銀河の英雄は
アタシに決まってんじゃない!」伝説
 
 
第四話(前編)
 
     

宇宙歴七九七年 三月
片山 京



 
T

 

 三月、アスカが捕虜返還式典より帰還し、ようやくにしてイゼルローンにも平穏が訪れたかに見える。二月の半ばにはカジ少将がイゼルローン要塞事務監として着任し、帝国製コンピュータに取って代わった『MAGI SYSTEM』も本格稼働をはじめた。
 三つのハードウェアがそれぞれ『戦略』、『戦術』、『民政』を担当し、合議制でイゼルローン自体の維持管理の他、戦略、戦術の予測までやってくれる。ただし、それは、一般的に可能性の高いだけの非効率的な何のひねりもない物でしかない。最終的には人間が手を加え、判断を行わねばならない。いささか便利になったとはいえ、なかなか楽はできないようだ。
 
 帰還したアスカは、本国より持ち帰った一通の書状を留守番のシンジに手渡した。それを知るのはレイのみ。同時に口にした言葉を聞いたのもこの二人だけ。
「クーデター?」
 訝しげに聞き返すシンジを前に、ゆっくりとうなずいてみせる。
「誰が踊らされるか知らないけど、金髪の坊やが仕掛けて来るんじゃない?アカギ総司令が手を打って下さるそうだから心配ないと思うけど」
 口調は無責任この上ないが、氷蒼色(アイスブルー)の瞳は冗談ではすまされない色を帯びている。
「でも、何だってそんな……」
 しかたがないと言いたげにため息をつく。
「にっぶいわねぇ。まぁいいわ、アンタにも分かるように教えてあげるわよ」
 一つ。帝国が内乱状態になる間、同盟に手を出させたくない。
 二つ。武力闘争になる以上、ローエングラム候に同盟に対して割ける戦力はない。
 三つ。先二つの事情がある為、同盟に対しては謀略をもってあたるべし。
「今の同盟の安定しきっていない状態を見れば、生真面目な誰かさんを煽ってこちら側も内乱に陥れる方が安心でしょうね」
「で、でも……そんなに面倒なことをしても成功するとは思えないんだけど……」
「別に成功しなくても良いのよ。一見成功しそうなプランを考えるだけなんから。当人にとってはそれほど手間のかかる事じゃないわ」
 ようやく腑に落ちたのか、盛んにうなずくシンジ。二呼吸分ほどでその動きが止まり、顔を上げる。
「帝国が同盟に火事を起こそうとしているのは分かったけど、火種はどこからもって来るんだろう?ねえ、アスカ?」
 思ったことをそのまま言葉にする。ラインハルトが何を考えたにしても、それを伝える者がいなくてはならない。
「知らないわよ。捕虜の中にでも混じってたんじゃぁ……うん、ありえるわ。そのための捕虜返還かぁ……タイミングからして食わせるどころじゃなくなったからだとばかり思っていたけど……とんだ食わせ物ね、あのガキ」
「はい、お茶が入りました。
 でもアスカさん、ローエングラム候の方がこのタイミングを利用したんじゃないですか?そういう事をするために捕虜返還を企画したんじゃなくて……その、よく分かんないんですけど今の話を聞いてちらっと思ったものですから……」
 頭を抱えていたアスカと、その読みについてゆけずただそんなアスカを眺めていたシンジが同時にレイの方へと顔を向ける。
 アスカ達の妹分たる蒼髪紅眼の少女の聡明さは、分かっていたつもりだが本当につもりでしかなかったのか?主と従の逆転した発想。意外と簡単そうだが、ラインハルトを意識せざるを得ない同盟の高級軍人。敵を甘く見てはならないという戒めからかなかなかできない見方だ。実のところ、二人ともその可能性には気がついていたのだが、さすがに言うをはばかられていた。
「どうしました?」
 その沈黙に耐えられなくなったレイが、おずおずと尋ねる。アスカの側で働くようになり、そのすごさが身にしみて分かってきたところ。見当違いのことを言ってしまったのではないかと不安になる。
「え?……そ、そうね。それも考えられるわね。ねえ、シンジ」
 同意を求められ、しきりにうなずくシンジ。そのとってつけたような態度にレイの表情が曇る。それを見て取ったシンジがゆっくりと問いかける。
「レイは自分の思ったことを言ったんだよね?」
 疑問の形を取ってはいるが、それは確認。シンジのもう一つの答え。
「はい」
「じゃぁ、いいんじゃないの。誰の考えが合っているかなんてわっかんなんだから。自分を信じて、自分の判断を信じりゃいいのよ」
「そういうものですか」
「そういうものなのよ」
 やけに自信に満ちた答えに、多少の困惑を覚える。一面の見方ではアスカも正しいのだろう。それは分かる。納得もできる。それをよしとしない何かがあるのも事実。
「急ぐことはないんじゃないかな?
 ゆっくり、自分の考え方を見つければさ」
 
 
「やはり、アスカ・ラングレーを同志に引き込んだ方がよいのではないでしょうか?そうすれば我々は、イゼルローンとハイネセンの二カ所から全土を押さえることができます」
「ふっ、その必要は認められん。この私の力をもってすれば、ヤツなど恐れるに足りん」
「感情に走るべきではないな。しかし、才能は多い程良い。少なくとも敵に回すは愚かだな。
 実力もあるが、あの人気は新秩序施行後を考えるとやっかいだ」
 誰かがヒゲ男の、根拠と意味双方がどこにあるのか不明の言を正論で押さえ込んだ。その自信の由来も不明なところが救われない。何故このような男がここにいるのか理解に苦しむ。
 実りのない議論を断ち切るように老人が口を開いた。
「そうは言っても時間がない」
 四月三日には惑星ネプティスで最初の武力蜂起(ほうき)がある。ハイネセンからの距離は一八八〇光年。第四辺境星区の中心地であり、宇宙港と物資集積センター、恒星間通信基地もある。同様の地理的条件を持つ惑星にて順次武力蜂起を行ってゆく。
 四月五日には惑星カッファにて、四月八日には惑星パルメレント。四月一〇日には惑星シャンプールにて。
 男たちの眼前には、バーラト星系を中心に半径二〇〇〇光年の球が描き出されている。都合四っつの輝点は先ほど挙げた惑星がそれぞれ属する星系だ。
「それでも手は打つべきだろう。誰か気の利いた者をイゼルローンに向かわせればよい。こちらに付くならよし、あくまで旧政府に忠誠を尽くすつもりなら消えてもらう。最悪でも時間稼ぎになればよい」
 座長格の老人の言に一同は押し黙る。彼の人格と能力にそれだけの価値があるということだ。
「彼女はそれでよいとして、ゲンドウはどうする」
「どうもせん。なれぬ表舞台で道化を演じるのが関の山よ」
「どうせならば、こちらにかまっておれんようにすればよいではないか」
「殺すのはできるだけさけたい。ヤツの諜報網の全貌が知りたい。息子にでも継承されれば厄介だからな」
「ならば、もう少しスマートに行こうではないか」
「考えがあるなら貴官にまかせよう。事は慎重に運ぶように」
「はっ」
「諸君、分かっているとは思うがもう一度だけ言っておく。この戦いは同盟を救うための聖戦だ。現在の衆愚化(しゅうぐか)した体制を浄化するためのな。
 私はその理想の下に、諸君らが良識ある行動をとることを求める。以上」
 
