銀河の英雄は
アタシに決まってんじゃない!」伝説


第伍話(後編)
      愁 雨
宇宙歴七九八年 四月
片山 京





V



 自由惑星同盟の首都惑星たるハイネセン。白亜の国父像見下ろす建国記念広場から、やや離れた繁華街。各店舗が開店する時間ともなると、それなりに若者が行き交い活気もある。
 その人波に埋もれるように二人の女性。別段変わった様子もないが、男性の視線がよく向けられたり、軽薄そうな輩に声を掛けられたりとなかなか忙しい。今日までずっとアスカ・ラングレー・ソウリュウ大将の不当拘禁に対する抗議活動を行っていたのだが、アカギ宇宙艦隊司令長官の「休みなさい」の一言で外に放り出されてしまったわけだ。
 日がな一日、宿舎でじっとしていても気が滅入るだけなのでこうして外へでてきたわけだが……ナンパ男を追い払うのもうざったい。対策としてヒュウガ中佐あたりをつれてきた方がよかったかとも思うが……それはそれでかわいそうかもしれない。
 それでも街をぶらつくのはそれなりに楽しい。二人とも年も近く、持っているスキルも似たようなもの。結構話も合ったりする。
「ヒカリッ
 と、肩を叩かれた。
 聞き覚えのある声に、思わず振り向く。その声を持つ人物は、同盟を離れて久しい。実家からも何の情報もないのに……
「おねぇちゃん!」
 まさしくコダマ・ホラギその人……しかし、なぜ? などと考えていたら、めーいっぱい抱きしめられてしまう。このとき、耳元でささやかれた言葉に一瞬表情が強ばるが周りに悟られるほどではない。アスカの副官をしているうちに、そのあたり訓練されてしまったようだ。
「あー、やっぱりヒカリだぁ。どう? 元気だった? って見た通りか。もう、あのカタブツがこんなに色気づいちゃてぇ。
 この、この。男でも出来たかぁ。おうおう赤くなっちゃって、図星ってわけね。
 このネックレスなんかアンタの趣味じゃないでしょ? ふーん『貴女にくびったけ』ってか? もう何人泣かしたのよぉ」
 口を挟む暇もない。なす術なくこづき回され放題。何とか割り込んだ言葉も、
「何で、おねぇちゃん……帰ってきてるの……家にも顔を出してないんでしょ?」
とヒカリらしいと言えばらしい物。その程度で、コダマをどうこうできるわけがない。
「別に商売に失敗して、ケツまくったわけじゃないわよ」
 これだけは間違うなとばかりに釘を刺す。そこのところは絶対に押さえておきたいらしい。
「事情があって家には帰れないのよ。たぶん、もうしばらくこっちに居ることになると思う……で、こちらは?」
 ようやく、マヤがヒカリの連れであることに気がついたようだ。なんだか勢いに圧倒されて傍観者に徹してしまった……それほどの『ホラギ少佐の姉』といったイメージに対してギャップがありすぎたらしい。
 コダマに話を振られて、やっと我に返る。
「あ、えーっと、こちらは副参謀長のマヤ・イブキ大佐」
「よ、よろしく」
 ファーストインプレッションが強力すぎたようで、いまだ立ち直り切れていない。
「あぁ、貴女があの……噂はかねがね伺っています……」
 意味ありげに言葉尻を濁す。
「ああ、申し遅れました。私、ヒカリの姉のコダマと申します。今は、まぁ……事業の方をちょっと……」
 嘘ではない。小なりといえど独立商人だ。事業主であることは間違いない……現在は諸般の事情により活動休止中だが。
「妹にも久しぶりに会った事ですし……お時間はありますか? イブキさんも」



「あら? どうしたのレイ。こんな時間に」
 こんな時間……標準時間で〇六〇四。夜勤明けの頭を抱えて通りかかったリツコ・アカギ少将は、わずかに躊躇ったが結局声をかけることにした。
 らしくない。
 だからといって、重い雰囲気を纏った少女を看過できなかった。
 一般に『公園』と呼ばれる酸素供給プラントエリア。実際上も公園であり、市民に広く解放されていつ。その一角、ベンチに座るその姿はやけに小さく見える。いつもの溌剌(はつらつ)とした様が印象深いだけにその表情にただならぬ物を感じる。
「あっ……アカギ少将」
「まぁいいわ、家に来なさい。もうそろそろお腹もすく頃でしょうし、話はそれから……話してくれるでしょ?」
 いつになく強引なリツコの言に、無言でうなずく。ココロが痛い。この痛みを、誰であれ聞いて欲しい。だから、手を引かれるままに立ち上がる……
 力無く自分を見上げる紅い瞳。シンジが見たならば、背筋に冷たいものが走ったのではないか? アスカの下へ、自分の体より大きなトランクと共にやってきた……あのときを思い出させる感情の失せた瞳に。

 温かなチョコレートを前にぼぅっと、ただ座っている。
 リツコは知らない。いつもの明朗なレイしか……だから、自然と身体が動いた。
 娘。
 そうかもしれない。自分にはこのくらいの娘が居てもおかしくはない……いや。
「さ、いらっしゃい……」
 ごく自然に抱き寄せる。抱きしめる。
 母。
 レイの胸の中で無条件に浮かんだフレーズ……それが実際に示す存在を知ってはいるけどホントは知らない。でも心地よい。ユイやキョウコの存在がそれに近いのかもしれないが、実子のシンジやアスカの手前やはり何処かはばかられる。
 なんとなく雰囲気に流されていたが、何かが染みこむようにレイを満たしてくれる。アスカやシンジはよい義姉兄ではあるが、ついてゆくにはそれ相応の努力と多少の無理が必要だった。それが何かのキッカケであふれ出したか……
 リツコの両腕にこもる力が少しだけ強くなった。
「え?」
 アカギ少将に抱っこされてる……
 いまさらながらに自覚。閉じこもっていたココロがわずかに顔を覗かせる。
 どこか、他人事のように感じながらもなぜか安堵している自分を感じる。
 そして、ぽつりぽつりと語り出す……

「キリシマ少佐が……シンジさんを籠絡するつもりみたいなんです……」
 他愛のない。
 リツコならずともそう思うだろう。しかし、『籠絡』とはまた古風な……
「アカギ少将……私……どうすれば良いんでしょうか?」
 今までされるがままだったレイが顔を上げる。わずかに潤んだ紅い光彩がいつもとは微妙に違う色に見える。
 アスカに引き取られる前、半年以前の記憶を持たないレイにとっては義姉兄が一番の絆。その三人のコミュニティーが、カヲルのイカリ邸居候で崩れかかり今度はマナのアプローチ……今のレイを形作る環境の根本が揺らいでいる。だからそれ以前のレイに戻るしかない……脆い。
 何も言わず頭に手をやる。ゆっくりとゆっくりと撫でてやる。幼子にするように。
 最近覚えた子供の扱い。レイの年齢からすると不釣り合いかもしれないが、今はこうするのが一番だと思う。
 微妙なバランスを取っていたのはアスカとシンジだけではない。レイが間に入ってこその関係だった……こんな状態でも状況分析をしてしまう自分に軽い嫌悪感。でも、今の自分の姿を見て、あの人はどう思ってくれるのだろうか?
「レイ……」
 少し、リツコの表情が軟らかくなる。軍務中の切れ味は鳴りをひそめ、柔らかに包み込むような……
「イカリ提督のこと、好き?」
 それだけのことで頬を上気させるレイ。リツコの視線から隠れようとしたのか、再びその豊かな胸に顔を埋めてしまう。
 意外とウブな反応にリツコの方がやや狼狽気味。
「そう……じゃあ」
 少し考える。その声に惹かれるように再びレイの視線はリツコへと。
 悪戯っぽく笑う。
「この人。こんな風にも笑えるんだ……」
 言葉には出来ないけど新しい発見に少しだけ嬉しくなる。今日まで、毎日ほんの少しだけ話すだけの相手だったのに……
 レイの周りにいるなかで、信頼のできる数少ない大人の女性であることは間違いない。
 この件に関しては、カジ夫妻はアスカ寄りであるのが明白なため信用ならず、他にと言えばヒュウガやヤマギシ……論外。特にヤマギシはマズイ。
 こうして考えてみると……社交的なようで用心深いレイの性格が分かる。誰からも距離を置いているリツコが一番話やすかったのかもしれない。偶然に助けられはしたが。
「先に取っちゃいなさい。恋敵に応援を頼む粗忽者(そこつもの)とか、二〇年以上も一緒にいるくせにまだうだうだ言ってる人なんかほっといて……ね」
「でも、それは……」
 それは……それは裏切りではないか。
 でも、リツコの言を是とする自分がいるのもまた事実。それは、レイが手を伸ばすことが出来なかった甘美な果実を、手ずからもいでその前に差し出したに等しい。楽園の生活を守るために、楽園を捨てなければならない……自ら捨てることはなくとも楽園は楽園たり得なくなる。それでも……
「出来ません……」
 恐れ。紅の中に漂うそれを見て取ると軽くため息。
「レイ……気を遣って身を引くことが美徳とは限らないわよ。あの方と、ソウリュウ司令と対等でありたいのなら……」
 一度言葉を切る。試すようにもう一度、その瞳をのぞき込む。
「正面からぶつかりなさい」
 その時は、その時だけは軍人リツコ・アカギに戻っていた。それが分かってしまったから……少女は黙るしかない。自分が、考えることを止めていたことが分かったから……
 もう一度、髪を撫でたあと身を遠ざける。
「明日の出航、パスしても良いわ。ここにいつまで居てもいい、その代わり考えなさい。今、貴女がどうすればいいか……ああ、キリシマ少佐が動くからそんなに時間はないか……」
 ただの甘やかしではなく、確たる課題を与える。いや、軍務にかまけてこの問題を先送りにさせない。しっかりと期限を設けて答えを探させる。
 厳しい。
 その裏には、こんな精神状態で訓練に参加させたら大怪我をするに違いない……という心配もある。また、これを放置するとイゼルローン首脳部崩壊の蟻の一穴になるやもしれない。考え過ぎかもしれないが、それを気に病まなければならない立場に彼女はいる。
 理屈やタテマエはともかく、リツコは好きなのだ。アスカが、イゼルローンが、この艦隊が。一生懸命で、不器用なこの少女が。
「イカリ提督には私から連絡しておくから、ゆっくり考えなさい」



「いいんですか? こんな所で……」
 マヤの控えめな意見に肩をすくめてみせる。
「こんな所だから良いの。曰くありげな個室には盗聴器が絶対あるし、私の方も危ない……せめてイブキさんが男性ならそれなりの手段もあるけど……ん、イブキさんならそのままでもいいかな……」
 そんなことを言うものだから、ヒカリの肩身は狭くなる。姉と上官に挟まれ逃げ場もない。どこかの要塞防衛司令官ならいざ知らず、昼間からアルコールというわけにも行かないのでお茶に軽食というシンプルなオーダー。いっそのこと、アルコールに逃避できたら楽なのに……などと危険なことをちょっとだけ考えてみたり……
「いや、私はそっちの方はちょっと……遠慮します」
 かなり焦るマヤ。イゼルローン要塞にあってもたまに似たようなアプローチを受けることがあるため、冗談と分かっていても心臓に悪い……冗談なのかな? 本気で恐い方へと転がりはじめる思考に無理矢理ブレーキを掛け、思考を再構築。何でもないような振りで自分が頼んだティーカップに手を伸ばす。ちょっと手が震えてるのはご愛敬。
「や〜ねぇ、冗談に決まってるじゃないの。本気にされると私の方が困っちゃうじゃないですかぁ」
 コダマのフォローなんだかなんなんだか分からない一言に、さらにヒカリの血圧が上がったりもする。
「まぁ、詳しい話は出来ないでしょうからこれに……ヒカリ、持ってゆきなさい。あっちの監視の人間に見えるように受け取るの。お土産よ、お土産」
 フェザーン及び帝国の情報。それも独立商人独自の情報網から手に入れた最新のものだけに、帝国末端の経済状態が手に取るように分かる。これで帝国の基礎体力が図れる。本来なら、同盟のが持っているはずの情報だが……ゲンドウの手を離れてからと言うものこちらの部署の劣化が激しい、いや帝国側もやっと手を打ち出したと言うことか。組織が刷新され、今までのパイプとやりかたが使えなくなったとも聞く。現在なにを帝国が企んでいるか? 今までにない新鮮な情報だ。そして、アスカを救い出す決定的な情報でもある。
 “Nerv”の方も帝国側の組織の壊滅以降情報入手に苦労しているのだが……
 おまけとして、フェザーン自治政府の動向を分かった範囲で添付してある。これはフェザーンに残してきたコダマの部下たちの仕事。実入りにならない仕事の方が質がいいのはどういうことか……あまり深くは考えたくない。それだけコダマが乗員から好かれているという事だから、悪いことではないはず。
 見た目はフェザーンの名の入った菓子折。いつの時代にも健在、おみやげ物の定番。フェザーン高等弁務官事務所に送られてきたものの中から一つ失敬してきたらしい。
「まっ、そういうことだから……」
 なぜか妹の肩を掴み、席に固定。
「そのネックレスの彼氏のこと……聞かせてくれるわね?」
 ヒカリに拒否権はないらしい。救いを求めるようにマヤを見るが……期待に目を輝かせている様子。この手の話題に味方はあり得ない。渋々なから求めに応じて語ることにする。そうでなければ帰して貰えそうにない。姉の性格からすれば本当にあり得る。
 後にマヤ・イブキは語る。
「アレは絶対分かってて惚気てます……ごめんなさい、もう聞き出したりしませんから」

 独り者には少々きつかったらしい。まぁ、“あの”ミサト・カジが撃沈されたぐらいだから……



 『慣習』というものは長い間に築き上げられた約束事である。時に弊害となることもあるが、だからといって全て排することも出来ない。うまくつき合うことが肝要なのだ。
 例えば、訓練等で任地を離れる場合に対象の人員に対して、乗船時刻の二四時間前より自由時間が与えられる。地球時代、海洋艦隊から続く伝統ではあるが、律儀に守られることは少なくなってきている。イゼルローン要塞駐留艦隊は少数派。兵士たちには評判が良かったりする。

「お父さん、いつまで寝てるのよ。私もう学校行くからね」
 元気のよい声がする。トキタ邸にあって生活の全権を掌握しているのが、一人娘であるヒトミである。数年前に他界した母に代わり、父を尻に敷くべく……いや、生活環境を維持すべく奮闘中である。
「ああ、今起きた。悪いな、いつも」
「悪いと思ってるんなら、もう五分でも早く起きてくれると助かるんだけど」
「努力するよ」
 みなまで聞かずドアが閉じられる。本当に時間がないらしい。
 朝寝するくせに時間に正確な父。時に子供は、大人が思う以上の洞察力を見せることがある。シロウ・トキタ提督が今し方、送信した情報を受け取るのが誰かは知らないが、後ろ暗いことをしているのであろうことを。



 青年と、少年と、ペンギン。まとまりのないことこの上ない組み合わせである。本来ならここに女性二人が加わるはずなのだが、一人は長期出張、もう一人は原因不明の家出中。
 つい先ほどリツコに連絡をもらうまで大騒ぎだったが。
 困ったことにこの二人、少女の家出の理由に心当たりが全くなかったりする。青年にあっては法的な保護者の一人でもあることから軽い失望を覚える。なぜ相談してもらえなかったのか。事情を知らぬ身としては苦悩に満ち満ちている。
「シンジさん、そろそろ出ないと……」
 本日は非番のシンジ。今頃は帰る暇もないスズハラ提督とは違い、急ぎの仕事があるわけではなく気分的にも乗らない。リツコに任せておけと言われたからといって、すべてを彼女に任せるわけにもゆかない。なにがあったのかは解らないが話し合わねば。
「ああ、行こうか……カヲル君。ペンペン、留守番を頼むよ」
 いつもよりかなり精細を欠く動きでのっそりと立ち上がる。同居人たる少年も似たようなもの。まとう雰囲気がかなり険悪だ。
 その前に一つだけ。連絡を入れねばなるまい。昨夜の約束を反故にするのは心苦しいが、ものには優先順位というものがある。
 陸戦隊の訓練施設。今日は荒れるだろう。この二人のために。



