銀河の英雄は
アタシに決まってんじゃない!」伝説
 
 
第参話
休日、そして……

    宇宙歴七九五年 一二月
片山 京
 
 

 

「シンジさん遅いですね」
「知らないわよ、あんな奴」
 惑星ハイネセンでもそこそこの知名度を持つ山荘。長期の休暇を取ったアスカ・L・ソウリュウとその被保護者レイ・アヤナミは昨日より滞在している。アスカの機嫌が悪いのは、本日到着予定の同盟軍少将シンジ・イカリ氏が約束の時間を過ぎても姿を見せないため。というより、「遅れる」とだけ連絡をよこしておいて「何故」なのか全く触れようとしなかったことの方が気に入らないようだ。遅れているのにも理由があるのだが……

 


 

 最終的な決戦場の名を取って「アムリッツァ会戦」と称される一連の戦闘は、同盟軍の一方的な敗退によって決着を見た。一時は二〇〇以上もの恒星系を占拠するに至ったが、そのことごとくを放棄してイゼルローン要塞のみを確保することとなった。
 動員兵力は三〇〇〇万人を超えたが、イゼルローン要塞を経て故国に帰還し得た者は一五〇〇万人余り。未還率はなんと五割に達しようという惨状だ。
 当然の事ながら、この敗北は同盟の社会システム全般に巨大な影を投げかけた。
 一例を挙げるなら、もともと慢性的な赤字を抱える財政は、戦死者遺族への一時金と遺族年金さらには艦隊再建費用など新たな出費に破綻寸前にまで追い込まれている。
 ここまで事態を悪化させた軍部への非難も日増しに高まりを見せ、統合作戦本部長ベンハルト・ツェッペリン元帥並びに、敗戦の当事者である宇宙艦隊司令長官マンダ元帥は引責辞任。総司令部の面々も、降格や辺境基地への転属といった典型的な左遷のフルコースを受けることになった。カジとても例外ではなく、惑星ハイネセンのあるバーラト星系より五〇〇光年ほど離れた補給基地の司令官として単身赴任して行った。
 本国への多大な要求という形で露呈した補給計画の不備は、誰かが責任をとらなければならない。総司令部全体の責任ならば、その補給部門のトップであった彼が責任をとるのは自明とも言える。ミサトは今の官舎に二人の子供とともに残り、彼女の(というより子供たちの)身を案じた父母がともに住むことにしたそうだ。
 慢性的な人員不足、未熟な技術員のつまらないミスによる大きな事故、軍需産業をのぞく業種の不景気。そこへこの敗戦だ。同盟の士気は地に落ちたといっても過言ではあるまい。
 以上の事態をふまえ、最高評議会のメンバーは全員事態の責任をとり辞表を提出した。その中にあって、大遠征(アムリッツア星域会戦に至る前の計画)に反対票を投じた、若しくは反対を表明した三人…キール・ロレンツ前議長、ユイ・イカリ前評議員、キョウコ・ソウリュウ・ツェッペリン前評議員には、惜しみない賛辞が捧げられ、来年の選挙までの暫定政権首班は引き続きキールが務めることとなった。彼の肩書きから、再び「暫定」の二文字が消えるのも時間の問題だろう、というのが世間一般の見方だ。

 


 

 やたらと発育の良いペンギンをまるでぬいぐるみのように抱きしめたレイ。
 なんでもミサトの父、カツラギ博士の研究所で実験動物として飼われていたものだが、経費削減のあおりを受け、その実験自体がなくなってしまい処分されることになったらしい。
 哀れに思ったカツラギ博士の尽力もあり、関係者の手を巡り巡ってキョウコの所に辿り着いた。そこで、ちょうど身を寄せていたレイと意気投合(?)してしまい彼女の元へと引き取られることになった。どんな実験に使われていたのかは知りようもないが、このペンギン、やたらと知能が高い。少なくとも人間の言わんとすることは理解しているらしい。
 一人と一羽の視線の先には、時計を親の敵のように見つめるアスカ。これでは声も掛けられない。この状況を打破しうる唯一の人物、シンジはまだ来ない。というより、先ほどから、いくらも時間が経ったわけではない。
 何故ここまでシンジにこだわるのか?一度深く考えてみれば容易に答えがでそうなものだが……日が沈むにはまだ時間がある。

 


 

 軍内部の人事も一新された。まずは空席となった制服組の首席、統合作戦本部長の席には第一艦隊司令官のグブルスリー中将が昇進の上任命された。先の会戦において、本国の守りを受け持ったため敗戦の汚名を着ることがなかったのが決め手となったようだ。
 次に、軍部の次席、宇宙艦隊司令官には軍歴と勲功と人望の三拍子そろったナオコ・アカギ中将が同じく昇進の上任命された。こちらは、予想以上に軍の内外に好評を博した。裏を返せば、軍部への失望感がそれだけ大きかったということだ。日頃の言動が災いし、このような事態にならない限りあり得ない人事だが、最悪の状況が最良の結果を生みだしたとも言える。
 一つ不可解な人事がある。他でもない、情報本部長ゲンドウ・イカリ大将の処遇だ。彼に関しては『戦略上、敵の動向を掴みえなかった』事を理由に同職を解任され、統合作戦本部次長に配された。この人事によってイカリ大将は、自ら築き上げた諜報ネットワークから切り離される代わりに、表の世界に現れることとなった。表向き、本部長から次長への格下げではあるが、実際に得たものが大きかったのは誰なのか?
 イゼルーローン、アムリッツアと遺憾なくその才能を発揮した英雄、アスカ・ラングレーの処遇であるが、巨大すぎる勲功と人気のためになかなか決まらない。そのため長期の休暇を与えてしまったぐらいだ。統合作戦本部、宇宙艦隊とも相当な身分での受け入れを表明しているが、どちらが受け入れてもしこりが残ることには間違いない。

