<Vol.4 想い>

written on 1996/5/7


 
 

//Chapter1 「トドキマスカ?」


 

 いつもの帰り道。

 デートが終わった帰り道。

 『そこの公園で、もう少し話していかない?』

 先輩がそう言ったとき、あたしはきっとこうなることを予感していた。

 

 

 あたしが付き合っているのは、シンジが入ってる陸上部のキャプテン。

 外見は当然かっこいいし、頭も悪くない。

 短距離の選手で、全国大会にも出場するほどの実力。

 少なくとも、あたしが通う高校では1、2を争うほどのいい男。

 それは、他のみんなも認めてる。
 

 でも付き合う気になったポイントは、センスがいいところ。

 服のセンスとかじゃないの。

 人付き合いのセンス。

 お互いが気持ちいい距離を見つけてくれる。

 やたら相手の心に踏み込まず、かといって自分の心を隠すでもない。

 ちょうどいい距離。

 それが、先輩の優しさ。
 

 学校ではもちろんベストカップルでとおってるわ。

 何しろ、あたしと先輩なんだもの。

 

 ヒカリが一度言ってたっけ。

 『碇君へのあてつけなら、やめたほうがいいわよ』って。

 でも、そんなぶぁかなことは、ぜぇったいにありえない。

 あのスカタンと比べたら、先輩が可哀想になるわよ。

 

 そう。

 ちょっと加持さん似の先輩が、あたしの恋人。
 

 そして今、あたしはその先輩とキスをしようとしている。

 

 今までも何回かそんな雰囲気になることはあったけど、あたしが逃げてたよ

うな気がする。

 何かうまくいえないけど、そんな気分にはなれなかった。

 

 でも、別に、キスくらいって、今日は思える。

 もう17歳だしね。遅れてる方なんだから。
 

 だからあたしは目を閉じた。

 じっと先輩の唇が触れるのを待っている。

 目を閉じて、ただ待っている。

 

 先輩の大きい手があたしの顎をそっと支えてくれた。

 あったかい。

 

 先輩の顔が近づいてくるのがわかる・・・

 

 あと少し・・・10cm・・・5cm・・・3cm・・・
 

 ・・・
 

 !
 

 けれど突然、目を閉じたシンジの顔があたしの脳裏に浮かんできた。
 

 ガチガチに緊張して、あたしのキスを待ってたあいつ。

 抱きしめることも、優しい言葉をかけることも出来なかったあいつ。
 

 「・・・だ」
 

 「や・・だ」
 

 「やだ!!!」

 

 あたしは思わず大声を出して先輩を押しのけてた。

 先輩がびっくりした顔であたしを見つめてる。
 

 「ご、ごめんなさい・・・」

 あたしは謝ることしかできなかった。

 先輩は一瞬だけ悲しそうな目をした。

 胸が、痛くなった。

 

 「・・・・」

 ちょっとだけ空を見上げた後、先輩は言った。

 「彼、だろ」

 

 ――――そう、あいつなんです。

 

 「ごめんなさい」

 「いいよ、気にしないで。謝られたら、いっそう俺がなさけなくなっちまう

  じゃないか」

  

 あたしは先輩の優しさに最後まで感謝して、大きくおじぎをした。

 やっぱりいい男だったわ。あたしの目に狂いはなかった。
 

 でも、と、あたしは振り返る。

 解き放たれた小鳥のように駆け出す。

 公園の出口を通り抜け、歩道へ飛び出していく。

 

 

 あいつじゃなきゃだめなの。
 

 やっぱりあいつしかいないの。

 

 あたしと似てる。

 あたしと同じ。

 

 同じ時を過ごして、同じように過去の傷と戦ったあいつ。

 

 いつだって他人のことばかり気にして、自分を責めてた内罰的な男。

 D型装備も付けないでマグマの中に飛び込んで、あたしを助けた男。

 

 人付き合いが苦手で、いつもあたしを苛立たせて、

 それなのに、いつのまにかあたしの壁を乗り越えて。

 誰にも言わなかったことまで、ぺらぺらとしゃべらせた男。
 

 ――――知らない間にあたしの心の中に住み着いていたの。
 
 

 気がつくと、あたしはすごく軽い足取りで寮に向かっていた。

 

 早くママに伝えなきゃ。

 

 昨日書いたことは気の迷いでしたって。

 やっぱり、あたしはシンジが大好きだって!
 
