銀河の英雄は
アタシに決まってんじゃない!」伝説
 
 
第四話(後編)

勝利の価値は?

宇宙歴七九七年 六月
片山 京
 
 

X
 
 

 ベンハルト・ツェッペリン氏の自由惑星同盟における最終的な公的地位は『退役元帥』と言うことになる。『前統合作戦本部長』と言うこともできるがあまり使用されるものではない。現在の地位である『救国軍事会議議長』は正式には認められていないため、同盟政府側としては『退役元帥』の呼称を使用することとなる。

 
 六月一二日。アスカ艦隊は第一一艦隊の姿を捉えることに成功した。彼我の距離は一一,四光日。キロにして約三〇〇,〇〇〇,〇〇〇,〇〇〇。数回の超光速航法によって会敵可能な距離だ。時間にして三六時間。しかし、その艦隊は次第に遠ざかっているという。
「決戦は、ドーリア星系ということですか?」
「そう決めつけるのは危険ね。本隊の位置を知らなければ動けないわ」
 観測された艦隊の構成数は約一〇〇〇隻。予想される数の約七パーセントにすぎない。偵察艦隊としては目立ちすぎ、囮としては少なすぎる。数としてはそれなりだが単独の戦力としては問題にならない。中途半端な数なのだ。
 セオリーとしては、球形陣を布き様子を見るといったところか。マヤの問いに対してリツコが動けないと評したのはこのことを示している。
「こちらの位置は筒抜けと言っていいわ。動かないって言うのは問題外ね。
 相手の位置が解らないんなら解る所まで動かせばいいのよ。相手をどこまで騙せるかが今回のポイントよ」
「欺くか……です」
「表現なんてどうでもいいわよリツコ。相手は第一艦隊も取り込んだから一枚岩とはいえなくなっているわ。ツェッペリン退役元帥と、ルグランジュ中将の間に齟齬(そご)を起こせば……判断が分かれるような種を蒔いてあげれば、おもしろいことになると思わない?」
 
 
 副官からの報告に、彼は眉を顰(ひそ)めた。全く予期せぬ展開になったからではあるが、常識では考えられない行動を取りはじめた敵指揮官の意図を掴みかねているのも事実。
「この進路に間違いはないのか?」
「はい」
 あからさまに不自然な艦隊を捨て置き、ハイネセンへ向かう航路を取っている。よしんば、このまま艦隊を握り続けてもハイネセンを失えば政治的には敗北だ。後を追うか?しかし……
 戦略上の主導権が自らの手を離れてしまった。どうやら、敵の能力を過小評価していたようだ。数はこちらの方が多いのだ。
 考えるまでもない。正攻法でゆけばよいのだ。
 
 
 六月一五日。『ドーリア星系最外縁部にてアスカ艦隊の足が止まった』と言う情報を最後に消息を絶った。電子欺瞞(ぎまん)をフルに発揮し突如消え失せたのだ。油断としか言いようがない。敵が止まったという幾ばくかの安堵感の中、絶妙のタイミングといえるだろう。
「見失ったか、アイダ大佐から連絡は?」
「今のところありません」
「フン、どうせ失敗したのでしょう。あのような者を頼らずとも我らには正義がある、何者にも負けぬ意志もある。議長閣下、麾下(きか)の戦力で威力偵察へ向かいます。六〇〇〇隻もあれば食い止めるには十分です。そこを議長閣下の艦隊で急襲されれば勝利は疑いありません」
 乱暴ではあるが一考に値する。今までこの男の献策をことごとく退けてきた。このあたりで一度ガス抜きをしておく必要がある。艦隊を割ることに不安はあるが、最悪残った艦隊でも勝負に持ち込むことは可能だ。敵は、約一一〇〇〇隻。ルグランジュの頑張り――どれだけ道連れに出来るかと言うことだが――如何によっては降伏させることもできるだろう。
「許可しよう」
 吾々は勝たねばならない。
 
 
 厳しいエネルギー使用制限の下、アスカ艦隊は小惑星帯へと潜航していた。少ない戦力を補うために少々小細工を施し敵艦隊の到来を待つ。索敵に来るのであれば、必ず小惑星帯は探索の対象となるだろう。待っていれば敵は側に来るはず。それを見越して、先日ドーリア星系において接収した物資の大半が工兵隊によって消費されている。気づかれれば全て無駄となるが。
「本当にこのような作戦が成功するのでしょうか?」
「普通なら簡単にばれちゃうでしょうね。今のところはっきりしているのは、ツェッペリン退役元帥は安全第一で来ているって事。
 さて問題、血の気の多いルグランジュ提督は我慢できるでしょうか?」
 戦術のレベルで見れば確かに有能な男だが、決してそれ以上ではない。大局を見て行動できない……それ故アムリッツア会戦に参加を命ぜられず、本国守備として残されたのだ。歴史的な一大会戦に参加できなかったことを屈辱と考える彼のことだ、目の前に餌をぶら下げてやれば索敵どころではなくなるだろう。
「もし、全軍で来ても何とか勝負には持ち込めると思う。大丈夫よ、絶対にそうはならないから」
「しかし、ルグランジュ提督も一流の将帥です。立ち止まって様子を見るくらいの知恵は働かせるでしょう」
「いい、リツコ。相手の一番の武器は何だと思う?
 今のところは、あの、旺盛な戦意よ。遭遇した偵察の駆逐艦に必要以上の攻撃を加えていることからも解るわ。まぁ、数もあるけどね。
 正義だ何だと言っても、それは実行した人間の話。それに従っただけの人間には『クーデター』っていう事実が重くのしかかるでしょうね。それをごまかすためには、自分自身に『正義の軍隊』だって言い聞かさなきゃならない。それはものすごくエネルギーを消費するわ。一番簡単なのは戦うことで不安を忘れるってこと。少なくとも戦場の興奮に身を置くことね。
 今までその戦意を押さえつけてきたからには、どこかで解放してやらなきゃいけないの。今まで、わざと後背を見せたり、これ見よがしに行軍したのに全く手を出してこなかった。このあたりで何とかしないと内側から崩壊するわよ、彼ら」
 おそらくそう簡単に手を出してこないだろうと繰り出した挑発。
「自分の正しさを主張していても……ですか?」
「人間ってそんなに強いものだと思う。リツコの経験をふまえて」
「いえ」
「納得してもらえた?」
「ええ。希望は持てました」
「上等。リツコが了承したんならどこからも文句はこないでしょ」
 複雑な表情をたたえる参謀長に笑ってみせる。だいたい、相手の数が一・四倍と言う時点で勝ち負けを論じる方が間違っているのだから。普通の指揮官であれば逃げる方法を考えるだろう。
 戦力とは数の二乗に比例するという。数はおよそ一五,〇〇〇隻対一一,〇〇〇隻。単純計算で戦力比が二二五,〇〇〇,〇〇〇対一二一,〇〇〇,〇〇〇である。数にして一・四倍であったものが戦力となると二倍近い差となって返ってくる。あくまで机上の話だが。
「敵艦隊、動き出しました。前衛と後衛に速度の差があります。どうやら分派行動に出るようです」
「前衛部隊の数、解る? マヤ」
「およそ六〇〇〇」
 リツコにああは言ったが、ツェッペリン退役元帥は無能とはほど遠い軍人だ。まさかこのタイミングで分派行動に出るとは思わなかった。最悪でも二正面作戦へ持ち込むつもりか? 後方艦隊の動きまでは計算になかったが、十分修正は可能だ。
「敵を引きつけなさい! 出来るだけ近くまで。発見されるか、距離が五光秒を切ったところで飛び出すわよ。ヒカリ、イカリ提督に通信回線を開いて」
 それにしても……
「お祖父様……勝つ気、無いんじゃないの?」
 誰にも言えないアスカの疑問だった。
 
 
 標準時間、六月一六日〇〇二〇。
「距離、まもなく五光秒です」
 航法担当士官の呼びかけにゆっくりとうなずく。
「全艦、全速前進! 目標、敵艦隊前衛」
「あと三〇秒で全艦小惑星帯から脱出できます」
 あらかじめ脱出ルートを練っていたからこそこの時間を実現できた。
「〇〇三〇方向、仰角は各自に任せるわ。可能な艦はこの方向に主砲三射。奴らの鼻面に叩き込んじゃいなさい。シンジ、殿(しんがり)任せたわよ」
『了解!』
 アスカ艦隊一〇〇〇〇隻が、矢の如く深淵を切り裂く。五秒後、ルグランジュ艦隊の何隻かの駆逐艦が原子の雲へと還った。アスカ艦隊のお家芸と化しつつある、有効射程距離外からの攻撃だ。
 
 
「敵艦隊、現れました」
「“現れた”だと?」
 先手を取られたか。
「イゼルローン駐留艦隊の背後につける! 急げ。ルグランジュも長くはもたんぞ」
 最悪のタイミングだ。ここから戦場まで単純計算で八時間あまり。星系の反対側になるため恒星を迂回しなければならない。
 それは絶望的な時間だった。
 