 


 

 『第一三艦隊司令官アスカ・ラングレー・ソウリュウ及び、同艦隊副司令官シンジ・イカリに関する調査報告書』と銘記され、鮮やかな朱色で『Your Eyes Only(機密文書)』と印字されている。前任者がとりまとめを命じたものの、完成した時にはその人物は軍を去っていた。かくして、報告書はナオコの目の前にある。
 気は進まないものの一応は目を通さなければならない。

 


 

「で、私から何を聞き出したいわけ?」
 ミサトは十年来の友人を見つめる。『睨む』と言うには瞳に力がないためそう表現するしかない。今さらながらに腹の底は見えないが、この女は信用はできる。しかし、何を企んでいるのやら。
 見つめられ、問われている方は何の痛痒も感じていない様子だ。『ネルフ連隊』の猛者どもが震え上がるミサトの強烈な視線も、リツコにだけは通用しないようだ。グラス片手に平然とその視線を受け止めている。タバコの一本もあれば完璧なのだろうが、カジ邸では喫煙が一切禁止されているため少々口が寂しい。そこは、自分から押し掛けてきた手前文句も言えない。
「人聞きの悪いことをいわないでちょうだい。司令と副司令の関係に一番詳しいのはあなたじゃなくって?」
 それはそうだが、突然訪れて聞くようなことではない。ましてや、ミサト本人のことではない。だから、黙って首を横に振った。
「それだけはだめ、他を当たってちょうだい」
 奥の部屋から子供たちの声が聞こえる。ミサトの母が、ボードゲームを買ってきたとか言っていたからそれで遊んでいるのだろう。
「手ぶらで返すのもアレねぇ。一つだけ、話してあげるわ。私があの子たちに出会った頃の話だけど」
 士官学校という所は、基本的に全寮制だ。それなりに閉鎖的な環境にあるためか、出る杭はたいてい打たれる。そういう意味ではアスカとシンジは悪目立ちしすぎた。アスカのあの言動と性格からすれば当然すぎる結果かもしれない。
 上級生の一部からすれば「生意気」とか「いい気になっている」という名分が立つわけで、これは容易に「ここらでシめておこう」という発想につながる。
 古典的な方法ではあったが、休日に士官学校の裏庭に呼び出された。強気のアスカも、強情なシンジもわびを入れるどころか泣き言すら言わなかった。彼らにしてみれば、気に入らないと言うのは上級生の勝手な主張であり、自分たちがわびを入れる必然性などどこにもない。
 どこまでも正しい主張、それが癇に障ったのだろう。明らかに上級生はやりすぎた。アスカをかばうために盛んに挑発を繰り返すシンジを執拗に殴り、あるいは蹴った。動けなくなったシンジを庇ったアスカも無傷ではいられなかった。
 結果、二人とも重傷を負った。もし、巡回の憲兵隊員が気がつかなければ命を落としていたかもしれない。
 アスカは左手の骨にひびが入っただけですんだが、シンジはひどかった。完全に折れている箇所が肋だけで二カ所、鎖骨に左腕の尺骨までもが折れていた。それ以上に打撲も酷く、数日間高熱に襲われた。
 むろん、上級生たちは傷害の現行犯でそのまま留置場へ送られ放校処分となったが、マスコミや外部へは事件は秘される事となった。
 それでもアスカとシンジは、熱が下がるやいなや医者が止めるのも聞かず退院手続きをとり、復学してしまった。
 対応に苦慮したのは学校側である。ここ数十年のうちで最大の不祥事でもあり、できれば被害者二人には自主退校してもらい、このことを忘れたかった。現状の改善もせずに、再び同じような事件が起こってはたまらないではないか。
 かと言って、一方的な被害者であることが明らかな上、成績優秀でやる気もある二人を「喧嘩両成敗」を理由に放校処分にすることは、実際には不可能だった。
 校長にとっては悪いことに、アスカの祖父、ベンハルト・ツェッペリン大将(当時)は軍の実力者でもある。ゲンドウ・イカリ准将(当時)の報復も怖い。あの男は何をするかわからないところがある。
 そこで、学校側が出した結論は無責任極まりないものだった。
『無期限外泊許可』
 つまり、寮を出ていけ。後は自分で何とかしろということだ。学外で事が起これば、多少なりとも言い訳はできる。官僚的な対応の典型的な事例だ。
 見かねたツェッペリン大将の意を受け、彼らの前に現れたのがカジ少佐(当時)だった。二人の住居を手配し、頼もしいボディーガードもつけてくれた。いや、実際に手配したのはゲンドウだったようだが……。そのボディーガードこそが、ミサト本人だった。

「……あれは、シンジ君の怪我が癒えた頃だったかしら?ネルフ連隊の訓練施設に訪ねてきてくれたのは……」
 あくまで淡々と語るミサトだが、その内容は凄まじい。リツコは何も言葉を持たず、ただ聞き役に回るのみ。現実だけがもつ確かな量感に押しつぶされそうだ。
 そんな事はお構いなしに、ミサトは先を続ける。

「ぼくに……ぼくに格闘技を教えて下さい」
 真剣と言うよりも、必死と言うに相応しい瞳だった。
「どうして?」
「いまのぼくじゃ、『力』が足りないんです」
「『力』を手に入れてどうするの?復讐?」
 返答次第ではただではおかない。この時ミサトは安易に力を求めようとするシンジに立腹していた。彼女にとって、『力』は戦場で生き延びるための手段であり、人を殺傷するための手段だった。
「今のままじゃ、アスカを守れません」
 いつもの気弱な彼は何処へ行ったのか?ミサトの鬼気迫る視線を真正面から受け止め、さらに力のこもった瞳を返す。この短期間で『少年』から『男』へと成長した姿があった。
 
