銀河の英雄は
アタシに決まってんじゃない!」伝説
 
 
第弐話 (後編) 
アムリッアツァ星域会戦
宇宙歴七九六年 八月
片山 京
 

 
W
 
 

 アンノのあまりに不誠実な態度と、保身のためか安易にアンノ支持に走った老人たちに向けられた、その怒りの炎がその若々しい肢体を裡から灼いている。
 
「侵攻の時期を今に定めた理由をお聞かせ願えます?」
 我ながら意地の悪い質問だ。真実を答えるわけにはゆかないこの男がどういう行動に出るのか?
「今さらながら、戦いには“機”という物がございます……」
「現在がその“機”と言うわけ?」
「もちろん。イゼルローン失陥によって、帝国軍は混乱の極みにある事疑いありません。この与えられた“機”を逃すことは運命そのものに逆らうも同じ事。今この時、同盟軍が空前の規模をもって長蛇の列をなし、自由と正義の旗をかかげて進むところ、勝利以外の何者が前途にありましょうか」
 三次元ディスプレイを指しながら語るアンノの声に、自己陶酔の彩りがある。
「その作戦だと敵中に深く入りすぎるんじゃない?それに、隊列が長くなりすぎて補給とか、通信に支障をきたすことが目に見えてるじゃない。もう一つ、敵にその細い側面に攻撃を受けた時がこの作戦の終わるときに思えるんだけど」
「ソウリュウ提督、貴女は何故、物事の悪しき面しか見ようとしないのですか。我が艦隊の中央部へ割り込んだ敵は、前後から挟撃され惨敗すること疑いありません。取るに足りぬ危険ではないでしょうか」
 どこまでこの男はお気楽なのだ。ベレーでも叩きつけたい衝動を抑えアスカは続けた。
 
 アスターテで相対したあの男。ラインハルト・フォン・ローエングラム伯爵。 「負けるかもしれない」  軍略においてそう思わせたはじめての相手。あの時は、ラインハルト麾下の提督の誤断に最大限つけ込むことで五分に渡り合えたが、今度はそうはゆかないだろう。
 確かに帝国軍は混乱している。だが、
「ローエングラム伯はどうかしら」
 隣のシートのシンジがのぞき込んでくる。広くもないタクシーの中、黒曜の瞳から無言の問いかけ。無駄とは思いつつも、答えを返す。こういう時のシンジを誤魔化しきれた事は……記憶にない。それでも、答えは決まっていた。
「大丈夫よ」
 と。
 
「帝国にも人材はあるわよ。アスターテを忘れるほど時間はたってないわ。帝国軍の指揮官はおそらくローエングラム伯。あの男が出てくる以上もっと慎重な作戦を立てるべきじゃない!」
 口調は激しいが、内心うんざりしていた。今度は少し状況に変化があった。アンノが口を開く前にマンダ元帥が答えたのだ。
「中将、君がローエングラム伯を高く評価しているのは分かる。だが、彼は若い。君よりもまだ若い。それに、失敗や誤謬を犯すこともあるだろう」
 諭すような口調がカンに障る。まったく…大物ぶって。
「確かにそうでしょう。しかし、相手の失敗を期待した戦略に何の意味があります? 彼が犯した以上の失敗を我々が犯せば、彼が勝って我々が敗れるんです」
 シンジが見上げている。目が合うと首を横に振る。
「仮定の話はともかく」
 まだ何か言い足りないのかアンノが声を張り上げる。ここにも大物ぶっているのが一人。
「敵を過大評価し、必要以上に恐れるのは、武人として最も恥ずべき事。まして、それが味方の士気を削ぎ、その決断を鈍らせるとあっては、意図はどうであれ結果として敵利行為に類するものとなりましょう。どうか注意されたい」
「アンノ准将!」
 アスカよりも早く、その一言を発したのは意外にもシンジだった。とは言え、これまでアスカの“腰巾着”程度にしか見られていなかったため、迫力という点ではいま一つといったところか。それでも、今まで見せたことのない怒気を纏っているのは誰の目にも明らかだ。
「自分と異なる意見を、そのような論法で封じることが良識ある行動といえますか?」
「私は一般論を申し上げたまでです。一個人に対する誹謗ととられては、はなはだ迷惑です」
 鼻で笑う。その行為は明らかにシンジを見下したものだった。
 それに怒りを誘われたのはアスカ。
 立ち上がりかけた彼女を制したのはシンジ。
「貴官は自分の言葉で語らない。なるほど、大した参謀ね」
 とげとげしい言葉の主へ皆の視線が集まった。シンジはまだ何も言っていない。
「アカギ提督、今のは少々言い過ぎではないかな?」
「申しわけありません、ツェッペリン元帥」
 発言の内容は撤回しない。そのことについて誰も咎め立てしないことが、全員の心情を物語っていた。
「……そもそも、この遠征は……」
 汚名返上を期してさらに演説を続ける。だが、その声の高ぶりとは逆に場は沈静化してゆく。感動したのではなく、白けきったのだろう。アスカももう何も言う気はなかった。ただ、シンジの示した行動、その元になった想いに自分なりの答えを与える作業に没頭していたから。
 その怒気が発せられるのは、一時間後。採決の時だった。
 
 狭い地上車からの開放感からかさっきよりもずっと機嫌がよいようだ。シンジは「風呂に入る」と言って自宅へ戻った。夕食時になれば来るように言い含めておいたから問題はないだろう。
 書を楽しみながらワインと親しむ。アスカのさほど多くない趣味の一つ。先の作戦中に届けられた書籍の山も、ここ数日のうちに半分が攻略されている。いつもなら、その隣に情報端末上で宿題をしているレイの姿が見られるだろう。
「あの……アスカさん」
 闊達なレイらしくもない。何か、奥歯にもののはざかったような同居人の呼びかけに、書籍閲覧用の端末からその顔に目を移した。
「私、来年のの三月に卒業なんですけど…」
「そう言えば、昨年のうちに半年分の飛び級をしたんだっけ?」
 こういうことを言っていては保護者失格だ。レイは慣れてしまったのか別に何とも言わない。
「ええ。で、進路相談があったんですけど」
「気は変わらないわけ?」
「やっぱりだめですか?」
「だめとは言わないわよ。アタシだって「好き」とは言わないけど目的があるわけだし」
「私にだって」
「まぁ、そう焦らなくてもいいんじゃない?本当なら、来年の今頃卒業して、ハイスクールにでも行って、あと四年大学に行って……ほら、まだ八年もあるじゃない」
 出来るだけ軽く。深刻になりすぎないように。
「でも、今何かしたいんですっ」
 紅と蒼の瞳がぶつかる。
「もう、言い出したら頑固なんだから。「だめ」とは言ってないでしょ。もう一度考えてみなさい…そうね、今度の作戦が終わって帰ってきたらもう一度聞くわ。それでいいわね」
「はい」
 嬉しそうに頷くとキッチンの方へ消えた。おおかた夕食の準備でもするのだろう。
 とは言ってみたものの、今度ばかりは帰ってくる自信がない。恨めしく見つめる壁の向こうにはシンジがいるはずだ。
「相談してみるか」
 リズミカルな包丁の音が聞こえる。
 
 
 宇宙歴七九八年八月二二日。
「総司令部はイゼルローン要塞に置かれ、遠征軍第一陣は第一〇艦隊、第二陣に第一三艦隊……」
 軍の正式発表をそのまま伝えるニュースキャスター。その背後の映像は、宇宙港から飛び立つ各艦隊旗艦たち。他とは明らかに違う形状、深紅の艦体に純白のラインが片側に二本。両側にあるため合計四本。第一三艦隊旗艦が他を圧して舞い上がる。「『弐号機』なんて開発中の仮名称をそのまま使うな」と、どこぞの司令官がごねたため艦名は『エクセリオン』と改められた。
「それにしても……」
 変なところが父親に似ちゃって。妙に感慨ふけってしまう。
 子供はいつか手の届かないところへ行ってしまう。実の子にしたところで然り。今、立体TVを食い入るように見つめている蒼髪の少女もまた、どこかへいってしまうのだろうか。私の手の届かないところへ。――それにしても。
「この歳で“おばあちゃん”っていうのもねぇ」
 キョウコ・S・ツェッペリン。いろいろと悩みは尽きないようだ。
 
 
「E−計画とやらの概要は分かった。我々の為すべき事は分かっているな」
「はっ」
「予定通りに」
「はっ」
 
「『ゼーレ』の好きにはさせませんよ。キール議長」
 

 





X
 
 