 表向きはただの慣熟航海である。ついでに演習も行うというもの。
 実際のところは少々違ってくる。先日トウジたちが拾ってきた通信だ。
「進路……問題なし」
 すぐ近くにまで帝国軍が来ている。最悪のタイミングといわねばならない。これをそのまま本国に伝えたのだが我らが司令官を返してもらえない。ならばもっと決定的な情報を得ようというのが今回の最大の目的だ。“Nerv”が得た情報をそこに混ぜるのもいいだろう。とてもじゃないが公表するわけにはゆかない。情けない話だが。



「いいの、ほんとに? まぁ、もう追い返しちゃったけど」
 連絡を入れて三〇分である。リツコも驚きを隠せない早さ。オプションとして付いてきたカヲルにも興味はわくが、今はそれどころではない。レイの言うとおり追い返しはしたが今のはよいチャンスであったようにも思える。急いて結論を出させても仕方がないか……本人の心の問題だから。
「申し訳ありません……まだ心の整理がつかなくて……」
 当然か。リツコと話してからもまだ一時間程度。その程度で結論を出せるような簡単な問題でもないだろう。
「いいわよ、いつまで居たって。何なら司令がお帰りになるまででも、その後だって……ね」
 行くところがなくなることはない……彼女の出す結論に枷がかからないようにとの配慮か。リツコ本人も訝しく思うぐらいに、レイに対して世話を焼いている。でも、この不器用な少女を見ていると、何くれとできるだけ手を差しのばしてやりたくなる。かといって甘やかすわけではない。長年、子を育てた者にも難しいスタンスを自然ととっている。
「一番大切なのは、レイ、貴女の気持ち。ここには強制する人は居ないわ。考えて、結論を出さないことにしたのならそれでもいいわ。真剣に考えて。若いからと言って何でも取り返しが付く訳じゃないの」
 思うところがあるのか、やけに力が入っている。雰囲気に呑まれてしまったレイが何度もうなずいたり。
 しかし、徹夜明けに燃え上がったりするもんじゃない。ちょっと立ちくらみを起こしたり。
「朝ご飯の片づけしますから……お休みになりますか?」
「ごめんなさい。そうさせてもらうわ」
 アカギ少将も歳には勝てなかったか……さすがにそれを口にするほど愚かではないけど。



「おい、イカリ提督、今日非番だったよなぁ」
 鬼気を纏ってやってきたシンジに誰も声をかけることができず……共にやってきたもう一人に事情を聞こうにも……
「あのサンドバッグ、六〇キロとか言ってなかったか?」
「ああ、でっかくペイントされてるだろ」
「縫い目が保つか?」
「鎖が切れる方が早いかもな……」
 カヲルの蹴りを食らったサンドバッグがおもしろいように跳ね回る。決してパワー型ではないカヲルの一撃で、だ。
「組み手はあの二人でやってもらうとして……」
 かなり汗をかいている中佐。一応、本日の訓練の責任者だ。
 その向こうでは、シンジが炭素クリスタルの両手持ちの戦斧を片腕で振り回し、定められた型をなぞってゆく。尋常ではないスピードだ。密度があるだけに見た目よりかなり重いはずだが……
「今日は早退を許さないからな」
要は、
「不幸になるなら全員で、だ」
そういうことだ。



 さて、小さな不幸の量産体制に入ったNerv連隊はともかくとして時計の針は万人に等しく進む。
 午後の早い時間に起きだしてきたリツコが見たのは、きれいに掃除された自分の部屋。洗濯も完璧、これならいつでも嫁に出せる……じゃなくて出るのは嘆息。噂には聞いていたがこれほどとは……最近の若い娘、侮れないわね。などと、らしからぬことを考えたり。
「ありがとう、なんか面倒なこと全部やってもらっちゃって、ごめんなさいね」
「いえ、お世話になっているんですから、このくらいは当然ですよ」
 そう、そろそろもう一人女の子が来るはず。彼女がいつもやっていたことを全てやってしまったのだから一悶着あるかもしれない。これは先に言っておかなかった自分の落ち度か。もう、なるようになれ……アカギ参謀長大荒れ。
「そうそう、ちょっと来客があるから……」
 言い始めたとたん呼び鈴が鳴る。なんと間の悪い……
 軽やかに身を翻し、接客に向かう様を見る限り表面上はいつもの彼女に戻ったようだ。安堵。でもそれはそれ。これから起こるかもしれない事態に対し心の準備。

「はい、どちら様でしょうか……」
 レイが内側からの操作でドアを開け、二人の目があった。
 制服は違うが見知った後輩によく似ている……あ、髪が少し長いか。
「レ、レイお姉さま?」
 相手には私服のレイが解ったようだ。この呼び方をする娘は一人しか居なかったはず……とすると。
「ヒトミちゃん?」
 基本的にレイと同じ髪型のライトブラウンの髪が揺れる。うなずいたようだ。ハイネセンのジュニアハイ・フライングボール部の後輩。レイの右腕。アシストの女王。こう来れば次に来る行動は……芋蔓式に記憶が呼び起こされる。軽く身構える。
「レイおねぇさまぁ。会いたかったですぅ」
 だきっ
「えっと、何でヒトミちゃんがここにいるんだろうな……って」
「運命です、奇跡です、神様のお導きですぅ」
 微妙に矛盾した理由をばらまく後輩。理由になっていないことはどれも変わりない。しかし、宇宙は広いようで狭い。
「ヒトミちゃん……やっぱりその呼び方やめない?」
 ハシバミ色の瞳には断固とした拒否。
「お姉さま、ヒトミのこと嫌いになっちゃったんですか?」
 たちまち潤みだす。
「なってない、なってない。だから泣かないで、お願いだから」
 これがなければいい娘なんだけど……別に男性に興味がないわけではないのが救いといえば救い。
「二人ともなにやってるの?」
「アカギ少将」
「リツコさん」
 話の展開を訝しんだ家主の登場。
 事態収拾を司るはずの女神様。その最初の言葉は……
「……レイ、そういうのでも二股はよくないんじゃない?」
 血も涙もない一言だった。

 ヒトミ・ブランシュ・トキタ。それが彼女の名だ。従ってこの要塞にいるのは至極当然のこと。レイが軍属となり急にハイネセンを離れてしまったため、連絡の手段を失い今に至る。彼女の父が、もう少し娘の交友関係に興味を持っていてくれていれば、再会はかなり早くなっていたはずだ。
 レイの方がトキタ父娘について気が付かなかったのは、ヒトミからその父の職業を「軍人」としか聞いておらず、父、シロウ・トキタ准将とあまりにも似ていなかったから。リツコも思わず納得したものだ。
 アスカは……変なところでザルな人だから……ことここに至っても悪くは思っていない様子のレイ。それはそれで問題のような気がする。
 このコンビ、ハイネセンではそれなりに有名だったが所詮はジュニアハイの学校競技。知らない人間の方が圧倒的多数を占める。年の半分以上を、狭い船内生活を強いられる生活を続けてきたリツコなんか興味の持ちようもない。さすがにアスカやシンジは時間が合えば応援にもきてくれた。チームメイトも、顔とファーストネームぐらいは知ってるだろう……あ、アスカが気が付かなかった理由が今分かったような気がした。
「っていうことがあったんですよ」
 さっきからヒトミが一人で騒いでいる。運命の再会(ヒトミ談)のせいで興奮した上に、リツコが二人の関係を聞いたもんだからもう止まらない。敬愛するレイお姉さまがいかにすばらしいフライングボールプレイヤーか、語る語る語る。身振り手振り声色総動員だ。 で、今終わったところ。
 レイは、シナモンスティックがふやけるほどの間かき回し続けてしまった紅茶を、飲むべきかせざるべきか思案中。
 リツコは、メモ帳に落書き中。ねこ……なかなかうまい。さすがの才媛も女子中学生の勢いと脈絡のなさには勝てなかったらしい。総じてこれを『老いた』と言うが神罰を恐れるなら口にしない方が賢明だろう。
 『レイお姉さまとヒトミの愛と友情の物語(命名・ヒトミ:上演時間二時間一〇分)』をレイの観点から見ると次の通り。

 新入生ヒトミ、フライングボール部へ入部。レイと出会う……ヒトミは運命だとはしゃいでいたが。
 入部後三ヶ月の地獄の基礎体力訓練を乗り切った後も、レイの特別訓練開始――練習中にミーハー丸出しで声援なんかをくれたとき、思わず怪我しかかったのが相当頭にきたらしい――本気でつぶしにかかったのだが、今となってはレイの巨大な秘密だ。
 五人一〇人と辞めてゆく中、問題のヒトミは新入部員の中心になっていた。レイのことを『お姉さま』と呼ぶようになったのもこのころ……どうせすぐに辞めると思って、適当に返事したのが敗因だ。一本筋の通ったミーハー……ヤな存在。
 気が付けば、残ったのはヒトミ以下数名。ここにいたってレイも当初の目的を断念せざるを得ず、レイのシゴキのおかげで、相棒として申し分ない働きをするようになるのだから良かったのか悪かったのか。この『お姉さま』さえなければ返事は決まっているのだが……

「で、二人が越えてはいけない一線を越えちゃったのはいつ?」
「アカギ少将、そんな恐ろしいこと言わないでくださいっ!」
「やぁねぇ、冗談よ、じょーだん」
「にしても、その冗談ミサトさん入ってますっ」
「それってオヤジ入ってるって事っ!?」
 それは一大事。
「じゃなくって、ミサトさんなら絶対言いそうな事ってことです」
「ほらまた言った、やっぱりオヤジ入ってるって言ってるじゃないのっ」
 どうやらリツコの中では、ミサト=オヤジという図式が確立しているらしい。『悪質』というのも込みなのだろうか? まぁ、別にいいけど。
「ヒトミちゃんも何とか言ってよ……って、ヒトミちゃん?」
 返事がない。
「ヒトミちゃん?」
 やっぱり返事なし。ちょっと耳を澄ませてみよう。
「……さまと……そんなぁ、女同士なんて……でもお姉さまがそう望まれるなっ!」
 中断。
「いま『ゴン』っていわなかった?」
 ちょっと引き気味のリツコ。
「……」
 未だ沈黙中のヒトミ。
「気のせいじゃないですか?」
 やたら笑っているレイ。
 真相は闇の中である。

「それはともかくとして、どうしてヒトミちゃんがこちらに……?」
 不思議。この二人、接点がない。
「たまたま……」
 先輩の愛の鞭から再起動を果たしたヒトミの、いいわけどころか泥沼に引き込む一言を視線にて封殺。体育会系の上下関係は厳しい……今朝のかわいいレイはどこへ行ったか。
「つまり、『たまたま』こちらに来るような関係であると……」
 鋭い。
 別に秘密にしなければならないわけではないが……照れくさい。御歳三七歳、ようやく訪れた春。
「お母さんになる人だし……」
 ぽつり。つまりはそう言う事だ……
 誰も言葉を継ぐことはなかった。
 一人は驚きに目を見開き、
 一人は年甲斐もなく赤くなってうつむき、
 一人は満面の笑みを母となる人に向けている。
「それは……」
 ようやく一人が口を開いた。
「それは、おめでとうございます。アカギ少将、ヒトミちゃん」
 そこにあるのは『幸せ』
 ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ……うらやましかった。



 酒瓶のまき散らされた魔窟。今日一日の戦果とは思えぬ量だ。
 入り口には、先ほど酒屋が積んでいったケースがそのまま。最初のうちはアテにでもしたのだろうか? 乾き物の空き袋も散乱している。それをあきれ顔で眺めてるのはマユミ。なにがあったのか聞くのも野暮……というか聞きたくもない。アルコール臭に混じった勝負用香水の残り香がもの悲しい。
 呼ばれたから来たものの、マユミの記憶が正しければ、今頃この女はイカリ提督とデートのはず。いつもの部屋着であることから、あまり考えたくない事態が想像される……帰っちゃだめなの? 誰とはなしに問いかけたい。
 当たって砕けた……違うな、当たる前に砕けた様子。処置なしだ。
 帰ろう。
 そう心に決めて転進。
 現拠点を放棄し、私室へと後退……
「どこへ行くつもり?」
 地獄の釜のふたを開けたんじゃないかとゆーよーな、凄まじい声。それを無視しようにも足首を何者かに捕捉された。
 障害物を実力にて排除、後退任務を続行。
 強引に前に出るが、何かが引っかかったまま。どこぞのワインの瓶数本を蹴散らすことになる。
「いつまでくっついてるつもりですか?」
 どこまでも冷静なのが怖い。
「せっかく来たんだから、ゆっくりしていなさいよぉ」
 ちょっと怪しいが、呂律がしっかりしているのはさすがだ。
「ヤっ!」
 その提案を一言で却下。明日であれば聞いてやらないでもないが、今日この状態では聞きたくない。今晩は自分の方が用事があるのだ、マナには悪いがつきあってらんない。他人の不幸の処理をしている間に、自分の幸せ逃がしたんじゃ人生の収支報告書は赤一色になってしまう。
「副司令、何でもっと穏便にやってくれなかったんですか?」
 詰め寄りたくも、その相手が目の前にいるわけでなし。ぐっとこらえて、涙と一緒に飲み込む。
 仕方がない……『彼』に連絡を取ろう。短期であるが航海の前だ、できれば一緒にいたかったんだけど……はぁ、これを見捨てることができたらどれだけ楽だろうか。



「レイ、ほんとにいいの?」
 深夜ではないが、夜も遅い時間だ。
「ええ、決めましたから」
 表情は硬い。でも瞳の輝きは本物だ。結局自分はこの娘にどれだけの事をしてあげられたのだろうか……
「そう、なら結果は報告してね……」
「はい、お世話になりました」
 幸せそうな二人を見ていたら腹が決まった。理屈なんか必要ない。アスカが数年がかりで乗り越えたラインだが、レイもようやく越えることができたようだ。



 ボロボロである。
 三一戦二二勝……本日のカヲル・ナギサ少尉の戦績である。九敗のうち、シンジ・イカリ中将に殴り倒されたのが二回、蹴倒されたのが四回。あと三つは連隊幹部に叩きのめされたもの。
 もう一人、そのシンジ・イカリ中将だかこちらは四八戦全勝という鬼のような記録だ。でも疲労は隠せない様子。複数人数とも渡り合ったはずだから、六〇人を超える人間を制圧したことになる。しかも恐ろしいことに、これでも「鈍(なま)った」と仰せになる。接待訓練ではなく、要塞守備隊のメンツをかけた訓練と相成ったため彼の現在の実力であることは間違いない。ヒュウガと共にハイネセンへ旅立ったメンバーがいれば、全勝ということはなかったろうが……
 そんな二人の元へ帰ってきた。アカギ邸からまっすぐここへ。

「カヲル……ちょっと、はずしてくれないかな」





W



 D−Day−4  宇宙歴七九八年四月二二日

 イゼルローン要塞を発して七日目。スズハラ分艦隊は回廊の帝国側、出口付近にあった。 馬鹿みたいにハードなスケジュールを独りこなす“金色のロンギヌス”はともかくとして。
「通信は?」
「全く傍受できません」
 現在の自分たちの位置に対して、帝国軍回廊守備隊すら反応しない。
「しゃぁない。この辺に無人衛星をばらまく……なんかガタついとるなぁ、この机。
 まぁええわ。
 それから、現時刻をもって後退を開始する。ポイント【α23】経由や」
 分艦隊司令官の号令により転進を開始する。
 ちょうどそのとき、エヴァンゲリオン級の航法レーダーに何かが引っかかった。
「スズハラ提督、たった今観測したデータですが……」
 すぐに司令官席へ転送。
「なんや、重力波か……そやけど、この値は……」
「ええ、自然現象にしては小さすぎます。しかしながら、艦隊にして一〇ないしそれ以上になります。距離はあるようですが、数日というところでしょう」
「……まっすぐ要塞まで逃げるで。イゼルローンに急報をいれぃ、訓練スケジュールは凍結や。ええな」



