「あの夏のパズル」

〜第十話〜

KOU





  今朝の葛城家。

  台所からいつもの様に包丁の奏でる音が響き渡る。

  しかし、その音はいつもよりリズムが不安定で上ずっている様に聞こえる。

 

 「おはようございます」

 「あら、シンジ君おはよう。早いのね?」

 「はい。体が覚えてしまって」

 「本当なのね。シンジ君が家事全般やってるって」

 「え、ええ‥‥。なにか手伝いましょう‥」

  シンジの言葉を打ち消す声。

 「あんたばかぁ?」

  シンジの背後にはショートパンツにタンクトップのアスカが立っている。

 「ア、アスカ‥‥」

 「それじゃあ私がなんにもしてないみたいじゃない!」

 「そ、そうじゃないか!」

 「ばかシンジ!洗濯は自分でしてるじゃない!」

 「そんなのあたりまえだろ!それに下着だけしか自分で洗わないくせに」

 「あったりまえじゃない」

 「あたりまえって‥‥」

  ニヤリとしながらアスカはだめ押す。

 「‥‥ははぁん。シンジったら全部洗いたいわけ?」

 「そ、そんなわけないだろ!」

 「無理しちゃって〜」

 「無理なんてしてないよ!」

 「信じらんない。シンジのH、すけべ、へんたぁい。学校で言いふらしてやろっと」

 「そ、そんなぁ〜」

 

  刻まれていた包丁の音が止まる。

 

 「二人とも勝負有りね。おはよう、アスカ」

 「おはよう、マヤ」

 「二人とも。御飯出来たら呼んであげるから、学校行く準備してきたら?」

 「はぁ〜い」

 「はい、よろしくお願いします」

 「あ!お弁当も作っててくれたんだ?」

  アスカは詰める前のおかずの並ぶ皿を見つけた。

 「え、ええ。アスカの口に合うかわからないけど」

  少し不安そうなマヤ。

  アスカはタタタっと駆けていき、ひょいとから揚げをつまみ、口の中にほう

  り込んだ。

 「うん、おいしい」

  そしてマヤの方を見た。

 「ありがと」

  微笑み返すマヤ。

 「じゃあ準備してくるから」

  アスカはその様を見ていたシンジに駆け寄り、持っていたから揚げを口に押し込

  む。

 「な、何を‥」

 「美味しいでしょ?」

 「‥‥う、うん」  

 「シンジ君、ありがとう」

 「そんな、ほんとに美味しいですよ」

 「シンジ、さっさと行くわよ」

  アスカが部屋に向い歩き始める。

 「うん。わかってるよ」

 「わかってないわよ!」

 「え?」

 「え?じゃない!あんたねぇ、マヤの前で余計な事言わなくていいの!ネルフで変

  な噂が立ったらシンジのせいだからね!」

 「‥‥ほんとの事なのに」

 「何か言った?」

 「言ってないよ。‥‥そういえば今朝起きるの早かったね?」

 「ま、まあね。じゃあ、後でね」

 「うん」

 

  そんな二人の背中を苦笑いで見つめるマヤ。

  −−−いつもあの調子なのね‥‥まだ初日なのに体もつかしら‥‥

 

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  あの夏のパズル −piece10-  涙、祈る時

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  事の起こりは前夜の事だった。

 

 「ミサト、それはまずいわね」

 「でしょぉ?」

 「失礼します」

  リツコの研究室の戸が開く。そこにはマヤ。手には当日のシンクロテストの報告

  書を持っている。

 「今回のシンクロテストの結果です」

 「お疲れ様」

 「先輩?」

 「何?」

 「まずいってどうかしたんですか?」

  マヤは二人の顔を不安そうに見る。

 「そんな深刻じゃないのよ。明日から二日間、私とミサトがドイツに行くのは知っ

  てるわね?」

 「はい。あの件ですよね?何か不都合があるんですか?」

 「ドイツの件はいいのよ」

 「気になるのはシンちゃんとアスカの事なのよ」

 「あの二人が何か?」

 「ほら、私が居なくなるといい年した若者が二人っきりでしょ。いっくらシンちゃ

  んが鈍感でも二日も二人っきりじゃあねぇ〜」

 「わかるわね、マヤ?エヴァを操縦できるのはあの子達だけ。精神的にも、肉体的

  にもシンクロ率に問題になるような事は起こって欲しくないの」

 「じゃあ簡単ですよ。私が葛城さんの家に泊まりに行きましょうか?」

 「マヤ?」

  −−−ふっ、計算通りね。

 「いいの?助かるわ〜」

  −−−流石はリツコ!

