銀河の英雄は「アタシに決まってんじゃない!」伝説plus!
 
 

キリシマ大尉の記念日
 
 
 
片山 京
 

 
 
  論理回路(ロジック)じゃないのよね。
                こと、男女の関係は。
 

 

 



 
「あと一二〇秒」
 相棒の無情な声が、シミュレーターに備え付けられたスピーカーから聞こえてくる。
戦闘記録から算出された慣性重力が、その予測運動に連動して重くのしかかる。
 もとの七、八倍の重さになった腕を正確に動かし、目標にポイント。ウラン二三八弾の発射ボタンを親指で押し込む。ヘッド・アップ・ディスプレイ(H.U.D.)の隅に「撃墜」の文字が踊る。直後、お尻の方へ向かっていた過重が背中の方へと変わる。人類を星の海へと旅立たせた『科学の三美神』の一つ慣性制御技術のおかげで、シミュレーションでも実戦さながらに変化するGを体験することが出来る。それは、ささやかな余録に過ぎないが。
 不用意に腕を動かさないように太股に肘を置いて固定。その変化に対応する。先ほどとは微妙に違う力加減で操縦桿を押し込む。三次元レーダーに機影。ワルキューレ、三。軌道変更、さらに別な角度のGに耐る。身体を固定しているベルトが食い込むが、訓練のためいつもよりいささかまし。
 本来の戦闘なら身体に痣が残ってしまうのだが、「訓練ごときで玉のお肌に傷をつけるのは馬鹿馬鹿しすぎる」と放言している。彼女が過剰な訓練によって、過去に体を壊したことを知る人間は特に何も言わない。より正確に『言えない』と言うべきか。
 いつもより大きめの旋回半径を忠実に再現するシミュレーター。
 警告音?背後に喰いつかれた!
 人工的にかけられる慣性の為に口を開くことが出来ない。やって出来なくはないが、舌を噛むのが落ちだ。適当に不規則な軌道を取り、背後から来ているワルキューレとの射軸をずらす。手を抜けばすぐに報いが来る。意地の悪い設定だ。
 三次元レーダーから距離を読みとり、一気に逆噴射。彼我の位置を逆転させ、間髪入れずに一射。H.U.D.の遮光機能が働くが、四散する閃光に視界を奪われる。ちょっと手を抜いたために、後々まで祟られる。今の爆発で生じた電磁波によるノイズに隠れ、残り二機がマナの眼前に躍り出る。
 ここまで忠実に再現する技術陣を、「芸が細かい」と褒めるべきか「暇人」と貶(けな)すべきか判断に迷うところだ。
「九……八……七……」
 本来ならば、先ほど撃墜されたワルキューレを含む三方向からの攻撃だったのだろうが、本命の背後から抑える者が既に居ないのではマナの相手にはならない。巧妙に機体を操り、その間に機首を定める。その修正のための軌道上を横切ろうとしたワルキューレのコックピットに至近距離から機銃をたたき込む。
「……三……二……」
 そのまま離脱。
「……一……」
 旋回。
「ゼロ」
 あれ?
 一度強くなった慣性重力が急速に失われた。三半規管が不調をきたし軽い目眩(めまい)と吐き気をもよおしたがなんとかこらえる。
 視界に入る『Time Over』の文字。
「だー! あと一機なのにぃ。
 あんにゃろ、やってくれるわね」
 H.U.D.を放り出しながら叫ぶ叫ぶ。
 手元のスイッチで前方のハッチを解放。
 完全に開ききる前に外へと這い出す。
「マユミっ」
 目当ての人物を見つけると、早足で近づいて行く。その剣幕に進行方向にいた何人かが道を譲ってしまうため、自然と道が形成される。
 当の本人は平然としたものである。マナの戦績の保存作業をいつものペースで行っている。側に来たのをその気配で悟ったか、作業に一段落ついたからか、掛けていた椅子ごと向き直り咎(とが)めるような視線を向ける。
「何ですか? マナ」
 訂正。“咎めるような”ではなく、実際に腹を立てている。秩序と静寂を愛する彼女は、それを乱す物を極端に嫌う。その性格を示す有名なエピソードがある。
 ある雑誌の取材で、「なぜ空戦隊に入ったのか?」と聞かれたことがあった。
 その答えはまっとうな物ではなかったが、マユミらしくはあった。
「宇宙は静かですから」、と。
 ちなみに、同様の質問に対しマナ・キリシマは、
「私に出来ることを探しているうちに、空戦隊に落ち着きました」
と、普段の言動を知る者から見れば意外な事に、なかなかまともなことを言っている。
