<Vol.12 世界に一つしかないモノ>

written on 1996/6/2


 
 

//Chapter1 「痛がる心」


 

 綾波レイは、完全に隔離されていた。

 温度も湿度も空気の流れさえも、全てが一定に保たれた無菌室。

 そこに『生』は感じられない。

 頑丈なガラスで仕切られた隣の監視室では、彼女の全てがモニターされて

いる。
 

 レイが身体の不調に気づいたのは、県大会の日の夕方だった。

 全身に微かな痺れが走り、思うように身体に力が入らなくなった。

 間近に迫っていた診察の日に言い様のない恐怖感を感じて、レイは一人部

屋で震えていた。

 シンジが勧めてくれた電話機が、彼女の心を吸い寄せて、ただ声が聞きた

くて、レイは生まれて初めて彼に電話をかけた。

 体中から勇気を絞り出して、受話器を上げた。

 

 だが、返ってきた答えは、機械的な話中音だった。
 

 二度目を鳴らす勇気が、レイには無かった。

 涙が受話器にこぼれ落ちた。
 
 

 そして彼女は、誰にも何も告げないまま、今ここに横たわっている。
 

 まだはっきりとした言葉を聞いたわけではないが、周りの様子から自分の

身体がどんな状態にあるのかは推測できる。

 予想していなかったと言えば嘘になる。

 3年前の記憶はそのまま残っていたのだから。

 

 創られた身体。創られた心。

 人になれた心。人になれなかった身体。

 一番欲しかったモノは手に入れられたけど、今はそれを保つために、嫌悪

していたあの沢山の身体が欲しい。
 

 消えてしまいたかった昔の私。

 死にたくない今の私。
 

 目覚めなければよかった。

 あのまま夢の中に消えてしまえばよかった。

 

 どうして私は目覚めたの?

 なんのために目覚めたの?
 

 別のレイがもぞりと蠢きだした。
 

 ――――私は碇君に何も言えないまま消えてしまったわ

 

 ・・・でも、あなたは碇君のために死ねた。

 私はなんのために死ぬの?

 碇君のためじゃない。

 ただ、死ぬしかないの。

 その時を、ただ、待っているしかないの。

 

 ――――あなたは碇君と一瞬でも気持ちが通じ合えたわ

 

 その一瞬の幸せが、今の私にはつらいの。

 どうしようもないくらいつらいの。

 夜も眠れないくらい怖いの。

 このまま眠ったら、もう二度と碇君の顔を思い浮かべることが出来なくな

るんじゃないかって。
 

 ――――私にはつらいと思うことさえできなかったわ

 

 ・・・そんなの・・・そんなの・・・知らない!

 私に言われてもわからない!

 こんなに悲しくて、寂しくて、つらくて・・・そんなの知らなかった・・
 

 ――――心が、痛いでしょう?

     胸が張り裂けそうでしょう?

     それが人になった証。

     あなたは望み通り人になれたの。

     それなのに嬉しくないの?
 

 嬉しくない!

 

 ――――嬉しくないの?

 

 嬉しくなんかない!

 

 ――――嬉しくないの?

 

 こんなの、こんなの、嬉しくないッ!
 

 ――――人になると、心が痛いでしょう
 

 痛い! いたい! イタイ!
 
 

 カチャリ

 

 隣の部屋のドアが開く音がスピーカーを通して聞こえてきて、果てしなく

続く思考の渦を断ち切った。
 

 視界の隅に、隣のモニター室に入ってくる冬月の姿が映った。
 
 
 

//Chapter2 「老人の罰」


 

 綾波レイの身体に異常が判明したその日から、MAGI−Sはその30%の

能力を使用して、ダミーシステムの根幹をなすシステムの解析に当たった。

 だが以前から続けられていた研究の結果に付け加えられる大きな成果は上

げられそうになかった。

 ダミーシステムに関する可能な限りの調査は、すでにこの時までに終了し

ていたのだから。
 

 徹夜明けの冬月に報告が入った。

 お決まりの挨拶を省かせ冬月は問う。 

 「それで解析結果は?」

 「現在40%程度までは分析できたのですが、それ以上はやはり物理的な

  損壊が激しく不可能との回答が。現状ではシステムを組み直せる可能性

  は皆無だと思われます」

 「・・・そうか・・・やはり無理か」

 

