銀河の英雄は
アタシに決まってんじゃない!」伝説
 
 
第伍話(前編)
   孤独
     と
      決意

宇宙歴七九八年 三月
片山 京
 
 

T
 
 

 超新星爆発に、中性子星、さらにはブラックホールまで。自由惑星同盟と銀河帝国を隔てる危険宙域を縫うように走る一本の路。
 イゼルローン回廊。
 中央部に惑星を持たない恒星系がある。いや、全くないわけではない。直径六〇キロメートルの銀色の小さな球体。
 しかしながら、両国の政治と軍事に大きな影響を及ぼす人工天体。
 イゼルローン要塞。それがこの星系唯一の惑星だ。
 同盟軍最強の艦隊が駐留する最前線といえど、現在は静寂に満ちている。
 若き司令官殿の周りは騒々しいようだが……
 
 
 アスカ・ラングレー・ソウリュウ大将の手に、先のクーデターに関連する召喚状が届いたのは三月の中旬。厳格なアカギ参謀長ですら、
「今さら? 何を考えているのかしら?」
と言ったとか言わなかったとか。とにかく妙なタイミングだった。
 実は前年末に政府調査機関による取り調べに、首謀者の親族として応じているのだが……
 さらにもう一つ、国防委員長からの命令書だ。これが本物なだけに謀略を疑ってしまう。アスカ艦隊首脳部の中央に対する評価のほどが知れようというものだ。
 曰く、「クーデター調査委員会の要請には最大限便宜を図ること。以上の命令に例外は存在しない。尚、当事者の人権保護の為、同委員会からの協力要請の事実等を本人以外に口外することを禁止する」と。
 まったく、前線指揮と中央政府との間に信頼関係が築かれていないとは。
 この『要請』と『命令』が示すところは明白だ。「誰にも秘密でハイネセンへ来い」と。要はアスカの腹心である要塞首脳陣との切り離し、マスコミへの所在の隠蔽を図ることが出来ればよいのだ。さて、問題なのはそれで何をしようというのか?
 そこが分からない。帝国が……少なくともラインハルト・フォン・ローエングラム元帥が健在である以上、彼女を抹殺することは出来ないだろう。彼に比肩しうる用兵家はアスカ以外に考えられない。ボロディン中将も復帰したが、ラインハルトが相手ではボロディン自身が語るように役者不足と言わざるを得ない。
 もし、アスカ・ラングレー謀殺などという暴挙を行った場合、彼女以外の首脳陣の配下にあるイゼルローンが背く可能性がある……と言うか、絶対に背く。帝国よりも先にハイネセンへ攻め込んでくるかも知れない。
 仮定の話はともかく、司令官が現場を離れるのだ。全く秘密にするわけには行かない。
「文民統制(シビリアンコントロール)とは言ってもこのくらいは想像できるでしょうに」
 つい愚痴ってしまう。執務室には他に誰もいないのに。
「つかれてるのかなぁ」
 ため息が増えてしまう。
 
