<Vol.8 スクール・デイズ3>

written on 1996/5/26


 
 

//Chapter1 「好敵手」


 

 容赦なく照りつける太陽。

 ぬけるような青空。

 バカみたいに大きな入道雲。

 

 県大会の日は『真夏』のイメージそのものだった。

 僕はゲートをくぐり、自分との戦いを始めるために、舞台へと足を踏み入

れた。
 

 ――――暑い。

 

 周りを観客席で囲まれたこの陸上競技場の底辺は、まったく蒸すような暑

さだった。

 むっとする熱気に、ただ立っているだけで汗がにじみ出してくる。

 ハイジャンプのブースまで歩いて行くと、顔馴染みの選手達の姿が目に入

ってくる。

 でも、無愛想な僕にいつも声をかけてくれるのはこの人たちだけ。

 北高の桐丈さんと、陵高の泰治くんだ。

 

 「よっ、碇。今日もクソ暑いな」

 桐丈さんは全国大会の常連で、しかもファイナリスト(決勝出場者)を何

度か経験している3年生。

 神奈川県のハイジャンプをやってる人間で知らない人はいないと思う。

 背が高くて髪を茶色に染めて長くのばしているから、いやでもすぐに覚え

てしまうし。

 ちょっと軽いところが好きじゃないけど、競技にはいると真剣そのもので

、近寄りがたい雰囲気を漂わせる人だ。
 

 「ところでさ、今日はいつものアスカちゃんと、もう一人すごく可愛い娘

  を連れて来たんだな」

 桐丈さんがにやにやしながら視線を飛ばした方向へ、僕も目を向ける。

 割と近い観客席に、いつの間にかアスカと綾波が座っているのが目に入っ

てきた。
 

 ほんとに来てくれたんだ・・・

 口元が緩みそうになるのを慌てて抑えて、桐丈さんの方を見た。
 

 「俺に紹介してくんない?」

 やっぱり・・・アスカの時と同じセリフ。

 「・・・僕の妹です」

 抑揚のない声で、僕は答えた。

 

 「妹? ・・・ってーと、俺はお前のことお義兄さんって呼ばないといけ

  なくなるワケ?」

 「そんなわけないでしょっ」

 「冗談だよ。冗談。あいかわらず冷たいねぇ君は」

 そして振り返って、

 「な、泰治もそう思うだろ?」

 声をかけられたもう一人の顔馴染みが、口元に笑みを浮かべながら近づい

てきた。

 「こんにちは」

 僕と同い年で、髪を短く刈っている泰治くんは、典型的な陸上選手といっ

た感じだ。

 

 いつもこの3人で表彰台を独占している。

 僕は一度も一番高い台に登ったことはないけれど。

 別に登りたいとも思わなかったけど。

 

 今日は、違う。

 

 しばらく雑談を交わした後、軽いアップを始めるために、僕は二人のそば

を離れた。
 
 

 残された二人の目が、黙々とアップを続けるシンジの姿を追う。

 

 「今日はいつもと違うな」

 「そうですね。今までと目が違いますよ」

 「本気をだされちゃ困るんだがな」

 「そんなこと言いながら、顔が笑ってません?」

 「まーね。一度は本気でやってもらわないとすっきりしないからな」

 「参ったな・・・せっかく桐丈さんがいなくなって全国にも行きやすくな

  ると思ったのに」

 「ばーか。そんな弱気じゃアスカちゃんにも嫌われるぞ」

 「あーっ、それは言わない約束だったじゃないですか!」

 

 笑い声が空に響き、ハイジャンパー達の戦いが始まった。
 
 
 

//Chapter2 「芝生の上で青い空を見上げる子供達」


 