 MAGI−Sを使ってもダミーシステムの秘密は紐解けぬか。

 あの爆発さえなければ、いや、せめて碇か赤木君が生きておれば・・・
 

 冬月は頭をふった。

 

 あのようなものが存在した事実こそが抹消されねばならぬ。
 

 「伊吹博士はいるか?」

 「はい」

 しばらくして憔悴しきった伊吹の顔がディスプレイに現れた。

 「ご苦労だった。ところで彼女には事実を伝えたのかね?」

 「・・・いえ。まだはっきりとは」

 「私が行こう」

 「議長、何も自ら・・・」

 「いや、私にも責任があることだ。私に伝えさせてくれ」

 「・・・はい。今からデータを送ります」

 「頼む」

 

 転送されてきたデータを無表情に眺めると、冬月は重い足取りで部屋を出

た。

 冬月は地下6Fの集中治療室へと向かいながら、セカンドチルドレンがこ

こに来ているという報告を思い出した。

 

 彼女らしい行動力だな。

 ・・・しかし、彼は?

 果たしてこの事実を受け入れることが出来るのか?

 3年間の奉仕の代償がこのような形で結末を迎えるとは、あまりにも過酷

な運命ではないか・・・
 

 5分後、冬月はレイが収容されている集中治療室に到着した。

 人払いをした後、彼はマイクの前に歩み寄った。

 ガラス越しにレイの顔を確認することはできないが、モニターには懐かし

ささえ覚えるあの無表情な顔がある。

 軽く咳払いをして冬月は口を開いた。

 

 「レイ君、久しぶりだ」

 「お久しぶりです。副司令」

 「副司令はよしてくれ。冬月でいい」

 「はい」

 冬月は話をどう切り出すべきか悩んだ。

 「・・・・・・」

 「私はやっぱり死ぬんですか?」

 直接的なレイの言い方に冬月は僅かに言葉を詰まらせた。

 「・・・すまない。私たちの力では君を助けることはできない」

 「・・・いいんです。わかっていましたから・・・」

 レイの言葉に感情が全く感じられないのに冬月は驚いた。

 まるであの頃と同じように。

 自らの死を聞かされても全く動じないその姿に、冬月は感動さえ覚えた。

 レイが無表情に問う。

 「あとどれくらい生きられますか?」

 「・・・もって10日というところだ」

 「わかりました」

 「・・・すまんな」

 「はい」
 

 レイからそれ以上の言葉はなく、冬月はマイクを切った。 
 

 部屋を去る寸前、冬月はちらりとガラス越しにレイの姿を確認した。

 彼女は身体を折り曲げて、嗚咽を上げて泣いているように見えた。

 

 かつて道具として扱った少女の身体を震わせる姿から、冬月はしばらく視

線をはずせなかった。

 そして冬月は自分の頬を何十年ぶりかに伝う温かいモノに驚いた。
 

 「・・・私にも、まだ人の心が残っていたのか」
 

 老人は自嘲し、そして、涙を拭わぬまま扉を閉めた。
 
 
 

//Chapter3 「ヒトの叫び」


 

 「アスカちゃんが来てるんだけど・・・」

 伊吹がスピーカー越しにレイに問いかけたのは、冬月が去って小1時間ほ

ど経ってのことだった。 

 「アスカさんが・・・どうして・・・」

 「レイちゃんのことが心配で飛んできてくれたの。

  会える? 大丈夫?」

 どうしてアスカがこのことを知ったのかはあえて聞かず、レイは答えた。

 「・・・はい。謝ることがありますから」
 

 伊吹が廊下へ通じるドアを開くと、アスカが青葉とともに部屋の中へ入っ

てきた。

 泣き疲れて眠ったためか、アスカは目を赤く腫らしている。

 そしてレイを取り巻く環境に、その目を大きく見開かせた。
 

 ついこの間まで、一緒にご飯を食べ、お風呂に入り、同じ布団で眠りさえ

もした彼女なのに、今は分厚いガラスに阻まれて直接顔を見ることさえまま

ならない。
 

 アスカは両手をぎゅっと握りしめてマイクのある端末へ足を踏み出した。

 

 伊吹は後を青葉にまかせて退室する。

 残された青葉は壁に背をもたれて目を閉じた。

 

 アスカがモニターとマイクの前に立ち、スイッチを入れた。

 口をしっかりと結び、絶対に泣かないと心に決めて。
 

 しばらくの沈黙の後、先にレイが口を開いた。

 「ごめんなさい・・・

  何も相談しなくていなくなったこと、怒ってる?