「これはチャンスよ!! 毎日、毎日、毎日、毎日、まいにーち、ちゃーんとお仕事してきたこのマナちゃんに対する神様からのご褒美なのよぉ」
 目は口ほどにものを言う。
 おいおい、何とかして下さいよ、コレ。
 と、マユミに向けて部下達の視線が集まる。人徳というか、片方が下がったから普通なもう片方が高く見えるというか。どうしてこの女は突発的に人前で壊れるのか……
 すっかりマナの保護者としての役目を背負ってしまった苦労性の空戦隊長としては、いまだ自分の世界から帰ってこない相棒をなんとかせねばならない。
 いっそのこと副司令が一生引き取ってくれたらマナも幸せだし私も幸せになれる――少なくとも面倒はなくなりますね――のに……などと埒もないことを考えてしまう。
 やけに老け込んだ歩調で背後から近づき、少し強めに肩を叩く。同時に用件も告げる。
「マナ。やりすぎですよ」
 妄想が結構いいところまでいっていたのか、淡い色のルージュを引いた唇をかなり不服そうにとがらせ振り返る。その仕草が実年齢よりも幼く、子供っぽく見える。そういう一見無防備なところが殿方に受けているらしい。不用意に近づいたらひっかかれるが。
「皆が見ています」
「別にいいわよ。減るもんじゃないし」
「そういう問題ではありません!」
 誰のために言っているのやら。落ち着くために軽く深呼吸。
 ちょっと冷静になった頭でさっきの台詞を考えてみると、どうやら周りにいる部下どもはオトコの範疇に入っていないらしい。けっこう酷い話だ。
 それはともかく、この線ではどうにもならないようだ。こののんき女にはもっとガツンと言ってやらねば。だから、
「だいたい「別にいい」とは何ですか。貴女にも慎みというものがあるでしょう」
となる。落ち着き払って言われている分けっこう痛烈だ。
 周囲が騒がしくなる。そろそろ賭でも始まったか。
 マユミの物言いにさすがに何か思うところあったか、半身の体勢で相棒へと向き直る。さすがにちょっと怒っているかも知れない。
「ちょっと、今の言い方なによ。自分はオトコに縁がないからっていって僻(ひが)まないでよね」
 明らかに言い過ぎの一言だが、マユミは余裕をもって一蹴。鼻で笑い飛ばす。
「なに、ちょっと、マユミあなた……うそ……」
 それが意味するところを悟り、態度を急変。顔色が変わる。
 周囲の騒ぎも急変、拮抗していたオッズもマユミ有利に流れはじめる。
「無邪気を売り物に出来る時間は限られいます。貴女も、そろそろ考えた方がいいんじゃありません?」
 勝ち誇るでもない。本当に心配そうに問いかける。これはダメージが大きい。
「こっ、この、裏切りものおおおおおおおおお
 血の滲むような叫びも空しい。
 この時点で払い戻しが始まる。マユミの不戦勝と言うことで決まりらしい。
「そろそろ現実を見た方がいいんじゃないですか?」
 四捨五入すればもう三〇歳。確かに、まぁ、そろそろ落ち着かねばならない年ではある。ましてや日頃から『操縦桿みたいにオトコを操ってやる』などと言っているようでは……
「マッ、マユミがいじめるぅぅぅぅぅぅぅ」
 ブリーフィングルームから飛び出していったマナを温かく見送る一同。気がすんだら帰ってくるだろう。
 ……けっこう冷淡かも知れない。
 
 
「司令官代理?」
 訝しいと言うか何と言うか。帝国においてローエングラム侯爵の独裁体制が固まりつつあるというこの時期に、最前線の指揮官を本国に呼び返して何とするか? 当然の疑問だろう。まさか「帝国は内政に手がいっぱいで侵攻の恐れはない」などとふざけたことは言わないだろうが……言わないだろうが……言うかも知れない。ハイネセンのお役人連中なら。
「呼び出した連中は『周囲には黙って来い』なんて言っているけど、そんな不可能な話聞くわけには行かないから」
 シンジ、リツコ、リョウジ・カジ、ミサト、マヤ、トウジ、トキタと、会議室に集められた面々に説明を続ける。ヒカリはあらかじめ聞いていたためアスカの隣に座っているだけ。これといって仕事があるわけではない。強いて言えばみんなのお目付役と言うところか。
「そういうアホはほっといたらどや。そのうち向こうから来よるで」
「どこから集めたか知らないアタシに不利な“証拠”とやらを山ほど抱えてね。まっ、アカギ総司令にでも泣きついてとっとと帰ってくるから留守番お願いね……ってこと。そんなに深刻に考えないでよ。
 ハイネセンの意図がどこにあるにしても、アタシはしばらく留守にするから。シンジ、後はアンタに任せるわよ」
「へ?」
「なに間抜けな声出してんのよ。まさか一緒に来るつもりだったんじゃないでしょうね。トップが二人とも抜けてどうすんのよ」
 一二〇パーセントついて行くつもりだったシンジにでっかい釘を刺す。捨てられた子犬のような――と言うには育ちすぎだが――目でアスカを見ているが極力無視。甘やかしてはいけない。
「でも、司令を野放しにしておくのも問題ねぇ」
 しれっと問題発言をぶちかます要塞防衛司令官。勤務時間は素面のはずだが。
 不用意に頷いてしまったシンジ、トウジ、マヤが氷蒼色の瞳に射すくめられたりしているが……害はないだろう。
「私が同行しますから……」
「それなら大丈夫ね」
 リツコまで……本人の前で言っているのだから冗談なのだろうが、言っている人物が人物なだけに案外本気かも知れない。
「同行者は最小限にするのと、シンジの所から巡洋艦の小艦隊……一〇隻ぐらいのを頼める?」
 どうやら年長者のチャチャは無視することにしたらしい。
「そのくらいなら……もうちょっと数を増やした方が良くないかい? なにかと、ね」
「それはそうだけど、刺激したくないのよ。連中を」
 怖い。なにをするか読めないところが。行動原理や当面の目的が見えれば対処のしようもあるのだが。キール・ローレンツ。あれはまずい。
「最近宇宙も物騒だからってことで三〇隻にしておくわ。これでいい?」
「せめて一〇〇隻」
「だめ」
 理想の軍隊というものがあるのなら、おそらく一番近いものだろう。上下の相互連絡が密であり、まるで家族のような司令部の団結。問題があるとすれば、みな司令官を好いていると言うこと。事あらばアスカの私兵となりかねない。
 しかしながら第一艦隊司令官のパエッタ中将や、第一四艦隊司令官のボロディン中将が口をそろえて「敵わない」と言う。その危険人物でなければラインハルト・フォン・ローエングラムに対抗できないと言うのだから……
 目の前で子供のような言い合いを繰り広げている人物とはどうも繋がらないのだが。
 
