<Vol.13 生まれてきた理由>

written on 1996/6/9


 
 

//Chapter1 「震える子供達」


 

 アスカが第3新東京市に戻ったのは、ギラついた光線を投げかける太陽が

高々と空に昇る頃だった。

 いつものアスカならば、その乱れた髪、腫れぼったい目のまま街中を歩く

ようなことは絶対にしないであろうが、今はわき目もふらず街中を小走りに

駆けていく。

 

 いったいシンジにどう説明するのか、何て言えばいいのか。

 自分の気持ちの整理さえついていないのに、とアスカは思う。

 とにかく一刻も早くシンジをレイの元へ連れていくこと。

 今はそれだけしか考えられなかった。

 

 シンジの部屋を訪れるのは久しぶりだったが、一度も道を間違えることは

なくアスカはたどり着くことが出来た。

 

 そっとノブに手を触れてみる。

 鍵はかかっておらず、抵抗なくドアは開いた。

 

 暗い・・・そして寒い・・・
 

 カーテンが閉められているからか、外の明るさに慣れていたアスカの目に

は、部屋中が真っ暗に見えた。

 クーラーが強烈に効いている。

 アスカはブルッと身を震わせると、暗闇の中に足を踏み入れた。
 

 後ろ手にドアを閉めて靴を脱ぎかけた時、

 「・・・アスカ?」 

 奥の部屋からか細い声が聞こえてきた。

 紛れもなくシンジの声だった。

 アスカは導かれるように奥の部屋へと足を進めた。
 

 シンジとおぼしき人影がベッドの上で膝を抱えて壁にもたれていた。

 

 「・・・アスカ・・なの?」
 

 シンジがゆっくりと顔を上げた。

 昨日から何も食べず、一睡もせず苦しみ続けた疲労が顔に表れていた。

 ようやく暗がりに目が慣れてきたとはいえ、アスカにはその表情はまだぼ

んやりとしか見えなかった。

 が、掠れた声に胸が押しつぶされ、容易に口を開くことが出来なかった。

 「・・・う・・・ん」
 

 「綾波はどこにいるの?」

 「・・・」

 「なんでいなくなったの?

  どうして一言も言ってくれなかったの?

  アスカはどこに行ってたの?

  何をしてたの?」

 「・・・」

 「綾波はどうなったの?」

 

 アスカは大きく息を吸って、カーテン越しの薄明かりに照らされ、ようや

くはっきりと見えるようになってきたシンジの顔を見つめた。

 「・・・彼女は病状が悪化して第2新東京市の病院に移されたわ。

  回復する可能性はゼロに近いの。あんたも早く会いに行くのよ」
 

 「・・・病気? ・・・何言ってるのさ? 

  綾波はあんなに元気だったじゃない。

  アスカ・・・何言ってんのかわかんないよ。・・・ハハハ」

 シンジは乾いた笑い声を上げた。 
 

 「レイはもうすぐ死ぬの」
 

 アスカは冷酷にもとれる口調で言い放った。

 シンジに彼女のことを告げる――――その重荷を背負うことでアスカはレ

イへの負い目をはらそうとしたのかもしれない。

 彼女のことを何も知らなかったのに、ただ嫌悪し、人形と罵った3年前。

 そしてレイが目を覚ましてから抱き続けた嫉妬、あるいは憎しみか。

 

 「死・・ぬ・・・?

  誰が? 綾波が?

  ・・・そんな、そんな・・・」

 シンジは最悪の、しかし昨夜から最も頭を支配していた想像を現実に突き

つけられ、言葉を詰まらせた。

 「嘘だよ・・・そんなこと・・・」

 口をついて出るのは否定の言葉だけだったが、頭のどこかで冷静に事実を

受け止めている自分をシンジは嫌悪した。

 「ちがう、ちがうっ、ちがうぅぅっっ!!」

 シンジは叫び、そして頭を膝の間に埋めた。

 「ううっ。ううぅぅ・・・ちがうよぉ・・・

  そんなの・・・ちがう・・・

  ・・・うっ、うぇぇっ」 

 嗚咽を上げていたシンジが、突然ベッドを飛び出し洗面所に駆け込んだ。

 激しく嘔吐する音が、シンジの後を追ったアスカの心を締め付ける。

 「大丈夫?」

 アスカの言葉には何も答えず、昨日から何も食べていないシンジは、胃液

を絞り出すと、

 「・・・うぅぅ」

 水を口に含み、吐き捨てた。

 シンジはその行為を何度も繰り返した。
 

 蛇口から水のほとばしる音に混じってシンジがぽつりと言った。

 