 なぜ、敵は姿を現さないのか?
 帝国領侵入を果たしてから一ヶ月。イゼルローン回廊から五〇〇光年ほどの宙域に遠征軍の先頭である第一〇艦隊が存在する。制圧した星系は二〇〇を越え、そのうち三〇ほどは低開発とはいえ有人だった。そこには合計五〇〇〇万人ほどの民間人が居住している。彼らを支配すべき総督、辺境伯、徴税官、軍人はすでに逃げ去っており、まったく無血のままに同盟軍の手に落ちた。
 しかし、彼らを迎えたのは熱烈な歓迎の声ではなかった。宣撫士官の民主主義に関する情熱的な演説を聞き流し、取り残された農民や鉱山技術者らが望んだのは、本当に最も初歩的な権利「生きる権利」だった。彼らを守るべき軍隊は食料を余すところ無く持ち去っていた。宣撫士官は頷くしかなかった。なんと言っても自分たちは解放軍なのだから。悪しき専制政治の魔の手から、銀河の同胞を救わなくてはならない。生活の保障を与えるのは、戦闘と同等以上に重要な責務である。
 かくして、同じような光景が繰り返される。
 彼らは、各艦隊の補給部から食料を供出するとともに、イゼルローンの総司令部に大量の物資を要求する。開放地区五〇〇〇万の住人を恒久的に飢餓状態から救うための物資である。穀物だけでも五〇億トンに達するだろう。
 さらに、要求書に添付された注釈には、
「開放地区の拡大にともない、順次大きなものとなるであろう」
とご丁寧にも記されている。これには後方主任参謀カジ少将も思わずうなった。
 無い物はない。現在、イゼルローン要塞に備蓄されている穀物は七億トン。量としてはかなりのものだが、現在必要とされている物資の二割に満たない。現在イゼルローン要塞において、稼働している食料生産プラントをフル回転した所でどうにかなる量でもない。
 要求書を片手に席を立ったカジに対し、後方参謀の一人が咎めるような視線を向ける。「この忙しいのに何処へ行くつもりだ」と。いつもなら無視を決め込むのだが、珍しく答えてやることにした。部下の苛つく気持ちも分からなくもない。
「何でも出てくる魔法を習いにな。ついでに、ちょっと上をつついてくるさ」
 当初、三〇〇〇万同盟将兵に対する補給計画は完璧だった。その運営は自分が管理しているだけに余裕すらあった。しかし、全軍の二倍にとどかんとする非戦闘員を抱えるとなると話は自ずと変わってくる。計画のスケールを三倍に修正せねばならず、しかも急を要す。各艦隊の補給部の悲鳴が容易に想像できる。
 それにしても、宣撫士官とやらは低能揃いらしい。「開放地区の拡大にともない、順次大きなものとなるであろう」ということは、補給の負担が増大するいっぽうということではないか。勢力範囲の拡大を、作戦参謀の某A准将のように無邪気に喜んでいる場合ではあるまい。
 まさかとは思うが、総司令部はこの裏にあるものに気がついていないのでは……
 
 カジは総司令官マンダ元帥に面会を求めた。総司令官のオフィスには作戦参謀のアンノ准将もいた。これはいつものことなのでカジは気にしないことにした。総参謀長のヨシザワ大将よりも総司令官の信任厚い彼は、上司の傍らで常に目を光らせており、「総司令官はただのスピーカーだ。実際に裏でしゃべっているのはアンノ准将だ」などと陰口をたたかれる近頃だ。それでなくても、マンダ元帥の主体性に欠ける言動は問題視するに足る。
「宣撫班(せんぶはん)からの要求について話があるそうだが……どういうことだね、それでなくても忙しいのだから手短に頼むよ」
無能な男が元帥になれるはずがない。マンダは、他の競争者を圧するだけの才覚を示してきた。少なくとも、四〇代まではそうだった。だが今日に至ってはこと判断、洞察、決断に関するエネルギーの欠乏がはなはだしい。それが誰の目にも明らかになったのが、今回の遠征におけるアンノ准将の独走と専断を許している現状というわけだ。
「では手短に。閣下、わが軍は重大な危機に直面しております」
カジはあえて小細工をせず、真正面から切り込んだ。とりあえず、相手の反応をうかがわなければ話しの展開のしようが無い。マンダは椅子にかけ直し不審そうな視線を後方主任参謀に向けた。アンノの口元がゆがんだのは単なる癖にすぎない。
「急にまた、何だね」
元帥の声に驚きはない。ただ落ち着いているのか、想像力の欠如により言葉の意味を図りかねているのか…
「宣撫班(せんぶはん)からの要求ですが…」
「ああ、どうも過大な要求とも思えるが、必要なら仕方あるまい」
「イゼルローンにはそれだけの備蓄はありません」
「本国に要求を伝えればいいだろう。書類でまわしてやれば要求した数量ぐらいは送ってくる」
「ええ、たしかに送ってくるでしょう。で、まあそれだけの物資が届いたとして…次はどうします?」
「…どういう意味かね、カジ君」
カジは何も言わず手にした要望書を総司令官のデスクに放り出した。すかさずその上から手のひらをデスクに叩き付ける。次いで、カジらしくない罵声も叩きつける。
「敵の作戦が、わが軍の補給上の過大な負担をかける事にある!
まっ、つまりはそういうことです」
先の激昂した様子を全く感じさせない、いつものどこか冷めた物腰で言い切る。冷え切った視線だけがそのなごりとして残る。まだ少々言い足りないがそれでは主義に反する。
「つまり敵は輸送船団を攻撃し、我が軍の補給線を絶とうと試みるのではないか?……それが後方主任参謀殿のご意見なのですな」
 やけにもってまわった物言いがカンに障ったが、言っている事は間違ってはいないため、カジはうなずいてみせた。本当のところ、カジが言いたいことはその前にあるのだが。
「最前線まではわが軍の占領下にあります。その心配は無用なものでしょう。あ、いや、念のため護衛の艦隊はつけますが」
「ほう、「念のため」ですか。いや、作戦参謀殿は用心深い」
 皮肉と言うには強烈すぎる言葉を投げ付けた。後から何かと問題にされるかもしれないがそんなことはどうでもいい。最愛の妻と、年少の愛すべき友人たちに心の中で呼びかけることしかできない自分に腹が立つ。ミサト、生きて帰ってくれ。死ぬにはばかばかしすぎる。
 
 
「ヒカリ、物資はどれくらい残ってる?」
「えーっと、節約してもあと二週間てところね」
 手元の端末を操作して目当てのデータを司令席の画面へと送る。それを見つめながら何やら考えているようだ。他のディスプレイには戦略概要図が呼び出されている。興味は尽きないがそっとしておこう。
 
 同盟本国の混乱ぶりはここまで聞こえていた。宣撫部隊の要求する物資の膨大さもさることながら、良くも悪くも結果が出ない現状、当初の予算を大きく越える軍事費。日に日に高まる撤兵論に耳をふさぎ、財政の惨状から目をそらし、要求された物資を送り出した。ほどなく、再び前回とほぼ同量の追加要求が届けられた。占領地の拡大と共に援助を必要とする占領地住民も増える。当然、必要な物資の量は増加する。
 ここに至ってさすがの主戦派も鼻白んだ。このままでは際限がない。財政の破綻は目に見えている。だが、主戦論を支持した我々の立場はどうなる。イゼルローンの無能者たちは何をしているのか。撤兵は仕方がない、しかしそれまでに一度でもいいから帝国軍に軍事的勝利をあげて見せろ。そうすれば我々の面子も立つし、後世、この遠征が愚行と浪費の象徴として非難されることもあるまいに……。
 一方、この出兵に反対した三人――キョウコ・S・ツェッペリン、ユイ・イカリ、キール・ロレンツ――の声価は高まりつつある。キールは確かに最高責任者の地位にあったが、その手に実権が無かったことは皆知っている。最終的なところではベテラン政治家の意を汲まぬわけにはゆかぬ。今回の出兵論反対表明によってやっとそのくびきから脱することが出来た。市民の自分を見る目が変わった、ただの場つなぎの男から真の見識と勇気を持つ者へと。軍需産業などの支持もベテラン政治家たちから取り上げた。他の二人も市民に人気こそあるが財界に支持基盤がないためライバル足り得ない。第二次キール政権はより大きな力を持つだろう。それには結果が必要だ。もっとも、主戦派とはまた違った結果だが。
 結局、撤兵論は否定された。
「前線で何らかの結果が出るまで、軍の行動に枠をはめるようなことはするべきではない」
 これが主戦派の、いささか後ろめたそうな口調での主張だった。
 