 午前中はいつもよりいい感じで競技を終えることが出来た。

 桐丈さんはほとんどの試技をパスして、いつも通り最小限の力で上がって

きている。

 泰治君と僕も一回目でクリアすることが多く、僕たち3人に選手が絞られ

てしまったところで、昼休憩の時間になった。

 他の種目はまだ競技を続けているものもあって、お昼は各自でとるように

なっていたので、僕は綾波とアスカと一緒に競技場を出た。

 競技場の側には立ち入り可能な芝生の広場がいくつもあって、これまでの

大会でもよく食べていた場所に、綾波とアスカを誘う。
 

 「今日はなんだか安心して観れたわよ。でも、また、あの二人なのね」

 アスカが歩きながらぐっと拳を握りしめる。

 「桐丈のバカと泰治くん。たまには手加減してくれたらいいのに」

 「そんなの僕は嬉しくないよ」

 「あ・た・し・が悔しいの。また桐丈のバカに色々言われちゃうんだから」
 

 アスカもあの二人と随分仲良くなったんだ。

 そういえば、アスカが応援に来るのはこれで何度目だろう。

 昔はいつも側にいてくれたような気がする。

 最近は・・・

 この前はキャプテンと一緒にお昼食べてたよな・・・

 別れたって噂・・・やっぱり本当なんだ。
 

 何だかほっとしている気持ちを味わっていると、綾波がじっと僕の顔を見

つめているのに気がついて、慌てて僕は彼女に向かって口を開いた。

 「あ、あのさ。ハイジャンプなんて、似合わないかな?」

 ちょっと訊いてみたかったことだった。

 「ううん」

 綾波はちょっと首をかしげた後、

 「お兄ちゃんが飛ぶ姿・・・とても、綺麗だった」

 すかさずアスカが突っ込みを入れてきた。

 「そうなのよ。レイったら、シンジが飛んでる時って、ほけっと見とれて

  んのよねー。口なんか半分開いちゃってさ」

 「やだ・・・そう・・・なの?」

 綾波が慌てて口を押さえて顔を赤くするのを見て、アスカが再び茶々を入

ながら笑い声をあげた。
 

 僕は何だか嬉しくなる。

 口元がにやけてくるのを止められない。
 

 そんなことを話しているうちに僕たちは目的の広場へたどり着いていた。

 風の良く通る木陰を見つけると、アスカがビニールシートを広げて、バス

ケットからいろんな形の入れ物を取り出し始める。

 「これはレイでしょう。これは私。このタコさんはヒカリに手伝ってもら

  ったの。そうそう。ヒカリが、今日は用事があって応援行けないけどよ

  ろしくって言ってたわよ」

 「今度お礼言っとくよ。それよりさ、早く食べようよ」

 「へへぇ。おいしそうでしょ」

 アスカが箸を配り終えるのを待ってみんなで合唱。
 

 「いっただっきま〜す」

 

 青い空に、吸い込まれていく、チルドレンの、声。
 
 
 

//Chapter3 「高く、空へ」


 

 僕はスタート位置に立って天を仰いでいた。

 少しだけ傾き始めた太陽が眩しい。

 

 二回前の試技で脱落した泰治君がテントの方から僕を見ている。

 グラウンドに立ちつくしている桐丈さんの厳しい視線が、僕の胃の下あた

りをキリキリと締め上げる。

 

 さっきの試技で桐丈さんが飛べなかった高さが、今僕の前に在る。

 県大会記録を5cm上回るこの高さ。

 成功すれば全国大会のファイナリストに勝ったことになる。
 

 綾波とアスカは見てるかな・・・

 観客席に目をやろうとした僕は頭を強く横に振る。

 

 余計なことは全て頭から閉め出さないと。

 

 在るのは、僕と、越えるべきバー。

 それだけだ。
 

 そしてコンセントレーション。

 

 ハッ

 

 ハッ ハッ

 

 呼吸に合わせて右手を握る。

 そして開く。

 そしてまた握る。

 

 早く。次第に早く。

 

 早く。

 

 早くッ。

 

 『いける』

 

 世界が一つになったようなこの感覚。

 僕とバーとの距離が0になる。

 

 足が、自分の力ではない何かによって、そこしかない、そこでなければな

らない場所へ踏み出され。

 身体が、腕が、目に見えない力によって導かれる。

 

 僕は余計なことを考える必要がない。

 ただ念じるだけだ。

 高く。高く。

 

 風に、身を任せる。

 

 

 そして気がつくと、僕はマットの上に横たわり、青空を見上げていた。

 微かに揺れるバーが、僕を見下ろしている。
 

 そして審判の白い旗が真上に揚がっているのが視界に入った。

 

 よし!