 七日前。D−Day−11 四月一五日 ハイネセン
「移動式要塞?」
 アカギ宇宙艦隊司令長官が問い返す。当たり前だ。与太にしては程度が悪く、事実とすればなお悪い。ゲンドウのルートからもそんな情報聞こえてこない。
「小官の個人的なルートより得た情報でありますが、確かな物です」
 相手は“あの”アスカ・ラングレーの副官だ。なにがあっても不思議じゃない……ような気がする。受け取った記録媒体になにを見たか……
「少なくとも、これでソウリュウ司令の身柄を政府から取り返すことができます。先のイゼルローンからの報告と合わせれば……」
「確かに……信憑性は増すわね。分かったわ、この線でやってみましょう」
 先の帝国の内乱(リプシュタット戦役)に於いて最終決戦の場となり、破棄されたガイエスブルグ要塞への過剰なまでの物資流入、人の流れもガイエスブルグ要塞へ。ある一点から場所が微妙に変わっている。なにもなかったはずの宙域だ。これも推進機関の実験と考えれば説明は付く。これはマヤ・イブキ大佐の分析だが。
 どこへ来る?
 当然、イゼルローン回廊へ、だ。
 もともと、今回の拘留にしたところで火のないところに煙を立てるような行いに等しい。遠くから見ている大多数の人間には、大火災に見えるかもしれない。見えるだけだ。決してその証拠があがることはない。最終的に黒に近い灰色として釈放される、アスカ・ラングレーの名声に曇りを与える。誰が考えたか知らないが、よくできたシナリオだ。
 同盟の法令上、肉親の罪に連座させることができない――戸籍上は他人であるが――ため、三流政治屋らが何かを企んだ……そう言うことだろう。
「さて、誰が責任をとるのか……見物ね」
 今ならば、アスカ・ラングレーを白とするしかない。捏造しかけた証拠は……“Nerv”の手に落ちれば面白いことになるだろうが。



 八日後。D−Day−3 四月二三日 イゼルローン回廊帝国側
「質量は、概算ですが四〇兆トンを越えます……」
 昨日ばらまいた無人観測衛星から送られた最後のデータの解析。
「イゼルローン要塞級の物体……エラいモンを引っ張ってきたなぁ」
 トウジから笑みが消えることはない。
「もうちょっと、気合い入れて逃げるで」
 超光速通信が飛ぶ、イゼルローン要塞へ。もちろん、凶報を携えて。



 七日前。D−Day−10 四月一六日 ハイネセン
「ヒカリ、ありがと。みんなにも迷惑かけたみたいね……」
 彼女を拘束する物は既にない。
 約二〇日ぶりの自由。少々やつれた様子はあるが、それでも元気すぎるぐらいに見える。なにがあったかは知らないが。
「ママ、小母様……ご心配おかけいたしました」
 頭が下がる。
 二人が告げたのは、ハイネセンを離れる……そう言うことだった。今回はアスカ自身だった。次は? 子供たちの足を引っ張るようなことはしたくない。それに、
「久しぶりに、レイの顔を見たいから」
なんだかんだ言って、子供たちが心配なのだ。「ダンナ? ほっとけば何か企むでしょう」……とはユイ・イカリ弁護士の言。夫に対する信頼が言わしめるのだろう……たぶん。
「さて、まずは」
 一同押し黙る。かなり溜まっているであろう司令官殿のフラストレーションはどこへ向かうのか。最近のアスカが自分の妄想にやられて、クッション抱えてゴロゴロやっていたとは思うまい。緊張。マヤ、ヒュウガ、ヒカリなどは精神的に身構えてしまう。
「食事にしましょう。シンジならもう一月ぐらいは平気でしょうから」
 アスカ、一世一代の強がりであった。



 三日後。D−Day−7 四月一九日 イゼルローン回廊、帝国側

 鬼のキリシマ、仏のヤマギシ。多い者は本日五回目の撃墜マークをいただいている。
 照準用の光学サイトを用いた実機演習である。自分の位置を確認するための恒星や要塞のない環境下での単座式戦闘艇の運用と、フォーメーションを確認するためのもの。“ついで”に撃墜数競争を始めたのだが、一人燃え上がってしまった方がおられる。
 逃げまどう同僚を、一機、また一機とその毒牙にかけてゆくキリシマ機。新兵を守るように動くヤマギシ機。
 巧妙に背後をとったのはレイ、スカイブルーのロンギヌス。マナ、あまりにもマユミを意識しすぎた、警報音から逃げるように旋回をかけようとするが時すでに遅し。レイ・アヤナミ初の金星。直後、無情にも演習終了を知らせる通信が駆け抜ける。

 疲れ切った体に鞭打ち、H.U.D.の除装手順を踏む。なんだかもう、どうでもいい気分。体を固定していたエアバッグから空気が抜け、身体の自由を取り戻す。高いGに対抗するため、寝そべる形で乗り込んでいるのだがどうも機械に埋め込まれているような気がする。宇宙放射線からパイロットを保護するための、金属製の風防。ゆっくりと開いてゆく。どこか他人事のようにそれを眺め……

「どうしましょうか? コレ」
 爆睡中の同僚を前にちょっと本気で悩んでみる。周囲の整備兵からは「早く撤去してください」とのこと。ここ数日、やけくそとも思えるトレーニングをこなしてきた疲れが出たのだろうか? マユミの見るところでは、あの日摂取しすぎたカロリーの発散のためではないかと……体を動かしていた方が楽だと言うのには変わりないだろう。
 とりあえず胸ぐらを掴んで「よいしょ」と引き上げてみる。起きない。〇・八五Gしかかかっていないが、なかなかできる芸当ではない。
 空いた左手を見てみる。ユニフォームと対になって、気密服を構成するパイロットグローブ。口を使ってファスナーとマジックテープ、気密テープを解除する。解放。口にぶら下げていたグローブを隠しへと収納。
 周りを見渡す。よし、誰もいない……




 六日後。D−Day−1 四月二五日 イゼルローン要塞

「戦闘態勢を」
 司令席にかけることはない。そこにあるべき人物はすでにこちらへと向かっているという。あと三週間戦線を維持すること……それがシンジ・イカリ要塞司令官代理に科せられた使命だ。
 フユツキの同盟への投降により、帝国側にあった旧“Nerv”が機能を停止した……タイミング的にもそれほど大きな痛手にはならないはずだった。しかしながら、新たな諜報網を築くまでの隙をつかれた格好となった。これほど大きな計画を直前まで察知できなかった……痛恨事である。
「スズハラ分艦隊の帰還は三時間後、敵要塞の到達は二四時間以上……」
「形状、質量ともガイエスブルグ要塞に酷似、以降、目標をガイエスブルグ要塞として各能力の算出を……」
「目標を光学観測にて捕捉」
「32−Aに出して」
「無人探査機、三五〇〇番台全滅」

「最悪のタイミングですな」
 一人、帝国軍の軍装。それなりに目立つが、“それなり”で収まってしまっている。
「ええ、いろんな意味で最悪ですね」
 それに長身の若者が応える。親子、いやそれ以上の年代の隔たりがあるだろうか。
「どうするかね?」
「待ちます」
「何を?」
「司令官の帰還を」
 淀みない。
「それまではどうするのかね?」
「防衛戦は、小官の望むところです」
「守るだけでは勝てんよ」
「だから待つんです」
 そのときになって、やっと二人は目を合わす。
 笑み。
「相手は、カール・グスタフ・ケンプ大将とナイトハルト・ミュラー大将、ご存じですか?」
 これは“Nerv”の情報。
「ふむ、ミュラー大将はちょっと記憶にないな。ローエングラム元帥に抜擢されたのかもしれん。ケンプだが……良くも悪くも『武人』だな」
「なるほど、分かるような気がします。ケンプ大将とは、アムリッツアで一度対戦しましたね……では、スズハラ提督の帰還と同時に会議を開くとしましょう」
「会議など開かなくとも、君の決定に皆従うと思うが?」
「いえ、司令官代理とはいえ私のような若造の指示を聞いていただけるのです。筋は通させていただきますよ」
 ベレーを脱ぎ、指揮卓へ性格通り丁寧に置く。
「及ばずながら、力を尽くさせてもらおう。若者の役に立つのも、老いぼれの義務……違うな、楽しみと言うところか」
「フユツキ提督……」
 感謝。これなら、自分でもいくらか攻撃的な戦術が組めるだろう。
「問題は……」
 老提督が広大な指揮卓と、指揮官シートを眺める。
「ええ、いかにして悟られないか……ですね」

 アスカ不在の間、指揮を執るのはイゼルローン要塞副司令官兼駐留艦隊副司令官シンジ・イカリ中将であり、参謀長リツコ・アカギ少将、事務監リョウジ・カジ少将、要塞防衛司令官ミサト・K・カジ少将、駐留艦隊のシロウ・トキタ少将、トウジ・スズハラ少将が脇を固めることになる。そしてもう一人、コウゾウ・フユツキ中将待遇客員提督。『帝国からの亡命者』との立場を自覚して、決して自己を強く主張しようとしない。
 シンジにとってはそれだけでもありがたいことだ。フユツキが何か独自に動くことを主張すれば、シンジとて無視するわけには行かない。ただでも少ない戦力、大事に使いたい。
「基本的には待ちの一手です」
「消極的すぎひんか? 少なくともあの司令のとる策やないで」
 トウジが、意外とまともな意見を出す。
「しかし、我々が彼女のまねをしたところで、うまくいかんだろうな。それなら何か策があると思わせた方がいい」
「上手くいけばいいけど……委細かまわず突入されたときが辛くなりますわね」
 カジの後をリツコが継ぐ。
「こちらから向こうの要塞を速攻で占拠……どう?」
「相手も要塞砲がある……いかにして封じるか、考えておかねば……」
「いや、だから揚陸艦でうちの若いのを……」
「『雷神の鎚(トールハンマー)』の初撃で無力化できるのがベストですが、まず無理でしょう。ある程度こちらも流血を覚悟して、共倒れの危険を相手にも認識させないと……」
 冷たい引き算。幹部の表情は硬い。
 ミサトの意見も一考には値するが、分の悪いギャンブルであることは否めない。だから無視。トキタの言にも理はあるが、今から考えてどうなることでもない。
 質量計測をもとに、割り出された敵の数はおよそ二個艦隊。対して同盟軍は数に劣り、人材でもどうか? 明るい材料に乏しい。
「敵の出方を見よう。要塞砲の照準は予測地点に合わせるようにして」
 消極的だが、彼らにできることは多くない。
「至上命題は、アスカ・ラングレーが居ないことを悟られないこと。
 彼女がいると思えばこそ、こちらが少々甘くても敵はつっかかてこないからね」
 シンジがアスカの代理として、その場を締める。いささか苦いものが入ってはいたが……


 昨日。D−Day−2 四月二四日 バーラト星系外縁

 巡洋艦を中心とした二個分艦隊、総勢五五三〇隻が整然と発つ。
 表向き、スズハラ分艦隊からの情報に対し、軍部は早急に動いた。実際は数日前から待機を命ぜられていたアラルコン少将麾下二二〇〇隻、モートン少将麾下二〇四〇隻、マリネッティー准将麾下六五〇隻、ザーニアル准将麾下六一〇隻をアスカの元に配しイゼルローン防衛戦への参加を命じた。残り三〇隻はアスカ・ラングレー大将警護のために、イゼルローンから随行してきた部隊になる。
 アカギ総司令としては第一艦隊か第一四艦隊をつけようとしたのだが、国防委員会より『待った』がかかったのだ。曰く、「本国の守りが手薄になる」と……イゼルローンの安定は本国の平穏と同義であるのに。
 いくら何でも手ぶらでは帰せぬと、アカギ総司令が骨を折ってくれた結果が先の四個分艦隊だ。いささか問題のある人物もいるが、そこはアスカの管理能力……ということだろうか。
 あと四週間。同盟軍の誰にとっても、もっとも長い四週間。



 D−Day 四月二六日 イゼルローン要塞

「とうとう……と言うべきかな?」
 眼前のモニターには、二光秒離れた距離に浮かぶ球体。
「司令代理、敵要塞より通信です」
「メインに出して。受信だけ、こちらからは応えなくていいよ」
 アスカにするように、同じように傍に控えているレイ。
 見下ろせば、要塞首脳陣の席。首を巡らせば、空席の司令官席。
「叛乱軍、いや、同盟軍の諸君、小官は銀河帝国軍ガイエスブルグ派遣部隊総司令官ケンプ大将です。戦火を交えるにあたり、卿らに一言あいさつをしたいと思ったのです。できれば降伏していただきたいが、そうもいかんでしょう。卿らの武運を祈ります……」
「古風だが、堂々としたものだ」
 レイよりわずかに離れたリョウジ・カジが、感心したようにつぶやいた。
 なるほど、カール・グスタフ・ケンプの花崗岩の風格はレイを圧倒するものがある。歴戦の勇将、輝かしい武勲の所有者であることを全身で証明している。シンジなどが並んでも彼の副官にしか見えないのではないだろう。むろん、これはシンジを軽視してのことではない。

「イゼルローンより返答なし」
 通信士官の報告に、ケンプはうなずいた。
「残念だな。アスカ・ラングレー・ソウリュウとやらの顔を拝んで見たかったが……実力をもってあいさつするか」
 返信がないのはアスカが不在であるからだが、そこまで洞察できるはずもない。
「要塞主砲、発射準備」

「敵、要塞主砲発射準備に入りました」
 なるほど、機械の目を通せばエネルギーが励起される様が分かるというもの。ガイエスブルグ要塞の硬X線ビーム砲、『雷神の鎚(トールハンマー)』には及ばないが戦艦ぐらいは簡単に蒸発させることができる。
「『雷神の鎚(トールハンマー)』は?」
「準備……できています」
「先手を打てるか……」
 その右手が天をつく。
 逡巡。
 この手を振り下ろせば、数千、数万の人間が命を失う。
 左手を握り、また開く。
 その重みに、耐えることができるのか?
 自問。

 答えは?