 このあたり、常にマイペースで頑固なところのあるヤマギシと、基本的に明るいが状況に合わせることが出来るキリシマという性格の対比が見えておもしろい。どのような経緯があったにしろ、現在のところどちらもキワモノ……もとい、強力な個性であることは間違いない。
 内面どころか容姿からして対照的なこの二人だが意外と仲がよい。本人達に面と向かって「仲がいいですね」と言ったところでお互い渋面を作るのが関の山だが、何かをするときにはたいがいつるんでいる。嫌な上官を引っかけたり、門限を破って飲み歩いたり、猥雑(わいざつ)な冗談で彼女達をからかった同僚のスパルタニアンに落書きをしたり……可愛げはあるがろくな事をやってない。
 閑話休題(それはさておき)。
 そう、マユミだ。
 その冷え切った言葉にも怯まず、大股で歩み寄るマナ。それをさらに冷ややかに見守るマユミ。周りの人間は何が起こっているのか本当の意味では解ってはいなかったが、今に起こらんとする第一三艦隊空戦隊の誇る二大魔人の激突を見物するため、安全距離を保ちその場を注視している。
 肩まで固定し首を保護するヘルメットを外し、目についた後輩に向かって放り投げる。後輩の方も心得たもので、危なげなくキャッチ。
 戦闘準備完了。
「マユミ、あなたねぇ……」
「時間を設定したのはマナです」
「だからって旋回中に慣性制御装置を落とすことはないんじゃない?」
「予告はしました」
「へー、あのカウントダウンてそのつもりだったの?」
「理解いただけませんでした?」
「んなもん、ちゃんと言わなきゃ解る分けないでしょう!」
「交戦中の無線連絡を聞き流したのですか?」
「……嗚呼、あなたとまともな会話を期待したのが間違いだったわ。もうそれはそれとしていいから。
 で、どうなの結果は?」
 言っても埒(らち)のあかないことと悟ったマナが話題を一八〇度変える。いまだに口では勝てないのは癪だが、殴り合いを演じて見物人を喜ばすのはもっと嫌だ。相手にされていないことを自覚してしまうと虚しいので考えないようにしている。それにしても、融通の利かない娘だ。
 今日のところは棚上げにして後日再戦とするとして……もう一つの懸案だ。と言うより、こちらの方がメインだったりもする。
 撃墜数競争。
 本能で動くマナに対し、綿密な計算で動くマユミ。勝敗は、はっきり言ってシチュエーション次第といったところか。今回のような底意地の悪い状況はマナの方が強い。ただし、気分屋であるため手抜きとムラが多い。ムキになって自分を見失うことがないのと、その手抜きをカバーするだけの腕があるためたいがいは大事に至らない。今日のようにシミュレーションの目標を取り逃がすというのは希有(けう)の例に属す。
 一方のマユミであるが、こちらは融通が利かない。いや、現状の変化によるスケジュールの変更は問題なく遂行する。そうでなければ実戦では生き残れない。言いたいのは、訓練だろうが実戦だろうが実力をフルに発揮するということ。どこかの誰かのような「どうせ訓練なんだし」という思考は彼女にはあり得ない。マナの言葉を借りれば「ひっじょーにまじめな軍人さん」と言うことになる。
「この二人を足して三で割ったら理想的な軍人像」
 とは、前任の空戦隊長の言。二で割ったのではアクが強すぎるから三で割るらしい。これは本人達には内緒だ。
 流れるようなマユミのキー操作で、戦績のリストが呼び出される。
 確実にポイントしているマユミ。曲芸的な高得点はないが大きなミスもないため、全体的には見栄えがよい。
 良い時と悪い時の差が激しいマナ。信じられないような高得点があるかと思えば、ポカミスもあるため出入りは激しいが基本的に高い水準をキープしている。本当なら長生きできそうにないタイプだが、天性の才能からか五体満足でここにいる。手の抜きどころを知っている――要領のよい証だろう。
「あー、やっぱりあの一機ぃ」
 ちょうどそれぐらいの点差だった。あからさまな手抜きは高くついたようだ。
 素直に悔しがるマナを横目に、微かな含み笑い。勝利の笑みではなく、マナの子供っぽい仕種に対して。この二人、本当に反目しているわけではない。互いの腕も人格も認めあっているが、変な意地が邪魔をする……今日みたいに。
 