「ヒカリ、第一〇艦隊のウランフ提督に繋いでくれる」
 先ほど超光速通信でシンジと話したときとはうって変わった明るさだ。珍しく判断に迷った様子だったが……吹っ切れたらしい。
「おう、アスカ・ラングレーか。珍しいな、何事だ」
 通信スクリーンの中から、古代騎馬民族の末裔は言った。
「ウランフ中将、お元気そうで何よりです」
 嘘だ。精悍(せいかん)なウランフが、全身に憔悴(しょうすい)の色をたたえている。勇気や用兵手腕とは異なる次元の問題だけに、勇将の誉れ高い彼も困り果てているようだ。その点、シンジやリツコに任せきりにしているアスカはそういった様子がまるでない。泰然としている指揮官に危惧を抱く者もいるが、大概は若い司令官の落ち着きぶりに安心しているようだ。
「現状の打開策ですが、私から提案があります」
 そう前置きしてから、占領地の放棄と再集結を提案した。
「撤退だと!」
 ウランフは軽く眉を動かした。
「それは少し消極的に過ぎんか」
「わが軍はすでに兵力分散の愚を犯しています。それに、このような大規模な焦土作戦を仕掛けて吾々が餓えるのを待っています。それは何のためでしょうか?再集結した兵力をもって補給線を絶たんとする敵軍を叩き、帰還することが出来るのも余力があるうちかと。」
「……機を見て攻勢に出てくる。か……」
 ゆっくりと深くうなずくアスカ。ここが勝負所だ。自然と肩に力が入る。
「恐らく全面的な攻勢になるでしょう。敵は地の利を得ていますし、補給線も短くてすみます」
「ふむ…あまり楽しい未来予想図ではないな」
 さすがのウランフもぞくりとしたようだ。
「だが、へたに後退すればかえって敵の攻勢を誘うことになりはせんか。とすればやぶへびもいいところだぞ」
「反撃の準備は十分に整える。それは大前提です。今ならそれが可能ですが、兵が餓えてからでは遅いのです。その後速やかに第五、第一二艦隊と合流します。敵が追撃してくるならいくらでも反撃の方法はあります。また、時期が早すぎる、罠だと考えてくれれば無傷で退くことが出来るかもしれません。いずれにしても時間とともに勝機は失われてゆきます」
 ウランフは考え込んだが、結論を出すにそう時間はかからなかった。
「分かった。貴官の意見が正しかろう。撤退の準備をさせることにする。だが他の艦隊への連絡はどうする?」
「アカギ提督には私から連絡いたしましょう。あの方からイゼルローンへ連絡していただければ、私よりも効果的でしょう。ボロディン提督にはウランフ提督から連絡願います。集結地点等は後ほど」
「よし、では互いに出来るだけ急いで事を運ぶとしよう」
 
 同盟軍第五艦隊司令官アカギ中将が、イゼルローンの総司令部に超光速通信を送ったとき、通信スクリーンの画面に登場したのは作戦参謀アンノ准将の髭面だった。
「私は総司令官閣下に面談を求めたはずです。少なくとも貴官に会いたいと言った覚えはありませんわ。さ、自分の分を弁えてさっさとひっこみなさい」
 横っ面をはり倒すような物言いは、他の追随を許すものではない。アスカとてもう少しぐらい遠慮するだろう。どちらにしてもアンノの及ぶところではないが。
 作戦参謀は一瞬だけ怯んだが、権高に言い返した。
「総司令官閣下への面談、上申の類は、全て私を通していただきます。どんな理由で面談をお求めですか?」
「貴官に言う必要を認めません」
 ナオコもつい歳を忘れてムキになる…いつものことか。
「ではお取次するわけにはいきません」
「何ですって?」
「どれほど地位の高い方であれ、規則は遵守していただきます。通信を切ってよろしいですかな」
 勝ち誇ったような物言いにこちらから通信を叩き切りたくなったが、この場ではナオコの方が譲歩せざるを得ない。にしても、こいつが決めた規則ではないか。従うのは馬鹿馬鹿しいが、逆らって通信を切られるのも情けない。とりあえずこれ見よがしに舌打ちしておく。
「前線の指揮官は撤退を望んでいます。その件に関して総司令官殿のご了解をいただきたい」
「撤退ですと?」
 ナオコの予想通りの反応をしてくれる。声が裏返っているあたり多少なりとも溜飲の下がる思いがする。
「ソウリュウ提督はともかく、知勇備えられたアカギ提督までが、戦わずして撤退を主張なさるとは意が……」
「下劣な言い方はやめなさいっ!」
 一片の容赦なく決めつける。
「元を正せば、あなた方がこんな無謀な出兵案を立てなければすんだことです。そこのところ分かってらっしゃる?」
「小官なら撤退などしません。敵を一挙に葬り去る絶好の機会ではありませんか。それなのに、なにを恐れておられる」
 不用意な一言が、とうとうナオコの逆鱗に触れた。
「そっ、なら代わってあげる。私はイゼルローンに帰還するから、あなた、代わりにここへいらっしゃい!」
 アンノの動きが止まった。
「できもしないことを、おっしゃらないで下さい」
「人のことならよく見えるようね。安全なところから好き放題言ってるくせに。不可能なことを言ってるのがどっちか、たまには肩の上に乗ってるものを使ってみたらどう?」
「……小官を侮辱なさるか?」
「別に、大言壮語に聞き飽きただけよ。足りない才能を補うのに口を使うのもいいけど、実績がないんじゃただの道化よ。言うだけのことが自分にできるかぐらい分かるんじゃない? 他人を否定して自分が一番優秀だって思いこむのもいいけど、他の人間を巻き込まないでくれないかな?」
 アンノの髭面から血の気が引いてゆく音を、ナオコは確かに聴いたと思った。次に起こった事態はナオコをしても困惑させるものだった。参謀将校の身体が前のめりに倒れてきた。顔面を強打したようだが反応はない。眼鏡も破損したものと思われる。さらになにやら呟いている。やたらと性能のいいマイクはその微かな声を拾い上げ、ナオコの元へと忠実に届けた。
「これは虚構だ。私の才能が受け入れられないなんてあるわけがない。現実に戻らなければ。このような世界消し去ってしまわねば。虚構になど用はない。現実世界にこそ私の求めるものがある。そうだ……」
 スクリーンはアンノがふさいでしまったが、その不愉快極まりない呟きのバックの音声では人の呼ぶ声がする。早いうちに事態の説明があるだろう。
 数分も待つことなく、アンノの身体は撤去され壮年の男が出てきた。医療班の腕章がいやでも目を引く。
「ヤマムラ軍医少佐です。現在、アンノ准将閣下は医務室で加療中ですが、その事情について私からご説明申し上げます」
 そんなことはどうでもいいから話せる人間を出して欲しい。でも、まぁ、目の前で倒れられたのだから気にはなるが。
「どんな病気なの?」
「神経性の癲癇(てんかん)の一種と思われます」
「てんかん?」
「彼の場合、挫折感から自分のプライドなりなんなりを守るため、現実を虚構と位置づけ自分の精神野に創り出した虚構を現実と認識しているようです。これ以上はカウンセリングを続けないことには何とも言えませんが、このギャップから発症に至ったものと考えられます」
「現実逃避?」
「否定はいたしませんが、症状としては今少し複雑ですね。この先、快復することもあるでしょうが精神的なものだけにその病根を取り除かないことには……」
「それはそれでご本人に努力していただくことにして、どなたか総司令官殿に取り次いでいただきたいのですが」
 ナオコにとって重要なのは前線にいる三〇〇〇万の同盟軍将兵であって、一作戦参謀の病状などこの際どうでもいい。酷な話だが、先ほどのような何の実りのない会話に時を費やしてしまった以上、さらなる時間の浪費はなるべくなら避けたい。
「医療以外の件に関しましては、私の権限ではありません。総参謀長閣下に代わりますので……」
 早くしろと言いたいのをこらえてスクリーンを見つめる。
「提督…」
 軍医に代わって通信用スクリーンに登場したのは、遠征軍総参謀長ヨシザワ大将だった。
「これは総参謀長殿。お忙しい中恐縮です」
 皮肉を露骨に言っても相手にされないところが日頃の言動を示している。
 それでも、ヨシザワ大将は力無く笑って見せた。
 
 
「……と言うわけで、マンダ元帥はお昼寝中。現場の判断で動くことは宣言しておいて、叩き切っちゃったけど……どうする?」
 さすがのアカギ中将もあきれ果てたようだ。ただ、それでも最善を尽くそうとする姿勢は称賛に値するだろう。それにしても、宿将たるアカギ提督に意見を求められるとは。軽い緊張におそわれながらも、アスカは問われたことに答えておくことにした。
「こちらは最善と思われる行動をとるしかないでしょう。どうせ後からの言い訳は何とでもなります。総司令にしたところで適切な指揮を執ったとは言い難い。事実、前線からの上申を『昼寝』を理由に蹴ったわけですから」
 どうもアカギ中将に気に入られたらしい。嬉しそうに呼びかける、遙か年長の同僚の姿を眺めながら場違いな感想を抱く。が、その認識は少々遅かったかもしれない。
「アスカちゃんてば大胆ねぇ。そうね、それが現実的な選択ね。それじゃ集結地点は何処にする?」
「……第五艦隊の現在位置が丁度良いかと思いますが」
 何か気になる事でもあるのか口調に少々不自然なものを感じるが、ナオコは気にしないことにした。
「では、第一〇、第一二の両艦隊には私から伝えておくわ」
 完璧な敬礼を残してアカギ提督は通信スクリーンから姿を消した。それでもアスカは動かない。動けない。 見かねたヒカリに肩を揺すられ、やっと我に返ったようだ。それでも、親友に顔を向けたときの動きはややぎこちないものに思えた。
「あの、アカギ提督に『大胆』て言われちゃった……」
 『あの』の部分にやたらと力が入っている。よほどショックだったようだ。総司令部との通信を叩き切るような人に言われたら……アスカと言えどもダメージは深刻だろう。
「ほっ、褒められたんじゃないの」
 やはり、あのアカギ提督だし。必死のフォローだが、我ながら説得力がないと思うヒカリ。
「いくらアスカでもあの域まではもう少しかかるわよ」
 ヒカリに止めを刺されたアスカはそのまま指揮卓に突っ伏した。
 結局、シンジが艦隊移動の準備が整ったことを連絡してくるまで復活してくることはなかった。
 