 
「本当に大丈夫なんですか?」
 かなり疑わしそうにレイが問いかける。その傍らには、いましがた詰め直したばかりのスーツケースが三つも並んでいる。アスカ自身が荷造りをしたときにはもう一つばかり多かったのだが……どうやら彼女の才能は一般生活には全く向けられてはいないようだ。
 ともあれ、自由惑星同盟の社会にあって最低限の家事労働を全くこなせないと言うのはかなり困ったことだ。なにも「女だから」などと言う偏狭な思想からではなく、「もう大人なんだから自分の面倒ぐらい自分で見ましょう」という至極当然の社会的風潮によるものだ。だから不器用なミサトも、あのトウジも何とか努力をしているわけだ。報われているかどうかはともかく。
 アスカ自身も努力をしていないわけではない。ただ……よそう。あまりにも悲しすぎる。結果が全てを物語っているから。
 料理云々はともかく、掃除や洗濯などの身の回りのことはどうするのか。まさかヒカリやマヤをあてにしているわけではあるまい。
「大丈夫よ。これでも昔に比べたら出来るようになったんだから」
 その『昔』とやらを本人に聞くだけの勇気がレイにはもてない。シンジも曖昧に笑うだけで教えてくれない。どうも『開けてはならない箱』という気がする。
「アタシはしばらく家を空けるけど、気をつけなさいね、レイ。シンジも近くにいるけど貴女は女の子なんだから」
「大丈夫ですよ、キリシマ少佐も、ヤマギシ少佐もおられますし、ミサトさんだって」
「そのメンバーって言うのも心配なんだけど……」
 急に保護者の顔になって困ってみせる。
「まぁ、困ったことがあったらリツコにでも相談なさい。だてに長年女やてるわけじゃないでしょうから」
「アスカさん、それは酷いと思う」
 前年来どこか違和感のあった義姉妹の間に笑いが弾ける。
 
 
「……君に頼みたい。適当な人材を選んで欲しい」
 イゼルローン要塞港湾管理室。それほど急ぎではない書類を片づけながら背後に立つ友人に小声で語りかけている。語られている方もなにやら仕事中のようで、端末に向かって何かを打ち込んでいる。
「シンジのお姫様の護衛だからな、任せておけ。ただし、向こうが合法的に来た場合は手が出せないな」
「父さんのルートから手が回るかな?」
「顧問か? ちょっと難しいんじゃないかな。あの方は有名になりすぎた」
 だからその裏の地位を息子に譲ったのだから。
「なら母さんの所に駆け込んでくれないかな。ユイ・イカリ弁護士は有能らしいからね」
「了解。他には?」
「連絡は密に。いつもの方法で」
「基本だな」
「だから抑えて置くんだよ」
「イカリらしい」
 最後の書類にサインをしながら不器用に肩をすくめてみせる。
「それなりに苦労したからね」
 一八歳で初めて戦場に立ち、味方の後退によって敵中に孤立させられた麾下の小隊を見事引き上げさせてから――小隊長がまさか真っ先に戦死するとは思わなかった――もう八年。二六歳で中将にまで登り詰めるとは想像もしていなかった。平時であれば痴者の妄想でしかないことだが。
「その『それなり』ってところがイカリのイカリたるところだな。もっと自信を持っていいぜ、『アスカ・ラングレーを支えてるのはオレだー』ってな」
 『処理済み』と書かれた箱に先の書類を投げ込み、友へと意味ありげな視線を向ける。口にしたのは一つだけ。
「頼む」
と。

 
 





U
 
 

 片道三週間。この時間にもっとも早く音を上げたのは、他でもないシンジだった。ヒカリがアスカに同行したために、未整理の司令官職務が全て彼の下になだれ込んだ。さらに副司令官、港湾管理者としての職務もある。
 とりあえず、港湾に関することはフユツキに押しつけ、民間からの要望などは加持の下へと廻す。三日ほどかけてやっと現実的な体制を整えたが、慣れないことをやったため精神的な消耗が激しい。むろん、原因はそれ一つではない。最高責任者となった瞬間、シンジは孤独になった。別に周囲のものがよそよそしくなったわけではない。軍民合わせ五〇〇万もの命がシンジの手の中にあるという自覚。自分が最終決定者であるという事実。生真面目なシンジにとってそれは過大な負担だ。誰も代わってくれない、分かち合うわけにも行かない。それが、最高指揮官だ。例え“代理”であっても。
「これじゃ帝国の連中が来てくれた方がよっぽどましだよ」
 とは、シンジ・イカリ司令官代理の口から漏れた泣き言の一つだ。
 