 そんな普通の日だった。ここまでは。
 
 
 アスカ・ラングレー・ソウリュウ中将が寄せ集めの独立半個艦隊を率いて“あの”イゼルローン要塞を陥落させてから数ヶ月。
 ようやく構成艦船が定数を満たした第一三艦隊は、結成以来二回目の大規模な作戦行動をとっている。後に『アムリッツァ星域会戦』と呼ばれる一連の軍事行動の初期にあたるものだが、この時点では『大遠征』と呼称されている。最終目標地は、『帝国領』とされているだけで具体的に示されているわけではない。そうなると、現在忙しいのはS炉を管理する機関部と特殊技術部ぐらいのもの。ほとんどの部署では訓練に時間を費やしている。
 確たる戦略目標が設定されていないため、イゼルローンまでの航路及びスケジュールを定めてしまった第一三艦隊司令部も暇を持て余していた。そんな暇人が一人、第一三艦隊旗艦エヴァンゲリオン級打撃戦艦二番艦“弐号機”の艦低近く、空戦隊区画をのんびりと散歩していた。
 別に目的地があったわけではなく、ただ一度も踏み入れたことのない区画だったから足を向けてみただけ。時折手元の端末に表示させた地図を眺めつつ、狭い通路の真ん中をその長身が占拠している。年の頃は二十歳を幾つか過ぎたぐらい。女顔でやや童顔な東洋系の顔立ち。そのため、三つや四つさばを読んでもまずばれることはない。一九〇センチを越える身長のため痩せ形に見える。その実、無駄のないしなやかな筋肉がその身を覆っている。高いレベルのスピードとパワーを実現する、ある種理想的なプロポーションと言える。
 とは言え、軍服の上から解るのは、その肩幅の広さと胸板の厚さ、さらには身のこなしぐらい。素人目には「駆け出しの軍官僚」とでも見てもらえれば御の字だ。
 まさか彼が、第一三艦隊副指令官シンジ・イカリ少将だとは誰も思わないだろう。それが常識という物だ。
 
