銀河の英雄は
アタシに決まってんじゃない!」伝説
 
 
第弐話 (前編)
アムリッアツァ星域会戦

 宇宙歴七九六年 八月

片山 京
 

 
T
 

 惑星ハイネセン。その北半球中緯度地帯にひときわ高くそびえ立つ白亜の塔。国父アーレー・ハイネセンの巨像を胸に抱くそれは、まさしく同盟の中心最高評議会ビル。
 会議室に集まったのは、国家運営の最高責任者たる最高評議会の評議員一一人。そこに議長が加わり評議会が始まる。
 様々な防諜設備を備えた壁を、さらに他の部屋でド−ナツ状に囲い込む。許された通路は広くもない上、ここを通る人物を確認するためのセンサ類が山のように配置されている。当然の事ながら窓はない。
(ここが開かれた政治の府?)
 財政委員長キョウコ・ソウリュウ・ツェッペリンは、直径七メートルの円卓の一席に坐り、そう考えた。今に始まったことではない。初登庁以来いつもその疑問にとらわれる。
 当初は、現政権の戦争反対派に対する懐柔策として評議員に指名されたのだが、皮肉な事に娘の活躍が現在の彼女の立場を微妙なものにしている。実際に、彼女の政治姿勢が変わったわけでもなく、アスカが士官学校に入学してからは数えるほどしか顔を合わせていない。キョウコが、その地位を何とか保つことが出来たのはその行政手腕と高潔な人柄もさることながら、親友とその夫の尽力があったからだろう。
別に、地位に恋々としがみついたわけではない。ここで自分が辞めてしまえばアスカは傷つく。あの娘は表には決して出すことはない。それでも…いや、だからこそ母として、それは出来ることではなかった。
 
 
 その日、標準時で八月六日の会議には、議題の一つに、軍部から提出された出兵案の可否を決定する、というものがあげられていた。占領したイゼルローン要塞を橋頭堡として帝国に進入すると言った作戦案を、青年高級士官達が直接、評議会に提出してきたのだ。キョウコにしてみれば、何の冗談かと勘ぐりたくもなる。
 会議が始まると、当然のようにキョウコは戦線の拡大反対の論陣を張る。
「現在の財政状態は危機的と言わざるをえません。こちらをご覧下さい」
 各人の前にある端末機にいくつかのグラフを重ね合わせたものが映し出された。赤く彩られた戦死将兵遺族年金の文字がやけに眼に突き刺さる。増え続ける軍事費と合わせ年間予算の半分を軽く上回っている。キョウコの言い分は控えめでありこそすれ、決して大げさなものではない。
「ご覧になって分かるように、既に債務超過の状態にあります。ここに至って、軍事予算だけでも艦隊の再建、イゼルローン要塞の管理維持費という臨時予算をもうけなければなりません。はっきり申し上げますが、吾々には余力がないのです。
 財政健全化の方策は二つしかありません。国債の増発か、増税か!」
「紙幣の発行高を増やすというのは?」 
 副議長兼内務委員長が発言を求めた。
「財源の裏付けもなしに?何年か先には、紙幣の額面ではなく重さで取引が行われるようになるでしょうね。そうなればもはや戦争どころではありませんが?」
 冷ややかに言ってのける。目の前の男どものうち何人かは経済学の博士号を持っていたはずだ。特に副議長は経済に強いというのがキャッチコピーだったような気もするが。
「しかし、その戦争に勝たねば吾々には何年先どころか明日すらない」
「ならば、その戦争をやめてしまえばよろしいでしょう」
 キョウコがさも当然の如く言うと、室内がしんとした。
「吾々がイゼルローンを得たことで、帝国軍はわが同盟に対する侵攻ルートを失いました。有利な条件で講和条約を締結する好機ではありませんか?」
「しかし、これは絶対君主制に対する聖戦だ。正義のための戦いだ。彼らとは倶に天を戴くべきではない。不経済を理由にやめて良いものでは無かろう」
 聖戦…ね。幾人かの反論を、無視することなく一応全て鄭重に聞き流し憮然として再び席に坐る。
 それにしても、正義という代物のなんと貪欲なことか。莫大な流血、国家の破産、国民の血涙。次々に生け贄を求め、決して飽くことを知らない。
「諸君、しばらく休憩をしよう」
 それが、議長キール・ロレンツの提案だった。
 