 「・・・もっと泣きわめくと思ってた。

  気が狂っちゃうんじゃないかと思ってたのに・・・

  涙がもう出てこないんだ・・・枯れちゃったのかな・・・

  こんなに悲しいのに・・・もう出てこないんだ・・・」
 

 鏡に映った自分の顔をシンジはじっと見つめる。

 

 アスカが、恐る恐る、ガラスの破片に触れるように、手を差し伸べた。

 シンジの身体に触れようとした。

 

 だがアスカの手が肩に触れた瞬間、シンジは身体をびくと震わせ、身を避

けた。

 アスカは何もできない自分が悲しかった。

 差し伸べた手は行き場を失い、また元の場所に戻るしかなかった。
 

 だがその瞬間、シンジが遠ざかっていこうとしていた手首を掴んでぐいと

引き寄せた。

 突然の行為に、そしてその力の強さにアスカは驚いた。

 なされるがままに、シンジの側に引き寄せられる。

 シンジがアスカの背に手を廻した。

 

 「ごめん・・・少しだけ、このままで・・・」
 

 シンジはアスカの胸に顔を埋めて泣きだした。

 赤ん坊のように、ただ泣いた。

 涙がまたあふれ出してきた。
 

 そんなシンジをアスカは悲しみと優しさで彩られた瞳で見つめる。

 (好きなだけ泣いていいのよ・・・)

 優しい手が、震える頭をそっとなでつけた。
 

 ずっと、ずっと、ずっと・・・
 
 
 

//Chapter2 「老人の務め」


 

 『逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ・・・』
 

 いつものセリフを心の中で一万回ほど繰り返した頃だろうか。

 シンジはアスカと共に第2新東京市へ降り立った。

 アスカが側にいてくれなかったら、ただ部屋の片隅で震えていることしか

出来なかっただろう。 
 

 綾波――――どうして? なぜ?

 レイとアスカがいなくなってから悩み続け、たどり着いた結論に果てしな

い暗黒に吸い込まれていくような虚脱感を感じ、しかしその恐ろしい結論を

どうしても否定できず、ただうずくまって震えていたのに。

 いざ事実を知ってしまうと、こんなにも冷静に対処している自分が不思議

だった。

 悲しくないわけがない。

 綾波の紅い瞳、空色の髪、そよ風のように気持ちいい笑い声、はにかんだ

笑み、うつむいて頬を赤くした顔、初めてコーラを飲んだときの目を白黒さ

せた顔、朝の待ち合わせに遅れて息を切らせて走ってくる姿・・・

 綾波のコトは何を思い出してもすぐに涙がこぼれそうになる。

 

 なのに、なのに、僕は心のどこかで覚悟をしていた?
 

 僕にはわかっていた?

 綾波が目覚めた事自体が奇跡だったってコトを。

 この1ヶ月間は神様がくれた贈り物だったんじゃないかって・・・
 
 

 今日二度目の第2新東京市を歩きながら、アスカは考える。
 

 はたしてシンジを連れてきたことが正しい行為だったのか。

 二人を会わせない方が悲しみが少なくて良かったのではないかと。

 でもそれは、単に自分が二人の悲しんでいる姿を見たくないからかもしれ

ない。いや二人の心が触れ合うのを見るのが怖いからかも・・・
 

 アスカはちらりと後ろを歩くシンジに目をやった。

 シンジはアスカと目が合うと無理にでも笑顔を作ろうとする。

 アスカにはそれが痛々しかった。
 
 

 世界再建ビルにたどり着いた二人を迎えたのは青葉だった。

 彼は、冬月がシンジに対して事の説明を希望しているということを伝えた。

 アスカは一足先にレイの元へ、シンジは青葉に付き添われて最上階の議長

室へ向かうことになった。

 シンジは終始無言だった。

 ひとたび口を開けば、また悲しみの言葉が口をついて、どうしようもなく

なる気がしたから。
 

 青葉は議長室の扉の前に立つと、シンジを目で促した。

 シンジは頷いて、ノックを2度した後、重厚な扉を押し開いた。

 冬月が、いた。

 

 シンジが入室して10分ほど経った頃であろうか、突然少年の罵声が部屋

の中から聞こえ、青葉は部屋に飛び込んだ。

 シンジが冬月に掴みかかっていた。
 

 「何でだよぉっ!!

