銀河の英雄は
アタシに決まってんじゃない!」伝説
 
 
第壱話
イゼルローン攻略戦

宇宙歴七九六年四月
 片山 京



 

 自由惑星同盟軍統合作戦本部長ベンハルト・ツェッペリン元帥は、中肉中背の容姿に関しては取りたてて言うほどのこともない初老の人だった。非凡なのはその頭脳であり、戦略家、戦術家としての評価の高さと、徹底且つ堅実な勝ちに行く姿勢また、その暖かみのある人柄によって幅広い支持を得ている。
 執務室に入った二人を、ツェッペリンはいつもの好々爺然とした笑顔で迎えた。彼自身の孫と、その幼なじみ。
「かけたまえ、ソウリュウ少将。イカリ准将」
 二人は遠慮なく勧めに従った。それを確認するや即本題を切り出す。
「知らせておくことがあって来てもらった。疲れているだろうが容赦願いたい。正式な辞令は明日になるが君達は今度昇進することになった。内定ではなく決定だ。昇進の理由は…」
「負けたからでしょう、お祖父さま」
「アスカ!」
 統合作戦部長執務室での会話は公式なもののはずだ。おそらく肉親の気安さで飛び出したであろう問題発言をシンジが窘める。いくら血縁であるとはいえ公私の別はつけるべきだし、この発言は毒がありすぎる。
「かまわんよシンジくん。で、アスカ。そこまで言い切るからにはそれなりの根拠があるのだろう?」
 元帥は私的な会話だったということで治めてくれるようだ。それでもアスカの毒舌は止まらない。事態の本質を突いてしまっているだけに始末が悪い。
「もちろん。恩賞をばらまくのは困窮している証拠ってね。昔の人はいいこと書き残してるもんよね。アスターテの敗北から目をそらす必要もあるんでしょうね」
 けろっとしてアスカは答え、元帥を苦笑させる。いつまでも「優しいおじいちゃん」でいるわけにもいかない。忠告を無視された形のシンジが少々むくれているが問題はないだろう。いつもの事だし。
「ある意味ではアスカの言うとおりだな。三個艦隊壊滅などと近来にない大敗北を被って、軍民ともに動揺している。これを静めるには英雄の存在が必要なのだよ、例えば…君達のような若い…な」
 二人は微笑んだが愉快そうではない。
「君達にとっては不本意だろうな、作られた英雄になるのは。しかし、これも軍人にとっては一種の任務だ。実際、アスターテ会戦における指揮権委譲後の君達の活躍のおかげで第弐艦隊は救われたのだ。昇進にふさわしい功績を無視するとあっては、統合作戦本部も国防委員会も信賞必罰に実を問われるだろうな」
「その国防委員長…というよりも、その裏のキール議長の意向はどうでしょう?」
 シンジの控えめな疑問に元帥は首を横に振る。
「一個人の意向はこの際、問題ではない。たとえそれが最高評議会議長であってもな。彼にも公人としての立場というものがある」
 建前としてはそうだろう。ツェッペリン元帥や、シンジの父ゲンドウ・イカリ大将などの政敵であるあの男がそれだけで終わるとは思えない。
「ところでもう一つだ」
 とたんに元帥の顔が曇る。
「これは決定ではなく内定なのだが、軍の編成に一部変更が加えられる。第四、第六艦隊の残存部隊に新規兵力を加えて第一三艦隊が創設される。で、アスカ、君がその初代司令官に任命される。シンジ君は副司令官だ」
 アスカは小首を傾げた。
「艦隊司令は中将をもってその任にあてるんじゃないの?」
「二十四歳の若造が首脳部を形成ですか」
不満と不安が半々といった体の二人を等分に見やり、元帥は重々しくうなずく。
「新艦隊といっても規模は通常の半分だ。艦艇六四〇〇、兵員七〇万というところか。さすがに中将では不満も出るだろう。若手で格下。ちょうどよいのでは無いかな、シンジ君。
「えっと…たしかに…そうかもしれませんが…」
「それとだ…もう一つ話があるのだが…」
 本部長は珍しく言いよどむ。
「第一三艦隊の最初の任務はイゼルローン要塞攻略と言うことになる」
 彼の息子、アスカの父が落命した場所。
 間をおいて確認するようにゆっくりと口を開いた。
「半個艦隊で、あのイゼルローンを攻略しろと?」
 敬愛する祖父でなければ「あんたバカァ」の一つでも出たのだろうが。
「そうだ」
シンジの視線を真正面から受け止める。
「可能だとお考えですか?」
「アスカの戦略、戦術センスと、君の指揮能力。君達に出来なければ他の誰にも不可能だろうな」
さすが肉親。アスカのツボをよく心得ている。使い古された殺し文句だが、アスカと同じブルーアイが加わることで何がしかの説得力を持ったような気がする。
しばらく伺うように元帥の瞳を見詰めていてアスカだが、不意に表情をゆるめる。
「あったり前よ、アタシ達で何とかやってみせるわ。しっかし、お祖父さまにここまで言われて断れるわけないじゃないの」
「そうか、やってくれるか」
「微力を尽くします」
 アスカが「やる」といったからにはシンジにも否やはない。
「では、カジ君に命じて新艦隊の編成と装備を急がせよう。必要な物資があったら彼に何でも相談してくれ。可能な限り便宜をはからせる。あと…こんな事を言えた義理ではないが…絶対に生きて帰ってこい。失敗したところでだれも笑いやせん。この老いぼれの首一つで片が付くだろう」
「あっ、安心してください。必ず二人でご報告に参りますから」
「シンジも言うじゃないの。大丈夫、なんたってこの天才がやるんだから成功間違い無しよ。机の中の辞表なんかシュレッダーに掛けちゃってよ」
 本部長は何も答えなかった。いや、答えられなかった。
 