「なんや、えらい苦戦しとるらしいやないか」
 持つべきものは近くの友人。どこからか――おそらくカジからだろう――シンジの苦境を聞きつけてこうして様子を見に来てくれる。
「見ての通り」
「……聞きしに勝る、ちゅうやつか」
 シンジのデスクに端末が増設されている。セキュリティーレベルによって分けられたそれが多忙さを示している。はたして四つも使いこなせているのかは疑問だが。
「これでも楽になったところだからね」
「相変わらず要領の悪いやっちゃなぁ。そんなん下のモンにまかしとけ」
 悪い管理職の見本がのたまう。その言葉の裏にある不器用な気遣いに笑みを向けるが疲労の色は濃い。
「そうはいかないよ。ケイタもよくやってくれているけど、ホラギ少佐ほどの腕前はちょっとね。
 ところで、新しい旗艦の調子はどうだい。演習ついでの慣熟航海って話だったけど」
 イゼルローン要塞駐留艦隊は先の『ドーリア星系内会戦』による損害の補充として、エヴァンゲリオン級打撃戦艦の参番艦を含む戦闘艦艇二〇〇〇隻を受け取っている。アスカは、そのエヴァンゲリオン級を第三分艦隊――通称スズハラ分艦隊へと配した。
 もっとも、二〇〇〇隻のほとんどを損害がもっとも大きかった第四分艦隊――トキタ分艦隊の補充に当てたために、対外的にバランス取りが必要になったという側面もあるが。
「上々や。艦橋レスちゅうんも慣れたらどうって事ないわ。目立つ所にあってもモニターみとんは変わらんしな。
 ワイより艦長の方が苦労しとるわ。艦体は大きいわ部下は増えるわ、他にも色々えらい騒ぎやったで。ホンマ」
 とりあえずその“えらい騒ぎ”の中でも“他にも色々”の主な原因が自分であったり、それによって艦長の胃痛が再発したという事実は秘密だ。
「苦労と言っても……それは慣れてもらうしかないなぁ。ムサシあたりにでも様子を見に行くように頼んでおくよ。
 で、本題は?」
「なんや、お見通しかいな。面白みのないやっちゃなぁ。
 まぁええわ。演習中におもろい情報を拾てなぁ……これや」
 ポケットから取り出しだ音声記録媒体をシンジに向けて放る。
「雑音だらけで聞き取りにくいんやけどな。ケンスケんとこが全力で解析にあたっとるわ。あいつら、ボスがおらんでもよう働きよるわ」
 さぼり常習犯の感想を聞き流し、デスクに備え付けられた専用スロットへその媒体を挿入する。もっとも、真の上司がすぐ側にいるのだから“Nerv”の面々も気が抜けない。トウジのあずかり知らぬ事ではあるが。
「そうや、もう一つ言うとく事があったんや。一月したらもう少し帝国側に演習に出るわ。まぁ、様子を見て来るせかいに気に病むなや。なっ」
 
 
 とりあえずヒカリに寄生することで生活環境を維持すること三週間。予定通りハイネセンへ近傍へと到着する。アスカの名誉のために付け加えておくが、最初の一週間は一人で何とかしようと努力していたのだ。しかし、まぁ、報われない努力というものもあるわけで……。
「生活するってどうしてこうも難しいことなの」
 などと哲学めいた台詞とともに白旗を揚げたのだった。半泣きになってヒカリにすがりついていたシーンをお見せできないのが残念なところではあるが。
 指示された貨物用宇宙港へ巡洋艦ラーンスロットVIIは降陸する。
 