 
 昼食の後も会議は続く。今度論陣を張ったのは、人的資源委員長として、教育、雇用、労働問題、社会保障などの行政に責任を持つユイ・イカリだった。彼女も出兵反対派だ。
「は、本来、各分野に分散されるべき人材のほとんどが軍事方面に偏るという現状に対して、不安を禁じえません。教育や職業訓練のような、人材育成に関するに対する予算が削られる一方というのも困ります。こちらの資料にあるとおり、労働者の熟練度が下がった証拠に、この半期で起こった職場事故の実数が前期を三〇パーセントも上回っています。特に、専門職の技術レベルの低下が激しく、且つ、人員不足から過重労働を強いられています」
 穏和でやや間延びしたしゃべり方がその場にいる者に考える時間を与え、事態の深刻さが的確に伝わって行く。しみわたるとでも表現すべきか。
「そこで、人的資源委員会としての提案ですが、現在、軍に徴用されています技術者、特に運輸と通信に関する職の方を優先的に四〇〇万人を復帰させていただきたいのです。これは最低限度の数字です」
 一転して強い口調で言葉を叩きつける。その瞳を受け止めることが出来たのはキョウコだけ。あとは国防委員長の元に視線を集める事で顔を背る。その国防委員長はキール議長に弱々しくその目を向けた。
(つかえんやつだ)
 仕方がない、軽く首を振って答えをくれてやる。
「そのような無理を言われても困る。後方支援よりそれだけの人員が割かれては軍が瓦解してしまう」
「国防委員長はそうおっしゃりますが、このままでは軍組織よりも早くその基盤である経済と社会そのものが、何より市民生活が瓦解します。
 現在の労働者の八〇パーセントが二〇歳以下の未成年と七〇歳以上の高齢者によって占められているのです。確かに平均年齢は四二歳ですが、実際問題として三〇代、四〇代の労働者などどこを探してもいませんよ。
 どうです?ご自分の生活が、素人同然の技術者と年金を受け取りながら働く管理職によって支えられているのです。社会機構の弱体化はここまで進んでいるのです」
 ユイは口を閉じ、再び一同を見回した。
 今度も先ほどと同じ反応を繰り返す一同。ただ、キョウコだけはその意志を受け止め、発言を替わる。
「つまり、民力休養の時期なんですよ。イゼルローン要塞を手中にしたことで、わが同盟は国内への帝国軍の進入は長期にわたって阻止できるものと思われます。ならば、こちらから攻撃する必要など全くないではありませんか」
 キョウコは熱心に説いた。
「これ以上の犠牲を市民に強いるのは、民主主義の原則から見ても間違っているとは思いませんか? 彼らは負担に耐えかねているのです」
 それに反論したのはただ一人。情報交通委員長を務めるコーネリア・ウインザー。一週間前に新任されたばかりだ。
「大儀も理解せず不満ばかり叫ぶ民衆など放っておけばよいのです。吾々には、打倒専制君主制という崇高な使命が、義務があるのですから。そもそも、犠牲無くして成果などありえないでしょう?」
「その犠牲が大きすぎるのではないですか、そう市民は考えはじめているんですよ、ウインザー夫人」
 ユイがウインザー夫人の原則論と言うより、エリートを自認する主戦派の代弁をする発言に釘を刺す。しかし、戦うおばさんの面の皮は厚かった。
「どれほど犠牲が多くとも…たとえ市民全員が死に至っても、為すべき事があります」
「それは政治の論理ではありません」
 ユイが必死に反論したが、ウインザー夫人は完全に無視を決め込み、そのわりには明らかに気をよくした表情で一同に訴える。
「先程述べたように、わたしたちには崇高な義務があります。それを、安っぽいヒューマニズムに陶酔してその大儀を忘れはてるのが、はたして大道を歩む態度と申せましょうか?」
 彼女は、キョウコとユイの同年代であり、年齢からすると反則的な美を誇るこの二人と並んでも格好は付くだけの優雅で知的な美しさを持ち合わせていた。その声に音楽的な響きがあるだけに、キョウコとユイの抱いた危機感は一段と大きかった。彼女こそ安っぽいヒロイニズムにどっぷりと浸かっているではないか。
 反論のためにキョウコが口を開こうとしたとき、先に間抜けな質問をして以来口を閉ざしたままだった副議長が長い時を経て復活したようだ。
「みなさん、こちらの資料を見ていただきたい」
 全員が端末機に表示されたデータに目をやる。副議長に目をくれるほど暇な人間はいないようだ。
「わが評議会に関する市民の声だが…良いとは言えないな」
 支持率三一・二パーセントは皆の予想からそうかけ離れた数字ではなかった。ウィンザー夫人の前任者が不名誉な汚職事件で更迭されたばかりである上、キョウコやユイの指摘通り、社会経済の停滞ははなはだしいものがあった。
「こちらが不支持率だが…」
 五六・九パーセントと言う数値には、誰もがため息をついてしまう。こちらも決して予想外のことではないのだが。
 副議長は一同の反応を見ながら続けた。
「しかしだ、この一〇〇日以内に軍事的成功を収めることが出来れば支持率で二〇ポイントの上昇が見込まれる」
 確かにこのままでは、主戦派と反戦派の挟撃にあい彼ら政権党は議席の過半数を割ることは目に見えている。
「軍部からの提案を評決にかけましょう」
「待ちなさい、私たちにそのような権利はありません。権力維持のためにいったい何人の兵士を、市民を死地へと追いやるつもりですか!」
 キョウコがウインザー夫人を叱りとばすが、強烈な反撃が待っていた。
「ホント、あれほど地位にしがみついた人間が。急にいい子にならないで下さる?」
 勝ち誇るウインザー夫人と蒼白になるキョウコ。
「では評決を採ろう」
 力無く座り込むキョウコには誰も目を向けない。ユイだけは気にしているが…
 それでも、手を伸ばし投票用のボタンにその形の良い指を置く。
 賛成七。反対二。棄権二。有効投票数の三分の二が賛成票によって占められ、ここに帝国領内への侵攻が決定された。
 ただ、皆を驚かせたのはキール議長の次の一言だった。
「私は愛国者だ。今回の決定は民主主義国家の一政治家として認めなければならないが、一市民としては残念と言わざるを得ない。愛国者たることと、常に主戦論に立つことではイコールではない。議事録にはそう明記しておいてくれるかな」
 