「最初はね、ちょっと厳しくしてやればすぐに音を上げると思ったわ。けど、シンジ君は耐えきった……だから教えたのよ、私の持ってる技術を全部」
「全部?」
「っそ、全部。素手での戦い方、武器の使い方、状況を利用する方法、一人で多人数を相手にする方法……他に何があったかしら?」
「あきれた。相手は学生じゃないの」
「いいじゃない、おかげでシンジ君に自信もついたことだし。まぁ、ちょっちやりすぎたかな?とも思うけど」
「別に、護身術程度でも良かったんじゃないの?」
「んー」
 何か考えるような面もちで、顎のあたりをぽりぽりと。
「何?どうかしたの?」
 友人のらしくない態度に、心配よりも不信が先に立ったか?訝しげにリツコが尋ねる。
「いやぁね、その手もあったんだなーって」
 あまりのことに二の句が継げない。
「まぁいいわ。昔話はおしまい。一応言っとくけど、口外はしないように」
 『YEBICYU』と大書きされた缶を、これ以上ないほど福々しいオヤジの顔ごと握りつぶし、ゴミ箱へと放り投げる。娘から「ちゃんとゴミ箱に捨てるように」と躾けられたと言っていたのを聞いたような記憶がある。ミサトらしいと言えばらしいが、この女からどうやったらあんなにできた子供が育つのか……謎だ。いや、今はそれより……
「ちょっと待って」
「何よ」
 早く次の缶を取りにゆきたいのかちょっと不機嫌。
「あなたが護衛に就いてからでいいわ、ソウリュウ司令は何をしていたの?イカリ副司令がけがをしている間」
 もっともな疑問だ。が、返ってきた返事は期待したよりも至極まともなものだった。
「主に炊事かな。さすがのシンジ君も片手で刃物は使いたくなかったみたいだし。シンジ君が弟子入りしてからは、よく看病もやってたわねぇ」
「看病?」
「やぁねぇ、私の教え方で無傷なわけないじゃない」
 リツコから見れば、必要以上に豊かな胸を張る。もちろん、威張るようなことではない。『体で覚えろ』とか言って基本的な技は本人に一度使ってみせる。だから、ミサト直属の部隊は高い戦闘力を維持している。昔からそうだったとは……しかも素人相手に。
「もう一つだけ、ソウリュウ司令の態度に何か……」
「何が聞きたいかは分かったけど、答えはないわよ。ホラギ大尉に確かめてみればいいわ。あとは知らない」
 やけに厳しい表情で突っぱねる。これ以上ミサトから聞き出すのは不可能のようだ。一度決めた境界線は守り通すだろう。
「ままぁ」
 母親と同じ色の髪を、同じように高い位置でまとめた『小型ミサト』がすばらしい勢いでミサト掛がけているソファーの隣に飛び込む。
「ママ、おはなしおわった?」
 やや舌足らずだが、意外にはっきりと喋る。
「ええ、終わったわよぉ」
 娘の顔をのぞき込みながら笑顔を見せる。こうしてみると普通の母親だ。
「大ママがね、ごはんにするからって。リツコおねえさんもどうぞって」
 おまけに賢い。ミサトは面白がって「リツコおばさん」と教えていたはずなのに。ちなみに、“大ママ”はミサトの母のこと。
「だってさ。時間、あるわよね」
「ええ、ごちそうになるわ」


 




「そろそろ入れてあげたらどうですか?」
 できるだけさりげなく自然に聞いてみる。シンジの顔を見た瞬間勢いだけで怒鳴り散らし、言い訳も聞かず山荘の外に放り出したことを後悔していないはずはない。
「後悔してるんでしょ」
 うなずく。今日はやけに素直だ。
「理由ぐらい聞いてあげたらどうです?」
 またうなずく。きっかけがないと素直になれないらしい。なかなか困った方だ。
「天気予報じゃ、雪が降るとか言ってましたから。早めに帰ってきて下さいね」
「わかった」
 これではどちらが年上なんだか分からない。
 力のない足取りで扉を開け、閉じる。レイからはその姿は見えなくなった。
「あれで『アタシとシンジとは何でもないんだから』なんて言われても説得力がないんだよね。そう思うでしょペンペン」
「クエェ」
「やっぱりそう思うよね。アスカさんがもっとごねるんなら、わたしが貰っちゃうんだけどなぁ」
「クェ」
「そう、慰めてくれるのね。優しいね、ペンペンは。
 なんだかさあ、さっさとくっついてくれるとこっちとしても諦めがつくんだよね。あの二人。
 それをあんな中途半端にうろつかれたら期待もしちゃうよね」
「クワ」
 しゃがむと視線がちょうど合う。合いの手(?)を自分に都合の良いように解釈して話を進めるが……一人ペンギンに話しかける少女。さ、さむい。
 自分でも思い至ったかそれ以上喋るのをやめ、夕食の材料を見繕いに地下の倉庫へと降りていった。


 




『以上の所見より導き出される結論として以下のものが挙げられる。

 1.司令官アスカ・ラングレー・ソウリュウ中将と副司令官シンジ・イカリ少将の個人的関係及び感情によって艦隊の機能そのものが左右される。

 2.現在の第一三艦隊の戦果は、ソウリュウ提督個人の能力もさることながら艦隊首脳陣の個性を生かし、相乗効果を生みだしている点にある。ただし、艦隊首脳陣のいずれか一名を他艦隊に移したとして、現行艦隊と同等の戦果を生み出せるとは考えづらい。

 3.シンジ・イカリ少将の欠点が独創性の欠如、主体性の弱さにある以上、新規艦隊の司令官とするのは不適といわざるを得ない。むしろ補佐官、第二人者としての得難い資質を生かすことが、本人にとっても同盟軍宇宙艦隊にとっても望ましいものと思われる。