 
 イゼルローン要塞防衛司令官ミサト・カツラギ・カジ准将は、匿名の内通者に少々困惑していた。内通者というのは正確ではないかもしれない。『Nerv連隊諜報部』の網に掛かるように故意に情報を流した形跡があるというだけ。あるいは、ミサト自身が懸念するように考えすぎかもしれない。
 アスカに話をもってゆくにしては根拠が薄弱であり、リツコに話して大騒ぎされても困る。シンジとマヤぐらいが適当なのだろうが先の二人に近すぎるようで躊躇われる。
 この時点でミサトは、ソウリュウ/アカギ(母)の非公式会談を知らない。
「ヒュウガ君。この情報の信憑性(しんぴょうせい)は?」
「はっきりしたことは申し上げられませんが、かなり高いものと思われます。特に、一部という注意があるものの参加予想の人員に不自然なものはありません。このメンバーが全てではないでしょうし……」
 一五人以上の同盟軍士官の名が並ぶコピー用紙を、ミサトのデスクにそっと提示する。
「出所まではつかめなかったわけかぁ……うちより上手の同業者がいるなんてね。この宇宙も捨てたモンじゃないわね。
 ヒュウガ君使って悪いんだけど、シンジ君とマヤちゃんを呼んできてくれる?」
 ミサトの頼みとあらば、現Nerv連隊連隊長マコト・ヒュウガに「否」という返事はありえない。ミサトが将官に昇進し、一連隊の長ではいられなくなった為にトコロテン式にその後任に就いた。その割には、いまだにミサトに牛耳を執られているようだが。
 嬉々として働いているようだからこれでよいのだろう。事実、実戦部隊から諜報部隊まで多岐にわたる連隊は、ミサトの個性と個人的な人望でまとまっていると言っても良い。はっきり言ってしまえば、ヒュウガでは役が勝ちすぎている。
 ミサトの代理人として『連隊長』の肩書きを預かる人物としては申し分なかった。つまりはそう言うことだ。それでも、隊員を納得させるだけの実力は備えているが。
 一時間後。高級士官用サロンにはシンジ、ミサト、マヤの三人がそろっていた。帝国時代には、爵位をぶら下げた要塞司令といい年をした駐留艦隊司令が低レベルの罵(ののし)り合いを繰り広げた由緒ある部屋だ。
 防諜体制も万全である。味方とは限らない諜報組織の影がある以上やむを得ない。ミサトでさえその存在を半ば疑っているためここにアスカとリツコがいない。何よりも深刻なのは、そのテの専門家が要塞駐留部隊……とりわけ首脳陣には存在しない。アスカにしたところで、理論は分かってもそれを生かす技術がない。加えるなら、経験もない。
 テーブルの上には、それぞれのグラスと急ごしらえの報告書。左上をステンプラーで止められた数枚の紙は、いずれもその席に掛けた者の手にある。印字して間がない為、まだ暖かい。
「今読んで貰った件について相談したいわけ。アスカとか、リツコに話を持っていく前に、ね」
「でも、アスカはクーデターの件は予測していますよ。この名簿はともかく」
「シンジ君!それ本当?」
 思わず身を乗り出して問いただす。声はさほどでもないのだが、顔に「さあ、知っていることを洗いざらい話しなさい」と書いてある。
 もし仮に、アスカに独自の情報網があるのなら、それを利用して情報の出所を突き止められるかもしれない。もしかすると、アスカの諜報組織から流れてきた情報かもしれない。
「ええ、この間ハイネセンに行ってきたついでに……って言うか、アカギ総司令と相談するついでに式典に出たって言うか……とにかく、アカギ総司令にクーデターの可能性は伝えたらしいんですけど」
 と、前置きしてアスカの語った論拠(ろんきょ)を提示する。
「それも大事ですけど、この情報の流された意図を理解しないとまんまと踊らされることにもなりかねません。やはりここは司令と先輩にも判断を仰ぐべきでしょう」
 興奮気味のミサトをなだめるようにマヤが正論を述べる。
「マヤ。あなたの気持ちも分からなくもないわ。今なら疑惑ですむけど、これを公式の会議にでも出した日にゃもっと大事になるわよ。議事録は統合作戦本部に提出の義務があるしね。
 非公式の会談とか言っても、防諜体制完備の部屋なんていくつもないし、イゼルローンに内通者がいないとも限らないじゃない。だいたい、そんな部屋に幹部連中がぞろぞろ入っていったら誰だって怪しむわよ」
 イゼルローンの現在の人口は五〇〇万人。その内、軍人が二〇〇万人。その家族と、商店や娯楽施設を運用するための民間人――つまりは一般市民が三〇〇万人住んでいる。その商店には、カジがトウジとシンジを引き連れてゆく女性ばかりの店も当然含まれる。
 身元の確かな人物ばかりと言っても、完璧ではない。いや、クーデターを企む連中なら合法的に組織の中枢に息のかかったものを潜り込ませることが出来る。幹部の不穏な動きから気づかれ、今までは口だけだった人間たちを本当に決起させてしまうかもしれない。本来ならこの三人が集まるのも危険と思われるのだ。
 どうするにしろ、この二人に情報を与えておけば絶対にアスカとリツコに話は伝わるはず。都合の良いことにプライベートで行動をともにしても全く怪しまれない。
「内通者ですか?」
 マヤが、嫌悪の念を露わに呟く。
「言い方が悪かったわね。「同調者」とでも言い換える?どっちにしても、やっている連中は『救国の英雄的行動』とでも思っているんじゃないの?はた迷惑な正義感を振り回してね。
 今の体制を叩き壊して……叩き壊すか……ふーん。そういうのも面白いかもしれないわねぇ」
 物騒なことを言う。そうは思っても『ミサトさんだから』で済ませてしまい窘(なだ)めようともしない。比較的つき合いの浅いマヤであってもそうなのだから、その認識の根の深さも知れようと言うものだ。
「冗談はともかくとして、ボクはアスカに報告しますよ。ミサトさんのことだからそのくらいお見通しでしょうけど」
「シンちゃんも言うようになったじゃない。でも、盗聴には気をつけてね。どこにマイクがあるんだか分からないんだから。その資料だって早急に焼却処分をしてちょうだい」
 