「アスカ・ラングレー・ソウリュウ閣下ですね」
 貨物用宇宙港を出た所で五、六人のやけに体格の良い男どもに道をふさがれた。中に一人だけ初老の典型的なお役人がいるのが気に入らない。
 ヒュウガとその部下たちがその間に割ってはいるがどうにも分が悪いように見える。
「失礼、検察局のカンと申します。国防委員会及び検察局の要請によりこれよりご同道願います。よろしいですね」
「断れば?」
 冷ややかなる蒼い一瞥(いちべつ)がカンとやらへ突き刺さる。
「っれっ、令状も用意していますが」
 焦って無造作に懐へと手を滑り込ませたカンに、複数のブラスターの銃口が突きつけられる。慌てふためき一人で転び、さらに遠ざかろうともがくが左足の甲をしっかりとヒュウガに踏みつけられている。さては、転んだ原因もこれか。
「やめなさい。えーっとアンタも、この状況で見えないところに手を突っ込んだらどうなるかぐらい分かるでしょうに。安心しなさい、同行してあげるから。ヒュウガ中佐、ヒカリ、行くわよ」
 進行方向へ顔を向けただけで道が開ける。『不敗の魔女』の二つ名の威力か。
「お待ち下さい、閣下。同行者は認められません」
 大儀そうに振り返るアスカ。無言、無表情。それだけに恐ろしい。
「召喚状が出ているのは閣下だけです」
 無言。
「従って、閣下以外の方をお連れすることは出来ません」
 必死で言い募るカン。ここだけは譲れない。
「だってさ、どうする?」
 無責任にも部下達に意見を求める。それがまたこれ以上ないほどの示威となる。部下をけしかけていると言ってもいい。そこに実直そうなヒュウガの粘着質な笑みというシュールなブツが加わると修羅場を知らない官僚など恐るるに足りない。
「司令、ユイ・イカリ弁護士と連絡が付きましたが」
「ありがと、アイダ大佐。代わってくれる?」
 携帯音声端末を受け取り、そそくさと集団の最後尾に移動する。
「あっ、小母様ですか? アスカです。はい……私の方こそ……とんでもないお世話になりっぱなしで。はい……はい……ええ、それはそうですが。……ええ、考えておきます。それでですね、いえ、困ったことになっていまして。……はい……ああ、アイダ大佐から。……はい……そのように致します。あの、この件は母には内密に……前も心配をかけましたので……はい、全てが片づきましたら挨拶に行こうかと……はい……分かりました。では弁護の件宜しくお願いいたします。はい……では後ほど……場所が分かりましたら連絡いたします」
 咳払いを一つ。それだけで『お隣のアスカちゃん』の素顔に『不敗の魔女』の仮面を被り直す。正面へと向き直ると部下達が道を空ける。その訓練された様子にいっそう怯える検察局の面々。すれ違いざまにケンスケへ携帯音声端末を返す。一度だけ視線を合わせ軽くうなずく。
 もう泣き出さんばかりのカンを見るのも飽きた。慇懃な態度に切り替える。
「何処にご招待いただけるか……そのくらいはお教え願えますね」
「残念ながら、本職には口外の権限を与えられておりません」
 当事者的には言葉だけでも下手に出られる方が数倍恐ろしかったりもするが。
「ヒカリ、こういう場合は法律上どうなっているの」
「召還者は、被召還者に出頭を要請する場合、場所を文書にて指定せねばなりません。また、被召還者の弁護人にはその召還の理由、場所、期限、その他弁護人の必要とする情報を提供する義務があります。さらに……」
「ありがとう。もういいわ。カンさん……と申されましたね。こちらにはあなた方の申し出を断るだけの法的根拠があります」
 それを聞いてカンの面が醜く歪む。もしかすると笑っているのかも知れない。
「いえ、ありません。国防委員長殿からの召喚状です。こちらは本職に対する委任状」
 その書類を受け取り子細に調べるのはヒカリ。
「本物のようです」
「こんなものがあるなら最初から何故出さなかったのですか?」
 心底不思議そうに問いかけるアスカ。
「出そうとしたらキミタチがブラスターを突きつけたのだろうがっ!!
 
 
『行方不明?』
「いや、居場所は分かっている。ただ手が出せないんだ」
『手が出せない? まさか、別館?!』
「ご明察。検察局別館だよ。その特別室にいる」
 『政治的配慮』とやらを必要とする人間用の施設。そういうものが存在することを一般市民はどう見ているのだろうか? それだけ警戒が厳重であるがそれ以前に、連れ出そうものなら益々立場が悪くなってしまう。もっと非合法なところにしまい込まれたのであれば何とでもしようがあるが……問題は、しばしばここから死人が出るということ。自殺であったり、病気であったり。「挫折を知らなかったエリート」が絶望してのこととも言われるが、それによって救われる古狸がいることが気に入らない。
「どうすればいい。指示をくれ」
『わかった……そうだね、出来るだけ早く接触を図って』
「それならもう手配した。ユイ・イカリ弁護士が接見に今向かわれた」
『後はマスコミへのリーク。大手はキールの息が掛かっているだろうけど、ゲリラ的にやってくれそうな人物へ個人的に流すんだ』
「まぁ、アテがないことはないが……それじゃぁイマイチ弱いなぁ」
『それよりも護衛をすべり込ませることは?』
「出来りゃとっくにやってるよ」
『確かに。でも、現在の状況からして生命の危険はないだろうね。僕たちが側にいることを伝えるように。心細がっているだろうからね』
「彼女が?」
『みんな誤解しているだけさ』
 