 4.……』

 ナオコは皆まで読まず最後のページを閉じた。
『両者の間に、恋愛感情もしくはそれに近いものがあることは疑い得ない』
 そんなことは大きなお世話だと思う。思うのだが、組織のトップに近くなればプライベートな時間と空間は著しく制約されてしまう。
『しかし、別の精神的な要素……例えば恐怖のようなもので、その行動と心理が縛られている印象を受ける』
 やけに印象深いその一文。はじめてアスカと会話を交わしたとき、その聡明さと意志の力にいささかの危惧を覚えた。その才能がいつか、彼女の足をすくうのではないか、と。この報告書の記述に誤りがないとすれば、自分の感じた『脆さ』が説明できる。説明ができるから、納得ができるから事実とは限らない。
 公人の立場からしても無視できる問題ではない。もし仮に、戦闘の前、最悪戦闘中にその『脆さ』がでてしまったら……かと言って第一三艦隊の高い戦闘能力を無視して作戦を立案することは事実上不可能に近い。
 考えに沈む新任の宇宙艦隊司令官。
 不意に、インターホンが鳴る。続いて彼女の副官が、前任の統合作戦本部長の到来を告げた。


 




 

 惑星ハイネセンにも地域によっては四季もあるし高度もある。ここは北半球、季節は冬。
 冷たい吹き下ろしの風の中、宇宙艦隊正式採用のコートを羽織った青年が路傍の岩に腰掛け俯いている。足下に大きめのスポーツバッグを置き、時折ため息もついている。上空には遠く輝く恒星の姿。一番近いはずのそれは西の空をわずかに白く染めるのみ。『自然』と親しむための施設に外灯などあるわけもなく、天然衛星をもたないこの惑星では夜の闇は驚くほど濃い。
 確かに、遅参したのは失敗だった。それでも同情の余地はある。整備部隊の司令官が三時間も遅刻してくることまで予想できるわけがない。さらに、艦隊の今後に対する情報収集も行っていた。
 それはまだいい。その後、とる物も取りあえず駆けつけたシンジにあの仕打ち。普通なら怒るのだろうが、彼はちょっと違った。
 身長一九〇センチを越える大男が、ふてくされてすねている。けっして見栄えのいい物ではない。むしろ異様と言うべきなのだろうが、シンジの持つ雰囲気からか納得できてしまう。
「相変わらずウジウジしてんだから。だからアンタは『成長がない』って言われんのよ」
「そんなこと言ってるのは、アスカだけじゃないか」
 聞き慣れた声にとっさに反応してしまった。見上げれば、見慣れた幼なじみが一人。風に翻弄されるやや赤みがかった髪を、申しわけ程度に押さえているため半ば諦めているようにも見える。反対の手は腰に当てられている。いつものポーズだ。口許には、いじめっ子の笑み。まぁ、アスカが虐めるというかちょっかいを出すのはシンジとレイぐらいのものだが。
「意外と元気そうじゃない。
 ふーん、まぁいいわ。遅刻は許したげるから早く中に入んなさい。理由はあとできっちり聞かせてもらうわよ。まったく、アンタが風邪ひくと後が大変なんだから」
 釈然としないものはあるが、とりあえずお許しが出たようなのでついて行く。ここでヘソを曲げられたら文句なし野宿だろう。シンジにとって、山荘内でのアスカの態度なんか想像の外。いつもの勢いならそのくらいはやりかねない。
 アスカにしたところで、いつものペースでシンジを連れ戻せた事に内心安堵していた。いや、むしろ過剰気味だったかもしれない。
 不意に頬を打つ風が弱くなった。髪は相変わらずなびいている。理由は分かっている。そういうヤツなんだ。この幼なじみは。いつからだろうか、シンジを見上げるようになったのは。確か、ジュニアハイまでは自分の方が高かったはずだ。一〇年の時の流れを感じると言っては大げさだが、レイの成長を見るよりもなにか訴えかけるものがあるのは確かだ。風上に立つシンジは、その視線に気がつかない。


 




 