 
 前方約六〇センチの床面を中心とする半径五〇センチの円。それが、マナ・キリシマの視界の全てだった。有り体に言えば、俯いて足下を注視して歩いていただけ。そんなに負けたことを悔しがるのなら手を抜かなければいいのに。
 前を見ていないくせにかなり早足で先へと進む。当然歩幅も広くなり、見えているのは自分の足ぐらい。それも見えているのかどうか……
「んなこと言ったってあそこで全力出すヤツはマユミぐらいしかいないわよ。要は、練習なんだから実戦のカンを忘れなきゃいいのよ。それをあの娘は……それはそれとして、ああもガチガチで肩凝らないのかしら?」
 これでは見えていないだろう。独り言でやたら熱くなっている。だから、T字路から出てきた人影にも気づかない。
「って、だれよぉ。んなところに突っ立ってるのはぁ」
 自分からぶつかったくせに態度がでかい。どことなく誰かを彷彿とさせる。
「ごめん」
 すかさず帰ってきた予想外の返答に声の源を探す。頭一つ分よりさらに上。ちょっと首が疲れそうだったから一歩下がる。あいたぁ、結構いい男じゃん。照れ隠しに突き放した態度をとってしまう。
「何で謝るわけ?」
 理不尽と言えばこれほど理不尽な質問もそうはないだろう。自分が怒ったくせに。
 ただ、マナの常識からすれば反論される事はあっても無条件の謝罪と言う選択肢は最初から無い。マユミに言い負かされたりすれば別だが。
「え?いや、君が先に怒ったから……」
「そういう謝り方ってなないんじゃない?……まぁいいわ」
 もう一度その顔を確かめる。どこかで見たような気がする。それもつい最近。
「気をつけてよね」
 素っ気なさで軽い動揺を覆い隠し、それだけを言ってその横をすり抜けようとする。今さら「私が悪かった」とも言えず、我ながら後味の悪さを感じながらも戦略的転進を図る。これ以上何を話せと言うのだ……悪いのは自分だが。
「あ、ちょっと待ってよ。教えてほしいんだけど……」
「なに?」
 素っ気なさを増す声音に、問いつめるような視線。予想外の強い反応に、男の視線が戸惑ったように宙をさまよう。この男は、慣れというものを知らないのだろうか。
 それも一時のこと、すぐに――とはいかなかったが、視線を戻しなんとか問いを口にする。
「……えっと、空戦隊の訓練室はどこかな?」
「何の用?」
 あくまで素っ気ない。たたみかけるように返事を返す。しかも単語しか返ってこない。
「司令部から来たんだけど……」
「解ったわ。ついてきて」
 みなまで言わさず背を向ける。説明して行けなくはないが、また正面切って口をきかなければならない。今それだけを避けるために先に立つ。だから、階級章なんか見ていない。マナの歳で『大尉』というのもあまりない話。まさか自分より五つも階級が上だとは……普通思わない。
 今は、自分のペースが乱される不快感と居心地の悪さから逃げ出したかった。名前も聞いていないこの男に対する興味も多分にあったが。
 
 
 シミュレーターの三次元モニター。信じられないぐらいヘボイ動きをする――のたうちまわっているとも言うが――スパルタニアンを正確にトレースしてる。ちなみに、現在稼働中のミッションは動かない的を撃ち抜くという最も初級の物だ。
「どこで知り合ったんですか?」
「何が?」
「彼ですよ」
 そこまで言ってシミュレーターの方へ頭を巡らす。
「そこの廊下」
「あの人が誰か知ってるんですか?」
「知る分けないでしょ。そこで会ったばかりなんだから」
「マナってホントお気楽ですね」
「それってどういう意味よ」
 興味深げにシミュレーターを眺めるシンジに、体験を奨めたのはマユミだった。他の隊員は、自分のスパルタニアンのチェックに出かけてしまったので、今、残っているは二人だけ。
「階級章、チェックした方がいいですよ」
 最後の標的がやっと消滅した。
 