 
 クッションを投げつけ隠しカメラを睨み付ける。マイクは早々に送信部をつぶし、カメラはレンズ部に鉢植えの土が詰められて用を成さない。四〇平方メートルのこの部屋。暇に任せて調べてみれば、出るわ出るわ……都合九セット見つけたが取りこぼしがあると見て良いだろう。
 
 朝夕の二回配信される新聞に挟まれる暗号メモ……ヒカリからのメッセージがなければとっくに短気を起こしていただろう。備え付けの端末からは外部への接続が出来ないため、返信はもっぱら今のような接見の時間にユイとの会話の裏に隠れて行われるが。
 どちらにせよ、ここのセキュリティーシステムを突破し、専用ソフトウエアで解凍する代物だ。本当にメモ程度のもに限られる。
 それだけでは、この胸に暗く染み込んだ不安をぬぐい去るには至らない。アイツの一言、それだけで……
 苦しいとき、不安なとき、寂しいとき……いつもアイツの声があった。
 逢いたい。
 逢って話したい。
 色んなことを、他愛のないことを、これからのことを。
「シンジに逢いたい……」
 毎日二時間程度の形式的な質問に答える毎日。たったの一週間でネタも尽きたらしい。同じような質問の、その質問で得られた回答に対する質問の繰り返し。尋問のための尋問となりつつある。
 面会用のティーラウンジ。品よくまとめられ、なかなか居心地がよい。見るからに高価そうなティーカップを見るとはなしに見ている。心ここに在らずといった風情だ。接見に来たユイとの会話もない。
 そんなアスカを見つめるユイにも疲労の色は濃い。連日の弁護活動とマスコミ対策に駆け回っているのだ。“Nerv”がバックついてはいるのだが、対外的な活動は全て彼女が行わなければならない。ここ数日は、自分がもう若くはない事を思い知らされた。にしても……
「重症ね。これは」
 ティーカップに向いていた幾分惚けたような視線を、ユイに戻し小首を傾げる。その発言の意図を把握しかねたのだ。
 無意識か……軽いため息が漏れる。ばか息子……あなたはこんなに思われているのに……問題は、本人がそれを認めないこと。本来なら自分が口出しするべきではないのかも知れない。でも、言わずにはいられない。
「今、アスカちゃんが考えていたことを当ててみましょうか?」
「え?」
「『シンジ・イカリに逢いたい』……違う?」
 アスカの目が驚きのために丸くなる。どうやら自分が何を言ったかも覚えていないらしい。
「貴女が言ったのよ。今、私の目の前で。
 私から言うのも変だけど……ちょっと聞いてくれる?」
 戸惑うアスカを無視してたたみかける。あと一歩、一歩でいい。
「よく聞いて。貴女達にとっても大切な事……たぶんね」
「なっ、なんですか?」
 短兵急に迫るのは無理か。堅くなってしまったアスカの心を和らげるために微笑んでみせる。
「考えて。
 どうしてシンジなの」
「それは……あっ、昔からずっと一緒ですし……」
「どうしてずっと一緒だったの」
「それは……何でだろ」
「どうして? 貴女が一番よく知っているはずよ。心の中心にあるものを。
 幸い……でもないでしょうけど、時間はあるわ。ゆっくり考えてみなさい」
「考える……でも……」
 戸惑い。何に対するものか、本人は全く気がついていない。
 決定的な何かから目をそらしていた。それに気がついてしまった。
 しかし、気がついてしまったことに気がつかない。だから戸惑う。
「理屈よりも感じること。貴女に欠けているものがあるとすればそういう事よ。
 アスカちゃん。宝物をずっと握っているわけにはいけないの。貴女に必要なのはその手を開く勇気。手を開いた瞬間落としてなくしちゃうのが怖くても、ね。何かを捨てることが出来ない人には、別の何かを得ることは出来ないわ。人間の腕は二本しかないもの。
 陳腐な台詞だけど、陳腐になるのはそれだけ使われてきたからだし、使われるのはそこに真実が含まれているからよ。もちろん、例外もあるでしょうね。
 最後のは、家の人の受け売りだけど」
 その台詞のあとに、「結婚してくれ」と言って紫の宝石箱を手渡したというのだから。ユイに「可愛い人」と言われるのも宜(むべ)なるかな。
 ともあれ、ユイの言葉が最後の一押しとなった。アスカのこころは、ゆっくりと歩き出した。一四歳のあの時間から。
 