 
 同日、標準時〇一四五。
「撃て!」
 アスカの繊手が振り下ろされる。
 いままでと同じく行儀悪く指揮卓に腰掛け、自らの膝に左腕を置き頬杖を付いている。いつもと同じ、だからみなも安心できる。いつもと違うのは、彼女の隣に蒼髪の少女がいること。レイの眼前には本物の戦場が広がっている。異常なくらい静かで、何もない『キレイ』な戦場。一つだけ感じることができるものがある。この緊張感。これだけは本物だ。少女は生まれて初めて“戦場”に立っている。
 ほぼ時を同じくしてルグランジュ艦隊からも砲火が発せられる。アスカ艦隊に覆い被さるような格好になってしまったため、今ひとつ効果が薄い。
 反面、効果的に集中されるアスカ艦隊の砲火を受け、ルグランジュ艦隊中央部のわずかな隙間が押し広げられる。
「トキタ提督、前進して敵の側面を突きなさい」
 学者のような容貌。戦闘前には綿密な計画を立てるのだが、それをすべて忘れて突進してしまう。上位の指揮官の冷静なコントロールの下にあってこそ絶大な破壊力を生み出す事が出来る典型的な猛将が動いた。
 アスカ艦隊のもう一つのお家芸、帝国領にて三個艦隊を振り切り、アムリッツアで『黒色槍騎兵(シュワルツ・ランツェンレイター)』を壊滅させた異常なほどの火力の集中によって隙間から穴へとルグランジュ艦隊の傷口が広がる。そこへトキタ分艦隊がその矛先をねじ込んだ。
「突撃!」
 彼の発した命令はそれだけであったが、彼の部下たちにとっては十分だった。友軍は後方にあるのみ。
「こいつは良い、撃てば当たるぞ。軍功の稼ぎ放題だ」
 戦場に立つと人間が変わる、この男らしい。
 ルグランジュがトキタの対処に追われている隙にアスカは次の命令を下す。一時的に失われた秩序が回復する起点を見極めてのこと。
「シンジ、ルグランジュ艦隊の前方艦隊を包囲下に置くわ。あとの面倒なことは任せた」
『了解。提督、無理をしないでください』
 心配そうに呼びかけるシンジにウインクを一つくれてやり、
「アタシのこと心配するなんて一〇〇万年早いわよ!」
と言い返す。
『うん、それでこそアスカだね』
 先ほどの他人行儀な口調から一転、いつものように微笑み返す。通信士官の女の子が少しの間見とれてしまうほどの透明な笑み。
 それに応え大きくうなずくとシンジの映し出されるウインドウを小さくする。アスカの肩の力が抜けた。艦橋で戦況の推移を見守る幹部連中とレイが気が付いた。解っていないのは本人だけかも知れない。シンジのかけた魔法は、アスカとその艦隊に大きな力を与えた。
「レイ、しっかり見ておきなさい。アタシたちの戦い方を」
 
 “船”という形状を持つ以上、上下というものが自ずと決まってくる。攻撃力に秀でているのは明らかに上部であり、下部にはほとんど武装は用意されていない。宇宙港などには重力が存在するため、砲塔などを配置するわけにはゆかないのだ。
 宇宙空間には上下の認識はないが、艦隊を組むとなると便宜上の上下を定める必要が出てくる。艦の方向を定めなければ集団の秩序が成り立たない。何より指揮が執りづらい。
 標準時〇四〇〇現在、ルグランジュ艦隊は便宜上定めた下部から上部へ向かって分断されつつある。
「突っ込んできたものなど包囲して叩きつぶせ、絶対に通すな」
 確かに、トキタ分艦隊は半包囲体勢下にあるのだからルグランジュの言は正しい。しかし、同様に同士討ちの危険性も考慮せねばならず、彼が言うほど簡単な話でもない。戦略レベルで二分した戦力をさらに戦術レベルで二分しようと言うのだ。これ以上の必勝の策はないだろう。
 どこで間違ったというのだ。小惑星帯より飛び出した敵艦隊を発見、艦隊下部へ潜り込もうとしていることが見て取れたため、その鋭鋒を真正面から受け止めようと命令を下した。直後、三隻の駆逐艦が撃沈された。いまを思えばここで伏兵を警戒し、艦隊の足を止めたのが間違いだったのだろう。有効射程距離外からの攻撃ということに気がついたのが一〇分後。一度止まってしまった集団を動かすことは難しい。鈍重に再び行動をはじめたが、さらにそれが仇となった。艦体質量の小さい艦と大きい艦、さらに出力の多寡により艦列に粗密が生じた。それを正す間もなくアスカ艦隊の横撃を受け敗北の縁へと立たされているのだ。
 ルグランジュの執った措置に間違いはなかった。至極常識的な行動だった。確かに驕りもあった。アスカ艦隊幹部の最年長者はアカギ参謀長、それでも三〇代半ばだ。軍歴にいたっては自分の半分程度。指揮官のアスカ・ラングレーに至ってはたかだか二〇代の小娘ではないか。なぜこのようなことになったのだろう?
 ルグランジュには、その差を永遠に理解することができないだろう。それほど多く時間は残されてもいなかったが。
 
「トキタ分艦隊、敵中を突破。分断に成功しました」
 標準時間〇四二〇。
「シンジ!」
『配置は整っている。命令さえあればいつでも』
「ヒカリ、敵本隊は?」
 手元の端末を操作し、目的の情報を呼び出す。
「あと五時間ほどで到着します」
「早いわね」
「恒星引力を利用して加速した模様」
 次の動作でサブスクリーンに予想航路図を表示させる。メインスクリーンには、先ほどから抽象化された戦術概念図が表示されている。
「なる、楽に勝たしちゃくれないわけね。空戦隊を出して。ただし、こちらを守ることにのみ留意すること。今回は戦果は必要ないわ。特にマナあたりにはきつく言っといて」
 緊張によって荒れてきた唇を軽く湿らせる。ゆっくりと右手を挙げる。艦橋の緊張感がいやがおうにも高まる。
「目標、ルグランジュ艦隊前衛部隊。一斉射撃。撃て!」
 分断され、周囲を半包囲体制下におかれたルグランジュ艦隊は崩壊への道を進んでいた。周囲から押し寄せる圧倒的な破壊とエネルギーに算を乱し、中心部へと後退してゆく。無秩序な密集体型はアスカ艦隊の的以上のものではなくなっていた。
 包囲陣の外に取り残された部隊、約二一〇〇隻に至っては、ルグランジュの豪腕が届かなくなったため集団として効率のよい救出行動がとれず、全く意味のない消耗を繰り返すという醜態をさらし続けていた。
 アスカの命令は、ルグランジュ艦隊に止めを刺した。非凡にも身辺の部隊を何とかまとめ上げ、脱出のために攻勢に出ようとしたルグランジュをその乗艦もろとも粉砕したのだ。ルグランジュ艦隊に残されていた、最後の秩序が消滅した。
 
「敵旗艦の撃沈を確認」
 アスカの控えめな舌打ちが艦橋の喧噪にかき消される。できればルグランジュの口から自軍に対する停戦命令を引き出したかったのだが……
「敵艦隊に降伏勧告を」
「司令部は壊滅していますが……」
「だったら全ての艦に対して行いなさい」
 リツコと通信士官のやり取りを聞き流し気を取り直す。起こってしまったものは仕方がない。それよりもいまは時間だ。
「ヒカリ、イカリ提督は呼び出せる?」
「音声だけならすぐに……繋がったわ」
 『SOUND ONLY』と表示された自らの通信端末。多少のノイズは混じるものの聞き慣れたいつもの声だ。
「シンジ、トキタを下げるのにどれくらいかかる?」
『一時間。艦隊の再編成の時間を考えると、本隊を迎え撃つのに間に合わないかもしれない』
「計画の位置で凹型陣形に再編成するのは? 移動しながら艦列を組み直すの、そしたら時間を稼げるでしょう」
『それはもう計算に入ってる。小細工をしている時間はないよ』
「解ったわ……とにかくできるだけ小惑星帯の近くで凹型陣形を組むの。出来れば『上げ底』のヤツ。後は……例の芝居は大丈夫?」
『たぶんね』
「しっかりしてよね、アンタのことアテにしてるんだから」
『了解。何とかやってみるよ』
 もっと自信を持ちなさい……そう呼びかけるまもなく通信は切れた。
「ヒカリ、スズハラ提督にトキタ提督を援護するように伝えて。あと、次の移動命令は最優先ていうのもね」
 命じられたヒカリは「なぜ私が言うの?」と小首を傾げる。言葉にはしないが、表情と動作がそれを伝える。
 アスカの笑み、いつもの人をからかうときのアレだ。そういうところだけは心の姉そっくり。本人たちが聞けばどんな顔をするだろうか?
「その方が効果があるからじゃない。喜ぶわよぉ、ス・ズ・ハ・ラ」
 妙なアクセントとともに提示された名に一瞬動揺するが、アスカの笑みを見た瞬間から警戒していたおかげで表情に出すことなく押さえ込むことに成功する。
「了解しました」
 それでも、わずかに声が高くなったか。
 
 
「さすがシンジ。やるときにはやってくれるじゃない」
 掛け値なしの賞賛。それに値する仕事を彼はやり遂げた。残敵を放り出しての全速力での移動と艦隊の再編成を――太陽風による電波障害の影響でツェッペリン艦隊の到着が最終的に遅れたのも幸いしたが――アスカの希望する『上げ底陣形』をでっち上げるところまでやったのは出来過ぎだ。位置はまだ不足だが、これ以上はアスカの仕事だろう。
「距離、六・四光秒」
 アスカの右腕が天井を指す。
「砲戦準備……行くわよ、アスカ……撃て!」
 誰の耳にも届かぬように自分を奮い立たせ、数瞬の間動きを止めたそれを裂帛の気合いとともに振り下ろす。
 標準時間〇八五〇、公式記録に言う『叛乱軍鎮定戦』……通称『ドーリア星系内会戦』の第二幕が切って落とされた。
 最初の射撃はほぼ同時。六秒前後の間をおいて殺到するエネルギーの数値がそれを教えてくれる。空間が汚れているせいか、斜線が肉眼でも確認できることもあるがそれを喜ぶ気にはなれない。美しくはあるが意味がない上に、視覚的な効果はいやがうえにも兵士の恐怖をあおり立てる。
「敵を引きつけるのよ。絶対に機会は来るわ、それまでは絶対に保たせなさい」
 距離を取るのであればアスカの方が有利になる。極端なまでの火力の集中運用は、距離を取れば取るほどその効力を発揮するのだから。普通、火力を集中するといってもいくらかは拡散し、エネルギー中和磁場によって無力化させられる。ならば、その砲火を束ね威力を上げてみてはどうか? 答えは彼らの眼前にある。疲労をものともせず、アスカ艦隊有利に戦況は推移している。
 戦術の教科書は、このような機会には『遠距離射撃によって、敵の消耗を強いる』ように教えている。だが、疲れているはずの敵よりも味方の受ける損害と疲労感の方が大きい場合はどうするべきか?
 