「撃てっ!」
 同時。互いの磁場が干渉し、照準からはずれたところへ着弾。エネルギー中和磁場も無力。鏡面処理を施した、超硬度鋼、結晶繊維、スーパー・セラミックの四重複合装甲は数瞬の抵抗を示したが数秒で崩壊する。燃焼、暴力的なまでの燃焼ガスの膨張は激震となってイゼルローン要塞全体に叩き付ける。
「ひっ、被害状況はっ!」
 ひっくり返ったリツコの声が聞こえる。急に慌ただしくなる中央作戦室。
「RU七七ブロック破損」
「負傷者の救出を急いで。それが済みしだい隔壁閉鎖。当該ブロックの放棄」
 要塞防衛司令官、ちゃんと仕事をしている。
「ブロック内、生命反応ありません」
「なっ、あそこには四〇〇〇人以上が居たのよっ」
「直ちに隔壁を閉じて。RU七七ブロックは一時放棄」
 ミサトの抗議の声にかぶせるように飛ぶシンジの指示。
「戦闘員全員は機密服を着用。あと、一般人の外殻エリアへの進入を禁止するように」
 意外なほどのリーダーシップを発揮するシンジに、“ぼぅ”となるレイ以下中央作戦室の女性オペレーターたち。
 『ガイエスハーケン』に比して、出力で三割ほど上回る『雷神の鎚(トールハンマー)』を受けたガイエスブルグ要塞の惨状はいかばかりのものか。



 この苛烈きわまる主砲発射の応酬が、要塞対要塞の第一幕となった。双方とも、甚大な被害と、それ以上に甚大な心理的衝撃を受け、このさき主砲を使用することにひるみを覚えてしまったのだ。撃てば撃ち返される。彼らは勝ちに来たのであって、心中するために辺境くんだりまでやってきたのではない。
「次はどんな手で来るかな?」
 いくぶん抑えられてはいるものの、苦渋の色は隠せないか。
「周辺の通信の攪乱と艦隊行動……しかし要塞主砲の存在がありますので艦隊行動は難しいかと」
 こんな場合、真っ先に発言するのはリツコの役目。皆がそう心得ている。
「現在のところ、通信の攪乱は双方とも実行中です。索敵の手段は光学観測によるものだけです。この間隙を縫って、昨日のカジ要塞防衛司令官の仰られた潜入作戦を仕掛けてくるかと」
 どこまでも冷静な参謀長。
「ミサトさんのご意見は?」
 リツコの意見にうなずきながら、ミサトへと。
「じゃ、相手より先にそれやっちゃいましょ」
 あくまで軽いノリだ。
 ちょっと頭を抱えつつフユツキの方を見る。
 何かを告げようと口を開くが、そのまま言葉を飲み込む。会議室に通信兵からの強制介入が入る。
「司令官代理、二四番砲台付近が攻撃されています」
「迎撃は?」
「だめです、死角になって……」
 何も言われないのに立ち上がったのが一人。
「ミサト! 防衛司令官自ら前線に立たなくてもいいだろう」
 呼んだのは彼女の夫。
「だいじょうぶ、ちょっと運動してくるだけだから。
 コトコ、キヨミ、白兵戦闘の準備よろしく」
 “Nerv連隊”への指示を終えると共に幹部一同に対し敬礼。
 返事も待たず駆け出す。



 惑星に比べればささやかなものだが、イゼルローンにも重力圏は存在する。それは外壁から一〇キロメートルほどの上空までに及ぶ。外壁上は、当然要塞自転による有重力の世界だ。大気は存在しないため、極寒酷暑のきわめて厳しい世界が両軍歩兵の激突の場として饗される。
 侵入したのは帝国軍第八四九工兵大隊と、第九七装甲擲弾兵連隊で後者は前者がレーザー水爆の設置作業を行うに当たり、その護衛任務を帯びていた。イゼルローン要塞の外壁は一万一三〇〇平方キロ。多数の索敵システムと砲台また銃座で監視はしているが死角というものはどうしても生じてしまう。そこを利用して侵入者は忍び寄る。
 帝国軍兵士が次々に外壁へ降り立ち、その数が一〇〇〇人を超えた頃、同盟軍の迎撃戦が始まった。
 最初はレーザー・ライフルの二条の輝き。それぞれが帝国軍兵士に致命傷を与える。微弱な重力の下、その体が外壁へと落下するのを待たずしてレーザー・ライフルの乱射が始まる。しかし、レーザーは必ずしも有効な武装ではない。装甲服に鏡面処理が施されていれば数回の攻撃ぐらい乱反射させ無効化してしまう。
 ここで意外な戦果を上げたのが一八から二四口径の無反動ライフルだ。さらに接近すれば、同盟軍のプロブナイフの凶悪な輝きや帝国の超硬度鋼の戦闘ナイフ、双方の炭素クリスタル製トマホークの原始的な殺し合いが繰り広げられる。
 先頭を切ったのはカヲルだ。獣じみた咆哮をあげ、容赦なくトマホークを相手の関節部へと叩き付ける。確実に一人ずつを戦闘不能に陥れてゆく。
 巨漢の中にあってもミサトは怯まない。決して多人数を相手にしようとはせず、冷静に相手の装甲の継ぎ目にプロブナイフをねじ込む。高速振動する刃がたやすく潜り込み骨まで断ち切る。低重力環境下にもかかわらず、自在に四肢を操るその姿は舞踏にも似て見る者の目を奪う。まさか四〇近い二児の母とは思うまい。
 帝国軍もやられっぱなしではない。少なくない犠牲を出しつつも体勢は立て直す。
 上空ではワルキューレとロンギヌスの空中戦も始まっている。ときおり援護の爆撃もあるがほとんど効果は見られない。それどころではない。対地爆装で宙域戦に特化したロンギヌスと事を構えるのだ。自分のことだけでいっぱいいっぱい。
 このとき、キリシマ空戦隊の執った戦術は戦史の教科書に長く記されることになる。空戦に集団戦術を取り入れたのだ。性格はどうであれ、キリシマ少佐はきわめて優秀なパイロットだ。しかし、皆が自分のようになれないことは知っている。また、新兵の配属により低下した戦力の回復は急務。プライベートでいろいろあって、仕事の鬼と化したマナが考えついたのが三機一組の集団戦だった。中世騎士のごとき世界への挑戦。
 先のスズハラ分艦隊随行時に何度か演習したのだか、今回初めて実戦。ぶっつけ本番よりましかもしれないが、相手は動きの鈍い対地爆装のワルキューレであることが幸いした。

 戦闘開始より一時間三〇分。装甲服の着用による戦闘の限界時間が近づいたことにより、双方一旦矛を収めることとなった。
 もちろん、撤退する帝国軍に放火を浴びせ、さらなる出血を強いたことは言うまでもないだろう。
 やけにさっぱりした表情で中央作戦室に帰ってきたミサト。あれだけ運動して、シャワーも浴びたのだから当然といえば当然。周囲からのねぎらいにも笑顔で応える。
「やられっぱなしと言うのもしゃくですから、こちらからも同じような手に出ましょうか?」
「だめよ、さっきの戦闘で我々は何人か捕虜を得たわ。でもこっちから仕掛けて同じ事が起こったらどうするの? ソウリュウ司令が居ないことを、拷問か自白剤か知らないけど引き出されたら……
 まさか『捕まるぐらいなら死ね』なんて言えないし……」
 素っ気ないまでのリツコの言。それが示すのは、著しく戦術の幅を狭められているということ。
「さっきの戦闘もまずかったかもね……何人か未帰還者が出てるから」
 秘密はいずれ漏れる、それを見越していろいろと仕掛けを施しはしたのだが……
「第一撃は大技、第二撃は小技……第三撃はどうなることか……レイ、今のうちに眠っておきなさい。そのうち寝られなくなるだろうからね」
 副司令席の青年の言葉は、重い。



 D−Day+4〜5 四月三〇日〜五月一日 イゼルローン要塞周辺宙域

 工兵隊による工作の失敗以来、帝国軍の動きは止まった。
「全く、今度は何をたくらんでいるのやら……」
 とは司令官代理の言葉。
 幹部はどうあれ、現場の兵士としては『一度外壁にとりつかれつつも撃退した』との事実から士気は高い。

 静かに時間が消費されてゆく。
 それは突然やってきた。
「敵要塞よりエネルギー波、来ますっ」
 索敵士官の報告が終わるまでに激震。
「被害状況を知らせろ。あと、報復砲撃準備」
「司令代理っ」
「撃ち返さないと一方的にやられますっ」
 リツコの制止を振り切り、次々に対応策を命じる。誰だ、イカリ副司令はお飾りなどといったのは……
「第七九砲塔全壊、生存者……認められません……」
「LB二九ブロック中破、死傷者多数」
「負傷者の救出急いで」
 再度イゼルローンに激震が走る。
「爆破です。外壁が爆破されました」
「背後……後背に敵艦隊」
「損害状況を知らせろっ」
 オペレーターたちの悲鳴が交錯する。
 ここでシンジは怯まない。シンジが怯めば司令部の士気が落ち、司令部から指揮を受ける各部署へそれは伝染する。指揮官はまず演技者たれ……
 要塞主砲の発射自体が陽動だった。それを読み切れなかった不明は不明として、恥じ入っている場合ではない。求められているのは対応だ。
「空戦隊用意、制空権を渡すな。要塞守備隊は“穴”の周囲を固めて。一人の侵入も許すなっ」
 ミサトと共に駆け出すレイを視界の端に捉える。ただ一度うなずいた。手が足りない。だからレイも出撃する。
 レイ・アヤナミの初陣。

 二〇〇〇機のワルキューレと五万人の装甲擲弾兵を乗せた揚陸艦。イゼルローン上空の制空権をワルキューレが確保した後、装甲擲弾兵が侵入破壊工作を行うのがこの作戦の骨子。
「レイッ!」
 よく知った声に呼び止められる。パイロットスーツ姿の見知った顔……この間はなぜか両の頬が真っ赤に腫れていたけど。動きを阻害しないように体にぴったりフィットしたそれは、レイをしてちょっとブルーにさせる。パイロットスーツの下にエアが入っては、膨れあがってしまいその動きをどうしても阻害するから仕方がない。それでも皮膚呼吸を確保しているところが『技術』だ。女性であればまだ見る方としてはよい――一部そうじゃない人も当然いるわけだ――が、男性もパイロットである限り同じような、もろに体の線の出るモノを着なければならない……それはお互いに不幸なこと。
 そんなパイロットスーツに身を包み、“ぼう”としてるレイを有無を言わさず背後からヘッドロックに固め引きずってゆく。
「いいこと、相手を墜とそうなんて色気出しちゃだめよ。まず相手の攻撃に当たらないことを考えなさい。そしたら誰かが助けてくれるから。いいわね」
「は、はいっ」
 まだ締め上げる。レイの頬に柔らかいモノが押しつけられるが、そっちの趣味がないから嬉しくも何ともない……むしろ悔しい。
「絶対に生きて帰ってきなさい。これは命令よ」
 言いたいことだけ言うと、レイの背をその愛機の方へそっと押す。振り返ることなく愛機にとりつく。それが答え。
 自分の認識票と、右手親指を端子に張り付け搭乗認証完了。その中へ体を潜り込ませる。オートでH.U.D.を装着。脳波パターンの照合により起動。エアバッグにより身体を固定、左手の操縦桿と右手のキーボード、二つのフットペダルと視点カーソルに音声入力……それでもまだこれだけの入力デバイスが残される。
 自分の射出順までわずかに時間がある。視界の左下の数字が減ってゆく。これが“〇”になったときが自分の番。ぶら下げられたままゆっくりとエアロックに侵入。
 新たなカウントダウン。
『嬢ちゃん、“そこそこ”でいい、“がんばろう”と思うな。帰りを待ってるぜ』
 管制員からだ。顔は知っているが話したことはなかった。こんな時だが話しかけてもらたことがちょっと嬉しい。
「さんきゅ」
 言い切り、歯を食いしばると同時に射出。足下から突き抜けるGと、急に無重力環境へ放り出された混乱から自分の位置が測れない。
 座式の操縦システムよりGに強い分初速に遠慮がない。失調していたのは数秒、体勢を立て直す。目の前をワルキューレが横切ったのを見てとっさにトリガーを引くが当たらない。劣化ウラン弾は運動エネルギーを維持したまま虚空へと消えてゆく。
 現在の外部の映像に重ねて索敵レーダーの透過表示が重ねられる。敵味方識別信号の輝きがめまぐるしく入れ替わる。
「表示範囲を半径〇・五光秒に」
 音声入力で三次元投影式ディスプレイの、表示球体の光点が大幅に減少した。これより外からの攻撃に当たるのはもう交通事故だ。人間の力の及ぶところではない。
 そのような処理をしている中でも周りは動いている。視界の端に機影。トリガーに指をかけ回避行動……よく見れば寮機。射撃しなかったことに安堵する。
 チームを組むべき相手は……キーボードを操作するとレーダーに感。誰か追われてる?
 ごく自然にそのワルキューレの後背へ潜り込む。自分でもどうしてできたか分からないが、できてしまったモノは仕方がない。相手は追うのに必死なのか、後背のレイに反応しようともしない。
「イイオンナになってやるんだからっ、シンジさんに相応しいオンナにっ」
 迷わずトリガーを引く。画像処理され、視覚化された射線がワルキューレと交錯。火球に変じる。言い終わったときには、防眩フィルターのかかった暗い視界。
「落とした……」
 呆然と、誰とはなしにつぶやく。無我夢中だった、サイトなんか見る暇もなかった。訓練で培われた勘だけ。
『サンキュ、アヤナミ』
 流れてくる同僚の声を、どこか他人事のように聞き流す。初めての戦果にちょっと放心。それでも一直線の航路を採らないのは大したモノ。

 艦隊を出すべきか否か。シンジには判断がつかない。先のようなリアクションならともかく、こちらからの攻勢となるととたんに判断がつかなくなる。
 トウジとトキタは、すでに艦隊の出撃準備を整えている。イカリ分艦隊、アスカの旗本艦隊も同様だ。しかし、誰が指揮を執るのか……
 時がつかめない。
「九時方向に砲火を集中して」
 ロンギヌスと各砲塔の奮戦により、戦況は有利に進んでいる。しかしこのまま押し切ることはできそうにはない。時間がたてば泥沼のような消耗戦が待つのみ。
「司令代理……私に少しの間、艦隊の指揮権を貸していただけませんかな? もう少し状況を楽にできるでしょうから」
 フユツキの何でもないような口調に、シンジの中で何かが繋がった。
「お願いしますフユツキ中将待遇客員提督」

「このフネに、お転婆姫以外を指揮官として迎えることになるとは思ってもいませんでした。まぁ、仕事は仕事です」
 意外とはっきりと不満を表明するのは、船長ムサシ・リー・ストラスバーグ大佐。深紅のエヴァンゲリオン級打撃戦艦『エクセリオン』その艦橋――従来艦のそれと同等機能を備えた部署であるためそう呼ばれ続けている――にて、フユツキを迎えるに当たり面と向かって言ってのけた。このあたり、アスカの人格汚染の影響だろうか?
「そのあたりは勘弁してくれないかね? 代理は代理だ。この老いぼれにできることをさせていただきたい。そのために、卿らの協力をいただきたい」
 青年士官の胸のすくような物言いに、不快感を覚えることもない。
 艦隊高級士官を前に、自分の思うところを告げる。
 曰く、司令官代理は守勢をもって司令官の来援を待つつもりであり、自分もその基本方針は正しいと考える。自分の任務はそれを戦術レベルで支援、実現するところにある。さしあたり、要塞への上陸を試みる帝国軍の排除が当面の目的である。協力を請う……
「お転婆姫が信用しとんや、わしらが信じんでどうする」
 とはスズハラ。
「支持せざるを得ないでしょうな」
 とはトキタ。
 フユツキと共に『お転婆姫』なる呼称も好意的に迎えられたようだ。

 キリシマ少佐とヤマギシ少佐のロンギヌス隊の抵抗により、帝国軍は制空権を得るなどとはほど遠い状態にあった。ワルキューレ隊などは始まって以来という大きな被害を受けている。それでも総体としては『同盟軍僅かに有利』と言ったところか。
 ここに一つの動きが生まれる。制空権の奪取をあきらめたミュラー大将が、無人の駆逐艦の整列を指示。メインポートの封鎖を企図した。以前から考えのうちにあったのだが、占拠後長期間にわたり自分たちも港湾施設が使えなくなるためできるだけ使いたくはなかったのだが……
 この作戦がもう少し早ければ、イゼルローンは単なる砲台となり果て陥落の憂き目にあっていただろう。
 実際に無人の駆逐艦が整列を済ませたとき、突如『雷神の鎚(トールハンマー)』が火を噴いた。立て続けに数度。算を乱すミュラー艦隊。狙いは正確ではないが密集陣形を一度解かねばならない。 失意のミュラーが目にしたのは、イゼルローン要塞から吐き出される無数の光点。間一髪で間に合わなかったか……
 ならば、その艦隊を叩きつぶせばよいと再び陣形を整える。
 同盟軍艦隊はその気をくじくように、要塞外壁に沿って高速移動を始める。戦うために出てきたはずだ……あの『魔女の艦隊』が。その後を追う愚をさけ、頭を潰さんとその行動の軌跡を算出させる。
 これ以上ない辛辣な罠。ミュラーがそれと知ったときはもう遅かった。イゼルローン要塞の無傷の砲塔の直前を横切る艦列を容赦なく叩きのめす。後退しようにも、いつの間にか集結してきた駐留艦隊に半包囲の体制にせんと砲火を浴びせる。
 苛烈なまでの集中砲火を帝国軍艦隊が耐えきったのは、ひとえにミュラー大将の力だろう。ガイエスブルグ要塞からの救援を待つ間、彼は旗艦にて戦場を縦横に駆け抜け、艦隊の崩壊を見事に支えきった。
 ガイエスブルグ要塞主砲による援護は、ミュラー艦隊を巻き込むことが必至なため使用できない。とあらば、残存艦隊八〇〇〇隻をもって救出に当たるしかない。ケンプの号令の下、二個分艦隊は戦場へと急行する。
 対するフユツキも引き際を心得ている。帝国軍の新たな戦力との戦闘を避け整然と要塞へ帰還した。