 
Y
 
 

「同盟の動きが変わっただと?」
「はい、先頭近くの艦隊から占領地を放棄し、再集結を図る模様です。さらに、イゼルローン要塞より補給艦隊の派遣を確認いたしました」
「早すぎる……同盟にも人材はいると言うことか……キルヒアイス、聞いた通りだ。お前に与えた全ての兵力をもってこれを叩け。細部の運用はお前の裁量に任せる。転進した部隊はこちらで何とかする」
 迷った一瞬、間が空いたが即決し指示を出す。
「かしこまりました」
「情報、組織、物資、いずれも必要なだけ使っていいぞ」
一礼して踵を返したキルヒアイスが立ち去ると、ラインハルトは残る諸将に告げた。
「キルヒアイス提督が反乱軍の輸送部隊を撃滅すると同時に、わが軍は全面攻勢に転じる。その際、“輸送部隊は攻撃を受けたが無事だ”との偽の情報を流す。これは反乱軍が最後の希望を絶たれ、窮鼠が猫を噛む挙に出る事を防ぐためだ。それと同時に、彼らにわが軍の攻勢を気づかせないためでもある――むろん、いつかは気づくだろうが、遅いほどよい」
彼は自分の横に座っている男をちらりと見た。赤毛の長身の青年ではなく、半白髪の陰気な男がその座を占めている。自分で決めた事とはいえ、いまだに違和感は拭い切れない。
「なお、わが補給部隊は被占領地の奪還と同時に、住民に食料を供与する。反乱軍の侵攻に対抗するためとはいえ、陛下の臣民に飢餓状態を強いたのは、わが軍の本意ではなかった。またこれは、辺境の住民に、帝国こそが統治の能力と責任を持つ事を、事実によって知らしめるために必要な処置である」
実際に民衆に物資が行き渡るときには、帝国よりも彼の名のほうが強調されるだろう。今この場で言う事ではないが。
 
グレイドウィン・スコット提督率いる同盟軍輸送艦隊が、二六隻からなる護衛艦隊ごと全滅したのは、それからまもなくのことだった。
 
標準暦一〇月三日一六時。
集結地点へ航行中の第一〇艦隊は敵襲を察知した。周囲を哨戒中の駆逐艦数隻が連絡を絶ったのである。
「反撃の体制を整えろ。総力戦だ。通信士官、第一三および第五艦隊に報告。われ敵と遭遇せり、合流にはさらに時間を要する、とな」
警報が鳴り響き、旗艦の艦橋内を命令や応答が飛び交った。
凸型陣形に組み直し、敵性艦隊と向き合った瞬間双方の指揮官の口から開戦の言葉が発せられた。
 
第一二艦隊は敵襲の察知と同時に自軍の四倍もの敵と相対する事になった。第五、第一三艦隊と距離を置いていたための不幸だ。この三個艦隊に対して送り出された兵力を全て受け止める事になったのだ。至近の味方への援軍要請と共に被害を押えるためだけの指示が矢継ぎ早に出される。ボロディンも無能とはかけ離れた軍人だが、今度ばかりは状況が悪すぎる。
 
「閣下、第一二艦隊から援軍要請です」
「敵襲?」
「はい、『敵、三から四個艦隊と見ゆ、至急援軍を請う』との事です。交戦によると思われる光点も観測されました」
第五艦隊も同様の通信を受け取っているはず。ならば。
「これより、第一三艦隊は全力を持って第一二艦隊の援護に当たる。シンジ」
「了解」
アスカに対しそれだけ答えると、他の分艦隊へと次々に指示を出してゆく。旗艦とは直通回線が保持されているためその様子がそのままアスカのもとへと届けられている。
「二〇分後には会敵予定」
「わかった。ねえ、シンジ」
「ん?」
「アタシたちが艦隊戦でも最強だって見せつけてやるわよ」
シンジは、その蒼氷色の瞳に不安を見た。だから……大きくうなずいた。
 
ちょうど二〇分後、第一三艦隊は砲撃を開始する。数分後れで第五艦隊も戦場に到着した。しかし、ルッツ艦隊の重厚な包囲網に絡め取られた第一二艦隊はその援軍に呼応する事が出来ない。戦場は、ソウリュウ・アカギ艦隊、対、ケンプ・ロイエンタール艦隊の図式で設定された。さらに悪いことに、帝国軍一個艦隊の規模は同盟のそれを上回る。
「第一〇艦隊より超光速通信が入りました」
「敵襲ね」
「はい、合流は遅れるとの事です」
指揮卓に腰掛け足を組む。さらに頬杖をつくといった、いつものことさら余裕を見せつける姿勢をとりメインディスプレイを見つめる。
「一一時方向より敵ミサイル群接近!」
オペレーターの悲鳴にも似た叫びが艦橋に響く。それを打ち消すように『エクセリオン』艦長ムサシ中佐の指示が飛ぶ。
「九時方向に囮を射出!」
艦単位の行動まで指示していたのでは艦隊指揮どころではない。そう言えば艦長のファミリーネームを聞いてないな、とか心の片隅で思いながらも戦闘の推移を読み取ろうと今度は戦術ディスプレイに目を移す。限界まで簡略化された四つの艦隊が思い思いに布陣しているのが分かる。第一三艦隊は、意外と帝国軍A艦隊と接近している。このA艦隊がケンプ艦隊なのだがアスカには知りようがない。また、知ったところで今のところ意味はない。現在砲戦を繰り広げているのもケンプ艦隊だ。B艦隊と呼称されている艦隊はロイエンタールが率いている。こちらは第五艦隊と交戦中だ。
ケンプ艦隊との距離が徐々に狭まる。ならば。
「スパルタニアン、出撃準備」
 
「やっと出番みたいね。やろーども、めーいっぱい暴れるわよぉ」
イゼルローン攻略戦において出番が無かったのがよほど不満だったらしい。やたらと盛り上がっているキリシマ中尉たちをよそにヤマギシ中尉の隊は事務的な打ち合わせを済ませ、さっさとブリーフィングルームから出ていってしまった。
それでも一番に艦から飛び出したのだから、マナのやる気が知れようというものだ。良くも悪くも自分のペースを乱さない神経の太さが、たぶん、生き残るコツなのだろう。
殺到するミサイルをこれ見よがしに避け、それでも追尾してくるものは鋭角ターンをかましGによる圧壊を誘う。軋む気体を押さえつけ、ものの見事に神業をやってのけた。ついでにすれ違った帝国の単座式戦闘艇ワルキューレを一機火球へと変える。
「さあ、イカリ提督にいいところを見てもらうんだから」
何やら事情があるらしいが、「トップシークレット」などとのたまいマユミにも話していない。
「次ぎいってみましょうか」
元気だけを振りまきながら虚空を駆ける。シンジはそれどころではないのだが……知らないとは幸せなことなのだろう――たぶん。
 
