『仕組まれた女神』 −第四部−

くらしろ


 

   #8

 

祭りは森の中の広場に場所を移して、行われていた。

広場に設けられた台上には異国の衣装のレイ、そしてレイを挟んで、アスカとシンジ

が着席している。

シンジは事あるたびにレイの方を眺めていた。

いや、レイのいつもと異なる姿に、その気高い美しさに見蕩れていた。

アスカはそんなシンジを横目で睨み、嫉妬の炎を胸の中で燃やしている。

レイはレイで瞳を凝らし、彼女の前で行われる神事を見詰めているだけである。

あたかも、人々の行いを慈愛を以て見守る女神のように。

 

祭りは終わる事なく続き、辺りは薄暗くなり始めていた。

アスカが大きく伸びをした。

「あ〜あ、退屈ね!」

「アスカ、そんな事言っちゃこの村の人達に失礼だよ。」

「そんな事言ったって〜!」

「それに、見も知らずの僕達にこんな持て成しをしてくれているんだから。」

彼女達の前にはこの侘しい村で拵えられたとは到底思えないような贅を尽くした食事

が並べられていた。

「でも、退屈な物はしょうがないじゃん!!」

確かにアスカの言う事も一理ある。

昼間から延々と繰り広げられている神事は、芸術としては価値があるものかもしれない

が、アスカ達にとっては単なる退屈な催しに過ぎなかった。

「そんな事言ったって...。」

シンジもそれは重々承知しているので言い返す事はできなかった。

「でも、綾波は何も言わずに見てるよ。」

シンジはレイを一瞥した。

「いいの、綾影はいつもこうなんだから!」

アスカもレイの姿を横目で見ていた。

「......。」

シンジはただ前を見据えているだけのレイを覗き込む。

「綾波...。」

「碇君、私はいい...。」

レイはそう呟いただけであった。

 

...やがて太陽は西の空に沈んで行った。

儀式はその頂点に達しようとしていた。

 

 

   #9

 

太陽はとうに西の空に沈み、夜の帳が空を覆う。

星々は満天に散らばり、その母なる存在、月が夜空を照す。

今宵は満月。

その仄かで優しさに満ちた光はアスカをシンジを、そしてレイを包んでいた。

 

「満月かぁ...。」

シンジは空を仰いで呟いた。

そして、この祭りの由来を語った老人の言葉を思い出した。

 

 

...その昔、この村は悲惨を極めていた。

痩せた大地、そして枯れ果てた水。

彼等の祖先は何度この村に見切りを付けたか知れなかった。

だが、彼等にこの村の他に行く当てもなく、ここにしがみついて生きていくしか

術はなかった。

そんな彼等を見守るのは空に輝く星々、そして月だけであった。

そして、彼等に残された道はただ祈るしかなかったのである。

彼等は祈り続けた...。

どんな時でも、そしてどんな者にも公平に夜空から光を与える月に。

そして、彼等の願いが遂に通じる時が来た。

ある満月の晩、月がその村を太陽の何倍も明るく照したのである。

彼等はその眩しさに視力を奪われた。

彼等が再び瞼を開ける事ができた時、目の前には一人の少女が立っていた。

その少女は自分が月の女神だと、そして、彼等に奇跡を与えるためにやって来たのだ

と述べた。

彼等は自分たちの願いが叶ったと喜び、その少女と契約を交わした。

斯くして、その少女は結ばれた契約通りに奇跡を彼等の村に起こした。

その村はいかなる戦乱の世の中でもひっそりと、しかし決して災いが訪れる事無く生き

延びて行く事ができたのである。

 

...そして、その女神と交わした契約の一つが毎年、奇跡が起こった月の満月の夜に

彼女を讚える祭りを行う事だと言う。

そして、女神に変わらぬ契約を誓うのである。

 

 

シンジは月を仰ぎ、そしてレイを見た。

レイの赤い瞳には松明の明かりが映っていた。

「始まるわ...。」

レイは誰に語ることなく口を開いた。

 

村人達はレイの前に再びひれ伏す。

そして、女神を讚える詠唱が始まった。

低く、そして物悲しい声で...。

 

 

     ぬばたまの くろきやみより あらわれて

     ちよにやちよに てらしたる

     なんじのひかり けだかくて

     われらやさしく つつむなり

 