 
「えー、ふっふっ、副指令閣下だったんですかあ」
 最初の「えー」は悲鳴に近かったが、予想以上に人の注目を集めてしまったのでその後は身をかがめ小声で語る。シンジもそれにつきあって精一杯その身をかがめる。周りにいるのは全部合わせても二〇人くらい。時間も時間だからまぁこのぐらいだろう。
 確かに見たことがあるはずだ。艦隊放送で就任時や出港時の挨拶に顔を出していたのだから。その挨拶も、シンジ自身が三〇秒そこそこで終わらせてしまうのと、マナがまじめに見たことがなかったのであまりに印象が薄かったのだ。
「どうして言ってくれなかったんですか!」
「……君が聞かなかったんじゃないか。それに、閣下と呼ぶのはやめてくれないかな?」
 間違い。「言わせてもらえなかった」が正しい。着痩せする質(たち)なのか、身長の割に細身に見える身体をさらに縮めて情けなくも呟く。
「それはそうなんですけど……」
 標準時間で一四時過ぎ。遅めの昼食をとるために士官食堂までやってきたのだ。ちなみに、マユミは諸用を理由に同席を断った。絶対に、シンジの事を知っていたに違いない。
第一、こんな若い『少将』なんてそのあたりに転がっているわけがない。結論は一つしかない。階級章に気がつかなかったマナが迂闊なのだ。
 でも、今から挽回を志すのもまだ可能。
 社会的地位は盤石で、収入等に問題なし。将来性は言わずものがな。このまま軍人として最高位に立つも可(よし)、政界に転じるも可(よし)。地位を鼻に掛けることもなければ、先ほどまでの無礼な態度を咎めることもない。ちょっと気が弱いあたりがなおよろしい。状況に流されやすいのと、強力な恋敵がマイナスポイントだがこれはプラスに転じさせることも可能。
 状況に流されやすいのは自分がうまく使えばいいわけだし、強力な恋敵はこれ以上ライバルが増えるのを未然に防いでくれるだろう。これでオフィシャルにはフリーだと言うのだから超お買い得である。
 恋敵が幼なじみだろうがなんだろうが、関係を認めないのであれば付け入る隙はいくらでもあろうというもの。相手が提督だろうが中将だろうが人間であることには間違いないのだから。
 今は出会いの印象の悪さを払拭するためにも、ここで引くわけにはいかない。輝ける未来のために!!
「えーっと、君の名前を聞かせてくれるかな?」
 急に元気がなくなって、すぐに復活し、さらに力が入り始めたマナを気遣ってか訝(いぶか)しんでかシンジが話題を振る。ただ気になったのかも知れない、何せシンジだから。
「マナ。マナ・キリシマ大尉です。『マナ』って呼んで下さい。
生涯撃墜数ランキング第一二位、聞いたことありません?」
「君がそう……いたた」
「『君』じゃなくてマナって呼んで下さい。言いませんでした?イカリ少将」
 シンジの頬をつねりながらにこやかに訴える。その否とも言わさぬ強制力がシンジに赤毛の誰かを思い起こさせる。
「いや、その、キリシマ大尉」
「マナ」
「やっぱりそれはまずいよ」
「マナ」
 言葉少なに強要してくるマナを何とか退けようと試みるが、シンジには役が勝ちすぎているようだ。
 氷蒼色(アイスブルー)の瞳を持つ幼なじみが(なぜか)怒り狂うのが目に見えている。そのとばっちりは全て自分が被(かぶ)らねばならないのだ。その場の雰囲気に流されては命が危ない。
「……それじゃ、私がイカリ少将のことを名前で呼んじゃっていいですか?」
「へ?いいの、それで?」
 もっと厳しい交換条件を突きつけられるかと思ったが、これなら呑めなくもない。どっちにしても血の雨が降りそうな気もしたが、これ以上の譲歩を今のマナから引き出すのも無理な気がする。この様子からすれば、断ってもこの娘は自分を通すだろう。
 ならば、でき得る範囲で適当に許可を出しコントロールするべきじゃないかな?問題は、ボクにそれが出来るかどうか……
「一応、周りには配慮してくれるのなら……」
「マナ・キリシマ大尉、了解いたしました。
 シンジさん……で、いいですよね」
 その甘えるような仕草は、並の男なら一撃で虜にする事も出来たろう必殺の笑み。でも相手はシンジ。そういうことには鈍い上に、アスカとレイに日常的に接しているためある程度免疫が出来ている。紅い顔をして俯いてしまったがゲットするまでに至らない。
 期待した効果は得られなかったが、最悪の出会いのイメージは払拭できた(希望的観測込み)。それで良しとしよう。
 