 
第一〇艦隊の前に立ちふさがったのは、ビッテンフェルト中将だった。オレンジ色の長めの髪と薄い茶色の目をしており、細面の顔とたくましい体つきが、アンバランスといえなくも無い。眉が迫り、眼光が烈しく、戦闘的な性格をうかがわせる。
また、彼は麾下の全艦艇を黒く塗装し、「黒色槍騎兵(シュワルツ・ランツェンレイター)」と称している。剽悍(ひょうかん)そのものの部隊だ。その部隊にウランフはしたたかに損害を与えた。しかし、同程度の被害を受けた。比率ではなく絶対数において。
ビッテンフェルト軍はウランフ軍より数において上回り、疲労度など比べるべくも無い。かなりの犠牲を払いながらも第一〇艦隊を完全な包囲の下に置く事に成功した。
進む事も退く事も出来なくなった第一〇艦隊は、「黒色槍騎兵(シュワルツ・ランツェンレイター)」の集中砲火を避ける事ができなかった。
エネルギー中和磁場が破れ、艦艇の外殻に耐え難い衝撃がくわえられる。それが艦内に達すると、爆発が生じ、殺人的な熱風が将兵をなぎ倒した。あるいは、艦艇自体を極小の超新星と化して原子へと還る。
第一〇艦隊の戦力は尽きかけていた。艦艇の三割以上を失い、残った艦の四割が戦闘不能という惨状だ。
艦隊参謀長のチェン少将が蒼白な顔で司令官に、これ以上の戦闘は不可能である事を告げた。さらに、決断を迫る。
「降伏か逃亡かを選ぶしかありません」
「不名誉な二者択一だな、ええ?」
ウランフ中将は自嘲してみせた。
「降伏は性に合わん。逃げるとしよう。全艦艇に命令を伝えろ。そうだ、トキタ少将に双方向通信回線を開け」
全艦艇を紡錘陣に組み上げる間にトキタ少将との回線が繋がった。一見すると学者じみた容貌だが、その実は、自ら仕上げた戦術プランも忘れて当たるを幸いになぎ倒す猛将として知られる。
「貴官は先陣だ、好きなようにしていい。最終的な目標は包囲網を突破イゼルローンへと退く事だ。皆が貴官の後に続く。いいな」
「はっ!」
必要事項だけを並べ立てる。残存兵力の再編成が済むと同時に包囲網の一点にそれを一挙に叩きつけた。現場の視点に立てば、ただトキタをけしかけただけだが、その結果は十分に見越していた。
彼はこの巧妙果敢な戦法で、部下の大半を死地から脱出させる事に成功した。しかし、彼自身は帰る事は無かった。彼の旗艦は最後まで味方の脱出を支援するために包囲下にあって敵と戦っていたが、離脱しようとした瞬間、ミサイル発射孔に敵ビームの直撃を受け、四散した。
 
 
「第一二艦隊より通信です。ボロディン提督負傷、指揮権は参謀長コナリー少将が引き継ぐそうです」
「そう、守りに徹するように伝えてくれる」
「了解しました」
 酷なようだが司令官が動揺しては、最悪、艦隊全てが浮き足立ちかねない。意地でも心の乱れを表に出さない。不謹慎だが幸い意地を張るのは得意技と言っていい。
 敵の動きが変わった。損害に耐えかねた帝国軍A(ケンプ)艦隊がちょうど下がろうとしている。B(ロイエンタール)艦隊もそれに合わせて下がるようだ。無理に残っても数で劣勢になるのだから正しい判断だろう。アスカとしてはこの隙を最大限生かすしかない。
「スパルタニアン、全機回収。シンジ、これから言う航路の計算をお願い。大至急ね。ヒカリは、アカギ提督との超光速回線を開いて」
 まず、シンジからの航路計算データが届き、間を置かずして第五艦隊との通信回線が繋がった。同時に航路計算データをヒカリに転送させる。
「アカギ提督、時間がないので……今送った航路で脱出します。この場にとどまっても得るところはありません。この航路なら第一二艦隊の残存兵力のほとんどを救うことができます。いささか派手なことにはなりますが、現状では最もベターなののではないでしょうか?」
 データを確認しているのか通信ディスプレイの方には顔を向けず、その隣の画面を注視しているようだ。その瞳が大きく開かれる。
「わ……わかったわ、五分ちょうだい。こっちにも準備があるから」
 一旦、通信がうち切られる。第五艦隊はロイエンタール艦隊によって、かなりの痛手を受けてはいたが戦えなくはない。一方、第一三艦隊はケンプ艦隊の攻勢を逸らすことに成功し、被害らしい被害は受けていない。
「イカリより司令部へ。艦隊全艦艇準備が整いました」
「閣下、スパルタニアンの回収も終了しました」
 マヤの報告に軽くうなずく。さらに平然と待つ。私生活において微々たる量しか観測されない忍耐も、この時ばかりは大量に動員されているようだ。「そうか、こういう時に忍耐を使っちゃうから普段我慢できないんだ」などと一人で納得している者もいるが。
「そうそう、アタシとしたことが忘れるところだったわ。ヒカリ、スズハラ提督に回線をまわしてくれる」
 ヒカリが手元の端末を操作すると、ものの数秒で緊張の色が隠せない青年の姿が送られてきた。
「スズハラ准将、航法データは見たわね」
「さっきのアレですか?それにしても、えらいえげつないコースとらはりますなぁ」
「そのコースが一番効果的なのよ。シンジが決めたんだし。で、あんたに先陣任せるから死ぬ気で生き残んなさい。これは命令よ」
「はぁ、それはわかっとりますけど…」
「アタシが先頭に立てたらいいんだけど、そうもいかないし…シンジは殿(しんがり)だし…とりあえずそのデータ通りだからね」
「了解しました……そやけど、えろうなったらなったで大変そうやな」
「アタシよりそう言うこと言ってあげなきゃいけない人がいるんじゃない?」
 意味ありげな笑いとともに向けた視線の先では、彼女の副官が真っ赤になってうつむいている。図らずも、彼女を救ったのはアカギ提督だった。
「第五艦隊より通信。準備完了とのことです」
「了解。スズハラ、仕事よ。第一三艦隊、全速前進」
  アスカの指令とともに、第一三艦隊が動き出す。わずかに遅れて第五艦隊が続く。この動きに慌てたのはケンプ中将だった。まだ艦列が整っておらず、指揮系統も安定していない。
「いいか、ロイエンタールとルッツが来るまで保たせろ。挟撃ができれば我らの勝ちだ」
正面に注意を払い、万全の反撃体制を整えていたつもりであった。とはいえ、実際は後方に下がったという安堵感からか艦隊の反応は鈍い。それでも、何とか防御態勢に仕上げたケンプの手腕は非凡と言うに値するであろう。
「転進」
 そのケンプ艦隊をあざ笑うかのように、アスカの指示通り同盟軍二個艦隊は方向を変え、その脇を高密度の砲火で抉り取りさらに方向を変える。何のことはない、麾下(きか)の艦隊の火力を一点に集中したのだ。極端な集中砲火によって端とはいえ艦列に穴が空く。そうして無理矢理こじ開けた空間を帝国軍の艦が埋める前にスズハラ軍艦隊が躍り込む。先ほどのような集中砲火をいくつかの方向に限定して加え、死と、破壊と、混沌をばらまき道を切り開く。その先には第一二艦隊。その間に帝国軍ルッツ艦隊の無防備な後背がある。
「追撃だ。叛乱軍の後背につけ」
 ケンプの叫びも虚しい。ごく一部ではあるが、圧倒的な火力に接したケンプ艦隊の全域に混乱の余波がばらまかた。士官はともかく、兵士たちは後方へ下がったことで多少なりとも気がゆるんでいる。浮き足立ってしまった艦隊ではすぐに追撃などできるはずもない。ロイエンタール艦隊はそのケンプ艦隊に行く手を遮られ追撃を断念せざるを得ない。そのかわりに、超光速通信でルッツに急を告げた。
「第一二艦隊司令官代行へ通達。これより貴官らに合流する。合流後は速やかに戦場より退去、後方に下がり艦隊の再編を行う。以上よ」
 ここまでは怖いくらいに順調だ。この時点でルッツ艦隊の取り得る手段は三つ。
 第一二艦隊を捨て置き、こちらを攻撃するか…その場合、残り二個艦隊が来るまでの足止めとして、防御にのみ専念すればよい。発想としては先ほどのケンプ艦隊と同じだ。が、デメリットとして、せっかく追いつめた第一二艦隊に戦力の再編と反撃の機会を与えてしまう。
 ならば全力をもって第一二艦隊を叩きのめし、その余勢を駆って急襲してくる艦隊を叩けばどうか。恐らく間に合うことはないだろう。司令部が被害を受けても持ち直すような艦隊がそう簡単に無力化できるわけがない。実際は才能云々よりも、コナリー少将の能力で何とか制御できる数まで撃ち減らされたからなのだが、それを差し引いても彼はよくやっていると言わざるを得まい。本来なら集団的な行動など望めないはずだったのだから。
 最後の手段だが、恐らくこれを採ることはないだろう。
 戦闘の回避。
 最も決断力を要する選択だろう。だがそれを、作戦行動の一部とするなら心理的障壁は取り払うことが可能だ。それ故に、必勝の策たりえる。考えがここに至ったなら、そう考えるのが自然だろう。もちろん、そこまで思い至らず腹背に敵を抱えても時間を稼ぐことに集中しようとするかもしれない。
「奴らを通してやる。合図とともに総攻撃だ。いいな」
 合流時に起こるであろう混乱を突く。とにかく、今行わねばならないのは勝つことよりも敵の足を止めること。並の指揮官ではなかったがために、彼は足をすくわれることになる。
 
「帝国軍艦隊……こちらに道を譲るようです。想定航路より二手に分かれ、退去するものと思われます」
 マヤの声にただうなづくアスカ。
「第五艦隊に通達。予定通りにと」
「了解しました」
「イカリ分艦隊に通達……後は任せるから、って」
「はぁ?」
「当然、本隊も前に出るのよ。さっさと伝えなさい!」
「はいっ」
「全軍に通達。帝国軍右方艦隊に対し砲撃準備」
 