  何で綾波が死ななきゃなんないんだよぉっ!!

  答えてよっ!

  冬月さん、何とか言ってよっ!!」
 

 シンジに襟首を掴まれた冬月にいつもの威厳は見られず、青葉の目には、

ただ疲れ切った老人にしか見えなかった。

 

 「ひどすぎるよ・・・そんなの・・・ひどすぎるよ・・・

  何のために綾波は生まれて来たの・・・

  父さんに利用されるためだけじゃないだろ・・・

  綾波にはもっと幸せになる権利があるよ・・・」

  

  ヒック・・・ウウッ・・・

 

 青葉がシンジの側に立つ。

 「シンジ君、もういい。冬月さんを責めてもしかたないだろう」
 

 冬月のしなびた手がシンジの肩の上に力無く置かれた。

  

 「人は理由を持って生まれてくるわけではない。

  生まれたことに理由があるわけではないのだよ・・・

  ・・・確かにレイ君は、碇の手で目的を持って生み出された。

  しかし、自らが自らの人生に意味づけを行うという点では、我らと同じ

  はずだ・・・」 
 

 青葉は涙で目を真っ赤にはらしたシンジを冬月から引き剥がした。

 最後に一礼を残し、そして部屋を出た。
 

 冬月は扉が閉じるのを確認すると、椅子に身体を深々と沈み込ませた。
 

 「碇、我らが犯した罪は大きいぞ。

  私一人ではつぐないきれぬ・・・」
 
 
 

//Chapter3 「見つめ合う瞳」


 

 地下6Fの特別集中治療室のドアの外で、アスカは待っていた。

 廊下の向こうからシンジが、力強くはなかったが、真っ直ぐした足取りで

近づいてきた。

 彼女は何か言いたげにシンジの顔を見つめたが、その張りつめた雰囲気に

結局何も声をかけることが出来なかった。

 「ここで待ってて」

 シンジは一言言うと、ゆっくりとドアを開いて中に姿を消した。

 シンジの姿が見えなくなると、アスカはずるずると壁に背をもたれて、ぺ

たんと廊下に腰をおろした。

 腕で顔を覆って、彼女はまた泣いた。
 
 

 部屋に入ったシンジはガラスの壁に向かって歩き出した。

 冷たい感触のガラス壁に両手を張り付けて、少女が横たわるベッドを見つ

める。

 たった1週間ぶりなのに、数歩歩けば触れることが出来る距離なのに、二

人の間にはどうしても乗り越えられない壁がある。

 シンジはただ少女の横顔を見つめるしか出来なかった。
 
 

 レイは懐かしい視線を横顔に感じた。

 昔から感じていたその視線。

 学校で、本部で、エヴァに乗っているときも感じていた。
 

 レイはゆっくりと顔を横に傾けた。

 ガラス壁の向こうに『彼』がいた。

 失われつつある力が、一瞬だけ燃え上がったような気がして、レイはふら

ふらと立ち上がり、歩き始めた。

 ぱさりと毛布が床に落ちた。
 

 一歩、また一歩。

 レイはふらつきながらもガラスの壁に歩み寄る。

 最後の一歩は半分よろめくようにして辿り着いた。

 

 ぺた。
 

 レイが右手を合わせた。

 

 ぺた。

 

 今度は左手を。

 

 コツン。

 

 そして額を――――

 

 二人は右手を、左手を、そして額を合わせて見つめ合った。

 分厚いガラスを通して微かにお互いの体温が伝わってくる。
 

 レイが一瞬目を伏せ、そしてにっこりと笑みを浮かべて再び瞳を上げた。

 薄い桜色の唇が小さく動いた。

 

 『ア・リ・ガ・ト・ウ』

 

 レイは簡単に壁を乗り越えて、シンジのココロに飛び込んできた。

 

 シンジは胸が詰まって何も言えなかった。
 

 だから、ただ、レイの紅い瞳を見つめ続けた。

 

 3年間の眠りから覚めたあのときのように。

 

 全身全霊を込めて。
 
 

<Vol.14へ続く>



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