U
 

 ここは統合作戦本部の一室。
 今や時の人となったアスカ・L・ソウリュウ少将が雑然とした部屋の片隅に座り込んでいる。その周りで黒髪の青年と、蒼髪の少女がこの部屋中に広げられた書籍をはじめとする様々なアスカグッズを何とか整理しようとしているがどうにも報われた様子はない。軍広報部が正式に認めた物だけでこれだけあるのだから、一般に流通している量を思うと気が遠くなる。
 アスカとて別にことさら二人にやらせているわけでもない。ただ、
「アスカさんがさわると仕事が増えるんですよ」
という同居人のキツい一言と、シンジの苦笑い、何よりも自分の見た事実もあって渋々ながら傍観者という何とも気にくわない地位に居座っている。それでも、アスカに言わせれば「ミサトに比べたら全然ましなんだから」ということになるが、この場合は比べる人材が間違っていると言わざるをえまい。
 帰還の挨拶のために統合作戦本部ビルにやってきた…確かに最初はそのはずだった…機会をとらえて辞表を出したがまた諭されてしまい、受理される見通しは立たない。当分軍に残ることになりそうだ。
 目的を終えたあとカジに会い「レイ君が来ているから…」と案内されたのがこの部屋。案内した本人は「今日中に何とかしてくれ」と涙の出るほどありがたい言葉と共に去っていった。人の悪い笑みを残して。
 で、先ほどのような作業を始めたわけだが…おもしろくない。見ているだけなのだが、理由はそれだけではない。
 疎外感。
 本人は否定するだろうが、間違いない。二人が仲良く作業しているところに入り込めない。レイがうらやましい。嫉妬?
 その感情が受け入れられるなら問題の九割は解消したも同然なのだろうが。
「シンジ、レイも。もういいわ」
 憤然として立ち上がると、備え付けの館内通話機に向かいカジの執務室の番号を押す。
『はい、統合作戦本部長付き副官執務室でございます』
「第一三艦隊司令官アスカ・ラングレー・ソウリュウ少将がカジ中将に緊急に申し上げたいことがあります。すぐに繋いでいただけますね!」
『は、はい』
 少し離れてみていたシンジは、秘書らしき女性士官に深く同情した。顔は見なくても大体見当はつく。あの引きつった笑みは思い出すだけで背中に冷たいものを感じる。
 『しばらくお待ち下さい』のメッセージが立体ディスプレイに表示され、軽妙な音楽が流れるが今のアスカにとって「待つ」という行為はたとえ一秒であっても我慢の出来ることではなかった。このあたり、「最近ミサト化が進んでいるな」とカジに評されるゆえんだ。当然本人の居ないところで。
『お、何だ。結構早かったな』
 カジの不用意な言葉にアスカが何か叫ぼうと口を開けた瞬間、その口を押さえ、さらに右手首を押さえて抱きかかえるように左手ごと押さえ込んだ人物がいる。これ以上のトラブルは避けたい一心での大冒険だ。こんな事をアスカにするような人間は一人しかいない。
「それよりもカジさん。これを片づけるために人と倉庫の手配をお願いします。でも、大体なぜ僕たちにこんな事をさせようとしたんです?」
 さすがのシンジも不審に思ったらしい。人を疑うことを極力避けるシンジにしては珍しいことだ。
『いや、こっちもそれどころじゃなくなりそうだったからな。すまない。人員と倉庫はこちらで手配するから任せておいてくれ。一応君達がどういう立場か知ってもらうにはこれが一番いいと思ったのは事実だ。そこの所は理解してくれるな』