「第一三艦隊より通信。「予定通りに」とのことです」
「予定通り…か」
これほどうまくゆくとは。年齢、経験共に上回る帝国軍の提督たちをその手のひらの上で踊らせている。
そろそろ道を譲るべきかもしれない。こんなに面白い人材が出てきたのだ、後を任せるのもいいだろう。でも、その前に。
「全軍に通達。帝国軍左方艦隊に対し、砲撃準備。合図があるまで撃つんじゃないわよ!」
 ひと暴れしようではないか。
 
アスカの立てた作戦はさほど難しいものではない。ただし、発想においてはという条件が付く。実行段階においては必ずしも簡単とは言えなかった。わずかでもタイミングがずれればそこで足止めをくらい袋叩きにされただろう。アスカの絶妙な指揮とそれに確実に応える艦隊。この二つがそろってはじめて可能になったと言っても良いだろう。極論すれば、アスカとシンジの絶妙なコンビネーションがあったからこそ、としても良いかもしれない。
「帝国軍B艦隊、追ってきます」
通信士官の悲鳴にも似た叫びがさして広くも無い艦橋を圧する。それに対する司令官の答えはあまりにも簡潔だった。
「ふーん。じゃぁ、さっさと片づけて逃げるわよ」
「閣下、“逃げる”などと申されますと士気に関わります。いま少し言葉をお選び下さい」
「別になんて言っても結果は変わらないわよ、リッちゃん」
「なっ……」
 とりあえず、リツコの小言を封じ視点を転じる。メインスクリーンには、慌てて艦首を第一三艦隊に向けようとしているルッツ艦隊が映し出されている。もっとも、この距離からでは光の点の集まりにしか見えないが確実に近づいている。もう一光秒の距離もないだろう。
 ゆっくりと右手を挙げる。蒼氷色の瞳にさらなる力が宿る。
「まだ有効射程距離の外です」
 届かないわけではない。真空の宇宙空間、重力に捕まらなければエネルギーの矢は何処までもまっすぐに進んでゆく。そこは所詮“人の作りしモノ”。誤差と言うものはついて回る。艦が揺れれば斜線もぶれる。その誤差が許容できる範囲で収まる距離が『有効射程距離』だ。当たらなければどうもしようがないのは、どんな距離でも同じ。最悪でも牽制ぐらいの役には立つ。
「各艦主砲三射。撃て!」
 分割した艦隊を再び一つにまとめようと動き出したルッツ艦隊の足が止まる。その五分後、そのルッツ艦隊を、その有効射程距離に捉えたスズハラ分艦隊の猛攻が始まる。トウジは自分の役割を心得ていた。ただ前へ進む。二つに分かれた艦隊をさらに分断し突き抜ける。勝ちすぎてもいけない。ルッツ艦隊にはこのあとも役に立ってもらわなければならない。
 そこには、何とか自力で再編成を済ませた第一二艦隊が待っていた。
「第五艦隊の現在位置は!」
「一五分後に合流予定」
 マヤが声を張り上げる。第五艦隊の行軍速度は予想以上に早い。これは嬉しい誤算と言える。
「シンジ、それまで保たせて」
「了解」
 いつもと口調は変わらない。トウジのように気負わなければ、リツコのように淡々としているわけでもない。そこにいるのはいつものシンジ。だからこそ余計に……
「イカリ提督ですか?」
 不信の声を上げたのはアカギ准将だった。実戦においてめざましい功績を挙げているトウジと違い、シンジには艦隊運用以外の実績がない。リツコの言い分ももっともだ。だが、怜悧な参謀長も一つ見落としていたことがある。この戦闘が始まってから、アスカは防戦の指示を出していない。そして、第一三艦隊の被害は、戦果に比して圧倒的に少ない。
「シンジ、傷つけられたプライドは一〇倍にして返すのよ。聞いてる!バカシンジ」
 ノイズだらけの通信スクリーンに言いたいことだけ叩きつけると、いつもの姿勢に戻り第一二艦隊との通信回線を開くように指示を出す。
 
 
「第五艦隊合流します。アカギ提督より通信が入っていますが?」
「サブスクリ−ンに出して。ヒカリ、こっちには戦況のデータを」
 にわか総司令部と化した感のある第一三艦隊旗艦艦橋。指示と、報告と、データが砲弾の如く飛び交う。
「アスカちゃん、そっちはどう?」
「予想以上にうまくゆきました。後はこのまま撤退するだけです。第一〇艦隊は……」
「総司令部より通信です。本日七日をもって、全軍現在の占領区域を放棄。アムリッツア恒星系A地区へ集結せよ。との事です」
「アカギ提督、聞いての通りですが」
「とりあえず……逃げましょ。命令通りに、ネ」
 「命令通り」の下りをナオコらしい皮肉な響きでくるみ、いたずらっぽく笑ってみせる。今さら総司令部がなんと言ったところで、事実の追認でしかない。第一〇艦隊も独自の判断で行動しているだろう。この時、彼女たちはいまだ第一〇艦隊の敗北とウランフの戦死を知らない。
「分かりました。帝国軍が秩序を回復する前に立ち去りましょう」
 シンジが後方を完璧に守りきり、余裕を持って戦場から離脱することに成功した。
 
 
「閣下、叛乱軍が撤退するようです」
「ここで功を焦り、深追いをするのも考え物だな。よし、報告だ。ローエングラム伯の裁可をいただく」
 ここで焦る必要はないだろう。奇術じみた脱出作戦をこうも見せつけられると、どのような行動にも罠の存在があるように思えてしまう。馬鹿馬鹿しいが、ここは安全策を採るべきだろう。オスカー・フォン・ロイエンタールは、遠ざかってゆく同盟軍艦隊がいるであろう方向を、その高名な金銀妖瞳(ヘテロクロミア)でじっと見つめていた。
 

 



Z
 
 
 さまざまな元素がさまざまな色彩を演出し、一万キロメートル単位で躍り上がる。そんな恒星アムリッツアの輝きの中に同盟軍は集結しつつある。
「いい色じゃないの」
 赤や紫といったあまり感じのいい色ではないのだが。
「赤はアタシの色よ!」
 本気なのか、集まった艦隊首脳陣の不安を払拭するための芝居なのか判然とはしないが、少なくとも艦橋の重い空気は取り払われたように思える。
「それに頭文字が“A”だからね。ボクたちには相性がいいんじゃないかな」
「シンジ…や無いわ、イカリ少将。なんで“A”やったら相性がええんや?」
 心底不思議そうな声を上げたのはトウジ。女性陣の冷ややかな視線にも気づかず首をひねっている。
「アスカの“A”。アスターテの“A”…同盟軍にとっては災難だったけど、ボクとアスカにとってはチャンスだった。今はそれでいいんじゃないかな。大丈夫だよ。何とかなるさ」
「甘いわね、シンジ」
「へ?」
「『何とかなる』んじゃないのっ! 『何とかする』の! アタシたちで……いいわね」
「う、うん」
「なっさけない返事してんじゃないのっ。アンタがしっかりしてないと、みんながしまんないでしょうが」
 いつものようにシンジに右の人差し指を突きつけ、勢いよくまくし立てる。当然左手は腰に当てられている。
「まぁまぁ、痴話喧嘩はともかく…」
 言い出したミサトの方に首をひねる。合図をしたわけではないのに同時。
「ちがうわよ!」
「ちがうよ!」
 異様に力のこもった否定の言葉も、二人同時では逆の効果しか与えない。
「ハイハイ、閣下。そう言うことにしておきますから。どんな組織でもナンバー1とナンバー2がうまくいっているうちは安泰ですから。ねえ、先輩」
「ふっ、そうね」
本気で言っている。そこがイブキ大佐の恐ろしいところだ。ただ鈍いだけなのか?ミサトよりも精神的に大人なのか?どちらにしても問題な事には変わりない。
アカギ准将が同意したのは一般論としてのマヤの台詞であって、現状に相応しいものとして認めたわけではない。その事を言外に匂わせても、男どもは分かっていないようだ。
「それはそうとして、閣下。基本戦略をお聞かせ願います」
今までの和やかな雰囲気を吹き飛ばす。それが自分の役目と割り切っているのかリツコの表情に変化はない。開戦まであと数時間しか残されていない。大体にして、広くもない旗艦艦橋に首脳陣を集めた目的が指揮官の基本戦略の伝達および、幹部の意思統一なのだから。
他の艦隊でこのようなのんきな事をしているところはない。事実、司令官の戦死により臨時に第一三艦隊に編入された元第一〇艦隊のトキタ准将は、話しの輪に入らず先ほどから偵察部隊から寄せられる報告書に片っ端から目を通している。いまの時点では役に立たないから暇つぶし以外の何物でもない。
同盟軍はアムリッツア星系に集結したものの、既に未還率は三割を超え、控えめに言っても戦える状態でははない。第一二艦隊のボロディン中将をはじめとする負傷兵たちはイゼルローンに送られ戦傷の治療を受けているだろう。彼の艦隊はアカギ中将の麾下(きか)に配された。他の艦隊は平時の七割がたの戦力を何とか保持しているが、士気がまったく上がらない。
 アスカに与えられた兵力でどこまで戦況を左右できるか。ここを見誤れば……
「悪いけど、今回は味方はあてにしないわ」
 何気ない風を装ったアスカの言葉に、居合わせた幹部たちは場の空気が冷え込むのを感じた。
「閣下、どういう意味でしょうか?」
 リツコがさらに踏み込む。
「べつに……ただ、あんたたちにもそのつもりで行動してもらいたい……間違っても他の艦隊の援護を期待しないこと。今アタシが求めるのはそれだけ。いいわね」
 一人ひとりに今の指示をたたき込むために瞳をのぞき込む。マヤ、リツコ、スズハラ、トキタ、ヒカリ、ミサト……最後にシンジ。柔らかい、包み込むような笑顔。なんでこいつは戦場でこんなふうに笑えるんだろう?でも、心が軽くなる。
 だから……これ以上、考えるのはやめた。
 