 
「アスカ、それにシンジ君も。大した役目を背負ったもんだな。正直断るものだと思っていたが」
 統合作戦本部長付き次席副官リョウジ・カジ少将が部隊編成書のページを指でめくりながら言った。統合作戦本部ビル内の彼のオフィスである。
「議長のねらい、君達には読めたと思ったが」
 彼の前に座ったアスカは笑っただけで答えない。シンジはやや困惑気味だがいつもの気弱さ以上のものは感じられない。
「過去六回の戦績は知っているだろう。あの通り元気なままで浮いている。それを半個艦隊で成功させられるのかな」
「アタシに任せといてよ、カジ先輩」
 アスカの返答が先輩の両目を心持ち細めさせる。
「成算があるんじゃないかい?」
「秘密よ」
「シンジ君には教えているのに?」
「バカシンジはこれでも副司令だしね。こういうことはもったいぶった方がありがたみが出るでしょ」
 本人が横にいるのだが、アスカは気にしない。シンジは…ちょっと傷ついてるようだ。いい加減慣れるということもないらしい。カジはちょっと考えて質問の矛先を弟分とも言えるシンジに向ける。
「シンジ君は教えてくれるだろ」
「いくらカジさんの頼みでもこれだけはだめです」
アスカから出ている「しゃべるんじゃないわよ、バカシンジ」光線を全身で受け止めている現状ではシンジと言えど強い拒否の姿勢を示すようだ。とりあえずここは引き下がっておくほうが賢明だろう。彼の妻なら別の切り口からこの二人を攻めるのだろうが。
「なるほど。で、用意する物資があったら言ってくれ、袖の下なしで話に乗ろう」
「では遠慮なく。帝国軍の軍服二〇〇着と軍艦を一隻。これは以前鹵獲(ろかく)したものがあるはずです」
「期限は?」
「三日」
シンジの後を継いだアスカが言い切る。
「ほんとに遠慮がないなぁ。超過勤務手当を出せとは言わないが、酒の一杯ぐらいおごってくれよ」
いやみを感じさせない口調。生来のものなのか、意識してのものなのか。
「エビチュを一箱自宅に送っておきましょう。でもう一つお願いがあるのですが」
「レイ君か?うちで面倒見よう。ミサトが仕事で居なくなるから子供達の相手を捜してたんだ」
 
 
 今回の作戦に関して危惧を抱かないほど楽天的な人物は、同盟軍の高級軍人にはそれほど居なかったようだ。並み居る提督達が、驚き、あきれ、嘲笑(ちょうしょう)する声は風聞となって二人のところにまで届いていた。アスカは、
「凡人には言いたいこともあるんでしょ」
と、取り合う素振りすら見せなかったが、シンジはと言うと可哀想なほど萎縮(いしゅく)してしまっている。虚勢であっても胸を張っている司令と、青い顔をして胃のあたりを押さえている副司令。最近では「あの司令官なかなか見所があるのでは?」と言った声も出てきている。特別に何をしたということもないのだが。
 ただ一人彼らを弁護をした人がいる。第伍艦隊司令官のナオコ・アカギ中将だった。普段の円熟した大人の態度とその結果に対する厳しさのギャップの激しさで知られている。その彼女が某高級士官クラブで話の種にしている同僚の提督に対して言ったという。
「後日、恥じ入ることがなければいいのですが。ツェッペリン本部長のお孫さんとイカリ参謀総長の御子息。貴男方は大樹の苗を見て高くないと笑う愚を犯しているのかもしれませんよ」
 一同はしんと静まり返った。高級士官の子弟で軍の高位にある者も多いが、彼らは実力を以て若干二四歳で彼らに並ぼうとしているのだ。その一言によって群集心理を砕かれた一同はそれぞれの胸にばつの悪さを抱えて解散した。その中将の娘が一通の辞令を前にカウンターで「無様ね」と呟いていることに気がつかなかったのは幸いだったのだろうか?
 
 
 艦隊の質がどうにもならない以上、人材を以てカバーしなければならない。こればかりは、アスカもシンジ任せにはしなかった。副司令はシンジ・イカリ准将に決定済み。主席幕僚には冷徹怜悧がすぎ敬遠されがちなリツコ・アカギ大佐を。次席幕僚長にはその一番弟子であり、アカギ大佐の下でも萎縮(いしゅく)しない希有な存在であるマヤ・イブキ少佐をそれぞれ任命した。
 リツコにはデータの収集と分析並びに常識論を提示してもらい、マヤにはその補佐とオペレーションというのを建前に、濃すぎる司令部の毒消しをしてもらう。シンジには、艦隊行動全般を押しつけ…もとい一任する予定だ。中級指揮官には、アスカ達と士官学校での同期であったトウジ・スズハラ中佐を大佐に昇格の上任用した。副官は、シンジにそこまでやっている暇がない以上誰かが犠牲にならなければならなかったのだが、案外あっさり決まった。
 司令官曰く、
「カジ先輩もやってくれるじゃないの」
ヒカリ・ホラギ中尉。アスカの親友であり、士官学校時代には情報部に勤務しているアイダを加えた五人組みのまとめ役として奮闘していた。今回が初の前線勤務である。
スズハラやシンジといった同期に比べて階級は低いが、彼女の方が普通であってアスカに至っては異常などというより奇跡といった方がよいだろう。
 旗艦は、新規開発計画による弐番艦。その名も「弐号機」。エネルギー中和磁場の大幅な強化が売りの深紅のエヴァンゲリオン級打撃戦艦だ。ちなみに、イカリ分艦隊には、このプロトタイプである深紫の艦体の「初号機」が与えられた。
 混成半個艦隊の陣容は着々と整いつつあった。
 