 
 少々肌寒いものの穏やかな日差しに包まれたハイネセン。その住宅街区の外れにイカリ邸とソウリュウ邸は並んで建っている。特に人目を引くものではなく、ごく普通の一般住宅に過ぎない。およそ軍幹部や政府閣僚経験者が住んでいるようには見えない。
 その、イカリ邸の庭に小さなテーブルと二脚の椅子。
 テーブルの上にはその昔、ショートヘアーの女性の息子と、ややくすんだ紅い髪の女性の娘がプレゼントしてくれたティーセット。椅子には二人の女性。言うまでもなく、ユイ・イカリとキョウコ・ソウリュウ・ツェッペリンである。その人気が災いしてか、第二次キール政権発足後、完全に干されてしまい議員としての仕事しかない。それも、利益誘導型の選挙戦を行わない上に、重要な政策決定集団から外されてしまった彼女達にしてみれば大して時間をとるものではない。暇を持て余したユイは議員になるまでしていた弁護士の仕事を少しだけ始め、経済学界で一目置かれているキョウコは新たな著作を始めた。
「ひまねぇ」
「うん、ひまねぇ」
 およそ、支持者には聞かせられない台詞だ。四〇代半ばで子供たちが独立してしまい、さらにその妹的な立場であり、よく遊びに来ていたレイも子供達とともにイゼルローンへ行ってしまった。年齢のわりに時間が余っているのは否定できない。
「何だかきな臭いと思わない?キョウコ」
「帝国の話?フェザーンが元気みたいだから内乱にでもなるんじゃないの?」
「違うわよ、回廊のこっち側の話。うちの宿六も忙しいみたいだし」
「『Nerv』の諜報組織?ミサトちゃんに全部引き渡したんじゃないんだ」
「そっ、何をやりたいのか言わないくせに見え透いた行動をとるのよねぇ。あのひと」
「それが解るのはユイだけでしょ」
 苦笑するキョウコ。若い頃、学生時代だったか?今より影を色濃く感じさせるゲンドウに何の恐れもなく近づいたユイ。寡黙で、心の内を開かないのは今と同じ。ユイはその心の障壁の内にあっさりと入り込んでしまった。
 親友の物好きとしか言えないような行動に、キョウコとしては必死に引き留めたような覚えがある。そのゲンドウの悪友と、ユイに遅れること三ヶ月余りで式を挙げたのだから、今となっては人のことはあまり言えない。
 そんな二人が何の事もない世間話のように重大事を語る。無神経なのか何か考えがあるのか……アスカの人格形成に大きく関わった二人だけに油断は出来ない。
「で、回廊のあっち側の『Nerv』はどうしてるわけ?連絡ぐらいはあるんでしょ。ゲンドウさんの所にでも」
「さぁ。知らない。あっちは『SEELE』の本場もあることだし。組織として機能していたら十分なんじゃないかしら?」
「あなた、変なところでシビアねぇ。一応『SEELE』の企みが露見していないんだからそれなりに働いてるんじゃないの」
 それはそれで厳しい。双方ともいまだ見ぬ同胞をあてにしていないことは明白だ。
「そんなこと言っても、何も出来ないのよねぇ。今は」
 三月二九日。ハイネセンの風雲は、いまだ急を告げない。昨日までと同じ午後が繰り返される。
 




U

 

 自由惑星同盟に最初の一撃が加えられたのは、三月三〇日のことだった。アスカがイゼルローンに帰還した翌日であり、ミサトがシンジとマヤを集めたすぐ後にこの凶報が届いた。ナオコの内部捜査も不得意な分野であったことも手伝い、さほど進んではいない。すぐに名の知れるような小物を捕らえたとしても、トカゲの尻尾切りになるだけで本格的な叛乱を誘発しかねない。本当に叛乱を未然に防ぐつもりならその中枢を一気に押さえなければならないのだが、その糸口すら見つけることが出来ずにいた。
 奇禍に遭ったのはグブルスリー大将だ。
 統合作戦本部からの退庁時、一人の青年士官に呼び止められた。似合っていないヒゲを蓄えた怪しい男だったが、グブルスリーの態度から既知であるように見えたため護衛の兵士も別段止めなかった。この時点で護衛失格だが、統合作戦本部ビル内で凶行に及ぶとは考えづらいのも事実。
 軽い挨拶から始まった一連の会話は、ブラスターの光条によって終わりを告げた。幸い、照準もろくに合わさずに発せられた光線は、急所を捉えることができなかったためグブルスリーは、一命は取り留めた。激発した青年はすぐに取り押さえられたが全く暴れることもなく、放心したように虚空を見つめているだけだったという。
 
 
「全治三ヶ月?」
「現職に復帰するには半年ほどかかろうかと……」
 公人としてはそれだけの期間死んだも同然ということだ。いや、生きているだけに面倒になったという考え方もある。現職の人間が病床といえど生存している以上、代理の人間も思いきったことは出来ない。そうは言っても、グブルスリーのことだから大きな事をやったとも思えないが。いや、何でも一人でやってしまいそうなのがいるか。二人ほど。一人は数千光年の彼方にいるが、さて。
「で、背後関係は?捜査は進んでいるの?」
「ええ、どうやら単独犯……それも突発的なもののようです。全く計画性というものを見受けることが出来ません」
 大きな声では言えないことだが、自白剤も使用したのだが成果は全く得ることがなかった。
「事故?今この時期に?出来過ぎていると思わない?誰かにとって都合のいい偶然を素直に認めるほど人間が出来てないのよね」
「はぁ」
 ナオコとのつきあいの長い副官もこの言にはいかようにも反応しかねた。
 クーデター捜査チームにハッパをかけているようでもあり、ただ見通しの甘い自分に注意を促しているだけというのもありえる。どちらにしても、捜査チームにこの言葉が届くようにしておけば問題はないだろう。もしかしたら、何も考えずに言ってるだけかも知れないし。
「グブルスリーも災難だったわね。いくらか回復したらお見舞いにでも行ってあげましょうか。
 で、彼の代理人は誰?」
「それですが、なかなか面白いことになりそうですよ」
 目が当てて見ろと言っている。
「それって、キール議長の裏工作が裏目に出たって事?」
「いえ、そう言うわけではないのですが……でも、議長はかなりお困りのようです」
 珍しくナオコを困惑させることに成功した副官は年甲斐もなくはしゃいでいる。
 とりあえず有り得そうなことを片っ端からリストアップし、検討してみるが大して良い考えが浮かばない。
「降参するわ。教えてくれない?」
 ナオコがあっさりと諸手を挙げる。解らないものはいくら考えても解らない。
「キール議長からの親書です。貴女宛ての」
 
 結局、誰が一番の被害者だったのだろうか?直接の被害者は、当然グブルスリーである。
 望まない地位に就かされるゲンドウも、望まない人間を望まない地位に就けなければならないキールも被害者と言えば被害者だ。
 当初の予定としては、不向きな部署に移してしまいそのまま飼い殺しにするはずだった。その餌として『統合作戦本部次長』のポスト。殺すには惜しく、生かすには危険。キールにはうまく扱いきる自信があった。それが、今回の『事故』で脆くも崩れ去った。
 失敗だったのは、他二人の次長が中将だったことだろう。ゲンドウを差し置いて『代理』のポストをせしめるほどの才覚もない。就任して間もないことを差し引いても、ゲンドウを外す不自然さを軍部に認めさせるだけの政治力は、今のところキールにはない。
 苦肉の策として、宇宙艦隊司令長官との兼任をナオコに打診をしてみたがきっぱりと断られてしまった。
 一方のゲンドウにしても、人に言えない組織の運営を行っている以上そのような顕職に就くことは望ましくない。かといって、断れば反感や嫉視を受ける可能性や、余計に目立ってしまう事を覚悟せねばならない。これはこれでマイナス要素が多すぎる。
 双方憮然としながらも、職位を与え、受けるよりほか無かった。よりましな選択を行っただけという甚(はなは)だ消極的なものだったが。
 ナオコが断ったのも無理はない。民主共和政体の軍隊である以上、一人の人間が軍権の全てを掌握(しょうあく)するべきではない。アスカからの指摘を受けた後だけにテロの標的になるのを避けたかったという事情もある。また、学生の頃からよく知るゲンドウ・ロクブンギ・イカリに表舞台でその豪腕を振るって欲しいという願望もあった。
「貧乏籤(びんぼうくじ)しかないんだから誰から引いても一緒よ。問題はその籤を作った人間よ」
 という発言が宇宙艦隊司令長官がこの事態を評したものとして残っている。
 