 
 耳ざわりな警報が響きわたった。
「敵艦隊接近!」
 同盟軍の戦力はほぼ半減と言っていい状態だ。さらに、勇猛で名戦術家だったウランフ提督の死は人的資源の面でも大きな痛手といえる。それに対し、満を持し、勝ちに乗じて正攻法で攻撃してくる帝国軍に、どの程度抵抗できるだろうか。
 ロイエンタール、ミッターマイヤー、ケンプ、ビッテンフェルトら帝国軍の勇将たちは、戦艦の艦首を並べ、密集陣形で突進してきた。細かい戦術を無視した力ずくの攻撃にも見えるが、キルヒアイス率いる別働隊が同盟軍の後背に回りこもうとしている。挟撃の意図を隠すためにも、同盟軍に余裕を与えないだけの猛攻を加えなければならない。
「全艦、最大戦速」
 アスカの命令に合わせ、第一三艦隊が動き出した。
 アスカの出した条件に合わせ、シンジが細心に算出した減速と加速のスケジュールに従う艦列は恒星アムリッツアの影から飛び出し、重力カタパルトの要領でさらに速度を増す。
 この意外な方向からの速攻を受け止めることになったのは、ミッターマイヤー中将だった。勇敢にして神速の用兵を誇る彼も、意表を突かれたため後手に回わる。それはケンプ艦隊が体験した火力の集中。さらにそれを突き詰め、“苛烈”と言うに相応しい攻撃。一隻の戦艦に対し、半ダースものレーザー水爆が一カ所に命中したとき、どのような防御法があるというのか?
 この攻撃は、ミッターマイヤー艦隊にとって文字通り痛撃となった。桁外れの砲火の中、旗艦自らが被弾するに至り、やむえず後退した。後退しながらも陣形を柔軟に変化させ、反撃の機会を狙っているところ、彼が並の戦術家ではないことを示している。
 アスカとしては、一定の損害を与えたことと、後退させたことによって前線の敵を減らしたことで満足しなければならない。味方にもボロディンあたりが健在であれば、せめて互角の戦いが挑めたのであろうが…
 ミッターマイヤー艦隊の後退に併せるかのように、黒の艦列が第八艦隊との間に空いた空間になだれ込んできた。そのビッテンフェルトらしい行動は、大胆とも無謀とも評価しがたい。
 素早くアスカの指示が飛び、シンジの指揮の下たちまち装甲の厚い巨艦の壁を築き上げる。その隙間から装甲は貧弱だが、火力と機動力に富む砲艦とミサイル艦が容赦のない攻撃を浴びせる。ビッテンフェルト艦隊の各処に次々と穴があいた。それでも行軍スピードが落ちない。反撃も激しく、巨艦の壁の一部が崩れる事もあったが、第一三艦隊に重大な損害はなかった。
 問題は、第八艦隊である。ビッテンフェルト艦隊の速さと破壊力に抗しきれず、側面から艦列を削り取られ、もはや集団戦力としては数えられない惨状を呈している。
 
「そのころ私は、パランティア星域会戦に参加してましてね……」
「艦長、先ほどの被弾により廃水処理施設が損傷。汚水の逆流が始まっています……って、聞いてますぅ?」
 副長の悲鳴も無視…いや、もしかしたら聞こえていないのかもしれない。
「あの敗戦ですが、私は一兵卒として巡洋艦ヨグソートスに乗り組んでいました……」
「かんちょぉー」
 副長を頑なに無視し続け、自分の世界にどっぷりと浸りきっている老艦長。戦艦ユリシーズはなおも戦い続ける。乗員の大半を汚水まみれにしながら。
 
 友軍が目の前で宇宙の深淵へと溶けさってゆく。
 第八艦隊を救うべきか?
 さすがのアスカでも判断に迷うこともある。救いに出るなら、敵の勢いからしても乱戦になり、系統だった指揮など期待できなくなる。現在の同盟にとってそれは自殺行為に等しい。結局、彼女は砲撃を密にすることを命じるにとどまった。
 側面からの砲火を意に介さない「黒色槍騎兵(シュワルツ・ランツェンレイター)」の群は同盟軍を分断することに成功した。
「どうやら負けたみたいね」
 そう思っても言葉にすることはできない。司令官の言葉にはなにやら不思議な力があるようで、指揮官が「負けた」と言うときには必ず負けるものらしい――その逆は滅多にないが。
 勝利を認識したのは、ビッテンフェルトも、その上位者も同様だった。すでに、同盟軍第八艦隊は瓦解し、挟撃を受ける心配もない。ノリにノっているビッテンフェルトは、その矛先をいまだかなりの戦力を保有する第一三艦隊に向けた。近接戦闘でケリをつける。
 帝国軍の砲火が何の前触れもなく衰える。それが意味するところをアスカは一瞬のうちに悟った。
 攻撃方法の転換。
「ちゃ〜んす」
 美貌の指揮官の蒼氷色(アイスブルー)の瞳に炎が宿る。他の司令官であっても、時間の多寡はあれその意図を読みとるのは可能だっただろう。彼は早すぎた。その失敗にアスカは最大限つけ込むことにした。
「あのバカを引きつけんのよ。全砲門、連射準備!」
 数分後、あれだけ優勢を誇った帝国軍は、一転して敗北と向き合うことになった。ビッテンフェルト艦隊を零距離射撃の範囲に引きずり込んだ第一三艦隊は、破壊と殺戮をほしいままにしていた。「黒色槍騎兵(シュワルツ・ランツェンレイター)」の黒色は、死衣の色と化しつつあった。援軍を送ろうにも、帝国軍総司令部には余剰兵力がない。現在の苦しい状況も、全軍の三割に当たる兵力がまだ戦場に到着していない為とも言える。だからといって、ビッテンフェルトのミスが消えるわけではない。いや、だからこそ余計に重くのしかかる。帝国軍全軍に。
 
「後背より敵艦隊。数は……測定不能!」
 ビッテンフェルトの敗北からわずか三〇分後。同盟軍に悟られぬよう迂回してきたキルヒアイス艦隊が、同盟軍が後背に敷設した無数の機雷を気体火薬、指向性ゼッフル粒子によってまとめて切り開き乱入してきた。その先頭部隊の砲撃によって同盟軍の艦列に次々に穴をあけてゆく。
 合名軍指揮官たちは驚き、うろたえた。それは、何倍にも増幅され兵士たちに伝わり――その瞬間、同盟軍の戦線は崩壊した。
 勝敗は決した。
 
