<Vol.3 信じるココロ>

written on 1996/5/6


 
 

//Chapter1 「病室に潜む闇」


 

 僕は今日もここにいる。

 綾波の、そばにいる。

 

 一般の病棟から少し離れたところにあるため、『綾波レイ』の専用病室は今

日も静かだった。

 隔離されているのは、もちろんシンジの心情をおもんばかってのことだけで

はない。

 国連直属の非公開組織、超法規的国際武装集団であったネルフの実像を暴き

出そうとする輩の目から逃れるためであり、また現在でも世界再建委員会から

Aクラスの監視が義務づけられている元チルドレン(適格者)という肩書きの

ためでもあった。

 隔離病棟の中にひっそりと病室が設けられているのはそのためである。
 
 

 シャッ
 

 僕は窓辺に近づき、一息にカーテンを開けた。

 穏やかな月の光が差し込んでくる。
 

 『月』 ―――― 綾波のイメージ。
 

 エヴァに乗っていた頃はそんなこと思いもしなかったけど、今、こうなる前

の綾波を思い出そうとすると、必ずと言っていいほど月とともに彼女はいる。

 月をバックにたたずむ、プラグスーツに身を包んだ綾波。

 初めてあった頃、その紅い瞳は敢然たる決意に彩られ、

 ただ一人――――僕の父『碇ゲンドウ』のみを見つめていた。

 けれども、それから長い戦いの果てに、綾波は変わった。

 見知らぬ感情に戸惑い、自分の存在に疑問を抱き、父のシナリオに同期しな

くなっていった。

 そして最後は、自らの手で、全てを打ち壊した。
 

 僕は、いつもカーテンを開けて、綾波を月の光で照らしてみる。

 何か反応はないだろうかと。

 微かな期待を込めて。
 

 もちろん、これまでは何もなかった。
 

 そして、やっぱり、今日も何も起こらない。
 
 

 今日の僕は、なんだか本を読んで聞かせる気分にはなれなかったので、TV

をつけて綾波のそばでぼんやりすることにしていた。

 ニュース番組のアナウンサーがしゃべる人間味のない声が耳に入ってくる。

 

 『・・・で、今日未明、二人の死体が発見されました。

  警察の発表では、残された遺書から判断して、寝たきりの母親の看病を苦

  にした息子の犯行ではないかとの見方が強まっています・・・』

 

 こんなニュースを聞く度に、最近の僕は、綾波の細い首を見つめてしまう。

 白い透き通るような首筋に、僕の目は吸い寄せられてしまう。

 

 心の中で僕は手を伸ばす。

 

 綾波の目は何も見ていない。綾波の心は何も感じていない。

 何もわからない。

 

 僕も何も見ていない。僕も何も感じない。

 僕も一緒に消えるから。

 

 『生と死は等価値なんだよ』

 カヲル君の言葉さえも、今は皮肉に聞こえてしまう。
 

 だが、綾波の首に手をかける寸前で、僕の妄想は必ず途切れてしまう。

 

 ――――また、逃げようとしているね。

 

 どこからか語りかけてくるこの言葉に、僕の妄想は閉ざされる。

 そしていつものセリフ。

 

     逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ。

     逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ!!

  

 僕は何万回このセリフを頭の中で繰り返しただろう。

 それでも、また同じセリフを何回も繰り返す。

 

 初めてエヴァに乗ったときのことを思い出しながら。
 

 エヴァに乗って戦いを続けていた日々を思い出しながら。

 

 綾波に父さんを殺させてしまったあの時を思い出しながら。

 
 

 そう、――――まだ、逃げちゃダメだ。

 

 

//Chapter2 「涙、止まらず」


 

 重苦しい気持ちのまま、僕はアパートへと帰り着く。

 機械的に郵便受けを探ると、今日は珍しく手に当たるモノがあった。

 一通の封筒。中身は1枚のDVD(ディジタル・ビデオ・ディスク)。

 差出人は『青葉シゲル』、そして『伊吹マヤ』。

 連名だった。
 

 久しぶりに目にする懐かしい名前に、少しだけ心が軽くなって、僕は2段飛

びに階段を駆け上がった。

 部屋に入るとすぐにカバンをベッドの上に放り投げて、あまり使われないま

まほこりをかぶっていたプレイヤーへ、ディスクを挿入する。
 

 わずかなノイズの後、クリアーな画像が流れ出してきた。

 

 懐かしい顔! 青葉さんだ!