  でも、これ以上優しくされたら、私、ダメになっちゃう気がしたから。

  今なら、まだ、諦められる。

  そんな気がして・・・・・・ごめんなさい」

 「バカ・・・」

 アスカはレイが何も言わずに消えてしまったことは気にしていなかった。

 いずれにしろ、こうなるしかなかったことなのだから。

 ただ、レイがあいつに何も連絡をしようとしないことだけが、気にかかっ

ていた。

 「シンジがあんたのこと好きだって言ってたわ・・・」

 アスカの言葉にレイの瞳が動揺する。  

 「あんたもシンジのことが好きなんでしょ?

  会わなくていいの? 好きだって言わなくていいの?」

 レイはモニターの向こう側で寂しく微笑んだ。

 「私は、いいの・・・

  3年間・・・3年間も、私は何も答えてやれなかった。

  碇君の時間を、私は無駄に使わせてしまったわ。

  どんな顔をして会えばいいのかわからない。

  なんて言えばいいかわからない。

  そんな都合のいいこと出来るわけ無い・・・

  私にそんな資格なんて無い・・・

  ・・・このまま誰にも知られずに消えていくのが一番良いと思うの」
 

 バンッ!
 

 アスカが端末に拳を打ち付ける音が部屋に響きわたった。

 何が起こったのかと、青葉が一瞬だけ目を開けた。
 

 アスカがレイを怒鳴りつける。

 「じゃあ、そのままシンジの前から消えてちょうだい!

  二度とその姿をあいつの前に見せないで!」

 「アスカさん・・・」 

 「うぬぼれないでよね、レイ!

  あんたなんかにシンジの何がわかるってのよ。

  ただ寝ていただけのくせに、わかったような口聞いてくれちゃって・・

  シンジがどんな気持ちで3年間もあなたのそばについていたと思うの?

  誰のために・・・あいつは・・・」

 アスカは一瞬声を詰まらせたが、再びレイの瞳をにらみつける。

 「あんたはそれでホントに納得できるの!?

  シンジと離れるのがつらいんでしょう?

  もっと泣き叫びなさいよ! わめいて、のたうち回って・・・

  この世界に・・・しがみつきなさいよ・・・・」

 アスカの頬を涙が伝う。

 「そんなの、まるで昔のあたしみたいじゃない・・・」
 

 アスカの涙が、レイの感情を高ぶらせた。
 

 「私だって・・・私だって・・・泣き叫びたい!

  でも、そんなことして何になるっていうの?

  死が遠のいて行くわけ?

  そんなことない・・・何をやっても、もう無駄なの・・・」
 

 アスカは力一杯頭を左右に振った。
 

 「ちがう、ちがう、ちがうッ!

  それがどうだってーのよ!

  あんたは理屈で生きてるの? それは昔のあなたでしょ。

  今は心で生きてる。そうじゃないの?

  だから泣きたいときには泣いて、わめきたいときにはわめく。

  好きな人がいればその人に会いたいって言いなさいよッ!

  それが生きてるってことじゃない!

  あなた、それじゃ、まだ人形と同じだわ!」
 

 「・・・もういい」

 二人のやりとりに耐えきれず、青葉がアスカを制した。

 青葉に両肩を掴まれたアスカが、最後に優しく言った。
 

 「シンジの事が、大好きなんでしょう?」
 

 だがレイからの返事はなく、アスカはうつむいて涙をぽたぽたとモニター

にこぼすと、力のない足取りで立ち去ろうとした。
 

 「・・・たい・・・会いたい・・・私、碇君に会いたいッ!」

 レイの声が聞こえた。分厚いガラスが震えたような気がした。
 

 振り向いたアスカの瞳と、ガラスの向こうで身体を起こしたレイの瞳が絡

み合った。
 

 アスカは力強く頷くと、走りだした。
 

 「すぐにあのバカ連れてくるから! それまで絶対に待ってなさいよ!」
 

<Vol.13へ続く>



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