「確かに、彼女の実力……才能は申し分ありません。能力的には問題ないでしょうが、なにぶん若すぎます」
「だがな、アカギ君。総参謀長とか幕僚総監などいう肩書きをくれてやって、ハイネセンの地下にしまい込むこともなかろう。第一、あれはよろこばんよ。ある程度の指揮権の優位性を認めてやれば、勝手に一番良い方法を考えて動きよるわ」
「しかしそれでは……」
 やや困惑気味に答えるナオコ。
「別に困らせようとしているわけではない。私個人としては、孫には後方に下がってもらいたいぐらいだ。自分の最前線勤務の方が数倍気が楽だからな。
 しかし、だ。派閥次元の理論で要塞司令の職が決まれば……こう言っては何だが、同盟は滅ぶ」
「……」
 それはナオコにも分かっている。だからこそ反論ができない。
「私はもう世に出るつもりはない。これが最後だ。
 君たちがより良き判断をすることを願っとるよ」
 現在は『相談役』という何の権限もない閑職そのものに追いやられ、近々退役するであろう老元帥の言葉だが一考の価値はある。普通、血縁ということならば遠慮もありこうも堂々と推挙など出来ようはずもないのだが、彼は胸を張ってそれをやってのけた。
 公私を混同しているわけではない。そういった点ではこの老人は融通が利かない。子飼いの部下であろうと、身内であろうと罰すべき時には罰するし、意見が対立しようが反抗されていようが、賞すべき時には賞してきた。その実績があればこそ恣意的なものとして退けられないだけの力を持つ。
「前向きに検討しましょう。あの『秀才君』を納得させるのは骨ですけども、ね」
 自分と同じく新任の統合作戦本部長、グブルスリー大将を『秀才君』呼ばわり……確かに、軍歴、戦績どちらを採ってもナオコの方が上ではある。
 士官学校を首席で卒業後、出世街道の王道を通り軍制服組のトップにまで上りつめた男も、百戦錬磨のナオコにかかってはただのボンボンと言ったところか。
 確かに知力には優れ、それなりの能力はあるようだが柔軟性に欠け予定にこだわる所がナオコにしてみれば危なっかしくてしようがない。実戦レベルで無能であればかわいげもあるが、それなりの戦果は挙げている。しかも、『士官学校主席卒業』の看板のせいかやけに頑固なところがあり、扱いづらいことこの上ない。
 司令官としての資質は備えているが、自分の手を汚すのを厭うようであれば遠慮なく追い落とす腹づもりではある。
「そうか、すまんな。
 あとは、ゲンドウに伝えて欲しいのだが……」
「何でしょう?」
「やりすぎるな、とだけな」
「やりすぎるな……ですか?」
 ゲンドウ・イカリ大将は現在のところ、軍内部に有していた潜在的な力を失い、且つ後ろ盾でもあったツェッペリン元帥もその力を失った。彼女の知るゲンドウであれば絶対に今は動かない。傀儡議長を演じきったキールはそれほど甘い相手ではない。完全に国権を掌握し、市民の支持も得た今となっては軍内部といえどその影響力はバカにならない。しかも、今この時に何かを仕掛けるだけの理由がないではないか。仕掛けてはならない材料は山ほどあるが……
 不審をたたえながらも、ナオコが承諾の返答を返すと老元帥は立ち上がった。
「うむ。
 では、老兵は去るとしようか。忙しいところ邪魔をしたな」
「いえ、私の方こそ良い話を聞かせていただきました」
「そう言ってもらえると嬉しいものだな」
「元帥でしたらこの扉はいつでも開いてますよ。いつでもいらして下さい」
 軽く微笑んでみせる。社交辞令ではなく、心からの……
「それでは失礼する」
「長い間、お役目お疲れさまでした」
 ナオコの最敬礼に答礼を返し、前統合作戦本部長は退出していった。その背中がいつもより小さく見えたのは錯覚だったのだろうか?


 




 

『帝国首都惑星オーディンより。
 皇帝死亡。権力闘争激化。内戦の公算大』

 デスクに張り付けられたメモに目を通すと即座に焼き捨てた。この部屋のあるブロックの防諜体制は、万全たるを密かに自負している。だが、だからといって油断して良いというものではない。この部屋の主、統合作戦本部次長はそういう男だ。最も新任でありながら、二人いる同僚よりも階級が上であることから非公式にではあるが『首席』の肩書きを与えられている。それを誇ることはないが、その排他的な性格からどのような行動をとっても敵を作ることが多い。それでも、大将の階級までこれたのはそれを補ってありあまる才能のためか。
 今のところ、表だっては何もしなくてよい。本当に何もしないわけではなく、届けられた情報も後から役に立たせるために手は打つ。彼の役職では知ることの出来ない……知っていてはならないから隠すだけのこと。まだ以前の諜報組織の支配者であり、隠然たる力が失せてはいないことを表沙汰にするわけにはゆかない。
「アイダは居るか?」
『はっ、別室に待機されています』
「仕事だ」
『了解しました!』
 隣室の副官の打てば響くような返答に多少の満足を覚え、革張りのシートに腰を落ち着けデスクに両肘を置く。手はそのまま顔の前で組まれ、口元を覆い隠す。ただの癖ではあったが、その目を隠すサングラスと相まって心の動きを外部から隠し通すのにことのほか役に立っている。
 デスクの端に仕掛けられた3Dディスプレイに[SOUND ONLY]の文字が刻まれたモノリスが浮き上がる。
『〇一〇五五二四アイダです』
「仕事だ。軍内部の“タカ派”連中の監視を強化しろ。ネルフ連隊と第一三艦隊にもこの情報をリークしておけ。秘匿ランクはAAだ」
『了解しました』
 モノリスの消滅とともに部屋の明かりも落とす。長年の酷使のせいか、すっかり光に対して弱くなってしなった目を休めるために。サングラスが手放せないほど悪くなれば、たいていの人間は義眼に換えてしまう。視神経さえ無事ならば代替の生体部品はに事欠かない。戦争により飛躍的に発達した分野の一つであり、これがまた自前のものよりも性能が良い。それなのに、彼は頑なに自前のものを使い続ける。
 今打てる手は打った。後は息子たちの才覚を当てにしても良いだろう。
 数ヶ月後、彼の諜報組織も万全ではないことを思い知ることとなる。多量の血と狂乱、そして幾ばくかの悔悟の念と共に。


 




 

 季節外れの嵐が迫っている。『進路をはずれる予定だった発達した低気圧が見事に直撃した』と、気象予報担当のニュースキャスターが言っていたのは覚えている。最後に『気をつけて』とも言っていたが、何にどう気をつければよいのかさっぱり分からない。風も先ほどから強くなってきているようだ。
 こうなってくると、先ほど叩き出した保護者のことが気になる。また、変な意地を張っていなければよいのだが。
 食料庫に入ったときよりも風が強くなっているようだし……まだ晴れているようだから心配するほどではないのだろう。それでも、先のアスカの様子からすれば……尋常ではなかった事だし。全く、子供とかわらな……子供?
「ただいま。まったく、何でこんなに風が強いのよ、もう。えーっと、シンジ、こっちこっち。
 留守番させちゃってごめんね、レイ」
 噂の保護者の帰還に思考を中断する。一つだけ心の奥底に引っかかった。『アスカの心のある一点は成長を拒んでいるのではないか』と。それほど具体的な物ではないにしろ、カンよりもはっきりしているやや漠然とした考え。
 それはシンジにも言えること。レイはまだ気がついていないようだが。
 