 やはり、妻の陰謀に乗ったとは口が裂けても言えまい。
とりあえず理由を聞いたことで落ち着いたか、さっきからシンジをふりほどこうとしていたアスカの動きが止まった。話が終わるまで開放するつもりはないらしい。
「はい。あれ、それどころじゃないって?」
『ああ、近々発表になるだろうからここでは勘弁してくれよ。それにしても…』
「なんです?」
『昼間から見せつけてくれるじゃないか』
 そう言われてはじめて自分のしていることに思い至る。後ろから抱きすくめていると言えなくもない。今の今までそういう考え方もある事を失念していた。このあたりがまことにシンジらしい。
『レイ君が見ているんだから程々にしておけよ』
 止めをさし、無情にもブラックアウトする画面。痛いほど突き刺さる視線に耐えきれず拘束する手を緩めとりあえず一歩下がる。
「ごっ、ごめんっ」
「……」
 返ってきたのは無言。
助けを求めて部屋中を見回す。唯一の支援戦力足りうるレイ・アヤナミ嬢は、部屋の隅にクッションを置き、スナックをつまみながらファッション雑誌なんか眺めていたりする。全てアスカがらみでこの部屋にあった物だ。関わってはいけない。誰かが――特に女性が――間に入ると被害が拡大してしまう。
シンジの。
特に、レイが絡むと意地になる傾向もある。とはいえ、レイとて平静であるわけではない。本当の事を言えば自分も参加したい。それにはもう少し時間が必要なのかもしれない。あの二人は、二〇年以上をかけて今の微妙でいて強固な関係を築き上げてきたのだから。
(隙があれば私だって…)
 
 
前進を始めたアスカ。今の距離を保とうと必死に後退するシンジ。それもたった数歩の距離で終わってしまった。背後に空間がない。早い話、シンジは壁際に追いつめられていた。
さらに一歩アスカがズイッと詰め寄る。
「シンジ。アンタ、何に対して謝ってるわけ?」
人差し指をそれなりに厚い胸板に突きつける。
「えっ?」
「まさか、『怒っているみたいだからとりあえず謝っておこう』なんていいかげんな気持ちだったんじゃ…」
「ちっ、ちがうよ。いや、だから、さっきは急だったし、なんか思わせぶりな事をカジさんも言うし、アスカが暴れそうだったし…」
しどろもどろになって弁解を始める。ただ、思い付いた順にならべているので本人も何を言っているのか分かっていないだろう。事実、脊椎反射的に謝っていたわけだし。
「もういいわよ。でも、アンタほんとーに嘘つくのが下手ねぇ」
誤魔化すも何もあったもんじゃないうろたえように、怒っているのがばかばかしくなってくる。まぁ、取り繕おうとするだけ昔よりましにはなったが。
「でもペナルティーは必要ねぇ?」
「そっ、そうかな?」
「そうなのよ!あったりまえじゃない」
にっこり微笑んでみせるが、目は笑っていない。青い炎がゆれているようだ。輝き方が変わったようにも見える。
「うん、決めた。シンジ、アンタ明日荷物持ちね。食事は…そうねぇ…任せるわ。どうせシンジ持ちだし」
 誰に対しての罰なんだか。いや、そもそも罰になるのか?
不器用すぎる二人にイラついてるのは、何もレイだけではない。ただし、最も切実なのは…やはりレイなのかもしれない。
 