 レイも無事帰還した。戦闘中六度の補給を行い、戦闘艇三、駆逐艦一の大戦果を手みやげに。



 D−Day+6 五月二日 イゼルローン要塞周辺宙域

『あの女は要塞にいない』
 そう言った話がナイトハルト・ミュラー大将の耳に入ってきた。事が事だけに司令官の耳に入れたのだが、
「あの恐るべき女が要塞にいない? 馬鹿な!」
と相手にもしない。ならばと
「アスカ・ラングレーとやら、それほどまでに恐ろしい人物なのですか?」
問うたところ
「卿は、あの要塞を味方の血を一滴も流さず占拠できるかな? 誰一人考えつかなかった方法で」
などと返してくる。「できないからこうして苦労しているのだ」などと答えず、
「……不可能です」
と答えると、
「うむ、ならば恐るべき人物だな。彼女はそれをやってのけた。優れた人物は素直に賞賛しようではないか、それは決して我々の恥にはならんよ……」
答えはそう言うことだ。男尊女卑の風潮甚だしい帝国にあって、アスカ・ラングレーを素直に賞賛するその心意気は大したモノだ。
 改めて考えてみる。それほどの人物が最前線である任地を離れるなどと言うことがあるだろうか? それも、敵国の政情不安な時期に。およそ責任感と常識のある軍人にとって、およそ信じられるものではない。
 実際はもっと信じがたいことなのだが、そこまで洞察できてしまうのは異常というもの。
 そうこうしているうちに、新たな証言が出てきた。唯一尋問可能な兵士からだ。ほかは意識不明の重態。
 曰く、「カジ要塞防衛司令官に『ソウリュウ司令官は要塞にいない』と言うように命じられた」と。
 宇宙戦争における捕虜は、艦船ごと降伏でもしない限り無傷と言うことはあり得ない。したがって、今会戦では戦争捕虜は異常に少ない。重態兵士のうわごとと先の証言、このような小細工をする理由が見つからない。もし、アスカ・ラングレー・ソウリュウがあの場所にいないとしたら? 先の艦隊戦において惨敗したミュラーにとってあまり考えたくないことだが、そうだとすれば説明は付く……或いはそう思わせる作戦か? 疑い出せばきりがない。
 先の艦隊戦において、深紅のエヴァンゲリオン級を確認している。アスカ・ラングレーの乗艦としても名高いエクセリオンだろう。ほかに赤を基調とする戦艦といえば、帝国軍宇宙艦隊副司令官ジークフリート・キルヒアイス上級大将の御座艦、バルバロッサぐらいしか思い当たらない。
 青年はぼやく
「居たら居たでも、居ないなら居ないでも我々を悩ませてくれる。確かに『魔女』ですね」
と。

 最終的にミュラー大将はアスカ・ラングレーが要塞に『居ない』と判断。麾下三〇〇〇隻の艦艇を回廊同盟側へ配置、監視任務を与えた。
 それを面白く思わなかったのはケンプ。司令官の強権によりその命令を撤回させた。
 後世から見れば、この時のミュラーの決断は正しくケンプ大将の不明に見える。しかしながら、後にミュラー大将が『あの場面で私が総司令官であれば、戦況の維持のため遊兵を作ることに賛成できなかったでしょう』と語る。そう、不確かな情報を元に保有艦艇の二割以上を投入するのは普通ではあり得ない。この点に立てば、ケンプの判断は正しい。
 神ならぬ人の身。そのとき、現場で最良の判断であったとしても、未来永劫正しいとは限らない。



 以後の戦局が決定的に動くこともなく、時は流れる……そう、アスカの帰宅時間だ。



 D−Day−11 四月一五日 イゼルローン要塞 イカリ邸

 背後で扉の閉まる音。
 レイの求めだから従いたくない、レイの求めだから従わねばならない。相反する感情をもてあましながら、少年はこの場を後にした。

「シンジさん、聞いていただきたいことがあるのですが……」
 おそるおそる……何かを伺うように。
「それは、今日の事かな?」
「いえ、でも関係はあります」
 シンジの言葉に、何か吹っ切れたのか今度はまっすぐにその横顔を見つめる。そうすることで、挫けそうになる意志を支えようという意図があるのかもしれない。
「聞かせてくれるかな?」
 初めてではなかったろうか? 彼がここまで真摯に、その深紅をのぞき込むのは。
 沈黙。
 日付が変わった事を知らせる電子音がどこからか聞こえる。九時間後、レイは航宙母艦ヘルダイムにて点呼を受けなければならない。
「シンジさんは……」
 違う!
「シンジさんはアスカさんのこと……」
 違う! こんな事を言いたいんじゃないっ!!

 肩に手を置かれて……空気が動いて初めて分かった。
 泣いてる……私、泣いてる……
「レイ、落ち着いて……」
 くしゃっと、今朝リツコがしてくれたように、それよりちょっとだけ乱暴に頭をなでられる。
 いつの間にかうつむいていた顔を、一所懸命あげると、そこには困ったようなシンジの顔。ここまで言ってもこの人は分かってない……将来に暗雲……
「そうだね、飲み物でも取ってこようか?」
 そう言って立ち上がりかけたシンジの大きな手を、両手で捕まえる。少し驚いたようにレイを見つめ直し、元の椅子にかけ直す。
 レイ、その手を抱きしめたまま次の行動に移れない。
 シンジの手を通して、自分の鼓動を感じる。ダイタンな事をしている……分かっているけどこの温もりが惜しくて動けない。

 深呼吸を一つ。
 意を決してシンジの手を解放する。
「シンジさん……」
 うなずいてくれる。ただそれだけ、なのに何かが背を押してくれる。

「わたしシンジさんのことが『好き』です妹じゃなくて一人の女の子としてっ!」

 一息で言い切ってしまった。それに対して返ってきた言葉は……
「へっ?」
 冴えない……好きになっちゃったことを、一瞬、後悔しそうになるぐらい冴えない一言。
 とんでもない間抜けな顔、でも、もっともっとカッコイイ シンジを知ってる。だから恋する乙女はクスリと笑ってみせる。
 でも、天を仰ぎつつもう一度、今度は落ち着いて……

「私、レイ・アヤナミは、貴方、シンジ・イカリのことが、大好きです。妹としてではなくて、一人の女の子として」

 また、静寂がその場を支配した。


 シンジ・イカリの二六年一〇ヶ月あまりのこれまでの人生において、『告白される』といった事件は一度も記録されていない。それは、幼なじみがそう言った事態になる前に潰して回っていたのと、その存在自体が一つの壁になっていたから。ミサトに師事してからの彼であれば、望めばそれ相応の女性と愛を語らうこともできただろう。
 容姿は平凡ではあるが、その高身長と高収入のオプションも魅力だ。何せ、性格もまたよし。十分に調教(?)されている。
 逆に、告白したこともない。他の女性に目を奪われれば、いつも行動を共にしている幼なじみが大変なことになるから。というか、その幼なじみに慣らされてしまい彼のお眼鏡にかなうには、なかなか高いハードルを越えなければならない。
 男性の欲求はというと、カジに教えられた女性ばかりの店や何かで経験済みだったりもする。それでも独身男性としては、慎ましやかな方だろう。リョウジ・カジの若い頃は……話がずれた。

 レイの言葉は重みをもってシンジに届いた。
 今まで慎重に避けてきた命題に、結論を与えなければならない。


   ボクハ、アスカノコトヲ、ドウオモッテイルンダロウ?


 シンジのポケットには、結論なんて上等なものは……


 用意されていない。





X



「ノゾミ・ホラギ准尉、ミナミ・スズハラ少尉……」
 ちょっと頭が痛いかもしれない。
 新たに与えられた約五〇〇〇隻とその人員リスト。その整理はヒカリの仕事。
「空戦隊所属と参謀ねぇ」
 ノゾミは即戦力足ることを期待されるだろうし、ミナミの方はこれから勉強するように……まぁ、そんなところだ。確か、イゼルローン要塞司令部の参謀人員に空きがあったからその補充だろう。空戦隊の空き人員は……考えるだけで気が重くなる。何せ実の妹だ。
 とりあえず呼び出しておこう、マヤの手伝いはちょうどよい慣らし期間になるはずだ。



「ミナミさん!」
 呼び出されてやってきた旗艦――まさか巡洋艦とは思わなかった――で、知らないはずのこの場所、呼び止められる覚えもない。無視無視。
「ミナミ先輩!」
 どうも聞き覚えのあるような気もするが、無視無視。
「ひどい、私のこと遊びだったのねっ!」
 振り向くと同時にダッシュ。目標を確認、そのまま真正面から足裏を叩き付けるように蹴り。俗に言う『ヤクザ蹴り』
 目標も心得たもの、自分から仕掛けただけあった簡単によけてしまう。
「ノゾミッ、まぁた妖しいことゆ〜てからにっ」
「だって、先輩が無視するから」
「知らんとこで、声かけられるなんて思うわけないやん……」
 これが『スズハラ少尉』と呼ばれたなら、よそ行きの声に笑顔までサービスして振り返ることだろう。それは世渡りの初歩。
「って、ノゾミもイゼルローンへ配属?」
 言わずものがななことを。
「キリシマ空戦隊です」
「“あの”名物部隊に……って、ノゾミなら大丈夫や、朱に交わってもこれ以上赤くなることはあらへんし……」
「よくわかんないですけど、馬鹿にしてません?」
 やけに古い言い回しについてゆけない……ノゾミの方が普通の人の反応だ。
「ん? そんなことないって、普通の感想」
「ふ〜ん」
 すんごい疑惑のまなざし。まさに、狐と狸の化かし合い。

 立ち話をすること一時間。
「あっ、チイねぇちゃん……呼んでるんだっけ」
「お義姉さんが?」
 いや別に決定というわけではない。が、いつまでも女っ気のない兄を焚きつけるために言っていた名残。何となくそのまま続いてしまってる。一人の女としてみれば『奇特な』としか言いようがないが、妹としては兄の『隠されすぎて誰も見つけられない』ような魅力を感じてくれる彼女がありがたくて仕方がない。
 その妹を見るに『変わり者の家系か?』と思わないでもないが……あながちはずれてもいないところが恐ろしい。
「そ、んで、私がその迎え」
「……迎え?」
「そ、お迎えです」
「……言葉の意味、分かってる?」
「もちろん」
「……まぢ?」
「“まぢ”です」
「……げきまぢ?」
「“げきまぢ”です」
 何が楽しいのか、にこにこと受け答えるノゾミ嬢。馬鹿にされてるような気にならないのが不思議。
「お義姉さん、怒ってへん?」
「たぶん、カンカンです」
「ヤバない?」
「かなり危険です。健闘を祈ります」
「……」
「じゃ、そーゆーことで」
 後ずさる後輩を物理的に拘束。
「迎えがどっか行ってどーすんねんっ!!」
「うきゅ〜。私と行き違いになって遅れた、っていう言い訳が残ってますからっ」
「意外と知能犯ね、ノゾミ」
「いや、それぐらい考えますってっ!! 先輩」
「今の『うち』やない……」
「……うぐぅ」
 ノゾミを羽交い締めにしたミナミの背後。なんだかやばいモノが居るらしい。おそるおそる振り向いてみれば……
「あら、お姉さま……」
「少佐……」
「出迎えを遣ったのに、その人間すら出迎えなきゃなんないってどういう事かしら、ホラギ准尉」
 怒ってる。『かなりヤバいって感じ』というやつだ。
「不幸な事故かと……」
 言わなきゃいいのに……思っても口にできないミナミ。いくら何でも自分の方に注意を向けたくはないし。
「ふ〜ん。
 スズハラ少尉」
「はひぃっ」
 ちょっと裏返る返事。
「『それ』、確保したまま着いてきてね。一応、司令部預かりだから」
 ドライアイスよりも冷たいんじゃないかという視線で、実の妹御を睨み付ける。どうやら滑ったらしい。
「はっ、了解しました」
 敬礼。何とか格好は付ける。
 こうして、『怒れるホラギ少佐と愉快な仲間たち』は司令部へと足を向ける事ができましたとさ……



 現在のところ、イゼルローン要塞は情報封鎖の状態にある。従って、最初の一報以来アスカの下にも情報がこない。“Nerv”の情報網とはいえ、発信源に妨害がかけられている以上どうもしようがない。焦燥と苛立ち、この二つがタップを踏んでアスカの周りを巡っている。
 それを貫禄でねじ伏せ、戦術用チャートを睨み付ける。彼我の距離は六〇万キロメートル。艦艇二〜三万隻。机上に浮かび上がった立体図案にいろいろとデータを打ち込んでみる。
 最終的にガイエスブルグ要塞が動き出し、イゼルローン要塞へ衝突。二つの要塞は消滅してしまう。相手は動けるが、イゼルローン要塞は動けない。ここが一番の問題だ。
 いくら要塞を壊しても、また持ってくればよい。奪取と言うことにこだわらなければ、イゼルローン要塞はさして強大というわけではない。戦闘後の利用まで考えるからこそ、その攻め手はどうしても甘くなる。
 陥落の知らせがないところを見ると、敵司令官は従来の作戦思想を踏襲しているようだ。常識的な司令官ならそうするだろう。利用価値のあるモノをみすみす破壊することはない。
 しかし、代替が効くのだ。自国の奥深くで組み上げ――または既存のものを流用し――同じように運んでくればよい。実際問題として、破壊しても問題はない。
 その事実を気づかせてはならない。

「勝ちすぎてなきゃいいけど……」

 つまらなそうに、一言だけ放り出した。



 今回の艦隊行動には、かねてよりイゼルローン要塞から要望のあった市民サービス拡充のための人材も随行している。軍事施設とはいえ、そこで生活するのは同盟の市民である。
 なにせ、大都市並の人口なのだ。徒や疎かにはできない。
 そのための『弁護士』であり、『オブザーバー』なわけだ。
 今回の、アスカ・ラングレー不当拘禁騒ぎ。その中で勇名を馳せたユイ・イカリ弁護士。
 現在、検察局から五人。国防委員会から三人、最高評議会から一人の辞職者――その後検挙されているが――を出しているが、このあたりで捜査は終了するだろう。真なる主犯までは手が届かない……いつものことといえばいつものこと。後はマスコミの餌となるような事件が……なるほど、アスカが帝国軍を撃退すればそれどころではなくなる、か。アイダの工作しだいでは、泥沼化するかもしれないが……
 緊急避難とばかりに、経済の『オブザーバー』として随行してきたのはキョウコ・ツェッペリン・ソウリュウ。彼女の場合、公式捜査ですでに『シロ』と出ているため先のアスカの様なことはないだろう。その分、何を言い出すか分からない。とにかく、ハイネセンはまずい。
 イゼルローン駐留軍や、その周囲にとって首都ハイネセンは敵地同然の認識になってしまっている。由々しき事態だが、それを招いた中央政府はどうするつもりなのだろうか?
 軍艦に混じって、かなり浮いた旅客艦。アカギ宇宙艦隊司令長官が、珍しく気を遣ったらしい。一山いくらの人材の中に、ユイやキョウコのような一流の人物が混じってるのだ。『媚びる』ということを知らないアカギ司令長官が……もしかすると、副官のアオバ少佐あたりの入れ知恵かもしれない。
 そのロビー。
「ホントにいいの?」
 発言者の意図は分かるが黙殺。一度取り上げたカップをソーサーに戻す。
 『よい』も何も、ここにいる。それが答えではないか。
 それを承知で、キョウコは問う。
「本当によかったの?」
 もう一度、カップを取り上げる。答える意志を持たない……いや、もう答えていると言うことだろうか。
 それでもキョウコは三度問う。
「それで、貴女は後悔しないのね」
 すでに問いですらなかった。三〇年ほど前、アーレ・ハイネセン記念大学のラウンジには、立場を違えた自分たちが居た。姉のように、いつも気にかけてくれるのはユイ。甘えんぼのくせに、お姉さんぶりたがるユイ。ダイッキライなユイ……
 だから、もう一度だけ問う。
「本当にいいのね」
 最後の確認だった。少なくとも、キョウコはそのつもりだった。
「……いいわけないじゃない……」
 こぼれた。
 感情が、熱いものがその双眸から溢れ出してゆく。
「……いいわけなじゃないのよぉ……」
 止まらない。
 恥も外聞もなく、ボロボロと涙をこぼすユイ。
 反対のことならいくらでもあったけど、こんなことは初めて。どうしたらよいのか、狼狽えるキョウコ。
 思い出す。こんな時、ユイは自分に何をしてくれただろうか? 困惑しながらも席を移り、ユイを抱きしめてやる。そう言えば、アスカが小さい頃に、こんな事があったな……
 感慨に耽りながら……
「……ゲンドウさん……」
 気の済むまで泣かせてあげよう……