 
「どう?お茶でも飲んでく?」
「ああ、そうさせてもらうよ」
 独身者用のアパート形式の官舎だが中は結構広い。シンジの部屋は隣なのだが、やはり一人はあまり歓迎したくない。かと言って自分からアスカとは言え女性の家に「行っていい?」などと聞けるようなシンジではないし…という理由でアスカがこうやってシンジを誘うのはいつものことだ。シンジにどうこうする度胸など無いことは計算の上。同居人も居ることだし。
 カードキーをスリットに差し込む。LEDが赤から緑に変わり扉が右手にスライドする。
「ただいま、レイ」
「おじゃまします」
「シンジさん、いらっしゃい。アスカさんもお疲れさまです。連絡がなかったので食事の用意はしていますけど、どうします?」
 空腹を強烈に感じさせる香りと共に蒼髪紅眼の少女が姿を現す。レイ・アヤナミ。アスカの同居人で、当年とって十四歳。とある事件がきっかけでアスカと知り合い、保護者としてその身柄を引き受けられたのは四年ほど前。一時は深刻な対立関係にはあったが、現在では本当の姉妹もかくやというほどの良好な関係を築き上げている。シンジもその時の一件に関わっており、ささやかな家族の一員として受け入れられている。
「いい匂いがするじゃない。当然、シンジも食べていくわよね」
「是非そうさせてもらうよ。レイの料理は絶品だからね」
「先生がいいからですよ」
 その視線が向けられているのはもちろんアスカ…なわけはなくシンジ。彼なら現在の職を失っても大方のレストランのシェフとして十二分に食っていけるに違いない。
「先生ってぼくが特別に教えたってわけでもないし…」
 一方、面白くないのはアスカ。中学生を相手にムキになるのも大人げない。
イライラ
 どうもこの手の話題には入っていけない。仕方がないのかも知れない、彼女には料理を教えてくれる人は居なかった。小さいときから。士官学校には家庭科などあるはずもなく、興味すら覚えなかった。「早く一人前になってシンジとこの戦争を終わらせる」それが少女アスカの夢だった。
 疎外感。言いようのない寂しさ。家族の暖かさを知ってしまったから?つまんない意地張ってないで、アタシもシンジに料理を教わろっかなぁ。
「…スカ、アスカ?どうしちゃったの」
 どれくらい物思いに耽っていたのだろうか。気がつくとシンジが自分の顔をのぞき込んでいる。やや頼りなげではあるが、その顔に男性を感じドキッとする。
「な、なんでもないわよ」
 顔を背けてやっと自分の頬が普段よりあついことに気がつく。
(やだ、アタシってもしかして真っ赤になってんじゃないの)
「あの、その、え〜っと。大丈夫、うまく行くさきっと」
 何やら思いっきり勘違い。この辺がシンジらしい。もしかしたら彼なりの不器用な優しさなのかも知れない。
「そうよね、第一今から考えたて仕方ないし」
 言い訳も面倒だからこの誤解にのっかってごまかすことにする。
「さっ、ごはんごはん。で、レイは?」
「あれ、そういえば」
(変なところに気がきくんだからあの娘は)
 その気遣いがほんの少し嬉しいけど、レイの心中を知るアスカは結構複雑な気分だった。
 
 
「四〇〇〇光年を二四日悪くないわね」
「悪く無いどころか、この急造艦隊が全く脱落者を出さずに目的地にしかも、予定より早く着くなんて…イカリ副司令の手腕、恐ろしいものがありますね」
 イブキ少佐の言ももっともだ。
 宇宙歴七九六年四月二七日、自由惑星同盟軍第一三艦隊司令官アスカ・ラングレー・ソウリュウ少将はイゼルローン要塞攻略の途に上った。
 公式発表では、新規艦隊の大規模演習に帝国領土とは反対方面に行くことになっている。一応発表通りの方角へ三日間航行し、そこから有人星系を避けるように一九日間。イゼルローン回廊へ進入することに成功していた。
 その間、アスカの頭脳は要塞攻略法ただ一時に使用され、艦隊運営の全てはシンジの肩に掛かっていたのだが、苦もなくそれをやり遂げてしまった。この計画を艦隊首脳部…アカギ大佐、スズハラ大佐、イブキ少佐に打ち明けたとき、
「机上論です」
とか
「まともやないで」
とか
「ちょっとあざとすぎるのでは…」
といった意見も出たが、
「大体寡兵(かへい)を以て多勢を征そうなんて虫のいいこと考える方がどうかしてるのよ。失敗したところで恥をかくのはアタシと本部長。この首脳部を見たところで、『失敗させて当分後方に回して昇進させないようにしよう』とか言う下心が見え見えなのよね。悪いけどこれ以外には勝算が立たないのよ」
 うそだ。もっと辛辣(しんらつ)な手段も執り得るのだが、今回は最も穏便に済ませよう。血は流れないに越したことはない。
 三人を下がらせると、先ほどから一言も口をきかないシンジに目を向ける。
「シンジは何も聞かなかったわよね」
 それは最初にこの計画を打ち明けたとき。
「うん」
 そのまま見つめる。答えを促すように。
「アスカはさ」
「うん」
「お父さんが亡くなってから必死でイゼルローン要塞の攻略法を研究してたよね」
「知ってたの?」
「うん。知ってはいたんだけどさ、なかなか言い出しにくくて…ごめん」
「ん。謝る事なんて無いのに…相変わらずなんだから」
 お互い照れたような笑み。
「それに、アスカは優しいから味方に被害があるような作戦は立てないだろうし」
「ほっ、ほめたって何も出ないわよ」
 司令官はそっぽを向いていた。顔は赤かったけど。いつまでたってもシンジの奇襲攻撃には慣れない。本人がどれだけ効果があるか意識していないだけに始末が悪い。
 柔らかな風が司令室の二人を包み込んでいた。
 