 
「経緯は経緯として、まずは就任おめでとう」
「……」
 いつもの仏頂面のままうなずく。旧知であるナオコだから許されることだ。別に他に見ている人間がいるわけではないので別段気にするということはない。
「そう言うわけだから、まずはこれをお願いするわ。
 イゼルローンからの警告。ロクブンギ君の専門分野でしょう?やっぱり私じゃだめなのよこういうのは」
 記録媒体を一枚。執務机に置く。彼女の捜査チームが知り得た全ての情報だ。恐らくそれ以上を知るであろうゲンドウにとっては価値無き物だが、引き継いだという証拠が必要なのだ。
「アカギ先輩。その呼び方は何とかなりませんか。それに、今はイカリです」
 五〇を過ぎて一〇代の頃の呼び方をされたのではしまらない。いや、君づけはまだしもその口調が問題なのだが。
「細かいことを言わないの。で、諾?それとも否?」
「諾」
 押しに弱いのは遺伝するようだ。
 ゲンドウが渋面を作ったその時だった。
「失礼しますっ。ほっ、本部長代理殿。宇宙艦隊総司令官殿」
 ゲンドウの次席副官の青年が飛び込んできた。ゲンドウの周囲の人間が取り乱すなど並大抵のことではない。それに答える彼らがボスの言も普通ではない。
「全く騒がしい」
 叱責と言うより、不満の発露。ゲンドウには多分に子供じみたところがあるようだ。
「しかし……」
「謝罪はいい。用件を言え」
 このような調子だから彼の幕僚チームに胃を患う人間が絶えないのだろう。
 まだ若い――シンジと同じくらいの歳の――大尉は凶報を携えてきた。すなわち、惑星ネプティス駐留軍の叛乱であった。
 
 
 四月一一日。イゼルローン駐留艦隊に統合作戦本部より命令が下った。
 曰く、『四つの惑星全ての叛乱を可及的すみやかに鎮定せよ』
 オペレーター席まで含めるとフライングボールの競技場を越える広さを誇る中央作戦司令室、通称『発令所』。既に、イゼルローン駐留軍の幹部全員が緊急召集に応えて参集していた。
 メインスクリーンには、通信スクリーンから転送されたゲンドウが、いつものポーズで皆を見下ろしている。
 アスカとシンジがお互いの顔を無言で見合わせる。合図もなく同時に通信スクリーンに向き直る。その間終始無言。その仕草にどこか険悪なものを感じたか、直接顔を合わすには四週間の航海を経なければならない空間があるにも関わらず身じろぎをしてしまうゲンドウ。いつものポーズもこれでは決まらない。
「理由ぐらい聞かせていただけますよね、小父様」
「どうせ嫌がらせじゃないの?」
 毅然と言い返すアスカの裏で何事か呟く防衛司令官殿。
『本国の艦隊はあてにならん。第五艦隊を解体したのが悔やまれるな。どこのバカがやったんだか』
 もちろん全てを承知した上で言っているのだ。病床のグブルスリーが聞いたら憤死(ふんし)ものだが、状況が状況だけにそう評価されてもしかたがない。軍人と政治家は結果が全てなのだから。長期的に見れば、歴戦の将兵を核に新艦隊を結成するのは間違ってはいない。
「第一艦隊と第一一艦隊が残っているではありませんか」
 発言したシンジを一瞥(いちべつ)。
『信用できればな』
 無造作とも取れる口調で重く言い放つ。
『情けない話だが、貴官達を信じるしかない。そのかわりと言っては何だが、こちらは何とかしよう』
 それだけ情勢は逼迫(ひっぱく)していると言うことか。傲岸不遜で有名なゲンドウが、若手士官達に歩み寄りを見せている。
「了解いたしました。しかし、長期にわたって要塞が空になってしまいますが」
『かまわん。ローエングラム侯爵にそれほどの戦力はない。ブラウンシュヴァイク公爵に至っては思いつきもせん。問題ない。違うかな?ソウリュウ君』
 多少釈然としないものがあったがうなずいておく。その言は正しいのだが、ゲンドウの持つ雰囲気が首肯することを躊躇(ためら)わせるのだ。不徳の致すところと言わざるを得ないが、一部には強烈なカリスマを持っているというのだから人間解らない。
「了承いただけるのであれば異存はありません」
 やや投げやりな調子で答える。見透かされているようで気に入らない。満足そうに頷くゲンドウ。もう一度口を開きかけたその時。
「父さん、一体何考えてるのさ」
『……』
「一体何考えてるのさ。本国で何が起こっているかも知らせずに。その必要がないのだって解るよ。でも、無茶を言うからには現場にはちゃんとそれなりの事情を示すべきじゃないか!」
『言いたいことはそれだけか?』
「そうだよ」
 いつもの穏和なシンジからは想像もつかない眼差しでスクリーンのゲンドウを射抜く。
 癇に障った。
 父の不誠実な態度が。
 父の何でも知っているような様子が。
 父の見下した視線が。
 全てが気に入らなかった。
『貴官は何か』
 ゲンドウが急に大きな声を出した。
「イゼルローン要塞副司令官及び、同要塞駐留艦隊副司令官であります」
 サングラスの位置を軽く直す。口元に笑みらしきものが見える。
『そうか……今はそれでいい。その責を果たせ……シンジ。おまえが蒙を啓くことを期待する。私からは以上だ。
 ああ、カジ准将』
 ミサトがわずかに身を縮める。
『聞こえていたぞ』
 それを最後に通信が切れる。先ほどかいま見えた笑みとは違う。あの、ニヤリとした笑みだけ残して。
 後に残ったのは、何事か沈思(ちんし)するシンジと、今後の戦略を黙考するアスカ、青い顔をしたミサト。それぞれの表情で三人を見る幕僚達。
 誰も今の親子のやりとりに意味を見いだせなかった。どう考えてもちぐはぐな会話だ。だから声をかけられない。
 戦略案を練るアスカの邪魔をしたらどんな罵声が来るか解らない。それはシンジだけの仕事なのだから。実は、シンジたちの会話の意味を思考の海で探っているだけだが、誰もそうは考えない様だ。その程度の戦略案なら最初の叛乱が起こった時点で立案済みだというのに。
 ミサトにも声をかけない。関わり合うのが怖い。彼女の夫ですらそうなのだから何をいわんや。
 一度我に返ったアスカが解散を告げた。シンジが自ら答えを探し当てるまで艦隊の出撃準備はスズハラとトキタが行うことになるだろう。丁度よい機会だ。そういった細々したことはシンジ任せにしてしまう風潮があるのは事実。アスカも含めて。
 ここで不自由をして貰い、シンジの重要性を再認識させるのもいいかも知れない。
 二人の提督に指示を出す。リツコとマヤを始めとする参謀チームには、既にファイルされている戦略案の検討と情報収集を命じる。ミサトにはNerv連隊の出動準備を整えさせ、カジは留守番。戦闘の前後には役に立つが、いざ事が始まってしまうと居場所がない。言うまでもないことだが、子供達の面倒を見ろということでもある。
 一通りの指示が終わるとする事が無くなってしまった。レイを伴って執務室へと帰る。思考が煮詰まったら聞いてあげよう。それはアスカだけの特権。話しているうちにまとまってくるものがあるだろう。見えてくるものもあるだろう。
 シンジも後を追うように歩み出す。その姿は、自室へと消えた。それを確認して、アスカとレイは本来の目的地へと向かう。
 
