを求めるような視線を青葉に投げかけた。

 青葉は嫌な予感が的中したことを確信した。

 「・・・レイちゃんは・・・普通の生活に耐えられる身体ではなかったん

  だ。ずっと・・・生まれたときから・・・」

 「・・・!」

 アスカは振り返って青葉を見た。 

 「昔レイちゃんが定期的に本部に通っていたのは知ってるだろ?

  あれは身体のメンテナンスが必要だったからなんだ。

  特殊な溶液に浸すことによって身体の劣化を防ぐために。

  だがそのシステム根幹をなす秘密は、あの本部崩壊の時に赤木博士と碇

  司令の死によって失われた・・・」

 青葉は淡々と説明を続けた。

 ネルフの深層部にタッチしていた一人としての義務感がそうさせるのか。

 「・・・眠り続けていた3年間は、まさに奇跡が続いていたような状態だ

  った。

  外界からの刺激が少なく、精神状態も安定していたからかもしれない。

  だがレイちゃんは、目を覚ましてしまった・・・」

 伊吹が後を続けた。

 「私たちも全力を挙げて身体の変化がないか観察を続けていたわ。

  最初の2、3週間は何も問題がなかったの。

  けれども、今日、突然・・・・」

 

 アスカは沈黙するしかなかった。

 何も言えず、立ちつくすしかなかった。

 

 青葉は呆然とするアスカを椅子に座らせると、伊吹に向き直った。 

 「ところでシンジ君にはもう伝えたのか?」

 伊吹が目を伏せて答える。

 「いいえ。まだ何も言ってないわ・・・何度も連絡はあったようだけど」

 「どうして!」

 語気を強める青葉。

 「だって、だって・・・言えないわよ!

  あんなに頑張ったシンジ君に言えるわけないじゃない!」

 さらに青葉が伊吹に詰め寄る。 

 「それを決めるのはおまえじゃないだろ!

  シンジ君が解決すべき問題じゃないのか?」

 伊吹は涙を目に浮かべながらも、キッと青葉の目を見据えた。

 「レイちゃんの気持ちがわからないの?」

 手で顔を覆って嗚咽をあげ始める伊吹。

 (くそっ、神様はどこまで残酷なんだ・・・)

 青葉は神を呪いながら、伊吹の肩をそっと抱いた。
 

 二人のやりとりを爪を噛みながらじっと聞いていたアスカが、自分の携帯

端末を取り出した。

 アスカはメール確認のアイコンを押すと、ざっとメールに目を通した。

 未読メールは23通。

 2通はヒカリから。
 

 残りは全て、シンジからだった。
 

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 差出人:碇シンジ(JAF03757@west.tokyo3.high.ac.jp)

  日時:2018年 8月13日 午前0時12分

 タイトル:どこにいるの?
 

 アスカ、何があったの?
 

 今どこにいるの?
 

 綾波はどこに行ったの? 
 

 電話する
 

 ------------------------------------------------------------------
 

 差出人:碇シンジ(JAF03757@west.tokyo3.high.ac.jp)

  日時:2018年 8月13日 午前3時49分

 タイトル:[無し]
 

 電話にでてよ
 

 どうしてでてくれないの?

 

 どこにいるの?

 

 どこにいるの?
 

 

 

 

 

 

 

 

 二人ともどこにいってしまったの?

 ------------------------------------------------------------------
 

 差出人:碇シンジ(JAF03757@west.tokyo3.high.ac.jp)

  日時:2018年 8月13日 午前5時03分

 タイトル:待ってる

 どうして何も教えてくれないの?

 

 僕は知らなくていいことなの?

 

 そんなことないよね。

 

 信じて待ってればいいんだよね。

 でも、でも・・・

 

 早く・・・お願いだから・・・  
 

<Vol.12へ続く>



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