 
右手には二つの紙袋。一つは、ハイネセンでも名の通ったブティックのロゴがでかでかとプリントされた暗い色。もう片方は、箱でも入っているのかやたら角張った赤い袋。こちらにも先ほどとは違うブティックの名が慎ましく印字されている。
本人は、それなりのブランドのカジュアルスーツをやや着崩して見える。一八〇センチの身長に痩せ気味の体型。やや童顔であるが傍らの女性とつりあわない事もない。良く言って上の下といったところか。年下好みのお姉様なら…好みにもよるが…要チェックといったところか。ただし、色の薄いサングラスがマイナスポイント…似合ってないし。
そう、傍らに女性がいる。女性にしては長身だが隣の青年と比べればちょうど良いだろう。彼女好みの色ではないが、大人し目の色の夏物スーツを完璧に着こなすその姿はスーパーモデルと十分に張り合えそうだ。整った顔立ちを覆い隠す色の濃いサングラスも、その魅力を引き出す小道具でしかない。すれ違う人間の十人のうち九人は振り返るに違いない。赤みのやや強い金髪で誰だか分かりそうなものだが、そういう事もない様だ。
こんな二人が、この暑いのに腕を組んで歩いているのだから目立つ。人通りもまばらな平日の午後。降り注ぐ太陽の下。何のために地味な服を選んだのか…多分忘れているのだろう。
なぜこんなに目立つ羽目になったか?同盟軍現役准将は考えていた。原因は分かっている。ショッピングモールを出たところですれ違った新婚夫婦らしきカップル。その直後に、
「こっ、この歳になって、一緒に歩いている男と腕も組んでないなんて…はっ、恥ずかしいじゃない」
とか言い出したんだから間違いはない。彼女が言うんだからそういうものなのだろう。幸せそうな彼女の顔を見るだけでも十分だし。あれ?まったく、今日の僕はどうかしている。
 
『三月兎亭』は、名前とは裏腹に落ち着いた割とクラッシックな店だった。アスカの教育の成果か、ちゃんと予約を取っていたシンジは奥まった二人がけの席を確保する事が出来た。やっと落ち着いて、サングラスを取る。一応変装のつもりだったらしい。
「あら、司令?副司令も」
なんか聞きなれた声が二人を直撃した。
「リツコ…」
また頭の上がらない人間が増えるのか?アスカのこめかみを一筋の汗が流れて行く。
「ああ、あなたがうわさのソウリュウ中将?いつも娘がお世話になっています」
「アカギ提督…」
それだけ言うのがやっとの状態だ。
「そっ、そっ、そっ、その。あの。その。別にデートとかそう言うんじゃなくて…その、えーっと。シンジ!」
アスカ。自分よりもアドリブのきかないやつに振ってどうする。ほら、口をぱくぱくやってるだけで何も出てきやしない。
「別に咎めたりはしないわよ。でも、あなたたち見てると私もリッちゃんを生んだころを思い出すなぁ。いつまでもお邪魔してると悪いわね、いきましょ、リッちゃん」
「かあさん。人前でその呼び方は止めてください」
「その堅苦しいところが無くなったらね」
適当に娘をあしらって店主のもとへ行き、支払いを済ませる。
「あっ、提督。私もこれで失礼します」
明らかに染めた赤い頭が出口で待っている。シンジの父、ゲンドウとそう変わらない歳のはずだが、そう、年齢なりの美しさというか輝きというか、そういうものをを発散しているようだ。化粧の趣味はどうかと思うが。
二人がまだ自分を見ているのに気づいて手を振ってくる。
「わっ、悪い人じゃないんだ」
「噂と違って、結構子供っぽい人ねぇ」
 自失状態から戻ってきた二人が顔を向けあった。
「それにしても…」
「リッちゃん…」
「ふーん」
「あのカタブツが…」
「「リッちゃん」」
 こみ上げる笑いを必死にこらえる。妙なカップルだ。二人を等分に見やりながら、注文を取りに来た美髯のウェイターが嘆息する。
「コースを二人分。シェフのおすすめメニューでいいよ。あとワインもね」
 一礼して去って行くウェイターから移した視線の先にはまだ笑っているアスカ。
「中将か…」
 人も羨むとはこのことかも知れない。どうせ、本人は何とも思わないだろう。別に傲慢だからじゃない、ただ興味がないだけ。それは美点なのだろう…多分。地位や名誉にこだわらないというのは。
 ようやく笑いの発作も治まったようだ。まだ肩で息をしているけども。
「中将ねぇ」
 万が一にも聞こえないよう口の中で呟いてみる。
「階級呼称になれる暇もないや」
 それは、今に始まった事じゃない。
 