「全艦全速前進だ。小惑星帯を楯にして回り込め。乱戦に持ち込む」
 決断。少々遠回りになるがこの高密度の砲火の中、馬鹿正直に真正面から突っ込むわけには行かない。下手をすれば相手の所にたどり着く前にこちらが大きな被害を被ってしまう。選択肢は多くない。
 司令席に四つの侵攻パターンが表示される。彼の参謀チームが急遽(きゅうきょ)選定したものではあるが、それぞれの利点と欠点が出来る限り細かく記載されている。艦隊を分けた時点で指示したものだったが、まさか事ここにいたって使用することになるとは思わなかった。
 退役元帥が選んだのは最も時間を節約できるコース取り。アスカ艦隊に休息の時間を出来るだけ与えたくない。
 戦況は確実に、彼の思惑からはずれてきている。
 いや、或いは……
 
 
 敵艦隊の動きが変わった。余裕があるように見せかけてはいたが、実はそれほど余裕があるわけではない。連戦というのは痛いが、ここでわずかでも休息がとれるのはありがたい。緊張を持続させたまま休息をとらせる技術は先の『アムリッツァ星域会戦』で修得した。それに、相手はアスカの注文通りのコース取りで進んできている。現在のところは小惑星帯が邪魔で砲撃は出来ない。休息をとるならここしかないだろう。
「リツコ、一二〇〇をもって例の作戦を実行するわ」
 物理法則が厳密に適用される宇宙空間。加速に要した時間が多ければ多いほどその速度は上がる。ただし空気抵抗も何もないが故、減速にも同程度の時間がかかる。現在の慣性制御技術では、宇宙戦艦などの巨大な物体のもつ急激なベクトルの変化には対応できない。その上、中和できる慣性の上限もある。つまり、制御できるエネルギー量は有限であり、結果を得るにはそれなりの時間が必要なのだ。有限だから通常航行では光速を越えることができないし、効果を得るのに時間がかかるから急加速急旋回もできない。
 話がそれた。つまり、ある程度の速度に達するとコースの変更などは計算で求めることが可能になる。急激なコース変更もできなくはないが、慣性制御機構の限界を超えた慣性重力は艦体とその乗員に容赦なく襲いかかる。艦の自爆覚悟の転身など誰も行わない。例えそのようなイレギュラーを計算に入れてもアスカの打った手は生きてくる。
 そして、不敗の神話も生きている。
「準備は整っています。本当にこのような策が生きてくるとは思いませんでした」
 リツコの正直な感想。いつ役に立つか解らない作戦に、ただでも少ない戦力から一割弱を割いたのだ。多少なりとも軍略を知る者ならば正気を疑う。それでもリツコが信じることができたのは、それ以前の実績と敵艦隊の分裂を予見したその眼力に依る。
 艦隊戦だなんだと大層な事を言っても、所詮は人間が運用するもの。心理戦の様相を呈してくるのは当たり前。
 沈黙する第二分艦隊への専用回線。
「イカリ提督へ繋いで」
 ヒカリの操作によってレーザー通信回線が開かれる。戦時ではあるが映像も送られてくる。その無事な姿を見て、少しだけ心が軽くなる。
『どうかした?』
「このまま微速前進。あと、向こうがこっちに出てくるまでの時間の計算をお願い。アレは一二〇〇ね」
『了解』
 シンジが通信士官に通達を出すのが聞こえる。続いて幾つかの数字。
 回線はそのままに標準時間を刻む時計を見上げる。
 〇九五九。
「四〇分ずつ二交代で休息をとることを許可するわ。しっかり休んでしっかり仕事するように伝えて」
 
「リツコ……」
 標準時間一一五五。突然呼びかけられたリツコが数歩近づく。
「さっき『こんな作戦が生きてくるとは思わなかった』とか言ったわよね?」
 イヤミでも問いかけもなく、確認。
「自然にそうなったんじゃないの。そうなるべく努力した結果よ。根拠のない幸運に頼ったわけじゃないし、奇跡を起こしたのでもないの」
 穏やかだが断固とした芯がある。これだけは言っておかなければならない。
「運命とか、わけ分かんないモノに引きずられてここに居るんじゃないのよ。アタシが決めたの、お祖父様も決めたの。誰にも決めてもらっていない」
 ただその選択がすれ違っただけ。何を恨むべくもない。だからといって『運命』などと言う陳腐な言葉にすがって、簡単に片づけたくない。
「ばかばかしい戰いよ。たかが国ひとつのために命を張るんだから。でも、負けられないのよね。あんなふざけたことを本気で言ってる奴らには、ね」
 氷蒼色(アイスブルー)の瞳が危険な色に輝く。
「時間よ。マヤ、状況は?」
 サブディスプレイの一つに戦術概念図が表示される。
「艦隊の速度がやや速く、X軸方向にプラス二・二パーセントの誤差があります。また、Y軸方向にもプラス〇・〇二パーセントの、Z軸方向にマイナス〇・〇〇八パーセントのずれが見られます」
 起点は予測位置。要するに、予測範囲内と言うことだ。
「それじゃ、標準時間一二〇〇をもって作戦開始。計画に変更なし、と」
 
 
「小惑星帯内部にエネルギー反応。小惑星がこちらへ動いています。到達まで約二分。数、一〇〇〇を越えます!!」
 索敵担当士官の悲鳴に艦橋全体が動揺する。その中で、ただ一人冷静を保っていた老人が一喝する。
「回避は?」
「不可能です」
「ならば、レーザー水爆と光子魚雷で迎撃しろ。巨大な物はコースを変えるだけで十分だ」
「イゼルローン駐留艦隊の移動を確認。こちらへ全速力で向かっています。接敵まで約二〇分」
 そうか、そういうことか……アスカ。やられたな……
「全速前進だ。小惑星の迎撃は各分艦隊に任せる。イゼルローン駐留艦隊を迎え撃て」
「第四分艦隊、シュナイダー提督より入電。小惑星帯より攻撃を受けたようです。被害は、駆逐艦五隻が撃沈、一〇隻あまりが大破、軽巡洋艦は三隻撃沈され、重巡洋艦も一隻失ったようです」
「そんなもの無視しろ。いまは本隊を叩くのが先だ」
「しかし……」
「簡単な足止めだ。迎撃体制などとればあちらの思う壺だ。ルグランジュ艦隊の生き残りはまだか」
「現在こちらへ向かって航行中です」
 小惑星の激突による被害も聞こえてくる。ここが正念場だ。
 
 
「いったいどうやったらあんな状況から戦闘状態を保ったまま出てこれるって言うのよ。非常識な」
 そういう罠を用意した方の常識はどこへやら。
 アスカ艦隊全軍は艦足を止め陣形を整える。一見するとなんのひねりもない方形陣。相対する『救国軍事会議』艦隊はくさび形陣形を堅持している。先の人工流星雨により一五パーセントほどの戦力を失ったはずだが。
 直撃により撃沈された艦よりも、破片による中破、大破の方が圧倒的に多かったため意外と戦死者は少なかった。だが、戦闘不能になった艦艇はどうもしようがない。士気も、消沈するどころか仲間の復讐戦とあってなかなか高い。これで旧ルグランジュ艦隊の生き残りが合流すれば数の上でも上回ることが可能だ。
 とうに砲戦は始まっている。彼我の距離ももうわずか、双方の先頭が交錯し始めている。しばらくすると、『救国軍事会議』軍の圧力に押されるように艦列が割れ始めた。我先に進路を譲るアスカ艦隊の艦艇たち。
 
「勝ったな」
 覚えずしてそんな呟きが漏れる。連戦により士気が尽きたか……思えば、ドーリア星系攻略よりずっと戦闘態勢を維持していたはずだ。なるほど、不安は最も疲労を誘う。
 それにしてもこの胸騒ぎはなんだろう? 勝ちつつあるはずなのに何かがおかしい。
 
「敵艦隊、イカリ分艦隊に接触」
「スズハラ、トキタ。あんたたちの出番よ。空戦隊も出して。総力戦よ! 入ってきた奴らだけ狙いなさいっ」
 報告を受けるや否や指示が出る。この瞬間を待っていたのだ。アスカ艦隊は分断されようとしている。見方を変えてみれば、その深い懐へと誘い込まれた『救国軍事会議』艦隊。アスカ曰く『上げ底陣形』と。本来の防衛線より遙か前で阻止を試み、突破されたように装う。
「しまった!! 擬態か!」
 ツェッペリン退役元帥がその意図を悟った次の瞬間、アスカ艦隊の大攻勢が始まった。
 
 前方はシンジの鉄壁の守りのため塞がれ、周囲は、アスカ、スズハラ、トキタが完全に固めている。後退しようにも友軍がじゃまで思うようにゆかない。破壊と殺戮が極大に達する十字砲火の焦点へ追いやられ全滅を待つ前衛部隊。
 後衛部隊とようやく合流したルグランジュ艦隊の残存艦隊を含めた全軍が、最も数が少ないトキタ分艦隊の背後へと回り込む。その圧力を避けるようにトキタ艦隊が動き、包囲網に穴を開ける。それが最後の、そして最も辛辣な罠となった。
 我先に包囲網を抜けようとする艦艇。反撃などと言う行動は全く考えていない。ただ我先に逃亡を続けるだけの集団と化している。包囲網のわずかな裂け目へと向かうため密度も高まる。その裂け目を広げようとしていた後衛艦隊へと突入し、狙い澄ました砲火が集中した。
 
 
「無様……ですね」
 まさしくそう表現するしかなかった。恐慌状態に陥った味方に陣形をかき乱され、あまつさえ同士討ちまで始める始末。参謀長の言は、これ以上ないほど正鵠を得ている。そこまで敵を追い込んだのは、指揮卓で足を組んでいる赤毛の女性。指揮官が優秀であれば、そこから切り離し混乱させてやればよい。言うは易(やす)し、成すは難(かた)し。
 あまりに見事な手際であったが、その場にいる者全てが賀を述べる気にはならなかった。寡兵であったにもかかわらず、大敵を一掃しつつある。その敵とは、彼女の実の祖父。
 リツコは思う、人のことは言えないと知りつつも、『不器用』な老人と女性だと……なによりも生きることが。そういえば、同じぐらい不器用な青年がこの艦隊にもいるか……
「残敵を包囲体制におくわ。トキタ分艦隊はイカリ分艦隊の後方へ」
 その命令は、戦局自体を終局へと導くもの。その鬱々(うつうつ)とした様子は、リツコも、マヤも、ヒカリも……レイでさえ拒絶する。
 