 
 扉の外では、入る機会を逸したホラギ中尉が報告書片手に困っていた。スズハラあたりがインターホンを作動状態にしておいたらしく、中の会話を全て聞いてしまった。こんな中に入って行けばただのお邪魔虫じゃないか。とかいろいろ悩んでると救いの神がやってきた。スラックスの裾から黒くて矢印みたいな先っぽのしっぽが生えていそうだがこの際気にしないことにする。
「あれ、ホラギ中尉。どしたの?」
「いや、あの。何でもないんですけど…」
 誰だって扉の前で赤い顔で立ってられたら気にはなる。ただ、見つかった相手が悪かったかも知れない。ミサト・カツラギ・カジ。『薔薇の騎士(ローゼンリッター)連隊』と双璧をなす陸戦連隊『ネルフ』を率いる。美貌の指揮官兼リョウジ・カジの妻。それだけでも信じられないのに、二児の母だったりもするから驚きだ。幸いにして本日は珍しくアルコールが入ってないようだ。
 ヒカリの顔色とドアの横のプレート『艦隊司令官執務室』。そして話し声。
 なるほど。
 アスカとシンジの士官学校時代の下宿屋に、一時期一緒にいたことがあるため中で起こってることは結構容易に想像がつく。その時のつき合いのおかげで今の旦那を捕まえたのだからほとほとこの二人とは縁があるのだろう。
「ミサト・カジ。入ります」
 間髪入れず開かれる扉。
 チッ
 ミサトの期待した光景は見ることは出来なかったが、赤い顔をして背を向けあう二人というのも結構見物だ。今時ここまでウブな反応をされるとミサトでなくてもからかいたくなるだろう。
「カッ、カジ大佐。ちょっと早いんじゃないの?」
「いえ、五分少々の遅刻です」
 どこまで行っても悪びれない。口の端のニヤニヤ笑いが気になるが、指摘したところでからかわれるのが落ちだろう。そこそこ長い付き合いで分かってはいるのだが、簡単に弱いところを突かれてしまうあたり修行が足りない。
「それに、ホラギ中尉が入りづらそうに扉の前に立っていましたし」
「「うっ」」
露骨に動揺する二人。
シンジのことでアスカをいじめるのも楽しいが、追いつめすぎるとしゃれにならない反撃を食うのでとりあえず攻撃中止。アスカの視線はゆっくりとヒカリに向けられる。
「ヒッ、ヒカリちゃん。どこから聞いてたの?」
猫なで声のつもりなのだろうか?顔どころか声まで引きつっている。
「イカリ君の『攻略方…』辺りかな」
 モロ頭から。さらに赤くなる二人。
「そ、そうだ、艦隊運用のマニュアルを整理しなきゃ…」
 逃げ出すシンジ。さすがにその場の雰囲気にいたたまれなかったのだろう。このあたりが彼の限界だろう。
「そ、そう。がんばってね」
 こちらもぎこちなく答える。
 これではミサトの言いようにも返す言葉がない。
「これからは、いちゃつくのは私室とか他のところでやってくださいね。ここは執務室ですから」
「何でアタシがシンジなんかといちゃつかなきゃいけないのよ…」
 その声は、いつもより説得力と迫力に欠け、毎度の事ながら誰の心にも届かなかった。
 
 
「それってまるっきり詐欺じゃない」
「ちょっとミサト、人聞きの悪いこと言わないでよ」
 作戦の概要を聞いた直後の陸戦連隊指揮官と、話した艦隊司令官の会話である。論点が多少ずれているような気もするが、あの二人のことだ問題ないだろう…多分
「解ったわ、でもアス…じゃない司令。何でこんな無茶な作戦を受け入れる気になったの?戦力、情勢から言ってもどだい無理なのに。
 ま、実務面ではこの作戦があったからといって…もしかして、お祖父様の席を狙う気になったとか?」
「バーカ言わないでよ。これ以上めんどくさいのはヤよ。第一この作戦が終わったら退役するんだから」
「退役?この情勢下に?」
 これはミサトの意表をついたようだ。彼女の知るアスカは、打倒帝国を生きがいとする炎の女だ。
「その情勢よ。イゼルローンを我が軍が占領すれば帝国は唯一の侵攻ルートを失うじゃない。こっちから逆侵攻とか馬鹿なこと考えない限り戦火は遠のくわよ。退職金と年金を頭金にしてレイとシンジのレストランを開く。あの二人の腕なら三人くらい生活できるわよ。で、アタシはオーナーとして経営を受け持つ。完璧じゃない」
 執務机の前に立つミサト。その目をのぞき込むように見る。限りなく優しい光がそこにはあった。
「とにかく、政治家達の外交手腕にもよるけど数十年くらいのの平和は勝ち取れるはずよ。アタシの軍に入った目的も達せられるし。戦争を終わりにするなんてママとは手段は違っちゃったけど目的は同じだもん。
 知ってる?ミサト。『世界に恒久的な平和を』って宣伝文句掲げた連中にはろくなのが居ないわよ、ナチスのアドルフ・ヒットラーとかルドルフ・フォン・ゴールデンパウムとか。人間なんて欲張ればきりがないのよね。アタシは無欲だから、手にはいるだけの平和で十分だけど」
 どちらも大量虐殺者として歴史に汚名を残している。銀河帝国の初代皇帝ルドルフはいまだに彼の帝国では崇拝されてはいるが、その時の手法はあまり歓迎されているとは言い難い。
「その後のことは知らないわ、次の世代に任せるから。アタシは今出来ることには責任は持つけどね。渡された遺産をどうするかなんて一々指示なんかしてられないわよ」
 結構辛辣(しんらつ)なことを言っているような気もするが、確かにこれも彼女の本音には違いない。いくら旧知のミサトが相手とは言え、自分の本心をシンジ以外に公開するなんて今まであったろうか。あ…そのシンジとの仲直りの方法を教わりに来たことが何回かあったっけ。いずれにしろ珍しいことには違いない。だから自分も周りっくどいやり方はしない。
「アスカ。今日はやけに素直じゃない。なんかいいことあったの?さては、さっきのはシンちゃんからのプロポーズだったとか?」
 いつものからかいついでではなく。優しさに満ちた…
「べつに、そんな日があったっていいじゃない。それに、なんでシンジごときのプロポーズで喜ばなきゃなんないのよ。」
「そうね。わかったわ、そういう事にしときましょ」
「しておくんじゃなくてそうなの」
「はいはい」
「あー、なんかその言い方ムカツクわね」
「そうカッカしない。実は、私だって家のシンが大きくなる前に戦争を終わらせたいのよね。ま、永遠ならざる平和のために微力を尽くしましょう」
 ミサト・カジ大佐は、一分の隙もない敬礼。
「ヒカリ、今の話シンジにはないしょよ」
 ミサトには七歳になる息子と五歳の娘。自分にはシンジとレイ。守りたいものがあるというのは案外いいことかも知れない。親友の想い人も前線に立つことは減るだろうし。
 かくして三人は悪巧みの相談よろしく実務面の細部を検討にはいる。
 