 
 この一〇年、ゲンドウとシンジは顔を合わせることがなかった。士官予備学校入学よりと言い換えても間違いではない。会話と言えば、年に一度だけ音声のみの通信で、
「元気でやっているか」
「うん」
で終わってしまう程度。ユイとは年に数回ともに食事をし、会話もあった。アスカも同席してではあるが。これでは、お互い会うのを避けていたと言われても仕方がない。
 しかし、父は息子のことを常に見ていた。考えていた。あの、傷害事件の時に遠回しとはいえ手をさしのべたのは父だった。その暖かな手は今でも、シンジを、アスカを支えていてくれる。例えば、カジ夫妻。
『イゼルローン要塞副司令官及び、同要塞駐留艦隊副司令官であります』
 “何か”と問われて返してきた言葉。それは息子の成長と才能を現すと同時に限界も示している。自分に噛み付いてきたシンジ。一〇年前からは考えられないことだ。だからこそ、自分の問いかけから答えを見いだすだろう。側にアスカもいることだし。
 満足げに微笑む。
 彼の妻以外の者にとって想像を絶する表情だろう。最も似合わないのではないのではないか?
「成長したな、シンジ」
 子の成長を喜ばぬ親はいない。今日、やっと自らの目で確認した。心地よい安堵。もう少し……もう少ししたら全てを伝えよう。
 
 父さんは何を言いたかったのだろう?何となく解ったような気がする。言葉にならない。もどかしい。もしかしたら解ったような気になっているだけなのかも知れない。
 解っていることもある。寓意が込められているのは間違いない。
 何かを忘れている。そんな思いが頭を離れない。
 それでも通じるものはある。
 思考は巡り、最初に帰ってくる。依然、答えは見いだせない。
 
「アスカさん」
「なにぃ?」
 惚(ほう)けたように問い返す。既に勤務時間も終わり、自室での一時。
 リツコとマヤの報告待ちのため暇を持て余しているという格好だが、実際は先ほどのゲンドウの言葉裏を解くのに忙しい。わざわざ亜空間通信回線で危険なことを言ってのけた真意が図れない。正直、迂闊(うかつ)と言うより間抜けに類することだと思う。
 だからこそ、意識しての言葉だということも解る。仮定を核に状況証拠をかき集めてみる。が、足りない。欠けたピースはシンジの記憶の中……か。アイツ、すぐ自分の中にため込んじゃうから……アタシが何とかしないと。
「シンジさんなんだけど……」
 歯切れが悪い。ゲンドウとほとんど縁の無かったレイにはあれだけの情報から結果を引き出すのはまずもって無理だろう。アスカにしたところで、知っているのは一〇年前のゲンドウであり、今、彼が何をしようとしているのか解るとは言えない。それが言えるのはユイ・イカリ議員ぐらいのものだろう。
「シンジさん、何を考えてるのかな……って」
「アタシにだってわっかんないわよ。何だかわっかんないことをウジウジ考えるのが趣味みたいなモンだし……昔からああなるとろくな結論を出さないのよねぇ……バカシンジ」
 しみじみとぼやく。
「アタシたちには何もできないわよ……悔しいけど。何かしてやることがアイツのためになるとは限らないってね。
 後から様子ぐらい見に行こっか、レイ」
「はいっ。でも、部屋には居ないように見えたんだけどなぁ」
 首を傾げる。そのまま、家計簿を付けていた端末から顔を上げる。……なんとなく。アスカと目があった。その視線を遮るように手拭いを首に掛けたペンペンがバスルームへと向かう。無言でその背中を見送る二人。先に我に返ったのはアスカ。
「レイ、それっていつの話?」
「スパルタニアンの訓練の帰りだから……一時間ほど前かなぁ」
 ヤバい。
 アスカの顔にはそう書いてる。レイには何がまずいのか解らない。ただ、固まってしまったアスカを見て「これは本格的にヤバいって感じ……」とか漠然と思っているだけ。
 
 以前こんな事があった。
 任官したての非番の日。アスカは渋るシンジを荷物持ちに引っぱり出した。本人達は『デート』とは頑として認めないが、実際は『説得力』という言葉を敵に回すだけのこと。今と本質的に変わりはしない。厄介なのは、本人達が本気で「デートではない」と思っていること。これも今と変わりない。成長が無いとも言うが。
 それはそれとして、長身であるが冴えない男。それが、アスカのような目立つ美女を連れて歩いている。それだけで有罪だ。下手に小綺麗な格好(似合っているかいないかは別として)をしているものだからこれは「カモがネギを背負ってきた」と取る人間が居ないわけがない。ましてや幾度も実戦を経験した現在でさえ、軍服を着ないと軍人には見られないようなシンジだ。三人の男は「軽くひねってやる」ぐらいの気持ちで近づいた。
 その日買ったのはティーセット。任官して初めての給料から出し合い、ゲンドウ、ユイ、キョウコへの感謝の気持ちとして購入した物だ。
 古びた立体駐車場。アスカが用意するのを待っていたため到着が遅くなり、公営の地下駐車場が満車になってしまった。仕方なくこちらに車を放り込んだのが結果として裏目に出た。人気のないこの場所は男達にとって丁度よかった。ナイフをちらつかせ女を押さえるだけで仕事が終わる。
 二人は男を取り押さえるために左右に散らばる。最後の一人が女の背後へ回る。
「兄ちゃん、おとなしく……」
 男は声を失った。突然の襲撃を予想できなかったはずのシンジの身体が、その意に反して全力で迎え撃った。ただ、その手の中にあるものだけは壊さないように足が出た。
 一人目。耳の下へ全力の蹴り。完璧なタイミングで当てた後は、力ずくで振り抜く。感触からして、もう物は噛めないかも知れない。
 二人目。一人目を蹴り上げた回転力をそのままに、膝を狙う。ティーセットの入った箱は落とさないように胸元へ引き寄せる。
 手加減なしの一撃が膝を砕く。その反動を利用して回転を止め最後の一人、アスカの背後へとダッシュ。五メートルの距離を主観的な時間にして一瞬で埋め、ナイフを持つ右腕を手首ごと蹴り上げる。鈍い感触。衝撃で背中から倒れる男の鳩尾へ止めの踵を入れたところでシンジの動きがやっと止まった。
「アスカ、大丈夫!?」
 大丈夫じゃないのは男達だ。手が使えていれば……塞がっているにしても荷物が壊れ物でなければ十分手加減できたのだろうが、ミサト仕込みの殺人技を遺憾なく発揮してしまった。相手の急所若しくは、最大の武器を最初の一撃で破壊する。
 冷静に状況を確認。怪我はない。する暇もなかった。
「ええ、ありがとう。でもねぇ……警察に連絡しなくちゃ……ね。アンタ、ホントに……なんでもないわ」
 ため息とともにそれだけを言うのがやっとだった。
 