 乱れた髪を、何とか手櫛で大雑把に整えレイのいるダイニングへ入ってくる。先ほど、ここを出ていった時に比べ格段の明るさだ。はしゃいでいると言ってもいい。その主たる原因が、彼女の背後に立つ長身の青年であることは言うまでもない。
「お帰りなさい、早かったんじゃないですか?」
「天気が怪しかったからよ」
 レイがからかうと、すぐにむくれる。賞賛すべき事に、若くして高位を得た人物によく見られる傲慢さとアスカは無縁だ。それとはいえ、子供っぽさが抜けないのと妙に攻撃的なのを良しとするわけではないが……そこも彼女の魅力の一つなのだから誰も指摘はしない……できないと言った方がより正確か。
 取りあえず、入り口でがんばっているアスカを脇に退けシンジも入ってきた。押しのけるのではなく、本当に無理なく「退けた」という印象しか与えないあたり、シンジの見かけによらない腕力の一端を伺い知ることができるだろう。
「遅くなって悪かったね、レイ」
「んー、じゃあ明日から食事当番をお願いしますね」
 アスカの薫陶よろしくしっかりしている。不機嫌なアスカのそばに一日居たのだから、このくらいは当然なのかもしれない。何もペナルティーを与えないと、シンジが不安がるというのも一つの理由だ。
「あれ、今日の分は?」
「下ごしらえはもう済んでいます。あまり手の込んだ物は作れなかったんですけどね」
 シンジに声をかけるまでそれだけの時間迷っていたらしい。「道に」ではなく、行動に起こすかどうか。戦場での姿からは考えられない事だが、そんなモノ見たこともないレイにとっては、歯がゆいばかりでおもしろくも何ともない。ある意味、等身大のアスカを見ているといえよう。
 食事の方は仕上げてきますね、シンジさんはお風呂でも入って暖まってきてください。とか言ってレイの姿が消えると、アスカがシンジの寝室へと案内する。二つある寝室の狭いほうだが、一人で使うとあれば結構な広さだ。
 大きめのシングルベッドにナイトテーブル。クローゼットも一応ついている。隅には二人分の応接セットまでついている。こうして並べ立てるとなかなかに豪勢な部屋のようだが実際は一つひとつがこじんまりしているため、見た目はそれほどでもない。ありふれた合成素材の大量生産品だ。もっとも、シンジはそういった物にこだわりをあまり持っていないため、感嘆もしなければ落胆もしない。
 取りあえず、自分の荷物をベッドの脇に放り出す。
「こんどさ、ぼくたちの任地……イゼルローンらしいんだ」
「そう」
 半ば予想はできていた。問題は『レイをどうするか?』だ。あの娘のことだ、ついてくると言うに決まっている。だからといって離れたいかと問われれば、それは「違う」と断言できる。
「レイに決めさせるわ。あの娘のことだから」
 正論だ。だが、アスカ本人にとっては都合良く逃げているようにしか思えなかった。未だ、レイの軍人志望に答えを出してはいないのだから……
「シンジ……アタシって勝手な女なのかなぁ」
 他人の子供には人殺しを指示しても、レイだけはその手を血で汚さないで居て欲しい。その思いは許されないのか? シンジが……誰が許したとしても、アスカ・ラングレーが許さない。
 もし、レイが「軍人になりたくない」と言ったなら、前にミサトに語った夢も現実になったかもしれない。それはあくまで『もし』……虚構でしかない。
 現実にある全ての事象は互いにリンクしあい、一つの事実をアスカに突きつけている。
 目を背けるのは、そろそろ限界なのかもしれない。自分の心と向き合わねば。
「アスカ……たぶん、それは……勝手じゃないよ。それは……たぶん……ボクだってそう思うときがあるんだからさ。普通なんじゃないかな……それってさ。ボクはそう思うよ」
「うん」
 今だけは、その言葉に甘えたい。


 




 
『はい、ホラギですが』

 ヒカリより多少若い女の子が出てきた。その時点で心拍数が跳ね上がる。
「第一三艦隊第三分艦隊のスズハラと申しますが、ヒ、ヒカリさんはご在宅でしょうか?」
 謹厳な軍人の顔を作り、それだけをやっとの思いで体外へ追い出す。
『姉ですね?少々お待ちいただけますか?』
「は、はいっ」
(逃げたらあかん、逃げたらあかん、逃げたらあかん、逃げたらあかん、逃げたらあかん……)
 目の前のチケットなんかどうでもいい。今はひたすら怖かった。このまま回線を切って逃げ出したいぐらいだ。前に、陸戦部隊とやった喧嘩の時よりも緊張しているのが自分でも分かる。人間、得意分野から外れるとこうも弱いらしい。カジと並べてみれば、良い見本となるだろう。
 とにかく、首から下は力みかえって人には見せられない姿であることには変わりない。
『はい、ヒカリですけど……えっ、スズハラ……准将。やだ、あの娘ったら、ごめんね、ノゾミが変なこと言わなかった?』
 何だか気後れしてしまい、口を挟めなかったため首を縦に振る。こういう時、ヴィジホンは便利だと思う。
『で、どうしたの?何か問題でも?』
 一瞬にして『ホラギ大尉』の表情に代わる。
「いや、仕事の話やないんや。その、明日やけど、時間あったらでええから……え、映画でもどうかとおもてな」
『え?ええええぇぇぇぇぇぇぇ』
 学生のノリの直球勝負。これはある意味搦め手かもしれない。相手にもよるだろうが。
「やっぱりあかんか。邪魔したな。ほな、邪魔し……」
『ちょっとまって!』
 目に見えて落胆したトウジを引き留める。
『ちょっとびっくりしただけだから』
 まさかトウジからこのような形でアプローチがあるとは夢にも思わなかった。
『で、何処で何時に待ち合わせ?』
 それは、疑いようのない承諾の答え。