 
 ツェッペリン退役元帥が混乱を収拾したとき、その艦隊は既に包囲体制に置かれていた。失った艦艇は四割にも達し、残った艦のうちでも戦闘可能と言えば三〇〇〇隻を切る。完敗だ。今となっては個別に抵抗する艦にのみ攻撃が加えられているのがよく分かる。
「ソウリュウ提督より通信です」
「メインに出してくれるか」
 正面の巨大な空間に映し出される孫娘に、一瞬だけ祖父としての表情が出てしまう。それを隠すように敬礼。アスカも同じく敬礼を返す。挨拶と言うよりも、なれ合わないための儀式と言った性格の方が強い。
「お痩せになりましたね」
「いろいろ苦労したからのう。隠れて何かするのがこれほどストレスになるとは思わなかったな」
 冗談めかしてはいるが、憔悴(しょうすい)しきったその様子には明らかに無理を感じる。
「降伏……していただけますね」
「我らにも理想はあるからな」
「貴官がその“理想”とやらの旗手だとでも?」
「“議長”の肩書きは伊達ではないよ」
 ため息。それを手がかりに気を取り直す。
「もう一つお聞かせ願えますか?」
「何かね」
「なぜこのような軽率な行いを?」
「軽率かね?」
「ええ。事実、ハイネセン一つ完全に抑えていないではないですか」
「まず、貴官の力を読み違えたな。これほどできるとは正直思わなかった。ハイネセンがどうであれ、イゼルローン駐留艦隊さえ抑えれば吾々の勝利だ。あながち無謀とは思わなかったが。現実はこうなってしまったがな」
 老人はゆっくりと首を横に振る。
「もう一つ。誰かがどこかで掻き混ぜねば、社会体制でもなんでも澱(よど)んでしまう。我らの目の前に銀河帝国とか言う極彩色の例があるからのう。
 まぁ、こんなものは今となっては……自分がやったものが無駄でなかったと思いたがる自己満足じゃが」
「……」
「面倒ばかり残してしまうが、貴官らのこれからの健闘を祈るよ。臆病者のキールには気をつけた方がよいが……アレがうまくやるだろうて」
「お祖父様!」
 ツェッペリン退役元帥の言葉に不穏なものを感じたアスカが思わず呼びかける。
 自分と同じ氷蒼色の瞳に映る色、疲れたような不健康な笑み。その影には暗い決断が見える。
「なにかな?」
 その穏やかな声音に意志の強さがこもる。止めることは……できそうもない。だから、
「どうか、ご自愛ください」
それだけを送った。
「アスカ」
 思いもかけずさしのべられる、声。
「肩の力を抜いて、シンジ君と仲良く……な」
 それはまさしく、孫を気遣う老人のものだった。『仲良く』の意味も解らいではない。なぜか今は、それを受け入れる自分を否定したくはなかった。
「さて、ソウリュウ提督。貴官の降伏勧告……受諾しよう。責任は本職一身にある。兵士たちには寛大な処置を求める」
「了解いたしました。ご英断、ありがとうございます」
 思わずこぼれた感謝の言葉。この場にはそぐわず、勝者たる自分が発するのはおかしいのかもしれない。しかし、ここは自らの心に正直に従った。
 もう一度敬礼。
「余計なことも言ったが、遺言としては十分ではなかったかな」
 アスカが何かを言うまでもなく、
 通信は一方的に絶ち切られた。
 戦闘による光は、いつしか見えなくなっていた。勝利は得た……何のために? 誰のために?
 涙は……もう流さない。
 
 
「すまんが、後は頼む」
 軍服の隠しから手紙と思しきものを取り出し、指揮卓上にその性格通り丁寧に置く。老元帥の言葉の意味するところは明白であったが、艦橋要員の誰もがそれを制止することはできなかった。どちらにしろ、彼に待つのは確定的な“死”でしかない。その手段を選ぶことが最後の自由とも思える。多分に自己満足の世界ではあるが……
 自らの執務室。無人のはずのそこに招かれざる客がいた。
「まさかこのような結果になるとは思わなかったな、議長閣下」
「君は、本国で療養していると記憶しているが?」
 先の『統合作戦本部長襲撃事件』の加害者が目の前にいる。精神を病んでいるとして予備役から退役の上、療養――言葉を飾っても仕方がない要は監禁だ――生活にあるはず。部下の暴走とは言え今回の反乱劇で犠牲に供された人物とも言えるが、自身がその原因の大半を所有していることには否定の余地はない。
「なに、深層催眠によって貴様らの思う虚像を作り上げただけだ。我らにはそのようなこと造作もない」
 相も変わらず傲慢な素振り。その底の浅さを隠しきるには至らない。どこかが薄いのだ。
「で? アンノ退役准将。『我ら』と言うからには何某(なにがし)かの使い走りか」
 わざと激発しそうな言葉を選ぶ。が、アンノは深呼吸するだけで怒りを抑える。この男を抑えることができるとなると……バックはよほど大きな組織なのか、上に立つ人物がそれだけのものなのか。
「貴様には、まだ利用価値がある。“死”を選ぶことは許されんな」
 その小人ぶりを遺憾なく発揮し、さらに尊大に振る舞おうとする。
 音? めまい? 続いて体を支えることができなくなり、退役元帥はその場に崩れ落ちる。
「やっと効いてきたか。効果には個人差があるそうだが……さあ、眠ってしまえ。我らが崇高なる目的の礎となるために」
 ゆっくりと近づいてくるアンノ。老いたる元帥が最後に見たのは、逆三角形と七つの瞳。
 そして……意識は、闇の中へと落ちていった。

 
 



Y
 
 

 「ツェッペリン退役元帥行方不明」の第一報は、当然の事ながらアスカ艦隊へともたらされた。部下が執務室へ確認のために訪ねたところ、在るはずの遺体は存在しなかった。
 代わりに、エネルギーカプセルを装填したままのブラスターと音響幻惑機器の一部と思われる部品が発見された。ブラスターはツェッペリン退役元帥のものと確認されたが、音響幻惑機器に関しては出所が解らなかった。さらに、旗艦『エンキドゥ』の兵士が三人消えていた上に死体が六人分。ここまで来れば何が起こったか解る。
 誘拐。
「こう言ってはなんですが、いまさら閣下の身柄を得て何のメリットがあるのでしょうか?」
 とはマヤの言。『救国軍事会議』が勝ったのであればともかく、敗れてしまっては同盟政府以外がその身柄を得たとしても政治的、また軍事的にも得るところはない。
 損得抜きで考えるのであれば、一番怪しいのはアスカだ。出来たかどうかは別として。
「問題はそこね。それが解ればどんな組織が関わったかも解るわ。でも、これはもうアイダ大佐の領分ね。さ、マヤ。索敵結果の報告書は出来たの?」
 
「ツェッペリン退役元帥に関しては『死亡』って事で処理しておいて。上層部に「生きてる可能性がある」なんてバレると後がうるさいから」
 報告書の表示された携帯端末の電源を落としながらヒカリに淡々と告げる。
「ホントにいいの? それで」
「確定された死よりも、不確定な未来。あのままだったらお祖父様は自らの手で命を絶っていたでしょうね。でも、誰が何のつもりでやったかは知らないけど今は生きている可能性があるじゃない。最悪よりはいくらかましよ。遺体は……そうね、相手の意をくんで宇宙葬にでもした事にしましょうか」
 強がってはいるがその奥に安堵がある。
「今ならあちらの旗艦に箝口令(かんこうれい)を敷けばすむかも。アスカのお祖父様、ずいぶん好かれていたみたいだからこの方が楽ね。お葬式はホントにしなくちゃいけないけど。
 問題は連れ去ったのが誰か、だけど……」
「そんなの、全てが終わってからアイダにでも調査させるわよ」
 どこか投げている素振りのアスカは気になったが、山のようにある仕事の方も気になる。結局、先の戦闘の残務処理に追われその日はそのままになってしまった。
 
 
 九月に入り、アスカ艦隊がハイネセンより観測可能な宙域まで進出してきた。通常の三倍近く時間がかかったのは、当面の敵よりも味方の方に原因がある。
 先の戦闘によって完璧な勝利を得たアスカ艦隊だったが、それにより周囲の政治的状況が一変した。一貫して中立の立場を通してきた各星系政府が雪崩をうってアスカ艦隊……ひいては自由惑星同盟政府の支持を表明した。それだけならアスカ達の行動を阻害することはなかったのだが、問題はすぐに表面化した。市民義勇兵たちだ。
 上は九七歳の退役大佐から下は一〇歳の戦艦マニアまで。
 いささか乱暴な物言いだが、竹槍持たせて立たせておけば『戦力』と主張できる地球時代中世の市民抵抗運動とは違い、極度に機械化された宇宙戦争なのだ。訓練されていない兵士などは使えないどころか邪魔にしかならず、はっきり言って直ちに帰っていただきたかった――実際アスカは、艦橋や執務室で新たな義勇兵たちの到着を聞く度に「帰ってもらいなさいっ!」などと叫んでいた――が純粋な好意を無下にするわけにはゆかない。
 そこで、まず条件を設けた。年齢、満一八歳以上満六〇歳未満。傷病歴の有無。未成年者には保護者の同意書。以上を証明するものを持参している者。それに加え、体力的、体格的に明らかに軍務に耐えられないと思われる者を省くと、ほとんどが『書類の不備』で落とされ、やっと最初の一割くらいになった。それでも三万人以上と言うのだから、この場に『事務仕事の鉄人』リョウジ・カジ少将が居ないことが悔やまれる。それでもヒカリとマヤが主力になって『市民義勇兵事務局』を開設、義勇兵たちを選抜したが、落選した者からの抗議を処理する方が大変だったという有様だ。さらに、適当な補給基地や索敵基地に彼らを分割して『配属』――押しつけるとも言うが――し、気がつけばこんな時期になっていた。
 時間はとったが、マイナス面ばかりではなかった。それは、実戦を知った新兵たちを鍛え直す時間がとれたこと。明るい材料と言うよりは、アスカ艦隊首脳陣が自分たちを慰め納得するための方便に過ぎなかったが。
 ハイネセンでは『議長』を失った『救国軍事会議』の弱体化の兆しが見え、こちらでも多数の市民が立ち上がっている。
 元々『スタジアムの虐殺』以降、なけなしの支持者も逃がしてしまい孤立感を深めていた。そのために、いちいち過剰反応してしまいどうにも収拾がつかなくなってきている。
 