 
 イゼルローン要塞の二人の帝国軍大将はともに不機嫌の極みにあった。何せ相手が自分の主張――ともに現状採るには最善の手段と確信している――に理解を示さないのだから。
 駐留艦隊司令官ゼクート提督曰く、「要塞周辺の通信の攪乱(かくらん)は叛乱軍が接近している証拠ではないか。これを迎え撃ち、教訓をくれてやるのは銀河帝国軍人の神聖なる義務である」と。その裏は、安全な要塞に籠もって戦争ごっこに興じている宇宙モグラに対する不満と当てつけ。
 帝国は自由惑星同盟を対等な国家とは認めていない。領土の一分が不逞(ふてい)の輩(やから)に占拠されているだけ。つまりは、内乱であると言う。個人レベルでこんな事を言おうものなら、白くない鉄格子付きの病院に送られそうなものだが、事、国家レベルの話となるとたやすく受け入れられてしまう。同盟にしたところで大して変わらないことを主張しているのだからあまり偉そうなことは言えない。
 話がそれた。もう一人の大将であるイゼルローン要塞司令官シュトックハウゼンはこう言う「敵がどこにいるかも解らないのに出ていってどうされるおつもりか。ここはもう少し様子を見るべきではないですかな」と。どうせ危険になれば逃げ帰ってくるのだから。
 大体にして、同格の指揮官を辺境の地に置くこと自体決して良いこととは言えないだろう。せめて、どちらかの指揮権の優越を確立してあるなら話は別だが…。むろん指揮権を統合する案は毎年のように提出はされているが、司令官職が減ることを快く思わない門閥(もんばつ)貴族によって毎年廃案に追い込まれている。
 ともかくそんな両者がそれぞれの幕僚を伴って一つところに会している。どちらが望んだわけではないが、地位に伴う責任は果たさなければならない。いくら爵位や社交界での名声がどれほどのものであっても最前線に立つにはそれなりの才覚が要求されるのだから。気にくわないやつの顔を見るくらい我慢でも何でもしてやる。
「敵がいるから出撃すると卿は言うが、その場所がわかるまい。それでは戦いようもなかろう」
「だからこそ出してみるのだ。敵が潜んでいる場所を探るためにも。もし今度叛乱軍が攻めてくるとすれば、よほどの大軍を動員してのことだろうな」
「そしてまた撃退されるのがおちだ。何度攻めてこようが結果は同じだ」
「この要塞はじつに偉大だな」
 暗に「おまえが有能なわけではない」と艦隊司令は言っているのだ。
「とにかく敵が近くにいることは事実なのだ。艦隊を動かして探ってみたい」
「だがどこにいるかわからんでは、探しようもあるまい。もう少し様子を見てはどうかな」 何度目かの堂々巡りに入りかけたとき通信室から連絡があった。回線の一つに、奇妙な通信がはいってきたという。
 妨害が激しく、通信は幾度も途切れたが、ようやく次のような事情であることが判明した。
 ――帝国首都オーディンより重要な連絡事項を携えた軽巡洋艦がイゼルローンに派遣されたが回廊内で敵の攻撃を受け、現在逃走中。救援を求む――
 二人の司令官は顔を見合わせた。
「回廊内のどこか判明せぬが、これては出撃せざるをえん」
 ゼクートは太い喉の奥から声を絞り出した。にしては表情が明るいような気もするが。
「しかし大丈夫か?」
「どういう意味だ。俺の部下は安全だけを願う宇宙モグラとはわけが違うぞ」
「どういう意味だ?」
 ゼクートがその場で幕僚に指示を出す間、シュトックハウゼンはあらぬかなたを眺めていた。
 イゼルローン要塞駐留艦隊一万五〇〇〇隻は出撃を開始した。
「痛い目にあって戻ってくるがいい」
 苦々しく吐き捨てる。冗談でも死んでしまえ、とか、負けろとは言えない。それが彼なりの節度だった。
 