 




 

 数日後。

「レイちゃんはどうするの?」
「連れて行くわ。軍属の兵士の人事権は現地司令官にあるんだから。せいぜい利用させてもらうわよ。本人も喜んでるし」
「ふーん。アスカとか、イカリくんみたいな軍人が側にいれば憧れるのも無理ないかぁ」
 第一三艦隊、通称『アスカ艦隊』旗艦エクセリオン内士官食堂。司令官とその副官が参謀長の目を盗んでさぼっている。値段なりの味の紅茶と持ち込みの菓子類が半分方なくなっている。ヒカリの方は、時折簡易端末を操作して物資搬入等の進捗状況を確認しているが、アスカは何もしちゃいない。確かにこの段階でアスカがしなければならないことはない。せいぜい書類に承認のサインをするぐらいだが、急ぎの物はヒカリの下へ電子決済方式で送られてくるためここにいる限り問題にはならないはず。
 こうなってくると、紙の書類は管理職に対する嫌がらせに思えてくる。事実、数年前にはいやな上司に対して綿密に過ぎる報告書を提出したり、どうでも良いことに対して大量に許可申請を出したりして虐めたものだ。
 結局、軍上層部としても帝国との最前線を他の提督に任せるだけの決断がつかず、実績において並ぶ者のない第一三艦隊に幾ばくかの増強を施し要塞へと送り込むことにした。結成以来約八ヶ月で市民からの絶大なる信頼を勝ち得、数度の実戦をくぐり抜けた現在においては確かに『最強』の艦隊であることには間違いない。
 その『最強』の艦隊を統御する司令官に、同盟政府は最高の配慮をしたと言えるだろう。 自由惑星同盟軍大将、イゼルローン要塞司令官兼駐留艦隊司令官、宇宙艦隊幕僚会議議員、さらなる肩書きと幾つかの勲章。そうそう、僻みと愚痴と嫌みももれなくついてきた。
 シンジたちも一階級上がり、一艦隊の司令部としては過分だが要塞の司令部としてはやや物足りない階級構成になっている。
「そう言えばさぁ、ヒカリぃ」
「ん?なになに?」

「スズハラ提督との“でぇと”はどうだった」
 一瞬にして全身が真っ赤に染まる。と言っても、見えているのは首から上と手首から先だけだが。
「ア、アスカ。その話どこから聞いたの?」
 態度と、その問いが全てを肯定している。
「ノゾミちゃんが、『家の姉さんにもやっと春が来た』って喜んでたわよ」
 話の出所も判明。帰ってから制裁をきっちり行うとして、とりあえず反撃して話を逸らさねば!
 そう復讐に燃えるのもいいが、自らの背後に迫る影には全く気がついていない。
「そっ、そう言うアスカだってイカリ提督と旅行に行ったじゃない」
「あっ、あれは、家族旅行よ! レイも一緒だったし」
「ふーん。で、いつ籍を入れたの?」
「な゛、何て事言うのよミサト」
 当然のように会話に乱入してきたミサトが、ヒカリと同じように赤くなったアスカを適当にあしらいながら、空いている席を確保する。
「だって、“家族”なんでしょ」
「言葉のアヤってもんでしょ!」
「ふむ。まぁ、そう言うことにしておきましょ。ね、ホラギ少佐」
 二人の挨拶代わりの口げんかに紛れ、逃亡を企てたヒカリの肩をしっかりと掴んだミサト。さらに、軍服の裾は親友に押さえられている。
「主役が欠けたんじゃねぇ」
 この二人、仲が悪いようでもこういったときの連携は他の追随を許さない。
「んじゃ手始めに……愛しのスズハラ君のどこが良かったのかなぁ」
 手始めどころかいきなり確信を突く二児の母。もう、好奇心の暴走は止まりそうもない。
 問われた方も満更ではないようで、数瞬の間を置いて語り出す。
「優しいところ……かな?」
 
 三時間後……完全に当てられ精神汚染寸前まで逝った原因たちが、マヤとシンジに救出されるまでヒカリの惚気は続いたという……合掌。

 




 
 一二月末日。イゼルローン駐留艦隊は、首都星系バーラトを離れた。

 同日、エクセリオン艦内司令官私室。
「誘惑を感じるわね」
 聞きとがめたのはシンジとレイ。
 彼女の手にある物は、皇帝フリードリヒ四世亡き後の帝国の混乱ぶりを示している。
 その帰途に於いて皇帝の死を知ったラインハルトは、後継者が決まっていないことを利用する事にした。最も力の弱い皇族、嫡孫エルウィン・ヨーゼフを帝国宰相リヒテンラーデ侯爵と共に擁立したのだ。先帝の死去した皇太子の遺児であるが、若年故に皇太孫にはたてられていない上に固有の武力を持っていない。ラインハルトの配下にある帝国軍全軍の半数は、そのまま彼個人の政治的な力となった。
 侯爵から公爵へと爵位を進めた摂政リヒテンラーデと、そのリヒテンラーデによって伯爵から侯爵へと爵位を進めたラインハルトの枢軸は利己的な物であるにもかかわらず、意外と強固であった。
 新体制に対して最も打撃を受けたのは、先帝の娘婿であるブラウンシュヴァイク公爵とリッテンハイム侯爵だった。己の娘を帝位につけることで摂政として国勢を専断することを既定のものと考えていたが、思いも寄らぬ強力な第三勢力の出現により国政の中心から疎外された彼らの怒りは尋常ではなかった。彼らを中心とする門閥貴族たちは私憤を公憤にすり替え、新体制の転覆を望んだ。
 一度定まった体制を覆す以上、平和的な手段であるはずがない。
 その時自分はどうするか?
 劣勢な方に策を授け徹底的に戦わせ、双方疲弊し切ったところを自ら止めをさすか?
 いや、ブラウンシュヴァイク公に手を貸し、ローエングラム侯ラインハルトを葬ったところで、矛を返しブラウンシュヴァイクを撃つ。恐らく自分になら、自分たちにならできる。
「人間、勝ちにこだわればいくらでも汚くなれるんだなぁ、ってこと。あんまり自慢できることじゃないわよ」
 二人の問いかけの視線に気がつき、それだけを答える。
「あっ、あのさ、アスカ……」
「なに?」
「考えすぎだと思うよ」
「……そうね」
 そうだと良いんだけど……
 最後の言葉だけは胸の内にしまい込む。これ以上空気が重くなってはやってられない。