 
 レイがキリシマ少佐に呼び止められたのは別に珍しいことではない。空戦隊用の女子更衣室を出たところで捕まった。「おいおい、ヨビダシかぁ」などと無責任な憶測が飛び交う。最近大人しくなったのに、悪評というものはついてまわるものらしい。
「場所、変えない?」
 妥当な提案。レイは笑顔で頷いた。
 
「おねがいっ。レイ」
 士官食堂のパーテーション。そう、アスカ艦隊の意志決定から痴話喧嘩まで。ありとあらゆるものを取り込む魔窟……と言うのは大げさだが、確かに内緒話にはもってこいの場所ではある。
 それにしても、よりによってシンジがらみとは……
「シンジさんの休みなんか聞いてどうするつもりですか?」
 ここのところシンジは、職務の都合上カレンダー通りに休めない。だから……
 わかっている、そんなこと。でも聞かずにいられない。
「やっぱり、ああいうタイプの人って押しの一手が有効じゃない」
 たぶんそれは苦労すると思いますよ。気がつかないでしょうから――その思いは言葉に出来ない……したくない。
「それに、司令の居ない今がチャンスなのよ」
 確かに。でも、それはとんでもない裏切りのような気がする。
「そう言うわけで、シンジさんの一番近いお休みっていつ?」
 マナの失敗は、浮かれてしまい周囲の状況を見ていなかったこと。戦闘中の冷静さの欠片でもあれば、レイに相談を持ちかけはしなかっただろう。この程度の情報なら、シンジの補佐をしているケイタあたりからでも仕入れることが出来る。
 それをしなかったのは、同性の気安さと九つも歳の離れたレイが眼中になかったから。まあ、自分に気のある素振りを見せるケイタには聞きかねたというのもあるが。
 強大なライバル、アスカの存在があったこともレイを霞ませる大きな原因。
 方程式自体に欠陥があったのだから正しい解など求めようもない。人間関係に於いては、往々にして勘だけで解を引き出せることもあるが。それにしても、手痛いミスだった。
 
 
 真新しい墓石。[アルベルト・ツェッペリン 七四三−七八六]と。遺体があるわけではない。乗艦もろとも蒸発したそうだ。第六艦隊司令部の消滅とともに……
 色とりどりの花束に埋もれる墓石に置かれた遺影を見つめる少年と少女。
 喪服。
 大人達は『合同慰霊祭』とやらに出席しているため他に人影はない。会場の虚飾に満ちた風に嫌気がさし、示し合わせて抜け出してきたのだが……
 
 夢……そうか、これは夢。どこかで見たことのある……
 
「パパ……アタシは、士官予備学校に入ります。たぶん、パパは反対するでしょうけど……ママも、お祖父様ももちろん反対してるわよ……
 復讐とか、そういう気持ちはないって……言ったら嘘になると思う」
 そこでいったん言葉を切る。伺うように隣を盗み見る。目が合った。
 なるほど、お互い気になるらしい。少女が何か言い出す前に、少年の方が微笑みかけ頷いてみせる。それだけで肩に入った力が抜け楽になる。
「でもね、それ以上に思ったことがあるの。
 ねぇ、パパ。どうして軍人になんてなったの?
 こんな日が来るなんて……
 アタシとか、ママには平気な顔してたけど……」
 
 今なら解る。
 不安で不安でしかたがなかったことが。
 美しい妻と可愛い娘。帰るべき家があるということは幸せにつながる。
 自分には可愛い義妹。
 なるほど、理由は存在すればいい。
 なんとなく。
 
「もう、パパがアタシの疑問に答えてくれないから……だから、アタシは軍人になります。パパと同じ所に立てるかどうかなんてわかんないけど、わかんないけど……うん、シンジも居てくれるし。
 だから、見ていて下さい」
 父と……少年に対する誓いの言葉。こころのどこかが凍りつく。
 
 なぜ?
 
「小父さん。アスカはボクが守ります。力不足かも知れないけど、でも……ボクが守ります」
 理屈ではない。その意志が言わせしめる。
 
 二年後、誓約は果たされる。今までも、これからも……きっと。
 
「だから……だから……」
 言葉が行き場をなくす。
 帝国人とは違い、死後の概念がそうはっきり規定されているわけではない。
 死者は心の中に。まだ実感は湧かないが。
 
 その人が居なくなった。本当の意味で理解するにはまだ時間がかかる。他人に教えられ、こうして墓石を前にしても涙するほどのことはない。現実として突きつけられるものがないから。それは、心電図の波形であったり、納棺の作業であったり、あり得るべからざる空間であったり……一つとして一四歳のアスカは持っていない。
 以後、第六次イゼルローン要塞攻略戦までアスカの復仇の念は増して行くことになる。父を喪った実感とともに。
 
 誓約のために少年は贄を差し出す。希望であり、恐怖であるものを。それをいったい何と呼べばいい? アスカと同じで……でも、わずかに違うこころの一部。
 
 それを、人は、……と呼ぶ。
 
「見ていて下さい。ボクたちを……そこから」
 合図も何もなく、二人同時に見よう見まねの拙い敬礼。
 
 FADE OUT
 
 
 
 
 
 …夢?
 
