「バッシュ、ヨゼフ――ナンバー31を知っているか?」
空港の長い廊下を歩きながら、カイルは少年に尋ねる。
「はい。よく知っています。ハンドガンの訓練をしていただきました。」
よどみない、はっきりとした口調は年齢にあまり見合っていない。
「そうだ。あれは『Lake DEATH』の中でも……」
(いや……)
違う。
「『MPTL』の中でも相当短銃の扱いがうまかった。むろんそれを使った戦闘も、だ。殺せるか?おまえ達7人で。」
言い直し――それには、彼なりのこだわりがあったのだが――尋ねる。
とても10歳くらいの少年に聞くようなことではないのだが。
「はい。我々は攻勢です。立場も人数もこちらが大きく有利です。問題ありません。」
もちろん、それに答えた少年の言葉もそれ相応に世間からずれがあった。
これが、彼らの人生らしい。
「そうだな……あれに戦闘方法を最も多く教えたのはほかならぬ私だ。問題は、あるまい……」
二人は、お互いを見ずに歩き続ける。
出口はすぐ近くだった。
(しかし、こちらは無傷で……とはいくまい。運が良ければ……全員生き延びれるだろう。経験の少ないこの子達がどこまでやれるか……)
ちらりと、隣を歩く少年を見る。
至極背は低い。
(逆に、ヨゼフはもっとも実戦経験の多い戦士だ。一人でも状況を読み、戦術を編める。部隊戦術も、一人で戦うすべも教えてある。ならば……)
「指示はすべて私から出す。おまえ達はそれに従い展開しろ。いいな?」
「はい……」
少年は従う。
しかし若干、若干ではあったが言いよどんだ。
「バッシュ、おまえは指揮をとりたいのだろうが、まだ無理だ。私が同行した意味を考えろ。確かにおまえには部隊長として戦術の訓練を始めているが、まだまだ未熟だ。」
カイルは立ち止まり、少年の方を向いた。
少年もすぐさま立ち止まり、それに従う。
「おまえは幼いが、賢い。だからこそ戦術の訓練も施してはいるが、逆におまえは精神が整っていない。戦況に大きく影響を及ぼすだろう。並の人間相手なら練習にやらせてもいいだろうが、相手は『MPTL』の中でも特級の戦士だ。甘く見るな。奴はおまえ達とはこなしてきた訓練の数も実戦の経験も違う。おまえ達が想像しない多くの戦術を身につけて、我々を待ち受けている。おまえの未熟な指揮下では全員本来の力を発揮できず、大きな損害を被るだろう。ただ殺れるか、そうでないか、ではない。これ以上いたずらに追跡者を欠くわけにはいかない。」
「はい。」
素早い返答。
二度目にためらいはなかった。
(そう、その通りだ。この子達では遠く及ばない。経験が違いすぎる……)
二人の目の前には、すでに出口が大きく見えていた。
構内は広く明かりも多い。
外にどれほどの違いがあるのか、それでは意味がないではないか――カイルの思考にはそうあった。
年相応の偏見ではあったが。
(これは……)
入り口に見知った人影を見つける。
30代後半の、これも金髪の男だった。
(私の、ほかでもない私の戦いだ。)
案内役。
周りには、バッシュと同年代程度の少年達がいた。
その雰囲気はあまり『少年達』とは言い難い、異様な空気が漂っていた。
金髪の男はボーイスカウトの引率にも見えない。
(絶対に、負けるわけにはいかない。)
やはり、外の世界は構内と、何も変わりはしなかった。
「ご無沙汰しております。カイル=バイエフ少佐。」
金髪の男がメリハリのある言葉で声をかけた。
少年達は動かない。
「ああ、そうだな……?キーンも来ていると聞いたが?」
カイルは少しだけ周りに視線をやる。
探しているものはもちろん見つからない。
「はい。しかし今朝早くクリスと共に戻っていきました。」
この男の言葉も隙がない。
「なぜだ?」
カイルは怪訝そうに尋ねる。
「わかりません。彼の多忙ぶりは私の想像を超えています。」
若干疲れたように返す。
本当に、そんなことは知らない、とでも言うように。
「君も『ネットワーク』だろう?仲間の事情もしらんのか?」
軽く嘆息したようにカイルは文句を付けた。
出だしから思うようにいかない――
「彼の方が遙かにレイヤーは上位です――申し訳ありません。」
「そんなものかね?」
言葉通り、そんなものかと落胆した。
事実カイルには彼らの仕事など何も知らなかったからだ。
「行きましょう。車を用意してあります。」
男は少し歩き、振り返って言ってきた。
日陰から出たせいか、少し眩しい。
(これが、日本か……空気が違うな……)
目を左手で光から遮り、歩き出す。
数歩先を案内役の男と、それから少年達が先行していた。
それから……
(?)