 
 深紅の威容を誇る第一三艦隊旗艦。後に“エクセリオン”と改名されるが、現在は実験コードの“弐号機”の名で呼ばれている。紫紺の艦体の『エヴァンゲリオン級壱番艦』はイカリ分艦隊の旗艦――同じく実験コード“初号機”として配されている。
 同盟軍、帝国軍を問わず、スーパー・ソレノイド理論を応用したS炉搭載の初の実戦艦であり、通常の戦艦より遙かに巨大になってしまったために『打撃戦艦』なる新たな分類枠を創設させてしまった。S炉から膨大なエネルギーを引き出す事が可能なため、各種兵装とエネルギー中和磁場の出力の向上が図られ、そのカタログ性能は名実共に『打撃戦艦』に相応しいものとなっている。
 艦橋は外部に突き出す旧来の形ではなく、安全な艦中央部へ移されている。そのため、『エヴァンゲリオン級打撃戦艦』のシルエットは、旧来艦に比べシンプル且つ、シャープな印象を与える。
 宇宙空間での目視など必要なく、全天視界モニターが完備され観測機器の眼が有効に動作しているのだから、『艦橋のような脆(もろ)く致命的なユニットはわざわざ目立つところに置く必要はない』との設計思想だ。事実、旗艦被弾時の艦橋(ブリッジ)の破損による司令部の機能不全は由々しき問題なのだ。人的被害も馬鹿にならない。
 人類が地球を飛び出して一〇〇〇年。ようやくにして『宇宙戦艦』が地球上での眺望を重視した『洋上艦』のイメージからの脱却を図ったとも言える。
 艦体が大きくなった分、内部も広くなった。各幹部に私室の他に執務室が与えられているのも第一三艦隊だけである。ここはその一つ、参謀長執務室。珍しくくつろいだリツコの所へいつも通りのミサトが押し掛けてきた。
 『Nerv連隊』の隊章をあしらった、特注の軍服に身を包んだミサトが来るのはいつものこと。何をしているのか解らないが、忙しそうなリツコの前ではさすがに気も引けるのかアルコールを控えている。
 しかし、今日は最初から全壊……もとい全開だ。最終的な意味は大して変わらないかも知れない。絶好の肴もあることだし。
 シンジの不幸は、あの時間の士官食堂に『Nerv連隊特殊監査部』のメンバーがいた事。さらにそれに気がつかなかった事。その結果、士官食堂での一部始終が不完全な形でミサトの知るところとなった事。
 それ以上広まらず、彼の上司の耳にも入らなかったのだから幸運だったという見方もある。人それぞれだが。
 ミサトとしても相手を見てこの情報をばらまくつもりなので、発見した三人には徹底した箝口措置を施している。これでもアスカとシンジの姉のつもりなのでそれなりに気を使っているのだ。これがレイとなると親子でも通ってしまう年齢差になってしまうので妹と弟に任せている。何しろ自分の子供ですら持て余し気味なのだから、人様の所までは手が回らないのも道理。
 インスタントコーヒーの作為的な香りと合成アルコールの臭、さらには二人の着けている香水と化粧品の香りまでもが混じり合い、大変なことになっているが本人達は全く気にしていない。話に夢中になっているのもあるが、長時間この過酷な環境にさらされ続けた嗅覚が麻痺してしまったのだろう。
「……って事らしいのよ」
「情報が少なすぎるわ。この段階で推測するのは危険ね」
「まったまたぁ。リツコってばいっつも堅いんだから」
「はぁ、いつものことだからもう言わないけど。
 でも、どうするわけ?ソウリュウ提督は」
「あの娘に今話しちゃうのもね……意地張って今以上に自分の気持ちを否定し続けるか、逆に対抗意識を燃やすか……リツコはどっちだと思う?」
 どちらもありそうな話だが。
「今の指令なら間違いなく……そう、否定するでしょうね」
「何を?」
「失ってみなければ解らない大切なもの……よ。もしそれがあるとしたらだけど」
「私としたことが今まで気がつかなかったなんて……」
「何を?」
「リツコがロマンチシストだったなんて」
「失礼ね。私だって夢ぐらい見るわよ……気がつくのが遅かったけど」
「まだ間に合うわよ」
「そうだといいけど」
「なぁに湿気たこと言ってんの。アンタもたまには飲みなさい」
 よく冷えた缶が手のひらに押しつけられる。
「いただくわ」
「よぉっしっ、よく言ったぁアカギ准将」
 叫ぶ酔っぱらいに見せつけるように、一口だけあおってみせる。
「何よ、珍しいじゃない。リツコがそんな風に笑うなんて」
 そう、その口元に浮かんでいるのは笑み。いつもと少し違う笑み。穏やかな、見る者を引き込んでしまうような笑み。自分ですら、そんな表情が出来ることを忘れていた。
「何考えてたの?」
「別に、言うほどのことじゃないわよ。ただ……」
「『ただ?』」
「失う前に気づかせてあげるくらい、私たちがやってもいいわよね」
 