 「ええ。私もシンジ君達には興味がありますし」

 「お土産買ってくるから。じゃあ出発は今晩だから今日からよろしくお願いね」

 「マヤ、任せたわよ」

 「はい!任せておいてください」

 「帰って来るのは明々後日の早朝になると思うから」

 「わかりました」

 「冷蔵庫のビールはぜーんぶ飲んじゃっていいわよ」

 「飲みません!」

 

  それからマヤは大忙しである。二人に関する行動パターンのレポートを調べ、予

  備知識を得、何度もいろんなケースをシュミレートしてみた。

 

 「ええ〜!そんなぁ〜!」

 

  思わずマヤはディスプレィに向かい文句を言ってしまった。

  そこには明らかにネックと言えるものがマヤの料理と示されている。さらに、そ

  の失敗はアスカによりネルフ中は元よりかなりの範囲で噂となり広がると予想さ

  れている。その噂の内容の主旨は「料理もできないパソコンおたく」。

 

  −−−ま、まずい。これはなんとかしないと。私もいい年だし‥‥。でもおかし

     いなぁ、先輩にはあなたの料理は個性的ねって褒められたのに。

 

  マヤはすぐにレイに連絡を取った。困った時はレイに協力してもらうようにリツ

  コとミサトから聞いていたのだ。

 

 「困ったらいつでも携帯に連絡ください」

 「ありがとう、頑張るわ」

 「‥‥命令ですから」

 「う、うん。ありがと。じゃあ、切るわね」

 「はい。頑張って下さい」

 

  そしてマヤは一度自分の家に帰って泊る準備をし、おかず等の買い物をし、一路

  葛城家へと向ったのだった。  

 

       *          *          *

 

 「あ!いっけない!」

  焦げた匂いでマヤは我にかえる。

  −−−‥‥大丈夫かしら‥‥私‥‥。

  目の前の真っ黒焦げの塩鮭を摘まみ上げ呟いた。

 「まだ、まだぁ!」

  首を数回振り、気を取り直して再び朝食に挑む。

 「えーっと、米が煮崩れてとろみがついたから、ここで塩、うま味調味料ね‥‥」

  マヤは祈る気持ちで恐る恐る味見をしてみる。

 「よし!」

  −−−結構いけるじゃない!私もやるもんねぇ。うんうん。

  勝手に納得しながらマヤは器にほぐした塩鮭、芽ネギ、を器に入れてテーブルに

  並べる。

 「さてと‥‥」

  マヤはエプロンを取りながらリビングを通り抜け、二人の部屋が向かい合ってい

  る廊下へ向う。

 「アスカ、シンジ君できたわよぉ」

 「はぁい」「わかりました」

  同時に戸が開く。

 「おまたせ」

  自然と微笑むマヤ。

  −−−一人暮らしが長いせいかな、なんかいいな‥‥。

 「おまたせなんて、そんな事ないわよ。ねぇシンジ?」

 「うん」

 「じゃあ二人とも、手、洗ってきてね」

 「はぁい」「はい」

  マヤはすっかりお姉さん気分だ。

  −−−アスカってなんか可愛い妹みたいに思えてきた‥‥

 

       *          *          *

 

  前夜、ミサトがドイツに向かい、葛城家には三人と一匹だけとなった。マヤはリ

  ビングに寝る事にし、朝食と二人のお弁当下ごしらえをして夜遅くに床についた。

 

  −−−安全が保証されてるとはいえ他人の家は寝付きにくいな‥‥

  マヤが独り寝付けないでいると、微かにゆっくりと戸が開く音が聞こえた。

 

 「マヤ、起きてる?」

 「アスカ?」

  マヤが声のする方を見ると、そこにはふとんを抱えたアスカが立っていた。

 「私もここで寝てあげる」

 「ありがとう。他人の家だとなかなか寝付けなくて」

 「でしょ?私もそうだったから」

  暗くてよくわからなかったがアスカが一瞬微笑んだようにマヤにはみえた。

 

  静かな夜。

  二人は並んでいろんな事を話した。‥‥‥彼女の過去の事を除いては。

 