 
「本日、標準時間〇三二二。アスカ艦隊がバーラト星系に入りました」
 アカギ大将の新しい副官、シゲル・アオバ少佐が報告書を読み上げる。その行為に対しては別段意味はない。要は暇なのだ。
 現場レベルでは、毎日駆け込んでくる『避難者』の取り調べ、難民用の仮設住居の設営などやるべき事はいろいろとあるのだが、そういう細々したことは彼女のスタッフで取り仕切ってしまい、ナオコの下には報告書が来るだけ。ゲンドウには一応『手足』はあるからそこそこ好きにやっているようだが。
 『宇宙艦隊司令長官』などと言っても、指揮すべきは手元の陸戦隊一個連隊と飛べない大気圏空戦隊一個師団。それも、先にあるように日々の雑務に追われ反撃などできようもない。ばかばかしい話だが実際に戦闘など月に数回しか行われず、いずれも小競り合いで終わっている。
 ところが、その雑務処理の第一線に立っていたブレンダ・エリソン・オレウィンスキー大尉が神経性の潰瘍を患い床に伏してしまった。軍務自体は彼女抜きでも何とか運用できる――効率はかなり悪くなった――そうだが、副官の後任は決めなくてはならない。というのも、一〇年以上もナオコの副官として働いてきたのだからそろそろ別の人物に変えてもいいのではないか? という意見があるから。確かにその言には一理ある。
 結局、参謀本部内で一番若い――その長髪が疎(うと)まれたという説もあるが――アオバにお鉢が回ってきた。事務処理にもそこそこの才能を見せ、副官としての適正に不可はない。
 ナオコにとっての不満は、彼女とその副官が煩瑣な事務処理に参加することを禁じられたこと。オレウィンスキー大尉の例を引き合いに出されては、たとえナオコであっても首を縦に振らざるを得なかった。そういうわけで、時間だけは余っている。
 自壊への道を爆進中の『救国軍事会議』は気にはなるがそれほど怖い相手では無くなった。さて、アスカ艦隊はどう出てくるか……それによってはこちらも行動する必要が出てくる。
「速度は?」
「第一巡航速度を維持。この速度ですと、ハイネセン到着は約一六八時間後と思われます。しかし……」
「『アルテミスの首飾り』、ね」
 一二基の攻撃衛星がハイネセンを外敵から守るため、相互に補完しあいながら首都惑星ハイネセンを周回している。鏡面装甲が施されたその基部には、レーザー水爆ミサイル発射口一八門と大出力ビーム砲が三六門という戦艦数隻分の装備が施されている。それぞれが惑星ハイネセンの制御施設から指令を受け無人で稼働する。また、センサの有効範囲に於いては自立稼働も可能。さしずめ、小要塞といったところか。
 この攻撃衛星を含めた首都防衛システム全体を、『アルテミスの首飾り』と呼称する。
「あれだけは何とかしておくべきだったかも知れないわね」
 そうは言いつつも、それほど心配しているわけではない。ただ、自分を信用して『クーデター発生の懸念』を語ってくれた遙か年少の僚友に対して、何か負い目のような物を感じているのは確かだ。
 結局、自分はその期待に応えることができず彼らの暴走を許してしまったのだから。
 
 
「問題は、『アルテミスの首飾り』をどうするか、ですね」
 力攻めでも何とかなるが、無人の機械に対して予想される被害の大きさが気になる。少なくともこちらには死者が出る。たかが機械相手に。
「大丈夫よ、マヤ。こっちの被害は無いわよ。ちゃーんと考えてあるんだから」
「どういうことですか?」
「シンジ、例の作戦だけど、第六惑星くらいがちょうどいいと思うんだけど」
 リツコの問いかけをそのままに、いきなり実行段階の話をはじめる。その目は何かを企んでいるときの目。長いつきあいではないが、そのくらいは解る。また、なにやらもったいぶっている様子だが、この人はそれでなくてはならない……ような気もする。――ようやく、リツコもイゼルローン色に染まりつつあるらしい。
「そうだね、あそこはドライアイスの塊だから作業はしやすいだろうね」
「作業は?」
「工兵隊、このあいだ小惑星で作業した部隊にやってもらうよ。やることは変わらないだろうし」
 妥当な線だ。残りの工兵隊は、小破した艦の修理作業のままといったところか。その中には、義勇兵の技術者も多数配属されている。進軍に当たっては障害となったが、このあたりは助かったとも言える。中破、大破の艦はもれなく後方においてきた。
「そうね、まぁそれでいいんじゃない? 作業の指揮は……そう、マヤ……頼むわね」
「ええ、それはいいんですけど……」
 まだ、作戦の概要すら聞いていない。
「氷の円柱を投げつけてブッ壊してやろうって事。全部ね」
「全部……ですか?」
「そう、全部。一回やってみたかったのよ。あの気色悪い攻撃衛星を潰すのって」
 昔から『アルテミスの首飾り』を見る度に不快感を覚えていたのだ。それが、こうも大手を振って出来るのだから否やはない。
「後で何か言われるのではないですか?」
「その時はその時で考えるわ。ハイネセンに落ちちゃわないように軌道の計算、ヨロシク」
「了解しました」
 それにしても、一般士官食堂のパーテーションの中でこのような会話が交わされているとは誰も思うまい。苦言を呈するはずのリツコも慣らされてしまったのか何も言わない。AセットとBセットが並ぶ机の上に無骨な携帯端末が混じるその光景は、出来の悪い喜劇のような失笑を誘う。
「ハイネセンを最初に攻めるのは帝国軍ではなくて、なんと同盟軍中将のアスカ・ラングレーだって言うんだから皮肉なモンね」
 合成蛋白(グルテン)ハンバーグの最後の一切れを口に放り込み、数回の咀嚼で飲み込む。
「政府に連絡はよろしいのですか?」
「盗聴の危険を冒して? やってもいいけど逆効果になるんじゃない?」
 こちらから、軍用宇宙港をポイントしてのレーザー通信回線を開くなどと言う芸当は不可能。であれば、リツコの案を実行するには盗聴されることが前提となる。若干ではあるが、『救国軍事会議』側に身柄を拘束されている政府高官もいるのだ。結果的にはどうあれ、見殺しにすることを前提とした作戦は立てられない。
「ハイネセンに対するフォローも必要です」
「それは確かに正しい意見ね。相手がまともな組織ならアタシだってそれくらいやってるわよ。
 でも、退役元帥が消えてから……違うわね、アタシたちの迎撃に出てから組織の劣化が激しいようね。まともな判断力も残ってるかどうかも怪しいわよ。もし、人質に銃口でも突きつけて投降を迫ってきたらどうしようもないわ」
 深刻な事態を楽しむように言ってのけ、紙コップの紅茶をすする。レイやシンジの淹れる紅茶に慣れてしまった舌には「水よりまし」ぐらいの感想しかわかない。軍艦の食堂にしてはかなり美味い方なのだが。
 アスカの反論に対して「それは、貴い犠牲と言うことで……」などと口が裂けても言えるリツコではない。それではミサトと変わらないではないか。第一、自分がそんなことを言い出せばこの司令官はためらいも無くやってしまうかもしれない。ミサトと同種の……いや、それ以上の思い切りの良さがあるが故に。この人の価値判断基準がいまだ曖昧だというのもある。だから、
「それもそうですね」
と答えるしかなかった。この艦隊のブレーキであることを意識して。
「そっ、じゃぁマヤ、任せるわね。細かい資料は……これね」
 自分の携帯端末を操作して幾つかのファイルを転送する。送られてきた物をすぐさま開き、ざっと目を通す。
「解りました」
 それだけで十分。
 司令と副司令、席を立つのが同時。リツコとマヤが見る限り合図のような物はなかった。
 
 
 ここで相対性理論の基本原理の一つを思い出していただきたい。
 曰く、「速さが増すとともに、質量もエネルギーも増大する」。
 運動する物体の相対的質量は、速度が光速に近づくほど増えるのだ。それは、破壊力も増すと言うこと。
 実例を挙げれば、光速の九九・九パーセントのスピードを得た場合、相対的質量は元の約二二倍に増える。また、光速の九九・九九パーセントであれば、約七〇倍となり、さらに光速の九九・九九九パーセントであれば約二二三倍となる。この後小数点以下の位が伸びるに従って、ばかばかしいほど相対的質量は増大してゆく。
 しかし、絶対に光速には追いつかない。無限大の質量を支えるだけの推力がないからだ。超光速機関のようなイカサマ行為をはたらかない限り、このような正攻法では光速の壁は破れない。
 この作戦で使用するのが、バサード・ラム・ジェット・エンジン。先にマヤに発注したドライアイスの円柱の中心に穴を開ける。真っ直ぐな。その進行方向には、バスケット状の電磁ネットが張られる。これによってイオン化され荷電した星間物質を取り込む。それは、氷柱に近づくまでの極小の時間のうちに圧縮され高熱を得、先に作成された通路を通り、氷柱の後部に取り付けられたエンジンにおいて核融合反応を起こす。このとき得られるエネルギーは、当然のことながら入ってくるときより大きい。これによって莫大な推力を得た氷柱の星間物質の時間あたりの取り込み量は増え、さらに巨大な推力を得、さらに星間物質の時間あたりの取り込み量は増え……キリがない。こうして光速に近づいてゆく。
 円柱にするのは、推力の軸線をずらさないため。妙な質量バランスだと、どこへ飛んでゆくか解った物ではない。
 今回用意する氷柱は一二。一つの質量をおよそ一〇億トンとする。軌道計算と、迎撃プログラムの解析。残る条件としては、惑星ハイネセンにたたき込んでしまわないこと。それによって個々の到達ポイントを決める。
 宇宙の気温(?)は絶対零度の零(〇)ケルビン(K)。摂氏で言うところのマイナス二七三・一六度(C゜)に極めて近いためドライアイスとはいえ溶け出す心配はない。ちなみにその融点は摂氏マイナス七九度(C゜)。
 最終的な到達速度は光速の九九・九九九パーセント。相対質量はだいたい二二三〇億トンとなる。あまりに巨大な数字に例えるのもおっくうになるが、一般的な可住惑星の歴史が終わってしまうに十分な衝撃となる。ともすればその形が変わってしまうだろう。話が大きくなりすぎてどうも実感がわかない。卑近な例を用いて六〇階建てのビル三〇〇万個分などと言われても同じ事。やっぱり実感がわかない。
 確実なのは、そんな物をぶつけられては軍事衛星だろうが何だろうがひとたまりもないと言うこと。イゼルローン要塞とてかなり危険だ。やりすぎという説もあるが。
 