     うきよわれらに たけけれど

     なんじひとしく もろびとに

     てりかがやくぞ いつくしき

 

     うきよわれらに きびしかり

     はるもわれらに きびしかり

     なつもわれらに きびしかり

     あきもわれらに きびしかり

     ふゆのきびしさ いとすごし

 

     われらたよるは なんじのみ

     われらいのるは なんじのみ

     われらまつるは なんじのみ

 

     われらたよらん とこしえに

     われらいのらん とこしえに

     われらまつらん とこしえに

  

 

 

「何だか寂しい歌だね...。」

シンジは彼等の詠唱の偽らざる感想を述べた。

「そう、私はよく分からないわ! 何を言ってるのかよく分からないし。」

アスカは古語をよく分かっていないようだ。

だが、彼女の感性はこの歌の悲しげな調べを受け止めているようであった。

「...でも、寂しそうな感じがする...。」

レイはただ沈黙を守っていた。

歌はなおも続く...。

 

 

     ひさかたの くもなきそらに いのるとき

     なんじまばゆく かがやきて

     なんじきせきぞ おこしける

 

     ついになんじぞ あらられる

     なんじすがたを かえにけり

     われらのねがい うけいれむ

 

     そのすがかこそ たまもかる

     おとめなりけど そのひとみ

     くれないいろに ありにけれ

     

     そのすがかこそ たまもかる

     おとめなりけど あかねさす

     むらさきいろの かみなれれ

 

     おとめのなんじ ことだまを

     われらにむかひ いひにけり

 

     ちよにやちよに とこしえに

     われらなんじを たよりせば

     なんじのきせき あたはらむ

 

     ちよにやちよに とこしえに

     われらなんじを いのりせば

     なんじのきせき あたはらむ

 

     ちよにやちよに とこしえに

     われらなんじを まつりせば

     なんじのきせき あたはらむ

 

 

村人達の詠唱の声が高くなる。

アスカは何故だか彼等の歌声の中に狂気を感じたような気がした。

「シンジ...。」

その声が上擦っている。

「アスカ...。」

シンジの声も震えていた。

「綾波...。」

シンジはまたレイの方を見る。

レイは変わらず村人達を見詰めていた。

しかし、彼女の唇は微かに動いているようだった。

それは、村人の詠唱に合わせて動いているように見えた。

シンジの耳にレイの微かな声が届く。

 

「...なんじのきせき あたはらむ...。」

 

 

     われらなんじに とこしへに

     たよりたること いまちかふ

 

     われらなんじに とこしへに

     いのりたること いまちかふ

 

     われらなんじに とこしへに

     まつりたること いまちかふ

 

     なんじもとめし さだめこそ

     われらまもらむ とこしへに

 

     なんじあたえし さだめこそ

     われらまもらむ とこしへに

 

     なんじしめせし さだめこそ

     われらまもらむ とこしへに

 

     われらなんじと さだめたり

     なんじわれらと さだめたり

 

     おとめのなんじ くれなひの

     ひとみわれらに むけしとき

     なんじのからだ かがやきて

     ひかりわれらぞ つつみける

 

     おとめのなんじ かがやきて

     あまにかへりて しろたへの

     つきのひかりぞ のこりける

 

 

詠唱の声は一層高くなり、漆黒の夜空に、そして山々に響いている。

その声に導かれるように、レイは立ち上がる。

ゆっくりと、そして神々しく...。

「あ、綾波...。」

「あ、綾影?」

シンジとアスカはレイの突然の行動に驚く。 いや、二人の心は恐怖を感じた。

だが、レイの耳にはそんな二人の呼び掛けは届いていないようである。

レイは村人達の方に歩き出す。

 

さらに、詠唱が続く...。

 

 

     なんじわれらに もとめたる

     われらなんじに もとめたる

 

     なんじわれらに あたえたる

     なんじのきせき とこしへに

     われらなんじの きせきにて

     とわにすごさむ やすらかに

 

     われらなんじに あたへたる

     われらのねがひ とこしえに

     なんじわれらの みつぎにて

     なんじすごさむ やすらかに

 

     われらなんじの ねがひにて

 

     いまこそみつぎ あたえんと

     いまこそみつぎ あたえんと

     いまこそみつぎ あたえんと

 

     みつぎぞここに そなへたるべき

 