「まっ、逃げてくれるぐらいならそれに越したことはないわよね」
 回廊同盟入り口。急造の指揮卓にいつものごとくアスカ。控える顔ぶれが少し違う、最も近くにて情報の整理を行っているのがヒカリ・ホラギ少佐。これは同じ。
 僅かに離れた位置にて、戦況の予測、シミュレーションを行っているのがマヤ・イブキ大佐。いつものアスカ艦隊であれば、リツコ・アカギ少将が務めているところだ。そのサポートにミナミ・スズハラ少尉。短期間で教え込まれた業務を、何とかこなしているといった風情だ。
 最後の一人、司令部付き通信兵として仮設コンソールにとりついているのがノゾミ・ホラギ准尉。慣れぬ仕事に泣きそうになっている。
「これは異な事を。数は少ないとはいえ、駐留艦隊とあわせれば……」
 不快気に手を挙げ、ラーンスロットZの艦長ゼノ中佐の言を封じる。
「アンタ、援軍の意味、知ってる?」
 投げつけると言ってもよい、痛烈な口調。自分の年齢の倍はあろうかというゼノ中佐にも怯むことはない。もう慣れたか、ヒカリですら口を挟まない。だからフォローもない。
 氷蒼色の瞳は雄弁に語る。『早く言ってみなさい』と。
 ゼノ中佐とて、軍歴四〇年にとどかんとするベテラン。プライドがある。
「戦力の増強により敵を粉砕する……ですな」
 アスカ、もう聞きたくないとばかりに頭を抱える。こういう輩が戦力の逐次投入などという馬鹿をやらかすのだ。
「マヤ、教えてあげて」
「はい、新規戦力……できればできるだけ大きな戦力の到来を敵に知らせることで継戦の意図を挫き、無血のうちに敵兵力を撤退へ導くことが第一義です。ゼノ中佐の仰られたことはそれが叶わなかった場合ですね」
 それは地球時代、西暦以前の書物にある。結局、戦争というものの真髄は人類の歴史発祥以来変わることはなかったようだ。
「戦わずして勝つ……その域に達するには、まだまだね」
 もし、アスカに自由惑星同盟の兵権の全てがあったなら……第一艦隊、第一四艦隊を動員し来援しただろう……実際問題として、現在のアスカの下には五〇〇〇隻あまりの艦艇と四人の指揮官しかないわけだ。
 二人の准将に関してはよく知らない。最低限の常識と指揮能力があることを祈るのみだ。
 モートン少将に関しては些か信頼がある。旧第九艦隊の副司令官であり、アムリッツァ会戦初期において重傷を負った司令官に代わり、辛く長い敗走を支えきった強者である。士官予備学校出身ということもあり、アスカに対して好意的だ。
 もう一人、サンドル・アラルコン少将だが、こちらは問題だ。先の『救国軍事会議』よりも過激な思想の持ち主であるという。それなのに、なぜクーデターに参加しなかったかと言えば、個人的に反目していた人物が先に参加していたからだという。あらゆる意味で危険な人物だ。また、戦場での私刑や民間人及び捕虜の殺害容疑が一度ならず嫌疑されているが、いずれも証拠不十分として立件されていない。アスカの見るところ、仲間同士のかばい合いの結果だろう。この際アスカには、彼を使いこなす度量を求められている。
 さすがのナオコ・アカギ司令長官も戦力を中心にそろえたため、指揮官の質までは手が回らなかった……いつまでも甘えてられない、か。

「なるほど、そう言うこともあるのですか……戦略とは奥が深いですな」
 こともなげに言ってしまう。それはそれですごいことだ。自分の娘ぐらいの人間に言われたことを、素直に肯定できるのは。
「ごめんなさい、ゼノ中佐。私も言い過ぎたわ。やっぱし戦闘前だから気が立ってたみたいね」
 この発言に衝撃を受けたのはヒカリとマヤ。あのアスカが謝罪をしたのだ。
 でも、そんなの顔に出せるわけがない。部下の手前……
 何があったんだろう……?
 やたら感激している中佐を前に、とてもじゃないけど問えない。
「ホントのところ、時間がないのよ」
「今までは時間が味方したのに……ですか?」
 部下や妹たちの手前、言葉は丁寧になる。
「アタシなら、引っ張ってきた要塞をぶつけて終わり。あとからまたもって来て据え付ければ問題ないわ」
「乱暴ですね」
 マヤの言に肩をすくめてみせる。
「でも有効でしょ?」
「それは認めます」
「アタシたちが着くまでにそれをやられたらおしまい。でも、アタシが着いてからなら、対策はあるわ」



 今回のアスカの相手は帝国宰相ラインハルト・フォン・ローエングラム公爵ではない。彼自身は国政に専念せねばならないため、その部下たち……しかも、その片腕たるキルヒアイス上級大将や、双璧たるロイエンタール上級大将、ミッターマイヤー上級大将も出陣していない……おそらく。もし、先の三人のうち誰かが出てきているのであれば、イゼルローン要塞は既に失われているだろう。
 それは、帝国=ラインハルトにとっては、『勝てば儲けもの』ぐらいの感覚であり、政治的意図に裏付けられた深刻な侵攻ではないということだ。補給源たる要塞を引っ張ってきているため、そちらの心配はないが確実に勝つ要素がない。
 アスターテ会戦に於いては、分散包囲を謀る同盟軍を各個撃破。アムリッツァ会戦に於いては補給線を叩くことで同盟軍を潰走の憂き目にあわせている。『勝ち易きに勝つ』。勝つための条件を整え、少ない損失で、『楽に勝つ』。
 砲火を交える前に勝敗は決している。『やってみなければ分からない』などと言う者は軍事に携わってはならない、とも言える。人命は無尽蔵の資産ではないのだ。
 戦場は、政略、戦略レベルで決した結果を確認するために開かれると言ってもよいだろう。そうでなければ、ほとんどの人間が納得できないから。
 それにしても、『楽に勝つ』と誰にも褒められず、苦戦すると英雄となるのはどういうわけだろう? 『楽に勝つ』方が数百倍も難しいのに……

「一一時方向に機影、スクリーンにて拡大します」
 駆逐艦一、護衛用小型艦艇複数の小規模偵察艦隊。急速後退をかけていることから、こちらも探知されているのだろう。
「これで、奇襲はできなくなりましたな」
 性懲りもなく口を出すゼノ中佐。
「気が付いてくれなきゃ困るわよ」
「何ですと?」
 アスカの棘だらけのつぶやきに反応したゼノ。
「これで状況は動かざるを得なくなったわ。挟撃の態勢に於かれている帝国軍がどう動くか……このままアタシたちに背を向けイゼルローンを攻撃し続けるか、反対にアタシたちを攻撃してイゼルローンに背を向けるか……兵力を分断して二正面作戦に出るかもね。時間差を付けて各個撃破なんてまねは分の悪い賭だと思うけど……やっぱり敵わないと見て撤退してくれるのが一番いいわね」
 中佐、ここまで言われて、やっとマヤが先日来何のシミュレーションをしていたか合点がいったようだ。「だからアンタはその歳で巡洋艦の艦長止まりなのよ!!」なんてホントのことは言わないが。
 人材の枯渇は同盟軍に於いては深刻だ。アムリッツァにて散った一五〇〇万の将兵、先年のクーデターに参加した高級士官。結局、一昨年来アスカはその敗戦処理をし続けているに等しい。
 シンジか……レイが気付いてくれればいいけど。



「敵艦隊に動きが見られます。回廊を本国へ向いて布陣、移動していますが……」
 明らかに不自然な動き。さて、その意図は……
 要塞を棄て、同盟領内に潜伏しようとでも言うのか? しかし、イゼルローン要塞が健在であれば孤立するだけだ。ゲリラ戦を行ったとしても、第一艦隊、第一四艦隊が健在である。いくらか混乱は起こせるだろうが、損害が効果を上回るだろう。
「罠か、援軍か判断が付かない。警戒を怠らずに。駐留艦隊、出撃準備」
 とりあえず、繋ぎの命令でしかない。もしかすると……とも思うが確証がない。
「あの……これ、どちらもでは……?」
 司令部の空気が固まった。発言者、レイ・アヤナミ嬢はちょっとおたおた。司令部の怖い軍人さんの視線が集まったのだから、仕方がないといえば仕方がない。
「援軍の到来をもって、罠にかけようと言うのでは……敵の不自然な動きは、十分根拠になるのではないでしょうか……」
 とりあえず、言いたいことだけ言っておく。
 それを聞いたシンジの反応は早かった。彼には決断させる『何か』が必要なのだ。前回はフユツキの進言であり、今回はレイの一言。
「敵に二正面作戦を強います。要塞は、リョウジ・カジ少将、ミサト・カジ少将お願いいたします。アヤナミ軍曹はオブザーバーとしてオネアミスへ。フユツキ中将待遇提督、エクセリオンにて分艦隊の指揮をお願いいたします」
 リツコからの反論を大胆にも黙殺、自らも港湾施設へと急ぐ。
 「あっ」という間にごっそりと人が消えた中央司令室。残された将官はたった二人。
「とりあえず、出航の援護だ」
 それだけがやっとのカジだった。



 D−Day−10 四月一六日 イゼルローン要塞 イカリ邸

 次の行動に移るべきはシンジだ。それだけは間違いない。

 レイの告白によってもたらされた沈黙は、未だ二人に重くのしかかっている。

 何か応えなければ……
 思考は空回り、現状の認識が精一杯で形になる前に両の手をすり抜けてゆく。

 何か言わなければ……
 何か言わなければ……
 何か言わなければ……
 何か……

 ループ状に固定された思考。
 赤。
 自分を覗き込む瞳。
 そう言うことか……

 だから、何も語らず。空いた手で抱き寄せる。
 詞(ことば)を持たないのであれば、行動すればよい。
 抵抗することなく、シンジの胸の裡へと倒れ込む。
 また、僅かながら二人の時が止まる。


 次に動いたのはレイだった。
 僅かに身を離し、シンジの面を見上げる。
 その黒瞳に吸い込まれそうな……

 透き通るように白い肌。
 複雑に輝く紅い瞳。
 整った鼻梁と、愛らしく桜色に色づく唇。

 ゆっくりと瞳は閉じられる。
 ただ誘われるままに……




Kiss






 先日、カール・グスタフ・ケンプ大将は帝国首都オーディンに対し戦況報告を送っている。その文面には些かならず苦慮した。実のところ巨大なガイエスブルグ要塞をもてあましていたのだが、そのようなことが書けるわけもない。イゼルローン要塞は傷つきつつも健在であり、内部に一兵も送り込めてはいない。引き連れてきた艦隊の被害も小さくはない。
 文面は、「我が軍、不利ならず」

 それも援軍ではある。
 ケンプの報告を見たラインハルトの命により、進発した二個艦隊。
 一つは、オスカー・フォン・ロイエンタール上級大将が指揮を執り、もう一つはウォルフガング・ミッターマイヤー上級大将の麾下にある。帝国の双璧が戦場まであと一日の距離にあった。
 命ぜられたのは事態の収拾。ケンプが勝っているならよし、負けているならば救出の上ガイエスブルグ要塞をイゼルローンへぶつけてしまえ、と。
 乱暴なようだが、先の内戦においてアスカが使用した人工流星雨をきわめて大規模にしたものに相違ない。要塞はガイエスブルグと同じように、また運んでくればよい。
 同盟……いや、叛徒どものように数次に渡る攻略戦にて大量の流血を強いられるより経済的なことは間違いない。
「戦線をむやみに拡大するな」
 それが彼らの携えた命令だ。



「戦争を登山にたとえるなら……」
 かつてそう語ったのは、『ダゴン星域の会戦』を同盟軍の完勝に導いた『ぼやきのユーフス』ことユーフス・トパロウル元帥である。
「登るべき山をさだめるのが政治だ。どのようなルートを使って登るかさだめ、準備をするのが戦略だ。そして、与えられたルートを効率よく登るのが戦術の仕事だ……」
 アスカの場合、登るべきルートは定められている。たまには、そのルートを自分でさだめたいと思うのだが……彼女自身、将来をいかに考えているのか、かつてかいま見せた希望をどうしたいのか……誰にも、見せることはない。ただ演技者たるのみ……

「敵、射程距離に入ります」
 オペレーターの言葉を機に、思い悩むのをやめた。
 イゼルローンには百戦錬磨のフユツキが居る、大切な義妹レイも自分の言葉から何かを感じ取っていてくれるかもしれない。それに、シンジが居る。決断するまでが大変だが、決断してしまえば頼もしいことこの上ない。
「後退っ! 敵艦隊との相対速度を零に保って」


 イゼルローン駐留艦隊と軽く一戦し後退させた余勢を駆り、数で劣る叛徒どもを覆滅せんとする。
「司令官殿、先ほどより叛乱軍との相対距離が変わりません」
 オペレータからの報告に、ケンプはひとしきり考えてみる。不意に、一つの可能性に思い当たる。
「敵が縦深陣をしいて、その中へ我々を引き込もうという可能性はないか?」
 司令官の疑問に対し、今まで得られたデータの徹底した洗い直しと、参謀たちの会議が行われる。少なくない時が流れ、結論。敵戦力は前面に展開するだけで全てである。司令官殿の懸念されるような状態はあり得ない、と。
「ならば時間稼ぎだ。イゼルローンから艦隊が突出するのを待って挟撃する気だろう。そんなものにつきあう義理はない、正面の敵を粉砕する」
 この時点でのケンプの洞察は全く正しい。ただ、先ほど軽く戦い後退したイゼルローン駐留艦隊が追って来ていることは知らない。ガイエスブルグ要塞から警告しようにも、通信妨害下のため思うようにならず、直接知らせようにもイゼルローン駐留艦隊をすり抜けねばならない。

「敵、速度が上がりました。射程距離に入ります」
「よっし。撃てっ!」
 ほぼ同時に両軍の砲火が開かれる。
「フォーメーションD」
 続く号令に従い、同盟軍の艦列が変化する。中央をあけ、極端な円筒陣形。通常の空間で行ったのであれば逆包囲を受けるだろうが、ここは狭い回廊。危険宙域とのぎりぎりのラインへ展開した同盟軍の中央……最も火力の集中する場所を抜けるしかない。
 一転して守勢に立たされた帝国軍に凶報が走る。
「後方に敵艦隊出現」
 オペレーターの絶叫の直後、砲撃がその背後を襲う。
 最も被害を受けたのは、守勢に立たされたため後方に下がっていた駆逐艦群だった。装甲の薄いそれらは、遠距離砲撃であっても簡単になぎ倒されてゆく。
 シンジ率いるイゼルローン駐留艦隊は天頂方面より、流れるように攻め下る。その先陣を預かるはスズハラ・トキタ両分艦隊。
 帝国軍の艦列を容赦なく突き崩し、この一ヶ月間の鬱憤をぶちまける。
 完全に動きの止まった帝国艦隊に対し、容赦するほど人間ができていないアスカは麾下の艦隊に次なる命令を下す。
「フォーメーションE」
 今度は急速に集結し、漏斗状に艦列を整える。些か手間取ったのは混成艦隊であるため仕方がないだろう。
 今度は一直線に火力を集中する。アスカお得意の高密度砲火を正面から叩き付ける。
 このとき、帝国艦隊の崩壊を救ったのはまたしてもミュラーだった。絶望的に不利な状況ながら、崩れかかる艦列を支え重態に陥った艦隊に息吹を吹き込み続ける。
 崩壊はしないが、状況の悪化する速度は減じない。この期に及んで未だ自軍の敗北を信じないのはたった一人……ケンプだ。
「退くなっ、決して退くなっ。あと一歩で銀河系宇宙が吾々のものになるのだぞ」
 ここに至って、ケンプの言葉は誇大なものではない。アスカ率いる、救援艦隊の後方には無防備な同盟諸星系があるのだ。未だ首都に縛り付けられている二個艦隊の動き如何では、多大な功績を得ることも可能だ。もし、そのあとをアスカが追ってくればどうか? 彼自身知らないことだが、帝国艦隊第二陣が後背に詰めている。駐留艦隊の居ないイゼルローン要塞はその猛攻を支えられはしまい。また、回廊出口の星系にて拠点を確保し、帝国艦隊第二陣の到来をもって反転すれば、今度は挟撃できるではないか。
 同盟軍の軍人としては心臓に激痛が走るような仮定だが、アスカにとっては何でもない。別に政府なんてどうでもいい。自分の手の届く範囲の人の幸せに寄与できればそれに越したことはない。決してそれ以上のことは望まない……例えば、国家の興亡とか……そんなどうでもいいものの責任までとってはいられない。まぁ、亡き父の語ってくれた建国の理想ぐらいなら……