 「ところでアスカ。シンジ君の事どう思ってるの?」

 「いい同居人ね。掃除も洗濯もご飯も作ってくれるし。便利な奴」

 「そんな事じゃ無くて。わかってるくせに」

 「ラ、ライバルよ。エヴァのパイロットとしてシンジにだけは絶対に負けないわ」

 「じゃあ男の子としては?」

 「ぜ、全然だめよ!お話にならないわ。加持さんなんかと天と地との差があるもの」

 「じゃあ嫌いなの?」

 「そ、そうでもない。最初はそうだったけど、意外といいとこ有るし」

 「そうなんだ。やっぱりね〜」

 「な、なにがやっぱりなのよ!」

 「別に〜」

 「も、もう寝る!」

 「はいはい、おやすみなさい」

 「‥‥おやすみ、マヤ」

 「おやすみなさい、アスカ」

 

  そして朝。

  マヤが目を醒ますと左手に何かある。ふと見るとアスカが両手で包むように握っ

  ている。

  −−−可愛い寝顔‥‥シンジ君がキスしたくなるのも無理ないわね。

 「アスカ、起きなさい」

 「‥‥もうちょっと‥‥」

 「シンジ君が起きる前に部屋に戻るんでしょ?」

 「‥‥‥」

  パチリとアスカは目を開ける。でもすぐに半分目が閉じてしまう。とても眠そう

  である。

 「おはよう、アスカ」

 「‥‥おはよ‥‥マヤ‥‥」

 「さあ立って。ふとん運んであげるから」

 「‥‥うん‥‥ありがと‥‥」

  アスカはまだ寝ぼけている。

  −−−やっぱり女の子、可愛いわね。

  マヤはアスカのふとんを持って彼女の部屋へ。アスカはマヤの後をタオルケット

  を引きずりながらついていく。そして部屋の中へ。

 「じゃあね、私は朝御飯の準備するから。できたら呼んであげるから。おやすみ」

 「‥‥うん‥‥おやすみ‥‥」

  マヤはアスカの握り締めているタオルケットを取りかけ直す。そして、部屋の戸

  を静かに閉めた。

 

 「おやすみ」

  と静かに再び唱えながら。

 

       *          *          *

 

  手を洗いテーブルについた二人は器を覗き込んで顔を見合せている。

 

 「何これ?魚とネギしか入ってないわよ?」

 「このまま食べるわけじゃないですよね?」

 「これをいれるのよ」

  マヤはそれぞれの器にアツアツの白粥を入れていく。

 「お粥ですか?」

 「そうよ。中華風のね」

 「ふーん」

 「熱いうちに食べてね。おかゆに人を待たせるな。って言うぐらいだから」

  顔を再び見合わせるアスカとシンジ。

 「それじゃあ、いただきまーす」「いただきます」

 「どうぞ」

 「あつーい。でも美味しい」

 「美味しいですよ」

 「ありがと。お代わりはあるからね」

 「何に合わせても食べれそうですね」

 「ええ。今朝は白身魚の刺し身、湯通しした海老と貝柱、肉団子、変ったところで

  レタス、パンの耳を揚げたものが用意してあるけど」

 「そんなにもですか?」

 「ええ、残っても晩に使うから無理して食べないでいいわよ」

 「マヤ?レタスって?」

 「レタスの細切りは、おかゆの柔らかさとレタスの歯ざわりが楽しめるのよ」

 「じゃあ私はレタスと肉団子」

 「もう食べたの?食べ過ぎないでね、今から学校なんだから」

 「大丈夫よ」

 「パンの耳も意味があるんですね?」

 「ええ、油条という中国の揚げパンの変わりなの。これを入れると風味が増すのよ」

 「そうなんですか」

 「私のそれもいれてね」

 「はいはい」

 「僕は海老と貝柱」

 「海老と貝柱ね」

 「あー!私も海老入れて!」

 「はいはい」

  朝から元気なアスカ、そしてシンジ。

  湯気が目に染みたのかマヤの目に不意に涙が溜まってくる。

 

  −−−どこから見ても普通の14歳‥‥

     私にはどうすればいいのかわからない‥‥

     今までやってきたことを信じるしか‥‥ごめんね‥‥ごめんね‥‥

 

 「マヤ、どうしたの?火傷しちゃったの?シンジ、救急箱取って!!」

 「わかったよ!」

 「あ!シンジ君違うのよ。アスカも。湯気が目にしみただけなの。ごめんね」

 「よかった‥‥私がかわろうか?」

 「僕がかわりますよ」

 「い、いいのよ。ありがとう‥‥」

 

  −−−涙が流れそう‥‥

     私はずるい‥‥

     この子達の命を奪うのは私かもしれないのに‥‥

     涙を流す資格なんて有るはずないのに‥‥

 

     祈る事しかできないなんて‥‥

     祈る事も許されるはずないのに‥‥




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