一瞬、男の身体がゆがんだように見えた。
その直後、彼は大きく後ろにのけぞって吹き飛ぶように仰向けに倒れた。
(!)
タン。
数瞬遅れて、かすかに耳にその音が入る。
カイルは聞き逃さなかった。
「狙撃だ!!隠れろ!!」
叫ぶ。
少年達は素早く――恐ろしく素早く行動する。
カイルは一番後ろにいたため、物陰に隠れるのが早かった。
タン。
また、聞こえた。
見ると少年の一人が倒れるところだった。
身体に命中したようだ。
「うぅ……」
即死はまぬがれたか、倒れたまま少年は這って逃げ延びようとする。
しかし……鈍い、恐ろしく残酷な音が少年の頭蓋をおそった。
「ヴィー!!」
ほかの少年が叫ぶ。
タン。
また銃声。
ヴィー、と言う名だろう少年は、頭部の半分以上を吹き飛ばされ、そのまま動かなくなった。
(距離、1000……!?ばかな!!)
カイルが胸中で叫ぶ。
被弾から発砲音までの遅延で狙撃点を計算していた。
倒れた案内役の男を見る。
急所に命中したのか、むろん死んでいた。
(こんなところで白昼堂々……)
毒づく。
まさかあり得ないことだ。
追ってきた自分たち追跡者がいきなり狙撃されるなど。
しかも……
(あり得ない!!この距離で狙撃など!)
あたりを見る。
ほかの、すでに形を失った少年以外は無事のようだ。
(こんな狙撃は――ヨゼフにはできん!)
実戦において、訓練で発揮できる能力以上を出すことは絶対に不可能だ。
戦果、ではなく、能力、である。
身につけた技術を戦場でいかに発揮できるかがいわば戦士の実力だった。
つまりこの狙撃とは。
(狙撃手はプロ中のプロだ!こんな奴は――)
もう一度死体をみる。
横たえて空を凝視するその男は、もちろん動かない。
戦場ではあるが、「そういったもの」が静かだと言うのだろう。
(こんな奴は、世界中に指を折って数えるくらいしかいない!)
いない。
だが、知ってはいる。
それに彼は気づいているだろうか?
(ばかな……)
しばらく、膠着状態が続いた。
どれだけたったか、すでに発砲音はしない。
当然だが、少年達はすべて隠れている。
カイルももちろん隠れている。
(もう、こないだろう……)
静かに、そう打算した。
すでにあたりにはざわめきが始まっている。
女性の悲鳴やらも聞こえる。
(なんということだ……)
死亡者2名。
うち、案内役1名。追跡者1名。
(我々は……)
アスファルトから、熱気が照り返す。
熱い。
だが日本の季節などしらない。
(まさか、はめられたのか?)
つぶやきは胸の中へ。
(どうなっているのだ?)
そして、闇の中へ――
(眩……しい……)
どこだ?
(でも……)
あたたかい。
…………
「……母……さん……?」
よく見えない。
(違うの?)
あたたかい。
いい、においがする。
「ごめんなさい……私は……あなたのお母さんにはなれないよ。」
…………
違う。
(でも……)
これは――
「志麻……」
あたたかい。
「起きた?」
満たされる。
「…………」
おちてゆく。
「大丈夫?まだどこか痛い?」
やさしい……
染み込む――
「……志麻……」
いつだって
「なに?」
いつだって
あんたは俺に優しい。
「母さんかと思った……」
どうして
「そう……」
そんな、顔するな……
「いつも……やさしいな……」
眠い……
おちてゆく。
「ありがと……」
なんで
「なんで……」
やさしい?
こんな俺に。
「私は……」
そんな顔するな……
「私は、あなたのお母さんの代わりにはなれないわ……」
そんなこと
「…………」
望んでない……
「でも、」
あんたは
「あなたのお姉さんくらいにはなれるかな、って……思ったの。」
いいんだ。
「だめかな?」
いてくれるだけでいいんだ。
「…………」
だから
泣くなよ。
「秋人……」
泣くなよ。
「秋人……泣いてるの?」
泣くな。
「…………」
あたたかい。
つつまれる。
「ごめんなさい……しばらく、」
つつまれる。
やさしい。
「このままで……」
とけてゆく。
(あたたかい……)
すべてが
きえて……
コツン……
コツン……
(終わったな……)
近づく足音に、カイルは絶望した。
いや――
(いや……とうに絶望などしている。)
拳銃を握った右手には力がすでに入らない。
その必要もない。徒労だ――
暗闇の中、視界に入るところに少年が現れた。
同時に、
「戦わないのですか?少佐。」
パン!パン!