 
 前日辞令と共に受け取った階級章を、所定の位置に取り付け姿見の前で一回転してみせる。
「問題なし」
 軍用ベレーはいまだ卓上にあるが、会議室に入るときだけ被っていればうるさいことは言われない。アイボリーホワイトのスラックスに皺はなく、折り目もきっちり入っている。同色のスカーフの結び目も満足のゆくものだ。
「さて、レイ。寝ぼすけを起こしに行くわよ」

 




V
 


 最後に飛び込んできた影に興味を持った者はそう多くなかった。空席の主に決まっている。
 ようやくにして第一三艦隊司令官他一名の席も埋まり、統合作戦本部長と宇宙艦隊司令官の入場を以て作戦会議が始まる。時間にして三〇秒後。遅刻ではない。
 本部長ツェッペリン元帥以下三六名の将官が参加する。残念ながら准将は参加できないため第一三艦隊からはソウリュウ中将とイカリ少将のみの参加となる。
 そのアスカ・L・ソウリュウ中将だが、気合いの入った身支度のわりに顔色は冴えない。ミサトとヒカリの前で述べたように、イゼルローンさえ陥落せしめれば戦火は遠のくとばかり思っていた。蓋を開けてみれば全く逆でご覧の有様だ。冷静であるべきジャーナリズムも毎日のように帝国への侵攻を叫んでいる。
 あるいは、イゼルローン攻略時の出血が少なすぎたのかも知れない。皆、アスターテの敗戦を忘れ、勝利とはかくもたやすいものと錯覚しているのだろうか?錯覚したがっている連中の最も質の悪いのは目の前にいる。あの陰気なやつだ。名前は忘れた。
 それにしても、現在の同盟に帝国侵攻を為すだけの体力があるのだろうか?答えは”否”としか言えまい。軍隊は疲れ果て、社会システムも当てにならず、経済は下降の一途をたどっている。アスカですら承知している事が、どうもこの国のトップには分からないらしい。
 今の同盟にとって、イゼルローン奪取という軍事的成功は禁断の実であったのかもしれない。その味を知ったがために皆はその実のなる”同盟”という木をさらに揺らそうと力を込める。多くの実を得るために。生気に満ちた壮木であればそれにも耐えられるだろう。もし、その幹が病み衰えていたとしたら…
 ところで、公式発表こそされていないものの遠征軍の陣容はもう決定されていると言っても良い。
 総司令官には、自由惑星同盟軍宇宙艦隊司令官マンダ元帥自身が就任する。副司令官は置かれず、総参謀長にはヨシザワ大将を。その下に配されるのが、作戦主任参謀コーネフ中将、情報主任参謀ビロライネン少将、後方主任参謀にカジ少将が配置される。
 作戦主任参謀の下に、作戦参謀五名が置かれる。情報、後方各主任参謀の下には三人ずつ配され、さらに副官等を加えたメンバーが総司令部を形成する。
 本来、情報主任参謀に就任するはずであったゲンドウ・イカリ大将は作戦計画に反対した不利も働き、ツェッペリン元帥と共に国内の残余の軍を統率する事になる。
 実働部隊は八個艦隊にも及ぶ。
 第三、第五、第七、第八、第九、第一〇、第一二、第一三の各艦隊が動員される。アスターテ星域会戦において壊滅的な打撃を受けた第四、第六艦隊に加え、第二艦隊の残存兵力も再編成の上第一三艦隊に編入されたため、本国に残るのは、第一、第一一艦隊のみとなる。
 これに陸戦部隊と称される対惑星攻略用の部隊、非戦闘要員が加わり、総数三〇〇〇万人を越える規模となる。これは、自由惑星同盟軍全兵力の六割が一時に動員されることを意味した。並み居る歴戦の勇将たちも前例無き大規模な軍事行動を前にして無心ではいられないようだ。
「今回の帝国領への遠征計画は、最高評議会で既に決定されており……」
 口を開いたツェッペリン元帥の声にも表情にも高揚感はない。彼をはじめとする幾人かの反対派は今回の遠征計画からは外されている。これは周知の事実だ。
「遠征軍の具体的な作戦案はいまだ樹立されていない。自由惑星同盟軍が自由の国の、自由の軍隊であることは今さら言うまでも無かろう。その精神に基づいて活発な提案と討議を行ってくれるよう希望する」
 今ひとつ積極性を欠いた物言いに、ある者は同情を覚え、ある者は弱腰をなじる。もちろん声には出さないが。
 精神的な百面相を続ける老人たちをよそに、アスカは前日、イカリ評議員から聞いたことを思い出す。
「三ヶ月後に統一選挙があるから…ここしばらく不祥事が相次いだものねぇ。勝つためには関心を逸らすか、戦争で勝たないとって事みたいね」
 為政者が失政をごまかす常套手段だ。国父アーレー・ハイネセンが知ったらさぞ嘆くだろう。権力者の恣意によって国民が害されるのであれば、専制政治とその実効的な部分において何の差があるのだろうか。
 それにしても、たかだか四年間の政権を維持するために三〇〇〇万人の将兵を戦地に送り込むという発想は、アスカの理解を超える。その三〇〇〇万の人間を死地へ送り込み、血と涙を搾り取り、権力という神へ生け贄に捧げることで、安全な場所にいる連中は肥え太るのだから。
 