 時を刻むごとに帝国軍の艦艇が原子の蒸気へと化ける。幾度か突き崩そうとしたが、その度に柔軟に押し返されてしまう。その際に発する閃光と狂乱はケンプ以外、全ての将兵に疲労と敗北感を植え付けてゆく。
「閣下、もはや抵抗は不可能です。このままでは虜囚となるか死か、いずれかが吾々を待ち受けているでしょう。申し上げにくいことですが、撤退いたしましょう」
 それは勇気だ。参謀長の言は正しく、ケンプとてそれを否定する材料を持たない。皆、見解を等しくする中にあっても、司令官その人にそれを進言する。
 結果として、その勇気にケンプ自身は報いることができなかった。彼が発したのは、
「そうだ、あのデカブツがまだあるではないか……撤収だ」
と。
 その、戦場の熱病に冒された瞳に映っていたのは、

 ガイエスブルグ要塞……



 何とか秩序を維持したまま、ガイエスブルグへと向かう艦列をよそに、同盟艦隊においては急ぎ通信回線が開かれる。ようやく大役を終えようとするイカリ中将の耳に突き刺さったのは……
「シンジっ!!!
 愛すべき、我らが司令官の声だった。恥も外聞もなくカメラにしがみつくその姿に、ささやかな笑みが漏れる……司令官の帰還まで守り通した……その安堵感。
 それも、オペレーターの次の報告で霧散した。
「ガイエスブルグ要塞が動き出しましたっ」
 形のよいアスカの眉が跳ね上がった。次に肉食獣の笑み……オネアミスの艦橋乗員がちょっと引いてしまったぐらいだ。
「やっと気が付いた……でも、遅かったわね。シンジ、最後まで指揮を執って」
「えぇぇっ!」
「指揮系統の混乱は好ましくないわ、私も一分艦隊の指揮官として指示を受けるから」
 もっともらしい言葉を並べるが、シンジがガイエスブルグへ向かうよう指示を出しているであろうことは疑ってもいない。
「推進軸……」
「えっ?」
「以上ヒント終わり。いざとなったらこっちで何とかしちゃうわよ」
 シンジの顔に浮かんだ理解の色を最後に、双方向通信を切る。
 戦況は最終局面に移行しつつあった。

 ガイエスブルグ要塞推進機関一二基のうち、右側の三基を破壊されその位置で強烈なスピンを開始する。それは脱出したばかりの帝国艦艇群を巻き込み……『雷神の鎚(トールハンマー)』の斉射をもって終わりを告げた。ここまで残った艦隊の大部分と、司令官カール・グスタフ・ケンプの命を呑み込み、原子の雲へと還元したのだ。

 エヴァンゲリオン級参番艦は一通の通信文を受け取る。通信士官は、艦単位の降伏文書と判断――実際いくつか同様の体裁で送信されてきていた――それをいつものように開いた。彼が行ったのは、ただそれだけである。
 その瞬間、艦橋のモニターが全て赤く染まった。
『11th Angels IREUL
 HELLO,Free Planets Space Fleeats』
 一面に映し出される文字列。さらにそれは、
『13th Angels BARDIEL』
と変化する。
「艦のコントロールができませんっ
「だめです、通信機器も反応無しっ」
「S炉、コントロールから離れますっ!!
「火器管制系、人工知能の以外の命令を受け付けません! 手動制御から離れました」
「加速シークエンスに入ります、停止信号……拒絶!!」
「エネルギー中和磁場強度一四〇パーセント。依然上昇中」
「慣性中和率九〇パーセントを切りますっ」
 艦が加速してゆく様子が、艦橋にいても分かる。慣性が中和し切れていない。
「生命維持系は問題なし……S炉、出力上昇 止まりませんっ」
「できるんはモニタリングだけかいな……工兵隊を呼んでくれ、試したいことがある。あと全員、気密服の装備や」
 艦長の怒声をよそに、平然と構えているトウジ。自分にはどうしようもないため、慌てる気にもならない。

「エヴァンゲリオン級参番艦、艦列より離れます」
 ガイエスブルグ要塞破壊に沸くイゼルローン要塞駐留艦隊。その一報は、あまり重大事として捉えられてはいなかった。それよりも、アラルコンとトキタが帝国軍の残存艦艇を追い、回廊を帝国側へと進発してしまった方が問題視されていた。
「呼び戻して」
「それが、通信が先方より拒絶されていまして……」
「特権割り込みは?」
「……だめです。ハード的にダウンしているようです」
 命令の不行き届きをなくすための、上位指揮艦からの『特権割り込み(いかなる状態であっても命令を受信させる)』すら通じない。ここにいたって、事態の異常性が幹部に認識された。
「一番近く、追いつける艦は?」
「トキタ分艦隊であれば追いつけるかと」
「ぶつけてでも引き留めさせてくれ」

「そうや、慣性が殺されん状況の作業や。リミットは二〇分、敵艦隊に突入してしまうせかいにな。希望者だけでええわ、頼む」
 レーザー通信回線を人工知能からハードウエア的に切り離し、完全に独立した制御系において外部との接触を図る……無茶ではあるが、状況の打破のためにはたしかたなし。とはいえ、さして難しいことではない。所定のサーキット・ボードを抜き取り、独立運用用のものに取り替えればよいだけだ。あとはいくつかの回線を接続し直せばよい。問題は慣性があること。横殴りの重力下での作業となる。
 確かに作業自体は問題がなかった。ただ、人工知能との接続を切ったため故障と判断され、電力が遮断されてしまう災難に見舞われた。これも工兵隊の機転で何とかなったのだが……
「保証できるのは五分が限界です。それ以上は接続箇所の強度から、保証いたしかねます」
 もともと、1Gを基準に作成されている。しかも、急遽溶接した箇所が自重の六から七倍の重量に耐えるかどうかは、ギャンブル以外の何者でもない。
「かまわん、誰かオネアミスに状況の報告をせい」

「……というわけだそうです」
 事情は伝わった。だがどうすることもできない。
「トキタ分艦隊は?」
「残敵との交戦に入りました。エヴァンゲリオン級参番艦も残敵との交戦に入ったようです。連絡は不可能です」
 指揮卓に叩き付けられた腕が、震えている。

「本艦は、ただいまより戦闘態勢に入ったようです」
 艦長の報告にうなずく。
「艦長、推進剤の残量は?」
「このペースでは早晩尽きるかと……なにぶん実績がないもので」
「破棄はできるか?」
「はっ?」
「推進剤、みな、ほかしてしまえるか?」
「我々も帰れなくなりますが……」
「S炉が生きとったら生命維持系のエネルギーは大丈夫や。救難信号は何とかなるわ。さっきみたいに手動で、こんどは前面の姿勢制御ロケットをふかしてみいぃ」
「はっ」
 戦場の真ん中にあって、立ち止まることは危険すぎるが敵は敗走中だ。何とかなるかもしれない。
 トウジの言はすぐさま実行に移された。
 その間にも、帝国軍が最後まで保持していたレーザー水爆や光子魚雷が、僅かながら降り注ぐ。残らず迎撃はされるが、外壁に叩き付ける破片のために船外作業は困難を極める。

「エヴァンゲリオン級参番艦の速度が落ちています」
 それは、ガイエスブルグ要塞の破壊以後、初めての明るい知らせだった。
「追いつけるかい?」
「ええ、ほとんど停止……いえ、こちらに僅かながら向かって来ているようですが……周囲を逃げ遅れた帝国軍の駆逐艦に取り囲まれています」
 明らかに肩の力が抜けるイカリ提督。とりあえず、友人が宇宙の迷子になることは避けられたのだ。まずは吉とせねば。
「トキタ分艦隊とアラルコン分艦隊は?」
「だめです、敵、残存艦隊先頭集団を追っていったようです」

 不幸……というにはあまりにも酷なタイミングだった。
 艦の無秩序な加速による、不自然な慣性の発生も収まり、乗員がみな気を緩めていた。囲んでいる三隻の駆逐艦からの砲撃は気になるが、実体弾や反応兵器は撃ちつくしたらしく先ほどから光学兵器のみの砲撃になっている。普通の戦艦ならとうに沈んでいるが、さすが実験艦もうしばらくは保ちそうだ。
「艦長、主砲、副砲以下各砲座のエネルギー数値が異常に高まっています」
「なに?」
「発射シークエンスに入ります。停止、不能」
 今度はいったい何をするつもりか?
「前方の二艦へ……発射っ、今」
 砲座の自壊の衝撃が巨艦を揺する。
 最後に放った光弾は、正しく目標とされた両艦のエネルギー中和磁場を食い破った上、外殻を喰らい艦内を焼き尽くした。最後に、爆発。そこにあったはずのものが形を失う。

 最後の一艦はさらなるパニックに襲われつつあった。各制御系が艦橋のコントロールから離れてゆく。先にトウジたちが体験した恐怖が襲っている。

 爆発の中から巨大な破片が飛び出す。後部エンジンの爆発によって、艦隊の前半分に巨大な推力が与えられたようだ。たちの悪い冗談のように、まっすぐに、参番艦の上部甲板へと、何かに引かれるように……黒の艦体に、突き刺さる。
 いかに強固なエネルギー中和磁場であっても、物理的衝撃には無力だった。黒の装甲にめり込み、抉る。つんのめるように艦首が下がる。
 乗員にとっては、床が襲って来るようなもの。なす術なく叩き付けられる。固定されていなかった物が飛び散り、固定されている物も軋みをあげる。
「コ……コントロールが戻りましたっ」
 やっとの事で、コンソールに張り付いた参謀の一人が声を張り上げる。
 その直後、第二撃が襲った。
 持ち上がった艦尾に叩き付けるように、最後の一艦が突っ込んできたのだ。先ほど床にたたきつけられた物が、今度は舞い上がる。先の衝撃で固定が甘くなっていた物も、数瞬遅れて宙を舞う。
 その中に、艦隊指揮官用の指揮卓があった。元来ここまでの衝撃など考えられておらず、並はずれた自重に固定具の方が耐えられなくなったか。幾本ものケーブルを引き千切りながら舞い上がり、天井に張り付けられていた艦橋人員数人を押しつぶす。
 黒の艦体を押しのけた駆逐艦は、中破した艦体を抱えたままどこかへ消えてしまった。
 無理矢理与えられた不自然な回転も、復旧した人工知能が艦体下部の姿勢制御エンジンを動作させることによって終息した。



「実験は成功……『E−計画』始動、だな」
 ここには居ない誰かへの指示。
 キールの言葉は、さらに空間を駆ける。



「位置は間違いないはずだ」
 非公式のチャンネルからまわってきた指示に従い、残敵を追ってきたはよいがさすがにもうまずいだろう。深追いしすぎた……そうは思っても、ここで何らかの命令があるはずだ。何をするのかは分からないが、中央からの……
「敵っ!!! 敵です」
 オペレーターの悲鳴が。
「数はっ!」
「……一万を越えますっ」
「……なんと言うことだ……退く……」
 それは、圧倒的な光の奔流だった。
 戦闘開始三秒でトキタは乗艦もろとも蒸発した。
 以後は、一方的な殺戮だった。先にトキタたちが、ミュラーを追い行ってきたことが、攻守ところを変え徹底的に行われているのだ。
 ロイエンタールは容赦をしなかった。それどころか麾下の艦隊をけしかけた。「同胞の敵だ、存分にやれ」と。
 僅か三〇分の戦闘で、トキタ分艦隊は解体され消え去った。

 同じ頃、アラルコン分艦隊は、ミッターマイヤー上級大将の手によって消滅した。





Y



 イゼルローン要塞。
 敵艦隊を撃退したはよいが、どうにも士気が上がらない。

 トキタ提督の死と、スズハラ提督の負傷はここに大きな影を落としている。

「アンタの責任じゃないわよ」
 とは司令官の言。帰還直後のことだ。
 トキタを制御できなかったのは、確かにシンジの責かもしれない。が、トウジの怪我まで背負ってしまってどうするか。それに、停止命令を無視したやつまで責任なんかとれるか……というのがアスカの論。アラルコンを制御できなかったのはアスカも同じ。九割方勝利を得た戦局を、そのまま最後まで収めさせシンジの自信とさせようとしたのだが……完全に裏目に出てしまった。
 その夜は、シンジが潰れるまで呑む様を目の当たりにしている。性格上、やはりシンジには総司令官という役回りは向かないのだろう。もともと多弁とは言えないのに、口数も減っている。人間、能力だけが職業適性を決めるものではない。
 そう言えば、昔同じようなシンジを見たことがある。
 初陣より帰った夜。初めて帝国兵の命を奪った夜。あのときは……二人して呑んで潰れてまた呑んで……二人して何とか乗り越えたが……
 自分の一言で命を失う者が居る。その裏には、自分の一言で命を救われた者もいる。責任者は責任をとるためにいる……難しく考えるなと言うことだ。
 要塞の修理に関してはカジに任せるほかない。アスカができることと言えば、彼が作成する書類にサインするぐらいだ。
 だから、こうして要塞副司令官執務室まで押し掛けることができる。

 不死とは言わないまでも、今までの苛烈な戦闘に於いてかすり傷一つ負う事がなかった『アスカ艦隊』首脳陣に初の死者が出たのだ。今まで自分たちの使ってきた、幸運のランプの火が消えたのではないかと疑いたくもなる。


 実際に火が消えたようになってるのは……


 そしてもう一人……いや、二人か。

 トキタ邸。
 身を寄せあう二つの影……このとき、二人の間にどのような言葉が交わされたか……どちらも語ることはなかった。ただ、この九月、ヒトミ・ブランシュ・トキタはイゼルローン駐留艦隊に兵士として志願するが……それは、また別の機会に。

 また、二人はアカギ邸にて共に生活することになる。

 一〇日間の休養の後、職務に復帰したアカギ少将の肩には……喪章が揺れていた。
 少し、やせたかな……



 一方の帝国軍であるが、司令官カール・グスタフ・ケンプ大将以下艦艇約一万五二〇〇隻が未帰還となった。副司令官ナイトハルト・ミュラー大将は重傷を負い、残存艦艇の惨状はアスカの勇名を、また高めるここととなる。
 完敗であるところを、ささやかながら深追いしてきた同盟軍艦艇約四〇〇〇隻を覆滅することで面目を施した観のある双璧たちだが、それにより政治的に些か微妙な立場となってしまった。巨大すぎる勲功対する牽制だが……本人たちにその気がなくとも周囲の人間がそれを許さない。
 また、後の情報によりイゼルローン要塞司令官代理であったシンジ・イカリの名が、帝国軍にて知られるようになるのもこの一戦以降となる。



 史書において、レイ・アヤナミの名が初めて記されたのもこの戦闘となる。キリシマ空戦隊の、空戦思想の転換と並び『戦略的な意義はなきに等しいが、戦史の上では重要な会戦』として位置づけられるゆえんである。



