<Vol.9 ASUKA!(前編)>

written on 1996/5/26


 
 

//Chapter1 「Let's Go!」


 

   アスカ、いいこと。

   これはデートじゃないんだからね。

   あくまでシンジがお礼の気持ちでご馳走してくれるだけ。

   そこんとこ、勘違いしちゃダメよ。

   絶対に、つらくなるから・・・

 

 県大会の日の夜にシンジからかかってきた電話は、アスカの期待を半分だ

けかなえてくれるものだった。

 シンジと二人だけで過ごせる一日があるという事実が、アスカの気持ちを

高ぶらせて、その日はなかなか寝付くことが出来なかった。
 

 これまでお世話になってきた感謝の気持ちを込めて、おいしいレストラン

でご馳走をしたい。

 シンジの電話の内容をかいつまんで言うとそんなところだった。

 アスカにも心当たりは山ほどあったので誘いを断る理由もなかったのだが

、歯切れの悪いシンジの口振りが気になっていた。
 

 レイのこと?
 

 ――――でもシンジは自分でちゃんと話してたみたいだし。
 

 先輩のこと?
 

 ――――ううん。シンジは知ってるみたいだった。

     そうでないと、こんな理由でも私を誘ったりするようなヤツじゃ

     ない。

 

 何回か堂々巡りを繰り返した後、アスカは考えるのをやめた。

 自分が考えても正確な答えが出るわけでもないし、いざとなったら直接問

いただせば済むことだから。

 彼女らしい結論に達した後は、素直にその日を楽しみに待つことにした。
 
 

 そして、約束の日がやってきた。
 

 待ち合わせは14時。アスカが起きたのは10時。

 昨夜はなかなか寝付けなかった上、基本的に低血圧でもあったので、ちょ

うど良い時間帯だった。

 まずは朝一番のシャワーを浴びる。

 そして、Tシャツにジョギパンといういつも通りの格好で簡単な食事。
 

 一週間くらい前からヒカリは田舎に帰っていて寮にはいない。

 レイも病院で月例のドック検診を受けるため昨日から留守にしている。
 

 レイが病院に行く日と今日が同じだったのは全く偶然なのだが、アスカは

どこか後ろめたい気分を感じずにはいられなかった。

 もちろん事実はシンジからも話してあるし、レイも『楽しんできてね』と

優しい声で言ってくれた。

 それでも、やはり、自分がシンジと『二人だけ』でいられることを楽しみ

にしている感情が、レイに対する後ろめたさを感じる理由だとアスカは確信

していた。

 

 (ごめんなさい、レイ)

 (でも、シンジから誘われたの初めてだから、今回だけは大目に見てね)

 

 アスカは心の中でレイに謝ると、化粧台の前に座り込み、出かける支度を

始めだした。

 

 化粧は全体的に薄いノリで統一。

 お気に入りのきつめの色のルージュ――――は、もちろんやめて、目立た

ない薄い色にする。

 アクセサリーは銀色の細いネックレスに、小さいピアス程度で。

 マニキュアとペディキュアも健康そうな自然色。

 ロングパンツに、ノースリーブの麻のジャケットと、

 シンジの背の高さを思い出して、こころもち高めのヒールを用意する。
 

 アスカは、姿見の大きい鏡に自分の姿を映しだすと、ひとり満足感にひた

っていた。

 

 (これならシンジも文句ないわよね)

 

 茶色を基調とした落ち着いた装いは、確かに、とても高校生とは思えない

大人びた美しさを醸し出していた。

 

 (・・・って、招待されるあたしが、なんでこんなに気をつかわなきゃな

  んないのよっ)

 

 「バッカみたい」
 

 と思わず口に出しながらも、最後にラベンダーの香りの香水をふりまいて

仕上げをする。

 時計はまだ13時30分という時間を告げていたが、早速アスカは玄関へ

と向かった。

 

 ドアを開ける前に大きく息を吸い込んで、ぐっと右手を握りしめる。
 

 (ママ、行って来るね)
 
 
 

//Chapter2 「Waiting for You」


 

 「うわあああああ、しまった!」

 シンジの朝は絶叫と共に幕を開けた。

 前日にトウジのアパートで夜遅く――正確には朝方――まで付き合わされ

たシンジは、朝9時頃にいったん目を覚ましたものの、ついつい二度寝をし

てしまったのだった。
 

 委員長がいない寂しさを僕で紛らわされても大迷惑なんだけど・・・とは

口に出して言えない弱気のシンジ、机の上に目をやると、時計の針は13時

28分を指していた。
 

 やばいっ!