 一人の男が立ち上がった。階級は准将。先ほどの陰気な男だ。総司令部のオブザーバーとしての参加であるため、席は用意されていない。
「今回の遠征は、わが同盟開闢以来の壮挙であると信じます。幕僚としてそれに参加させていただけるとは、武人の名誉、これにすぎたるはありません」
 個性を主張する物言いが、心にささくれを作る。容姿と言っても、髭と眼鏡の印象が強すぎ、それ以外の特徴が記憶に残りづらい。名は…そう、アンノと言ったか?それにしても、信じるのは個人の勝手だけどそれを人に押しつけないで欲しい。
 准将が延々と軍の壮挙――早い話が自分自身が立案した作戦――を美辞麗句で飾り立てたあと、発言を求めたのは第一〇艦隊司令官のウランフ中将だった。
「吾々は軍人である以上、赴けと命令があれば、どこへでも赴く。だが、言うまでもなく雄図と無謀はイコールではない。周到な準備は当然として、この遠征の戦略上の目的を伺いたい」
 総司令部の戦略上の姿勢により自ずから選択肢は限られてくる。ただ、「具体的な案を出せ」と言われても思考を巡らす方向が分からないのでは如何ともしがたい。
「迂遠ながらお訊きしたいものだ」
 ウランフが着席すると、返答を促すようにツェッペリン、マンダ両元帥がひとしくアンノ准将に視線を向けた。
「大軍をもって帝国領土の奥深くに侵攻する。それだけで、帝国人どもの心胆を寒からしめ…」
「では戦わずして退くわけか?」
「それは高度な柔軟性を維持しつつ、臨機応変に対処することになろうかと思います」
 あまりにも無責任な言だ。ウランフばかりではなく、並み居る提督たちも眉をひそめる。
「もう少し具体的に言ってもらえんかな?あまりに抽象的すぎる」
「行き当たりばったり、責任逃れ。あのダゴンの殲滅戦だったかしら? 帝国軍に似たような戦略が見られたと思うけど」
 棘だらけの声がアンノの横っ面を叩いた。第五艦隊司令官アカギ中将が声の主だった。
 マンダ元帥、ヨシザワ大将らが等しく一目おく…と言うより敬して遠ざけている女傑だ。階級や年齢こそ下であっても、軍功と経験は大きく上回る。もし女性でなければ、今回の総司令官は彼女であったことは疑いない。
 さすがに遠慮というものを知っていたのか、正規の発言ではないことをいいことにアンノは丁重に無視する態度をとることにしたようだ。もともと自分の都合に合わないことは耳に入らない性格だから全く問題はない。
「他に何か…」
 ことさらそう言ってみせる。
 それに乗った人間がいる。言いたいことは山ほどあった。それよりも、ここは一つシめておいた方が良さそうだ。
 アスカ・ラングレー・ソウリュウ中将が発言を求めた。





第弐話  後編に続く

99/07/24改訂
99/12/18タグを修正
00/08/08修正

銀河英雄伝説は田中芳樹氏の著作物です
yoshiki tanaka (C)1982  徳間書店刊




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