 
 最後の拠り所であった『アルテミスの首飾り』。その全てが、今、はぎ取られてゆく。
 何のことはないただのCOの塊。だが、その質量を脅威として『アルテミスの首飾り』は防衛行動にでた。同盟における絶対的な防御の象徴であった一二基の攻撃衛星が、むなしくも勇敢に搭載された武装の全てを使って目標の消去を試みる。
 全てのレーザー水爆ミサイルを撃ち尽くすも、あまりに巨大な氷塊にとってそれほど深刻な事態にはならない。まだ、目的達成には十分な相対質量を保っている。続いて光学兵器による砲撃が始まるが、氷塊の壁に直径三メートルの穴を幾つか穿つにとどまった。それ以上のものではない。高い収束性が仇となったのだ。この兵器の性格上拡散させれば威力が落ちるだけなので仕方がないと言えばそうなのだが。
 蒸発したCOはすぐに固化してしまい、質量の減少すら見られない。先に、レーザー水爆ミサイルで砕いたドライアイスは、元の運動エネルギーを保ったままその生成の元となった氷柱と併走している。
 
 質量計の数値を読むのもばからしい。律儀に数値を読み上げていた計測担当士官を黙らせたのはアスカ。
 メインスクリーンに映し出された無音の破壊は、飛び散るものが多いだけに普段の戦闘より迫力がある。不謹慎を承知で、アスカ艦隊全軍がこのショーを楽しんでいた。
 ハードウェアに頼り『難攻不落』をうたう事への愚かさは、昨年アスカがイゼルローン要塞に於いて示した。だいたい、ハイネセンまで攻め込まれるような状況を想定するとすれば、それは同盟全土の失陥と同義であるはずだ。
 バサード・ラム・ジェット・エンジンの点火よりわずか六時間後。『アルテミスの首飾り』を構成する全ての攻撃衛星は消え去った。残骸が残ったものもあったが、それはもう残骸でしかなく、元が何であったかなどもう意味をなさない。大半はドライアイスの塊とともにどこかへ消え去ってしまった。
「終わったね」
 そう、終わった。半年に及ぶ馬鹿馬鹿しい茶番劇は終わった。このショックがさめやらぬうちに降伏勧告を出し、ミサトたちを地上に降ろせば全てが終わる。
「でも、アタシたちにはまだやることがあるわよ」
 『Nerv』の問題が片づいていない。ベンハルト・ツェッペリン退役元帥の行方も解らない。口にしたのは、全然別のことであり、全てに繋がること。
「小父様……苦手?」
「別にそうじゃないよ。ただ、もう長い間会ってないから」
「そう」
 下手な言い訳。でも、まぁ、逃げ出さないように首根っこ押さえとけばいいかな?
 
 
 『救国軍事会議』降伏。
 その事実は、全てのメディアを通して同盟全土へと普(あまね)く伝えられた。アスカ艦隊の功績を伴って。
 クーデター鎮定の立て役者、アスカ・ラングレー・ソウリュウ大将はその地位や立場に比べると、非常識なまでに容儀が軽く、シンジ・イカリ中将のみを引き連れさっさと動き回ってしまう。シンジ自身がこの上なく頼もしい護衛ではあるのだが、そのシンジも護衛を引き連れているのが当たり前の立場なのだからどうにもならない。リツコあたりが口やかましく言ってもまるで改めようとはしない。
 イゼルローン要塞の中であればさほど心配はしないが、今はどこにクーデター派の残党が潜んでいるか解らないハイネセンである。
 今日も今日とて、心配性なリツコの言――というか、こちらの方が正常な反応なのだが――を聞き流し自分の足で半要塞化した軍用宇宙港へと向かう。
 半年に及ぶ籠城戦を戦ったわりには、なかなか元気そうなナオコ・アカギ提督に心から安堵する。
「お元気そうでなによりです」
 月並みな言葉だが、万感がこもっている。自分のような小娘の言を信じて待っていてくれたのだ。実績があると言っても実際は空手形に近かったのに。
「貴女こそ、本当にお疲れさま。でも、閣下は……」
 静かに首を横に振るアスカ。ナオコは共犯にしたくない。
「そう……力になれなくてごめんなさい……
 せっかく警告してくれたのに」
 何もできなかった。軍用宇宙港へ逃げ込んだのもゲンドウの警告があってのこと。自分は何もできなかったという思いは、ことのほか強い。
「お気になさらないで下さい。時間もなかったことですし」
 シンジのフォローも不発気味だ。ナオコが言いたかったのは、実の祖父と命のやりとりをさせてしまった事への謝罪。それを止める最後のチャンスがナオコの手の内にあったのは確かなこと。
「さっ、ソウリュウ提督。他にも待ってる人がいるんだから」
 一瞬ひげメガネの上司が脳裏をよぎるが即時抹消。変わってその人物の妻がその座を占める。うん、これなら解らなくもないし、精神衛生上も問題なし。どうせもうすぐ顔を会わさなければならないが。
 追い立てられるように退室。ナオコとしては邪険にしたつもりは更々なく、一刻も早く母親に会わせてやりたかっただけ。キョウコ、ユイとは軍人の子を持つ母として意気投合してしまったところ。この世紀末に於ける政・軍・財各世界の人材としては最強の布陣かもしれない。別名、対ゲンドウ最終兵器群。どうでも良いことではあるが。
 
 一通りの口頭での報告を終え、あとはデータにして後日渡すだけ。ゲンドウとユイ。さらにシンジ。イカリ家の三人が一〇数年ぶりに勢揃いしたわけだ。アスカも違和感無く“イカリ家”の中に溶け込んでしまっているが、物心ついたときからの家族ぐるみのつきあいだったのだから当然と言えば当然。
 執務机には先の手紙。その先にはゲンドウがいつものポーズでこちらを見ている。
「説明……していただけますね」
 ゲンドウの視線を真っ向から受け止め、そのまま叩き返す。アスカは、心配そうに――と言えば本人は否定するだろうが――シンジを見つめ、ユイは余裕で微笑んですらいる。
「書いてあるとおりだ」
 
『お前しかできん、だからやれ。
 拒否することは許さん』
 
 昔なら「やれ」とだけ言ってくることも考えられた。それを思えば、理由まで書いてあるのだから大したものだ。確かにいわんとすることは最低限度伝わっては来る。
 ゲンドウからしてみれば、先の叛乱鎮定命令の折りにシンジに説明を求められたことから一応の説明を加えた――誰にも秘密だが――のだ。
 残念なことに、世間様一般ではこれを『非常識』と言う。ゲンドウの場合は「これを」ではなく「これでも」と言い換えた方がよいのかもしれない。
「それで納得できないから聞いているんだよ!」
「どこに問題がある?」
 このあたりでアスカはユイに近づき、殴り合いが始まった場合の相談をもちかける。この部屋に入ってからのシンジがどうも物騒だから。そんなシンジを挑発し続けるゲンドウ。もちろん本人にその気はない……たぶん。だからこそ問題なのだが。
「大ありだよ。だいたい『Nerv』って何なんだよ。ボクに何をさせたいんだよ。答えてよ、父さん!!」
 これほど熱くなっているシンジを見るのは本当に久しい。アムリッツアでの退却戦以来ではないか? 叛乱鎮定命令の時も、ドーリア星系内会戦の時もまだどこかに余裕があったように思う。何がシンジを追いつめているのだろう?
 降り積もる沈黙。
 落ち着かないアスカ。
 傍観者に徹するユイ。
「聞いてどうする」
 物理的な圧力を伴った沈黙。それを事も無げに払い除け、傲然とシンジを見据える。薄い色のサングラスが妙な角度で光を反射するため、表情を読むことはできない。口元を隠すように組まれた手も、それに一役買っている。
 そんなゲンドウを射抜く視線。普段の気弱な青年のものではなく、抜き身の刃が如き切れ味。一度だけこの目を見たことがある。アスカにとってあまり思い出したくない、シンジが大きく変わるきっかけになった事件の時。あのシンジだ。
 マヅイ。
 本気でそう思ったがどうしようもない。今のシンジはリミッターが――いつもの詰めの甘さとも言うが――機能して無い。あの時とは違い、力も技術もある今のシンジはまさしく凶器。そういった人物を前にして、平静さを保つことができるゲンドウとは? アスカが見るところ、決して虚勢ではない。
「ボクが判断するさ」
 デスクに右手を叩き付け身を乗り出す。
「お前が判断? フン、出来るのか?」
 結局、この男はそういう言い方しかできないのだ。イヤミで言っているのであれば、シンジの前にアスカが何か言いそうなものだが……それどころではなさそうだ。シンジが暴発することを考えてかなにやら身構えている。確か、銃器の扱いはともかく格闘術の成績は良くなかったはずだが……
 そんなアスカを横目で確認したシンジの肩の力が抜ける。少し冷静になる。
「父さん」
「何だ」
 ややトーンダウンしたシンジ、全く変わらないゲンドウ。
「それが、説明しない理由にはならないと思うんだけど」
 シンジの正論にゲンドウの肩がわずかに震える。気が付いたのはユイぐらいのものだが……動揺したらしい。
 顔の前で組んでいた指を解く。サングラスの位置を直し、視線を外したまま立ち上がる。
「たまには家へ帰ってこい。話はそこでだ」
 今度は正面からしっかりと息子を見据える。
 