 
 同日同刻、ハイネセン検察庁別館。
 シンジやレイが見れば、驚きその身を案じるような出来事が起こっていた。
 寝起きで霞む目をこすりながら時計を確認。
 〇五三二。
 普段のアスカ的には二度寝モード確実な時間だが、何となく起きてしまった。何とも懐かしい夢を見た。
 なぜ今まで忘れることが出来たのだろう?
 シンジに他の女が近づくと腹が立つ。
 シンジにレイが甘えると気分がささくれ立つ。
 シンジが他の女を見ているのが気に入らない。
 シンジと一緒にいるとドキドキする。
 シンジと一緒にいると何となく落ち着く。
 シンジと一緒にいると何でも出来るような気がする。
 どうして認めることが出来なかったのだろう……この気持ちを彼に伝えた時どうなるんだろう。たぶん……いや、絶対に今までのような関係ではいられない。どう変わってしまうのか……それが怖かった。今も怖い。失うべからざる存在を失ったとき、果たして自分は正気を保てるだろうか? シンジが自分を受け入れてくれる……あまりにも自分に都合が良すぎるような気がして肯定するには抵抗がある。
 今のままでも側にいられる……でも、この気持ち隠しきれるだろうか?
 たぶん無理。自分の性格が解らいではない。まず、聡いレイにばれてしまうだろう。今をして思えば、義妹は全て解っていたのではないか? そうであるならば、辛い思いを味あわせてしまった事になる。どんな顔して帰ればいいのか。
 
 でも、シンジの側へ帰りたい。
 
 
 同刻、イゼルローン要塞。シンジ・イカリ中将官舎。
 彼もまた通常より早い起床に戸惑っていた。その原因になった夢の方がよほど問題であったが。
 懐かしい……なぜ忘れることが出来たのだろう。ただの幼なじみから重要なパートナーとなったあの時を。
 こころにわだかまるもの。まだ何か大事なことを残している。でも、それが何かは解らない。兵員一五〇万人の道を示す若き提督にも自分のココロ一つどうすることもできない。それがシンジ・イカリという青年。本当に平凡な――戦術や家事に関しては非凡といえるが――ただの二六歳の青年なのだ。
 
 
 同刻、ハイネセン某所。
「で、この始末をどうつけるつもりだ。立場上これ以上議会を押さえつけるのは得策ではない。そろそろアスカ・ラングレーは無罪放免……釈放だな」
『あと五日だ。五日でガイエスブルグ要塞がイゼルローン回廊に到着する。卿の提供したPASS CODEもそれに前後して偽装が完了するだろう。出来ればそれ以上の時間が欲しいな』
「勘違いしてもらっては困るが、私としては現時点での同盟の敗北は望んでいない」
『しかし、この機会にアスカ・ラングレーの部下の二、三人でも戦死なり左遷でも出来れば御の字だろう。卿の方がそれを望んでいると思ったが?』
「我々の利害は一致している……と?」
『違うか』
「否定はせん……五日だな」
『出来れば十日……そのあたりは卿の手腕しだいだな。例の計画も進んでいる。受け入れ準備の方は大丈夫か?』
「それだけ舌が回ればそちらの生活は快適だろう。人のことを案ずるより自分のことの方が大事ではないか? とりあえず金髪の孺子には注意しろ」
 言いたいことだけを言い、一方的に通信を切断した。おおかた向こうでは先の通信相手が怒り狂っていることだろう。
 それに対して何の感慨もあるわけでない。議会と、人権保護団体の対策、面倒この上ない。他人のためにどうしてこうも熱が入るのか、キールにはどうしても理解できない。このあたりに、アスカがこの男を読み切れない原因があるのかも知れない。
 
 
 宇宙歴七九七年四月一五日。明日、スズハラ分艦隊は本年二度目の練習航海に出る。





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第伍話(後編)へ続く

99/07/24改訂
99/12/05改訂
00/08/08修正


銀河英雄伝説は田中芳樹氏の著作物です
yoshiki tanaka (C)1982  徳間書店刊

参考文献
魔術師オーフェンはぐれ旅  秋田禎信 著  富士見書房 刊
中世文学集 I アーサー王の死   サー・トマス・マロリー/ウィリアム・キャクストン 著  厨川文夫/厨川圭子 訳  筑摩書房 刊


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