 何かに気を取られているシンジは危険だ。なぜ今まで放置してしまったのか。
 その上、考えに詰まったときは体を動かすことを好む。いつもならアスカがトレーニングルームへ引きずって行き、監視までしているのだが。困ったことに、シンジは組み手を好む。と言うよりシンジの習った格闘技に型なぞ存在しない。人間相手に殴ったり蹴ったりするのが一番の練習だ。
「レイ。手遅れかも知れないけど何かしなくちゃいけない時ってあるわよね」
「そういう台詞って、ドラマなんかでよく耳にするね」
「ちょっと行って来る」
 文字通り足を引きずりながら部屋を後にする。
「私も行く。ペンペン、留守番お願い」
 こちらは年相応の元気の良さで飛び出す。
「クエ」
 温泉ペンギンの返事聞く者は居ない。ちょっとだけ機嫌が悪くなるペンペンだった。
 
 
「どうするのか聞かせていただけませんか」
「なにを?」
「イゼルローンとの通信は貴官も存じてられよう」
「ああ、アレのことか。で?」
「『で?』ではないでしょう。ヤツは察知しているのです」
「何を根拠に?」
「貴官は本職を愚弄する気か!!」
「そのようなつもりは毛頭ないが……しかし、問題じゃな」
「そうです、予定を早め……」
「違う!
 貴官の認識の甘さと危機管理能力の欠如を言っているんじゃよ」
「な!」
「よく考えたまえ、ヤツが本当に我々の計画を掴んだのなら、あのように公言せずとも沈黙の内に憲兵隊を送り込めばそれですむ。なぜそれをしない?出来ないのではないかな?」
「……」
「今さら予定を早めるなど不可能。それよりも、軍用宇宙港に集められた兵力が気になる。公的には叛乱鎮定の予備兵力と言うことになっているが……情報を持っておる者はおらんか」
「……」
「おらんか。佐官だの将官だの言ってみてもこれほどのものか。決行は明日。正確には二〇時間後か。貴官らの善処を望む。
 ……解散」
 
 
「おっ、遅かった……」
「死屍類々ってこういうんだ……」
 イゼルローン要塞駐留陸戦連隊。またの名を『Nerv連隊』。帝国からの亡命子弟を核に結成された『薔薇の騎士団(ローゼンリッター)』連隊とは少々趣(おもむき)を異とするものの精鋭として語り継がれて来た最強の陸戦連隊である。その中には、実戦を受け持つ『作戦部』。独自に情報収集、分析を行う『諜報部』。武器弾薬類の開発管理から医療全般まで受け持つ『技術開発部』。それらを管理統括する、ミサト直属の『特殊監査部』等を内包する。通常の連隊の枠を逸脱した規模だが、なぜかそれは黙認されている。
 日頃から体を鍛え、技を磨いている猛者(もさ)達が面白いように打ち倒されてゆく。何か思い詰めたような表情で事務的に対戦者を捌(さば)き、叩きのめす。
 普段のシンジより動きに切れがあり、疲れを知らない。身体が正確に相手の位置を読みとり、隙をつく。抑止能力がかなり減退しているとはいえ、大きなダメージを与えることなく勝負をつける。そうは言っても彼らにとっては大きなダメージではないというだけであり、常人ならば数日の入院ぐらいは覚悟しなければならないだろう。
 陸戦隊員であっても平均で二、三日は通常の訓練を休まざるをえないようだ。それを「大したこと無い」と言える男達が別の生き物に見えるのもまた事実。軽傷者は、そのまま壁際で転がっている。レイが評したのはそういった男達だ。
「あ、メガネじゃなくてヒュウガ中佐。なんで止めないのっ」
 喰ってかかってくる上官に為す術無く拘束される。ある種の人間には『女性に逆らえない』とか遺伝子に書き込まれているのでは?と疑いたくもなってくる。
「そんなこと言ってももう無理ですよ。彼奴らがヒートアップしたら納得するまで止めやしませんよ。こうなってしまったらミサトさんを担ぎ出しても無駄なんですよ」
 担ぎ出されてゆく男はもう二〇人は越えている。下っ端クラスが相手なのだが、それでもすごい。同時に、そろそろ重鎮クラスが苛ついてきているのも分かる。
 シンジが、ヒュウガと正面から立ち合えることを知ってはいても釈然としない。当たり前だ。彼らは自分の力に自信とプライドを持っている。ぽっと出の若造に馬鹿にされてはたまらない。
「あっ」
 レイの小さな声がアスカに届いた。ヒュウガに向けていた視線を耐圧ガラス越しにシンジへと戻す。そのまま対戦者の方に注意を持って行かれる。
 白銀の髪、紅い瞳、驚くほど顔立ちの整った少年……そう、少年だ。年の頃は、レイとそう変わらないだろう。
「止めなきゃ、ヒュウガ中佐、何見てるの。止めなさい」
「カヲルをですか?大丈夫ですよ。何せ、あのミサトさんが「シンジ君以来」って、手放しで褒める逸材なんですから」
 確かにスピードだけならシンジと互角だろう。シンジの動きに慣れてしまったアスカの目にもそれは解る。悲しいがなまだ成長期。リーチがない。そのため決定的に踏み込むことが出来ない。どうしてもシンジの長い手足に阻まれる。パワーもないためそのガードをうち破ることもできない。
 それでも、楽しそうに……そう、楽しそうにシンジと相対する。他の隊員達は、《悲壮な決意》とか《怒り》といった感情をその面に張り付かせていたというのに。
 シンジも多少の手加減をしているように見える。その、手加減したように見えた隙へカヲルの拳が滑り込む。それを予測していたかのような動きで掴み、引き寄せ、その腕を軸に床へと叩きつけた。最低限の手加減しかしていない。ともあれそれは、シンジがカヲルの力を認めたことに他ならない。
「そこまで!」
 この機会を逃しては、と慌ててアスカが声をかける。
「あれ、アスカ。レイまで……どうしたの?」
「アンタ、これからって時に部下を潰してどうすんのよ」
「いや、それは、その……」
 『浮気がばれた亭主みたいだった』とは、一部始終を見ていたヒュウガの弁。
「いいからここへ来なさい」
「はい」
 素直に訓練室から出てきた。その背後では、既に別の組み合わせで殴り合いが始まっている。レイは、端に寄せられたカヲルの方が気になるのかしきりに耐圧ガラスの向こうを気にしている。
 長征一万光年をこなした第一次同盟市民の子孫には、レイのような体がさして弱いわけではないのにアルビノ体質である市民が少なくない。大きな都市なら一人や二人はいるというぐらいだが。
 公式には、『原因は、放射線対策が十分に行われていない宇宙船で、超新星爆発の絶えない暗礁宙域を航行したとき、軽度の被爆により遺伝子に障害をうけた為』とされているが、未だ明確な解答は示されていない。誰もそれを信じてはいない。
 目の前に立ったシンジを見上げる。
「アンタね、小父様の言葉を聞いた尻からそんなことやってどうすんのよ。アンタに与えられた仕事は、現場で血を流すんじゃなくてアタシの隣で血が流れないようにすることでしょ」
 概ね間違っていないようなのでうなずいておく。
「じゃあ、アンタはここで何をしてんのよ」
 アスカが半歩詰め寄るが、シンジは動けず身体をのけぞらせる。
「体を動かしたら違うものが見えてくるかも……と思って……」
 適当な言葉が浮かばない。だから思いついたまま口に出すしかない。こう言えば、アスカが怒ることは分かってはいるが言ってしまったものはしかたがない。
「アンタはなんでいつもいつもいつもいつもいつもいつも、いーっつもそう考え無しなのよ。とりあえず人に相談するくらいの知恵を働かせたらどうなの、バカシンジ」
「知恵って……そこまで言わなくても……」
「言わなきゃ解んないからでしょ、アンタは」
 断定。シンジとしては、なぜここまでアスカが怒っているのか理解できない。アスカなりに気にかけていた反動なのだが、それが解りそうなのはレイだけ。そのレイは、出遅れてしまったために完全に傍観者に徹している。
 同じように沈黙しているがヒュウガは少し違った。三〇分弱の手合わせだったが、シンジはほとんど息を切らせてはいない。確かに格下ばかり相手にしていたがざっと数えて五〇人である。それだけ無駄な動きを排していたと言うことであり、終始自分のペースで事を運んでいたと言うことでもある。多少の羨望は禁じ得ない。たぶん、それは才能なのだろうから。
「とにかく、話ぐらい聞いてあげるから。喋っているうちに考えだってまとまるんじゃない?」
「そ、そうだね」
 そのまま外へとでていった二人を見送ることしかできない。
 ややあって、
「レイちゃん」
「はい」
「あの二人、いつもあんな感じなの?」
 聞くのが怖いような気もしたが、聞かずにはいられない。ミサトとは違い、アスカたちとは私的な交流がないから免疫もない。
「あんな感じ……かな?」
「ふーん、大変なんだ」
「解ってもらえます?」
「なんとなく」
「慣れですよ」
 若干一六歳の少女がそこまで達観してしまっても良いのだろうか。
「ミサトさん相手の……ああ、カヲルか」
 振り返らずに誰かを当ててしまうあたりヒュウガもただ者ではない。ミサトのせいで影が薄いが、『Nerv連隊作戦部』の荒くれ者に一目置かれる存在なのだ、彼は。
「ヒュウガ隊長、先ほどの長身の……」
「副司令か?司令に引きずられて帰っていったが、それがどうした」
 表現に少々問題はあるが、端から見れば間違いはない。特に引きずっていった本人の耳に入れば、それこそただですみそうではないが。
「いえ」
「そうか、まぁいいさ。
 そうだな、君に紹介しておこう。レイ・アヤナミ君だ。歳も確か同じだったな。空戦隊の見習いもしているが仲良くするように。
 こっちは作戦部の期待の星、カヲル・ナギサだ。ミサトさんの五人目の直弟子だね。いろいろ問題はあるが基本的に悪気はないから適当に相手してやってくれ」
「カヲル・ナギサです。改めてこういうのもおかしいと思うけどね」
「そうかもしれない。この前の訓練の時以来かな」
 さっさと訓練室に向かうマコト・ヒュウガ三〇歳。気を利かせたのか、それとも何も考えていないのか? 伝統的に、陸戦隊と空戦隊の仲が悪いことは憂慮していたようだが。当人同士はどう考えているのか? 面識があるのか? 確認すらしないところが彼らしいと言えば彼らしい。
「君があのアヤナミさんだったとはね。噂はよく聞いていたけど食事に誘ったときは何も言ってくれなかったから」
 確かに顔はいいが、浮ついた軽さが減点。値踏みするような今の発言も減点。それでも印象は、まぁ悪くはなかった。
「うわさ?」
 その面が曇る。噂というやつにはろくなものがない。アスターテ星域会戦(イゼルローン攻略戦以前)以来、有名になりすぎたアスカが無責任な噂の類でどれだけ苦労したか。
「だいじょうぶ、君のことを悪く言う人は一人もいなかったよ」
「ありがとう」
 そう言われても、無条件で信じることなど出来ないがとりあえずその気持ちだけは受け取っておく。正直なところ、早くアスカ達の後を追いたい。
「んと、悪いけど先行くね。うちの保護者達も先帰っちゃったみたいだし」
 ぱたぱたと手を振りながら笑顔をサービス。逃げ出したと取られないぐらいのスピードを意識して廊下へと飛び出す。
「これは、嫌われたかな」
 悠然と見送りつつも、少々不安に思うカヲルだった。
 