 大きくなった。前にこうして相対した時には見下ろしていたが……私も年をとるわけだ。我が子の成長を最もシンプルな形で突きつけられ、妙な感慨と寂しさにとらわれる。立体映像越しであったり、自分が座っていたり……そういえば直接顔を合わせたのは約一〇年ぶりだったか。なるほど、この前まで子供だとばかり思っていたが。
 
 父が小さく見えた。
 昔から、
 傲慢で。
 身勝手で。
 どうやっても敵わなかった。
 今までは見上げる存在だった。今日の……今の父は、やけに……シンジが父を同列の人間として初めて捉えた瞬間だったのかもしれない。今までは冷厳な父に対し、違う世界の人間のような印象を抱いていた。それが疎遠になる原因の一つでもあったわけだ。
 悪いのは、それだけの溝を作る事を許してしまったゲンドウだ。仕事を理由に――これが本当に忙しかったのだが――我が子と接する時間を持たなかった責任は、いかな理由があろうとも逃れ得るものではない。その溝を埋める努力を放棄した双方という見方もあるが、それでも年長者であるゲンドウの方により大きな責任は課せられるべきだろう。結果、シンジは実の父よりアスカの父であったアルベルトの方に懐いていた節がある。
 シンジにとって、こうして等身大のゲンドウを見るのは初めてのこと。戸惑いの方が先に立つ。だから、とりあえず頷いた。
 
「もしかして小父様、最初にこれを言いたかったんだけどタイミングを逃したんじゃ……」
 アスカの鋭すぎる呟きを聞いていたのはユイだけ。幸いにもと言うべきか……ゲンドウにとっては。私人に戻った今なら自分を偽ることが出来ない――仕事とプライベートの間に引かれた明確な一線。嘘発見器をだまし通す男とは思えぬほどの繊細さも持っているのだ。
「ねっ、あの人もかわいいところがあるでしょ」
 少女のように目を輝かせ、良人(おっと)を自慢する。銀婚式を数年前に済ませた夫婦とは思えない初々しさがそこにある。ある種、理想ではあるのだが、目の前でやられると暑苦しいことこの上ない。
「そんなもんですか……」
「アスカちゃんにはまだ解らないかしら。まぁ、そのうち解るようになるわよ」
 解るようになりたいような、なりたくないような……
「こっちの話は終わった。悪いがすぐ来てくれるかな」
 ユイとアスカが目を離した隙にゲンドウがインターホンに呼びかけている。口調からすればかなり親しい関係なのだろう。仕事用に常備している精神の仮面をかぶる素振りすら見せない。ユイも泰然としたものだ。
 “悪いがすぐ来てくれるかな”だ。あのゲンドウが他人に気を使っているというのが、いまいちピンと来ない。
 わけが分からず、自然と顔を見合わせるアスカとシンジ。
 誰?
 さあ……ボクに聞かれても……
 それもそうね。
 それだけの会話を視線だけでやってしまうのだから、この二人の相互理解というものは底が知れない。どうしてお互いの……せめて自分の気持ちぐらい解らないのだろうか? 何より解ろうとしているのだろうか? 感情の産物を。
 朴念仁代表のゲンドウはともかく、ユイからすれば見え透いているのだが……口にするのが余計なお節介と思うから何も言わないだけで。
 カパカパカパカパカパ……
 不審な足音(?)たぶん足音なのだろう。ずいぶん急いでいるようだが、この部屋の前でその音が止まる。目的地はここ、当然導かれる結果としてゲンドウが呼んだ相手。シンジなどは露骨に構えている。あの会話の後だ、無理もない。
 内に高まる緊張など無視して扉が開かれる。
「Hallo Asuka.
 元気そうね」
「ママ……」
 戦争自体に嫌悪感を持っているキョウコが、軍事施設にいることなど想像の外だった。祖父のことだから何か手を打っているのではないかと思っていた。
 今になって考えてみれば当然とも言える。『救国軍事会議』で本国に残留したのは、将帥としては三流の輩であった。プライドも理想もなく、ただ打算のみで付き従う彼らに退役元帥は大した期待を――現状維持ぐらいは出来るだろうと思っていたが――していなかった。そこへ『アスカの母』などぶら下げればどうなるか? 誇り高い退役元帥には、そのようなことを容認できなかったのだろう。味方よりも信頼するに足る敵……皮肉なことだが。
 退役元帥は、本当に勝算有りと見込んだのだろうか? この戦いに。
「……って、なに? そのカッコ」
 感動の再会も何もぶちこわしの一言……と、その格好。
 多少手を入れて無理矢理サイズを小さくしている野戦服。元が百八十センチぐらいある大男を想定して――これでも一番小さかった――作られていたため、着易くはなっているかもしれないが見てくれはどうしようもなくなっている。
 不審な足音の原因たる軍靴。九インチサイズのそれはキョウコのサイズに合うはずもなく、どこから調達したか知れない紐でぐるぐる巻きにして固定されている。足首から下は同じ手段が使えず詰め物をしているが、それでも足音が妙に反響してしまい先のような足音になってしまう。
 控えめに言っても『変』だ。なにせ、鈍感シンジもそう思ってしまったぐらいだ。イカリ夫妻は見慣れてしまったため反応は無し。人間の環境適応能力を甘く見てはいけない。
「ん? これ? ちょうどいいサイズがなかったのよ。まあ、“ちょっと”アレだけど」
「……“ちょっと”……これが……」
 平然と言い切るキョウコに、未だ立ち直れないアスカ。
 日常を取り戻したハイネセンを象徴する一コマ。そう思うことにしたユイだった。
 
 
 無人の町を疾駆する四輪駆動水素動力車。運転しているのはカヲル、サイドシートにはレイ。ミサトに周辺の警邏(けいら)を指示されたカヲルが、置いてけぼりを食った――自分からアスカ達を避けていたのだが――レイを見かねて気晴らしにと誘ったのだ。
 ミサト仕込みのドライビングテクニックで、シャンダルーア戦勝記念通りから直角ターンを決め細い裏道へと侵入する。とにかく、警邏を主張できるコースをとればよいと……それだけの考えだ。
「キャッ、なになに」
「喋らないっ。舌をかむよ」
 急ブレーキ。どこのバカだ、飛び出してきたのは。先の無茶なターンのおかげでスピードが殺されていたことが幸いした。その『バカ』の手前で緊急停止。粗末な貫頭衣(かんとうい)と言うのが異常だが、それ以外は血色の悪い普通の男だ。
「どうかしましたか?」
 内心の苛立ちを抑え、愛想良くカヲルが対応する。タテマエが、『市民に奉仕する公務員』である以上邪険には出来ない。ましてや軍人による不祥事の直後である。それが、爆発するほど怪しい人物でも……
「逆三角に七つの瞳……地球教徒ね」
 レイは面白くなさげに男の背の縫い取りを見る。つい最近ミサトが見せてくれた資料に載っていたのだ。御神体が地球であり、その地球を同盟領に加えるためには何でも協力すると言うアブナイ集団だ。政府や軍としては、利用し甲斐のある組織という見方もあるが、宗教には出来る限り関わりたくないと言うのが本音。
 確かに地球は人類の母なる惑星だが、それは過去の話。センチメタリズムの対象にはなってもそれ以上のものではない。一般の人間からすれば、「ああ、そういえば昔学校で聞いたな」と、言った程度でしかないのだ。それも、あまり良い印象を与えるものではない。
 全くもって非礼な呼び止め方――体を張ってはいるが――をしたくせにこちらを見ようともしない。男が見ているのは、自らが出てきた(と思われる)建物。そこからVIPと思しき人物が現れる。
「BrigitよりHQ。Dagdhaを確認、迎えをお願いします。場所は……」
 冷静かつ明確なレイの報告は、リツコとミサトの頭を抱え込ませるに十分だった。よりによって何というものを拾ってくるのだ、と。別に、レイやカヲルが悪いわけではないのだが。
 自由惑星同盟最高評議会議長キール・ローレンツ。今回の事件に対し責任の一半がある人物だが、決して表に出てくることはなく今ごろ穴蔵から出てきたというわけだ。全てが終わった後に。これで好意を持てと言う方がどうかしている。
 若い軍人たちはどちらからともなくため息をついた。相手は、放射性核廃棄物よりやっかいなものである。レイやカヲルは、側にいる大人たちの影響からかこの男が大っ嫌いなのだ。自己陶酔と欺瞞(ぎまん)に満ちあふれた演説や、その煽り立てるような口調もだが黙っていてもどこか神経に障るのだ。「虫が好かない」というやつだ。
「地球教徒とキール……どんな関係だと思う?」
「状況だけなら、かなり仲がいいみたいだね。問題は、どっちが主か……ってところかな」
「それは、アスカさんの仕事ね。ほら、呼んでるわよ」
 フロントガラス越しに見れば……なるほど手招きをしている初老の男。張り付いた作り物の笑みは少年少女の警戒心を刺激するに十分だ。
「仕方ない、出てゆこうか。レイ」
「アタシも?」
「一人残っているのはおかしいし、非礼に当たるよ。一応議長閣下の御前なんだから」
 自分は欠片も敬意を払っているわけではないのに、レイには説教をしてみせる。彼も不安なのだ。
「仕方ない、相手をしてあげますか。いざとなったらカヲルも居ることだし」
「へ?」
「当然カヲルが守ってくれるんでしょ。か弱いレイちゃんを」
 どうも「か弱い」という言葉の用法が、決定的に間違っているような気もしたが賢明にもそれを指摘することは避ける。カヲルがシンジと違って聡いところだ。
 それに、女の子に「守ってくれ」と言われて奮い立たない男などいやしない。しかも、レイは公平に見ても十分美少女の内に入る。これでも四の五の言うヤツは男なんて辞めてしまいなさい……ミサトあたりの説教が聞こえそうだ。
「解りました、姫君。ではご足労願えますか?」
「仕方ないわね。つき合ったげるわよ」
 