 僕から誘ったのにぃぃぃ!

 アスカを待たせるなんて、恐ろしすぎる・・・

 急げっ。急げっ。
 

 シンジのアパートから待ち合わせ場所の駅までは、急いで走っても10分

はかかる。

 念のため昨日から準備しておいたおろし立ての服をひっつかむと、鏡で寝

癖を直しながら、ダッシュで出かける準備を始めるシンジであった。
 
 

 その頃すでにアスカは待ち合わせの駅前でカツカツと靴を鳴らしていた。

 さっきから何回腕時計を見ていることだろう。
 

 だいたいなんであたしが先に来て待ってなきゃなんないのよ。先輩とのデ

ートだっていつも待たせてたのに。

  

 時間より早く来すぎた自分のことは棚に上げてアスカは怒っていた。

 イラついたアスカははぎとるように腕時計をはずすと、ポケットに思いっ

きりつっこむ。

 が、自分でも気づかないうちに、今度は駅前の時計台の方に視線が何度も

飛んでいた。
 

 時計をイライラと見ながら、アスカは誘われたときの電話を思い出してい

た。
 

 そういえばシンジ、どこに連れていってくれるのかな。

 無理矢理頼んで悪かったかしら・・・シンジって面白いところ知ってそう

にないし。

 悪いコトしちゃったな・・・
 

 食事だけじゃ感謝の気持ちが足りないからと、アスカは他にもどこかに連

れていってもらう約束を強引に取り付けたのだった。

 必ず自分一人で選ぶようにと約束させられたシンジが、ここ一週間ばかり

頭を悩ませていたことをアスカは知らない。

 

 ぼんやりとそんなことを考えていたアスカの耳に、誰かが走って近づいて

くる足音が聞こえてきた。

 振り向くと、肩を大きく上下させているシンジが両手を合わせていた。

 「アスカ、ごめん!」
 

 とりたててお洒落というわけではない服装だったが、日に灼けた肌とハイ

ジャンプで鍛えた均整のとれた体つきは、何を着ても似合うような気がする

 ――――と、アスカは思った。
 

 それに、いつもはトレパン姿か学生服くらいしか見たことがなかったから

、新鮮な気分だった。
 

 ・・・悪くないわね。

 

 でも慌てていたからか、シャツの襟が少し曲がっていることにシンジは気

づいていなかった。

 

 「昨日トウジがしつこくてさ・・・」

 遅れてきたことを申し訳なさそうに謝るシンジ。

 言い訳を聞きながら、アスカは、ちら、ちらと、シンジの首もとに目をや

る。

 「ん? どうしたの?」

 シンジの言葉には何も答えず、無言でアスカがシンジの首のあたりに手を

伸ばしてきた。

 「な、なに?」

 少しおびえ気味でシンジが後ずさろうとする。

 でもアスカが襟を直そうとしているのに気がつくと、突然顔を赤くして、

おろおろと周囲にいる人たちを気にし始める。
 

 「あ、ありがと」

 「ったく、だらしないんだから」
 

 少しうつむき気味でアスカは言うと、くるり、と、改札口に身体を向けて

シンジに呼びかけた。
 

 「さ、行くわよ!」
 
 
 

//Chapter3 「LOVE DIVER -A-」


 

 シンジがアスカを連れてきた場所は、ついこの間新設されたばかりの水族

館だった。

 シンジ達の学校の近くにある駅の一つ隣の駅から歩いて10分。この水族

館の目玉は、二人乗りの海底散策マシンが導入されていることだ。

 360度全面ほぼ耐圧ガラス張りのこのマシンは、手元のレバー操作で、

ある程度自由に海底――と言っても本物ではないが――を移動が出来るよう

になっていた。

 服を着たままでスキューバの感覚が少しだけ味わえるのと、その雰囲気づ

くりに適した状況が人気の的だった。

 もちろんシンジにそんな思惑は全くなかったのだが。

 