 トウジ・スズハラ少将は三ヶ月の休養の後、職務に復帰する。左足は、指揮卓に押しつぶされ、義足となってしまったが……エヴァンゲリオン級参番艦は、徹底的な調査・改修が行われ、スズハラ提督と同時に再就役する。艦名を、ジェイナスと言う。
 暴走の原因は、建造時に人工知能に仕掛けられたプログラムによるもの。プログラム自体は消え去ってしまい、データの“穴”として僅かに残るのみ……



 コダマ・ホラギは“Nerv”とのチャンネルを得、内職にいそしんでいるようだ。近々、その持ち船を同盟に呼び寄せるように画策中ではあるが……



 自由惑星同盟軍、技術開発局にて技術者が大量に引き抜かれたという。また、人工知能開発部門にて失踪者が数人……参番艦の暴走の件は帝国による工作と判断され、いくつかの諜報網が摘発された。
 これにより、エヴァンゲリオン級打撃戦艦は、現在建造中の四番艦伍番艦をもって製造終了となった。
 カツラギ技術少将以下の残留技術者は、通常戦艦に搭載できるS炉の開発に当たることとなる。



 D−Day−10 四月一六日 イゼルローン要塞 イカリ邸

 今、少女に語った言葉だけは間違いないと思った。
 ついさっきまで手の中にあった、柔らかな温もりは去ってしまったが……
 ふと、少女の去った扉を見る。そこに何かがあるわけではない、ただ自分の中の何かに区切りをつける。
 ただ自分の中の何かに区切りを……

 泣かせちゃったな……


 D−Day−10 四月一六日 イゼルローン要塞 一級街区公園

 また……ここか……
 シンジの言葉を聞き、その場から逃げ出してしまったレイ。そこは朝、アカギ参謀長と会った公園。防犯対策のため僅かな明かりはあるが、寂寥感は否めない。
 人が、一人。
 街灯に照らされていたのは、レイが今一番会いたくない人物。

 あの状況下で何があったか悟れないほど鈍くはなく、
 ここにいることの意味が分からないほど愚かでない。

 良くも悪くも、ごまかしの利かない相手だ。
 少年が手の届く距離で立ち止まる。レイは、その足しか見ていなかったけど、視界が翳るのが分かる。
「一人にしてくれない?」
「もう、お願いは一度聞いたよ」
 でも、背を向けていた。
「ケチくさいじゃない。女の子の言うことなら聞いてくれるんじゃないの?」
「時と場合によるねよ。今のレイは、一人にできない」
「ばか……」
 僅かに声が感情に震える。
 少しだけ声が涙に濡れる。
 それでも、カヲルは振り向かない。
「本当にばかなんだから……」
「そうかもしれない」
「わたし、シンジさんしか見えてないよ」
「今はしかたがないさ」
「自信あるんだ?」
「自分を磨くよ。振り向いてもらえるように」
「『自分を磨く』か……前向きなんだ」
 吐息。
「そうだね。自分を磨けばいいんだもんね」
「ああ」
「アスカさんより“イイオンナ”になって、シンジさんを振り向かせればいいんだもんね」
「……ふぅ。残酷なこと言うね、君は」
「今はしかたないんでしょ?」
「しかも、ずるい」
「幻滅した?」
「それも魅力さ」
「キザ」
「ホントのことだよ。少なくともボクはそう思ってる」
「まったく……口が上手いんだから……」
「くくっ、これは手厳しい」
 あと一歩の距離を保ったまま、カヲルの影がレイを包んでいる。
 相変わらずレイには背を向け、精一杯強がって見せている。今、レイの顔を見てしまったら……自分を抑える自信がない。素顔の自分が出てしまいそうで……
「アリガト」
「何が?」
「それが、よ」
「惚れた弱みかな?」
「それも……ね」
「……」
「……何か言いなさいよ」
「今の、ボクにも希望があるって事かな?」
「……カヲルしだいね、たぶん」
「“たぶん”、か」
「そう、“たぶん”
 アンタがシンジさんを越える“イイオトコ”になったらね……私がシンジさんにゲットされちゃう前に」
「……分かったよ」
「やる気?」
「負けたくないからね」
「本気なんだ」
「ああ、これだけはね」
「……頬へは友情、唇には情欲、額へは親愛
 ……ねぇ」
「何だい?」
「……もう、限界……背中、貸してくれる?」


 午前三時を過ぎて帰ったとき、青年はいまだカヲルの記憶通りの場所にあった。常夜灯の明かりで、どこか遠くを見ていた。
「ただいま戻りました」
「カヲル……すまないね」
「彼女、泣いてましたよ」
「……」
 言葉もない。
「シンジさん……負けませんから」
 その視線は、まっすぐに、ただまっすぐにシンジを射抜く。
「頬へは友情、唇には情欲、額へは親愛」
「なんです?」
「答えはどこにあるのかな?」
「それは……シンジさんが一番知っているんじゃないですか?」



「なに……考えてるわけ?」
「いろいろ」
 間髪入れずに気のない返事が返ってくる。さて、これはどう取るべきだろう?
「むぅ、シンジのくせに生意気よ」
「そう言えば、アスカの雰囲気。ちょっとだけ変わったなぁ……とか」
「ふ〜ん。よく見てるじゃん。
 ……で、吹っ切れた?」
 こればかりは本人次第。これで潰れるようなら……
「ああ、何とかね」
 忘れてはいけない、乗り越えなければ。
「これからも、やってゆける?」
「アスカのパートナーは、ボクにしかできないよ……自惚れが過ぎるかな?」
 翳りのある笑い。それが、気になる。
「目が覚めたって言うのかな。そんな感じだった」

『全力を尽くしたなら恥じるんじゃない。自分を責めるぐらいなら、その要求するレベルまで卿自身を高めたらどうかね』
 初めて自分の手で戦局をデザインし、自己の無力を嘆く青年にフユツキが与えた言葉だ。かの言に容赦のないところはあるが、フユツキのシンジに対する評価は高い。
『自分を責めるより、やるべき事はいくらでもある。生き残った者の責務を果たす、卿にならできると思ったのだが……』
 痛烈だった。アスカに張り倒されるより効いた。
『卿が全知全能というなら、今の悩みも当然だろうな。
 もし、そうでないのなら……それは』
 もう聞きたくなかった。それでも耳に入ってくる。
『傲慢だよ』

 今まで、どれほどアスカに甘えていたかも分かった。たった一人だけでも上位者が居ると居ないとでは、心に対する負担がまったく違う。
 適材適所。
 ただ、真っ白なカンバスを与えられても、そこに自分が思う最高の絵を描けるのは才能を努力で磨いた者だけだ。ほとんどの人間は絵筆を持つことすら叶わないが。
「ボクは、もう、大丈夫だよ。アスカ」
 完爾とした笑みは、アスカの心を締め付ける。

 それは会戦終了後、二週間経った二人の会話。



 子供たちからの同居の申し出を断ったお二人……キョウコとユイは民間街区の片隅に並んで部屋をもらっていた。引っ越しから一ヶ月。新しい生活も慣れてきたところ。まっ、それなりに……といったところか。
 『まだまだ子供の世話にならない』と強がったものの、やはり寂しいのか二、三日に一度の割りでアスカやシンジの家にやってきたりもしている。
 キョウコの方は、予算が要塞の修理にまわってしまうためアドバイスもへったくれもなく、ユイの方も市民相談室の電話番。有り体に言えば『ひま』だったりする。
 彼女たちが、再び歴史の表舞台に現れるまで……もう少し時間が必要だ。



 再び、歴史の表舞台に立ち続ける男女に戻る。
 七月、アスカの家。今日は少し賑やか。
 なぜかって、ミサトとカジの子シンとミサキが『大好きなレイおねいちゃん』の家にお泊まりにやってきていたから。さらに、シンジたちが呼び出されて今に至る……ダイニングに陣取る二人の前に、水割りだのワインだのグラスがいくつか。
 子供たちはリビングの方で遊んでいるらしい。先ほどから大騒ぎだ。ミサキも、もうスクールの二年生。『大好きなレイおねいちゃん』の隣に陣取り、うみゅうみゅとカードの並びを思案中。その様が『書類の文面を思案中のミサト』にそっくりなのだが……ちょっと将来が心配かもしれない。シンの方は、カヲルからイカサマのレクチャーを受けてたりする。こちらは間違いなく親父似だ。ペンペンはミサキを確認するなり自室に避難。過去に、散々玩具にされたのを覚えてるらしい。

 テーブルに戻されたグラス。湿った音がするのは、三つの氷が微妙なバランスを崩したから。
「トキタは中央の指示に従ってた、と?」
「中央……というよりかの御仁の、ね」
 本来なら自宅でするような話ではないが、執務室ではさらにできない話。
「私見だけど、帝国軍を利用して始末されたんじゃないかな?」
「不確定要素が多すぎるわ。確実に始末できるとは限らない。
 失敗すれば、それと知ったトキタがアタシたちに全てを話すでしょうね。分が悪すぎるわ」
 それを聞いたシンジが、面白くなさそうにブランデーの瓶を傾ける。少し、量が多いか。それを割る素振りはまったく見せない。
「帝国軍の動きを、彼が個人的に知ることができるとしたら?」
 “Nerv”が掴めなかった情報を……
 フユツキの協力を得、帝国における諜報組織の復旧は徐々にではあるが進んでいる。今回においては、イゼルローン要塞自体が通信妨害の渦中にあったため情報に於いても後手に回る――もちろん、ガイエスブルグ派遣軍も同様に――事になってしまった。帝国軍も援軍があったことから、アスカの来援は本当にぎりぎりのタイミングだった。
「それって……」
 グラスに半分ぐらい残っていたロゼを飲み干す。それで出かかった言葉も呑み込む。
「物証はないんだな、これが」
 分かっているのはトキタが受けていた指示。最後の命令を解読できたのは、シンジが出撃した一時間後。能力云々の問題ではなく、優先順位が低かったのだ。ただ、どのようにして通信されてきたかは分かっていない。むしろ、問題はこちらの方だ。
「そうでもなければ説明が付かないって事。ましてや……」
 リツコのこと……
 彼の娘のこと……
「まっ、七割方不正規軍になっちゃってる“ウチ”に不安を覚えたとか?」
「そんな生々しい……」
 グラスを傾ける。よく冷えた琥珀色の液体が、瞬く間に失せる。それを見たアスカが、わずかに表情を曇らせる……よい飲み方ではない。
 中央政府と真っ向からぶつかるような――内側から見れば、だが――地方駐留軍。政府に忠誠を捧げる軍人なら危険視するのは間違いない。特に、幹部であればなおさらだ。
 リツコあたりが危惧するのは分かるような気がするが、アスカの行動、考え方、裏面の事情をよく知るが故、現状を是認してくれているように思える。
 少し、距離を取る立場にあったが故に……しかも守るべきものが身近にあった。そう言うことだろう。
「軍本流にあって、イゼルローンの様子に安堵する人間はいないだろうね」
「じゃ、モートン少将は本流からはずれちゃった人だから大丈夫って事?」
「今のところ、不審な点は浮かんでないよ」
 まったく、人を疑ってかからねばならないのも疲れる。
 今まで何度か話した感触から、彼ならばトキタの穴を埋めイゼルローンの色にも馴染んでくれるだろう……たぶん。
「本国はアカギ司令長官と小父様だけ……グブルスリー大将はまた療養。退役も近いって噂だし」
 ため息。先のクーデターは、軍部の発言力を低下させるに十分な打撃を与えた。
 軍部の権威が失墜とまで行かなかったのは、アスカとゲンドウ、アカギ司令長官の功績だろう。幸い――キールにとっては面白くないことに――この三人はキール議長と対立する立場にあるため、軍部全体が一人の男の恣意によって動かされることは避けられている。が、援軍の派遣時にあったように兵力の運用すら軍部の意志は全て通らないと来ている。いや、少し違うか。軍部の大半は様々な理由――お小遣いを貰っているとか――で、ある人物の意志を反映させたい輩が多いというだけ。
 そのような人々からの有形無形のプレッシャーは、銃撃を受けて以来すっかり老け込んでしまった統合作戦本部長グブルスリーに大きな心理的圧迫を与えているようだ。ここのところ、体調不良の噂をよく聞く。
 ゲンドウやナオコはそんなやっかみなんか気にしないから、至って健康なのは言うに及ばず。
「実質、父さんが取り仕切ってるみたいだね。統合作戦本部は」
 後継者はゲンドウ・ロクブンギ・イカリ大将とは衆目の一致するところ。さすがに、これをひっくり返すだけの醜聞を握らせるようなゲンドウではない。
「みんながそれぞれできることに全力を尽くす……簡単なようで難しいわね」
 シンジの手が、次に一升瓶を掴む。何でもいけるらしい、この男は。
「そう言えば、この間出した報告……反応あったかい?」
「梨の礫」
 今次会戦における問題点とその解決策。今後予想される帝国軍の軍事行動等々。
「確かに、ちょっと脅しすぎたかなぁとは思うんだけど」
 国防委員会用にわかりやすく脅しつけたものだが――ナオコとグブルスリーにはまたそれようのものを提出している――ちょっと効きすぎたか、黙殺されてしまったようだ。
 回廊はイゼルローンだけではない……注意を喚起できただけでも良しとせねば。
「これからどうするぅ?」
 ビンを傾けるも、グラス半分を満たしたところで終了。足下へ置かれる……三本目。今日はペースが速い。
「なるようになるんじゃない?」
 シンジ、清酒を満たしたグラスから一口。氷は邪道だが、別に注意するものとていない。
「なるようにねぇ……」
 半ば感心するようにうなったアスカの前を、桜色のグラスが通過する。その後を追うと……
「何よ、レイ。はしたない」
 それにウインクで応えて、グラスの中身を飲み干す。時を一〇年ほどさかのぼれば、義姉も似たようなことをやっていたっけ。
「あっちの方はいいのかい?」
 ミサキの金切り声が聞こえてくる。状況は悪そうだ。
「一抜けちゃったから」
「レイ、『接待』って言葉、知ってる?」
 アスカだけには言われたくない。
 とりあえずそっちはおいといて、自分好みの“甘い白”の栓を抜くことに専念するようだ。
 とりあえず、口を挟むとシンジ的に危険そうだから、黙って清酒を口に運ぶ。
「何で誰も何も言わないのよ……」
 推して知るべし……
「ぐぅーらすっ♪ ぐぅーらすっ♪」
 やっとこさ開栓したビンをテーブルに戻し、自分のグラスを取りに行く。
 それを横取り、とっとと自分のグラスに注いじゃうアスカ。まさに生き馬の目を抜く……んなわけない。
 アスカのより“ふたまわり”はでかいグラスを確保したレイがビンの残りを投入する。これでビンは八割がたカラ……注意しろよ、どっちか。
 とりあえず、来月からヒカリの補佐と言うことで本部詰めが決定していたりする。先の軍功によって“准尉”昇進内定だそうだ。彼女専用のロンギヌスは確保されたままで、そちらの方もぼちぼち続けてゆくことになりそうだ。
「じゃ、そーゆーことで」
 子供たち用のジュースと、カヲル用の牛乳大ジョッキ――もちろんいやがらせ――をトレイに乗せリビングへ退場。スナック菓子をぶら下げていたりもする。う〜ん、しっかり者。
「うわ、これほとんどジュースじゃない」
 レイの開けたワイン。それでも呑んじゃう。
「アスカ」
「ん? なに?」
 声の調子に惹かれ、テーブルの向こうへ視線を移す。
「幸せ?」
 何のことはない問い。でも、深い問い。
「アンタ次第よ」
 なんてホントのことを口にするはずもなく、甘い甘いワインを干す。

 それが答え。


(第伍話 了)




ご意見、ご感想、指摘等はこちらまで

第六話(前編)へ続く

99/12/05初稿
00/08/08修正


銀河英雄伝説は田中芳樹氏の著作物です
yoshiki tanaka (C)1982  徳間書店刊

参考文献
奏(騒)楽都市OSAKA 川上 稔 著 メディアワークス 刊


inserted by FC2 system