 

村人達の声が最高潮に達した時、突如詠唱が止む。

辺りは水を打ったように、静まり返っていた。

ただ、松明が弾ける音がするだけである。

シンジは何かに取り憑かれたように、もはや何も言えなくなっていた。

アスカはただレイを見ている事しかできない。

 

レイは一歩一歩村人の方に進み出る。

やがて、立ち止まるレイ。 天にその細い腕を差し出す。

 

静寂を破って、一人の村人の声がした。

その声はあの老人のものであったかも知れない。

だが、それは決して嗄れたものではなかった。

「今こそ、我等の月の女神に貢ぎ物を!」

すると、今度は村人全てがその言葉を復唱する。

「今こそ、我等の月の女神に貢ぎ物を!」

 

「ア、アスカ...。 一体皆どうしちゃったんだよう...。」

シンジはアスカに不安げな声をだす。

「そ、そんなの私に聞いたって、分かるはずがないでしょ!」

アスカはシンジに返答する。

だが、その声は強気の台詞の内容とは裏腹に、明らかに動揺があった。

アスカは村人達を見渡す。

彼等の瞳には生気が感じられなくなっていた。

それに代わって、その奥には狂気が見て取れた。

「ちょっと〜、みんなどうしちゃったのよ〜!」

アスカが彼等に向かって叫ぶ。

しかし、彼等の中でその声に反応する者は誰一人としていなかった。

 

「今こそ、我等の月の女神に貢ぎ物を!」

彼等の声が再び聞こえる。

 

「今こそ、我等の月の女神に貢ぎ物を!」

それは繰り返されて行く...。

 

村人達は立ち上がり、レイの、そしてアスカのいる祭壇に向かって歩き出した。

まるで、地獄の亡者の集団のように。

 

「あ、綾波!」

シンジはただ天に向かって腕を差し出しだしているレイの後ろに寄る。

だが、レイは何も答えようとしない。

「あ、綾波!」

シンジはレイの肩を後ろから揺り動かす。

「ちょっと、シンジ! この非常事態に何綾影とやってるのよ!」

アスカは二人の間に入り込もうとする。

そんな事をしているうちにも、村人達は近づいて来る。

 

「ねえ、綾波!」

「綾影、何か答えなさいよ!!」

シンジとアスカはレイに語り掛け続ける。

 

「...、碇君、惣流さん、私の事好き?」

突然、レイが前を向いたまま、呟く。

「綾波、と、突然何を言うんだよ!?」

「何よ、綾影、そう言う訳分かんない事言ってる場合じゃないでしょう!!」

 

「ねえ、碇君、惣流さん、本当に私の事が好き?」

「綾波、何を言ってるのか分からないよ!?」

「ねえ、綾影。 一体どうしたのよ!?」

 

「答えて...、碇君、惣流さん...。」

「あ、ああ...。 好きだよ、綾波!」

「シンジ、何言ってるのよ!!」

 

「ありがとう...、碇君...。 それで、惣流さんは?」

「アスカ、ここは素直に綾波に従った方がいいと思うよ...。」

シンジは小声でアスカに囁く。

「そ、そうね...。

 ええ、綾影、あなたの事が好きよ! だって私の大切な仲間だもの!!」

 

「そう...、ありがとう。惣流さん...。」

 

そう言うと、レイは両手を拡げた。

まるで機会仕掛けの人形のように、彼等の目の前にまで来ていた村人達の動きが止まる。

ほっと、胸を撫で下ろすアスカとシンジ。

が、レイが突然、振り向いた。

 

「碇君、惣流さん、ありがとう...。」

「いやあ、そう言われると...。」

何故か照れるシンジ。

「当ったり前でしょう!」

アスカは威張っている。

 

「じゃあ...、私のためにその命を頂戴...。」

二人はレイが言った言葉を瞬時に理解する事ができなかった。

だが次の瞬間、レイが微笑んだ時、その意味を理解する事ができたような気がした。

 

レイの微笑み...、それは悪魔のそれのような邪悪に満ちていた。

二人はレイの背後に、再び村人達が向かって来る姿を見た。

そして、レイの体から光が湧き上がって来るのを見た。

 

やがて、三人は光に包まれていく。

だが、アスカとシンジの意識は闇の中に堕ちて行った。

 

                          <続く>

 



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