 

 僕はゆっくり立ち上がると、空に向かって右手を高く突き上げた。
 
 
 

//Chapter4 「痛み」


 

 県大会はその全競技を終え、僕たち陸上部は、夕暮れ時に学校に戻ってき

た。

 着替えを済ませたり、ロッカーの後かたづけをしていると、いつの間にか

部室には僕とキャプテンしかいなくなっていた。 
 

 キャプテンは今日の大会を最後に引退する。

 今日の100mでは惜しくも全国への切符に届かなかったから。

 これからは大学受験に本腰を入れるのだそうだ。

 自分勝手だった僕の面倒をよく見てくれたいい先輩だった。
 

 帰る用意を済ませたキャプテンが、僕の側にやってきた。

 「とうとう桐丈に勝ったんだぜ、もう少し嬉しそうな顔しろよ」

 「嬉しそうじゃないですか?」

 僕は苦笑いをする。

 「ま、お前らしいけどな。とにかく、次は全国大会だ。うちの名を上げる

  ためにも頑張ってくれよ」

 キャプテンがぽんと僕の肩を叩いた。
 

 そして真剣な目つきで僕を見つめると、一瞬間をおいて、

 「最後に一つだけやっておきたいことがあるんだが、いいか?」

 「はい。なんでしょう?」

 キャプテンが何を言いたいのかよくわからなかったけど、とりあえず僕は

返事をした。

 

 「一発で我慢してやる」

 

 「え?」
 

 バキッ

 

 キャプテンの右手が振り上げられたかと思うと、突然横っ面に衝撃が走っ

て、それから、目の前が真っ暗になった。

 僕はよろめいて、机に手をついた。

 口の中で血の味がした。

 キャプテンの抑制した声が耳鳴りと一緒に聞こえてきた。

 

 『アスカの分だけで我慢しておいてやる。本当は俺の分も殴りたいところ

  だが、それじゃあんまり惨めすぎるからな』
 

 『アスカは本気でお前のことを好きみたいだぜ。同情でも何でもなく』
 

 『お前、気づかないのか? それとも気づきたくないのか?』
 

 『お前達の間に何があるのか知らないが、きっとうまくやっていける二人

  だと思う。悔しいけどな』
 

 『それじゃ、後は頼んだぜ、キャプテン』

 

 それだけ言うと、キャプテンは部室を出ていった。

 僕は殴られた衝撃から立ち直れないまま、キャプテンが言った言葉を頭の

中で繰り返していた。
 

 アスカ・・・?

 

 キャプテン・・・?
 

 アスカが僕のことを?
 

 僕が・・・キャプテン?

 

 まだ頭の中は混乱していたけど、僕はよろめきながら自分のロッカーに向

かった。

 キャプテンは手加減をしなかったみたいだ。

 こんなに強く殴られたのは、トウジの時以来かな・・・

 不思議と怒りの感情は全くと言っていいほど湧いてこなかった。

 むしろ心がすっきりとした感じがした。
 

 アスカ・・・アスカ・・・か。

 

 そうだよな・・・アスカに、ちゃんと言わなきゃ。
 
 

 その夜、アスカにシンジからめずらしく電話がかかってきた。

 「アスカ、だよね」

 「シンジ?」

 

 シンジの声にアスカは胸の鼓動が激しくなるのを感じた。
   

<Vol.9へ続く>



DARUの部屋へ戻る
inserted by FC2 system