 
 翌日、中央作戦司令室。
「で、なんか思い出したの?」
「それがぜんぜん」
 爽やかに言い切るシンジを無言で殴り倒そうかと思ったが部下達の手前ぐっとこらえる。
 昨日の一件の後、アスカの質問責めにも関わらずゲンドウの言葉の鍵となる記憶はでてこなかった。彼は何を言いたかったのか、何を伝えたかったのか。
 中央作戦司令室司令席。書類が溜まらなければアスカは大概ここにいる。シンジは、港口管理室とここを行ったり来たりといったところか。
 問題は二つ。既に存在がおぼろげながら確認されているクーデター派を刺激するようなまねをなぜやったか。
 もう一つは、シンジ個人の問題だが。彼自身に対し「何か」と問いかけたその真意。或いはどうでもよいことなのかも知れないが、シンジにはそうは思えなかった。
 リツコを始めとする参謀チームが今朝提出してきた資料を手に取る。アスカの戦略案を大筋で支持する内容ではあるが、やはり首都周辺部の情報が少ないことを懸念している。「提督!」
 声をかけたのはリツコ。
「何あせってんのよ。年甲斐のない」
「何をのんきなことを言ってるんですか!」
「首都でクーデターが勃発しました」
 抗議するリツコの後を受け、マヤが必要最低限の報告をする。
「規模は?」
「詳細は不明ですが、クーデター派の一方的な通告を傍受いたしました」
「メインのスクリーンに出して」
「はい」
 アスカの命令を受けてマヤが慌てて手元の端末を操作する。
 まず、軍隊でしか生きられないような顔をした士官が現れた。
『我々自由惑星同盟救国軍事会議は、首都ハイネセンを実効支配の下においた。同盟憲章は停止され、救国軍事会議の決定と指示が、全ての法に優先する』
 近くにいた高級士官達は、一斉にアスカの顔を見る。
「ハッ、救国軍事会議ね……」
 その呟きは、甚だ非友好的なものだった。救国などという大風呂敷を広げてどうするというのだ。
 続いて、同盟憲章にかわるという、救国軍事会議の布告が発表される。
 一、銀河帝国打倒という崇高な目的に向かっての、挙国一致体制の確立。
 二、国益に反する政治活動及び言論の、秩序ある統制。
 三、軍人への司法警察権付与。
 四、全国に無期限の戒厳令を布く。また、それにともなって、全てのデモ、ストライキを禁止する……
「なによこれは、前時代的ぃ」
 いささか不謹慎な呟きは、静まり返った中央作戦司令室のかなり広い範囲に聞こえた。
「ルドルフと同じじゃないか」
 そう、シンジの指摘通り反動的な軍国主義体制そのままのそれは、ルドルフ・フォン・ゴールデンパウム――銀河帝国初代皇帝――が登極後に打ち出した方針と酷似しているのだから。この五世紀の間、人類は全く進歩しなかったというのか。
 アスカは笑った。笑わずにいられない。これは喜劇だ、それも醜悪きわまる喜劇だった。
 だが、この一幕は喜劇として進行したとしても、喜劇のまま終わらなかった。
「市民及び同盟軍の諸氏に救国軍事会議の議長を紹介する」
 その名が告げられたとき、思わず立ち上がったアスカの表情が凍り付いた。アスカだけはない、中央作戦司令室の置かれた空間そのものが静止したかのような錯覚を覚えた。
 老人が画面に姿を現す。その顔は皆が知っていた。まぎれもなくその名を持つ男だった。
「……嘘だろ……」
 弱々しいシンジの呟きが、凍り付いた時間を再び動かせる。
「お祖父様……」
 それでも、アスカは目を離さなかった。
 自由惑星同盟軍ベンハルト・ツェッペリン退役元帥の顔から。
「ソウリュウ司令、我々に指示をお願いいたします」
 リツコは真正面から問いかけた。クーデター派につくのか、それとも自由惑星同盟政府につくのか。アスカの立場を解った上で、その決断を今ここで求めている。下手に時間を取られると、最悪イゼルローンが二つに割れることになるから。
 傍らに立つシンジの顔を見上げた。表情は硬かったがしっかりと頷く。大丈夫、アタシは間違っていない。
「イカリ提督、例の物を。ホラギ少佐、イゼルローンの軍関係各所へ通信準備」
「司令」
「だいじょうぶよリツコ。アタシを信用してくれた人たちを裏切れないわ」
 ウインク。明らかに無理をしているが、それを指摘する者は居ない。アスカの持つ雰囲気がそうはさせない。
 