 味方が総崩れとなる情景を、アスカはいつもの格好で眺めている。いや、右の拳が白くなるほど握りしめられ、肩がわずかにふるえている。なにがしかの感情を必死にこらえているのだろう。
「閣下、今後の指示をお願いいたします」
 なけなしの勇気を振り絞ったマヤの問いかけ。
「まだ……逃げるには早いんじゃない」
 われ関せずといったところか。他人事のような返答であっても、指示は指示として司令部は動き出す。 会戦自体は最終局面に移行していたが、戦闘の苛烈さは衰えを見せていない。ここに至って戦術的な勝利に意味など無いのだが、分断され、指揮系統から切り離された集団単位での絶望的且つ熱狂的な戦火は相応の反撃をもって報われる。それでも、敗北の不名誉を償うために一兵でも多く道連れにしようとするかのように砲火は絶えない。
 そのような狂騒的な闘争よりも、勝者たる帝国軍に出血を強いたのは、消極的ながらもアスカが組織した秩序ある抵抗で、彼女は味方をできるだけ多く安全圏へ逃がすため、なお戦場に残っていた。もちろんシンジたちもその身辺を守るため、その近くに布陣している。
 アスカの採った方法は、数日前の脱出戦の応用と言えなくはない。局地的に火力を集中し、敵兵力を分断。指揮系統が混乱したところで各個に打撃を与えてゆく。敗走する味方を援護しつつも、自らの退路をも確保し、撤退のチャンスをうかがう。
 帝国軍の動きに変化が見られた。崩壊したビッテンフェルト艦隊の背後――アスカが退路として確保していた宙域に向け帝国軍の一部が移動をはじめたのだ。
 さすがのアスカも、これに気づいたときには全身から血の気の引くような思いを味わった。退路を断たれた!しかし、アスカに幸運が味方した。
 移動を開始したはずの帝国軍の足が止まった。組織的な砲火によってその進行をくい止められてているようだ。アカギ提督が混乱の内からかき集めた兵力は、寄せ集めとはいえ善戦し貴重な時間を稼ぎだした。
 ここに来て、アスカはなおも抵抗を続けるビッテンフェルト艦隊に対し、保有する戦力の全てを叩きつけた。ビッテンフェルトには、先の失敗を償うための戦意も能力もあったが、それらを生かすための戦力がその時、決定的に不足していた。状況に対応する時間すら与えられず、「黒色槍騎兵(シュワルツ・ランツェンレイター)」は旗艦以下数隻にまで撃ち減らされていた。
 なおも反撃を叫ぶ指揮官を幕僚たちが押さえつけるそのそばを、アスカたちは悠々と戦場を離脱することに成功した。
 
 
 第一三艦隊旗艦エヴァンゲリオン級打撃戦艦二番艦『エクセリオン』に設えられた会議室には開戦前のメンバーが一人も欠けることなく集まっていた。特に呼び集めたわけではないが、それぞれの無事な姿を目の当たりにし、敗戦の重荷を抱えた心が、多少軽くなるのを感じる。それにしても、これだけの人数ともなるとやはり艦橋では狭くてしようがない。艦長も迷惑そうだったし。そう言うわけで、シンジたち分艦隊指揮官は用意された会議室に艦橋経由でやってくることになった。
 集まった首脳陣にたいし一つの資料が示された。今会戦の被害数量を概算で叩き出した物だったのだが、その数字を理解した瞬間、誰も――あのミサトでさえも――言葉を発することができなかった。
 戦死および行方不明者、推定一五〇〇万人。この数字は、これからの詳しい調査によって増えることはあっても減ることはないと思われる。
 その死闘の渦中にありながら、第一三艦隊だけが七割を越える生存者を保っている。
 赤みがかった金髪の提督を見る部下たちの目には、もはや信仰に近い光があった。シンジだけはいつも通りだったが。そのシンジに対する評価も、現在の地位相応の力量を実績という目に見える形で示したため、開戦前には考えられなかったほど上昇していた。ただのアスカのおまけと考えていたリツコをはじめとする年長の士官たちの態度が、大きく変わったことからも見て取れる。
 しかし、アスカはそのような変化に喜びもせず、いくつか必要な指示を出しただけで自らの室身室に引き込んでしまった。
 一同の視線に追い立てられるようにシンジがその後を追ったことや、ミサトが好奇心丸出しでさらにその後を追おうとするも、周囲に阻止されたことは言うまでもないだろう。
 
 キリシマ中尉は上機嫌だった。ワルキューレ八機撃墜、巡洋艦一隻撃沈と言うとんでもない記録をうち立てたのだ。生涯撃墜数が一〇機を越えれば「エース」の称号を与えられるが、彼女や、ヤマギシ中尉のように三桁を越えてしまうと価値が薄れてしまうように感じてしまう。
「これも愛のなせるわざね、イカリ提督……だめよ、ここは艦内よ、人の目もあるし……でもちょっとだけ……」
 などと訳の分からないことを言うものだから、他の空戦隊員が気味悪がって近づかないのもうなずける。この後、半日ほどマナがこっちの世界に帰ってこなかったため、空戦隊の区域がことのほか静かだったのは……良かったのかなぁ?
 
 
「だれ?」
「シンジだけど……」
 リニアレールを採用した扉が音もなく開かれる。軍服のままハーフブーツも脱がずベッドに寝転がった部屋の主が、もの問いたげに幼なじみを見つめる。
 扉が閉まるのを背後に感じながら、殺風景なアスカの私室を一通り眺めると一脚だけ放置してあった椅子を引き寄せ、背もたれを抱き込むように座を据えた。ちょうどアスカの顔の前になるのは計算の上。
「……で?」
 蒼炎たゆたう瞳をのぞき込む。
「なによ。人の部屋にあがりこんで一言目がそれぇ」
 明らかに不満そうに唇をとがらせてみせる。こういった子供っぽい仕草を見ると、昔に戻ったようで安堵する。そんな自分に気がつかないシンジ。しかし、心の荷を降ろしたように楽になるのは分かる。
「そんな言い方無いじゃないかぁ。せっかく心配してきてやったのにさ」
「むう、シンジのくせに生意気な口のききかた。こういう事言う口はこの口か!」
 おもむろに飛び起き、シンジの頬を掴む。つまむとかそう言うんじゃなくて掴んだ。しっかりと。
「うぅぅぅぅ、アスカ、シャレになってないって」
 磨かれた爪は結構鋭かったりもする。変に籠もった情けない響きに、溜飲を下げたのかやけにあっさりとシンジを解放する。口の端に親指のものと思われる爪の痕が一つ。耳の下には同じような痕が縦向きに四つ並んでいる。例えて言うなら、他の女を視線で追いかけたがためにとっちめられた亭主の図……あんまし例えになっていないような気もするが、雰囲気は分かっていただけるだろう。
 掴まれた頬をなでながら、瞳の力だけで話を促す。アスカに対してはシンジと、キョウコ、あとユイだけが使える技だ。ヒカリは時と場合による。ん?結構いるなぁ。
 その視線に気づきため息を一つ。元々相談するつもりではあったことだし。変に身構えた姿勢から、足の間にその形の良いヒップを落とす……いわゆる『女の子座り』に移行して枕を手元に引き寄せる。クッションと言っても通用する抱きごたえのある枕だ。
「レイなんだけどね。……軍人になりたいって言うのよ」
 アスカには珍しく、困り果てたという色がにじみ出ている。
 こればかりはアスカがなんと言ったところで効き目がないのではないか?シンジは思う。アスカにしろ、ミサトにしろレイの周りにいる女性の軍人は皆成功した人ばかりと言って良い。そういう人物が、何を語ったところで効果は期待できない。ならば、本人の願いを叶えてやればどうか?レイの気質からして軍隊と言うところに不適というわけではない。まずは軍属としてアスカの側に置けばよい。どのみち少女の年齢では、すぐに下士官というわけにもゆくまい。もし、レイが軍隊に嫌悪を見せれば、落ち度があったことにしてアスカ自らが解任すればよい。
 そういった意味を含めて、シンジらしく言葉を選びながら自分の考えを告げた。
「あの娘には、手を汚させたくないって言うのは、アタシのわがままかな。ねぇ、シンジ」 「……あ、うん、いや、そんなこと無いよ、うん」
「何よ、その不自然な間は! 言いたいことがあるなら言っちゃいなさい!」
「い、いや。大したことじゃないんだよ」
 上目遣いでじっと見つめる。それがまた……怖い。こめかみを、冷たいものが通り過ぎスカーフに吸収される。蒼い瞳が「早く喋っちゃった方が身のためなんじゃない?」と語りかけてくるようだ。
「その、アスカも“お母さん”って感じがしたなぁ……って、どうして、なにかボク悪いこと言った? ちょっと待ってよぉ」
 炎を背負ったアスカの視線の直撃を受け、後ろ半分は泣き言に近いが本気の言には違いない。何が、アスカの逆鱗に触れたのか全く理解していない。
「アタシが、あんな大きな娘がいる歳に見えるってぇのっ! アンタは!」
 言いがかりだ。絶対に言いがかりだ。だが、悲しいがな相手はバカシンジ。言いがかりの裏なんか考えもしない。
 アスカはアスカで、なぜ自分がこんな言いがかりをつけているのか考えもしない。そこのところを冷静に考えることができれば、この二人の仲も少しくらい進展を見せるのだろが……ここ数年、二人の距離は変わっていないようだ。何か、二人の心に引っかかるものがあるのかもしれない。
「天誅! って、なんで動くのよ!」
「だって、逃げなきゃただのバカだろっ」
「どうせバカシンジじゃないの。いいから動かないで」
「やだよ……って、わぁぁぁぁぁ」
「やっと捕まえたわよ」
「爪、爪。痛いって」
「痛いのは最初だけよ。そのうち痛みも分かんなくなるんだから」
「アスカ、それってシャレになってないよ」
 
 ……敗軍の将がこんなに元気なのだから、心配は無用かもしれない……





第参話に続く

99/07/24改訂
99/12/18タグを修正
00/08/08修正
銀河英雄伝説は田中芳樹氏の著作物です
yoshiki tanaka (C)1982  徳間書店刊



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