「それはそううとして、レイ。ミサトに稽古を付けて貰うそうじゃない」
 シンジの顔色が変わる。それも分からないではない。
「さっ、最初はさぁレイ。ヒュウガさんとかに習った方がいいんじゃないかな?」
「いくらミサトでも女の子相手にそんなに無茶やんないわよ」
「でも“あの”ミサトさんだよ」
 なおも食い下がるシンジ。説得力がありすぎるのが問題と言えば問題か。
 アスカの方は、こうもレイのことを気に掛けるシンジが気に入らない。
「もう、しつこいわねぇ。で、なんでミサトなわけ?他にもっと適当な人間が居ると思うけど」
 強引に話の矛先を変える。
「んー、できるところからやってみようってぐらいかなぁ」
 言えない。ただ、シンジがミサトの弟子だったからなんて。特にアスカには言えない。
 ミサトには聞き出されてしまったけど。
 あの「悪魔のような」というか、悪魔そのものの笑みは一生忘れられないような気がする。
「ふーん。そっ。まぁ、フライングボールの得点女王の運動神経だもんね。シンジよりモノになるんじゃない?」
 いじめっ子モード全開でシンジの心の古傷をつつく。
 フライングボールとは、0.1Gに保たれた球形の空間を使用して行うバスケットボールのような競技だ。空間に対するセンスと、三半規管の強靱さが要求される。シンジが挑戦した時には、何かの拍子に複雑な回転をはじめてしまい吐瀉物をまき散らしそうになった。危険なところでコートから連れ出されたため、その後のことは客席から駆けつけたアスカしか知らない。まことにシンジらしいエピソードであることは間違いない。
 もっとも、そんなことがあったなんてレイには内緒だが。
「それはそれとして、怪我だけは気をつけなさいよ。軍人になるんだからって言っても訓練で怪我したんじゃ誰も褒めてくれないんだから」
 アスカらしく突き放した言い方だが、本心が何処にあるかぐらい分からないつき合いではない。
 心はちゃんと受け取った。


 




 

「新型って言ってもねぇ。交換部品が無いとか言われたくないしね。だいたい実験生産機を実戦投入するのが
間違っていると思わない?ねぇ、マユミ」
 頭に来るほど分厚いマニュアルを机に放り出しながらエースが愚痴っている。『打撃戦艦』だとか、『人格移植OS』とかいかがわしい臭いがぷんぷんするモノが実戦投入されている。そこまで追いつめられていると言うことだから、帝国も似たようなものと思いたい。
 マナとてまさか、自分たちが直接関わるところへ影響があるとは思わなかった。
 国家財政の困窮により、技術開発の各部署はある程度開発品目を絞らざるを得なくなった。しかし、市民の血税を使い開発を続けていた物をただ廃棄したのではまた非難されてしまう。そこで、よく目立つアスカ艦隊に単独で利用可能な物を押しつけ……ではなく、供与することとなった。見返りは、その実戦データの提出。
 例えば、『人格移植OS』は無人艦の実験用であり、単座式戦闘挺『ロンギヌス』はその子機となるはずだった。艦体はもちろん『エヴァンゲリオン級』の予定だった。それを、イゼルローンの維持管理に用いようと言うわけだ。
 その『エヴァンゲリオン級』にしたところでブラックボックスが多すぎ、専門の技術者が正規の工兵とは別枠で乗り組んでいる。かといって、彼らも全容を把握しているわけではない。
 問題なのは、そのテの怪しげな物に自分の命を預けなければならない。
「信頼性はデータが足りないからともかくとして、基本スペックは悪くないですね。文句は乗ってみてから言いましょう」
「アンタってかわいげがないわねぇ。そういうこと言っちゃうと『特別企画!第二三回この勢いでみんなして飲んで騒いで愚痴っちゃおう』が成立しなくなるでしょ」
 それを大きな声で言うか?
「成立しなくて結構です。明日から機種転換訓練があるんですから」
「そう、がんばってね」
「何言ってるんです。マナもですよ」
「へ?」
「名指しで指名されていましたから。六二ページに」
 仕様が記載されている章の最後のページを開いてみせる。パイロットたちには知られた名前が並ぶ中、イゼルローン駐留艦隊の両エースの名もしっかりと印字されている。
「あいたぁ。ったく、相談ぐらいしてよね。もう」
 その程度ですむことではないのだろうが、半ば予想ができていたのかいつものように気勢を上げない。言うほど不満ではないのか?それとも考えがあるのか?
 その目は……何も考えていないようにしか見えないのだが……


 



 

「アスカ、後は頼むぞ」

 闇の中、老人は呟くことしかできなかった。

 


 
第四話 前編へ続く

99/07/24    改訂
99/12/18タグを修正
00/08/08修正

銀河英雄伝説は田中芳樹氏の著作物です
yoshiki tanaka (C)1982  徳間書店刊


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