 
「司令官閣下、先ほどの軽巡洋艦が何とかこの辺りの空域にたどり着いたようですが…」
 駐留艦隊が出撃して六時間。友軍はどうやら敵に追いつかれてしまったようだ。通信士官の報告に渋面(じゅうめん)を作る。ゼクートの低能はどうしたというのだ。大言壮語もいいが、せめて孤独な味方を救うことぐらい出来ないのか。
「砲手。援護射撃の用意を」
「スクリーンに敵影」
「射撃準備完了」
 拡大された映像には、傷つきながらも何とか航行する軽巡が映し出されている。その背後にある光点の一つ一つがおそらく敵艦船。
「砲戦用意!」
 シュトックハウゼンは命じた。要塞主砲にエネルギーがまわされる。
 要塞主砲の射程距離寸前で、同盟軍の艦艇は一斉に停止した。軽巡がイゼルローンの港内に入って行くのを認めると、あきらめたように回頭してゆく。
「叛乱軍(はんらんぐん)のやつめ、かなわないことを知ってやがる」
 帝国軍兵士は哄笑した。要塞の力が自分たちの力のように錯覚しているのだろう。
 入港し電磁石によって係留された軽巡は、見るも無惨な姿だった。
 外殻だけでも数十カ所の破損が認められ、緩衝材が所々溢れ出している。細かい傷など数え始めればきりがない。既に満身創痍のいい見本としてぐらいにしか使えない有様。
 整備兵を満載した水素動力車が駆け寄る。彼らは駐留艦隊司令官の統率下にあるためその姿に深く同情した。
 軽巡のハッチが開くと、年若い東洋系の顔立ちの士官が現れた。丸い黒縁の伊達眼鏡が奇妙にゆがみ頭部に包帯を巻いている。青ざめた顔に赤黒いものがこびりつき、まじめで気弱そうな丸顔にも凄惨(せいさん)さのエッセンスが加わり深刻さを演出する。
「艦長のフォン・ラーケン少佐です。要塞司令にお目にかかりたい」
 下膊部に巻かれた包帯のためだろう、副官らしい長身の女性がその体を支えている。顔色に比べ声には力がこもっている。完璧な帝国公用語で整備兵たちに流れ込む。
「わかった。しかし外はどうなっているんだ」
「詳しいことは私もわかりませんが、あなた方の艦隊は壊滅したようです」
 黙り込む人々を一通り睨みつけるようにして少佐は叫んだ。
「どうやら叛乱軍(はんらんぐん)は回廊を通過するとんでもない方法を考えついたようです。事はイゼルローンのみならず帝国の存亡に関わります。早く司令官閣下の元へ連れていってください」
 要求は速やかに聞き入れられた。
 司令室で待っていたシュトックハウゼン大将は、警備兵に囲まれた五人の軽巡士官の姿を見て腰を浮かした。
「シュトックハウゼンだ。事情を説明しろ、どういうことだ」
 大股で近づきながら要塞司令は普段より大きな声で尋ねる。あらかじめ連絡があったように、叛乱軍(はんらんぐん)が回廊を通過する方法を考案したとなれば、イゼルローン要塞のあり方、存在意義そのものが問われることになるだろう。現在この宙域にいる叛乱軍(はんらんぐん)の行動に対する方策も考えねばならない。
 イゼルローンは動けないのだ。今さらながらにゼクートの勇み足が悔やまれる。シュトックハウゼンは冷静ではいられなかった。
「それは…」
「なんだ!」
 ラーケン少佐の蚊の泣くような声に、思わず身を乗り出す。先ほどの元気な姿を見ていれば不思議に思ったろうが、あいにくシュトックハウゼンは司令室に入ってからの彼しか知らなかった。
「こういう事よ」
女性の声に気を取られたというのもあるのだが、完全に不意を打たれたシュトックハウゼンは、簡単にラーケン少佐に拘束されてしまう。なんかこう、悪役然とした人の悪い笑みと言うか、いたずらが成功したときの無邪気な子供の笑みと言うべきか判断に迷うところだが…を浮かべる女性士官。
「…こういう事です。シュトックハウゼン閣下、貴官は我々の捕虜です」
凛とした声が司令室に広がり、凍結した時間が再び動き出す。シュトックハウゼンの首にはラーケン少佐の腕が巻き付き、側頭部には金属探知器には反応しない特殊樹脂製のブラスターが突きつけられていた。
怒りのあまり顔面を赤く染めた司令官警備主任レムラー中佐がうめく。
「…きさまら、叛徒(はんと)どもの仲間か!よくも大それた事を…」
「ネルフ連隊のミサト・カツラギ・カジ大佐よ。どれほどの付き合いになるかわかんないけど、以後よろしく」
ウインクのサービスにも、帝国軍士官は動じない。と言うよりそれどころではない。
「しっかしこんなにうまくいくとはねぇ、正直思ってもいなかったわよ。IDカードまで作ってきたのに調べようともしなかったし…どんな厳重なシステムを構築しても所詮使う側次第って事ね、いい教訓だわ」
もう言いたい放題だ。
「誰にとっての教訓かな?」
先ほどより幾分落ち着いたレムラーの銃口はシュトックハウゼンと、ラーケンことヒュウガ少佐に向けられている。
「人質をとったつもりだろうが、きさまら叛徒(はんと)と帝国軍人を同一視するなよ。司令官閣下はお命よりも名誉を重んずる方だ。 盾にはならんぞ」
「司令官閣下は過大評価されるのは迷惑そうですけど?」
ヒュウガ少佐が事実そのものを告げる間にミサトがほかの三人部下の一人に目配せをする。その部下が軍服の下から取り出したのは、掌大の円盤状の物体だ。もちろんこれも特殊樹脂製だ。
「解ってるとは思うけど、ゼッフル粒子の発生装置よ。もちろんとっくに動作してるわ」
ゼッフル粒子は早い話が気体火薬だ。一定量の熱エネルギー反応して引火爆発を起こす。
 元々は惑星開発用として発明されたのだが、ノ−ベルのダイナマイトと同じく軍事用に転用された。こんな風に。
レムラー中佐の顔色は赤を通り越してどす黒く見える。エネルギー・ビームそのものを撃ち出すブラスターはもう使えない。使用するのは構わないが、双方の体は灰塵(かいじん)と化し要塞のこの辺りの一画は壊滅するだろう。
「司令官閣下…」
レムラーはシュトックハウゼンを見た。うつろな光を湛(たた)えた瞳で。ヒュウガが心もち腕をゆるめると何度か荒い呼吸を繰り返す。イゼルローン要塞の司令官は屈服した。
「おまえたちの勝ちだ。仕方がない、降伏する」
ミサトは内心安堵の吐息を洩らした。
「各員、予定通りに行動よ」
ミサトの部下たちは指示に従って行動に移った。管制コンピュータからあらゆる防御システムを無力化させ、空調システムから要塞全域に催眠ガスを流す。軽巡に残っていた技術兵がこれらの作業を手際良くこなして行く。ごく一部の者しか気づかぬままに要塞はその機能を奪われていった。
五時間後、不自然にもたらされた眠りから覚めた帝国五〇万の将兵たちは、武装を解除され捕虜となっている自分たちの姿を見て呆然とした。イゼルローン要塞は内部での自給自足が可能であり、駐留艦隊の人員を合せ一〇〇万以上の人口を支えることの出来る環境と設備が整っている。
そこはいまや、同盟軍第一三艦隊の将兵が闊歩(かっぽ)していた。
こうして、イゼルローン要塞は新たな血を加えることなくその所有者を変えることとなった。
次に、一通の通信文が発せられた。「一部兵士の叛乱勃発、救援を請う」と。
「これで引っかかるほど帝国軍は愚かではないと思われますが?」
とは、参謀長の言。
「大丈夫。要塞司令に恩が売れるとか言って喜んでやってくるわよ。怪しんで逃げ出したところで、こっちにしたらバンザイってもんじゃない?」
「またご冗談を」
「冗談…ね」
 その声は誰にも聞こえなかったが肩をすくめたのはさすがに気がついたようだ。怪訝そうな顔で年少の司令の横顔を見ている。
 その指令は、指令官席のデスクに行儀悪く座り、正面のモニターを凝視する。組んだ足に左の肘をつきその手で形の良い顎を支える。
「…冗談ねぇ」
 もう一度呟いてみる。それは、隣にいるシンジにしか聞こえなかった。
 