 

 「ご一緒でよろしいですね?」

 「二人乗りだと少し狭いんですけど、カップルの方には結構喜ばれるんで

  すよ」
 

 「えっと・・・」

 受付嬢に尋ねられたシンジは顔を赤くしながら隣のアスカの方を見た。

 「ええ。お願いします」

 アスカはにこにこと愛想良く笑顔を振りまいている。

 そんなアスカにシンジはなぜか感心してしまった。

 

 二人は案内された方の廊下へ向かって歩き始めた。
 

 「今のカップルかわいかったね。特に男の子なんて顔赤くしちゃってさ」

 「いいわよねー。私も若い子に乗り換えようかしら」

 

 なんて声と笑い声が後ろから聞こえてきて、今度はアスカが恥ずかしさで

顔を赤くする。

 「ったく、もうちょっと堂々としてなさいよ」

 「ごめん・・・」

 「あー、もぉ。あいかわらず謝ってばっかりなんだから」

 「ごめ・・・悪かったよ」

 「同じでしょ!」

 言いながら笑うアスカにつられて、シンジも少しだけ微笑んだ。
 
 

 「へぇ、綺麗じゃない!」

 マシンに入った瞬間、アスカは驚きの声をあげた。

 360度張り巡らされている強化ガラスからは、ヒンヤリとした空気と共

に、様々な種類の魚達が泳いでいるのが透明度の高い海水を通して視界に飛

び込んでくる。
 

 アスカはガラスにへばりつくようにして外を眺め始めた。

 シンジはというと、アスカの言うがままにレバーを動かしてマシンを操作

している。
 

 しばらくすると、シンジがレバーを動かす手を休めて、ぽつりと口を開い

た。

 「アスカって海に潜るの好きだったんだよね。

  ほら覚えてる? 修学旅行に行けなかったあの時のこと」

 

 外を眺めてばかりいたアスカは、思わずシンジの方を振り返った。

 「う・・ん」

 (あんなこと覚えてたんだ・・・)
 

 シンジは言葉を続けた。

 「アスカが喜びそうなものって、これくらいしか思いつかなかった・・・

  色々考えたんだけど、あんまりアスカのこと知らないんだ、僕は・・・

  どうしてだろうね。もう4年近く一緒にいるのに」

 シンジは壁面のガラスに歩み寄ると、少し寂しげな表情を浮かべた。

 思わずその横顔を見つめるアスカ。

 「ん? 何かついてる?」

 「・・・・・・・・・・・・・・・鼻」

 長い沈黙の後アスカはそっぽを向きながら言った。

 「鼻ぁ?」と言って、鼻の頭をこするシンジ。

 目を白黒させている。

 

 アスカは外を見る振りをしてガラスに顔を押しつけたまま、胸が苦しくな

るのを感じていた。

 さっきの寂しげな表情が脳裏に焼き付いて離れなかった。

 

 (なんで、あんな寂しそうな顔をするの?)

 

 心臓が激しく脈打ち始めた。

 こんな狭い空間じゃシンジにまで心臓の音が聞こえちゃうんじゃないかっ

て、そんなバカなことを心配してしまうくらいに。
 

 長い沈黙の後、アスカはようやく言葉を吐き出すことが出来た。

 

 「あんな昔のこと覚えててくれたんだ・・・ありがと・・・」

 

 アスカが言い終えた瞬間、制限時間を知らせるブザーが鳴った。

 二人は再び陸に上がった。
 
 

 マシンから上がったシンジはまず時計を見て時間を確認すると、

 「そろそろレストランに行こうか。少し離れたところにあるから、歩いて

  行けばちょうどいい頃だよ」

 「うん・・・」
 

 水族館に入る前に比べてアスカの口数が少なくなっていることに、シンジ

はまだ全く気づいていなかった。

   

<Vol.10へ続く>



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