 

 サングラスをかけて、暖かそうなソファーに腰掛けている。
 

 『シンジ君。元気にしてるかい?』
 

 カメラの向こうの青葉さんは、簡単に挨拶をすると、思い出したようにサン

グラスをはずした。

 素顔が、現れた。

 僕は、その見慣れない顔をあいかわらず正視できない自分に嫌悪感を催して

しまう。

 青葉さんは、最後の戦いの時起こった本部の大爆発に巻き込まれて、左半身

に大きなやけどを負った。

 特に顔面が酷く、左目の視力は、今も回復しない。

 あの長かった頭髪も左半分は無くなり、二度と生えてこなくなった。

 皮膚を移植する手術を行えば、ほとんど見た目にはわからなくなるくらい回

復できるという話を、青葉さんは断固として受け入れなかった。
 

 これは、俺の、大切な思い出なんだよ。

 碇司令や葛城三佐、赤木博士、加持さん、それから何百人の職員達。

 彼らの死を忘れないために、ネルフにいた自分を忘れないためのな。
 

 傷を負う前と全く変わらない調子でしゃべっていた青葉さんを、僕は思い出

す。

 確か、あれは第2新東京市へ引っ越す青葉さんを見送りに行った駅のホーム

だったと思う。

 強い人だ――――僕はその時あらためて思った。

 

 ネルフを退職した今、青葉さんは売れないバンドでギターを弾いてるそう

だ。

 一度だけ、第2新東京市に行ったとき、小さなホールで演奏しているのを聞

いたことがある。

 上手いのかどうか、僕にはよくわからなかったけど、青葉さんが本当に楽し

んでいることだけは感じることが出来た。

 そして今は、世界再建委員会の冬月さんの下で働いているマヤさんと一緒に

暮らしている。

 結婚は、しないそうだ。

 でも、きっと、二人は死ぬまで一緒に違いない。

 他人のことなのに、僕は確信を持って言える自分に驚く。

 自分の決断にさえ自信が持てないというのに。
 

 『やっほー。シンジ君、元気してた』

 がばっと、青葉さんを後ろから抱きすくめる格好で、画面にマヤさんが表れ

た。

 かわってないや。

 あいかわらず若々しい。

 にこにこしながら、こっちにむかってピースサインなんか出してるんだもん

な。

 

 突然抱きつかれた格好の青葉さんは、ちょっと照れくさそうにマヤさんをふ

りほどいて言った。

 『あっちいってろよ。俺が話してるんだからさ』

 マヤさんは少し不満そうに頬をふくらませたけど、青葉さんがジト目でにら

んでいるので、仕方なく画面の外へ消えていこうとした。

 『いいじゃない少しくらい。けち。じゃ、シンジ君、また後でね』

 手を振って画面の外に消えていったマヤさんに、僕は子供みたいに思わず手

を振ってしまい、一人部屋の中で顔を赤くしてしまった。

 

 『ところでな、シンジ君』

 青葉さんはマヤさんが画面の外に出たのを確認すると、再びこっちに向き直

って口を開いた。

 『アスカちゃんからマヤんとこに届いてる手紙の話、ちょっと聞かせてもら

  ったんだけど、あんまり思い詰めるなよ。

  出来る限りのことをやって、それでもだめだったら諦めてもいいと思うぜ。

  きっとレイちゃんも望んでないさ。

  シンジ君の一生を縛り付ける事なんて』

 

 青葉さんの言葉は続き、優しさが僕の身にしみる。

 

 わかってます。

 綾波が望んでないこともわかってます。

 でも僕が望んだことですから。自分で決めたことですから。
 
 

 だけど、最近、自分が怖くなるときがあるんです。

 

 僕はどうすればいいんですか?
 

 僕に何が出来るんですか?
 
 

 ――――アヤナミハ、メザメルノデスカ?
 

 

 涙が、落ちる。

 

 久しぶりに流した涙は、いつまでも止まらなかった。
 
 

<Vol.4へ続く>



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