 
 イゼルローン回廊狭隘(きょうあい)部イゼルローン要塞。数日前に『銀河帝国の内乱終結、ローエングラム候勝利』の報を受けたばかりだが、今日は意外な客を受け入れることとなった。
 コウゾウ・フユツキ・フォン・メルカッツ上級大将。爵位と家名が違うという銀河帝国社交界きっての変わり種だ。初代の当主が時の皇帝と馴染みであったため、このような特例が認められたのだ。最初は、姓をそのまま爵位に用いるつもりだったらしいが、儀典局が『祖法に悖(もと)る』と突っぱねたためこのような歪(いびつ)な結果に落ち着いたという。
 それはさておき、『正義派諸侯同盟(自称)』――銀河帝国の正式書簡では『賊軍』と称されているが――の司令官たる男が『アスカ』の名を頼り亡命してきたのだ。得られた戦況資料にも彼の落ち度を示すものはない。結局は、我が儘な貴族たちの自滅が全ての原因なのだ。その中にあっても彼はよくやったと言える。いかな優秀な指揮官であっても、命令を無視されるのであれば如何ともし難い。
 御年六九歳、軍籍にあること四九年。常に第一線で活躍してきたのだ。ローエングラム候やアスカのような天才肌ではないが、経験則に基づいた堅実な用兵は他の追随を許すものではない。
「ようこそイゼルローンへ。我らが司令官殿は現在本国に帰っておりますので、僭越ながら司令官代理を務めておりますこのリョウジ・カジがアスカ・ラングレーに成り代わり歓迎させていただきます」
 司令官の歓迎の意向は先ほど受け取った。アスカ自身が後見人になると言う。最初の通信を受け取ってから既に六時間。ハイネセンとの距離を考えれば『まあまあ』と言って良いだろう。カジ率いる軍官僚たちなら、と言うところだが。
「感謝いたします。私一身に関してはソウリュウ閣下にお任せいたします。ただ、部下たちにには寛大な処置をお願いしたい」
「承知しております。司令官と通信がつながっていますので、こちらへどうぞ」
 司令官代理直々に港口管理室脇の通信室へと導く。
『メルカッツ提督でいらっしゃいますね。アスカ・ラングレー・ソウリュウと申します。お目にかかれてうれしく思います』
 彼からすれば孫のような年齢の女性が立体ディスプレイからこちらを見ている。なるほど、天とやらはなかなか気前がよいらしい。気に入った人間には二物も三物も与えるようだ。ラインハルト・フォン・ローエングラムの天才を知ったときのような軽いショックを自覚する。
「爵位は捨てました。これからは“フユツキ”と呼んでください」
『解りました、フユツキ提督』
「ありがとうございます。敗残の身をお預けいたします。先ほどカジ司令官代理殿にも申しましたが、私一身に関しては閣下にお任せします。ですが、部下たちにには寛大な処置をお願いしたい」
『私にお任せください。悪いようにはいたしません。幸い無理をねじ込むには都合の良いところにいますので』
 それは、何か悪戯を思いついた少女のような笑み。それを見て安堵してしまう自分を奇異にも思うが、この手の勘は信じることにしている。
『では、後ほどイゼルローン要塞でお会いいたしましょう。多少不自由を感じられるかも知れませんが、ご容赦願います』
 完璧な敬礼と答礼。一幅の絵を思わせる数秒の後アスカの姿は消えた。イゼルローン要塞は軍事施設。確かに亡命者を自由に歩かせるわけにはゆかない。アスカの正直な対応に苦笑とともに好意を覚える。「この人のために才を尽くそう」と。
 
『思ったより残ったな』
『イゼルローン駐留艦隊か?』
『なかなかやるようだな』
『良いのかな? そのように悠長に構えていても』
『手は打ってある』
『左様、今回は昇進は無し。勲章と新規戦力を回すことで済ませる』
『新規戦力?』
『正気かね』
『当然、少々細工はさせてもらう。彼女にはよい教訓となるだろう』
『ならばそちらは任せるとしよう』
『そう、目障りな『Nerv』だがな』
『どうした』
『壊滅したよ』
『そうか、しぶとい組織だったが最後というものはあっけないものだな』
『E−計画……そろそろ発動するべきかな』
『まだ尚早だな。せめて同盟側の『Nerv』の状態を知らねばな。先人の轍を踏むわけにはいかんよ』
『本当に存在するのかね。その同盟における『Nerv』とやらは』
『ゲンドウ・ロクブンギの情報の速さ、おそらくヤツは関わっているだろう』
『消すか?』
『馬鹿を言うな。その様な事をすればよけい地下へと潜ってしまう。その時は何を目標とする?』
『総大主教猊下(げいか)の御意見は?』
『“表”に出られた』
『御指示は?』
『「待て」と』
『ならば待つしか無かろう』
『同盟は良い、問題は帝国ではないかな?』
『そう、同盟のように四肢を切り捨てたのではなく膿を出したようなものだからな。政治的にも経済的にも効率は良くなる。金髪の孺子(こぞう)を操るも骨だぞ』
『その点に関しては問題ない。計画は進行中だ』
『グリューネワルト伯爵夫人か? それこそ孺子が手を着けられなくなるぞ』
『そんな野暮はせんよ』
『それよりも成すべき事はあるだろう』
『『人類補完計画』か』
 
 
 かくして宇宙歴七九七年は暮れゆく。アスカ艦隊には艦艇二〇〇〇隻とエヴァンゲリオン級打撃戦艦参番艦が新たに配属され、消耗した戦力を補充するとともに艦艇一二五〇〇隻を擁する同盟軍最大の艦隊となった。
 人事に於いては、アスカの昇進が見送られたため他の幹部の昇進も同じく見送られた。その代わり、勲章と感謝状を山のように押しつけられたが。面倒とばかりに全てロッカーへと放り込んでしまった。捨てなかったのは……まさかとは思うが骨董品屋にでも売り飛ばすつもりなのだろうか? 相手がアスカだけに無いとは言えない。ミサトには前科があることだし。
 何につけ例外というものはあるもので、ミサト率いる『Nerv』連隊のみ、『惑星シャンプール解放戦』の功績により一つづつ階級を進めている。シャンプール住民からの強い要請があったためと説明されたが、『Nerv』連隊をアスカ艦隊から浮かせるための工作ではないかとの見方もある。国防委員長自らの肝いりというのも不気味だ。確かに彼はシャンプール選出の議員だが。
 一つアスカが喜んだのは、コウゾウ・フユツキ・フォン・メルカッツ上級大将の身柄をイゼルローン要塞にて引き取ることを許可されたことだ。同盟軍には『上級大将』なる階級が無く、さらに軍のトップ全員が大将であることから『中将待遇客員提督』という線で落ち着いた。元の地位から二階級も下がってしまったわけだが、本人は至って恬淡(てんたん)としている。アスカ艦隊に不足していた経験と“重み”が加わったことでより安定度が増したとも言える。
 グブルスリーの現役復帰に伴い、ゲンドウはその代理の任を解かれ統合作戦本部主席次長となった。以前と違い『主席』の文言(もんごん)が正式に入ったことで、一応は政権を保護した功績を認められた形だ。アムリッツア以来の現役復帰を果たしたボロディン中将に、新設された第一四艦隊を与えたのがその最後の仕事となった。
 ナオコ・アカギ宇宙艦隊司令長官に関しては昇進の話も取りざたされたが、グブルスリーが未だ大将である以上軍秩序の上からも好ましくないとの判断から今回は見送られたようだ。
 高級士官ではないが軍属のレイ・アヤナミは、兵長待遇軍属から軍曹待遇軍属へと昇進した。立派な下士官だ。これによってレイがスパルタニアンやロンギヌスの搭乗資格を得たことになる。アスカとシンジはレイの軍人志望をどうするか……答えを出さなければならない。
 
そして……
 
「結局あの話はどうなったの?」
「あの話?」
 解らないふりをしてはぐらかそうとするが失敗。
「小父様と何を話したの?」
 初めて杯を重ねる父と子に遠慮して同席しなかったアスカだ。そこには、「どうせシンジが話してくれる」という信頼があったのだが。
「それは……アスカは知らない方がいい。むしろ、知ってはいけないことだろうね」
 確かに、組織のトップが部下の非合法活動を黙認していては話にならない。さらに、その内幕まで知っていたとあってはもう言うまでもないだろう。
 解ってはいるが納得は出来ない。確かに、“知らなかった事にする”より“本当に知らない”方がいいに決まっているが、シンジに隠し事をされている不快感を勘案すれば迷わず前者をとるアスカだから。
「でもアタシは知りたいの。それとも、何? バカシンジのくせにアタシに隠し事でもしようってぇの!!」
 そういう問題ではないことは百も承知。ただ、このくらいレベルを落とせばシンジも少しは喋るのではないかという期待ぐらいはあるが。「ただシンジに甘えているのではないか」という鋭すぎる意見に関しては、恐らく本人は認めないだろう。否定の言葉を発する前に、少しぐらい躊躇うかも知れないが。
 そんなアスカを見て「仕方ない」とばかりにため息を一つ。そして一言だけ。
 
「引き受けることにしたよ」
 
と。

(第四話 了)



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第伍話(前編)へ続く

99/07/24改訂
00/08/08修正


銀河英雄伝説は田中芳樹氏の著作物です
yoshiki tanaka (C)1982  徳間書店刊

参考文献
[増補新版]相対性理論入門
 ランダウ、ジューコフ 著
鳥居一雄、広重徹、金光不二夫 訳
東京図書 刊
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