 
「もうなんでなのよ、イゼルローン攻略だなんて言うもんだからめーいっぱい期待しちゃったじゃないの」
 何だか騒々しいのが居る。
「なんであたし達に出番がないわけ?おっかしいと思わない?ねえ、マユミ…って、あんた何読んでんのよ。人がこんなにアツく語ってるときに」
「べつに…ただの”ラヴクラフト全集第三巻”ですけど」
 何が「ただの」なのかちょっと聞いてみたい誘惑にも駆られたが今はそれどころではない。返事の間に左手に持ってたソフトドリンクを一口。紙パック仕様なので今みたいに振り回してもこぼれることはない。握りしめてしまうと大変なことになるが。
 広くもないブリーフィングルームに今は二人だけ。後のパイロットは自分の機体の搬入を見に行っている。彼女達の分は最優先で運び込まれたためこうやって暇を持て余している。こう見えてもこの二人、単座式戦闘挺スパルタニアンのパイロットでエースだったりする。さっきから何やらヒートアップしているのがマナ・キリシマ中尉で、マイペースに本なんぞ読んでるのがマユミ・ヤマギシ中尉。この対照的な二人がよくあるようにいいコンビなのだから世の中解らない。
「別にそういうことがあってもいいんじゃないですか?たまにはね」
 そう言われてしまうとそうかも知れない。心のどこかで同意してしまったためか燃え上がった何かが冷めてきた。
「そうかもね。でも今度の指令は結構やるもんね。すぐに出番は回ってくるか」
 また本の世界に入り込んでしまい不気味な笑いを浮かべる親友を視界の隅に収め、「あたしも暇つぶしを持ってくれば良かった」と、多少の後悔とともに呟きながら天井を見上げた。確かこっちの方に司令部があったな…
 
 
「敵性艦隊の接近を確認。まもなく射程距離に入ります」
 イブキ少佐のささやくような声が司令部に行き渡る。イゼルローンとしては叛乱兵と交戦中と言うことになっているため積極的な索敵活動を行うことが出来ない。
「要塞主砲、エネルギー充填、既に完了しています」
「敵性艦隊、要塞主砲射程圏内に入りました」
 臨時に連れてきたオペレーターからの報告に続き、イブキ少佐の報告が緊張感を高める。
「もう少し引きつけて」
 再び先ほどの格好で指揮卓に座ったアスカ。アカギ大佐が何か言いたそうだがひと睨みしただけで何も言わなかった。
 砲手席に座るシンジ。何回も手のひらをスラックスにこすりつけている。無理もない。目の前にある深紅のボタンを押すだけで数万の命が消し飛ぶのだから。だからこそ志願した。とても豪気(ごうき)とは言えない――というより気の弱いと言ったほうがより正確か――シンジにとって、この重圧を受ける意味はただ一つ。彼女の負担を少しでも減らすため。或いは自己満足なのかも知れない。それでも、彼女の受ける痛みを少しでも共有したい。ただそれだけだった。
 アスカは正面のモニターを埋め尽くす光点をそのアイスブルーの瞳に映していた。
 やがて、一つ深呼吸をする。
(パパもこうやってこの要塞に攻めてきたんだ)
 自然とシンジを探す。ここの所、本人は待ったく意識していない。砲手席のシンジと目が合う。ゆっくり頷く――その顔は強ばってしまいあまり格好の良いものではなかった――が、だからこそアスカにいつもの落ち着きと決断力を取り戻させていた。
 ゆっくりと右手を挙げ、正面を見据える。
「照準は!」
「OK。敵性艦隊中央部です」
 シンジの返答に満足げな表情を作ってみせる。指令官はまず演技者でなければならない…誰の言葉だったか。
「発射(ファイアー)」
 勢いよく振り下ろされる右手。それほど大きくない声は襟元のマイクを通して司令部全体に伝わる。シンジの手もアスカのその右手に併(あわ)せるかのようにでっかい赤いボタンに叩きつけられる。
 白い、圧倒的なまでの存在感をまき散らす光が、帝国軍イゼルローン要塞駐留艦隊の前衛部隊の真ん中に突き刺さる。その光に巻き込まれた数百隻は爆発する暇もあらばこそ完全に蒸発した。
 それより悲惨だったのは直撃を巻き込まれた艦船と帝国艦隊の第二陣だ。エネルギーの余波を受け、急激な温度変化に耐えきれず爆発する、火災が起こる。その副産物としての電磁波が艦体制御のコンピュータをぶっ飛ばし生命維持に影響の出る艦まで出る始末。
 帝国軍の通信回線には第一撃に生き残った将兵の悲鳴と叫びがあふれていた。
「味方を何故撃つかっ!」
「いや、既に叛乱兵(はんらんへい)が占拠したのだ…」
「どう対処するのだ!対抗できないぞ。どうやってあの『雷神の鎚』(トールハンマー)から逃れるのだ」
 要塞内部では同盟軍将兵がひとしく声と息を呑んでいた。イゼルローン要塞主砲『雷神の鎚』(トールハンマー)の魔的な破壊力を、彼らは初めて目の当たりにしたのだ。
 帝国軍は恐怖にその全軍を鷲掴みにされていた。昨日までの絶対的な守護神が、自分たちの喉元にそのギラつく刃を突きつけているのだ。
「応戦しろ。全艦、主砲斉射だ!」
 何とか自らの再建を果たしたゼクート大将の怒号が轟いた。
 この怒号には、混乱した将兵をそれなりにではあるが律する効果があった。顔色を無くした砲手が操作卓に取りすがり、照準を合わせ、スイッチを押す。数百条のエネルギーの流れが幾何学的な線を深淵に描き出す。
 悲しいがな、艦砲の出力ごときではイゼルローン要塞の外壁には傷一つつける事が不可能だった。放たれた全ての光線は、外壁に当たり弾き返され、為すことなく四散した。
 過去、同盟軍が味わった屈辱と敗北感と恐怖。それがさらに大きなものとなって帝国軍にのしかかっていった。
「撃て!(ファイアー!)」
 艦砲よりもさらに太い輝きが艦隊を焼いてゆく。たった二回の砲撃で帝国軍は実兵力の四割を失った。
「提督、これは戦闘と呼べるものではありません」
真っ先に耐えきれなくなったイブキ少佐が振り返った。
「一方的な虐殺ね」
アカギ大佐も事実を告げることでこれ以上の砲撃に対して難色を示す。このシビアさが煙たがられる主要な要因と気がついているのか、いないのか。
「指令?」
最後に呼びかけたミサトの方を振り向いたアスカは、怒ってはいなかった。ただ、右手は白くなるほど握りしめられ、血の気の引いた顔がその内心を雄弁に語っていた。
 言われるまでもない、彼女も同じ気持ちだった。
「…そうね、そう。いつまでも帝国軍の悪いまねをすることはないのよね。マヤ、帝国軍イゼルローン要塞駐留艦隊司令官殿宛で降伏を勧告してくれない?それがいやなら逃げるようにって。追撃はしないとも言い添えといて」
「わかりました」
 リツコ・アカギは興味深げに自分の上司を見た。「逃げろ、追撃はしない」とは普通の神経では言えまい。アスカ・L・ソウリュウという希世の用兵家の美点なのか欠点なのか。何れにしても退屈だけはせずにすみそうだ。
 