言うなり素早く2連射する。
一瞬でカイルの両肩を砕く。
もう二度と腕はあげられない。
「私も戦士だがな……おまえを相手に勝てると思うほど愚かではない。」
虚ろに少年を見返す。
痛みや失血などすでに問題ではない。
明らかな死が待ちかまえている。
「この世に――この世に『絶対』はない。違いますか?」
少年が問う。
「そうだ、だがおまえ達にはそれを目指させた……」
カイルは答える。
すでにその言葉からは生気が失われている。
「そして最も近づいたのがおまえだった……」
「…………」
少年は何も応えない。
そして、問う。
「あんな実戦経験も訓練も足りないナンバーを連れてきて……そこまでして我々を殺したかったのですか?殺せると思っていたのですか?」
「ヨゼフ相手ならばな……」
静かに、少年の瞳を見返してつぶやいた。
「少佐。なぜ裏切ったのです?」
また少年が問う。
「裏切った……?」
問い返す。
怒りを込めて。
「裏切っただと!?裏切ったのはおまえ達だ!」
叫ぶ。
痛みはない。
「おまえはなぜ、おまえ達が訓練されているか知っているのか?」
「…………」
「知ったからこそ私は彼らについたのだ!」
カイルは叫び続ける。
「この、殺戮天使め……」
憎らしげに唸る。
「おまえは知らんのだ……神に弓ひく背約者どもめ。貴様らは……」
「…………」
「おまえは――を!」
パン!
「…………」
静かに。
静かに時は流れる。
動乱など偽りだ。
戦場はいつも静謐だ。
恐ろしく、静かな……
「知っている……」
少年がつぶやいた。
拓也、という名だった。
その名の所以を知る者は少なかったが。
「そんなことは、生まれる前から……」
「ちっ。消えちまったかと思ったけどな。」
昼の街を歩き、そして公園。
主婦。
老人。
犬。
平穏な光景が広がる。
「そのつもりだったが、そうもいかなくてな。」
ただ1点をのぞいては。
「好きにしろよ。おまえがいれば危ない仕事もいくらでも請けられるから、ボスも大助かりだろ。」
木の葉の擦れる音と、まばらに差し込む弱々しい日差しが冷ややかな風に同調して涼しさを増していた。
「さぁな……どれだけか知らないが世話になるだろう……」
それを見ながら、対面していた少年がつぶやいた。
真っ白なおろしたてのシャツが少しはためく。
涼しげに髪も揺れていた。
「でも、『最優先』じゃないんだろう?」
秋人は、3メートル先でこちらを向く少年に尋ねた。
その距離は、おそらく彼らにとって意図的なものだったのだろう。
「そうだ。」
少年は視線を秋人に戻し、静かに答える。
「俺が知りたいことは、何も答えられないんだろう?」
もう一度尋ねる。
「そうだ。」
その答えを予想通りのものとした秋人は、少し暗い満足を覚えた。
(…………)
まあ、満足には違いなかった。
自嘲して唇が少し歪む。
「ふ……ん。いつの間にか、喋り方まで変えやがって。まったく……おまえのことがどんどんわからなくなるぜ。」
知ろうとすればするほど。
1週間の時間が秋人に与えたのは冷静さ。
そして無知。
この世には得ることのできない知識があると知った。
考えてたどり着くものと、決してそれができないものがあるということを。
「おまえに合わせている。都合がいい。」
少年は簡潔に答える。
返ってくる答えはいつも簡潔だ。
明快で、早い。
しかし……
(…………)
納得は、できないだろう。
本当に知りたいことは何も得られはしないのだから。
「…………」
秋人は黙って少年を見つめる。
数歩離れた位置に存在する彼は、自然にとけ込んで、そしてなお非凡だった。
不思議なことに。
「……ひとつだけ、答えてくれ。」
しばらくそうし続けた彼らに、秋人は区切りをつけることを決心した。
「…………」
それが転機だと、どちらもが悟った。
風とともに森の鳥が鳴く。
「俺は……知ることができるのか?理解できるように、なるのか?……おまえを……すべてを。」
理解できない。
納得できない。
満足できない。
そしてそれは絶対だった。
蓄積されるようなそれらはいつ解決されるのか。
「なぜ、知りたがる?」
問い返す。
「おまえは……普通じゃない。異常だ。強すぎる、秘密が多すぎる――あり得ないんだよ、この世におまえみたいなのがいることが。その理由を……知りたいんだ。」
「…………」
「おまえは…………なんだ?」
「…………」
黙って見返す少年がいた。
しばらくして、目を瞑る。
(…………)
答えない。
秋人は知った。
同時に少年は振り向き、遠ざかってゆく。
ゆっくりと歩き続けて。
秋人はその姿が消えてゆくのを、じっと眺めていた。
風のように、誰にも気づかれることなく歩き続ける少年は。
その瞳には。
その視線の先には。
そして――
誰にも聞かれることのない言葉が、風に散った。
「あり得ない真実が、生まれてしまったからさ――」