 四月一二日早朝。宇宙艦隊総司令官ナオコ・アカギ大将は統合作戦本部長代理ゲンドウ・イカリ大将から連絡を受けた。曰く、「本日行われる地上部隊の演習に不穏あり。至急軍用宇宙港へ避難されたし」と。
 同様の通告が、政界の主立った人物四〇〇人にも伝達されている。
 『叛乱鎮定用』として準備された資材人員はそのまま『対クーデター用』に転用した。
 その動きは当然クーデター派にも察知されたが、阻止するところまで戦力が足りず一部部隊が『薔薇の騎士団(ローゼンリッター)』によってあっさり蹴散らされるにいたって、散発的な抵抗を厳禁とした。一通り重要拠点の制圧をした後対応することで、戦力の分散、逐次投入の愚を避けたのだ。
 ゲンドウは、約三〇〇人の政府要人を確保、軍首脳人も五〇人をクーデター派に一歩先んじ保護することに成功したのだ。クーデター派の要人確保部隊の大半が空振りをしたことになる。それでも捕らえられたのは、ゲンドウの通告を本気にせず黙殺しようとした者と、避難中不幸にしてクーデター部隊と遭遇してしまった者。
 重要なのは、避難者の中に最高評議会議長キール・ローレンツとその側近の名がなかったことである。クーデター派も必死で探している様子からその手に落ちたのではないことは分かるが、行方までは解らない。
 政府側は首都防衛用攻撃衛星『アルテミスの首飾り』の制御施設を占拠されたことで、これにより宇宙への道は閉ざされてしまったが、地上においては最強部隊の一つ『薔薇の騎士団(ローゼンリッター)』をその配下に収めたため、地上における戦闘力はわずかにクーデター派を上回っているものと思われる。
 その鉄壁の守りの中で、一部の要人達が自らを人質として利用することで政治的にもその命脈を保ったのだ。周辺住民も軍用宇宙港へ避難してしまったために、クーデター派は二重の意味で全面攻勢に出ることが出来なくなった。同盟全市民とマスメディアを敵に回すつもりなら別だが。
 武装解除をさせられてしまった第一艦隊はあてにならず、クーデター派についた第一一艦隊は他の惑星を恫喝するために当初の予定通りバーラト星系を離れている。
 ハイネセンにおける戦況は完全に膠着状態に陥った。
 
『……以上の布告に対し、我々イゼルローン駐留部隊及び駐留艦隊は、クーデター派に対し断固たる措置をとる事を宣言する。
 なお、今回の軍事行動に関しては宇宙艦隊総司令官アカギ大将殿の命令書が発行されており、完全に合法である』
 モニターの中のアスカは、一度シンジに渡したあの封筒から一枚の書類を取り出し折り畳んだままカメラへと示す。開かないのは偽造されないように。
「なんか用意が良すぎるって言うか……」
 気分は小姑。シンジの側にいると言うだけで、我らが司令官に対しても悪態をついてしまう。レイを預けられてからは、どうも過剰に反応してしまうきらいがある。
「あの司令官には、味方を騙す事なんて出来ませんよ、マナ」
「その言い方って、私よりひどくない?」
 相棒の呼びかけに、やっと紙の本から顔を上げる。今度は何を読んでいるのかと気にはなったが、それを聞いてしまうと普通の世界からまた一歩遠ざかってしまいそうで自制してしまう。昔から言うではないか、「好奇心、猫をも殺す」と。
「そうですか?私は、それほど汚いことの出来る人じゃないって言いたかったんですけど。何でも真正面からぶつかっちゃうような」
「それなら解るような気がする」
 レイを見ていると……
 
 
 放送終了後、シンジの任務は明らかに無理をしているアスカを休ませることだった。シンジ自身、先日以来出撃準備からは解放されている。トウジとトキタの手際は必ずしも良いものではなかったが後三日もあれば何とか終わるだろう。
 リツコとヒカリに仕事を取り上げられ、する事も特になく、シンジに淹れてもらった紅茶をすする。カップから立ち上る湯気に透かして正面に座るシンジを見た。
「なに?」
「何でもない……」
 もう何回も交わされた会話がまたも繰り返される。
 アスカは言えなくなってしまう。
 シンジは無理に聞き出そうとはしない。
 どうしても空回ってしまう時間。
「そろそろ晩御飯にするよ。何が食べたい?」
「いい、何も食べたくない」
 それも仕方がない。諦めにも似た思いが一瞬よぎるが、もしかすると作れば食べてくれるかもしれない。そう思い直して席を立つ。アスカを残すことに抵抗はあったが、このあたりで一人になって考える時間を与えた方がよいのかも知れない。
 そう考えてアスカに背を向けた。
「シンジ!」
 呼びかけに応え振りむきかけたその胸に飛び込んでくる紅い影。勢いのついた身体を出来る限り優しく受け止める。柔らかな感触を確認するように、己の胸元へと視線を……。
「見ないで!」
「え?」
「見たらコロスからね」
 その湿った声が、アスカの状態を雄弁に語っている。
 シンジは、それを指摘する言葉を持たなかった。
 行き場を失った両の手が、アスカの肩を優しく包む。その温かさが、最後の理性の線を涙で押し流した。
 
 アスカは泣いた。
 声をあげ、シンジにしがみつき、疲れ果て眠るまで泣いた。
 




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第四話(中編)へ続く

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銀河英雄伝説は田中芳樹氏の著作物です
yoshiki tanaka (C)1982  徳間書店刊


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