「指令官閣下。イゼルローンから通信です!」
 通信士官の喚(わめ)いた。血走った眼でゼクートがにらむ。
「やはりイゼルローンはどうめ…いえ、叛乱軍(はんらんぐん)によって占拠されています。その指揮官ソウリュウ少将の名で言ってきております。『これ以上の流血は無益である、降伏せ』。と」
「降伏だと?」
「はい、さらに『降伏を拒否するのであれば逃げよ、追撃は行わない』と、あります」
 その瞬間、艦橋に生色が戻ってきた。そうだ、逃げるという手があるではないか。後ろめたくない言い方をすれば「一旦後方へ退き戦力を立て直す」とでもすればよい。その僅かな希望を指令官の叫び声が打ち砕いた。
「叛徒(はんと)どもに降伏など出来るかっ!通信兵、イゼルローンに返信しろ内容は…」
 
「帝国軍より返信です」
「読み上げて」
 イブキ少佐が言いよどむ。プリントアウトされたその紙をシンジが取り上げた。微かに眉が動き、紙を持つ手も心なしかふるえている。
「読み上げます――汝(なんじ)は武人の心を弁(わきま)えず、吾(われ)、死して名誉を全うするの道を知る、生きて汚辱(おじょく)にまみえるの道を知らず」
「………」
「この上は全艦突入して玉砕し、もって皇帝陛下の恩顧に報いるのみ――と言っています」
 その声は抑制はされていたが震えを止めることに失敗していたため、怒りを隠すことに成功しているとは言い難かった。
「武人の心…ね」
 同じ怒りをこの若き司令官は抱いたようだ。今までの怒りなど今に比べたら何でもなかったというのを思い知らされる。そして、あの温厚で自制心の固まりのようなシンジですら…
「死んで敗戦を償うって言うのならそれはそれでいいわ。ブラスターをくわえてスイッチを押せばいい。なんで他の人を巻き込むのよ。男ってなんでこうバカなのかしら」
「敵、全艦突入してきます」
 たった一人、何とか自分を保っていたシンジが叫んだ。アスカの怒りようにすっかり飲み込まれてしまった司令部の面々も急いで自分の持ち場に散る。
「シンジ、敵の旗艦はわかる?」
「ああ」
「じゃあ、それを集中的に狙って。ああいうバカが居なくなれば他の艦船は逃げるでしょうよ」
 アスカの方に振り向かず大きくうなづく。全ての照準が合う。
「いつでもいいわ、やって」
 三度の無音の咆哮。光の円柱が遠慮なく帝国艦隊の中枢を撃ち抜いた。ゼクート大将の怒号と巨体は、不幸な幕僚とともに光の中で文字通り消え去った。
 生き残りの艦船は、玉砕戦法を叫ぶ指令官が「消滅」したからには無謀な戦闘――と言うか、殺戮――につきあう理由など無い。次々と艦首をひるがえし、『雷神の鎚』(トールハンマー)の射程から離脱していった。
 
「ヒカリ」
 呼ばれたホラギ中尉が駆け寄る。
「同盟本国に通信をお願い。希望通り何とかした。もう二度と出来ないわよ、ってね。後お願い、もうくたくたなんだから」
 同じく疲労困憊(ひろうこんぱい)の体のシンジと眼があった。ぎこちなくではあるが微笑みかけてくる。
「全く、無理しちゃって」
 言葉は届かなかったが、心は届いたみたいだ。その、いつになく穏やかな微笑みとともに。





第弐話 前編に続く

99/07/24改訂
99/12/18タグを修正
00/08/08修正

銀河英雄伝説は田中芳樹氏の著作物です
yoshiki tanaka (C)1982  徳間書店刊


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