 
 ハイネセンのとある民家の屋上にて、星を見上げる少女が一人。彼女の足下には天窓が開け放たれ、のぞき込めば移動手段と思われる椅子と机が見えるだろう。蒼髪を風が包み込み、見開かれた紅眼は見えるはずのないものを追いかけている。第一三艦隊と呼ばれるそれは、約二八〇〇兆キロメートルの彼方を航行中だ。
 膝を抱え、ぼーとしているだけ。
 ただ……ただ眺めるだけ。
 他に出来ることがないから。
 
 
「本日、わたくし、マナ・キリシマはシンジさんのた・め・に! 朝、六時に起きて、この軍服を着て参りました」
 ちょっと引いているシンジと、上機嫌のマナ。今までは、アスカの存在が防波堤になっていたため、こうも露骨にアプローチを掛けられるのは初めてのこと。どう対処して良いか解らない。こう言って正しいのかどうか判断に迷うが、既存の言葉で表せば『箱入り』ということだ。逆にアスカは、言い寄ってくる男どもをあしらいなれている。
 女の子らしく手の加えられた軍服は、確かに似合ってはいるが立場上注意すべきか素直に褒めるべきかそれすらも判断できないでいる。その昔、カジからレクチャーされたことも何もあったものではない。
「似合う?」
 いつも着ている作業着のようなものだから、似合うも何もあったものではないのだが、そこはそれ「オンナゴコロ」というやつだ。
 最初は「目指せ玉の輿」だった。七割方冗談ではあったが。初な反応を楽しみ、第一印象の払拭だけを考えていた。どの時点からかは解らないけど彼に嫌われたくないと思い始めていた。もしかしたら「目指せ玉の輿」のスローガンだって彼に近づくための、自分に対する理由づけだったのかも知れない。もうどうでもいいことだけど。
 この軍服を着ている私を褒めて欲しい。せめて「似合うよ」ぐらいは言ってもらいたい。
 まさか私の方がこんな鈍感男を好きになっちゃうなんて……
「あ……ああ。い、いいと思うよ」
 満面の笑みをシンジに向ける。シンジの表情が硬いような気もする。やっぱり、まだ親密度が足りないのかな?そんな不器用さもカワイイけど。
 やっぱり昨日は記念日だ。この鈍感男と知り合った。

 止まった時計が動き出す。シンジの心の片隅で、一二年前に捨てたはずの感情が動き出す。マナにとっては、敵に塩を送ることに他ならなかったけど。
 
 
 
キリシマ大尉の記念日 了
 

 
あとがき
 
 
 初めまして、片山京と申します。
 
 「銀アス」本編を既に五本公開していますが、こういった形で読んでいただいた方の前に現れるのは初めてですので、まずはご挨拶を、と。掲示板には時々出没しております。
 
 今回は外伝、『plus!』シリーズなので、いつもに比べてちょっと短めです。
 今回は、第弐話後編の行間に埋め込まれるべきショートストーリーとなっております。
以後、『レイのイゼルローン日記』等をこちらで展開してゆく予定です。
 
 あくまで『plus!』……“拡張システム”というより“おまけ”ということで。98もそんな感じですし。
 
 『plus!』のネタ、ご感想、誤字脱字の指摘、一言物申す……などありましたら、掲示板、もしくはここまでお願いいたします。
 
 
 最後になりましたが、拙作を読んでいただいて本当にありがとうございます。では、第四話後編でお会いいたしましょう。


00/08/08修正

次のエピソードへ

 

銀河英雄伝説は田中芳樹氏の著作物です
yoshiki tanaka (C)1982  徳間書店刊



inserted by FC2 system