醜いアヒルの子

 

 密室の中でベッドのきしむいやな音と、控えめな衣擦れの音がやけに響きわたる。その音にあわせて、男の荒々しい吐息が顔にかかる。それに応えようとしているのか、男に組み敷かれた女の口から悩ましい声が時折返ってくる。女は、見慣れない部屋での見慣れた光景のなかで、襲いかかる快楽に身悶えしていた。男もそうなのだろう。むせかえるような本能の匂いの立ちこめるその部屋の中で二人は一心不乱にその行為を続けていた。

 ただ、同じ快感を共有する二人が決定的に違ったのは、男が完全に本能に支配されていたのに対して、女はその美しい顔を快感でゆがめながらも、軽く閉じられた瞳の奥は常に冷静であった。野獣のごときその行為の中で、その当事者にもかかわらず、冷たい光をその瞳にたたえ続けるその女の様子はどこか異様であったのかもしれない。しかし、相手を求めるのに忙しい男はそのことに気付いた風もなかった。

 

 二人のたてる淫靡な物音がこの部屋の本能の匂いをさらに強めていくがが、それでもその光を消すことはできなかった・・・。

 

 

 

   醜いアヒルの子 前編 

 

 

 

 私は醜かった。幼いときから人からそう見られていることを知っていたし、自分でも醜いことを自覚していた。しかし、いくら自覚しようとも醜いという事実が私を傷つけることに変わりはなかった。小さいときはそのことでからかわれ続け、中学、高校では直接的なことはなかったにしても、私にむけられる視線と友人たちの慰めの言葉に私の心は傷ついていた。私の母親にそのようなことを漏らすといつも、あなたの被害妄想よ、と繰り返し唱えるだけだった。でも私は知っていた。私が通ったあとに必ず起こる嘲笑の意味と、そして友人たちが私のいないところで私をなんて呼んでいるのかを。

 母親にそんなことを相談すること自体間違いだった。彼女にはわからないのだろう、私の悩みなんて。だって彼女は人並み以上の容姿を持っているのだから。珍しいくらい醜い顔の娘を持つその女性は、絶世の美女といっても過言ではなかった。幼いときから幾度となく、本当に自分はこの人の娘なのだろうかと繰り返し疑問に思っていた。物心ついたときにはすでに離婚していた父親の顔はおぼろげにしか思い出せないが、おそらく端正な作りをしていたと思う。 そんな二人から私のような娘が生まれたなんてだれも信じないだろう。しかし、私の栗色の髪と、蒼い瞳は確かに彼女と同じものであったし、容姿以外は驚くほど彼女そっくりだ。母親譲りの優秀な頭脳には感謝しているけれども、そのほかの彼女が譲ってくれたもの、もしくは譲ってくれなかったもの、には恨みこそすれ感謝などできなかった。陶器のような肌も、夕焼けのような髪も、海の一部を抜き出してきたような瞳も私には嫌悪の対象だった。これらは私の母親のような人物が持っていてこそ、その本当の美しさを発揮するものなのであって、私にとっては美しいどころか逆に醜い容姿を際だたせるだけだった。

 小さい頃読み聞かされた童話に、私の境遇に良く似たものがあったけれども私はその話が大嫌いだった。醜いアヒルの子は、実は白鳥の子でその子は大きくなって美しい姿となりアヒルたちの元から飛び去っていく。そんな物語を聞いたとき、私は泣き出し母親を困らせたことを覚えている。その話の醜いアヒルの子はあまりにも私に似ていて、そして、あまりにも私とはかけ離れていた。私は醜いアヒルの子で、私の親は美しい白鳥だったが、私は大きくなっても美しい白鳥にはなれないと思っていたし、事実そうだった。

 

             *         *

 

 私の逼塞した未来は変わるものではないと思っていた。自分のおかれた境遇に不満はあったけれども、それに抗う気はとうの昔に消え失せ、ただあきらめだけが私の心に去来していた。そんな私の心境に神様が見かねたのか、いやそれとも、毎朝鏡を覗く度に私の心に吹きすさぶ呪詛の声を悪魔が聞きつけたのか、とにかく私の世界を変える転機が突然訪れた。

 それは、高校を卒業した年の3月の中頃だった。自分の容姿に対するコンプレックスをすべて学業にぶつけていた私は、親譲りの頭脳も手伝ってか、国内でも最高の学府に位置する大学に入学が決まっており、それを機会にアパートを借りて一人暮らしをするつもりだった。母親はひどく寂しがり心配もしたが、私の意見を尊重してくれ、また、現在の家からでは通学が不便であることも事実なので、ただ、私が大学に入学する前に一度、母娘水入らずで旅行に行くという条件をつけただけでとりたてて反対はしなかった。大学が始まるまで別段なにもすることもなく、その時間を有効に使うだけの趣味も友人も持ち合わせていない私は、母親のその申し出を快諾した。私の返事を聞いた母親は大喜びをしてさっそくスケジュールの調整に乗り出した。結果わずか一泊二日の旅行になったのだが、普段から家に帰ってくることさえもままならぬほど忙しい母親のことだ、それさえもかなり無理をしたのだろう。旅行前の母親の仕事の詰め込みぶりを見て、私は彼女の身を心配しつつも、私のために頑張ってくれているその様子をうれしく思った。その朝、ここ数日のひどく疲れた顔はなんだったのか、40をわずかに越えた年齢の女性とは思えないほどの無邪気な笑顔を見せる母親に、私もまた常に心に鬱積する様々な想いをすべて忘れ、心からの笑みを彼女に返した。久しぶりに互いの笑顔を見たことでさらに笑みを増した私たちは、これからの楽しい時間に想いを馳せつつ車に乗り込み、出発した。

 

 そして、私たちは事故にあった・・・・。

 

                         続く

 



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