 
 

//Chapter2 「トドキマシタカ?」


 

 ――――昔、綾波レイという、肉の嫌いな少女がいました。
 

 

 また儀式の日がやってきた。

 綾波に『肉』を食べさせる日。

 綾波が生きていることを確認する日。

 僕がまだ逃げられないことを心に刻みつける日。
 

 僕が料理を続けてる間も、綾波はどこか焦点の定まらない視線で、じっと、

じっと白い壁を見つめていた。
 

 そこに何があるのだろう。

 いったい何が見えているのだろう。

 

 いくら考えてもしょうがないことだけど、そんなことを思いながら僕は料理

を続ける。

 食欲をそそるにおいがキッチンに充満する。
 

 よし。

 

 我ながら上出来のステーキができあがった。

 自炊生活も――あの頃を加えれば――もう軽く3年を過ぎていた。

 自分で一口食べてみて、うまい、と心の中で思ってしまう。
 

 そして、そんな自分が悲しくなる。

 綾波がこんな風になっているそばで、おいしいと感じてしまう自分が腹立た

しくなる。空腹感をおぼえる自分が醜い生き物のように思える。
 

 僕は消えたくなる。
 

 ――――でも、まだ、もう少しだけ。
 

 気を取り直して、僕はお皿に料理を移した。そしてベッドのそばまで運んで

いくと、椅子に腰掛けて、大きく深呼吸をした。

 

 大丈夫。

 これまで28回もこの儀式は成功してきた。

 今日も成功するはずだ。

 

 根拠のない確信を持って、僕は箸を取り上げた。

 肉を一切れつまんで、そして綾波の口元に運ぶ。

 

 緊張のあまり、箸先が震える。

 

 綾波は口を真一文字に結んだまま、開かない。

 いつもの食事だったら口を開く距離に持っていっても、まだ開かない。

 

 僕は体中の力が抜けていくのを感じた。

 

 良かった。

 まだ、望みはある。

 

 僕は肉をお皿に戻すと、頭を垂れ、ぎゅっと綾波の手を握りしめた。

 強く。

 ただ強く。

 綾波の体温を感じたかった。

 少しだけ冷たい指先が気持ちよかった。
 
 

 「・・・る」

 

 ――――?
 

 その時何かが――――はっきりとはわからなかったけど、何かが起こった。

 なんとなく、声のようなものが頭の上から聞こえたような気がしたので、僕

はゆっくりと顔を上げた。

 心臓がばくんと跳ね上がったような気がした。

 

 「・・・じわる」
 

 再び、声が聞こえた。

 今度は耳だけでなく目でも確認できた。

 確かに、目の前の、青い髪と紅い瞳を持つ少女が口を開いた。

 僕の目と耳がおかしくなければ、彼女が言葉を発したのは確かだった。
 

 「私が肉嫌いなこと、知ってるくせに」

                           ――――感じる。
 

 その声は限りなく優しく、涙に潤んだ紅い瞳は僕の心臓を鷲掴みにして離さ

ない。

                 ――――僕の心が動き出すのを感じる。
 

 僕は、ようやく口を開くことはできたけれども、そこから何を発すればいい

のか、わからなかった。

 ただ、呆然と、見つめるしかできなかった。
 

 こんな時、どんな顔をすればいいのかわからなかった。

 「あの時みたいに笑ってくれないの?」

 

 目の前の少女は、微笑みながら言った。

 その言葉を聞いて僕は今度こそ、本当に確信を持った。

 

 綾波だ・・・

 やっぱり綾波だ・・・!

 綾波が目を覚ましたんだっ!!!!
 

 僕は何も言えず、ただ涙を流して笑った。
 

 綾波もこぼれる涙を拭おうともせず、ただ笑った。

  

 涙を流している綾波。僕に笑顔を見せる綾波。

 

 あまりにも突然で、いきなりで、初めてのことに、僕はただ心の中で思うし

かなかった。

 

 死んでもいい。

 

 もう、思い残すことはない。

 

 僕は、本気でそう思った。
 
 
 

//Chapter3 「オワリノハジマリ」

 
 

 淡い月の光が二人を照らす。

 

 感情の高ぶりが落ち着いた後の静寂。

 少年の視線はただ、じっと少女の横顔に注がれたまま。

 まるで、目を離すとこの世から消えてしまうと決め込んでいるかのように。
 

 そして少女も、その視線を感じることで安心感に包まれていた。

 

 毛布の上から膝を抱え込んだまま、少女は言葉を紡ぎ出す。
 

 「碇君がいつもそばにいてくれたこと、私、知ってたような気がする」

 「とても、暖かい光が、私を包んでた・・・」

 

 少女は少年の瞳を見つめる。

 

 「眠っている間も、ずっと幸せだった」
 

 解き放たれる少年の心。
 

 「今は・・・もっと、幸せ・・・」
 

 じっと二人は見つめ合う。

 何も言葉は要らない。
 

 お互いの全てが信じられる。
 

 二人は、そんな気がしていた。

 

 ――――止まっていた時が、再び走り出す。
 
 

<Vol.5へ続く>



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